前章─復讐の先に掴む未来は(1)
雪の上に橙色の花が咲き乱れるように落ちている。この花全てが『解離』してしまった妹フランの成れの果てだ。その橙色の花を壊れてしまわないように優しく一輪掬い上げ、布に包む。
この光景と思いを忘れないように瞳の奥に焼きつけながら右手を前へと差し出す。魔力を込めると淡い光が手のひらを包んだ。次の瞬間、花たちは橙色をより一層濃くしながら舞い上がっていく。その幻想的で温かな光に、亡き妹フランの面影を重ねる。
『メリーお姉ちゃん!』
フランの声が鮮明に蘇り、キリキリと胸の奥が締め付けられていく。息苦しさに呼吸を浅く繰り返す。じんと痺れるように熱くなる目頭に思わず目を伏せた。閉ざされた真っ暗な視界の中に、まるで光が差すかのようにフランの笑顔が浮かぶ。
いつも明るく健気な姿は、どこかくたびれてしまった兄のミュールやメリーの心を明るく照らす光そのもので、子を道具としか思わない残酷な家系に生まれたとは思えないほど、本当に心根の優しい子だった。
再び目を開くと、花弁は最期の煌めきを放ちながら夜の闇に溶けていくのが見えた。
「フラン、助けられなくてごめん……」
小さく呟くと、メリーは踵 を返し足早に屋敷へ向かった。
後ろは振り返らない。立ち止まらない。感傷に浸っている暇などない。今はただひたすら前へ。握る拳に、踏み出す足に力を込めた。
まだ私には為すべきことがある──
一人戻ってきた屋敷は信じられないほど静まり返っていた。魔力で部屋に明かりを灯すと、荒らされた中の様子が嫌でも視界に飛び込んでくる。小物が散乱し、家具や壁に所々傷跡が残っている。フランのお気に入りのマグカップも、ミュールが大切にしていたオルゴールの小箱も、親友たちが贈ってくれた置き時計も全て壊されていた。
散乱した家具や小物を避けながら荒れた自室に入る。机の引き出しから長い紐のついた小さな布袋を取り出した。花柄の刺繍 が歪 ながらも丁寧に施されているフランお手製の布袋だ。匂い袋だったものだが、中身を抜き、布に包んでいた花を代わりに入れる。それを首から下げ、服の中へとしまった。
本当はあのときに全て自然へ還すべきだったが、まだ離れたくないという思いを断ち切れなかった。申し訳なく感じつつもこうして何かに縋らなければ、絶望に押し潰されてそのまま消えてしまいそうだった。フランの最期の願いを聞き届けるために、今はとにかく自分を奮い立たせ前へ進まなければならない。
メリーはクローゼットを開け、ハンガーにかけてある服を両端へ寄せると、奥の壁に向かって魔力を注ぎ込む。指先から広がるように、青白い光を放ちながら魔法陣が浮かび上がっていく。陣の中央に現れた扉の中には術式を詰めた試験管とお金が入っている。特に見つかった形跡もなくホッと胸を撫で下ろし、鞄に詰めた。
部屋にある空の試験管や魔術の触媒に使えそうなもの、他にも役に立ちそうなものを全てかき集め、カバンに入るだけ詰め込んでいく。準備を終え、カバンを腰に下げた。クローゼットから赤いフード付きのケープを一着取り出すと、慣れた手付きで羽織 り、踵 を返す。何かを踏む感覚と同時にパキッと固い音がした。
足元には砕けたガラス片と壊れた写真立てが落ちている。中にはミュールとフランとメリーの三人が幸せそうに笑って写っていた。フランの誕生日に記念に撮った写真だ。
かつてはこの屋敷にもたくさんの兄弟が暮らしていた。父に呼び寄せられ、一人また一人と家を出ていき、数年前から屋敷に住むのは三人だけになっていた。
才能はあるが虚弱体質で一年の大半をベッドの上で過ごす兄。新月の日に、母方の血筋を引いて地霊族で生まれてしまった妹。満月の日に生まれながらも月食に阻まれ、穢れた魔力を宿す自分。父から「利用価値もないゴミ」と見放された自分たちは利用価値のある他の兄弟たちとは違うはずだった。
