前章─復讐の先に掴む未来は(1)
道中特にトラブルもなく、峠の麓 にある宿場町ドゥエルに着いたのは予定の二十一時より少し前だった。
鉄道が止まっているせいか、以前訪れたときよりも人で賑わっている。宿が見つかれば良いが、最悪荷馬車で一泊だ。
大通り沿いの宿は軒並み満室で、少し奥まったところにある宿屋に荷馬車を停めた。宿の規模は相対的に見て中規模程度。玄関口の植木はきちんと手入れされており、素朴な木造建築の建物はどこか温かみを感じる。玄関を抜け、フロントに立つ壮年の男性にアイゼアは声をかけた。
「すみません、まだ部屋に空きはありますか?」
「四名様ですね。少々お待ち下さいませ……」
男性は帳簿に目を落とし、少しして顔を上げる。
「一部屋だけ空きがございます。ただ、三名様向けの部屋なので少々手狭にはなりますが」
と何処か申し訳なさそうに男性はこちらを伺う。
一部屋、それも三人部屋に無理矢理四人だ。男性だけならともかく、女性のメリーもいる。人が集まっている現状で、この時間のチェックインにも関わらず部屋が空いていただけでも運が良いくらいなのだが、正直悩ましい。さすがに厳しいかとメリーを一瞥 すると、彼女と目が合った。
「アイゼアさん、私は四人一部屋で構いません」
アイゼアが何を考えていたのか察したのだろう、メリーは顔色一つ変えずにそう言った。背に腹は変えられないとはいえ、嫌だとか不安だとか思わないのだろうか。普通に考えれば不満の一つくらいこぼしても仕方ない状況なのだが、我慢しているのかもしれない。三人を信用しているのか、単に無頓着なだけなのか。どこか常識では推し量れないメリーの思いは、アイゼアにはやはり見当もつかなかった。
「一部屋なのは良いとして手狭っつってんだから、とりあえず部屋は見た方が良いだろ」
スイウもそんなメリーの行動に別段驚く様子もなく、淡々と話を進める。
「では、お部屋へご案内しましょうか?」
「頼む」
スイウが即答すると、男性は鍵を持ってフロントから出てくる。
「こちらでございます」
四人は案内されるまま、後ろについていった。
案内された部屋は確かに広くはなかった。ベッドが三つ。小さな木製のローテーブルに長めのソファが窓際にある。それだけで部屋のスペースはほぼいっぱいで、あとは荷物を置く台と埋め込み式のクローゼットがあるだけの簡素な部屋だ。
「寝るだけだし十分だろ。宿無しよりはマシだ」
スイウは新たに宿を探す面倒臭さが全面に出ている。アイゼア自身も新しく宿を探すのは若干億劫 だった。
「私がソファを使用すればベッドの数は問題ありません。皆様お疲れのようですし、私もこの部屋で構いません」
「俺がソファでいい。エルヴェはきちんとベッドで寝ろ」
「意外だな。君にそんな心遣いができるなんて」
「は? 道中倒れられる方が迷惑だろ」
少し意外だとも思ったが、理由を聞けばなんてことはない。心遣いというよりは効率を重視しているだけだが、体力が一番少ないであろうエルヴェをきちんと休ませるのには賛成だ。だがエルヴェはそれでは気が引けるのか
「スイウ様、お心遣いは嬉しいのですが体の小さい私がソファの方が……」
と、申し訳なさそうに縮こまっていく。
「俺はベッドで寝る機会の方が少ないし慣れてるから良い。それよりメリー、アイゼア。もうここで良いだろ?」
「私は良いですよ」
「メリーが良いなら決まりだね。ここで一泊します」
男性の方へ向き直る。
「承知致しました。一人一泊一万デールになりますが、よろしいでしょうか?」
「い、一万デール……」
四人で四万デール。高級料理店のフルコース二〜三人分は余裕で食べられてしまう。宿で例えるなら、それなりに高級を謳 った宿に泊まれる価格にアイゼアは一瞬目眩を感じた。普段であればこの半分かそれ以下の金額で泊まれるが、需要が急激に跳ね上がってる今、相場も上がっているのだろう。宿代であれば一人分は騎士団に請求できるが、三人分は自腹を切らなければならない。
