後章─幾星霜を越え、錆びついた時は動き出す

 窓の外はすっかり静寂と暗闇に包まれている。昨晩アイゼアと双子はロランの家へと招待され一泊させてもらっていた。

 今日、街を案内するために待ち合わせをしたとき三人とも表情が明るかったことからも、とても良い時間を過ごせたのだと想像できる。少しだけ心配していたが、今は杞憂きゆうに終わったことにメリーは安堵あんどしていた。

 ノルタンダールの景色や食べ物も気に入ってもらえ、メリーとしても今日は久々に楽しい一日だったと思えた。


 今は夜のお茶会をエルヴェとカーラントと共に楽しんでいる。エルヴェの焼いてくれたシフォンケーキはしっとりとしていて柔らかく、それでいて軽くて優しい舌触りだ。甘みも程良く、一人でホール全てを食べきれてしまいそうなほど美味しい。

 シフォンケーキを頬張っていると、双子を寝かしつけたアイゼアがリビングへと戻ってくる。

「何から何まで世話をかけてすまない。宿まで提供してもらっちゃって……」
「いえ。部屋も余ってますし、私が勧めたんですから気にしないでください」
「ありがとう。それにしても二人ももうだいぶ大きいのに、いつまでも甘えたで……兄離れしてくれる日が来るのか心配だよ」
「そんなこと言ってるとすぐにその日が来ますよ。今は甘えさせてあげてもいいじゃないですか」

 まだ二人は子供で、両親も亡くし、兄のアイゼアもなかなか二人の元へ帰れない生活を送っているのだ。きっとその分甘えたい気持ちも強いのだろう。心配しつつもどこか嬉しそうにしているアイゼアにほっこりと心が温まる。

 アイゼアたち三人の関係は、メリーにとって失われた過去の輝きであり、憧れでもある。どうかあのささやかな幸せが壊されないように、とメリーは心密かに思う。

「そういえばメリーに会えたときにと思って手土産を持ってきてたのをすっかり忘れてたよ」

 アイゼアは旅行かばんの中から手のひらほどの大きさの小瓶を取り出す。その小瓶の中いっぱいに入っている花に思わず視線が吸い寄せられた。

「これ白香の藍花じゃないですか!」
「さすが、これが何かわかるんだね」
「もちろんですよ。嬉しい手土産ですね……!」
「そんなに喜んでもらえるなら持ってきてよかったよ。騎士仲間に任務のついでに摘んできてもらったんだ」

 アイゼアから小瓶を受け取り、まじまじと見つめる。茎も葉も白く、花弁だけが濃藍色のその花は花弁を煎じると安息効果を得られる薬となるのだ。花弁を紅茶に入れて飲んでもいいし、蜜漬けにしても効果を得られる。

 更にこの花の香りには集中力を高める効果もあり、精油にされているものは少なく人気も高いため、高値で取引される。希少な花とまではいかないが、スピリアではなかなかお目にかかれない種類だ。

 花を眺めながら紅茶を一口口に含むと、玄関の呼び鈴が来客を報せる。

随分ずいぶんと遅くに……私が出てこよう」

 カーラントが立ち上がり、玄関の方へと向かっていく。

 少しして話し声が聞こえてくる。相手は複数らしく、男性と女性の声がぼそぼそと聞こえた。すぐに気配がリビングの方へと戻ってくると、カーラントと共に顔を見せた人物に思わず声を漏らす。

