前章─復讐の先に掴む未来は(2)

 メリーからグリモワールを託され、浄化を試みていた。だが穢れが酷いのか思うように進んでいかない。

「フィロメナ様、魔力は足りそうでしょうか?」
「エルヴェのおかげで今のところはね」

 カストルとポルッカのときは頼ることができなかったが、エルヴェは自然界から魔力を集め、それを動力に変えているらしい。そのため魔力の収集に集中し、得られた魔力を分け与えてくれていた。

 メリーが判断し、エルヴェをこちらに割いてくれたのだ。メリーの魔力のように穢れは持っていないおかげで以前のような激痛はないが、それでもあり得ない量の魔力を受け入れているため体に負荷はかかり続けている。

 グリモワールは呪いの塊というだけあって、一つ浄化しても、次から次へと呪いと穢れが噴出してくる。あまり長時間向き合っていると体にも影響を及ぼしてくるだろう。堕天の先は消滅だ。
 グリモワールに内包されている呪いも千差万別で、強いものから比較的弱いものまで様々だ。

 暴走したサクが、轟音と地響きを伴わせ暴れまわっている。遠巻きに悲鳴や怒号が聞こえてきた。急がなくては。犠牲を一人でも多く減らせるかは自分にかかっている。焦りばかりがつのり、浄化は思うように進んでいかない。

 実際浄化を試みたのはカストルとポルッカのときが初めてだった。あのときは二人を助けたいという気持ちで頭が一杯でとにかくありったけの魔力で何とかした。
 だがグリモワールはそういうわけにはいかない。一つ一つの呪いにこもった穢れの具合を見極め、魔力を使わなければならないほどギリギリの攻防になるだろう。

 浄化を進めていると、足音が一つこちらへと近づいてくる。騎士の一人が、怪我をした騎士を背負って避難してきたのだ。

「すまない、巻き込まれないようコイツをここに避難させてやってくれ」

 そう言い残し、騎士はまたサクのいる方へと戻っていく。置いていかれた騎士は足と肩に大怪我を負っており、出血も酷い。すぐに治癒術をかけなければと立ち上がりかけるフィロメナをエルヴェが制した。

「フィロメナ様はグリモワールを。一先ず私が止血と応急処置をしておきます」

 エルヴェが一旦離れ、騎士の手当を始める。必死に進め、何とか三分の一の浄化が終わった。メリーには負荷に耐えきれず消滅すると言われたがこの調子なら最後まで上手くいくかもしれない。
 そんな希望を抱いたときだった。突然バチッと手を弾かれ、グリモワールに浄化を拒まれる。

「ど、どういうこと?」

 再び浄化するため魔力を翳しても強い力で拒絶される。ならばと手を離して試みるが、今度は力が伝わらなさ過ぎて浄化が進んでいかない。

「どうなさいました、フィロメナ様」
「グリモワールに浄化を拒まれるの。エルヴェ、あたしの手を思いっきり押さえておいてちょうだい」

 エルヴェは不安そうにこちらを伺いながらも、グリモワールに手を乗せたフィロメナの手の上に強く手を重ねる。

「いくわよ……」

 一気に浄化の魔力を込めた瞬間、全身に電流が走ったかのような衝撃と痛みに襲われる。

「こんなとこで……もたもたしてる場合じゃないのよっ」

 歯を食いしばり、強引に浄化を継続する。だが押し返される力に負け、フィロメナとエルヴェは思いきり吹っ飛んだ。
 無防備に地面に落ちて転がる。体がきしみ、痛みを訴えていた。だが痛みに気を取られているわけにはいかない。咳き込みながら、震える足でグリモワールの元へ戻った。

「フィロメナ様! 大丈夫ですか?」
「あたしは平気よ……全然、平気」

 エルヴェは何かを口にしかけ、押し黙る。重症を負って避難してくる騎士の数は増えていっている。中にはあの場で力尽きた者もいるだろう。
 スイウ、メリー、アイゼア、三人は今もあの場で戦っている。どんどん戦える人も減り、残っている者たちはより危険に晒されていくことになる。

