鬼の手短編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
君を探していたんだよ
ああ、やだやだ。
何がやだって。それはもう色々とだ。
先程まで全学年の先生達との大忘年会だった。
席は自然と学年毎に固まって座っていたから、鵺野先生は律子先生の隣だった。
律子先生にお酌されてデレデレする鵺野先生を見るのは正直………不快だった。
そしてそれをやれ「お似合い」だとか「美女と野獣」だとか面白そうに囃し立てる周りの先生達も嫌だし、その事に慌てたり怒ったりする鵺野先生と律子先生も嫌だった。
それに鵺野先生は野獣じゃない。鬼だ。
だから、つい飲みすぎてしまった。
酒に強い学年主任に珍しがられたけれど、もうやけになって主任のペースに合わせて飲んだのだ。
最若手である山内先生にも「道明先生すっげ飲みますね」と珍しがられながら、彼はコーラをガブガブと飲んでいた。
ちなみに彼はお酒は嫌いで、コーラの方が千倍美味いということで酒の席ではコーラしか頼まない。
そして今、猛烈に頭が痛いし、フラフラする。
解散のときも鵺野先生はキョロキョロとしていたけれど、律子先生に話しかけられてそれはそれは楽しそうに話しているからもう知らないと私はさっさと駅に向かうことにした。
駅前の飲み屋が連なる通りは、私と同じような忘年会帰りのサラリーマンやら学生やらが溢れていて、光と音の波が私の頭を刺激する。
脳は刺激を敏感に察知するくせに、感覚は膜を張ったように鈍い。
それでも駅へと歩く。
どうせ。
どうせ私の片想いなんだ。
鵺野先生なんて。
鵺野先生なんて、
ドジで間抜けで助平で。
………でも、とても生徒想いで。
「あれ?お姉さん大丈夫?」
身体も心も最悪な状況なのに、これ以上の追い打ちをかけてくる。
若い男二人組が私の行く手を阻んだのだ。
冷たい風が吹いてこちとら耳や頬が痛いのに、彼らはそれほど防寒性のないジャケットとシャツを着ていて、ヘラヘラと笑っている。
「だいぶ酔ってない?」
「あ。大丈夫ですので」
そう言って私は二人を避けて歩き出しだが、再び私の前に立ってくる。
「いやいやいや」
「全然大丈夫そうじゃないでしょ」
男二人はゲラゲラ笑いながらも、その目は私を無遠慮に見つめている。
この時期のこの時間。
私達の様子など周りは誰も気にとめない。
困ったなと思っていると、二人のうちの一人に腕を掴まれた。
「ちょっとこっちで休もう?」
「その方がいいでしょ?」
そう言って路地裏へと引き込もうとした。
路地裏の先はホテル街だ。
まずい。
「いや。結構ですってば」
「はいはい〜」
「行きましょー」
片腕のみだったのに、もう一人からも腕を掴まれ、いよいよ逃れられなくなる。
アルコールによりぼんやりとした意識が覚醒し、肌は粟立ち、危機感から心臓がバクバクする。
振り切ろうと懸命に抵抗するも力の差でどうにもならない。
「やだってば………やめて………やだ!」
ああ。
もう本当にやだ。
「俺の彼女に手を出すな!」
背後からの怒声。
その直後にぐい、と肩を掴まれ後ろに引かれた。
ぽかんとする男二人。
私も何が何やら分からぬまま、私の肩を掴んで引いた人物に寄りかかる形になる。
両肩に大きな手が乗っかかり、暖かい。
背中から荒い呼吸をしているのが分かった。
「もう一度言う。俺の彼女に手を出すな!」
間違いない。
その声は間違いなく鵺野先生だ。
左肩を見れば黒い手袋をはめている手がある。
顔を上げて確かめればやっぱりそうだった。
酒で頬は高潮しているものの、大きく見開かれた瞳で二人を見下ろし、口調ははっきりとしていた。
鵺野先生ほど身長も無く、ガタイも良くない二人組は我に返り「んだよ」と独り言めいた不満を呟いている。
「なら独りでほっつき歩くなっつーの」
これは私への恨み言なのだろうか。
何か言い返したかったけれど、捨て台詞として二人は路地裏へと消えていったから、これでいいのだろう。
年末のざわつきのなか、私達はしばし固まったままだった。
厄介事が去った安堵感によって頭痛がまた更に酷くなり、気だるさで動けなかったのだ。
でも、後ろの鵺野先生も何故だか動かないのは分からない。
もしかしなくても私が鵺野先生に寄りかかっているから動けないのかもしれない。