「久しぶり、メリー!」
「邪魔する……」

 もう二度と会うことは叶わないかもしれないと思っていたフィロメナとスイウの姿に驚いた。寝ぼけているのか、とそこまで考えたところでハッとあることに気づく。

 そう、こんな偶然が続くことなどあり得ない。

「カーラント、幻術をいたずらに使うのは感心しませんね」
「冷静に考えなさい。そもそも何のために幻術を使う必要があるのかね……」

 カーラントは呆れたような笑みを浮かべ、肩をすくめる。ならば二人がどうしてここに、と思わずにはいられなかった。

「アイゼアとエルヴェもいるのはさすがに驚いたわ」
「僕たちはたまたま観光で来てたんだよ」

 フィロメナとアイゼアたちが久しぶりの再会を喜び談笑していると、スイウがいつもの仏頂面でメリーの隣へとやって来る。

「メリー、再契約を結んでくれ」

 スイウの突然の申し出に、持っていたフォークを落としかけた。
 最初の契約解消のときに、メリーはスイウとの契約を継続しても構わないと思っていた。だが冥界に帰るのであれば解消する以外にはない。契約者同士は長距離で離れることはできないからだ。

「構いませんけど、再契約の解消は……」

 再契約の解消はほぼ不可能と言っていい。結べばスイウは冥界に戻ることができなくなってしまうだろう。もしくはメリーがこの世界を捨てて冥界へ行くか、だ。

 一度目の契約が互いの魂にくさびを打つことで一つに繋がるものだとするなら、再契約はくさびの傷跡に互いの魂が入り込み、一つに癒着するようなものだ。もし解消できたとするなら、それはどちらかが魂の全てを代償にしたときだ。

「もう解消する気はない。わかってて言ってる」

 スイウの表情と声は重い。本人としては不本意だということがひしひしと伝わってくる。そんなスイウの後ろからフィロメナがご機嫌な様子で顔を出した。

「心配しなくて大丈夫よ。スイウ、冥界を追い出されちゃったのよねー」
「順序が逆だ……誤解される言い方はやめろ」

スイウの眉間に深いシワが刻まれた。

「とりあえず俺の事情を話す。契約は納得できたらでいい」

 スイウは何の使命を課されてここへ来たのかを丁寧に説明してくれた。スイウの魂の欠片を魔物が持っていて、世界のどこかにいること。魂の欠片がスイウの失われた記憶や本来の力を取り戻す鍵になること。捜索していたクロミツが失踪したこと。できるだけ早く回収するよう命じられたこと。

 日光を避けるための外套がいとうを持っているようだが、とても一人でできることではないとメリーは判断し、スイウと再契約を交わした。初めてのときは驚いたが、二度めともなれば慣れたものだ。

「スイウの話は僕的にも興味深い話だね。魔物関連の報告がここ数ヶ月尽きることなく入ってきてて。ノルタンダール近郊でも最近凶暴化した魔物が出るって聞いたよ」
「……あなたは間者かんじゃのようなこともしているのかね?」
「嫌だなぁ。こんなの単なる世間話の範囲だと思うけどね」

 カーラントの鋭い視線を、アイゼアは苦笑を浮かべながらのらりくらりとかわす。

「あの、どうやってスイウ様の魂の欠片を探すのでしょうか?」

 エルヴェの疑問は当然だ。世界のどこにいるかもわからない魔物を探すのは相当骨が折れるだろう。それこそ雪原に埋もれた小さな水晶を探すようなものだ。だがスイウは問題ない、と短く返事をする。

「冥王が言うには魂は引き合うらしい。嫌でも向こうから来ると言っていた」
「魔物が持ってるなら魔物を引き寄せるってことよね?」
「そうなるだろうな」
「なら情報収集とスイウの感覚頼みってことになるのかな」

 だがそれでは完全に後手だ。街にいれば街に魔物がやって来ることになる。どうせ仕掛けるのならこちらが先手の方がいい。

「とりあえずクロミツさんの無事を確認しますね」

メリーは使い魔のエナガを呼び出し

「モナカさん、メリーです。会いたいので返事をください」

と言付けし、モナカへと飛ばす。

 エナガはすぐに壁をすり抜けてどこかへと飛んでいった。それはモナカが生きている何よりの証明になる。

「モナカさんが生きているなら、クロミツさんも生きているはずです。使い魔にモナカさんの気配を追わせて合流を目指すのはどうですか?」
「私はそれが良いと思います。クロミツ様やモナカ様のお力を借りれた方が心強いはずです」

