後章─幾星霜を越え、錆びついた時は動き出す
シャワーを浴びて戻ってくると、すぐにエルヴェに声をかけられる。
「メリー様、その小瓶は何ですか? カストル様とポルッカ様が興味を示していたのですが」
「えっ! あの、触らせてないですよね?」
迂闊 だった、とメリーは内心後悔しながらエルヴェへと詰め寄る。
青い小さな宝石や赤い欠片がキラキラと光を放ち、小瓶の中を漂う様は美しい。二人が興味を示しても何ら不思議ではなかった。
「大丈夫です。私と戻ってきたアイゼア様の二人で注意をしたので」
「それ、そんなに触ったらまずいものなんだ?」
斜向 かいのベッドで腰掛けているアイゼアや向かいの上の段にいる双子もこちらを興味深そうに見ている。
「魔法薬を作っているんですけど、作成途中はどんな影響を人体に与えるかわからないので……」
「魔法薬? どんな効果の薬を作ってるのかしら?」
フィロメナが上のベッドからひょこりと顔を出す。そんなに興味を持たれるとは思いもしなかった。
「まだ完成してませんけど、幸せな幻覚を見ながら楽しく死ねる感じの毒薬ですね」
その瞬間スイウを除く五人の表情が凍りつき、想像通りの反応にメリーは満足した。
「冗談ですよ。これは飲んだ人が最も望んでいる夢を幻覚として見ることができる薬です。死にはしません」
メリーは瓶を片手に、この魔法薬のことを詳しく説明することにした。
この薬は清らかな水と雪の涙と呼ばれる青い種子、炎の花の花弁からできる。メリーは雪解け水と雪の涙、凍土に咲く特別魔力の強い炎の花の花弁をそれぞれに魔力を込めて効能を高めてから入れている。
日光を極力避け、毎晩夜の気配……できれば月の光に晒す。それを続けるとある日突然水の色が深い赤色になり、月の光にかざすと青い光を放つようになる。そこで初めて薬が完成したのだとわかるらしい。
「幻なんて見ても虚しいだけじゃない。夢はやっぱり叶えてこそじゃないかしら?」
理解できないと言わんばかりにフィロメナは首を傾げる。フィロメナの意見にはメリーも同意だが、世の中には叶えることのできない夢というものもある。そしてこの薬は単純に自分の夢を幻に見るのとは少しだけ違う。
「この薬がすごいのは無意識のものまで引き出せるってとこですよ、フィロメナさん!」
「無意識に抱く……夢? それはどういう状態なのでしょうか?」
エルヴェも興味を示してくれたようだ。自分の好きな分野の話をし、それを興味深く聞いてもらえるというのはやはり楽しい。
「人は規則や規範、常識、倫理、道徳……いろんなものに縛られて生きてますよね。そうすると無意識に願望を抑制するようになるんです」
「えっとつまり……薬の効果で理性を外すことで、本来であれば無理だと諦めてしまう夢も幻として見ることができる、ということでしょうか」
「その通りです!」
さすがエルヴェだ。理解力が高く、打てば響くところが気持ちいい。何より否定せず、知識の一つとして純粋かつ素直に聞いてくれるところが本当に聞き上手だと感じる。
「フィロメナさんもこれを飲めば、チョコレートの海で泳ぐ夢や綿菓子のベッドで眠る夢も夢じゃなくなるかもしれませんよー?」
「そっそんな夢が? でも普通に考えてそんなのありえないわ……」
「だから、理性を外すんです。そんな夢ありえない、って考えを吹っ飛ばして、この薬が幻として実現してくれるんです」
フィロメナが明らかな興味を示した。自分の体よりも大きいケーキかしら、と小さく呟いている。
「何が自分の中に夢として潜んでいるのか、ちょっと気になってきません?」
「お前、知らぬが仏って言葉を知らんのか……」
スイウの呆れたような視線がメリーへと向けられる。もし仮に危うい夢だったとしても別に実行するわけではない。ただの幻としてどんなものか見てみるくらい自由ではないだろうか。
「知的好奇心を失ったら人生楽しくないじゃないですか」
