番外編─死者たちの反撃
この場にいる全員が緊張し固まっている中、ジュニパーは怯えることなくストーベルの前へと歩み出る。
「お父さま、ジェスタは喧嘩 売った。ミルテイユとジューン悪くない」
「ジュニパー、二人は私を傷つけようとしてくるんだ。悪いのはどちらなのか、わかるだろう?」
「でも、喧嘩始めたのはジェスタ……本当は守ろうとしてた……? ううん、ダメ。みんな家族だってお父さまが言った! 喧嘩はダメ、お話で解決」
ストーベルはくだらないといった様子でわざとらしくため息をつく。
「聞き分けの悪い子はお仕置きが必要だな」
「お父さま……? どうして、ワタシ間違ってる……?」
「そうだ、お前が間違──
「いいや、間違ってねぇなァ! 喧嘩はダメだ。喧嘩をけしかけてる親父をオレらで止めなくっちゃだよなぁ!」
ジューンはジュニパーと肩を組み、「な!」と同意を求めて覗き込む。ジュニパーは少しだけ嬉しそうにこくこくと頷き、キュッと表情を引き締めてストーベルを見つめる。
「……ストーベル様も死んじゃったんですねぇ。メリーちゃんに殺されちゃいましたか?」
本日二度目になるこの質問をストーベルにも投げかける。メリーという名前を聞いた瞬間忌々しげに歪む表情に、メリーに直接殺されたのだと察した。
「誰に向かって口を利いている、ミルテイユ」
「ここは死者の国。今のストーベル様は我がジェーム家を守って下さるわけでもないですし、もう従う意味もないでしょう? アナタのしたかったことも死んだらそれで終わりですよねぇ」
ストーベルは青筋を立てて怒りを露わにする。自由を謳歌したがる心が思ったままを言葉にしていく。逆らったことなんてなかった。
恐ろしい、ストーベルに逆らえば殺される。もう死んでいるが、それでも睨 まれれば身の竦むような思いになるのは変わらないようだ。
「まだ終わってなどない……殺れ、お前たちっ」
「お父さま、ダメ! 喧嘩はやめてぇ!」
ストーベルの命令と共にストーベルに従う者たちが数の少ないこちらへと攻撃をしかけてくる。こちらも武器を呼び出し応戦する。
「クソ親父ぃぃっっ!! 兄貴を苦しませやがってぇぇぇ!!」
怒りに火のついたジューンがストーベルへと斬りかかっていく。ジューンとストーベルは鋭い剣戟 を何度も交し、やがて押し負けたジューンが地面へと転がる。
「身の程知らずの無能が」
ジューンを焼き切らんとする業火をミルテイユは水術で封じ込める。
「生意気な……!」
そのままストーベルを一気に水球で包み、すかさず氷術で閉じ込めようと魔力を込める。
「ミルテイユ、オレが周りのヤツらを払う!」
「お父さまを止めて、喧嘩やめさせる……お願い。ワタシもミルテイユ守るから……!」
立ち上がったジューンと戦う決意を固めたジュニパーが術に集中するミルテイユを守るために駆け寄る。ストーベルは内側から炎術で対抗しているのか、なかなか氷漬けにすることができない。
「私がこの死の世界を支配し、あちら側も手に入れてみせる。邪魔をするなミルテイユ!」
ストーベルの声に植え付けられた恐怖心が湧き上がる。だがここでやめれば次は何をされるかわからない。死ぬよりずっと悍 ましい何かが待っているような気がした。
「邪魔者は死んじゃえぇーっ!」
「……このっ、てめぇが死ねってんだよ、クソがっ!」
ジューンはジェスタへ剣を向け、斬り払う。ストーベルを信奉する者が次々に現れ、とうとう当主候補のローアンまでもが加わった。
メリーたちがあちら側で勝利を収めるほど、こちら側へ雪崩込んでくるということらしい。その場にいた騎士たちも加わってくれているとはいえ、まさに多勢に無勢といった様子に近づいてきている。
こちらについているのがカーラントの精鋭の部下たちといっても勝ち目は薄いという焦燥が募った。
「てめぇをここで行かせたら、兄貴まで殺すんだろ!? んなことさせるかああぁぁぁ!!!」
ジューンは更に攻撃の勢いを増し、部下を鼓舞しながら戦っている。
「カーラント様に救われたご恩が我らにはある! 今こそその恩に報 いる時、怯むな!!」
ジューンの声に励まされ、部下の一人が声高に叫ぶと、それに呼応するようにして雄叫びが上がる。カーラントの部隊は幻術が得意な者も多いため、敵側には徐々に無力化された者も増えてきていた。
