番外編─死者たちの反撃

 見たことのない平原に立っていた。少し湿り気を帯びた風が、血のように赤い彼岸花を揺らす。天を仰げば黄昏色の空がこちらを見下ろしていた。

 周りには何人か人がおり、会話を交わしている。その言葉の端々から、ここにいる者たちは死者なのだと理解した。


 最期の記憶が蘇る。あまり大きくない少年の手が差し伸べられた。優しい藤色の瞳が機械とは思えないほどの憂いの色をにじませて。

憎らしくて、羨ましい。

 愛されないのは同じなのに、どこまでも純真で、嘘まみれの『人』という生き物を信じている。だがきっと愛されない苦しみと孤独に狂う時がくる。少年の皮を被ったあの機械人形アンドロイドにそんな呪いをかけた。
 たがあれ程強く感じていた嫌悪も憧憬しょうけいの念も、自分が死んだと冷静に理解した今となっては少しも湧いてはこなかった。

 何のために生きてきたんだろう。何のためにあんなに固執し縛りつけられて生きていたのか。

 そんな虚しさが心を支配する。もっと自分の心のままに、家もしがらみも捨ててしまえば良かった。

 死んで怖いものなどなくなった身勝手な心がそう叫んでいた。生きていたらそんなことできるはずもないくせに。家のため、クランベルカ家に全てを捧げて生きてきた。力による支配も、家を守らなくてはという使命感も、ただれた愛憎も、ただただ虚しいものに感じられた。

 ただこの心に最後に残ったのはミュールに会いたいという思いだった。また拒絶されようと構わない。このまま死んで消えるのなら、最後に一目だけでも会ってから逝きたい。

 もう守らなくてはならない家も、これ以上嫌われたくないという思いも、この命も、逆らえない命令も、死んだことで何もかも意味を失った。もう自分を縛るしがらみはなくなったのだ。

 ミュールはメリーに破壊されて死んだと聞いた。ならばきっとこの場所のどこかにいるのではないか。そんな希望が捨てられずにいた。気づけばミュールの面影を探し、ミルテイユは歩き出していた。


 あれからどれくらい時間が経っただろうか。この世界には時間の流れというものがない。ずっと永遠の黄昏が空に貼り付いている。お腹も空かず、喉も乾かず、歩き続けると少しだけ疲れる。まだ一日も経っていないような、もう何ヶ月も経ってしまったような不思議な感覚だった。

 だがどれだけ探してもミュールの姿を見つけることはできなかった。この不思議な場所を彷徨い歩き、結局最初の場所へと戻ってきてしまった。

 そこによく見知った人だかりを見つける。皆一様に体が透けており、その中心で項垂うなだれている人物には見覚えがあった。カーラントがあれほど大切にしてきた人は、結局守りきれなかったのだと悟る。

「あらぁ、ジューン様じゃない。お久しぶりってとこかしら?」
「……ミルテイユ?」

 ジューンは顔を上げると、くしゃりと泣きそうになりながら顔を歪めた。

「カーラント様、しくじったのねぇ。アナタはメリーちゃんに殺されちゃったのかしら?」

 ジューンに尋ねると、首を横に振った。悔しそうに握りしめられた拳が震えている。

「兄貴とてめぇが念入りになぶってた銀髪の騎士だ……」
「あの子、幸薄そうな見た目の割にしぶといのねぇ」

 ジューンを殺したのがあの騎士の青年だというのはわかるが、カーラントがジューンを手にかけたというのはにわかには信じられなかった。
 実験対象にならないよう懸命に手を尽くし、名前が上がるようならすぐに報告してほしいとストーベルの部下であったミルテイユへ頭を下げたこともあった。

「そんなことより、オレは間違ってたのか!? オレは兄貴が望んでるっつーから親父の実験に乗った……なのに、違ったんだ。意識はぼんやりしてたけど、確かにオレは兄貴を殺そうと……!」

 今しがた死んだばかりなのか、ジューンはこれ以上ない程に取り乱し、ボロボロと涙を流している。

「ジューン、泣かないの」

 ぽそりと小さな声と共に、ジューンをつんつんと引っ張る少女がいた。

「ジュニパー……何で、お前がっ」
「ワタシたち家族だから。泣いてたら慰める。あたりまえ」

 ジュニパーは大きく両手を広げてから、ジューンをふんわりと抱き寄せ、無表情のまま、よしよしと小さく呟き頭を撫でている。

「……! 悪ぃ。オレが取り込もうとしなけりゃ、ジュニパーが兄貴に殺されることもなかったかもしれねぇってのに!」
「ワタシ、死んだの? 死んだら冥界って世界に住む。お母さまに会えるかも……楽しみ」

