後章─幾星霜を越え、錆びついた時は動き出す

 馬車と鉄道を乗り継ぎノルタンダールへ帰ってきたのは夕方より少し前のことだった。

 季節は晩夏、もう一月ひとつき一月半ひとつきはんもすればこの街に雪が降り始める季節になる。少し冷えた風を頬に受けながら、カーラントとロランと見張りの騎士と共に、駅から役所へ向かって歩いていた。

「メリー!」

と大きな声で名前を呼ぶ声がする。

 メリーと愛称で呼び捨てにしてくるのは、この街ではカーラントしかいない。

「そんな大声出さなくても聞こえてますよ、カーラント。名前を呼ばれると人目を引くのでやめてくれませんか?」
「いや、私ではないのだが……」
「え? じゃあ誰ですか?」

 不思議に思い振り返ると、こちらを見て駆け寄ってくる姿が見える。

「あ……」
「えぇっと、どなたですか?」
「メリーの友人だ」

 銀髪に赤紫色の瞳の青年と、浅葱色の髪に藤色の瞳をした少年、傍らにはまだ幼い双子の兄妹が見える。メリーの心に、曇天どんてんだった空が急に晴れていくような喜びが湧き上がる。

「アイゼアさん、エルヴェさん、お久しぶりですね! カストルさんとポルッカさんも、遠い所から大変だったんじゃないですか?」
「いや、二人が母様の故郷に行きたいって聞かなくてね。行くなら夏季の長期休暇中じゃないとって思って」

 アイゼアの判断は正しい。サントルーサの穏やかな気候で育った者にノルタンダールの冬は厳し過ぎるだろう。

「お二人の母親はノルタンダールの人だったんですね」
「そうそう。祖父母の顔まで見たいとか言い出すし、ふりまわされっぱなしで……エルヴェがいてくれて本当に助かってるよ」
「私はとても楽しかったので、気になさらないで下さい」

 アイゼアはこれまでの苦労を語りながらエルヴェを労う。肝心のカストルとポルッカは怯えたようにアイゼアの後ろに隠れ、こちらをにらみつけていた。

「兄様を……よくも!」
「カストル!?」

 そう言ってカストルが飛び出してきたかと思うと、カーラント目掛けて殴りかかろうとする。メリーは咄嗟とっさにカストルを後ろから抱きしめるようにして止めた。

「放してよ!」
「この自治区を出るまで、カーラントの悪口は言わない方が身のためですよ。生きてサントルーサに帰りたいなら」
「い、生きて……?」

 カストルは驚いた様子で体を硬直させた。その目は恐怖に怯えきっている。

「俺、カーラントさんが悪く言われてるの初めて見たかも。本当にストーベルに加担していた頃があったんですねぇ……」

 ロランが感心したように呟き、カーラントが恨みを買うようなこともしてきたのだという実感が彼の中でやっと湧いたようだった。

「メリー、少し脅し過ぎではないかね?」
「脅し? とんでもない……石か火球くらいは飛んでくると思いますけどねぇ」

 公の場でカーラントに悪口を言えば、白い目で見られる。その発言者が人間の子供だと知られたら、それくらいのことがあってもおかしくはない。

 悪口を言っても何もされないのは、それこそ自分くらいのものかもしれない。石でも投げようものなら逆に殺される、と街の人々は思っているに違いないだろう。
 当然投げつけてくるような不届き者には火球をお見舞いする気満々であり、それによってうっかり死んでも自業自得だと思っている。よって街の人々の認識は何ら間違ってはいない。

