前章─復讐の先に掴む未来は(1)
03 不穏の足音
──仲良く暮らしました。めでたしめでたし」
ベッドの脇にあるランプの薄明かりが、青年アイゼアの銀髪と柔らかな赤紫色の瞳をとろりと照らし出す。
幼い二人の兄妹にせがまれ、絵本を読み聞かせていた。読み聞かせをするような年齢はとうに過ぎているようにも思うが、アイゼアが帰ってきたときは決まって二人からお願いされるのだ。今夜は新月らしく、窓から差す光は心許ない。まだ物足りない表情でこちらを見つめる兄妹の顔が薄ぼんやりと見えた。
「兄様、もう一冊読んで聞かせてよ」
「わたくしも聞きたいです。お兄様お願い!」
「遅いからもう寝ないと。明日起きるのがつらくなるからね」
二人を諭しながら頭を撫でると、それ以上せがんでくる事はなかった。その聞き分けの良さと寂しそうな横顔に僅かに心が痛む。
物心がつくかつかないか、そんな頃に両親を亡くし、思い出などほとんどない。現在は叔母夫婦の元で暮らしているが、扱いは良いものとは言えず従兄弟とも折り合いが悪い。
肩身の狭い思いをしながら毎日過ごしていることは容易に想像がつくが、それに関して二人が弱音を吐いてくることはなかった。自分に心配させないようにと気遣っているのだろう。その健気な姿が更にアイゼアの心を苛んでいた。
できれば三人で暮らしたいが、騎士の身である自分は夜勤や宿直で不規則に勤めに出なければならず、遠征や仕事が立て混んで長く不在になることも多い。それを考えると、まだ学校の初等部も卒業していない二人を引き取るのは到底無理な話だった。
「お兄様、次はいつ帰ってこられるの?」
「そうだなぁ……ハッキリとは言えないけど、休みが取れたら必ずすぐに帰ってくるよ」
「ふーん? いっつもそうやって言うくせに全然帰ってこないじゃん」
しょんぼりと落ち込む妹のポルッカと膨れっ面でそっぽを向く弟のカストル。そんな様子の二人とは裏腹に、思わず笑みが零れてしまう。
「何で笑うの? 僕たちと会えなくなるの兄様は平気なんだ」
「違うよ。僕も二人と会えないのは寂しいけど、今は一緒にいるだろう? それがすごく幸せだなって思ったんだよ」
そう、自分が二人と同じ年だった頃には想像することすら叶わなかったほどの幸せだ。
「さ、僕はこれからまた仕事だから。二人もしっかり勉強して、たくさん食べて、風邪はひかないように」
「「はーい……」」
「よろしい」
ランプの明かりを消し、椅子にかけてあった騎士専用のロングジャケットに袖を通す。「いってきます」と小さく呟いた。パタンと音を立てて閉まる扉の向こう側から、くぐもった「いってらっしゃい」の声を背に受けて部屋を後にした。
階段を下り、リビングのドアを軽くノックする。
「叔父様、叔母様、遅くまで失礼いたしました」
返事はない。
亡くなった両親の養子だったアイゼアは叔母夫婦にとって他人同然で、目障りな存在でもあった。それも貧民街出身だと知れば、関わりたがらない人の方が多いだろう。だからこそ亡き両親の顔に泥を塗らないよう、最低限の礼儀は通すと決めているのだ。
玄関を出て、門を閉める。一つため息をついてから空を見上げ、ギョッとした。
「何だ、これは……」
月のない薄暗い空に無数の流れ星。それは不気味なほどの赤い光を放っていた。
────────────────────
04 壊レタ記憶ノカケラ
町外れにひっそりと佇む小さな家に少年が一人。家主のゼンザイが亡くなって早数年、エルヴェはこの家でずっと一人で暮らしていた。誰とも関わらず、森に行っては自然と動物に囲まれる生活を送っている。
エルヴェを救ってくれた今は亡き家主は『外に出てたくさんの人やものに出会いなさい』と言い遺して逝った。だが変化を求めない性格からか、その言葉に従う気にはなれなかった。