「あ、あの。道明先生……?」
「はい?」
「大丈夫………ですか?」
「あ。はい」
大丈夫だと証明するために私は先生から背中を離し、向き合う。
「助けていただきありがとうございました。お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません。それで鵺野先生は二次会には行かれないんですか?」
呂律は回っている、と思いたい。
ブーツのつま先を見ながら一息で話すが、鵺野先生の返事は一向に返ってこない。
だから先生を見た。
先生は少しむっとした様子だったのが予想外だった。ほんの少しだけ唇を突き出して、つまらなそうに眉を寄せて私を見ていたのだ。
「先生?」
問い直せばため息まで付かれてしまった。
つまらなそうな表情から一転、心底悲しそうな顔をした。彼の太い眉がハの字になっている。
「どうせ俺だけなんだ」
ため息の中から漏れた呟きに耳を疑う。
「え、…」
「いーえ、独り言です」
ずいと顔を近づかれる。
太い眉に丸い瞳。
通った鼻筋。
その顔が私を見ているという事実に、私は気恥ずかしさでまたもや俯いてしまう。
「俺は探してたんです!道明先生を!なのにそんな言い方はないでしょう!」
腰に手を当てて語気強く言う鵺野先生からはお説教モードが漂う。
相変わらず顔が近い。
先生も酒臭いけど、私も相当だろう。
「そうして探してたら変な奴に絡まれてて!いても立ってもいられなくて、つい!」
あ。
私も鵺野先生も言葉を発さなかったが、同時に「あ」の口になった。
『俺の彼女に手を出すな!』
きっと同じ場面をリフレインしていることだろう。
― 俺の彼女。
あの人達を追い払うための嘘。
だからそこに何の意味もない。
そうだとしても、あの気迫で放たれた言葉に胸が高鳴る。
「「あの!」」
言葉が重なり、私達はどちらも口をつぐんだが、また次の瞬間
「「さっきの!」」
と、再び被ってしまった。
「「………」」
だから今度こそ黙っていようと口を閉ざしていたら、鵺野先生も一向に喋らず、私と同じく相手をずっと見つめたままだった。
つまり、私達は見つめ合ったままだった。
紅いのが頬だけではなくなった鵺野先生は、ぽりぽりと頬を指で搔く。
私も居心地が悪くなって自分の頭を撫でつけた。
「さっきのは、その………」
喧騒の中でも先生の小さな声はまっすぐに私に届く。
「はい」
「えーと、………」
この先の先生の言葉は何なのだろう。
好奇心と恐怖心がまぜこぜになって、何か言わなくてはという焦りで、私は口を開く。
「さっきの。追い払うための嘘だって分かってますから」
「………え?」
途端、先生は雑踏に取り残された子どものような心細い瞳になる。
「お手数をおかけしました。せっかく探していただいたところすみませんが、私は二次会には行きませんよ」
ふらつく足を踏ん張って、私は笑みを貼り付ける。
「鵺野先生は行かれるのですか?それなら早く行かないと。皆さん待ってますよ?」
思い出されるのはさっきまでの仲睦まじげな鵺野先生と律子先生。収めていたムカムカが這い上ってくる。
酔いにより胸の内を曝け出すことに抵抗が無くなっていた。
「特に、律子先生とか」
「律子先生?!」
何故か素っ頓狂な声を上げる鵺野先生が腹立たしかった。
「なにとぼけてんですか。さっきまであーんなに仲良かったくせに」
ああ、今私はイヤな笑顔を浮かべているな。
片方の口端しか吊り上がっていない歪な笑みを。
酔って目が虚ろで歪んだ笑みで。さぞ醜い顔をしているだろう。
さっさと帰ろう。それがいい。
先生はぽかんとしたまま突っ立っている。
今のうちだ。
きっと帰りの電車でこの言動に後悔するに決まっているけれど、もう、知らない。
「それではお疲れ様です。今年もお世話になりました。良い、お年…………を」
とうとう酔いが来て倒れてしまったのかと思った。
それくらい唐突に体が傾いたのだ。
そして体が傾いたのは鵺野先生が私を抱き寄せたからだと気がついたのは、すっぽりと先生の中に収まってしまってからだった。
先生も薄いジャケットで前を開けていたっけ。
寒くないのだろうか。
でもワイシャツにぴったりと頬を押し付けられて、そこから伝わってくるのは確かな温もりと煩い鼓動だった。
「『俺の彼女』は俺の願望です!」
