番外編─死者たちの反撃

 地獄へと続く道をしばらく行くと、おもむろにスイウが指を差す。

「そこの一際大きなくぼみ。あのうるさい女、確か……ジェスタだったか? 逃げ出してそこで喰われた。助けてーって手を伸ばされてもなぁ? さすがの魔族でもお手上げだから歩く前に注意してるわけでって感じだろ」

 つまり目の前でジェスタが喰われる光景を眺めていたのだろう。ジェスタは冥界で初めて会ったが、それでもやはり顔を知っている者の末路として聞いてしまうと背筋が凍るようだった。

「まだどれも最近だから、阿呆共が踏み荒らして喰われていった痕跡がそこかしこに残ってる」

 確かによくよく見ると彼岸花が所々踏み荒らされたように乱れている。スイウや魔族たちは相当苦労したのだという現実が目の前にありありと残っていた。


 地獄まではそれなりに距離があるらしく、緩やかな登り坂の道を進んでいく。
 ミュールは少し歩調を落とし、ミルテイユの隣を歩き始める。たった一人で向かうと思っていた地獄へ共に歩いていく人がいるというのはやはり少しだけ不思議な気分だ。

「もしミルテイユにだけ辛いものが待っていたら、その時は私がお前についていくつもりだった」
「それはどういうこと、ミュール様?」

 昔と違い、敬語の崩れたミルテイユの話し方がくすぐったくて、少し頬が緩む。フランやジュニパーと同じだと笑わないでくれ、と前置きをしながら口を開いた。

「もしお前の方が背負った罪が重かったとき、共に地獄に行けるよう頼もうと思っていたって話だ。穢れは肩代わりできるものでもないみたいだし。それに……いや、単純に私は離れたくないだけなのかもしれないな」

 素直な気持ちをミルテイユへと向ける。十年前から本当は一緒にいてほしいと願っていた。だがそれを伝えたところで十年が戻ってくるわけでもない。
 だからこそ再会できた今、離れ難く感じていることを言いたくなったのだ。

 目を丸くしながら、無言でこちらを凝視するミルテイユに段々と居心地が悪くなり目を逸らす。

「そんなことを言われても困るか」
「ミュール様! ご自分が何をおっしゃっているのかわかっておられるのですか!?」

 食ってかかるくらいの勢いのある物言いに気圧されながらも、言葉の続きに耳を傾ける。

「私はこの命が尽きようとも……魂ある限り、ミュール様の従者としてどこまでも付き従うと誓いますっ」

 十年前と変わらない態度でミルテイユは強く言い放った。従者として、という言葉に長い時の流れを感じる。

 当時、きっとミルテイユは自分を好きでいてくれた。だがあんな酷い言葉をぶつけられ、十年の間にもいろんなことがミルテイユを襲っただろう。そのときに自分は助けてもやれず、彼女は一人苦しんでいたに違いない。
 それだけの時が経てばその恋心が冷えに冷えていてもおかしくはなかった。ベッドの中でぐだぐだとミルテイユへの思いを引き摺っていたのは自分だけだったようだ。

「あはは、喋り方が昔みたい。私は今までみたいに気さくに話してくれてる方が新鮮で良かったのに」
「そ、そう……ミュール様がそっちがいいっていうなら」

 ミルテイユの喋り方を指摘することで誤魔化し、話をすり替えた。違和感を感じるのか少しだけぎこちないミルテイユの表情に、ずっと抱いてきた想いがじわじわと溢れてくる。

「それにしても五人で地獄行きなんて思いもしなかったわぁ。ジューン様も嫌がらずついてきてるし」

 ミルテイユはそれまでの自由に振る舞っていたような話し方に戻してくれたようだ。やはり従者ではない素のミルテイユを見ているようで、こちらの方がより好ましく感じられた。

 ミルテイユが後ろを振り返り、つられてミュールも振り返る。ジューンとジュニパーが楽しそうに会話を交わしているのが見えた。
 あの日からどれくらいの時が経っているのかわからないが、わりと短期間の内に二人は仲良くなったように思う。ジューンは心を開いた相手には人懐っこい性格なのかもしれない。

「私だけ場違いねぇ……」
「どうしてそう思う?」
「私はクランベルカの血なんて引いてないもの。ジュニパーも家族と一緒って言っていたし、私は余所者なのよねぇ」
「違う。ミルテイユも家族」

 こちらの会話が聞こえてきたのかジュニパーがすかさず言葉を挟んできた。

「銀髪の騎士のお兄さん言ってた。血の繋がってない大切な家族がいるって。だから血が繋がってなくても家族になれる。ミルテイユ知らなかったんだ?」

 ふふん、というちょっとだけ優越感に浸ったような小さな笑みをジュニパーは浮かべる。

「ミルテイユとワタシ、一緒に頑張って喧嘩止めた。だから家族」

 銀髪の騎士、という単語にメリーの傍にいた仲間の青年の姿を思い出す。

 ミュールはジュニパーとも冥界で会うのが初めてだった。『お父さま』ではなく『家族』に強く拘るのはクランベルカ家ではかなり珍しい思考の子だと思っていたが、もしかしたらあの青年の言葉の力もあるのかもしれない。

「元々その辺うちはテキトーだろ? 兄弟同士で殺し合いみたいなことしてきて家族とか言われてもなァっつー感じ〜。メレディスと家族になれって言われてもオレは絶対無理」

 ジューンはカーラントの従者をしていたことを覚えている。従者というのは大抵主をそれなりに慕っている者が多い。

「あぁ、カーラントは同い年だからって、よくメリーと当てられて半殺しにされてたっけ。そりゃ恨むか」
「ミュール、てめぇ兄貴のこと馬鹿にしただろ今」

 馬鹿にする意図はなかった。主を何度も痛めつけるメリーを好きになれるはずはないだろうなという共感の話だったのだが。

「そんなつもりはなかった。けど、模擬戦で惨敗してたのは事実だし、そのせいでお前もメリーを嫌いになったんだろう?」
「知ってる! わかってんだよ、んなこたァ! あー!! むしゃくしゃしてきただろ、クソがっ」