あとは自分がストーベルを封じ込めれば終わる。そのはずが徐々に押し返され、氷の張っていた水球がただの水球に戻ろうとしていた。
ストーベルとミルテイユは魔力量が近いが、それでもストーベルの方が上だ。属性が有利だからこそ拮抗 してはいるが、やはり魔力量の差には敵わないのか。
柄にもなく本気になっていた。別にここで踏ん張る意味もない。メリーは好きだが、強い思い入れがあるわけでもない。世界の行く末もどうだっていい。自分は既に死に、命に拘 る必要もない。ストーベルに与えられる罰を受け入れるだけで終わる。
だがなぜか、ここで引き下がってはいけないような気がした。理由なんてない。もしここにいるのがミュールなら、きっと戦い続ける方を選ぶという確信があった。
たとえ姿が見えず共にいられないとしても、選ぶであろうその道を歩みたい。同じ道を。そんな理由とも呼べないもののために、ミルテイユは立っていた。
その瞬間、氷術が一気に芯まで通り、気付けばストーベルは氷の中に固く閉じ込められた。
「え……どうして……?」
ストーベルが封じられると、今度は次々にストーベルについていた者たちが眠るように倒れていく。
「喧嘩、終わった! 家族で傷つけ合わない……よかった」
ジュニパーだけはとりあえず収束したことを喜んでいるが、ミルテイユは何が起こったのか理解できずに困惑していた。わかっていないのはミルテイユだけではないようで、ジューンやその部下たちも意味がわからないと周囲を見回す。
「わぁーい!! すごいすごーい! ミュールお兄ちゃんってこーんなに強かったんだぁ!」
場にそぐわない興奮気味にはしゃぐ少女の声が響く。
「そんなことないよ、みんなが頑張ってくれてたからだな」
「でもでも……わたしのお兄ちゃんとお姉ちゃんが世界でいっちばん最強だもん! そうだよね?」
「一番なら私かメリー、どちらか片方じゃないのか?」
「違うよ。二人で世界最強なの!」
「ふふ……いやぁ、それにしても本当に体が軽い。十年ぶりくらいかな?」
少女と軽やかな青年の声が氷漬けになったストーベルの向こう側から聞こえる。その声はずっとずっと待ち焦がれていた声で間違いない。
少女は「ミュールお兄ちゃん」と言った。この向こうに本当にミュールがいるのだろうか。睨まれても、不快な顔をされてもいい、一目だけ会いたいと願ってしまう。
だが、拒絶されたときの恐怖からか、その一歩が踏み出せずにいた。やがて氷の後ろから人影が現れる。
クランベルカ家の血を引く証である薄紅色の髪の青年は橙色の髪の少女の手を引いてこちらへ歩いてくる。その体はジューンと同じように透けていた。
春の木漏れ日のような優しい若草色の瞳と視線が合い、止まったはずの心臓がどくりと脈打ったような気がした。
「あぁ、やっぱりあの水術はお前だったんだな」
そしてその瞳がゆったりと穏やかに細められ、温かくこちらへと微笑みかける。
「久しぶりだな、ミルテイユ」
愛しい人の声が、十年の時を経て再びこの名を呼んでくれた。この瞬間をどれほど焦がれ、夢見ていたことか。ミルテイユは感極まり、言葉に詰まってしまっていた。
「辛い思いをさせたな。私が至らないばかりに……」
気づけばミュールは手の届く距離まで近づいていた。
『私はもうお前の顔など見たくない。二度と目の前に現れないでくれ』
あの日の拒絶の言葉が鮮明に蘇る。
「なぜ……ワタシの顔などもう二度と見たくないと、仰ったでしょう?」
ミュールは苦しそうに表情を曇らせ、僅かに顔を背ける。
「怒ってるのはわかってる。弁解をさせてもらえるなら、あれは私の本心じゃない」
「ではなぜ、傍に置いてくれなかったのです!?」
「私と関わり続ければ、お前は近いうちに殺処分されていた」
ミルテイユは思わず目を見開いた。ミュールはいつも本心をミルテイユに打ち明けてくれていた。それこそ他の兄弟やストーベルに聞かれたらまずいようなことや、抱いてはいけない夢や自由の話も。
何かあれば全てを話してくれると信じていたために、事実を秘匿して偽りを口にしていると思わなかった。
「ワタシをストーベル様から守る、ため?」
ミュールは静かに頷く。