「好奇心は猫をも殺すぞ」
「猫のスイウさんに言われるとちょっと説得力ありますね」
「前言撤回……お前は神経が図太いから死なんな」
スイウは言っても無駄だと感じたのか、ため息をついてベッドへ寝転んだ。
「それにしても、何でそんな薬を作ろうなんて思ったんだい?」
「いや、何でと聞かれても。趣味ですから」
理由を問われても特に何も思い当たらない。魔法薬を作るのはただの趣味で、この薬にしようと思ったのも単純に本を見て面白そうだと思ったからという理由でしかない。
「強いて言うなら……こういう遊び心のある薬の方がわくわくしません?」
小瓶を月明かりにかざし、軽く揺する。中で青と赤の小さな煌めきが舞い上がり、やがてゆっくりと沈殿していく。
「ねぇねぇ、メリーさん! わたくしもその魔法薬飲んでみたいです!」
「僕も! 僕はおっきなプリンがいいなー!」
向かいの上の段からキラキラとした純真さと好奇心に満ちた瞳がこちらを見下ろしている。もちろんメリーの返事は決まっている。
「えぇ、いいで──
「こらこら、二人共。怪しげな薬に興味を持つんじゃない」
アイゼアの二人を諌 める言葉に、少しだけ馬鹿にされたような気がしてもやもやとする。怪しげな薬、という言われようはさすがに聞き捨てならない。別に犯罪でもなく、体を壊すわけでもなく、依存性が出るようなものは入ってはいないのだ。
「怪しげとは失礼ですね。私の腕を疑ってるんですか?」
「いや、そういう意味じゃないんだけど」
「あ、ならアイゼアさんが先に飲んでみるのはどうですか?」
我ながら名案を思いついたのではないかと、更に気分が高まってくる。むしろこの薬はアイゼアが一番面白い結果を得られるのではないだろうか。普段から規律に縛られ、集団の中で自己を強く抑えている者ほどそれを開放したときの反動は大きいはずだ。
「……慎んで辞退させてもらうよ」
「それは残念です」
さすがに無理強いはできない。本人にやる気がないのであればそれ以上勧めるつもりはなかった。
魔法薬に携わる者としてそれは当然のことだ。面白半分で人に試したり薬を盛るような真似は、それこそストーベルがやっていることと何ら変わらないとメリーは思う。もちろん他人に試したがる者も多いので、否定するつもりはない。これはメリー個人の考えと主義の話だ。
「とりあえず自分に使ってみますよ」
そもそも自分に試したくて作ったものなのだから、誰からも需要などなくて一向に構わないし、理解されようとも思わない。薬を作り上げた達成感と知的好奇心を満たせる瞬間は何物にも代え難い高揚感がある。まだまだ先になるであろう魔法薬の完成がより楽しみになってきた。
そのときガタガタと慌ただしく動く気配がし、スイウが体を起こしてこちらを凝視している。珍しく焦っているように見えた。
「お前、俺と契約してること忘れてないだろうな」
「……あ、そういえば」
「おいおい、勘弁してくれ……」
ストーベルを追う途中、毒を盛られたときにスイウも弱り、タリアの花の花粉で眠ったときにはスイウも眠ってしまったことを思い出す。
当然この体で魔法薬を試せば、その効果はスイウの体にも少なからず影響するだろう。だからといって、これはスイウと出会う前からのことなので、今更咎められたところでやめるつもりはないが。
「さすがに毒は自分の体で試してないな?」
「毒は虫とか、精々動物で試せば十分ですよ。私の作った毒が人を殺し損ねるなんてあり得ませんから」
「すごい自信だな……」
そもそも薬ですら用量を誤れば毒になるのだ。毒として作ったものは毒になるしかない。わざわざ自分で試す必要性などないだろう。
毒薬自体を作ることは当然あるが、殺さず苦しめるような類のものは趣味ではないし、毒のもたらす症状にもあまり興味はない。毒薬というものは結局最後に死ねば良いのだ。死という同じ結果しか得られないものの過程などどうでもいいというのがメリーの持論だった。