「エルヴェ、あっちに戻って」
「ですが……」
「魔力はまだ大丈夫。足りなくなったときは浄化を続けながらそっちに飛んでいくから!」

 エルヴェから魔力を分けてもらっているおかげで余力はある。今浄化ができないのは魔力量の問題ではない。

「みんなが死んじゃう前に助けてあげて、お願いよ」

エルヴェはすぐに立ち上がる。

「わかりました。魔力が足りないときはすぐに来て下さい」

エルヴェの背中を見送り、すぐにグリモワールに集中する。

「あたしがグリモワールを浄化しきってみせる……あたししかいないんだから」

自分に言い聞かせるように強く鼓舞こぶした。


 だがそれから何度試みても上手くはいかなかった。全身がしびれ、力が入らなくなってきている。グリモワールの穢れが体に回ってきているせいもあるだろう。ガタガタと震える手で魔力を込めたところで、すぐに弾かれてしまう。

「呪いの力が強すぎるのね……あたしの力では、取り除ききれないの?」

 くじけそうになる心に、思わずじんわりと涙がにじんだ。また泣いてしまうのか。フィロメナは自分の弱さともろさに辟易へきえきした。結局自分は守られているだけで、誰かを守ることはできないのだろうか。
 情けない自分が悔しくて悔しくてたまらなかった。旅をしてきたことや仲間の顔がフィロメナの脳裏に浮かぶ。皆が成すべきことのために命をかけて戦っていた。

どんな敵も恐れず立ち上がり続け、決して諦めようとはしなかったメリー。
常に周囲を観察し、確実な方法を模索して皆をまとめ、導いてきたアイゼア。
他人を思いやり、自分のすべき最適な行動を判断し、皆を守ってくれたエルヴェ。
成すべきことを常に見据え、危険な場所へも先陣を切って飛び込み、戦ってきたスイウ。

 自分にはない強さを持っている皆が羨ましかった。ずっと助けられ、はげまされてきた自分が、皆が死んでいくのを見ているしかない。それだけは……それだけは嫌だった。

 その思いだけがフィロメナを突き動かす。無謀だとか、考えなしだと笑われたって構わない。自分の取り柄はどんなときも前向きで未来を信じられることだと、そう思いたい。

 フィロメナはグリモワールを胸に強く抱きしめ、全身に浄化のための魔力を巡らせる。全身を襲う激痛も耐え、弾かれないよう必死でグリモワールを強く抱え込み地面に押さえつけた。このまま離さずにいれば必ず浄化を果たせるはずだ。

 諦めない限り、未来はある。天族としての役目を、氷像にされた者たちの分まで果たすのだと誓った。必ず成し遂げてみせる。耳をつんざく雷鳴のような音が頭を揺さぶり、突き上げるような衝撃に体がバラバラになりそうだった。

 怖い、怖くない、怖い、怖くないっ……固く目を閉じて、ただひたすらに浄化のときを待っていた。

「やめなさいっ! それではあなたが先に壊れてしまう!」

 誰かの叫ぶ声と共に上へと引っ張られ、グリモワールを無理矢理奪われた。メリーと同じ薄紅色の髪、冷たく澄んだ氷のような色の瞳が目の前にある。声の主はカーラントだった。