それは殆ど叫び声だった。
先生の声が胸からも口からも聞こえてきて私の胸を突き刺す。
「俺の勝手な願望ですから………!!」
先生の腕に力がこもるから苦しい。
「鵺野先生…っ……」
私の声にはっとしたように先生は慌てて離してくれた。
先生の顔は苦しそうに歪められている。
私の胸は切なさで苦しくてたまらなくなった。
よせばいいのに律子先生に怖い話をして殴られる時の情けない顔でもない。
金欠でお腹を空かせて机に突っ伏しているやつれた顔でもない。
生徒たちと他愛もない事でふざけている顔でも、怨霊と戦う勇ましい顔でもない。
そんな顔をしないで。
そんな顔をしないでほしい。
「………勝手な、願望じゃ……ないです…」
私の呟きに鵺野先生は更に瞳を大きく開かせた。
「それって」
「………私の願望でも…ありますから………だから、勝手じゃないです」
先生の瞳が、辺り一帯の光を吸い込んだように潤みだした。
「それって…それって……」
「例え嘘でも、彼女って言ってくれて………嬉しかったです」
「つ、つつつつつまり」
ガシッと両肩を捕まれ、泣きそうな顔で私に迫る。
「だ。だから!!」
徐々に顔を近づけてくる先生。
息がかかるほど近かった。
「私は…鵺野先生が………!」
「好きです」
そう囁かれ、じんと胸が甘く痺れた。
反則だ。
「俺は道明先生が好きです!」
肩は以前と掴まれたままだけど少し顔を離し、今度は正々堂々と言われる。
勢いに任せ、私もこくこくと何度も頷く。
「わ、私も!!」
そう言えば彼の顔はぱあっと明るくなる。
少年のような無垢な顔になり、とくんとあの頃の甘酸っぱい気持ちが蘇ってきた。
「先生………!」
しかし先生は次の瞬間、顔から出るものが全部出て、号泣し始めたのだ。
「う、うれじいでずぅぅぅぅぅ!!!ぜんぜいぃぃぃぃ!」
そして私を再び抱きしめた。
それは強く強く。
「ぬ、えの………ぜん、ぜ、い」
まずい。
忘れていた頭痛が蘇り、むしろ胃から一次会で押し込めたものが込み上げてくる。
「俺!大事にします!大事にしますから!!」
それならば離してほしい。
本来なら嬉しくて仕方がない展開なのに、私はもう一刻も早く解放されたくて仕方がなかった。
ああ、やだやだ。
何がやだって。それはもう色々とだ。
先程まで全学年の先生達との大忘年会だった。
席は自然と学年毎に固まって座っていたから、鵺野先生は律子先生の隣だった。
律子先生にお酌されてデレデレする鵺野先生を見るのは正直………不快だった。
そしてそれをやれ「お似合い」だとか「美女と野獣」だとか面白そうに囃し立てる周りの先生達も嫌だし、その事に慌てたり怒ったりする鵺野先生と律子先生も嫌だった。
それに鵺野先生は野獣じゃない。鬼だ。
だから、つい飲みすぎてしまった。
酒に強い学年主任に珍しがられたけれど、もうやけになって主任のペースに合わせて飲んだのだ。
最若手である山内先生にも「道明先生すっげ飲みますね」と珍しがられながら、彼はコーラをガブガブと飲んでいた。
ちなみに彼はお酒は嫌いで、コーラの方が千倍美味いということで酒の席ではコーラしか頼まない。
そして今、猛烈に頭が痛いし、フラフラする。
解散のときも鵺野先生はキョロキョロとしていたけれど、律子先生に話しかけられてそれはそれは楽しそうに話しているからもう知らないと私はさっさと駅に向かうことにした。
駅前の飲み屋が連なる通りは、私と同じような忘年会帰りのサラリーマンやら学生やらが溢れていて、光と音の波が私の頭を刺激する。
脳は刺激を敏感に察知するくせに、感覚は膜を張ったように鈍い。
それでも駅へと歩く。
どうせ。
どうせ私の片想いなんだ。
鵺野先生なんて。
鵺野先生なんて、
ドジで間抜けで助平で。
………でも、とても生徒想いで。
「あれ?お姉さん大丈夫?」
身体も心も最悪な状況なのに、これ以上の追い打ちをかけてくる。
若い男二人組が私の行く手を阻んだのだ。
冷たい風が吹いてこちとら耳や頬が痛いのに、彼らはそれほど防寒性のないジャケットとシャツを着ていて、ヘラヘラと笑っている。
「だいぶ酔ってない?」
「あ。大丈夫ですので」
そう言って私は二人を避けて歩き出しだが、再び私の前に立ってくる。
「いやいやいや」
「全然大丈夫そうじゃないでしょ」