アイゼアの月給は仕事量にもよるが、基本は二十万デール。その内五万デールを兄妹へ仕送りし、更に十万デールを家を建てるために貯金し、残りで一ヶ月を過ごす。余裕があるように見えるが、自由行動の騎士というものは想定外の出費がかなり多い。これでも同期の騎士の中ではトップクラスで貰ってはいるのだが。これは貯金に手を出さなければいけなくなるかもしれないと腹を括る。
「アイゼアさん? まさか一人で全員分負担する気ですか?」
「うーん、そのつもりだったんだけどねー……」
「意外とお人好しなんですね。私は自分の分と雇い主としてスイウさんの分は出しますから。アイゼアさんは自分とエルヴェさんの分を」
そう言うなり、メリーは半分の二万デールを男性に渡した。アイゼアも二万デールを手渡し、一人分の金額の領収証をお願いしておいた。程なくして、男性が領収証と共に部屋着を持ってきた。
「明日の朝食は一階の食堂で提供いたします。一階には浴場もございます。それではごゆっくりお過ごし下さいませ」
鍵を三本と領収証と部屋着を受け取ると、男性は持ち場に戻って行った。
「あの……」
受け取ったものを台へ置いていると、背後から遠慮がちに声をかけられた。
「エルヴェ、どうかしたかい?」
「私の分まで支払って頂いてしまい申し訳ございません。ありがとうございました」
深々と頭を下げ、丁寧にお礼を言う姿に相変わらず年齢のわりにしっかりした子だなとアイゼアは感心する。
「気にしなくて良い。家だってあの有様だったんだ。払えって方が酷な話でしょ」
「ですが、ついて行きたいと無理を言ったのは私の方ですので……」
初めて会ったときからそうだったが、エルヴェはどうも腰が低く、ずっと萎縮し続けている。
「そんなこと気にしなくて良いだろ。お前を保護すんのも騎士様のお役目ってやつなんだ、払わせとけって」
すでにソファの上で寛いでいるスイウが、面倒臭いものを見るような目でこちらを見ていた。
「一デールも払ってない君には言われたくないなぁ」
「俺はそういうの含めての契約で雇われてんだ。文句言われる筋合いはない」
そう言われてしまえば反論の余地はない。
「エルヴェ、とにかく気にしなくて良い。君はまだ子供だし、もう少し周りに甘えても誰も文句は言わないよ」
弟や妹にするように頭をポンポンと撫でながら微笑んで見せると、エルヴェは少し安心したような表情でもう一度頭を下げた。そんな二人の間に割って入ってきたのはメリーだ。
「何でも良いんですけど、私そろそろお風呂に行くので二人共服を全部脱いでください」
「は?」
「え?」
あまりの唐突さに、アイゼアとエルヴェが同時に声を上げる。差し出されたメリーの右手の手のひらとメリーの顔を二人は交互に見つめる。
アイゼアの頭の中でメリーが風呂へ行くことと、自分たちが全裸になることが全く結びつかない。全く意味が理解できず二人はその場で凍りついていた。気まずいような妙な沈黙が部屋を包んでいる。
「メリー、さすがに言葉が足りな過ぎだ」
「え、そうですか? 脱いでと頼まれれば洗濯以外にないと思ってたんですけどね……」
その言葉を聞いて、やっとどういうことなのか合点がいった。自分の物を洗うついでにみんなの分も洗ってきますよ、ということだ。メリーにそこまでする義理も義務もないのだが、おそらく完全な親切心から言っているのだろう。
だが全部渡せというのなら、この場で全裸になれと言っているのと然程変わらないのも事実だ。部屋の件といい、彼女に羞恥というものはないのかそれとも本当に無頓着なのか、ますますアイゼアは混乱した。