 エルヴェはすぐさま反応し、スイウとフィロメナもその方が確実だと意見に賛同してくれた。

「僕もそれがいいと思うけど、場所によっては途中でお別れかもしれないね。でもサントルーサまで二人を送ったら、追いかける。今はどの任務も魔物関連が大半だし」

 アイゼアはカストルとポルッカと共にノルタンダールへ来ていた。さすがに危険な旅に二人を連れてはいけないだろう。アイゼアがいないのは戦術的にも戦闘力的にも戦力が落ちてしまうがこればかりは仕方ない。

「ってことでカーラント。私は明日でノルタンダールを発ちます」
「そうだな。あなたは絶望的に領主の仕事には向いていないようだし、魔物退治の方がお似合いだ」
「私もそう思います。珍しく意見が合うじゃないですか」

 皮肉っぽい笑みを向けるカーラントに、こちらも作り笑いで切り返した。

「メリー様も領主のような仕事をなさっていたのですか?」

 興味深そうに尋ねるエルヴェに、否定の意味を込めて首を振る。

「したことなかったですよ。体制を潰したらその流れで補佐のようなことをやらされて……やったこともないのにいきなり言われて勤まると思います?」

 まつりごとが一朝一夕で勤まるほど簡単なわけがない。元々他人のために身を粉にして働くなど向いていないのだ。
 人々の声に耳を傾け、寄り添い、策を立案し、尽力する。そのどれもが圧倒的に自分には足りていない能力だろう。

 おまけに接する人々には一々怯えられるせいで仕事にならないし、非常に面倒くさい。とにかく息が詰まりそうな日々だった。魔物討伐の方が余程自分に向いている。怯えている人たちに対しても、その力が命を脅かす以外に使われている方が余程安心できるだろう。やはり適材適所なのだ。

「メリーの仕事ぶりはそれはもう酷いものだったよ。視察の度に──
「カーラント。それ以上は灰にしますよ」

 瞬時に呼び出した杖をカーラントの眉間に添える。同時にカーラントの剣が首筋につきつけられた。

「すぐ武力に訴えるのは褒められたものではないな。愚妹の指導は兄の勤め、か?」
「指導役気取ってるわりに、自分も剣が出てるようですけど。説得力なさすぎません?」
「何を言う。これは正当防衛ではないか」

 顔だけなら互いに楽しく談笑しているように見えるだろうが、どちらかが打って出れば、片方が半殺しになるまで終わらない戦いが始まろうとしている。まさに一触即発の状態だった。

「メリー、どうして? そんなに怒らなくてもいいじゃない。あたしもメリーがどんなふうに頑張ってたのか興味あるわ。ねぇカーラント、詳しく聞かせてもらえないかしら?」

 手のひらを合わせ、わくわくしているフィロメナとは対照的に、エルヴェとアイゼアは驚愕の表情のまま凍りついてる。随分ずいぶんと暢気なことをのたまっているフィロメナへ空いている方の手の人差し指を向け、手の先に火球を作り出す。

「えぇっ。待って、メリー! 何がそんなにダメなの?」

 フィロメナは何がそんなにいけないのかわからないらしく、慌てふためいている。その様子を気の毒に思ったのか、カーラントは笑みを消し先程より語気を強めて咎めてくる。

「メリー、やめなさい。それではまるで癇癪かんしゃくを起こした子供ではないか。少しは大人の対応をすべきだろう」
「あなたが人の嫌がることをやめればすぐに収めますよ。フィロメナさんも前言を撤回することですね」
「フィロメナ殿を壁ごと吹っ飛ばすつもりかね?」
「大丈夫ですよ。穴が空いても私は明日ここを出ますし」
「フィロメナ殿や私のことも考えなさい」