それよりも毒をいかに有用に利用するか、薬草の力だけでは得られない効果をどう調薬して可能にするか、魔法薬をいかにして身近なものに活かすか、魔法薬でしかできないような効果の研究の方が余程 興味深くて面白い。それこそが魔法薬の醍醐味 というものだとメリーは思う。
「とにかく魔法薬は私の生きがいですから、やり方を変えるつもりはありませんよ」
「冗談だろ……」
スイウは肩を落とし、諦めたように長く長く息を吐きだした。
ようやく騒がしかった部屋の中も静まり、夜の静けさが訪れる。室内の照明は切られ、窓の外から見える月の光とそれに輝く魔法薬の煌めきをじっと見つめながら眠りが訪れるのを待っていた。
すると真上のベッドで寝ているはずのフィロメナが顔を覗かせる。
「あ、メリー起きてたのね」
「眠れないんですか?」
「うん。寝台列車なんて初めてだから、何だかそわそわしちゃって。だからまたコイバナしましょ!」
ひそひそと小声でやり取りしているものの、双子はすでに就寝している。話し声が二人の眠りを妨げるのは本意ではない。
「今日は大人しく寝てください。二人を起こしてしまいます」
「うぅ、そんなことわかってるのよ。でも……」
あからさまに気落ちしているのがわかり、どうすればいいのかもわからず困り果てる。
「アイゼア様、この本をフィロメナ様にお貸ししてもよろしいでしょうか?」
「構わないけど、エルヴェが一晩暇 になるよね。僕の方を貸すよ」
エルヴェとアイゼアは本を読んでいるらしく、小さな読書灯に照らされた横顔が見える。
アイゼアはベッドから下りると、閉じたばかりの本をフィロメナへと差し出した。その手からフィロメナの手へと本が渡されていく。
「何の本かしら?」
「騎士仲間に勧められた恋愛小説だよ。恋の話がしたいフィロメナにはぴったりじゃない?」
今は顔も姿も見えないが、真上から嬉しそうにしている気配がわかりやすく伝わってくる。
「ありがとう、アイゼア。それからエルヴェもね」
「夜更かしはしすぎないようにね」
「もちろんよ。ふふ、楽しみねー」
とりあえずこの件は落着だ。
二人に感謝しつつ、もう誰にも声をかけられないようメリーは固く目を閉じた。
第80話 秘密の味を識りたくて(2) 終
「メリー様、その小瓶は何ですか? カストル様とポルッカ様が興味を示していたのですが」
「えっ! あの、触らせてないですよね?」
青い小さな宝石や赤い欠片がキラキラと光を放ち、小瓶の中を漂う様は美しい。二人が興味を示しても何ら不思議ではなかった。
「大丈夫です。私と戻ってきたアイゼア様の二人で注意をしたので」
「それ、そんなに触ったらまずいものなんだ?」
「魔法薬を作っているんですけど、作成途中はどんな影響を人体に与えるかわからないので……」
「魔法薬? どんな効果の薬を作ってるのかしら?」
フィロメナが上のベッドからひょこりと顔を出す。そんなに興味を持たれるとは思いもしなかった。
「まだ完成してませんけど、幸せな幻覚を見ながら楽しく死ねる感じの毒薬ですね」
その瞬間スイウを除く五人の表情が凍りつき、想像通りの反応にメリーは満足した。
「冗談ですよ。これは飲んだ人が最も望んでいる夢を幻覚として見ることができる薬です。死にはしません」
メリーは瓶を片手に、この魔法薬のことを詳しく説明することにした。
この薬は清らかな水と雪の涙と呼ばれる青い種子、炎の花の花弁からできる。メリーは雪解け水と雪の涙、凍土に咲く特別魔力の強い炎の花の花弁をそれぞれに魔力を込めて効能を高めてから入れている。
日光を極力避け、毎晩夜の気配……できれば月の光に晒す。それを続けるとある日突然水の色が深い赤色になり、月の光にかざすと青い光を放つようになる。そこで初めて薬が完成したのだとわかるらしい。
「幻なんて見ても虚しいだけじゃない。夢はやっぱり叶えてこそじゃないかしら?」
