後章─幾星霜を越え、錆びついた時は動き出す

 宿に戻ってから、アイゼアとフィロメナは力尽きたように眠り始めた。あれだけ傷つき、長時間継戦したとあれば無理もないだろう。
 エルヴェは眠ったままの四人を甲斐甲斐かいがいしく世話している。機械の体で疲れ知らずとはいえ、少しは休んだ方が良いのではとメリーは思う。




 三人が目を覚ましたのは昼過ぎのことだった。モナカから事情を聞き、キメラに飲み込まれるまでの経緯は大体把握できた。

 クロミツとモナカは世界の破滅が止まった後、冥界に戻ろうとしていたらしい。たが途中でクロミツが冥王の命を受け、共に行動し、キメラを発見したが敵わなかった。
 二人が死なずに済んだことが不幸中の幸いだっただろうか。

「ん……ぅっ……ここは?」
「あー、よかった〜。クロミツも目が覚めたのねぇ」
「モナカ? オレは確かキメラに……」
「メリーたちが助けてくれたんだって。キメラも倒しちゃったみたい」

 モナカのもったりと間延びした話し方とは真逆に、クロミツは勢いよく飛び起きた。

「キメラを倒したって……? スイウは、スイウはどこにいる?」

部屋を忙しなく見回すクロミツに一瞬言葉が詰まる。

「……スイウさんは消滅しました。力及ばず、すみませんでした」

 だが彼にきちんと話をするのも、スイウから託され、その過去を覗き見たメリーの責任だ。

 冥界にいた頃から、生前の記憶を一人抱えていたクロミツは、記憶のないスイウをずっと気にかけていたのだろう。初めて会ったとき、気さくな兄貴分のようにスイウと会話していたことを覚えている。

洒落しゃれにならない冗談だぞ、それは。スイウが消滅したって?」

 メリーは無言でスイウの刀をクロミツへと差し出す。スイウが消滅し、後に残ったのはこの一振りの刀だけだった。その刀の意味を理解し、クロミツは悔しさに顔を歪め、布団を殴りつける。

「また救えなかったのか? 力が及ばなかったのはオレの方だ……!」

 苦しげに細められた夕日色の瞳に涙が溜まっていく。やがて落ちた雫は掛け布団のシーツにシミを作る。クロミツの瞳は、雨に霞む灰色の街で立ちはだかったあの日と同じ色をしていた。

「あんなバケモノになるまで、何でオレは止めてやれなかったんだろうなぁ」
「バケモノに……なるまで?」

 耳が痛くなるほどの静寂の中、クロミツは消え入りそうなほど小さく掠れた声で呟く。
 その言葉の意味に疑問を持ったアイゼアが、クロミツの言葉をなぞるように復唱した。

「キメラと戦ったんだろ? アレの核にスイウの命と魂が使われた。魔物を殺すために開発された身体強化技術の……果ての果てだ」

 クロミツの忌々しく吐き捨てるような声に、誰かの息を飲む声がした。対峙したあのキメラを、あの場にいた誰がスイウ自身だと思っただろうか。

「婚約者を魔物に殺されたのがきっかけだった。あの日からスイウは……アーテルは復讐のために魔物と戦うようになったんだ。復讐したい気持ちはわかる。けどさ、人を辞めてまで根絶やしにしようって、どうしてそこまで自分を捨てられるんだよ」

 クロミツはわからないと首を横に振った。本当は理解できない方がいいとメリーは素直に思う。

「捨てたんじゃなくて、アーテルさんには復讐以外何も残ってなかったんです。復讐だけが存在理由だったんです」

 アーテルは自分は魔物と戦う以外に存在価値はないと感じていた。自分が死んでも悲しむ者もいないと。それはかつてのメリー自身も同じであった。

 しかしアーテルとメリーには決定的な違いがある。メリーは、ミュールとフランの復讐さえ果たせれば後は何でも良かった。人を殺すことも、自分の命も、他人を利用することも、その後の未来も何もかも。決意はアーテルに似ていたが、考え方はフィーニスとの方が近い。