男二人はゲラゲラ笑いながらも、その目は私を無遠慮に見つめている。
この時期のこの時間。
私達の様子など周りは誰も気にとめない。
困ったなと思っていると、二人のうちの一人に腕を掴まれた。
「ちょっとこっちで休もう?」
「その方がいいでしょ?」
そう言って路地裏へと引き込もうとした。
路地裏の先はホテル街だ。
まずい。
「いや。結構ですってば」
「はいはい〜」
「行きましょー」
片腕のみだったのに、もう一人からも腕を掴まれ、いよいよ逃れられなくなる。
アルコールによりぼんやりとした意識が覚醒し、肌は粟立ち、危機感から心臓がバクバクする。
振り切ろうと懸命に抵抗するも力の差でどうにもならない。
「やだってば………やめて………やだ!」
ああ。
もう本当にやだ。
「俺の彼女に手を出すな!」
背後からの怒声。
その直後にぐい、と肩を掴まれ後ろに引かれた。
ぽかんとする男二人。
私も何が何やら分からぬまま、私の肩を掴んで引いた人物に寄りかかる形になる。
両肩に大きな手が乗っかかり、暖かい。
背中から荒い呼吸をしているのが分かった。
「もう一度言う。俺の彼女に手を出すな!」
間違いない。
その声は間違いなく鵺野先生だ。
左肩を見れば黒い手袋をはめている手がある。
顔を上げて確かめればやっぱりそうだった。
酒で頬は高潮しているものの、大きく見開かれた瞳で二人を見下ろし、口調ははっきりとしていた。
鵺野先生ほど身長も無く、ガタイも良くない二人組は我に返り「んだよ」と独り言めいた不満を呟いている。
「なら独りでほっつき歩くなっつーの」
これは私への恨み言なのだろうか。
何か言い返したかったけれど、捨て台詞として二人は路地裏へと消えていったから、これでいいのだろう。
年末のざわつきのなか、私達はしばし固まったままだった。
厄介事が去った安堵感によって頭痛がまた更に酷くなり、気だるさで動けなかったのだ。
でも、後ろの鵺野先生も何故だか動かないのは分からない。
もしかしなくても私が鵺野先生に寄りかかっているから動けないのかもしれない。
「あ、あの。道明先生……?」
「はい?」
「大丈夫………ですか?」
「あ。はい」
大丈夫だと証明するために私は先生から背中を離し、向き合う。
「助けていただきありがとうございました。お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません。それで鵺野先生は二次会には行かれないんですか?」
呂律は回っている、と思いたい。
ブーツのつま先を見ながら一息で話すが、鵺野先生の返事は一向に返ってこない。
だから先生を見た。
先生は少しむっとした様子だったのが予想外だった。ほんの少しだけ唇を突き出して、つまらなそうに眉を寄せて私を見ていたのだ。
「先生?」
問い直せばため息まで付かれてしまった。
つまらなそうな表情から一転、心底悲しそうな顔をした。彼の太い眉がハの字になっている。
「どうせ俺だけなんだ」
ため息の中から漏れた呟きに耳を疑う。
「え、…」
「いーえ、独り言です」
ずいと顔を近づかれる。
太い眉に丸い瞳。
通った鼻筋。
その顔が私を見ているという事実に、私は気恥ずかしさでまたもや俯いてしまう。
「俺は探してたんです!道明先生を!なのにそんな言い方はないでしょう!」
腰に手を当てて語気強く言う鵺野先生からはお説教モードが漂う。
相変わらず顔が近い。
先生も酒臭いけど、私も相当だろう。
「そうして探してたら変な奴に絡まれてて!いても立ってもいられなくて、つい!」
あ。
私も鵺野先生も言葉を発さなかったが、同時に「あ」の口になった。
『俺の彼女に手を出すな!』
きっと同じ場面をリフレインしていることだろう。
― 俺の彼女。
あの人達を追い払うための嘘。
だからそこに何の意味もない。
そうだとしても、あの気迫で放たれた言葉に胸が高鳴る。
「「あの!」」
言葉が重なり、私達はどちらも口をつぐんだが、また次の瞬間
「「さっきの!」」
と、再び被ってしまった。
「「………」」
だから今度こそ黙っていようと口を閉ざしていたら、鵺野先生も一向に喋らず、私と同じく相手をずっと見つめたままだった。
つまり、私達は見つめ合ったままだった。
紅いのが頬だけではなくなった鵺野先生は、ぽりぽりと頬を指で搔く。
