夢のなかシリーズ
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夢のなかは
夕陽が窓から差し込んできたから、朱美はリビングの窓のカーテンを引く。
テレビを見ていた弟は夕陽が液晶に映り込んで見づらかったのだろう。閉めたとき「サンキュー」ととりあえずの礼を言った。
そんな弟の態度に腹が立つ。
弟がクラスメイト全員を家に連れて来て起きた一騒動を思い出したからだ。
「あ!」
カーテンの端がまだ汚れていた。
「もー、こんな所にまで」
溜息を付きながら私は雑巾を濡らして拭き取る。
その様子を見ていた母は、
「全く、いつもいつもアンタとその友達は家を汚すわ散らかすわ。ほんと参っちゃう」
と、鍋やフライパンを洗う手を止めず、カウンターキッチンから顔を覗かせ、末っ子のきり丸に小言を言う。
今日の山田家は忙しい。
何しろ夜に長男の利吉兄さんの就職祝いを行うからだ。
母は腕によりをかけてご馳走を作った。
私も母の手伝いをした。
「あら、煮物の味付けも唐揚げもバッチリね」
と母はウィンクしてくれた。
母も私も忙しなく夕食の準備をしているというのに、末っ子のきり丸は中学生になっても、いや中学生だからなのか、ソファで横になって携帯ゲームをやりながら更にテレビまで見ていた。
日が沈んだころ、長女の照代姉さんが帰ってきた。手には駅前のケーキ屋の箱を持っていた。
「ただいま。ケーキ買ってきちゃった」
「あらぁ、デザートあるのに」
「お母さんの杏仁豆腐だよ」
「伝子スペシャルよ」
「いいじゃない。どっちも食べれば」
太る一方じゃん。と呟いた末っ子の呟きを聞き漏らさなかった照代姉さんは通り様にきり丸の頭を叩く。
「今日は早いね」
ケーキの箱を冷蔵庫にしまいながら、照代姉さんに話しかけた。
「うん。今日は早めに切り上げて帰ってきたの。朱美こそ今日は5限までじゃないの?」
「ラッキーなことに午後はまるまる休講になったの」
「あ!きり丸!今日も友達呼んだわけ?!ここに鼻水の水たまりがあるわよ!」
テーブルの脚の下にある水たまりを見つけた照代姉さんは、ティッシュ箱をきり丸に渡し、拭くように命令した。
「何でおれが拭かなきゃならないんだよ。姉さんが気付いたんなら自分で拭いて…痛!」
「なんで私が拭かなきゃならないのよ。ていうか今日は土井さんが来るんだから、綺麗にしてなきゃ恥ずかしいでしょ」
照代姉さんの口から飛び出した言葉に胸が更に高鳴る。
兄が帰ってくるまでまだ時間があるのに、私はソワソワしっぱなしだった。
まめに洗面台に行っては髪を整えていたり、メイクが崩れていないか確認した。
その姿を、スーツから私服に着替えてきた照代姉さんに見つかりニヤニヤされる。
「今からそんなにドキドキしててどうするのよ」
「ドキドキしてないよ!」
「はいはーい」
そんな風なやりとりを数回していたらあっという間に夜になり、玄関の鍵がガチャリと開く音が聞こえてきた。間もなく二人分の足音がリビングに近づいてきた。兄とスーツ姿の待ち望んでいたあの人が入ってくる。
「利吉、おかえり。半助さんもこんばんは」
「ただいま」
「お邪魔します伝子さん。今日は呼んでいただきありがとうございます」
兄はリビングに入るなり
「きり丸。…郵便受けに喜三太君のナメクジがいたからな」
と、冷ややかな視線を弟に送りながら、そのまま二階の部屋に上がっていってしまった。
弟は急いで外に出て行った。
「よろしいのですか?私もご一緒させていただいて」
「あらいいのよぉ、むしろ嬉しいわ。主人も是非と言ってましたし」
「土井さん。こんばんは」
前髪は変じゃないだろうか。
メイクも濃すぎではないだろうか。
あんなに鏡の前で確認したはずなのに不安になる。
半助さんは私ににっこりと笑いかける。
「こんばんは」
それだけで心は蕩ける。
カウンターキッチン越しに、照代姉さんがニヤニヤしながらグラスにお茶を注いでいた。
兄が降りてくると、外から戻ってきたきり丸が
「父ちゃん帰ってくるまでスマブラやろ!」
と、ゲーム機本体のスイッチを入れて、コントローラーを半助さん、兄と私に渡してきた。
「あんたホントにゲーム好きね」
「ほんと。その情熱を少しでも勉強に向けてくれれば」
長女と母の小言はきり丸の耳に入っても、反対側の耳へとすり抜けていったようだ。
弟は半助さんの左隣に座る。
「私はあまり強くないからなぁ。きり丸、お手柔らかに頼むぞ」
「半助さん、それじゃつまらないでしょ」
コントローラを握りしめ、半助さんの右隣に座ろうとしたのに、兄がその席を塞ぐ。
何か?