ただ妹のポルッカに男性には警戒するようにきちんと教えなければと心に留めておくことにした。
「いや、さすがにここで全部というのは厳しいかなー。それに自分のものは自分で洗うからメリーは気にしなくて良いよ」
インナーやジャケットならともかく、下着まで洗わせるのは色々問題ありだ。仮にメリーが良くても自分が恥ずかしすぎる。
「そうですか? じゃあ洗い終わったら声かけて下さい。私が魔術で一気に乾かしますから」
まるでそれが当たり前のことだと言わんばかりの口振りだ。メリーは部屋着一式と鍵を一本持ってさっさと部屋を出ていってしまった。
今の一連の言動で今までの行動の理由を一言で表す言葉に行き着いた。合理的だからだ。おそらく相対的にみても羞恥心は薄いだろう。かといって完全に羞恥心がないわけでもなく、全く無頓着というわけでもないはずだ。ただ現状を見て最良だと思う選択をしているだけなのだと推測する。
他の宿を探すよりここで泊まった方が早いし楽、自分がまとめて全部洗って乾かすのが一番早い、きっとそう考えたのだろう。自分の気持ちより合理性が優先されてしまうのは、同じ年頃の女性と比べると少しドライにも見えた。
「あの」
ロングジャケットの袖をエルヴェにちょいちょいと引かれる。
「私たちも早く入浴を済ませた方がよろしいのでは? 乾燥をメリー様にお願いするなら時間を合わせた方がご迷惑にならないでしょうし」
エルヴェの言う通りだ。何度も個別で乾燥させるのも手間だろう。合理性を優先している彼女に頼むのであれば尚更だ。
「そうだね。ねぇスイウ、君も僕たちと一緒に行くかい?」
「何で連れ立って行かなきゃならねーんだ。俺は後で行く」
そう言うなり、スイウはこちらに背を向けてしまった。
「ちゃんと入ってよー? 風呂なんて早々入れないかもしれないしさー……」
「わかってる。後で必ず入るからさっさと行けって」
ひらひらと片手であしらわれ、二人は部屋を後にした。
「なんだか温かくて落ち着きます……空が見えるお風呂というのも素敵ですね」
エルヴェがほっこりした表情で湯に浸かっている。昨日救出したときからずっと緊張した面持ちだったが、気を緩めている様子に小さく胸を撫で下ろした。
しかしまじまじと見ると、エルヴェは本当に華奢 な体躯をしている。身長も小柄でメリーと大差がなく、だぼっとした体の線が出ない服を着ているせいか脱いでみるとよりそれが顕著になる。この細身の体格で村人を守る為に戦ったというのだから驚きだ。
「アイゼア様。何か?」
じろじろと見すぎてしまったらしく、エルヴェは居心地が悪そうに縮こまってしまった。
「いや、村人を守る為に戦ったって言ってたけど、随分細いから相当頑張ったんだろうなーって思ってね。ジロジロ見て悪かったよ」
「いえ、大丈夫です! それに戦ったといっても結局捕まってしまいましたし」
「君は勇敢だよ。誰かを守る為に戦える人はそう多くない」
「きょ、恐縮です……」
エルヴェは恥ずかしそうにしながら湯に鼻下まで沈む。それからはお互い何かを話すでもなく、ぼんやりと空を眺めながら疲れた体を癒す。
カストルとポルッカはどうしているだろうか。叔母夫婦や従兄弟に嫌がらせを受けていないと良いのだが。遠征任務の度にそのことばかり考えてしまう。しかも今回はかなり長引きそうだ。しばらくは二人に会いに行けないだろう。不意に引き戸がガラガラと音を立てる。
「げ……」
という声と共に大きなため息。渋々といった様子でエルヴェの隣にスイウが入ってくる。
「お前らいつまで入ってんだよ……逆上せるぞ」
「そう? ちょうど良い温度だし疲れが抜けてくーって感じだけどね」
普通の宿は風呂ではなく、シャワーだけが備え付けられてるところが多い。ここは宿場町の宿だからか風呂がついている。
滅多にない体験なのだから満喫しなければ損というものだ。
