前章─復讐の先に掴む未来は(2)

 頭を失った無の王は白い灰に変わり、崩れていく。フィロメナがグリモワールの浄化に成功したのだ。その灰の中に埋もれるようにして倒れ伏すサクは、太陽にかれて絶叫しながら消滅した。

 これでやっと終わった……のだろうか。やがて静寂が訪れ、誰もが無の王であった灰を凝視していた。

「私たち……勝てたのですね!」

 エルヴェが静寂を破り、満面の笑みでこちらを振り返る。見たことのないほど、喜びに興奮していることが伝わってくる。皆がボロボロだったが、何とか最後まで戦い抜いた。ここに残っている騎士たちも生き延びて、未来を勝ち取れた喜びを分かち合い歓喜している。

「はい、エルヴェ」

 アイゼアがパッと手を開いてこちらに向けている。

「えっと……?」

 何をするのかわかっていないエルヴェに手本を示すために、メリーはアイゼアとハイタッチを交わした。

「ありがとうございました」
「こちらこそ」

 アイゼアはにこりと微笑む。やっと少しずつ、本当に終わったのだという実感が湧いてきた。

「なるほど。私もやらせて下さい!」

 エルヴェもわくわくと胸を踊らせた様子でアイゼアとハイタッチを交わす。

「ほーら、スイウー」
「は? なんで俺まで……ったく、今回だけだ」

 スイウは悪態をつきながらもアイゼアに応じてハイタッチを交わした。

「あとでフィロメナ様ともしましょう!」

 エルヴェは喜びを抑えきれない様子でフィロメナの元へと早足で歩き始めた。


 フィロメナと合流し、騎士たちの治療も終えたあと、メリーたちは帰路へとつく。天界の階段を下り、天界と冥界の門がある場所まで戻ってきていた。
 グリモワールが浄化されて呪いが消えたことで、中に封印されていた天王や冥王を始め、天族や魔族、氷像と化していた者たちも元に戻っていた。この様子であれば、召喚されていた魔物もおそらく消滅したはずだ。


 冥界の門の前までスイウが歩み寄り、こちらを振り返る。

「俺はここでお前らとはお別れだ」

 その言葉でスイウは魔族だったのだ、と今更思い出す。であれば当然この冥界の門の前で別れることになる。フィロメナももしかしたらそうなのかもしれない。
 アイゼアは隊長格の騎士に遅れて戻る旨を伝え、騎士たちを先に戻らせた。
 スイウが冥界の門を開くと、門の向こう側に黄昏色に染まる世界が見え、紅く燃えるような彼岸花が咲き乱れている。スイウは一歩冥界に足を踏み入れ、こちらへ向き直る。

「メリー、これで契約は終わりだ」

スイウが手をこちらの世界へと差し出す。

「私は契約を継続しても構いませんけど」

 自分の中に何となく別れ難い思いがあり、素直に口にする。冥界へ帰るのなら、スイウとはこれが今生こんじょうの別れになるだろう。

「阿呆が。契約を継続したままだと俺が冥界に帰れん」
「……そうですね」

 呆れたような表情でため息をつく姿はいつもと変わらないスイウだった。メリーは咄嗟とっさに笑顔を作り、その手を取る。

「契約解消の代償は何にしますか?」

 契約解消には相応の代償を必要とする。体の一部か、魂の一部か。

「俺が勝手に結んだ契約だ。俺が代償を払う」

 スイウは一度目を伏せ、静かに息を吸う。月のような色の瞳がメリーを捉え、唇が言葉を紡ぐ。

「我が名は『ウラバ』。代償を払い、汝『フレージエ』との契約解消を宣言す」

 キン、と金属が断ち切れるような音が頭の奥で響き、一瞬光に包まれ目がくらむ。そっと目を開くと、胸の奥から何かが失われたような、物足りないような、奇妙な喪失感がメリーの中に残った。