だからこそ、ひっそりと平穏に暮らせるのではないかと淡い期待を抱いていた。今になってその期待は愚かだったと気付かされることになるとは。それも、取り返しのつかないものを代償にして。こんなことになるのであれば監視官を殺し、ミュールを背負ってでもどこかへ逃亡すべきだったのかもしれない。
後悔と自責の念で心が軋むのに気付かないよう、拾った写真を四つ折りに畳み、大切な記憶と共に封じるようにして布袋の中へしまい込んだ。
屋敷を後にするメリーの顔に最早感情の色は見えない。降る雪で輪郭 のぼやけた足跡を辿るように歩き出した。
魔術鉄道のノルタンダール駅。最終列車に乗り、炎霊族自治区の首都メラングラムを目指す。ミュールを救うために。到着する頃にはもう夜も明けているだろう。
────────────────────────────
スピリア連合国、炎霊族自治区首都メラングラム。首都というだけあって、朝早くから行商や出勤する人で溢れ返っていた。
そんな街の喧騒 を避け、身を潜めるかのように路地裏で蹲 る青年が一人。その呼吸は荒く、苦しげだ。
乱雑に被ったボロ布の中から、夜空を彷彿 とさせる濃藍色の髪が覗く。月の色に似た左目は布の影を受け一層鋭く光る。
柔らかいはずの朝の日差しは少し肌にあたるだけで、鋭い刃に貫かれるような痛みだ。肌を晒さないように蹲 っていても、ジリジリと焼け付くような痛みと倦怠感 が全身を襲う。魔族は感覚が鈍く、これほどの痛みを感じるのは初めてのことだった。声を漏らしそうなほどの苦痛に耐えながら、青年はゆっくりと視線を大通りへ向けた。
慌ただしく行き交う人々の生き生きとした表情。それらを忌々しそうに睨みつける。弱々しく蹲 っていることしかできない惨めな自分。日陰にいても、この体力の奪われようは尋常ではなかった。
兎にも角にも今は動けない。もっと早く到着できていれば夜のうちに身動きがとれたが、転移されたときにはすでに夜明け前だった。羽織 で朝日を避けながら、何とか日の当たらないこの場所まで辿り着いたのだ。
青年は夜を待つ。明るい世界から怯えるように縮こまることしか今できることはない。人目につかないよう、路地裏の物陰にひっそりと寄りかかり固く目を閉じた。
第1話 契約は路地裏にて(1) 終
この光景と思いを忘れないように瞳の奥に焼きつけながら右手を前へと差し出す。魔力を込めると淡い光が手のひらを包んだ。次の瞬間、花たちは橙色をより一層濃くしながら舞い上がっていく。その幻想的で温かな光に、亡き妹フランの面影を重ねる。
『メリーお姉ちゃん!』
フランの声が鮮明に蘇り、キリキリと胸の奥が締め付けられていく。息苦しさに呼吸を浅く繰り返す。じんと痺れるように熱くなる目頭に思わず目を伏せた。閉ざされた真っ暗な視界の中に、まるで光が差すかのようにフランの笑顔が浮かぶ。
いつも明るく健気な姿は、どこかくたびれてしまった兄のミュールやメリーの心を明るく照らす光そのもので、子を道具としか思わない残酷な家系に生まれたとは思えないほど、本当に心根の優しい子だった。
再び目を開くと、花弁は最期の煌めきを放ちながら夜の闇に溶けていくのが見えた。
「フラン、助けられなくてごめん……」
小さく呟くと、メリーは
後ろは振り返らない。立ち止まらない。感傷に浸っている暇などない。今はただひたすら前へ。握る拳に、踏み出す足に力を込めた。
まだ私には為すべきことがある──