「そのためとはいえ、私はお前を必要以上に傷つけた。人が変わったようだという話を聞いてずっと心配してたんだ。お前を歪ませてしまったのは私のせいだとわかっていたからな」
沈痛な面持ちで、その瞳が真っ直ぐにミルテイユを捉える。
埋まらない思いを憎しみで埋め尽くして誤魔化して生きてきた。八つ当たりのように他者を傷つけ、満足した。
傷ついてるのは自分だけではない。もっと苦しんでくれれば、自分はまだ幸せなのだと安心できた。拒絶されるほど嫌われ、もう二度と会えない人を恋い慕い続けるより、その方が余程楽だった。ミュールの残酷な言葉に秘められた愛情に気づけず、憎しみを向け続け、何もかもを傷つけてきた。
それはミュールのせいではない。ミルテイユ自身の弱さがそうさせただけの話だ。逃げずに受け止めていく道もあったはずなのだから。
「ミュール様とは一切関係ありませんねぇ。全てはワタシのしたことだもの」
そう言い切るとミュールは困ったように笑み、右腕を摩る。昔から変わらない言葉に困ったときの癖だ。
「……すまなかった。それから、ここで父様と戦ってくれてありがとう」
ミュールの労いの言葉が沁みて、ズキズキと胸の奥が痛んだ。同じ道を選びたくて、歩みたくて戦った。
その選択に間違いはなかった。最後の最後で自分は正しい方を選択できたのだと思えた。
「いえ、ワタシにとっては当然。ミュール様に喜んでいただけるのなら、これ以上の幸せはない……」
その言葉に偽りはない。十年前も今も、変わらない思いだ。込み上げる幸福感に笑みが零れた。こんなに自然に素直な気持ちで笑ったのはいつぶりだろうか。
「良かった……最後にミルテイユの笑顔を見られて」
耳を疑うようなミュールの言葉に胸が高鳴るような気持ちになる。自身が最後一目会いたかったと思っていたように、ミュールも同じ気持ちでいたことが信じられないくらい嬉しかった。
「私も、同じ気持ちで……ずっとミュール様の姿を探してたわ……」
ただクランベルカ家に身を捧げ、命を散らせただけの人生。それでも、穏やかに笑い合えたこの一瞬は何物にも替え難い宝物となった。
「ミュール様と離れたあの日から、ずっと会いたかった。最後に会えて私も心から嬉しい……」
あんなに胸を締めつけて苦しめられたはずの、共に過ごした頃の記憶が今は輝いて見える。ミュールのおかげで自分は、それでも幸せだったと胸を張れる。
誰から何と非難されようとも。
番外編 カーテンコールはまだ早い(2) 終
「お父さま、ジェスタは
「ジュニパー、二人は私を傷つけようとしてくるんだ。悪いのはどちらなのか、わかるだろう?」
「でも、喧嘩始めたのはジェスタ……本当は守ろうとしてた……? ううん、ダメ。みんな家族だってお父さまが言った! 喧嘩はダメ、お話で解決」
ストーベルはくだらないといった様子でわざとらしくため息をつく。
「聞き分けの悪い子はお仕置きが必要だな」
「お父さま……? どうして、ワタシ間違ってる……?」
「そうだ、お前が間違──
「いいや、間違ってねぇなァ! 喧嘩はダメだ。喧嘩をけしかけてる親父をオレらで止めなくっちゃだよなぁ!」
ジューンはジュニパーと肩を組み、「な!」と同意を求めて覗き込む。ジュニパーは少しだけ嬉しそうにこくこくと頷き、キュッと表情を引き締めてストーベルを見つめる。
「……ストーベル様も死んじゃったんですねぇ。メリーちゃんに殺されちゃいましたか?」
本日二度目になるこの質問をストーベルにも投げかける。メリーという名前を聞いた瞬間忌々しげに歪む表情に、メリーに直接殺されたのだと察した。
「誰に向かって口を利いている、ミルテイユ」
「ここは死者の国。今のストーベル様は我がジェーム家を守って下さるわけでもないですし、もう従う意味もないでしょう? アナタのしたかったことも死んだらそれで終わりですよねぇ」
ストーベルは青筋を立てて怒りを露わにする。自由を謳歌したがる心が思ったままを言葉にしていく。逆らったことなんてなかった。
恐ろしい、ストーベルに逆らえば殺される。もう死んでいるが、それでも
「まだ終わってなどない……殺れ、お前たちっ」
「お父さま、ダメ! 喧嘩はやめてぇ!」
ストーベルの命令と共にストーベルに従う者たちが数の少ないこちらへと攻撃をしかけてくる。こちらも武器を呼び出し応戦する。