「じゃあな、お前ら。メリーとアイゼアはあんまり生き急ぐなよ。しばらくは顔も見たくないからな。それから……助かった。礼を言う」

 たったそれだけ言いきると、こちらの言葉も聞かずスイウはあっさりと冥界の門を閉じた。鳥居の向こうにはスイウの姿も、あの黄昏の空ももう見えない。

「こちらこそ、ありがとうございます……スイウさん」

 もう届かないが、それでも言葉にしたくなった。スイウに契約を交わされ、二人での旅から始まった。ここまで来られたのは紛れもなくスイウのおかげでもある。

「いやー……スイウは最後までスイウだったねー」

 別れを惜しまないスイウらしいいさぎよさがどこか可笑しくて、皆と目が合ったあと一頻ひとしきり笑いあった。

「あたしも天王様に今後のことを聞かないといけないから、ここに残るわね。本当は、みんなと一緒にいけたらいいのにって……思ったんだけど……」

 フィロメナはじわじわと目尻に涙を溜め、やがてポロポロと大粒の涙を零す。

「あはは、フィロメナはホント泣き虫だね」
「そっそんなことないわよ!」

 フィロメナは目元をごしごしと乱暴に拭う。それでもじわじわとまた涙が溜まってきていた。

「フィロメナ様、寂しくなりますね……」
「そうね……あたし、またみんなに会えるかしら?」
「会えるよ。もしセントゥーロへ来たらいつでも遊びにおいで」
「それよりもフィロメナさん。無理はしないように、ですよ」
「それはあんたの方でしょ、メリー」

 フィロメナは泣きながら、ニッと強気な笑みを浮かべる。

「あたし、きっと会いに行くわ! またね、みんな!」

 明朗で快活な声が天高く響き、メリーたちの背中を力強く押す。フィロメナはこちらの姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。



 カーラントの船に乗り、メリーたちは無事にセントゥーロ王国の王都サントルーサに到着した。今回のことは騎士を取りまとめていた部隊長が代表して王国へ報告したらしい。カーラントの身柄は騎士団預かりとなり、今は投獄とうごくされている。
 やっとサントルーサに到着し、今は宿屋のラウンジでエルヴェと二人で会話を楽しみながらゆっくりと過ごしていた。

「エルヴェさんは紅茶を淹れるのも本当に上手ですね」
「お褒めいただいて嬉しいです。よろしければ今度は手作りのお菓子も振る舞わせて下さい」
「いいですね! 私、蜜漬けにした果実の焼き菓子が希望なんですけど……」
「わかりました。腕によりをかけてお応えしますよ」

 エルヴェが楽しそうにしているのを見て、こちらも嬉しい気持ちになる。料理上手のエルヴェが作る焼き菓子はきっと絶品なのだろう。今から楽しみで仕方ない。

「いいね、それ。僕も混ぜてくれないかな」

 騎士団本部に戻っていたはずのアイゼアが背後からひょっこりと顔を出す。

「今日はもうお戻りになられないのかと思っておりました」
「いや、それなんだけど……明日、二人に登城するようにってお達しが来てね。それを言いに来たんだよ」

急で申し訳ない、とアイゼアは苦笑した。

「と、登城ですか!? 何かおとがめを受けるのでしょうか? やはり拒否権はないのですよね?」
「ないよ。でもお咎めじゃなくて逆だと思うけどね」

 王からアイゼアが指名で呼び出され、共に旅していた者も呼ぶようにお達しが来たのだとアイゼアは付け加えた。エルヴェはあまり気乗りしてないようだが、メリーにとっては好都合だった。むしろ、この時を待っていたと言っても過言ではない。

「セントゥーロ国王からの誘いで直接物申せる機会をいただけるなんて、願ったり叶ったりですね」
「え、ちょ……も、物申す? くれぐれも失礼のないように頼むよ……?」

 アイゼアの苦笑がますます苦々しいものへと変わる。少々気の毒ではあるが、こちらも理由なく引っかき回そうというのではない。

「相当反感を買うと思いますが、私はそんなこと承知で言うつもりですから」
「メリー、本当に君って人は……」

 アイゼアは深いため息と共にがっくりと項垂うなだれた。エルヴェは心配そうに見守りながら、アイゼアにもそっと紅茶を差し出す。

「ところでメリー、君は一体何を言うつもりなんだい?」
「あぁ、それなんですけど──


第74話 境界線に立つ者たちへ(1)  終
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