という顔で私を見ている兄。
この兄はこういう意地悪をよくするのだ。
「お兄ちゃん、何で私ばっかり狙うの」
「ちょうどいい所にいるから」
「あっ、利吉兄ちゃん無敵ハンマー取った!おれが取ろうとしてたのに」
「なら取られる前に取れ。半助先輩、自爆してますよ」
「どうも苦手なんだよなぁ」
忙しなくコントローラの操作音が響く。
半助さんのキャラクターは足場のないところに飛び出してしまい、そのまま落ちてしまった。何でも完璧にこなせるのに、ゲームが苦手な半助さん。ぎこちない手つきで操作するところすら愛おしい。
兄が執拗に私を狙うのは、単にやられるときの私の反応が面白いからに違いない。
あっという間に兄の手によって私の残機はゼロになってしまった。
「ほんっと意地悪だよね。兄としての優しさゼロだよ」
私は兄を睨む。しかし兄は返事もせず、残りの二人のキャラをゆるく倒していた。
「妹さんにも容赦しないな、利吉くんは」
「社会では誰も手加減してくれない。それを教えてやってるんです。優しいでしょう」
「さっそく社会人ぶっちゃって」
半助さんは声をあげて笑った。
程なくしてお父さんが帰ってきた。
半助さんはコントローラーを置いて、母と共に玄関へ向かった。
「お帰りなさい」
「うむ。お、半助、久しぶりだな」
「お久しぶりです。お邪魔しております」
そんな会話が聞こえてくる。
半助さんは、兄と同じ大学に通っていて、卒業後は父と同じ学校の教師を務めている。
こんなに格好いい先生に教えてもらえる生徒は何て幸せなんだろう。
ゲーム機をスリープモードにすると、きり丸が不満そうな声をあげたけれど、テーブルにつくよう促した。
さて、こうして兄の就職祝いが始まった。
ジュースとビールで乾杯する。
私が作った料理をいつ半助さんが食べてくれるのか気が気じゃなかった。
ついに唐揚げを口にしたとき、私が作ったことを母が打ち明けると、半助さんは驚いていた。
「とっても美味しいよ」
「ありがとうございます」
父も急いで食べて「うまいな」と、褒めてくれた。
あっという間にテーブルの上の料理は無くなり、杏仁豆腐と照代姉さんが買ってきたケーキを食べるとお腹が一杯で苦しかった。
しばらく父と兄と半助さんだけで話をしていたが、いい時間になり、半助さんが帰る時間になった。
「また来てくれ」
「はい。今日はありがとうございました。ごちそうさまでした」
玄関で靴を履く半助さんを寂しい気持ちで見送る。兄は見送りのため、一緒に靴を履いている。
「帰りにコンビニに寄るけど、一緒に行くか?」
その言葉に私は素直に頷いた。
兄よありがとう。
きり丸も行こうとしたけど、父と母と姉に「宿題は?」と聞かれ、それは叶わなかった。
駅までの道のり。兄が私をからかい、半助さんは笑いながら兄を諫めるという流れを繰り返していると、あっという間に駅に着いてしまった。
「ちょっと友達から電話きてたから、かけ直してくるよ。そのままコンビニに寄るから、あとは半助さんをよろしく。では半助さん、今日はありがとうございました」
そう言ってスマホをいじりながらコンビニへと向かう兄、いや、お兄様の背中はあっという間に雑踏の中へ消えていく。
「気を遣われちゃったね」
「半助さんが帰った後、コンビニに行ったらドヤ顔の兄が待ってますよ」
半助さんは笑いながら、私の手を繋いだ。
ようやく恋人らしいやりとりができた。
「ゴメンね。なかなか会えなくて」
「……大丈夫……じゃないです」
あまり長くはいられない。
「朱美」
半助さんの柔らかい声が、私の中の寂しさをあっという間に溶かしていく。
半助さんは私の髪を撫でて、そして、ほんの一瞬だけの口づけをした。
私は跳ね起きた。
心臓がバクバクと激しく音を立てている。
ここは忍術学園の教員長屋。
私の世界でもないし、山田家の次女でもない。そして……土井先生は私の恋人ではない。
凄い夢を見てしまったものだ。
誰かに打ち明けたいけれど、誰に打ち明けよう。
私は着替えを済ませて長屋を出れば、そこには土井先生が立っていた。
「おはよう」
「おはようございます」
夢の中で恋人役になっていただいて申し訳ありませんでした。
笑顔で答えつつ、胸に罪悪感が煙のように纏わり付いていた。
それでも、
とても幸せな夢だった。