後章─幾星霜を越え、錆びついた時は動き出す

 メラングラムへ到着したのは日の沈みかけた夕方のことだった。

 モナカを追う使い魔は海の方を指し示す。セントゥーロ王国方面にモナカとクロミツはいるようだ。ストーベルを追う旅路をなぞるように、対岸のエスノへ向かうことになった。海を越えればそこはもうセントゥーロ王国領だ。

 今日最後の船便に乗船し、四人部屋の船室を二部屋借りた。部屋は男女で別れることになったが、カストルとポルッカは離れることに少し不安があるようだった。
 二人はいつも一緒に過ごし、一緒に眠って暮らしていたことを考えれば突然部屋を分けられ別々に寝ることを心細く感じるのも無理はない。

 一度はこちらへカストルを呼ぶことも考えたが、アイゼアはちょうどいい機会だから、とこのままにすることになったのだ。
 向こうの部屋にはアイゼアがいるが、問題なのはこちらにいるポルッカだ。いつもは二人一緒だからか少し寂しそうにしている。

「気が紛れるように、眠くなるまで何か話をしますか?」

 メリーはベッドのあいているところへ腰掛け、フランにしていたようにそっと頭を撫でる。ポルッカは気持ちよさそうに目を閉じ、嬉しそうに微笑んだ。

「うん、何かお話して」

とお願いされれば、フランも数分で寝かしつけていた必殺一撃の話題しかない。

「眠くなって為になる、魔術理論の基礎から話をしま──
「えー! 嫌よ。こういうとき人はコイバナってやつをするって聞いたわ!」

 意気揚々と話し始めたメリーの背中にフィロメナに飛びかかり、うっかり前のめりに崩れそうになる。ポルッカを潰さないよう何とか姿勢を崩さずにこらえた。

「どこ情報ですか、それ……」
「天族の仲間が教えてくれたのよ」
「わたくしの学校でも恋の話はよく話題になってるよ」
「へぇ、そんなもんなんですねぇ」

 健全な学生生活と縁がなく周囲から避けられていたメリーにとって、そんな平穏で甘酸っぱい青春などは存在するはずもなかった。

 その文化はスピリアの学校にもあったのだろうか。今となっては自分で確かめる術はない。今度ペシェやミーリャに聞いてみてもいいかなと思いつつ、もたれかかっているフィロメナを一瞥いちべつする。

「それで、振ったからには話題はあるんですよね?」
「ふふふ。恋の話なら何でもいいのよね? 理想の人、理想の恋、想像しただけでも憧れるのよねー。ねぇ、天族も恋をすると思う? 恋してもいいのかしら?」

 興奮しているフィロメナの体重が無遠慮にぐいぐいと肩にかかってくる。

「それを私が知るわけないですって……」

 半ば呆れながら立ち上がり、フィロメナを振り払ってポルッカの正面にあるベッドへと移った。

 思い返せば恋の話をするということ自体は初めてではない。ミーリャはともかく、ペシェはその手の話が好きでよく話していたように思う。だが話す相手がメリーとミーリャしかいないせいで、いつもペシェが一方的に話をしているだけだった。聞く分にはかなり面白かったし、そこに不満があったわけではないが。

「フィロメナさんの憧れの恋、わたくしに聞かせてほしいです!」

 ポルッカはフィロメナがキラキラと語る恋の話に興味津々らしく、目を輝かせている。フィロメナは待ってましたと言わんばかりにうっとりと語り始めた。

「あたしの理想はね、カッコよくて紳士的で王子様みたいな人にぐいぐい迫られて、でもあたしたちは身分が違うから恋なんてしちゃダメなの……って。でも好きな気持ちは止まらなくってー」

という、本当にどこで仕入れてきたのか聞きたいくらいの王道な恋愛小説……というよりは最早童話のような恋愛の話をする。まさに恋に恋し恋い焦がれる、青春真っ只中の少女を軽く超えていくような夢見っぷりだ。

 そもそも紳士的な王子とぐいぐいは両立しないんじゃないかという設定の破綻っぷりと、身分違いに関しては人と天族という種族差がすでに障害になるのでは、と内心いろいろ考えてしまう。面倒そうなので口にはしないが。

「フィロメナさんは、身を焦がすような情熱的な恋がしたいんだぁー」

 そう表現されると、フィロメナの理想は確かに少し過激で刺激的な熱さがあるのかもしれない。ポルッカは少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、ときめきを感じているようだ。どうやら彼女も恋に恋する少女らしい。

「ポルッカは? 学校とかに好きな人はいたりするのかしら?」
「好きな人はいないけど……お兄様みたいな人がいい!」

 ポルッカはどこか誇らしげに胸を張って言い切った。

 慕われてるなぁ、と微笑ましく思いつつも兄を誇らしく思う気持ちはわからなくもない。自分の理想かはともかく、兄のミュールのような人はきっと多くの人に好かれるだろうと自信を持って言える。