「それよりさー、気になることが一つあるんだけど良いかなー?」
チラリとスイウを伺うと、あからさまに嫌悪感を示す。
「良くない」
「まだ何も言ってないじゃないか、酷いなぁ」
「お前の気になることなんて碌なことじゃねーだろ」
と、スイウは全く取り合う気がない。
どうやって聞こうかと考え倦ねていると、エルヴェがスイウの顔を覗き込んでいる。これまでの態度を鑑みればかなり珍しい行動だ。
「スイウ様、眼帯は外さないのですか?」
スイウは少し驚いた様子でエルヴェに視線を向ける。アイゼアは内心エルヴェに感謝した。まさか自分が聞きたかったことを聞いてくれるとは。特別気に留めていないフリをしながらスイウの言葉を待つ。
「知りたいのか?」
「そういうわけでは……ただ少し気になっただけなんです。気に障りましたか?」
「別にそういうわけじゃないが」
うーん、押しが弱い。無粋に詮索するような子じゃないもんなぁー、ともどかしい気持ちが沸々と湧く。
「僕は気になるなー。何で取らないんだい?」
頬杖をつきながら変わりに聞いてやってる体で追撃すると、スイウは再び不愉快そうな顔になる。
「気に障った。謝れアイゼア」
「えぇー、僕の扱い酷くない?」
エルヴェとの対応の温度差にいっそ笑ってしまいそうになるほどだ。
「ったく、面倒臭いヤツだな。眼帯してるなんていったら理由なんか大体わかるだろ。この下は人様に晒して気持ちの良いもんじゃねーってことだ。風呂だろうが何だろうが基本的には外さん」
「へぇ、君が人目を気にするなんて意外だな」
と茶化してみる。
「目つきだけで怯えられてんのに、そんなもん晒したら余計に悪目立ちして面倒だろうが」
「はっはー、それは一理あるね。でもさ、あんなに強いのに目をやられたわけ? 相手は相当強かったんだろうねぇ」
「もう随分昔の話だ」
それきりスイウは語ろうとはしなかった。人相が悪く、人を寄せ付けない雰囲気。誠実なのか不誠実なのか判断しにくい態度。感情もあからさまに顔に出すものはともかく、基本的に何を考えているのか見えにくい。そして素性らしい素性が全く掴めないのがスイウだ。彼には隠していることがまだあるとアイゼアの勘が囁いていた。
第12話 宿屋での攻防 終
鉄道が止まっているせいか、以前訪れたときよりも人で賑わっている。宿が見つかれば良いが、最悪荷馬車で一泊だ。
大通り沿いの宿は軒並み満室で、少し奥まったところにある宿屋に荷馬車を停めた。宿の規模は相対的に見て中規模程度。玄関口の植木はきちんと手入れされており、素朴な木造建築の建物はどこか温かみを感じる。玄関を抜け、フロントに立つ壮年の男性にアイゼアは声をかけた。
「すみません、まだ部屋に空きはありますか?」
「四名様ですね。少々お待ち下さいませ……」
男性は帳簿に目を落とし、少しして顔を上げる。
「一部屋だけ空きがございます。ただ、三名様向けの部屋なので少々手狭にはなりますが」
と何処か申し訳なさそうに男性はこちらを伺う。
一部屋、それも三人部屋に無理矢理四人だ。男性だけならともかく、女性のメリーもいる。人が集まっている現状で、この時間のチェックインにも関わらず部屋が空いていただけでも運が良いくらいなのだが、正直悩ましい。さすがに厳しいかとメリーを
「アイゼアさん、私は四人一部屋で構いません」
アイゼアが何を考えていたのか察したのだろう、メリーは顔色一つ変えずにそう言った。背に腹は変えられないとはいえ、嫌だとか不安だとか思わないのだろうか。普通に考えれば不満の一つくらいこぼしても仕方ない状況なのだが、我慢しているのかもしれない。三人を信用しているのか、単に無頓着なだけなのか。どこか常識では推し量れないメリーの思いは、アイゼアにはやはり見当もつかなかった。