 メリーはフィロメナめがけて火球を放つ。フィロメナは小さく悲鳴を上げて咄嗟とっさに障壁を張った。火球は障壁に当たるより前にパッと小さく弾け、キラキラと火花を散らせる。

「えっ……本気かと思ったわ。もー、びっくりさせないでよ……」
「そんなに魔力を込めてないってわかってて大げさなんですよ、カーラントは」

 フィロメナはぱちぱちと目を瞬かせながら、胸に手を当てて呼吸を整えている。引き払うとはいえ、この家にはそれなりに思い入れもある。いくらなんでも軽率に吹っ飛ばす気にはならない。

「おやおや……あなたが加減というものを知っているとは。兄としてとても喜ばしく感じるな」

 カーラントの物言いは一々癇に障る。わざとなのか無自覚なのかはわからない。これまでは指摘せずに我慢してきたが、いよいよ限界だ。

「良い機会なんで言いますけど、事あるごとに『兄』とか『妹』とか強調するのやめてもらえません? 同じ薄汚い血が半分流れてる者同士ってだけですよね、私たち」

 これまでの視察なども含め、カーラントはメリーとの関係を兄妹として強調したり、兄の立場を気取って意見してくることが多かった。

 そもそもストーベルというどうしようもないバケモノの血が半分流れているということと、年齢が同じということくらいしか共通点がない。血が繋がっているという点で言えば兄妹の条件は満たしているのかもしれないが、こちらは兄と認めたことなど一切なく、まるでミュールの座を奪わんとする強引な態度には辟易としていた。

「そんな不名誉な繋がりを人前で強調して、恥ずかしくないんですか?」
「恥ずかしいとは思わない。それより自分が何を言っているか冷静に考えなさい。同じ血を持つミュール兄様やフランに、あなたは同じ暴言をぶつけるつもりかね?」

 ミュールとフランの名前が引き合いに出され、初めて強い憤りを覚える。その強い憤りは憤りを通り越し、あまりの滑稽こっけいさに笑いがこらえきれなくなった。

「確かにそうですけど、ミュール兄さんやフランは血縁以上の繋がりがあるので。血だけしか繋がらないあなたが同列に扱ってもらおうなんて、おこがましいと思いません?」

カーラントもまた、こらえることなく静かに笑い始める。

「さすがにそこまでは思ってない。血の繋がり自体は事実なのだから兄妹だと公言しても何もおかしくはないというだけだ。ただ私は、メリーという妹がいてくれて良かったと思っている。それだけは伝えておくとしようか」
「わぁ、心底どうでもいいー。気色悪いですねぇ〜」

 今までに言われたこともないような言葉で調子を崩されそうになる。危うくカーラントの術中に嵌まるところだったと、一瞬肝が冷えた。すぐにいつもの体裁を整えると、カーラントへコッテコテの作り笑いを返す。

「まったく、あなたは反抗期なのか幼稚なのか」

 カーラントは深いため息をつくと、剣を虚空へと返し四人へと向き直る。

「見苦しいところをお見せして本当に申し訳ない。メリーとは今までもずっとこんな調子で困っていてね。察してもらえれば助かる」

 カーラントは苦笑しながら謝意を込めて頭を下げる。完全に保護者気取りだ。

「困ってるのは私の方です。あなたが口を慎めば大半が解決しますから」

 メリーとしてはカーラントが余計なことを言わなければ、反論したり突っかかるような真似をする必要もない。
 今回だってそうだ。カーラントが余計なことを皆に話そうとしたのがそもそもの原因なのだ。

 悪くないのなら謝る道理もない。それでも何となく胸に残るもやもや感を押し流すため、メリーは紅茶へと手を伸ばした。

 そうしているうちに夜も更け、皆が床につく。明日からはまた旅が始まる。メリーは少しだけ期待に胸を膨らませて眠りについた。

 入浴している間に、勤務態度をカーラントに暴露されていたとも知らずに。


第78話 繋がる縁は何を紡ぐか  終
5/22ページ
スキ