SS 161~
自由に泳ぐ尾びれを失っても、美しいと評判だった声を失っても。
何を対価にしても良かった。わたしは、ただあなたに逢いたかった。
「……」
「どうしたんですか? 姫。何か気になることがありますか?」
いいえ、と言うかのように首を横に振る。
この人はわたしのことを『姫』と呼ぶ。
そんな大層な身分ではないのだけれども。
名乗れないのだからなんと呼ばれても仕方がない。
「今日は少し冷えますね。さあ、部屋に戻りましょう」
こくり、と今度は同意するように首を縦に振る。
この人は、わたしを囲う。わたしが逆らえば、わたしを殺すとそう言っていた。
構わないのに、あなたに殺されてしまうくらい。あなたが心を壊してしまうくらいなら、構わなかったのに。
「……姫? どうかしましたか」
「……」
また横に首を振る。声がないというのは些か不便だとこうなってみて思った。
「俺に、隠し事ですか」
疑うような眼差しはわたしのことを何も信じていない顔をしていた。
仕方がないのだろう。わたしは言葉を失った。この人に伝える術の一番大きなものを失っている。
「姫、俺は……あなたを手放すべきなのでしょうね」
キュッと、彼の服を握り締めてしまった。彼は驚いた顏をしながら、どこか苦しそうにわたしを抱き締める。
「すまない。……すまない、姫。俺は、あなたを愛してしまった。すまない」
どうして謝るのだろうか?
わたしはあなたに逢いたくて陸の世界にやってきたのに。
どうして謝るのだろう?
わたしがこの人の心を壊してしまったから?
わたしが傍に居るからいけないのだろうか。
「手離せなくて、すまない」
抱き寄せられる力が強くなった。こんなことしなくても逃げないのに。
私はあなたから、決して逃げないのに。
それにわたしこそ謝らなくてはいけないのに。
あなたを愛してしまってごめんなさい。
あなたの心を壊してしまってごめんなさい。
本当ならあなたはもっともっと幸せになる筈だったのに。
わたしと出逢ったことですべてが狂ってしまった。
「姫、どうしたの?」
背中に腕を回して、ポンポンと背を叩く。
いつか運命がわたし達を引き離そうとしても。
わたしはきっと、あなたから離れられないのだ。
そう、例え――
(今度の新月の日に、泡になって消えゆく運命でも)
わたしはあなたの傍に。
あなたは知らない。わたしが泡と消えゆくことも。
わたしは知らない。あなたがどれほどわたしを愛してくれていたのかを。
わたしが泡となったあと、あなたがどんな行動を取るかなんて分からなかったの。
「きみが消えて、俺の心に空洞が出来たようだった。でもきみは消えてなんていなかったね?」
そう言って、泡となったわたしをかき集め、必死に命を繋いで。
「ずっと。ずっと、一緒ですよ」
姫、と呼ばれた時。
恐怖よりも、この人の心をここまで壊してしまっていたことが申し訳なかった。
それでも再び傍に在れることが嬉しくて。
泡となって消えた人魚は、人間の愛によって再び笑みを浮かべたのでした。
何を対価にしても良かった。わたしは、ただあなたに逢いたかった。
「……」
「どうしたんですか? 姫。何か気になることがありますか?」
いいえ、と言うかのように首を横に振る。
この人はわたしのことを『姫』と呼ぶ。
そんな大層な身分ではないのだけれども。
名乗れないのだからなんと呼ばれても仕方がない。
「今日は少し冷えますね。さあ、部屋に戻りましょう」
こくり、と今度は同意するように首を縦に振る。
この人は、わたしを囲う。わたしが逆らえば、わたしを殺すとそう言っていた。
構わないのに、あなたに殺されてしまうくらい。あなたが心を壊してしまうくらいなら、構わなかったのに。
「……姫? どうかしましたか」
「……」
また横に首を振る。声がないというのは些か不便だとこうなってみて思った。
「俺に、隠し事ですか」
疑うような眼差しはわたしのことを何も信じていない顔をしていた。
仕方がないのだろう。わたしは言葉を失った。この人に伝える術の一番大きなものを失っている。
「姫、俺は……あなたを手放すべきなのでしょうね」
キュッと、彼の服を握り締めてしまった。彼は驚いた顏をしながら、どこか苦しそうにわたしを抱き締める。
「すまない。……すまない、姫。俺は、あなたを愛してしまった。すまない」
どうして謝るのだろうか?
わたしはあなたに逢いたくて陸の世界にやってきたのに。
どうして謝るのだろう?
わたしがこの人の心を壊してしまったから?
わたしが傍に居るからいけないのだろうか。
「手離せなくて、すまない」
抱き寄せられる力が強くなった。こんなことしなくても逃げないのに。
私はあなたから、決して逃げないのに。
それにわたしこそ謝らなくてはいけないのに。
あなたを愛してしまってごめんなさい。
あなたの心を壊してしまってごめんなさい。
本当ならあなたはもっともっと幸せになる筈だったのに。
わたしと出逢ったことですべてが狂ってしまった。
「姫、どうしたの?」
背中に腕を回して、ポンポンと背を叩く。
いつか運命がわたし達を引き離そうとしても。
わたしはきっと、あなたから離れられないのだ。
そう、例え――
(今度の新月の日に、泡になって消えゆく運命でも)
わたしはあなたの傍に。
あなたは知らない。わたしが泡と消えゆくことも。
わたしは知らない。あなたがどれほどわたしを愛してくれていたのかを。
わたしが泡となったあと、あなたがどんな行動を取るかなんて分からなかったの。
「きみが消えて、俺の心に空洞が出来たようだった。でもきみは消えてなんていなかったね?」
そう言って、泡となったわたしをかき集め、必死に命を繋いで。
「ずっと。ずっと、一緒ですよ」
姫、と呼ばれた時。
恐怖よりも、この人の心をここまで壊してしまっていたことが申し訳なかった。
それでも再び傍に在れることが嬉しくて。
泡となって消えた人魚は、人間の愛によって再び笑みを浮かべたのでした。