「一部屋なのは良いとして手狭っつってんだから、とりあえず部屋は見た方が良いだろ」
スイウもそんなメリーの行動に別段驚く様子もなく、淡々と話を進める。
「では、お部屋へご案内しましょうか?」
「頼む」
スイウが即答すると、男性は鍵を持ってフロントから出てくる。
「こちらでございます」
四人は案内されるまま、後ろについていった。
案内された部屋は確かに広くはなかった。ベッドが三つ。小さな木製のローテーブルに長めのソファが窓際にある。それだけで部屋のスペースはほぼいっぱいで、あとは荷物を置く台と埋め込み式のクローゼットがあるだけの簡素な部屋だ。
「寝るだけだし十分だろ。宿無しよりはマシだ」
スイウは新たに宿を探す面倒臭さが全面に出ている。アイゼア自身も新しく宿を探すのは若干
「私がソファを使用すればベッドの数は問題ありません。皆様お疲れのようですし、私もこの部屋で構いません」
「俺がソファでいい。エルヴェはきちんとベッドで寝ろ」
「意外だな。君にそんな心遣いができるなんて」
「は? 道中倒れられる方が迷惑だろ」
少し意外だとも思ったが、理由を聞けばなんてことはない。心遣いというよりは効率を重視しているだけだが、体力が一番少ないであろうエルヴェをきちんと休ませるのには賛成だ。だがエルヴェはそれでは気が引けるのか
「スイウ様、お心遣いは嬉しいのですが体の小さい私がソファの方が……」
と、申し訳なさそうに縮こまっていく。
「俺はベッドで寝る機会の方が少ないし慣れてるから良い。それよりメリー、アイゼア。もうここで良いだろ?」
「私は良いですよ」
「メリーが良いなら決まりだね。ここで一泊します」
男性の方へ向き直る。
「承知致しました。一人一泊一万デールになりますが、よろしいでしょうか?」
「い、一万デール……」
四人で四万デール。高級料理店のフルコース二〜三人分は余裕で食べられてしまう。宿で例えるなら、それなりに高級を
アイゼアの月給は仕事量にもよるが、基本は二十万デール。その内五万デールを兄妹へ仕送りし、更に十万デールを家を建てるために貯金し、残りで一ヶ月を過ごす。余裕があるように見えるが、自由行動の騎士というものは想定外の出費がかなり多い。これでも同期の騎士の中ではトップクラスで貰ってはいるのだが。これは貯金に手を出さなければいけなくなるかもしれないと腹を括る。
「アイゼアさん? まさか一人で全員分負担する気ですか?」
「うーん、そのつもりだったんだけどねー……」
「意外とお人好しなんですね。私は自分の分と雇い主としてスイウさんの分は出しますから。アイゼアさんは自分とエルヴェさんの分を」
そう言うなり、メリーは半分の二万デールを男性に渡した。アイゼアも二万デールを手渡し、一人分の金額の領収証をお願いしておいた。程なくして、男性が領収証と共に部屋着を持ってきた。
「明日の朝食は一階の食堂で提供いたします。一階には浴場もございます。それではごゆっくりお過ごし下さいませ」
鍵を三本と領収証と部屋着を受け取ると、男性は持ち場に戻って行った。
「あの……」
受け取ったものを台へ置いていると、背後から遠慮がちに声をかけられた。
「エルヴェ、どうかしたかい?」
「私の分まで支払って頂いてしまい申し訳ございません。ありがとうございました」
深々と頭を下げ、丁寧にお礼を言う姿に相変わらず年齢のわりにしっかりした子だなとアイゼアは感心する。
「気にしなくて良い。家だってあの有様だったんだ。払えって方が酷な話でしょ」
「ですが、ついて行きたいと無理を言ったのは私の方ですので……」
初めて会ったときからそうだったが、エルヴェはどうも腰が低く、ずっと萎縮し続けている。
「そんなこと気にしなくて良いだろ。お前を保護すんのも騎士様のお役目ってやつなんだ、払わせとけって」