私も居心地が悪くなって自分の頭を撫でつけた。
「さっきのは、その………」
喧騒の中でも先生の小さな声はまっすぐに私に届く。
「はい」
「えーと、………」
この先の先生の言葉は何なのだろう。
好奇心と恐怖心がまぜこぜになって、何か言わなくてはという焦りで、私は口を開く。
「さっきの。追い払うための嘘だって分かってますから」
「………え?」
途端、先生は雑踏に取り残された子どものような心細い瞳になる。
「お手数をおかけしました。せっかく探していただいたところすみませんが、私は二次会には行きませんよ」
ふらつく足を踏ん張って、私は笑みを貼り付ける。
「鵺野先生は行かれるのですか?それなら早く行かないと。皆さん待ってますよ?」
思い出されるのはさっきまでの仲睦まじげな鵺野先生と律子先生。収めていたムカムカが這い上ってくる。
酔いにより胸の内を曝け出すことに抵抗が無くなっていた。
「特に、律子先生とか」
「律子先生?!」
何故か素っ頓狂な声を上げる鵺野先生が腹立たしかった。
「なにとぼけてんですか。さっきまであーんなに仲良かったくせに」
ああ、今私はイヤな笑顔を浮かべているな。
片方の口端しか吊り上がっていない歪な笑みを。
酔って目が虚ろで歪んだ笑みで。さぞ醜い顔をしているだろう。
さっさと帰ろう。それがいい。
先生はぽかんとしたまま突っ立っている。
今のうちだ。
きっと帰りの電車でこの言動に後悔するに決まっているけれど、もう、知らない。
「それではお疲れ様です。今年もお世話になりました。良い、お年…………を」
とうとう酔いが来て倒れてしまったのかと思った。
それくらい唐突に体が傾いたのだ。
そして体が傾いたのは鵺野先生が私を抱き寄せたからだと気がついたのは、すっぽりと先生の中に収まってしまってからだった。
先生も薄いジャケットで前を開けていたっけ。
寒くないのだろうか。
でもワイシャツにぴったりと頬を押し付けられて、そこから伝わってくるのは確かな温もりと煩い鼓動だった。
「『俺の彼女』は俺の願望です!」
それは殆ど叫び声だった。
先生の声が胸からも口からも聞こえてきて私の胸を突き刺す。
「俺の勝手な願望ですから………!!」
先生の腕に力がこもるから苦しい。
「鵺野先生…っ……」
私の声にはっとしたように先生は慌てて離してくれた。
先生の顔は苦しそうに歪められている。
私の胸は切なさで苦しくてたまらなくなった。
よせばいいのに律子先生に怖い話をして殴られる時の情けない顔でもない。
金欠でお腹を空かせて机に突っ伏しているやつれた顔でもない。
生徒たちと他愛もない事でふざけている顔でも、怨霊と戦う勇ましい顔でもない。
そんな顔をしないで。
そんな顔をしないでほしい。
「………勝手な、願望じゃ……ないです…」
私の呟きに鵺野先生は更に瞳を大きく開かせた。
「それって」
「………私の願望でも…ありますから………だから、勝手じゃないです」
先生の瞳が、辺り一帯の光を吸い込んだように潤みだした。
「それって…それって……」
「例え嘘でも、彼女って言ってくれて………嬉しかったです」
「つ、つつつつつまり」
ガシッと両肩を捕まれ、泣きそうな顔で私に迫る。
「だ。だから!!」
徐々に顔を近づけてくる先生。
息がかかるほど近かった。
「私は…鵺野先生が………!」
「好きです」
そう囁かれ、じんと胸が甘く痺れた。
反則だ。
「俺は道明先生が好きです!」
肩は以前と掴まれたままだけど少し顔を離し、今度は正々堂々と言われる。
勢いに任せ、私もこくこくと何度も頷く。
「わ、私も!!」
そう言えば彼の顔はぱあっと明るくなる。
少年のような無垢な顔になり、とくんとあの頃の甘酸っぱい気持ちが蘇ってきた。
「先生………!」
しかし先生は次の瞬間、顔から出るものが全部出て、号泣し始めたのだ。
「う、うれじいでずぅぅぅぅぅ!!!ぜんぜいぃぃぃぃ!」
そして私を再び抱きしめた。
それは強く強く。
「ぬ、えの………ぜん、ぜ、い」
まずい。
忘れていた頭痛が蘇り、むしろ胃から一次会で押し込めたものが込み上げてくる。
「俺!大事にします!大事にしますから!!」
それならば離してほしい。
本来なら嬉しくて仕方がない展開なのに、私はもう一刻も早く解放されたくて仕方がなかった。