後章─幾星霜を越え、錆びついた時は動き出す
キメラはスイウの魂がこの世から失われたことで狂ったように暴れていた。戦っている者は皆怪我を負い、かなり消耗している。
驚いたのは、キメラの尾の部分が切り離されていることだ。外側からの攻撃は通らないと思っていたが、皆の力強さにメリーは勇気づけられていた。
「メリー様、目が覚めたのですね! キメラが急に苦しみだしたのですが、暴れるせいでなかなか近づけないのです!」
のたうち回る巨体はなかなかに近づき難い。下手に寄れば巻き込まれて潰されかねないだろう。遠距離攻撃で今は何とか抑え込んでいるようだが、決定打にはなっていないようだった。
「メリー、あんたの目が覚めたってことはスイウも目が覚めたのよね?」
フィロメナの言葉に、スイウが消える直前の光景が脳裏に蘇る。メリーは何と答えれば良いのか迷い、口を開きかけて止まった。
「それ、スイウの刀だよね。どうしてメリーが?」
アイゼアは質問しておきながら、左手に握られたスイウの刀を見て表情を曇らせる。おそらく何があったのか僅かに察しているのだろう。心を奮い立たせ、深く息を吸う。
「スイウさんはキメラに取り込まれないよう、魂を代償にして契約解消しました。これでキメラは完全体になれないって……したり顔で笑ってましたよ」
「消滅を、選ばれたのですか……?」
「何でよ……どうして止めなかったのよ、メリー! 勝つためなら、何でも良かったの……?」
エルヴェとフィロメナのやるせない声がメリーの心を抉る。
止められるものならば止めたかった。スイウを犠牲にせず、打破したかった。泣きたいくらいの悔しさが胸の内側を掻き毟る。
思いが漏れないよう俯き、強く唇を噛みしめると口内にじわりと血の味が広がった。
「フィロメナ、やめよう……メリーにも止められなかったんじゃないかな。スイウはそういう人だったからね」
「……ごめん、メリー」
フィロメナの気持ちは理解できる。いきなり消滅したと告げられて、はいそうですかと言えるわけもない。
特にフィロメナは一人一人を尊び、大切にしている。スイウが犠牲になったことを悲しみ、苦しく感じるのは当然だろう。
『ヨ……ヨコセ……ヨコ……セ……タマシ……』
じくじくと頭が痛み、波が寄せて返すように声が反芻 する。鞄 から雑に触媒を引っ張り出して練り、丁寧に魔術を構築する。
夜は死の世界、妖魔も活発になる時間だ。つまりメリーにとって実力を発揮しやすい都合の良い時間でもある。詠唱の一つ一つに思いを乗せ、魔力と共に練り上げていく。メリーの足元に徐々に法陣が形成され、魔術が完成に近づく。
「アーテルさん、私が必ず助けます」
右手を静かに薙 ぐ。キメラの足元にも同様の法陣が浮かび上がり、天高く逆巻く炎の渦が現れ、体を焼き切らんと燃え盛る。所々焼け焦げたがやはり体が頑丈なのか、殺すまでには至らない。
たが暴れ狂うキメラの動きをだいぶ鈍らせることはできた。メリーはキメラへ一直線に駆けながら叫ぶ。
「魂がほしいんですよね? 喰らえるものなら喰らえばいい!」
その瞬間、頭の中に一際強くキメラの声が響く。獅子のような顔面についた口がぱっくりと割れた。中からどす黒い手のようなものが現れ、メリーを捕らえ内側へ引き込もうとする。
皆のメリーの名を呼ぶ声が聞こえた。
「ただし、私は猛毒ですけどね!」
内側から崩す。強い思いと共に、キメラの中へと飲み込まれた。
真っ黒な世界に放り出され、宙を舞う。
こんなはずじゃなかった。
人を殺したくなかった。
誰か止めてくれ。
人々を救いたかっただけなのに。
守る強さがほしかった。
中では様々な声が飛び交っている。
メリーの思考蝕 むように、人々の嘆きや苦しみが心をぐちゃぐちゃに掻き回していく。耳を覆いたくなるような魂の叫びたちがキメラの中に渦巻いていた。どれが自分の思いかわからなくなりそうな中、喉が引き千切れそうなほどの叫びがメリーの胸を貫く。
「殺してくれ……誰か、早く俺を殺してくれっ!!」
それは紛れもなくアーテルの声だった。手のひらに握られた刀の鞘が一際冷たさを帯び、メリーの意識と意思を覚醒させる。
刀の柄に右手をかけ、静かに抜き放った。
『六花・白露』
刀の名が頭の中をよぎった。美しい白い刃が黒の世界に一際眩く冴え渡る。