すでにソファの上で寛いでいるスイウが、面倒臭いものを見るような目でこちらを見ていた。
「一デールも払ってない君には言われたくないなぁ」
「俺はそういうの含めての契約で雇われてんだ。文句言われる筋合いはない」
そう言われてしまえば反論の余地はない。
「エルヴェ、とにかく気にしなくて良い。君はまだ子供だし、もう少し周りに甘えても誰も文句は言わないよ」
弟や妹にするように頭をポンポンと撫でながら微笑んで見せると、エルヴェは少し安心したような表情でもう一度頭を下げた。そんな二人の間に割って入ってきたのはメリーだ。
「何でも良いんですけど、私そろそろお風呂に行くので二人共服を全部脱いでください」
「は?」
「え?」
あまりの唐突さに、アイゼアとエルヴェが同時に声を上げる。差し出されたメリーの右手の手のひらとメリーの顔を二人は交互に見つめる。
アイゼアの頭の中でメリーが風呂へ行くことと、自分たちが全裸になることが全く結びつかない。全く意味が理解できず二人はその場で凍りついていた。気まずいような妙な沈黙が部屋を包んでいる。
「メリー、さすがに言葉が足りな過ぎだ」
「え、そうですか? 脱いでと頼まれれば洗濯以外にないと思ってたんですけどね……」
その言葉を聞いて、やっとどういうことなのか合点がいった。自分の物を洗うついでにみんなの分も洗ってきますよ、ということだ。メリーにそこまでする義理も義務もないのだが、おそらく完全な親切心から言っているのだろう。
だが全部渡せというのなら、この場で全裸になれと言っているのと然程変わらないのも事実だ。部屋の件といい、彼女に羞恥というものはないのかそれとも本当に無頓着なのか、ますますアイゼアは混乱した。
ただ妹のポルッカに男性には警戒するようにきちんと教えなければと心に留めておくことにした。
「いや、さすがにここで全部というのは厳しいかなー。それに自分のものは自分で洗うからメリーは気にしなくて良いよ」
インナーやジャケットならともかく、下着まで洗わせるのは色々問題ありだ。仮にメリーが良くても自分が恥ずかしすぎる。
「そうですか? じゃあ洗い終わったら声かけて下さい。私が魔術で一気に乾かしますから」
まるでそれが当たり前のことだと言わんばかりの口振りだ。メリーは部屋着一式と鍵を一本持ってさっさと部屋を出ていってしまった。
今の一連の言動で今までの行動の理由を一言で表す言葉に行き着いた。合理的だからだ。おそらく相対的にみても羞恥心は薄いだろう。かといって完全に羞恥心がないわけでもなく、全く無頓着というわけでもないはずだ。ただ現状を見て最良だと思う選択をしているだけなのだと推測する。
他の宿を探すよりここで泊まった方が早いし楽、自分がまとめて全部洗って乾かすのが一番早い、きっとそう考えたのだろう。自分の気持ちより合理性が優先されてしまうのは、同じ年頃の女性と比べると少しドライにも見えた。
「あの」
ロングジャケットの袖をエルヴェにちょいちょいと引かれる。
「私たちも早く入浴を済ませた方がよろしいのでは? 乾燥をメリー様にお願いするなら時間を合わせた方がご迷惑にならないでしょうし」
エルヴェの言う通りだ。何度も個別で乾燥させるのも手間だろう。合理性を優先している彼女に頼むのであれば尚更だ。
「そうだね。ねぇスイウ、君も僕たちと一緒に行くかい?」
「何で連れ立って行かなきゃならねーんだ。俺は後で行く」
そう言うなり、スイウはこちらに背を向けてしまった。
「ちゃんと入ってよー? 風呂なんて早々入れないかもしれないしさー……」
「わかってる。後で必ず入るからさっさと行けって」
ひらひらと片手であしらわれ、二人は部屋を後にした。
「なんだか温かくて落ち着きます……空が見えるお風呂というのも素敵ですね」