一人を寂しいと思うことも、退屈に感じることもない。むしろゼンザイとの記憶に満ちたこの家が朽ち果ててしまうことの方が悲しかった。だからこの家を守っていることが今の自分のささやかな喜びだ。
ただ時々、失ったはずの記憶が蘇ることがある。大切な人がいたこと、温かな記憶、冷たい記憶、そして記憶を失う直前の記憶。ゼンザイと出会うずっと前の記憶だ。それらが一体何だったのか、自分が何者だったのか、自問してもいまだに答えは出ないままでいる。
カタンという固い音に思考が遮られる。ざわざわとした木々の音が妙に耳につく。風でも吹いているのだろうか。
今日は動物たちも忙しなく落ち着かない様子だったことを思い出しながら、エルヴェは窓を開けて外を伺う。妙に生温い風が浅葱色の鮮やかな髪を揺らした。ふと夜空を眺めると、赤い流れ星が無数に降り注いでいるのが見える。
「赤い、流れ星……」
一瞬、記憶がフラッシュバックする。
「お父さん、エルヴェ! 見て、真っ赤な流れ星がいっぱい!」
「うわ、すごいな……」
ぼんやりと小さな少女と壮年の男性の姿が映像として頭に浮かぶ。
「きれいだねー!」
「そうかな? 父さんはちょっと怖いなぁ」
「そうかなー? ねぇ、エルヴェはどう? エルヴェはきれいだと思う?」
「そうですね……私は──
初めて見るはずの異様な光景。
「私はこの光景を見たことがある」
そう思った。
おそらくこれも記憶を失う以前のことだ。隣にいたのは誰なのか、あの二人と自分はどんな関係だったのだろうか。命と引き換えても良いほどに大切な存在だったことだけは確かだったが、顔も名前も碌 に思い出せないでいる。
もう届かない何かへのもどかしさと焦燥感がモヤモヤと渦巻いて落ち着かない。再び赤い流れ星を見つめると妙に何かがざわつく。
あの星があまり良いものではなかったと壊れた記憶が訴えている気がした。エルヴェは赤い流れ星から目を逸らせず、ただただ立ち竦んでいた。
第0話 赤い星の降る夜(アイゼア/エルヴェ) 終
──仲良く暮らしました。めでたしめでたし」
ベッドの脇にあるランプの薄明かりが、青年アイゼアの銀髪と柔らかな赤紫色の瞳をとろりと照らし出す。
幼い二人の兄妹にせがまれ、絵本を読み聞かせていた。読み聞かせをするような年齢はとうに過ぎているようにも思うが、アイゼアが帰ってきたときは決まって二人からお願いされるのだ。今夜は新月らしく、窓から差す光は心許ない。まだ物足りない表情でこちらを見つめる兄妹の顔が薄ぼんやりと見えた。
「兄様、もう一冊読んで聞かせてよ」
「わたくしも聞きたいです。お兄様お願い!」
「遅いからもう寝ないと。明日起きるのがつらくなるからね」
二人を諭しながら頭を撫でると、それ以上せがんでくる事はなかった。その聞き分けの良さと寂しそうな横顔に僅かに心が痛む。
物心がつくかつかないか、そんな頃に両親を亡くし、思い出などほとんどない。現在は叔母夫婦の元で暮らしているが、扱いは良いものとは言えず従兄弟とも折り合いが悪い。
肩身の狭い思いをしながら毎日過ごしていることは容易に想像がつくが、それに関して二人が弱音を吐いてくることはなかった。自分に心配させないようにと気遣っているのだろう。その健気な姿が更にアイゼアの心を苛んでいた。
できれば三人で暮らしたいが、騎士の身である自分は夜勤や宿直で不規則に勤めに出なければならず、遠征や仕事が立て混んで長く不在になることも多い。それを考えると、まだ学校の初等部も卒業していない二人を引き取るのは到底無理な話だった。
「お兄様、次はいつ帰ってこられるの?」
「そうだなぁ……ハッキリとは言えないけど、休みが取れたら必ずすぐに帰ってくるよ」
「ふーん? いっつもそうやって言うくせに全然帰ってこないじゃん」
しょんぼりと落ち込む妹のポルッカと膨れっ面でそっぽを向く弟のカストル。そんな様子の二人とは裏腹に、思わず笑みが零れてしまう。