圧倒的な剣術と、揺らがない確固たる信念と共に振るわれてきた刀。その光に、力に、メリーは幾度となく救われてきた。今度は自分が救う番だ。
「私が、あなたたちを導きます」
その声に呼応し、黒い触手のようなものが救いを求めるように縋 り付いてくる。
葬送の儀を真似て手を組むように、刀を握る右手に鞘を持ったままの左手を添え、祈りを捧げる。
「人類のため、その身を投じた英霊たちに哀悼の意を捧げん……」
故郷では古より炎は弔いと慰めの象徴とされている。死者を冥府へと送り出し、その昏 い道を照らす灯火になると、葬送の儀に用いられてきた。
「その嘆きと苦しみ、無念の思いを鎮めたまえ」
黒の世界に紅く煌々と輝く法陣が足元に展開されていく。
「我が炎よ。彼の者たちを冥府へと導き、悠久の眠りを与えたまえ」
法陣が完成し、ゆっくりと舐めるように炎が広がる。柔らかな緋色に包まれながら、まとわりついていた触手もキメラの体も、光の玉となってほどけるように消えていく。夜の闇を照らし、天へと登っていく様はとても幻想的な風景を作り出していた。
やがてキメラの体は燃え尽き、緩やかに地上に降り立つと、傍らにクロミツとモナカが倒れていた。スイウはクロミツが先にキメラを追っていたという話をしていた。おそらくキメラと対峙し、中に飲み込まれてしまっていたのだろう。
「クロミツ、モナカ……!」
フィロメナはすぐにモナカの様子を確かめたあと、治癒術を施す。
「二人は無事みたいだね。メリーも何をしたのか全然わからないけど、とにかく無事で良かったよ」
「キメラに飲まれたときはメリー様まで死んでしまったのかと思いました……」
「ホントよ。またひやひやさせて、いつもいつもあんたは!」
三人の困ったような笑顔にメリーは苦笑いを返す。素直に喜べる勝利ではなかった。抜き放たれたままになっていた刀に視線を落とし、鞘に収める。
「スイウさん、託された通り……ちゃんと終わらせましたからね」
三人も沈痛な面持ちでスイウの刀を見つめている。しんみりとした空気を変えるため、メリーは大きく息を吸い込み静かに吐き出した。
「宿へ戻りませんか? クロミツさんとモナカさんを、地面に転がしておくのも忍びないですから」
「……そうだね」
アイゼアがクロミツを、エルヴェがモナカを運び、リディエの街へと引き換えしていく。
東の空が徐々に白み始めている。もうすぐ夜明けがやってくるのだろう。
スイウのいないこの世界に。
第85話 弔いの炎に抱 かれ(1) 終
驚いたのは、キメラの尾の部分が切り離されていることだ。外側からの攻撃は通らないと思っていたが、皆の力強さにメリーは勇気づけられていた。
「メリー様、目が覚めたのですね! キメラが急に苦しみだしたのですが、暴れるせいでなかなか近づけないのです!」
のたうち回る巨体はなかなかに近づき難い。下手に寄れば巻き込まれて潰されかねないだろう。遠距離攻撃で今は何とか抑え込んでいるようだが、決定打にはなっていないようだった。
「メリー、あんたの目が覚めたってことはスイウも目が覚めたのよね?」
フィロメナの言葉に、スイウが消える直前の光景が脳裏に蘇る。メリーは何と答えれば良いのか迷い、口を開きかけて止まった。
「それ、スイウの刀だよね。どうしてメリーが?」
アイゼアは質問しておきながら、左手に握られたスイウの刀を見て表情を曇らせる。おそらく何があったのか僅かに察しているのだろう。心を奮い立たせ、深く息を吸う。
「スイウさんはキメラに取り込まれないよう、魂を代償にして契約解消しました。これでキメラは完全体になれないって……したり顔で笑ってましたよ」
「消滅を、選ばれたのですか……?」
「何でよ……どうして止めなかったのよ、メリー! 勝つためなら、何でも良かったの……?」
エルヴェとフィロメナのやるせない声がメリーの心を抉る。
止められるものならば止めたかった。スイウを犠牲にせず、打破したかった。泣きたいくらいの悔しさが胸の内側を掻き毟る。
思いが漏れないよう俯き、強く唇を噛みしめると口内にじわりと血の味が広がった。
「フィロメナ、やめよう……メリーにも止められなかったんじゃないかな。スイウはそういう人だったからね」