「クソ親父ぃぃっっ!! 兄貴を苦しませやがってぇぇぇ!!」
怒りに火のついたジューンがストーベルへと斬りかかっていく。ジューンとストーベルは鋭い
「身の程知らずの無能が」
ジューンを焼き切らんとする業火をミルテイユは水術で封じ込める。
「生意気な……!」
そのままストーベルを一気に水球で包み、すかさず氷術で閉じ込めようと魔力を込める。
「ミルテイユ、オレが周りのヤツらを払う!」
「お父さまを止めて、喧嘩やめさせる……お願い。ワタシもミルテイユ守るから……!」
立ち上がったジューンと戦う決意を固めたジュニパーが術に集中するミルテイユを守るために駆け寄る。ストーベルは内側から炎術で対抗しているのか、なかなか氷漬けにすることができない。
「私がこの死の世界を支配し、あちら側も手に入れてみせる。邪魔をするなミルテイユ!」
ストーベルの声に植え付けられた恐怖心が湧き上がる。だがここでやめれば次は何をされるかわからない。死ぬよりずっと
「邪魔者は死んじゃえぇーっ!」
「……このっ、てめぇが死ねってんだよ、クソがっ!」
ジューンはジェスタへ剣を向け、斬り払う。ストーベルを信奉する者が次々に現れ、とうとう当主候補のローアンまでもが加わった。
メリーたちがあちら側で勝利を収めるほど、こちら側へ雪崩込んでくるということらしい。その場にいた騎士たちも加わってくれているとはいえ、まさに多勢に無勢といった様子に近づいてきている。
こちらについているのがカーラントの精鋭の部下たちといっても勝ち目は薄いという焦燥が募った。
「てめぇをここで行かせたら、兄貴まで殺すんだろ!? んなことさせるかああぁぁぁ!!!」
ジューンは更に攻撃の勢いを増し、部下を鼓舞しながら戦っている。
「カーラント様に救われたご恩が我らにはある! 今こそその恩に
ジューンの声に励まされ、部下の一人が声高に叫ぶと、それに呼応するようにして雄叫びが上がる。カーラントの部隊は幻術が得意な者も多いため、敵側には徐々に無力化された者も増えてきていた。
あとは自分がストーベルを封じ込めれば終わる。そのはずが徐々に押し返され、氷の張っていた水球がただの水球に戻ろうとしていた。
ストーベルとミルテイユは魔力量が近いが、それでもストーベルの方が上だ。属性が有利だからこそ
柄にもなく本気になっていた。別にここで踏ん張る意味もない。メリーは好きだが、強い思い入れがあるわけでもない。世界の行く末もどうだっていい。自分は既に死に、命に
だがなぜか、ここで引き下がってはいけないような気がした。理由なんてない。もしここにいるのがミュールなら、きっと戦い続ける方を選ぶという確信があった。
たとえ姿が見えず共にいられないとしても、選ぶであろうその道を歩みたい。同じ道を。そんな理由とも呼べないもののために、ミルテイユは立っていた。
その瞬間、氷術が一気に芯まで通り、気付けばストーベルは氷の中に固く閉じ込められた。
「え……どうして……?」
ストーベルが封じられると、今度は次々にストーベルについていた者たちが眠るように倒れていく。
「喧嘩、終わった! 家族で傷つけ合わない……よかった」
ジュニパーだけはとりあえず収束したことを喜んでいるが、ミルテイユは何が起こったのか理解できずに困惑していた。わかっていないのはミルテイユだけではないようで、ジューンやその部下たちも意味がわからないと周囲を見回す。
「わぁーい!! すごいすごーい! ミュールお兄ちゃんってこーんなに強かったんだぁ!」
場にそぐわない興奮気味にはしゃぐ少女の声が響く。
「そんなことないよ、みんなが頑張ってくれてたからだな」
「でもでも……わたしのお兄ちゃんとお姉ちゃんが世界でいっちばん最強だもん! そうだよね?」
「一番なら私かメリー、どちらか片方じゃないのか?」
「違うよ。二人で世界最強なの!」
「ふふ……いやぁ、それにしても本当に体が軽い。十年ぶりくらいかな?」
少女と軽やかな青年の声が氷漬けになったストーベルの向こう側から聞こえる。その声はずっとずっと待ち焦がれていた声で間違いない。
少女は「ミュールお兄ちゃん」と言った。この向こうに本当にミュールがいるのだろうか。睨まれても、不快な顔をされてもいい、一目だけ会いたいと願ってしまう。