 いつもはぼーっとしたジュニパーが小さく笑顔を浮かべ、そわそわと体を揺らしている。

 最初来たときはまばらだったが、今はかなりの人がいる。大半がクランベルカ関係の者で、ちらほらと騎士の姿も見える。崩れるようにうずくまって泣いているジェスタの姿も見受けられた。

 ジュニパー、ジェスタと当主候補二人が立て続けに死んだということは、メリーが遂にストーベルと交戦を始めたということだろう。

「向こうはメリーちゃんの殺戮さつりく祭りかしら。あの子、昔から怒らせると怖いのよねぇ。加減がないから」

 そう、大切にしているものを傷つけられたときのメリーは手のつけられないバケモノだった。そんな彼女の性質を利用し、生きる希望を失っていたミュールへ差し向けたのは他でもない自分だ。

 疎まれていた自分ではなく、可愛がっていたメリーなら、ミュールは快く厚意を受け入れてくれるだろう。おまけにメリーはあのストーベルですら扱いに悩み、手を焼いていた。

 彼女なら多少強引でもミュールの近くにいようとし、守ってくれると思って利用した。そして望み通りメリーはミュールを傍で守り、世話をし始め、ミュールは死に向かっていたという話から一転、生命維持に努めるようになったと聞いた。

 だからミルテイユはメリーが大好きだった。そんな本心の言葉も、メリーからは「どうでもいい」と切り捨てられてしまったが。

「メレディス、か」
「アナタかたくなにメリーって呼ばないわよねぇ。ま、別に良いけど」

 どちらが勝つのだろうか。ストーベルかメリーか。ジュニパーのおかげで平静を取り戻したのか、様子の落ち着いたジューンに気まぐれに問いかける。

「ねぇ、ストーベル様とメリーちゃん、どっちが勝つと思う?」

 ジューンは問いかけられて、迷うように視線を彷徨さまよわせる。周囲に寄り添っている部下たちの顔や遠くの景色までを、警戒するような怯えた瞳で見渡した。そうして間をおいて口を開く。

「メレディスに勝ってもらわなきゃ困んだよ。メレディスが負けるってことは、兄貴も死ぬってことだからな」
「カーラント様は寝返ったの? どうして?」
「……兄貴は親父が裏切ってオレを殺したからだっつってた」

 やっと合点がいった。カーラントがメリーの側についたのはジューンを奪われたことが原因だろう。何てことはない、いつものカーラントだ。

「オレ、まだ兄貴に何もしてやれてねぇよ。ここまで生きて傍にいられたのは兄貴のおかげだってのに。絶対恩返しするって決めてたのに……」
「律儀なことねぇ」
「……それよりてめぇはどうなんだよ。親父とメレディスどっちが勝つと思ってんだ?」

 少し苛立いらだったようにこちらをにらむジューンに近寄り、首を傾げながら瞳を覗き込む。氷色の瞳はカーラントと同じなのに、受ける印象は全く異なる。青白い炎のように揺らめく瞳を見つめながら、ミルテイユは微笑む。

「ミュール様はどっちが勝ってほしいって言うと思う?」
「はぁー? そんなの言わなくてもメレディスの方だってわかりきってんだろ?」
「うふふ、ならワタシはメリーちゃんに勝ってもらわないと困るわぁ。ミュール様の悲しむお顔は見たくないものねぇ」

 その瞬間後ろから勢いよく首を絞められる。既に死んだ体でも呼吸が細くなると苦しくなるようだった。

「ジェスタ! 喧嘩けんかはダメ……!」
「何がメリーに勝ってほしいだ、ふざけないでよ!」

 ミルテイユは水術を展開し、背後のジェスタへ向けて放つ。ジェスタは瞬時に離れ、こちらへ鋭い殺気を向ける。

 この場にストーベル派とメリー派の派閥が生まれていた。
 そしてジェスタの背後から、ゆっくりと近づいてくる気配にミルテイユは息を呑む。それはジューンや周りの部下たちも同様だった。

「ジェスタ、お前は正しい。ミルテイユ、ジューン……裏切り者には罰が必要なようだな」

それは紛れもなくストーベルの姿だった。


番外編 カーテンコールはまだ早い(1)  終
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