「何するのよ……浄化をしなくちゃ、みんなが……お願い、返して……」

 グリモワールの穢れを受けたせいか全身が重怠く、声を上げることすら気力がいるほど満身創痍まんしんそういだった。

「このままじゃ、みんなが死ぬの……あたしがみんなを、世界を守らなくちゃいけないのよっ」

 震える手をカーラントの持つグリモワールへ向けて必死に伸ばした。

助けたい。
守りたい。
無理じゃない。
勝手に決めつけないで。

 今にも折れそうな心を何とか奮い立たせ、何か言葉を思いのままに叫んでいた。カーラントは何も語らず黙したままフィロメナの震える手を掬い取るように握る。

「フィロメナ殿、気をしっかり持ちなさい」

 叱りつけるようなカーラントの強い言葉に、暴走しかけていた感情が寄せて返す波のように引いていく。

「落ち着いて。ただ感情に任せたところで何も解決はしないのだよ」

乱れていた感情が静まり、少しずつ呼吸が楽になってくる。

「あたしの力だけじゃ浄化が上手くいかなくて……このままだと……」

 ぽろりと一つ涙が零れて落ちた。また泣いてしまった。それが悔しくてフィロメナはうつむく。

 諦めたくなかった。だが自分の力不足を痛感させられ、悔しさが込み上げる。スカートを強く握りしめ、シミを作っていく涙を懸命に止めようと思った。
 泣いている場合じゃないのはわかっている。今はただ、前を向かないと。折れそうになっている心を何とか立ち上がらせようと必死だった。

「変えられるのは今と未来だけ」
「え……」
「あなたが私にそう言ったのだ」

 ゆっくりと顔を上げると、カーラントの真剣な眼差しが目の前にあった。

「あなたは諦めない。ならば未来は望む方向へと変わる。そうではないのかね」
「カーラント……」

 カーラントはフィロメナの前にグリモワールを置き、開く。自身の手をかざし、何かをほどこし始めた。

「フィロメナ殿。私のこの手にも、あなたのように未来を変える力はあるだろうか?」

 そう問われ、カーラントを静かに見つめる。不安を滲ませながらも、グリモワールと向き合い何かを施している。
 その目は決して諦めてはいない。そして彼の言葉は、間違いなくフィロメナを奮い立たせてくれていた。

「……変えられるわ。ううん、今変えたの。諦めそうになってたあたしを……ダメになりそうだったあたしの未来を、今カーラントが変えたのよ!」

 カーラントは驚いたように顔を上げ、大きく目を見開いたまま固まっている。澄んだ氷のように冷たそうでありながら、突き抜けるような透明感は、天界の空と同じ色だと思った。その瞳がふいっと下に逸らされる。

「そこまで言ってくれるのなら、意地でもやるしかあるまいな」

 グリモワールの上に小さな法陣が浮かび、その紋様が少しずつ動きしばらくして消えた。

「フィロメナ殿、浄化を試してみてくれないかね?」
「わかったわ」

 グリモワールに手をかざし、浄化を行う。弾かれることもなく素直に穢れが祓われ、次の呪いと穢れが噴出する。何が起きたのかはわからないが、カーラントが何かしたおかげで浄化ができたということはわかった。

「上手くいったか。メリーとの相談も無駄にはならずに済んだな」

 カーラントは安堵あんどしたように息を吐くと、再び小さな法陣を出現させ、何かを施し始める。霊族に浄化の力は使えないはずだが、一体何をしたのかフィロメナにはわからなかった。

「フィロメナ殿、速度を上げていこう。解呪と同時進行で浄化をしていく」
「解呪?」

フィロメナは浄化を施しながらカーラントに尋ねる。

「そうだ。グリモワールにも解呪が通るのではないか、とね。メリーと結界を解除しているときに、グリモワールとあなたについて話をしたのだ」
「解呪って霊族にできるものなの?」
「呪術が得意であれば、だが。できないのは浄化の方だな」
「そうだったのね」
「メリーにもグリモワールの浄化が始まったら協力するよう託されて来ている。アレよりは幾分かマシな働きをすると保証しよう」

 そう言って皮肉っぽく笑うカーラントのおかげで、フィロメナの心に少しの余裕が生まれる。カーラントは解呪を続けながら、メリーと交わした会話の話をし始めた。


第73話 涙の凱旋歌トライアンファルソング(1)  終
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