 ジューンは頭を掻き毟りながら、メレディスを一度で良いから見返してやりたかったと吠える。

 あの仲が良いとは言えなかった兄弟たちとこうして、まるで何もなかったみたいに普通の会話を交わしてることが不思議でたまらなかった。それはお互い死んだ身だからなのだろうとミュールは思う。死によってしがらみから開放され、自分の素でいられるからだ。

 それが生きている間にできなかったことが少し悔やまれる。ストーベルの存在が、自分たちを取り巻く全てを捻じ曲げ、歪め、変質させてしまったのだろう。

「オレが勝てなくても兄貴が勝つ……もう兄貴はメレディスなんかに負けねぇんだからなァ!」
「そうかも。カーラントの幻術はなかなか練度の高いものだったし、メリーを上手く封じたら勝てる可能性はあるな」
「お、だろ〜? 意外とわかるヤツだな、ミュールは」

 したり顔をしているジューンにふっと笑いが込み上げる。彼は少し単純で素直な性格のようだ。

「えー! ミュールお兄ちゃんはメリーお姉ちゃんの味方でしょー? なんでカーラントお兄ちゃんの肩持つのーっ」
「私はメリーの味方だ。ただカーラントも強いからなーって言っただけで……」
「ふーんだ。裏切り者ぉー」

 フランはスイウの隣を歩きながら、ふくれ面で怒っていた。

 そんななんてこともない会話を交わす地獄への旅路は、陰鬱さなど吹っ飛ばしてしまうほどに賑やかで楽しいものだった。


 最後の丘を登ると先は切り立った崖になっており、そこから向こうの世界は、上は黄昏の空、地平線の彼方から下は黒く塗りつぶされた底の見えない広大な暗闇が広がっていた。この暗闇の先に地獄はあるとスイウは言う。

「そうだ、別れの前に言っておく。ミュール、フラン、破滅を止めてくれたこと魔族として礼を言う」
「礼なんて……私もフランもただメリーを助けたかっただけだ。それより、私たちの『願い』は聞き届けてもらえるのか?」
「見ての通り俺には無理だが、他のヤツらが何とかするだろ」
「そう、それなら良かった。ありがとう」

 スイウの返答に良かったね、とフランと視線を合わせて笑い合う。

 あの破滅を止める戦いの最中、フランと二人、魂を引き換えにしてメリーを救おうとした。メリーの周りにはスイウを含めた仲間が四人立っていた。その気配へ、フランと共に『願い』を託したのだ。

 それにしても魂は喰われたはずなのに、なぜここに留まっているのだろうか。体が透けて見えることと何か関係があるのかもしれないが、この世の理はわからないことの方がずっと多い。

「ここから飛んだらその先が地獄なわけだが、冥王から一つ伝言を預かってる。飛ぶときに全員で手を繋ぎ、到着するまでは絶対に手を離さないこと、だそうだ」

 おそらく離せばバラバラになり、それぞれの地獄へと行き着くのだろう。離れないようミュールはフランの体をしっかりと抱え込む。もう片方の手をミルテイユと繋ぎ、その隣にジュニパー、ジューンと続く。

「勇気がないならローアンみたいに突き落としてやろうか?」

 どうやらローアンは飛び降りるのを渋って突き落とされたらしい。ミュールは試しに下に広がる暗闇を覗いたが、不思議と恐怖心は湧いてこなかった。

「私は大丈夫だ。皆は?」
「私も問題ないわ」
「ワタシ、平気」
「こんなんでビビってたら、もっと早く死んでるっつーの。舐めてんのか?」
「わたしはミュールお兄ちゃんもみんなもいるから大丈夫だよ」

 全員覚悟も決まり、ミルテイユの手がこちらの手を強く握る。

もう二度と離さない。
この魂の尽きるその時まで。

想いを込め、強く強く握り返した。

「なら行こうか」
「良い旅を」

 スイウのよく意味のわからない別れの挨拶に疑問を感じながら、四人で揃えて腕を後ろへ引き、膝を少し屈める。

「せーのっ!」

 腕を思い切り振り上げると同時に前へと飛び、五人は崖下に広がる暗闇へと身を投じた。

 地獄とはどんな場所なのか。その先に待つものがたとえ炎の海でも、光の届かぬ深海でも構わない。どんな罰も責め苦も受け入れる。

 誰にも褒められない、むしろ後ろ指を差されるようなことばかりの人生だった。優しいミルテイユを一方的に傷つけた。フランには寂しい思いばかりさせ、悲しませてきた。
 そしてメリーには散々迷惑をかけ、悩ませ、苦しめてきた。兄として家族として何をしてやれたのか思いつかない。

 それでも確かに、皆がくれた幸せな記憶が宝物のように胸に残っている。この手には大切なフランとミルテイユ、そして新しく家族だと言ってくれたジューンとジュニパーがいる。

 こんな愚か者には贅沢過ぎる、幸せな最期だとミュールは思った。

「メリー……!」

 急速に遠くなっていく黄昏の空へ、声を張り上げ別れを告げる。

「私は本当に幸せ者だった。お前も必ず、大切な者たちと幸せになりなさい……」

最期に幸せだったと胸を張って言えるように。

 泣きそうになるほどの切実な願いを込めて、最期に愛する妹へ言霊の魔法をかけた。


番外編 カーテンコールはまだ早い(4)  終
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