 だがアーテルは違う。彼は破滅的な復讐の先に希望のある未来を見ていた。自身は歩むことはないと捨てた未来を。

「アーテルさんは人類を守りたかったんです。あなたと家族の幸せも願っていました。あなたが一人立ち向かったとき、アーテルさんは家族のためにも逃げてくれと願っていました」
「なんだよ、それ。ホント馬鹿だよなぁ、アーテルは。オレには後ろにいればいいとか言ってさ、自分の心配しろっての……」
「これは私の想像ですけど、アーテルさんにとってあなたとあなたの家族は、最後の希望だったんだと思います」

 孤児で家族の愛を知らずに育ち、家族になるはずだった婚約者を失った。そこでアーテルの夢や希望は絶たれてしまったのだ。
 復讐だけに染まりそうなアーテルの中には、それでも人類の存続という大義と、幸福を守り未来へ繋げたいという思いがなぜか強く残っていた。

「あの姿に成り果てても人の心を留めていられたのは、あなたのおかげです」

 普通、人は大義だけでは戦えない。人の道を外れていく自分と向き合い、友と呼び、名を呼び、真剣に怒ってくれたラーウムの未来を、アーテルは最期の瞬間まで憂いていた。

 ラーウムとその家族を通して、その先にいる見知らぬ多くの人々や幸せな暮らしを見ていたに違いない。だからこそ復讐に身を落としても、人類とその未来を守るという大義を捨てていなかった。友の幸せを願う気持ちが人としてのアーテルを繋ぎ留めていたのだと、メリーは思う。

「アイツ、もう殺してくれって叫んでた。あんな感情的な叫びは初めて聞いたんだ。せめて最期の望みくらい叶えてやれりゃあ良かったんだがな」

 クロミツは力なく笑ったあと、涙をこらえるように目を伏せ、千年をも超える遥か昔の記憶をぽつりと語る。

「オレは昔から結構大雑把で抜けててさ、でも見捨てられたり置き去りされたことなんかなかった。必ず数歩前で背中を向けて、文句言いながらも待っててくれるようなヤツだった。淡白だし言葉は辛辣だし、おまけに人相まで悪いから、めちゃくちゃ友達は少なかったけどさ。オレにとっては掛け替えのない親友だったんだ」

 ラーウムがクロミツになっても変わらないように、アーテルもまた、スイウになってもほとんど変わらなかったのだろう。クロミツの語る昔のスイウは、メリーもよく知る人物だった。

「すっかり置いていかれちまったなぁ……」

 クロミツはゆっくりと息を吐き出すと、いつものカラッとした笑顔を浮かべた。ニッと釣り上がった口角は僅かに震えている。無理して笑っているのは明白だった。

「アーテルを助けてくれたこと、ありがとな。アイツは礼を言うのも苦手だったから、親友のオレが代わりに言っておく」

 クロミツは悲しくも穏やかな眼差しで全員を見つめた後、静かに頭を下げた。その瞳に胸を締めつけるような思いが込み上げる。

「さて、いよいよやることも終わったし、オレは冥界に帰るとしますかねー」

 伸びをしながら、元通りの明るい調子を取り繕うクロミツの片腕をメリーは掴んだ。隠しきれない悲しみをたたえた夕日色の瞳をまっすぐに射抜く。

「まだ何も終わってませんよ、クロミツさん」
「……は?」

そう、まだ終わらない。
終わらせてたまるか。
諦めて悲しみに暮れるなんて冗談じゃない。
このメレディス・クランベルカを本気で怒らせたことを心底後悔させてやる。

 全てはここから始まる。逆転勝利の鍵はまだこの手の中に残っていると信じて。


第85話 弔いの炎にいだかれ(2)  終
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