一人戻ってきた屋敷は信じられないほど静まり返っていた。魔力で部屋に明かりを灯すと、荒らされた中の様子が嫌でも視界に飛び込んでくる。小物が散乱し、家具や壁に所々傷跡が残っている。フランのお気に入りのマグカップも、ミュールが大切にしていたオルゴールの小箱も、親友たちが贈ってくれた置き時計も全て壊されていた。
散乱した家具や小物を避けながら荒れた自室に入る。机の引き出しから長い紐のついた小さな布袋を取り出した。花柄の
本当はあのときに全て自然へ還すべきだったが、まだ離れたくないという思いを断ち切れなかった。申し訳なく感じつつもこうして何かに縋らなければ、絶望に押し潰されてそのまま消えてしまいそうだった。フランの最期の願いを聞き届けるために、今はとにかく自分を奮い立たせ前へ進まなければならない。
メリーはクローゼットを開け、ハンガーにかけてある服を両端へ寄せると、奥の壁に向かって魔力を注ぎ込む。指先から広がるように、青白い光を放ちながら魔法陣が浮かび上がっていく。陣の中央に現れた扉の中には術式を詰めた試験管とお金が入っている。特に見つかった形跡もなくホッと胸を撫で下ろし、鞄に詰めた。
部屋にある空の試験管や魔術の触媒に使えそうなもの、他にも役に立ちそうなものを全てかき集め、カバンに入るだけ詰め込んでいく。準備を終え、カバンを腰に下げた。クローゼットから赤いフード付きのケープを一着取り出すと、慣れた手付きで
足元には砕けたガラス片と壊れた写真立てが落ちている。中にはミュールとフランとメリーの三人が幸せそうに笑って写っていた。フランの誕生日に記念に撮った写真だ。
かつてはこの屋敷にもたくさんの兄弟が暮らしていた。父に呼び寄せられ、一人また一人と家を出ていき、数年前から屋敷に住むのは三人だけになっていた。
才能はあるが虚弱体質で一年の大半をベッドの上で過ごす兄。新月の日に、母方の血筋を引いて地霊族で生まれてしまった妹。満月の日に生まれながらも月食に阻まれ、穢れた魔力を宿す自分。父から「利用価値もないゴミ」と見放された自分たちは利用価値のある他の兄弟たちとは違うはずだった。
だからこそ、ひっそりと平穏に暮らせるのではないかと淡い期待を抱いていた。今になってその期待は愚かだったと気付かされることになるとは。それも、取り返しのつかないものを代償にして。こんなことになるのであれば監視官を殺し、ミュールを背負ってでもどこかへ逃亡すべきだったのかもしれない。
後悔と自責の念で心が軋むのに気付かないよう、拾った写真を四つ折りに畳み、大切な記憶と共に封じるようにして布袋の中へしまい込んだ。
屋敷を後にするメリーの顔に最早感情の色は見えない。降る雪で
魔術鉄道のノルタンダール駅。最終列車に乗り、炎霊族自治区の首都メラングラムを目指す。ミュールを救うために。到着する頃にはもう夜も明けているだろう。
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スピリア連合国、炎霊族自治区首都メラングラム。首都というだけあって、朝早くから行商や出勤する人で溢れ返っていた。
そんな街の
乱雑に被ったボロ布の中から、夜空を
柔らかいはずの朝の日差しは少し肌にあたるだけで、鋭い刃に貫かれるような痛みだ。肌を晒さないように
慌ただしく行き交う人々の生き生きとした表情。それらを忌々しそうに睨みつける。弱々しく
兎にも角にも今は動けない。もっと早く到着できていれば夜のうちに身動きがとれたが、転移されたときにはすでに夜明け前だった。
青年は夜を待つ。明るい世界から怯えるように縮こまることしか今できることはない。人目につかないよう、路地裏の物陰にひっそりと寄りかかり固く目を閉じた。
第1話 契約は路地裏にて(1) 終