SS 161~

それがどれほど難しくても、きっと僕はこの手を離すことが出来なかったんだと思う。

「蛇。身体は大丈夫?」

「あなたはすぐに心配しますね。わたくしは人の身ほどやわではありませんよ?」

「それでも、蛇に何かあったら嫌なんだよ」

そう言って蛇の身体を抱き締めた。その胎は微かに膨らんでいる。
僕と蛇の愛の結晶。人と神の合いの子。
優しくて蛇を必ず守ってくれるような、そんな子に育って欲しい。
僕はずっと一緒には居られないから。
彼女をどうか、守る存在が欲しかった。
もちろん、純粋に蛇との子は欲しかったけれども。

「早く大きくなって欲しいね」

「十月十日も待てないのですか?あなたは」

呆れたような声だが、その蛇苺のような瞳は柔らかで優しい。
愛おしい蛇。ずっと守っていきたい蛇。なのにどうして僕は人間なのだろう。
僕が人間だから蛇と出逢えたのだとしても、彼女と共に歩めない時間が憎い。この脆い身体が憎い。
蛇は「そこが人間の愛おしいところなのですよ?」と少し前に言っていたけれども。

「蛇。お前はいつか他の男を見るのだろうか」

「どうしてそう思うのですか?」

「蛇の生きる時間はうんと長いから。だから僕は怖いんだよ、お前と別れるその日が」

いや、きっと。

「別れるその日よりも、お前が他の男の元に行く方が、僕には怖い」

「……お馬鹿さんですねぇ」

「もう。僕は本気なのになぁ」

蛇を抱き締めていた体勢から少しずつ身体をずらし、蛇の膝の上に寝転んだ。
蛇はその白い細指で僕の髪を梳いた。
優しい手つきはどこか眠たくなってしまうようなもので。
ああ、ずっとこの時間が続けばいいのになぁ。
ずっと、こんな時が続いて、いつかまた命の果てで輪廻を巡った時に蛇と出逢えたなら。
そんなことを夢想する。

「ね、蛇?」

「なんですか」

「僕のこと、どう思ってる?」

そう言ったら蛇はきょとりとした顔をして、そうして眦を柔らかく細めた。

「大事で、大切な方ですよ」

「……もう。僕が欲しい言葉がそうじゃないの分かっているくせに。でも、今はそれで誤魔化されてあげる」

「ふふ。あなたもなかなか強情ですね」

「神を娶ったんだよ?言霊がどれだけ大事か分かっている。だからこそ、言って欲しい」

「その魂が、繋がれるだけだと言うのに」

「そうして欲しいって言ってるんだけどなあ」

でも、蛇は決してその言葉を言わないんだろうなぁ。
蛇が蛇である限り。何があっても。
僕を大事に想っていてくれているからこそ、言わないのだ。
その言葉が呪いに変わると知っているから。

「蛇」

「はいはい。わたくしの旦那様はとんだ甘えん坊さんですねぇ」

「そうだね、お前にだけだけどね」

「……わたくしのことが邪魔になったら、構わず切り捨ててくださいね」

「蛇?どうしてそんなこと言うの?」

どうしてそんな悲しいことを、覚悟した眼差しで言うのだろうか。

「僕は、決して蛇を離さない。決して」

「あなたは、本当にお馬鹿さん」

へにょりと眉根を歪めて、蛇は仕方がないとばかりにそう言った。





幸せな日々はどこまでも続くものだと思っていた。
子供も生まれたら三人で暮らすものだと思っていた。




なのに、どうして。




子供諸共、蛇が贄にされなければいけないのだ。





その日、僕は初めて人間を殺めた。
蛇を助ける為とはいえ、子を助ける為とはいえ。
この手は血に塗れた。
きっと優しい蛇のことだから、蛇はずっと自分を責めるだろう。
でも、もうなんでも良かった。
蛇が生きて、傍に居てくれるなら。


もう二度と、笑いかけてくれなくても。
もう二度と、優しい声音で話し掛けてくれなくても。


蛇を失うかも知れないと。
あんな思いをするくらいなら、どうでも良かった。


たとえ地獄に堕ちて業火に焼かれ続けても。
僕は永遠に、蛇を、蛇だけを想う。
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