エルヴェがほっこりした表情で湯に浸かっている。昨日救出したときからずっと緊張した面持ちだったが、気を緩めている様子に小さく胸を撫で下ろした。
しかしまじまじと見ると、エルヴェは本当に
「アイゼア様。何か?」
じろじろと見すぎてしまったらしく、エルヴェは居心地が悪そうに縮こまってしまった。
「いや、村人を守る為に戦ったって言ってたけど、随分細いから相当頑張ったんだろうなーって思ってね。ジロジロ見て悪かったよ」
「いえ、大丈夫です! それに戦ったといっても結局捕まってしまいましたし」
「君は勇敢だよ。誰かを守る為に戦える人はそう多くない」
「きょ、恐縮です……」
エルヴェは恥ずかしそうにしながら湯に鼻下まで沈む。それからはお互い何かを話すでもなく、ぼんやりと空を眺めながら疲れた体を癒す。
カストルとポルッカはどうしているだろうか。叔母夫婦や従兄弟に嫌がらせを受けていないと良いのだが。遠征任務の度にそのことばかり考えてしまう。しかも今回はかなり長引きそうだ。しばらくは二人に会いに行けないだろう。不意に引き戸がガラガラと音を立てる。
「げ……」
という声と共に大きなため息。渋々といった様子でエルヴェの隣にスイウが入ってくる。
「お前らいつまで入ってんだよ……逆上せるぞ」
「そう? ちょうど良い温度だし疲れが抜けてくーって感じだけどね」
普通の宿は風呂ではなく、シャワーだけが備え付けられてるところが多い。ここは宿場町の宿だからか風呂がついている。
滅多にない体験なのだから満喫しなければ損というものだ。
「それよりさー、気になることが一つあるんだけど良いかなー?」
チラリとスイウを伺うと、あからさまに嫌悪感を示す。
「良くない」
「まだ何も言ってないじゃないか、酷いなぁ」
「お前の気になることなんて碌なことじゃねーだろ」
と、スイウは全く取り合う気がない。
どうやって聞こうかと考え倦ねていると、エルヴェがスイウの顔を覗き込んでいる。これまでの態度を鑑みればかなり珍しい行動だ。
「スイウ様、眼帯は外さないのですか?」
スイウは少し驚いた様子でエルヴェに視線を向ける。アイゼアは内心エルヴェに感謝した。まさか自分が聞きたかったことを聞いてくれるとは。特別気に留めていないフリをしながらスイウの言葉を待つ。
「知りたいのか?」
「そういうわけでは……ただ少し気になっただけなんです。気に障りましたか?」
「別にそういうわけじゃないが」
うーん、押しが弱い。無粋に詮索するような子じゃないもんなぁー、ともどかしい気持ちが沸々と湧く。
「僕は気になるなー。何で取らないんだい?」
頬杖をつきながら変わりに聞いてやってる体で追撃すると、スイウは再び不愉快そうな顔になる。
「気に障った。謝れアイゼア」
「えぇー、僕の扱い酷くない?」
エルヴェとの対応の温度差にいっそ笑ってしまいそうになるほどだ。
「ったく、面倒臭いヤツだな。眼帯してるなんていったら理由なんか大体わかるだろ。この下は人様に晒して気持ちの良いもんじゃねーってことだ。風呂だろうが何だろうが基本的には外さん」
「へぇ、君が人目を気にするなんて意外だな」
と茶化してみる。
「目つきだけで怯えられてんのに、そんなもん晒したら余計に悪目立ちして面倒だろうが」
「はっはー、それは一理あるね。でもさ、あんなに強いのに目をやられたわけ? 相手は相当強かったんだろうねぇ」
「もう随分昔の話だ」
それきりスイウは語ろうとはしなかった。人相が悪く、人を寄せ付けない雰囲気。誠実なのか不誠実なのか判断しにくい態度。感情もあからさまに顔に出すものはともかく、基本的に何を考えているのか見えにくい。そして素性らしい素性が全く掴めないのがスイウだ。彼には隠していることがまだあるとアイゼアの勘が囁いていた。
第12話 宿屋での攻防 終