理解できないと言わんばかりにフィロメナは首を傾げる。フィロメナの意見にはメリーも同意だが、世の中には叶えることのできない夢というものもある。そしてこの薬は単純に自分の夢を幻に見るのとは少しだけ違う。
「この薬がすごいのは無意識のものまで引き出せるってとこですよ、フィロメナさん!」
「無意識に抱く……夢? それはどういう状態なのでしょうか?」
エルヴェも興味を示してくれたようだ。自分の好きな分野の話をし、それを興味深く聞いてもらえるというのはやはり楽しい。
「人は規則や規範、常識、倫理、道徳……いろんなものに縛られて生きてますよね。そうすると無意識に願望を抑制するようになるんです」
「えっとつまり……薬の効果で理性を外すことで、本来であれば無理だと諦めてしまう夢も幻として見ることができる、ということでしょうか」
「その通りです!」
さすがエルヴェだ。理解力が高く、打てば響くところが気持ちいい。何より否定せず、知識の一つとして純粋かつ素直に聞いてくれるところが本当に聞き上手だと感じる。
「フィロメナさんもこれを飲めば、チョコレートの海で泳ぐ夢や綿菓子のベッドで眠る夢も夢じゃなくなるかもしれませんよー?」
「そっそんな夢が? でも普通に考えてそんなのありえないわ……」
「だから、理性を外すんです。そんな夢ありえない、って考えを吹っ飛ばして、この薬が幻として実現してくれるんです」
フィロメナが明らかな興味を示した。自分の体よりも大きいケーキかしら、と小さく呟いている。
「何が自分の中に夢として潜んでいるのか、ちょっと気になってきません?」
「お前、知らぬが仏って言葉を知らんのか……」
スイウの呆れたような視線がメリーへと向けられる。もし仮に危うい夢だったとしても別に実行するわけではない。ただの幻としてどんなものか見てみるくらい自由ではないだろうか。
「知的好奇心を失ったら人生楽しくないじゃないですか」
「好奇心は猫をも殺すぞ」
「猫のスイウさんに言われるとちょっと説得力ありますね」
「前言撤回……お前は神経が図太いから死なんな」
スイウは言っても無駄だと感じたのか、ため息をついてベッドへ寝転んだ。
「それにしても、何でそんな薬を作ろうなんて思ったんだい?」
「いや、何でと聞かれても。趣味ですから」
理由を問われても特に何も思い当たらない。魔法薬を作るのはただの趣味で、この薬にしようと思ったのも単純に本を見て面白そうだと思ったからという理由でしかない。
「強いて言うなら……こういう遊び心のある薬の方がわくわくしません?」
小瓶を月明かりにかざし、軽く揺する。中で青と赤の小さな煌めきが舞い上がり、やがてゆっくりと沈殿していく。
「ねぇねぇ、メリーさん! わたくしもその魔法薬飲んでみたいです!」
「僕も! 僕はおっきなプリンがいいなー!」
向かいの上の段からキラキラとした純真さと好奇心に満ちた瞳がこちらを見下ろしている。もちろんメリーの返事は決まっている。
「えぇ、いいで──
「こらこら、二人共。怪しげな薬に興味を持つんじゃない」
アイゼアの二人を
「怪しげとは失礼ですね。私の腕を疑ってるんですか?」
「いや、そういう意味じゃないんだけど」
「あ、ならアイゼアさんが先に飲んでみるのはどうですか?」
我ながら名案を思いついたのではないかと、更に気分が高まってくる。むしろこの薬はアイゼアが一番面白い結果を得られるのではないだろうか。普段から規律に縛られ、集団の中で自己を強く抑えている者ほどそれを開放したときの反動は大きいはずだ。
「……慎んで辞退させてもらうよ」
「それは残念です」
さすがに無理強いはできない。本人にやる気がないのであればそれ以上勧めるつもりはなかった。
