2020年バレンタイン

「劉桜様。起きてくださいませ」

「……ん、もうそんな時間か?」

鈴を転がすような声を耳が拾って、ゆるりと意識が覚醒する。

「いえいえ、まだ一刻は時間がありますね」

「なら、」

もっとゆっくりしていよう、そう告げようとして。
けれど叶わなかったのは、ひとえに横に眠っていた睡蓮の体温が離れて行ったから。
仕方なしにと、追い掛けるように寝起きで気だるい身体を起こす。

「今日がなんの日か知っていますか?劉桜様」

「何の日か?」

今日は人間の世界でも、天界でも、ただの二月十四日でしかない。
睡蓮の質問の意図が分からず問い返せば、睡蓮は目をにっこりと笑って言った。

「今日は人間界での催しもの。ばれんたいんでぃと言う日なのだそうです」

「ばれんたいんでぃ?」

「はい!」

あまりに聞き馴染みがないその言葉に、俺はきょとりと首を傾げて見せた。
睡蓮は紫の瞳を子供のように輝かせ、手を身体の前で組むと出逢ったばかりの少女のような笑みを見せながら白磁のような頬をほのかに染めて問いに答えた。

「ばれんたいんでぃと言うのは、愛する人に想いを伝える日なのだそうですよ」

「それが、」

どうかしたのか?と、回らない頭で俺は考えて、そうして思い至った。
それと同時に顔が熱くなるのを感じて手で顔を覆いたくなったけれども、睡蓮は追い打ちをかけるように言葉を発する。

「ご理解頂けましたか?」

「……ああ」

「なら、これを受け取って頂けますか?」

顔を染める俺のことなど意にも介さず、睡蓮は薄桃色の桜のような色をした小さな箱を寝台の横に置いてある机から手に取ると、俺に差し出した。。

「劉桜様。今までも、これからも、ずっとずっと大好きです」

「……ありがとう」

箱を受け取りながら感謝の言葉がするりと出て来たことに驚いた。
ほんの少し瞬きをする前まで、俺は睡蓮を守る為に睡蓮に対して冷たく接しなくてはならなかった。
けれど今は違う。
俺はようやく、本当の意味で睡蓮を今度こそ守るんだ。
例え命をかけたとしても。睡蓮と俺との間に出来た血の繋がりのある子を、彼女が大事に育てた血の繋がりはなくとも、大事な息子である翠凛と二人で。

絶対に守ると決めている。

「睡蓮」

「なんですか、劉桜様?」

優しく笑みを浮かべる睡蓮の胎は少しだけ大きくなっている。
大事な俺達の結晶が育っている証だ。
それを見て、泣き出したくなる気持ち抑えながら、俺は静かに告げた。
「今も昔も、これからも。俺も、睡蓮を永遠に愛すると誓う」

驚く番はどうやら今度は睡蓮だったようだ。その切れ長の紫の瞳を零れそうな程に大きく見開いて。
そうして、嬉しそうにはにかんだ。

「嬉しいです、劉桜様。すごく、嬉しいです。こんなにも幸せで良いのかと思うくらいには、わたくしは今とても幸せです」

「そうか」

そうか、と俺はもう一度だけ呟いて。
そうして睡蓮の身体を抱き締めた。衣擦れの音が耳に届く。
それと同時に鼻を啜る音も。

「なあ、睡蓮」

「はい」

「来年は俺も用意する」

「……はい」

何を、とは聞かれなかった。その一言で気付いてくれるのがとても嬉しくて。
そうして幸せだと思った。俺こそ、こんなにも幸せで良いのだろうか。

未だ春という季節は訪れず。
なれど春告の鳥が鳴く朝。
俺と睡蓮は額を合わせて、そうして『幸せだ』と言いながら笑い合った。
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