「アイゼアがいいのね!」

 可愛らしい理想ね、といった様子で微笑むフィロメナに、ポルッカはぶんぶんと勢いよく首横に振った。

「お兄様は絶っ対嫌! お兄様『みたいな』人がいいの!」

と、ポルッカは『みたいな』を殊更ことさら強調した。

 それがどういうことなのかわからず、フィロメナと二人口を閉じたままポルッカの言葉を待つ。

「……だってお兄様帰ってこなくて放ったらかしだし、乙女心なんて全然わかってくれなさそうなんだもん。恋人ができたことないのがその証拠なんだよ、きっと!」

 頬を膨らませてむくれているポルッカに、思わずフィロメナと顔を見合わせる。帰ってこないのは周知の事実だが、乙女心への理解は正直未知数だし、恋人を作るか否かはアイゼアの自由だ。散々な言われようのアイゼアに僅かに同情しつつ、ポルッカが学校で好きな人ができない理由も察した。

 顔立ちも端正でわりと気配り上手なアイゼアを理想像とし、更に乙女心を理解してマメに会いに来てほしいというのはいささか完璧を求め過ぎている気もする。幼い少女の理想なのだから夢くらい見たらいいとも思うが、現実とは常に非情なものである。

 仮にいたとしても凄まじく恐ろしい倍率の下、他の女性たちとしのぎを削り合い蹴落とし合うことになる。想像するだけでも面倒くさそうだなと感じてしまった。

 とにかくポルッカが男性という生き物と現実の厳しさに幻滅しない日が来ないよう、今はただただ祈るばかりだ。

「さぁ、最後。メリーの理想は?」
「えっ? 私も答えるんですか?」
「もっちろんです。メリーさんも教えてください!」

 二人の瞳が星空のように輝いてこちらに向けられている。正直恋愛の話を振られることには慣れていない。ペシェからもっと女を磨きなさいという話はされていたが、恋愛の話を振ってくることはほとんどなかった。

 今にして思えば、他人に好かれない特性を持っているメリーの立場に気を使っていたのかもしれない。自分としては別に気にもしていないが、ペシェはああ見えて気配り屋なところがある。

「理想の人、理想の恋……?」

 改めて自分が何を求めているのか見つめ直す。恋愛小説は一応読んだことはあるため、そこから何かとっかかりになるものはないかと記憶を掘り返していく。

 恋愛に憧れがないわけではないが、経験もなければ、人間関係を諦めきっていたせいでまともに想像もしたこともなかった。小説の中の人々は、誰かに恋をし、相手の挙動に一喜一憂していた。
 そんな恋は疲れる。誰かに振り回されるなんて冗談じゃない。黄昏の月である自分を好きになる人なんていない。恋をすれば、実らない思いが灰になるまで燃え続けるだけだ。だからこそ思う。

「魔力とか黄昏の月とかそういうものを抜きにして、一人の人として求められてみたいとは思いますね。一緒にいたいとか、一緒にいて楽しいって気持ちがずっと続いて、相手もそう思ってくれる人ならそれ以上何も望みませんよ」

 これは理想の話だ。現実を度外視すれば、これが自身の理想だろう。

「あんた、それは理想下げすぎじゃないかしら?」
「恋人になるなら当たり前のことばっかり言ってるよ、メリーさん!」
「……そうですか?」

 メリーはやんわりと笑って誤魔化した。メリーにとってそれは当たり前のことではなかった。いや、当たり前のように見えてとても難しいことだとすら思う。

 まず誰かに一生を共にしてほしいと強く想われなければならない。更に普通の人でも相手の不貞に悩まされたり、長い時を過ごす間に関係が変わってしまうことは往々にして起こり得ることなのだ。自分は恋に恋するには、あまりにも人や自身の在り方に失望しているのかもしれない。

 当たり前のように愛を信じ、それを疑わないで済むのならその方がきっと幸せでいられるのだろうと思う。

「まったくそんなこと言って……あんたの方が恋をしたときどうなるか見物ねー」
「私が、ですか?」

 自分が誰かに恋をする。そんな日がいつか本当に来るのだろうか。それはとても怖いことのようにも思えた。思いが灰になったあと、一体そこに何が残るのだろうか。

「そうよ。そういう人に巡り会えるかもでしょ?」
「わたくしも素敵な人に出会ってみたいなぁ」

 二人はまだ見ぬ未来に思いを馳せながら、楽しい夢を見ている。それを微笑ましく見守りながら、メリーは少しだけ寂しい気持ちを抱えていた。

 自分は黄昏の月であり、更に人としても価値観や感情も壊されたままになっている。
 自分の存在は生まれながらにして誰かと共に生きることに向いていない、そう思えて仕方ないのだ。

 誰かの人生に深入りしない方が相手のためだろう。そんな本音を心の奥にしまいこんだ。


第79話 青春の味を喰らえ(2)  終
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