後章─幾星霜を越え、錆びついた時は動き出す

 スイウが消滅して数日後、サンサーナ島の冥界の門の前にメリーの姿はあった。隣にはフィロメナ、クロミツ、モナカが立っている。

「本当に行くの? フィロメナちゃんと、オレと契約してるモナカはまだしもさ、メリーちゃんは契約も切れたただの霊族。基本的に生きてる人が冥界に足を踏み入れるのは禁止なんだけど……」
「なら、この門が私の声に応えて開いたら文句はありませんね」

それでもクロミツの顔は渋い。

「どうしてスイウのためにそこまでするんだ?」
「単純に気に食わないからです」

 短く告げた言葉の意味は伝わらなかったのか、クロミツはますますわからん、と腕を組み首を傾げた。
 理解してほしいとは思っていない。許可を待つつもりも、説得するつもりもなかった。

 メリーはさっさと門の方へと手を翳す。

「我が名は『ウラバ』、呼び声に応えよ」

 次の瞬間、門の向こう側に黄昏色の空が見えた。真っ赤な彼岸花の咲く平原が遠くまで続き、こちらの世界とは明らかに異質な世界が広がっている。スイウが冥界の門を開いたときと同様、無事に開かれたようだ。

 やはり読みは当たっていた。

「マジかよ。スイウの真名で門を開けやがった……」
「素晴らしい! 再契約と魔族……新しい事実がっ! 今のメリーは霊族なの? 魔族なの? どっちなのか調べ尽くしたい……!!」

 呆然としているクロミツと感激しているモナカを置いて、メリーは冥界へと足を踏み出す。

「待って、行ったら生きて帰れるかわからないわよ? 本当に行くのね?」

 フィロメナが不安に瞳を揺らがせている。皆で話し合って冥界へ行くと決めたはずだが、それでもメリーの行く末を心配してくれているらしい。
 メリーは安心させるように、いつもより笑みを深くした。

「門が開くということは、私の魂の中にスイウさんの魂が残ってる証拠です。それって一応ちょっと魔族みたいなものなんですよ、たぶん。よくわかりませんし、面倒なのでそういうことにしておきません?」
「たぶんって……あっ、ちょっと!」

 あわあわと慌てるフィロメナすらも置いて、メリーは半ば開き直りながら堂々と冥界入りを果たした。

 どこまでも続く黄昏色の空と平原。その先に見慣れない建築様式の街のような建物群が見えた。街道を彩るように真っ赤な彼岸花が咲き乱れ、街と平原の間には大河が横たわっている。
 水は底まで見えそうなほど澄んでいるが、底が見えないほどに深い。その大河にかかる、門と同じ色の赤い大きな橋を渡っていく。

「全然遠慮がないな。道案内のオレを置いてってどうすんだよ」
「街までは一本道じゃないですか。迷える方が才能ですね」

 門から続く街道は一本しかない。普通に考えれば最短であの街のようなものを目指そうとするものだろう。モナカのように別のものに興味を取られなければ、だが。

「あんた、スイウっぽいとこあるよな。遠慮がなくて肝が座ってるとことか。ちょっと皮肉っぽいとこ」

 クロミツはカラカラと悪気もなさそうに笑う。

 肝は小さいつもりはないが、メリーにも緊張する場面はもちろんある。そういうものとは無縁そうなスイウよりは余程繊細せんさいにできているつもりだ。それとも魂が中に残っていることで、スイウの影響を多少なり受けているのだろうか。

「おーい、モナカー! 寄り道せずに早く行くぞー!」

 モナカは冥界に来ることができて終始興奮しっぱなしになっている。気になるものを見つけるとふらふらとそちらへ行ってしまうため、フィロメナが必死に引っ張ってきてくれていた。

 もたもたしている暇はない。メリーの中に残るスイウの魂がいつどうなるかもわからない。今この瞬間に忽然こつぜんと消えてしまってもおかしくはないのだ。最悪モナカとフィロメナは置いていくつもりで、メリーは歩調を早めた。




 クロミツに案内され、滞りなく冥王の元へと来られた。セントゥーロ王国のように謁見に面倒な手続きなどもなく、来ていきなり直接通され、人の社会とはまた違う規律や規範、秩序を持っているのだとわかる。

 最奥の部屋へ通されると、奥の玉座にスラリとした女性が長い美脚を見せつけるように足を組んで座っていた。しっとりとした長い直毛の黒髪に妖艶な体型。吸い寄せられるような深い黒の瞳はどこか濡れた色気を感じさせる。

