隣の席の土井くん
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雨と嘘
今日雨降るって言ってたっけ。
レポートのために大学の図書館にいれば、激しく窓ガラスを叩く雨の音。
洗濯物は部屋干ししといて良かった。
しかし、この後アルバイトがあるから、こんな雨の中でも図書館を出なければならない。
バッグから折り畳み傘を探したが見当たらず、はたと気づく。
この間のゲリラ豪雨の時、急いでいた友人に貸したままだったことを思い出した。
ここから傘の売っている売店は遠い。
大学を出て近くにあるコンビニも遠い。
さて困った。
とりあえずは出口に向かいながらスマホで雨雲レーダーを調べるも、まだ止みそうにない。
いよいよ困った。
私は図書館の入口で立ち尽くす。
地面を叩きつける幾億もの水の粒を私はただただ呆然と見つめていた。
「伊瀬階さん?どしたの?」
声をかけてきたのは同じ学科の友人だった。
手には透明のビニール傘。
方向からして彼は売店で傘を買ったのだろう。
心の隅で「彼」ではないことに少し落胆したことに、目の前の彼に申し訳なさを感じた。
「傘忘れちゃって。でもこの後バイトなんだ」
「珍しいじゃん。入る?」
「いい?」
踏み出した一歩。
同時に、後ろから引かれた手。
私はバランスを崩し、私の手を引いたであろう者に背中からぶつかる。
引っ張られてぶつかったわけだから私が被害者なのだけれど、「すみません」と咄嗟に口にして離れる。
振り返ってその正体を確かめれば、できすぎた展開に私の胸は忙しなくなる。
「………土井くん?」
彼も図書館にいたのか。
嬉しい偶然にますます胸の鼓動は速くなる。
「伊瀬階さん。俺、傘二本あるから貸すよ」
掴めそうなほどのウンザリする湿度を吹き飛ばすかのような笑顔がそこにある。
「知り合い?じゃあ俺、この後ゼミだから」
そう言って友人はくるりと背を向けて去って行った。
「ごめんね、ありがとう」
手を振る私をよそに、土井くんはリュックから黒い折り畳み傘を取り出し広げる。
「じゃあ行こうか」
彼の手には折り畳み傘が一本。
先ほど彼が言った話と辻褄が合わない。
どういう事かと彼を見つめれば、「鈍感」と土井くんは確かに呟いた。
口を尖らせて確かにそう呟いた。
何故そんな事を言うのか。
そんなまさか。
まさかそんな。
都合の良い解釈が浮かぶも、私はそれをクシャクシャと小さく丸める。
「ほら、バイト遅れちゃう」
雨音と私の鼓動、どちらが煩いのだろう。
彼の隣に一歩踏み出す。
「この傘小さいから、もっと寄らないと濡れるよ?」
「は、はい」
ふっと彼は笑った気がした。否、笑われた気がした。
濡れないようにするには肩が触れる。
服越しだというのに、そこから彼の体温が伝わって、頬が熱くなっていくのが分かる。
「バイトは何時まで?」
「10時まで」
「その時も雨降ってたら迎えに行くよ」
「えっ、悪いよ、買うから大丈夫だよ」
またしても土井くんは、ふっと笑う。
「鈍感だなあ、もう」
今度ははっきりと言われてしまった。
何故か笑いながらも悲しそうな様子で。
既に大学を出て、駅へ向かう大通りを歩いていた。
バイト先まであと少し。
言われっぱなしは嫌だった。
「じゃあ……雨が降ってなくても迎えに来てくれてもいいかな?」
「えっ?!」
土井くんはどんな表情をしているのか分からないけれど、裏返った声からして焦っているのだろう。
まさかの彼の反応に今度は私が慌てた。
「ごめん……土井くんも忙しいのに」
慌てて彼を見れば、頬を赤くしていた。
「いや、大丈夫!行くよ!絶対」
何度も頷く土井くんに、今度は私がふふっと笑う。
その反応からして、クシャクシャに丸めた私の都合の良い解釈は、事実へと変わる。
「良かった……」
「……うん」
肩が触れる。
すぐ近くに土井くんの顔があって、困ったような笑顔を浮かべていた。
「ごめん」
「何で?」
「勢いで嘘言って。肩濡れちゃってる」
何故嘘を付いたのか。
自惚れてもいいのだろうか。
「違う男と相合い傘してるところなんて、見たくない」
仄暗い土井君の声は、雨と共にアスファルトに落ちていった。
土井君を見れば伏し目がちの彼の横顔がすぐ傍にある。
私の視線に気が付いてはっと顔を上げてこちらを見た土井君は、取り繕うように笑っていた。
「ごめん。恋人でもないくせに見苦しいな」
笑っているのに苦しそうな表情の彼を笑顔にさせたくて、私はずっと握り締めて彼に見せないでいた気持ちを曝け出した。
「ううん。嬉しいよ」
丸く見開かれた彼の目は、徐々にくすぐったそうに細められていく。
バイト先に着いてしまった。
人通りが多いから、ずっと立ち止まっているわけにもいかない。
「じゃあ、また」
「うん」
数時間後にまた会える。
そんな嬉しさと気恥ずかしさから、土井くんも私もそっけない挨拶だった。
帰りは雨が止んで、手を繫げたらいいな。
なんて思っていたら、土井くんはバイト上がりの私の手を無言で絡めてきたのだった。
ーーー
ビニール傘に当たる雨音を聞きながら帰るスーパーの帰り道。
隣を歩く朱美を見れば赤面していたので訳を聞けばまたしても「土井くん」の夢を最近見たらしい。
夢のなかの大学生になった私と一つの傘の下、とうとう両思いになったとか。
「それはよかったよかった」
「あんまり良かったと思ってなさそうですね」
傘を差して、もう片方の手にはビニール袋からネギが顔を出していた。
「朱美と同じ年齢で、同じ大学に通っていたら、どう付き合っていたんだろうな」
「え」
つまり彼女の夢の中に出てきた自分さえも妬ましいのだ。
「そうですね。レポートを一緒にやろう、とか、同じ共通科目を受けようとか…お互いが色んな理由を付けて一緒になろうと思いますよ」
「そうかもしれんな」
律儀に答えてくれた朱美が愛おしくて、私はほんの少し身を屈め、彼女の唇に口を落とした。
予想外だったらしい朱美は慌てた様子で私から離れたから、降り注ぐ雨粒の餌食になる。
「ほら、濡れるぞ」
私は彼女の傍に寄る。
「だ、だってこんなところで」
「誰もいない」
きっとこの世界に生まれていて同じ大学で君と出会ったら、確かに色んな理由を付けて一緒にいて、こんな風に隙を見ては唇を攫うのだろう。