魔法薬に携わる者としてそれは当然のことだ。面白半分で人に試したり薬を盛るような真似は、それこそストーベルがやっていることと何ら変わらないとメリーは思う。もちろん他人に試したがる者も多いので、否定するつもりはない。これはメリー個人の考えと主義の話だ。
「とりあえず自分に使ってみますよ」
そもそも自分に試したくて作ったものなのだから、誰からも需要などなくて一向に構わないし、理解されようとも思わない。薬を作り上げた達成感と知的好奇心を満たせる瞬間は何物にも代え難い高揚感がある。まだまだ先になるであろう魔法薬の完成がより楽しみになってきた。
そのときガタガタと慌ただしく動く気配がし、スイウが体を起こしてこちらを凝視している。珍しく焦っているように見えた。
「お前、俺と契約してること忘れてないだろうな」
「……あ、そういえば」
「おいおい、勘弁してくれ……」
ストーベルを追う途中、毒を盛られたときにスイウも弱り、タリアの花の花粉で眠ったときにはスイウも眠ってしまったことを思い出す。
当然この体で魔法薬を試せば、その効果はスイウの体にも少なからず影響するだろう。だからといって、これはスイウと出会う前からのことなので、今更咎められたところでやめるつもりはないが。
「さすがに毒は自分の体で試してないな?」
「毒は虫とか、精々動物で試せば十分ですよ。私の作った毒が人を殺し損ねるなんてあり得ませんから」
「すごい自信だな……」
そもそも薬ですら用量を誤れば毒になるのだ。毒として作ったものは毒になるしかない。わざわざ自分で試す必要性などないだろう。
毒薬自体を作ることは当然あるが、殺さず苦しめるような類のものは趣味ではないし、毒のもたらす症状にもあまり興味はない。毒薬というものは結局最後に死ねば良いのだ。死という同じ結果しか得られないものの過程などどうでもいいというのがメリーの持論だった。
それよりも毒をいかに有用に利用するか、薬草の力だけでは得られない効果をどう調薬して可能にするか、魔法薬をいかにして身近なものに活かすか、魔法薬でしかできないような効果の研究の方が
「とにかく魔法薬は私の生きがいですから、やり方を変えるつもりはありませんよ」
「冗談だろ……」
スイウは肩を落とし、諦めたように長く長く息を吐きだした。
ようやく騒がしかった部屋の中も静まり、夜の静けさが訪れる。室内の照明は切られ、窓の外から見える月の光とそれに輝く魔法薬の煌めきをじっと見つめながら眠りが訪れるのを待っていた。
すると真上のベッドで寝ているはずのフィロメナが顔を覗かせる。
「あ、メリー起きてたのね」
「眠れないんですか?」
「うん。寝台列車なんて初めてだから、何だかそわそわしちゃって。だからまたコイバナしましょ!」
ひそひそと小声でやり取りしているものの、双子はすでに就寝している。話し声が二人の眠りを妨げるのは本意ではない。
「今日は大人しく寝てください。二人を起こしてしまいます」
「うぅ、そんなことわかってるのよ。でも……」
あからさまに気落ちしているのがわかり、どうすればいいのかもわからず困り果てる。
「アイゼア様、この本をフィロメナ様にお貸ししてもよろしいでしょうか?」
「構わないけど、エルヴェが一晩
エルヴェとアイゼアは本を読んでいるらしく、小さな読書灯に照らされた横顔が見える。
アイゼアはベッドから下りると、閉じたばかりの本をフィロメナへと差し出した。その手からフィロメナの手へと本が渡されていく。
「何の本かしら?」
「騎士仲間に勧められた恋愛小説だよ。恋の話がしたいフィロメナにはぴったりじゃない?」
今は顔も姿も見えないが、真上から嬉しそうにしている気配がわかりやすく伝わってくる。
「ありがとう、アイゼア。それからエルヴェもね」
「夜更かしはしすぎないようにね」
「もちろんよ。ふふ、楽しみねー」
とりあえずこの件は落着だ。
二人に感謝しつつ、もう誰にも声をかけられないようメリーは固く目を閉じた。
第80話 秘密の味を識りたくて(2) 終