「……ごめん、メリー」
フィロメナの気持ちは理解できる。いきなり消滅したと告げられて、はいそうですかと言えるわけもない。
特にフィロメナは一人一人を尊び、大切にしている。スイウが犠牲になったことを悲しみ、苦しく感じるのは当然だろう。
『ヨ……ヨコセ……ヨコ……セ……タマシ……』
じくじくと頭が痛み、波が寄せて返すように声が
夜は死の世界、妖魔も活発になる時間だ。つまりメリーにとって実力を発揮しやすい都合の良い時間でもある。詠唱の一つ一つに思いを乗せ、魔力と共に練り上げていく。メリーの足元に徐々に法陣が形成され、魔術が完成に近づく。
「アーテルさん、私が必ず助けます」
右手を静かに
たが暴れ狂うキメラの動きをだいぶ鈍らせることはできた。メリーはキメラへ一直線に駆けながら叫ぶ。
「魂がほしいんですよね? 喰らえるものなら喰らえばいい!」
その瞬間、頭の中に一際強くキメラの声が響く。獅子のような顔面についた口がぱっくりと割れた。中からどす黒い手のようなものが現れ、メリーを捕らえ内側へ引き込もうとする。
皆のメリーの名を呼ぶ声が聞こえた。
「ただし、私は猛毒ですけどね!」
内側から崩す。強い思いと共に、キメラの中へと飲み込まれた。
真っ黒な世界に放り出され、宙を舞う。
こんなはずじゃなかった。
人を殺したくなかった。
誰か止めてくれ。
人々を救いたかっただけなのに。
守る強さがほしかった。
中では様々な声が飛び交っている。
メリーの思考
「殺してくれ……誰か、早く俺を殺してくれっ!!」
それは紛れもなくアーテルの声だった。手のひらに握られた刀の鞘が一際冷たさを帯び、メリーの意識と意思を覚醒させる。
刀の柄に右手をかけ、静かに抜き放った。
『六花・白露』
刀の名が頭の中をよぎった。美しい白い刃が黒の世界に一際眩く冴え渡る。
圧倒的な剣術と、揺らがない確固たる信念と共に振るわれてきた刀。その光に、力に、メリーは幾度となく救われてきた。今度は自分が救う番だ。
「私が、あなたたちを導きます」
その声に呼応し、黒い触手のようなものが救いを求めるように
葬送の儀を真似て手を組むように、刀を握る右手に鞘を持ったままの左手を添え、祈りを捧げる。
「人類のため、その身を投じた英霊たちに哀悼の意を捧げん……」
故郷では古より炎は弔いと慰めの象徴とされている。死者を冥府へと送り出し、その
「その嘆きと苦しみ、無念の思いを鎮めたまえ」
黒の世界に紅く煌々と輝く法陣が足元に展開されていく。
「我が炎よ。彼の者たちを冥府へと導き、悠久の眠りを与えたまえ」
法陣が完成し、ゆっくりと舐めるように炎が広がる。柔らかな緋色に包まれながら、まとわりついていた触手もキメラの体も、光の玉となってほどけるように消えていく。夜の闇を照らし、天へと登っていく様はとても幻想的な風景を作り出していた。
やがてキメラの体は燃え尽き、緩やかに地上に降り立つと、傍らにクロミツとモナカが倒れていた。スイウはクロミツが先にキメラを追っていたという話をしていた。おそらくキメラと対峙し、中に飲み込まれてしまっていたのだろう。
「クロミツ、モナカ……!」
フィロメナはすぐにモナカの様子を確かめたあと、治癒術を施す。
「二人は無事みたいだね。メリーも何をしたのか全然わからないけど、とにかく無事で良かったよ」
「キメラに飲まれたときはメリー様まで死んでしまったのかと思いました……」
「ホントよ。またひやひやさせて、いつもいつもあんたは!」
三人の困ったような笑顔にメリーは苦笑いを返す。素直に喜べる勝利ではなかった。抜き放たれたままになっていた刀に視線を落とし、鞘に収める。
「スイウさん、託された通り……ちゃんと終わらせましたからね」
三人も沈痛な面持ちでスイウの刀を見つめている。しんみりとした空気を変えるため、メリーは大きく息を吸い込み静かに吐き出した。
「宿へ戻りませんか? クロミツさんとモナカさんを、地面に転がしておくのも忍びないですから」
「……そうだね」
アイゼアがクロミツを、エルヴェがモナカを運び、リディエの街へと引き換えしていく。
東の空が徐々に白み始めている。もうすぐ夜明けがやってくるのだろう。
スイウのいないこの世界に。
第85話 弔いの炎に