「あ、何かぞくっとしてきたかもー……」

 モナカはそっとフィロメナの背中へと隠れた。メリーには特に何も感じられず、ずんずんと冥王の前まで歩み寄る。
 冥王はゆったりと笑みを浮かべたままメリーを値踏みするように眺め、口を開いた。

「生きた人の子は冥界へ入ってはならぬ。生きては帰せぬなぁ」
「待ってくれ、冥王様。メリーちゃんは冥界の門を自力で開けてここまで来たんだ」
「ほぉ……? そなたが、か」

 冥王は初めて強い興味を抱いたのか僅かに体を起こすと、今度は値踏みではなく何か珍妙なものを観察するような視線でこちらを見る。

「スイウさんと契約していた、メレディス・クランベルカと申します。頼みたいことがあって参りました」

舐めるように這う視線にも構わずメリーは話を進める。

「頼み? ふーむ……まぁよい、聞いてやろう。言うてみるがよい」

 冥王は気まぐれな性格なのだろうか。言動の端々に暇潰し感がにじみ出ている。

 「私の頼み事は一つ、スイウさんを蘇らせることです。いいえ、絶対に蘇らせてもらいます」

 語気を強めて言い放ったあと、しんとした静寂が訪れる。焦るような不安なようなそわそわとした気配を背中に感じた。冥王は何を突然言い出すのかと言わんばかりにこちらを鼻でわらう。

「冥界の王とはいえ、生死を自由にはできぬのよ。跡形もなく消え失せた魂なぞ取り戻せん。とっとと諦めて帰るがよい」

 ひらひらと振られる手を一瞥いちべつし、じっとりと冥王をにらみつける。

「おかしいですね……私は冥界の門をスイウさんの真名で開きました。それが何を示すのか、あなたはわかっているはずです」

 その問いかけに冥王は無言を貫いた。こちらを試しているのか、相手にするつもりがないのかはわかりかねるがこの程度で話を止めるつもりはなかった。そんな温い覚悟でわざわざ冥界にまでは来ない。

「契約は互いの魂にくさびを打ち一つに繋ぐ行為。通常あり得ない二度目の契約は、深く魂が繋がりすぎてしまう。くさびによってできた傷跡に互いの魂が食い込んだ結果、消滅後も私の魂にはその傷跡の分だけスイウさんの魂が残っている……違いますか?」
「ふむ、よう気づいたな。だがそれがどうした?」

 冥王は笑みを深くし、こちらを小馬鹿にしたように何度も頷く。

「メリーの中に残るスイウの魂から彼を呼び戻してほしいのよねー。理論上できるはずなのよー。冥王様のお力があれば、だけど。あ、わたし考古学者で冥界の研究もしてて、クロミツの契約者やってるモナカと申します。お見知りおきを〜」
「オレからも頼む。オレの力が足りないせいで二度も死なせちまった……オレはどうしてもスイウを救いたい」
「あたしからもお願い! スイウを犠牲にしたままなんて絶対嫌なの! 助けられるならその可能性に賭けたい……」

 冥王はそれでも首を縦には振らなかった。玉座から立ち上がり、ゆっくりとメリーへ歩み寄る。歩く姿も優雅さと妖艶さをまとっていた。どこか生を感じない不気味な雰囲気と、威圧感に怯みそうになるがどこまでも平静を装う。

「そなたたちがスイウを蘇らせたい気持ちはわかった。だが不可能だ。スイウを取り戻すにはそれだけでは足りぬ」

 そんなはずはない。モナカとも話したのだ。確かに魔族としてのスイウを取り戻すことはもう叶わないかもしれない。

「いいえ。魔族としては無理でも、魂の欠片があるなら妖魔として呼び戻せるはずで……っ!」

 冥王の長い腕が迫り、メリーの首を絞める。その細く白い腕からは想像もつかないほどの力強さで締め上げられ、足が地から離れる。冥王の腕を両手で掴み、何とか気道を確保した。
 首に爪の食い込む痛みと細い呼吸に息苦しさを覚え、思考を奪われそうになる。こんなところで終わらせられてたまるか、という意地にも似た思いが込み上げた。

「冥王様、やめてくれ!」
「人の子風情が生意気言いおって……そなたなぞその気になればこの場で殺してやれるのだぞ?」
「殺、す……?」

 思わず笑みが零れた。冥王はそんな滑稽こっけいなことを言うのか、と。


第86話 執念は境界を穿うがつか(1)  終
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