 カーラントはカストルへ歩み寄り、膝をついて視線の高さを合わせる。

「あなたたちとあなたの兄には本当に申し訳ないことをしたと思っている。謝って済むことではないこともわかっている。あなたの怒りは当然だ」

 そう言って頭を下げた。カストルは何も言えず、その様子をひたすら凝視し、唇を引き結んだ。

 しん、と辺りが静まり返る。

「あの、やめません? 物凄く人目引いてるんでめちゃくちゃ嫌なんですけど」

 往来は然程さほど多くないが、それでも「カーラント様が膝をついて頭を下げておられる」とざわつく声が遠巻きから聞こえてくる。

「役所が近くにあるから、そこにお連れしては?」

というロランの提案に乗り、四人を連れて役所まで戻ることになった。


 四人を役所の応接室へ通し、メリーは改めて話をすることにした。

「先程、祖父母に会いたいと言ってましたが、私は正直おすすめしません」
「「えーっ!」」

 まさかここまできて止められると思っていなかったのか、双子は顔を見合わせて目をしばたたかせる。

「それはやっぱり霊族は人間を差別してるって話、かな?」
「そうです。心無い言葉を言われる前にこの街だけ観光して帰った方が無難です」

 アイゼアの問いかけをメリーは肯定した。魔力至上主義廃止の機運は高まっているが、人々に根付いた偏見や差別意識は簡単に消えるものではない。

 魔力が弱く虐げられてきた者は差別の視線を逸らすため、魔力を持たない人間を見下すという構図がある。人間に対しての偏見や差別は、魔力の弱い者たちへ向けられていたものよりも遥かに苛烈なものだった。それも特に排他的な性質の者が多く住まう炎霊族自治区なら尚更その傾向は強まる。

「メリー、そう頭ごなしに否定しなくてもいいではないか。私の方で調べてかけあってみてもいいと思っているが、どうかね?」
「それならお願いしてもいいかな?」
「もちろん。私にできることがあれば応えよう。それで、名前か住所か何か知っている情報は?」

 カーラントの質問に、ほとんど情報がなくて…とアイゼアは苦笑する。

「母様の名前はラランジャ。旧姓はアペルシーン。でもこれだけじゃさすがに……」
「え!? ララさんの、子供?」
「……え? ララさん?」

 目を見開いて声を漏らしたのはロランだった。ロランの姓がアペルシーンであることを思えば、双子の母親であるラランジャとも親しい間柄なのかもしれない。

「俺、ロラン・アペルシーンって言います。ララさんは俺の父の妹で叔母にあたる人だけど……」
「調べるまでもなかったな」
「あぁ、いや、待ってください」

 ロランは言葉を濁しながら表情を曇らせる。しばらく悩んだあと、ゆっくりと家族のことを語り始めた。

 祖父母は今も出ていったラランジャに怒っていること。人間や魔力の低い人々に対しての偏見や差別意識が強いこと。ロラン自身の魔力は平均程度しかなく、祖父母からあまり愛されなかったこと。その代わり両親はそういった偏見もなく自分を育ててくれたこと。

 そして今の自分が人間や魔力の少ない人々に偏見なく接することができるのは、両親の教えや祖父母から反面教師として学んだからだと。

「祖父母には会わない方が良いと思うけど、せっかく来たんだし君たちさえ良ければ俺の両親と会っていかない? 特に父さんは喜ぶと思うし」

 ロランはにこにこと隠しきれない誠実さを滲ませて笑っている。

「ぜ、ぜひお会いしたいです!」
「わかった。じゃあ、今晩の夕食に招待するよ。母さんに連絡を飛ばしておくから」

 ロランは使い魔に言付けをして飛ばす。気弱で優柔不断そうに見えて、こういう行動の早さも新領主に選ばれた彼の魅力でもあるのだろうなとメリーは思う。


 ロランとカーラントは仕事へと戻り、アイゼアたちはロランの仕事が終わるまで応接室で待つこととなった。メリーは使い魔のエナガを呼び出し、アイゼアの肩へと乗せる。

「この街にいる間、万が一何かあればそれで私を呼び出してください」
「ありがとう、メリー」

 人間ということが露呈して即座に危険に晒されるということはさすがにないだろうが、先程のようなことで口を滑らし、突然攻撃を受けることもあるかもしれない。
 この街では自分以上に最高の護衛はいないだろう。正直、立っているだけでも人を払える自信があった。

「あとエルヴェさんにお願いがあるんですけど」
「……私、ですか?」

 アイゼアはおそらく双子についてロランと共にいくだろう。

 だが、エルヴェは迷っているはずだ。行くべきではないが、待っている場所もないと。

「今日野菜のお裾分けがあったんです。たぶんいくつか分けてもらえると思うので、それで晩御飯を私に作ってもらえないかなーって思ったんですけど」

 途端にエルヴェの表情はパッと花が咲いたように明るくなる。嬉しそうにしているのを見て提案してよかったと心の底から思った。表情だけで返事がどちらであるかわかるほどだったからだ。

「お安い御用ですよ。メリー様のご自宅へお邪魔してもよろしいのですか?」
「はい。綺麗なところではないですけど」

 今メリーはカーラントと共に、ミュールとフランと過ごした屋敷で暮らしている。この屋敷も滞在の間残してもらっただけに過ぎず、ノルタンダールを出るときには差し押さえられる。そのため部屋の傷は修繕せずそのままになっていた。

 だがそんなことが気にならなくなるほど、久々にエルヴェの手料理が食べられることに胸を踊らせていた。


第76話 来客は突然に(2)  終
3/22ページ
スキ