「何で笑うの? 僕たちと会えなくなるの兄様は平気なんだ」
「違うよ。僕も二人と会えないのは寂しいけど、今は一緒にいるだろう? それがすごく幸せだなって思ったんだよ」
そう、自分が二人と同じ年だった頃には想像することすら叶わなかったほどの幸せだ。
「さ、僕はこれからまた仕事だから。二人もしっかり勉強して、たくさん食べて、風邪はひかないように」
「「はーい……」」
「よろしい」
ランプの明かりを消し、椅子にかけてあった騎士専用のロングジャケットに袖を通す。「いってきます」と小さく呟いた。パタンと音を立てて閉まる扉の向こう側から、くぐもった「いってらっしゃい」の声を背に受けて部屋を後にした。
階段を下り、リビングのドアを軽くノックする。
「叔父様、叔母様、遅くまで失礼いたしました」
返事はない。
亡くなった両親の養子だったアイゼアは叔母夫婦にとって他人同然で、目障りな存在でもあった。それも貧民街出身だと知れば、関わりたがらない人の方が多いだろう。だからこそ亡き両親の顔に泥を塗らないよう、最低限の礼儀は通すと決めているのだ。
玄関を出て、門を閉める。一つため息をついてから空を見上げ、ギョッとした。
「何だ、これは……」
月のない薄暗い空に無数の流れ星。それは不気味なほどの赤い光を放っていた。
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04 壊レタ記憶ノカケラ
町外れにひっそりと佇む小さな家に少年が一人。家主のゼンザイが亡くなって早数年、エルヴェはこの家でずっと一人で暮らしていた。誰とも関わらず、森に行っては自然と動物に囲まれる生活を送っている。
エルヴェを救ってくれた今は亡き家主は『外に出てたくさんの人やものに出会いなさい』と言い遺して逝った。だが変化を求めない性格からか、その言葉に従う気にはなれなかった。
一人を寂しいと思うことも、退屈に感じることもない。むしろゼンザイとの記憶に満ちたこの家が朽ち果ててしまうことの方が悲しかった。だからこの家を守っていることが今の自分のささやかな喜びだ。
ただ時々、失ったはずの記憶が蘇ることがある。大切な人がいたこと、温かな記憶、冷たい記憶、そして記憶を失う直前の記憶。ゼンザイと出会うずっと前の記憶だ。それらが一体何だったのか、自分が何者だったのか、自問してもいまだに答えは出ないままでいる。
カタンという固い音に思考が遮られる。ざわざわとした木々の音が妙に耳につく。風でも吹いているのだろうか。
今日は動物たちも忙しなく落ち着かない様子だったことを思い出しながら、エルヴェは窓を開けて外を伺う。妙に生温い風が浅葱色の鮮やかな髪を揺らした。ふと夜空を眺めると、赤い流れ星が無数に降り注いでいるのが見える。
「赤い、流れ星……」
一瞬、記憶がフラッシュバックする。
「お父さん、エルヴェ! 見て、真っ赤な流れ星がいっぱい!」
「うわ、すごいな……」
ぼんやりと小さな少女と壮年の男性の姿が映像として頭に浮かぶ。
「きれいだねー!」
「そうかな? 父さんはちょっと怖いなぁ」
「そうかなー? ねぇ、エルヴェはどう? エルヴェはきれいだと思う?」
「そうですね……私は──
初めて見るはずの異様な光景。
「私はこの光景を見たことがある」
そう思った。
おそらくこれも記憶を失う以前のことだ。隣にいたのは誰なのか、あの二人と自分はどんな関係だったのだろうか。命と引き換えても良いほどに大切な存在だったことだけは確かだったが、顔も名前も
もう届かない何かへのもどかしさと焦燥感がモヤモヤと渦巻いて落ち着かない。再び赤い流れ星を見つめると妙に何かがざわつく。
あの星があまり良いものではなかったと壊れた記憶が訴えている気がした。エルヴェは赤い流れ星から目を逸らせず、ただただ立ち竦んでいた。
第0話 赤い星の降る夜(アイゼア/エルヴェ) 終