だが、拒絶されたときの恐怖からか、その一歩が踏み出せずにいた。やがて氷の後ろから人影が現れる。
クランベルカ家の血を引く証である薄紅色の髪の青年は橙色の髪の少女の手を引いてこちらへ歩いてくる。その体はジューンと同じように透けていた。
春の木漏れ日のような優しい若草色の瞳と視線が合い、止まったはずの心臓がどくりと脈打ったような気がした。
「あぁ、やっぱりあの水術はお前だったんだな」
そしてその瞳がゆったりと穏やかに細められ、温かくこちらへと微笑みかける。
「久しぶりだな、ミルテイユ」
愛しい人の声が、十年の時を経て再びこの名を呼んでくれた。この瞬間をどれほど焦がれ、夢見ていたことか。ミルテイユは感極まり、言葉に詰まってしまっていた。
「辛い思いをさせたな。私が至らないばかりに……」
気づけばミュールは手の届く距離まで近づいていた。
『私はもうお前の顔など見たくない。二度と目の前に現れないでくれ』
あの日の拒絶の言葉が鮮明に蘇る。
「なぜ……ワタシの顔などもう二度と見たくないと、仰ったでしょう?」
ミュールは苦しそうに表情を曇らせ、僅かに顔を背ける。
「怒ってるのはわかってる。弁解をさせてもらえるなら、あれは私の本心じゃない」
「ではなぜ、傍に置いてくれなかったのです!?」
「私と関わり続ければ、お前は近いうちに殺処分されていた」
ミルテイユは思わず目を見開いた。ミュールはいつも本心をミルテイユに打ち明けてくれていた。それこそ他の兄弟やストーベルに聞かれたらまずいようなことや、抱いてはいけない夢や自由の話も。
何かあれば全てを話してくれると信じていたために、事実を秘匿して偽りを口にしていると思わなかった。
「ワタシをストーベル様から守る、ため?」
ミュールは静かに頷く。
「そのためとはいえ、私はお前を必要以上に傷つけた。人が変わったようだという話を聞いてずっと心配してたんだ。お前を歪ませてしまったのは私のせいだとわかっていたからな」
沈痛な面持ちで、その瞳が真っ直ぐにミルテイユを捉える。
埋まらない思いを憎しみで埋め尽くして誤魔化して生きてきた。八つ当たりのように他者を傷つけ、満足した。
傷ついてるのは自分だけではない。もっと苦しんでくれれば、自分はまだ幸せなのだと安心できた。拒絶されるほど嫌われ、もう二度と会えない人を恋い慕い続けるより、その方が余程楽だった。ミュールの残酷な言葉に秘められた愛情に気づけず、憎しみを向け続け、何もかもを傷つけてきた。
それはミュールのせいではない。ミルテイユ自身の弱さがそうさせただけの話だ。逃げずに受け止めていく道もあったはずなのだから。
「ミュール様とは一切関係ありませんねぇ。全てはワタシのしたことだもの」
そう言い切るとミュールは困ったように笑み、右腕を摩る。昔から変わらない言葉に困ったときの癖だ。
「……すまなかった。それから、ここで父様と戦ってくれてありがとう」
ミュールの労いの言葉が沁みて、ズキズキと胸の奥が痛んだ。同じ道を選びたくて、歩みたくて戦った。
その選択に間違いはなかった。最後の最後で自分は正しい方を選択できたのだと思えた。
「いえ、ワタシにとっては当然。ミュール様に喜んでいただけるのなら、これ以上の幸せはない……」
その言葉に偽りはない。十年前も今も、変わらない思いだ。込み上げる幸福感に笑みが零れた。こんなに自然に素直な気持ちで笑ったのはいつぶりだろうか。
「良かった……最後にミルテイユの笑顔を見られて」
耳を疑うようなミュールの言葉に胸が高鳴るような気持ちになる。自身が最後一目会いたかったと思っていたように、ミュールも同じ気持ちでいたことが信じられないくらい嬉しかった。
「私も、同じ気持ちで……ずっとミュール様の姿を探してたわ……」
ただクランベルカ家に身を捧げ、命を散らせただけの人生。それでも、穏やかに笑い合えたこの一瞬は何物にも替え難い宝物となった。
「ミュール様と離れたあの日から、ずっと会いたかった。最後に会えて私も心から嬉しい……」
あんなに胸を締めつけて苦しめられたはずの、共に過ごした頃の記憶が今は輝いて見える。ミュールのおかげで自分は、それでも幸せだったと胸を張れる。
誰から何と非難されようとも。
番外編 カーテンコールはまだ早い(2) 終