白妙
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洗濯する衣類を入れて所定量の洗剤を入れてスイッチオンすれば、後は勝手に洗ってくれる洗濯機はここには存在しない。
麻とはいえ水を吸った衣類を洗濯板に擦り合わせたり、水気を絞るのは一苦労だ。
それでもニヤニヤが止まらない。
私が今洗っている衣は、白地に空色のラインが入った………半助さんの私服だ。
山田先生と半助さんがお仕事で二人で街へ行かれるのを見かけたけれど、半助さんの服は汚れていた。
これではいけないと、帰ってきた半助さんに私は頼みに頼んでやっと首を縦に振ってくれた。
その時の私の喜びように、傍にいた山田先生に苦笑いされたっけ。
今日は休校日。
けれども半助さんは忍装束を着て補習をせねばならないから、こうして洗える。
得意でもないのに歌をついつい口ずさむ。
姪っ子と見た教育番組で流れた洗濯の歌に合わせて、衣を洗濯板に擦り合わせていた。
「あら、やってるわね」
だみ声に私は顔を上げた。
「伝子さん!」
「妙ちくりんな歌を歌っちゃって。随分ご機嫌じゃない」
そう言って私の隣にしゃがめば、花の香りがする。
「だってなかなか洗わせてくれないんですもん」
「変なところで頑固なのよねぇあの人」
「伝子さんも何か洗う物があれば今やってしまいますけど、いかがです?」
「そうねぇ。そうだわ、確か…伝蔵さんの装束が」
人差し指を顎に当てて考える伝子さんの動きはしなやかで、ちっとも男を感じさせないから凄い。
「山田先生…いえ、伝子さん…何をしているんですか」
これから補習の半助さんがやって来た。
洗い場に寄っては遠回りになるのに、わざわざ顔を出してくれた半助さんにドキリとする。
呆れたように私達を見下ろしながら出席簿の角でご自分の肩をとんとんと叩く半助さんは今日もかっこよかった。
私は手を止めてついつい見入ってしまう。
忍装束で出席簿を持つ半助さんを見ると、当たり前だけど忍者で、それでいて先生なんだなあと、しみじみと実感する。
「朱美ちゃんが洗濯してるから、伝蔵さんの服も洗ってもらおうかなぁって」
「なっ………」
半助さんは眉を上げ、表情が険しくなった。
「だって朱美ちゃんが聞いてきたから。ねぇ?」
「はい。伝子さんの服も洗いますよ?」
「………」
ジト目で私達を見てくる半助さんに、伝子さんは上品に笑いながら私の方をパシパシと叩いてきた。
「やあねえ半助ったら。伝蔵さんの服を朱美ちゃんに洗わせたくないみたい」
「………そうなんですか?」
聞き返せば、そうよぉと伝蔵さんは私の肩を叩いた。半助さんを見れば、彼の視線はそっと下を向いた。これは図星なのだろう。
さすがは伝子さんだ。
「半助さんがお嫌でしたら、私、半助さんの服しか洗いませんから!」
「やだわあ朱美ちゃんったらのろけちゃってぇ!!」
顔を染めながら更に私の肩を叩く伝子さんの腕を半助さんは掴み、彼女を立ち上がらせた。
半助さんは少し照れているのだろう。
顔をしかめながらも頰が少し紅かった。
「何よ半助ぇ」
「伝子さん!そろそろお仕事に戻られてはいかがです?」
伝子さんはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「もう!半助こそさっさと補習に行きなさいったら」
半助さんは再びジト目で伝子さんを睨んだ後、校舎の方へと去って行った。
その後ろ姿を見送っていれば、伝子さんはいつの間にかいなくなっていたのだった。
ーーー
半助さんの服を干し終え、腰をトントン叩く。
吊された半助さんの服が陽射しを受けて風に靡く様を見て、私は満足感に浸る。
「さて」
この後の予定は特にない。
書物を読もうか、それとも学園内を散歩しようか、はたまた半助さんの補習授業を盗み聞きしようか。
「よし。全部しよう。校舎前まで散歩して、補習授業を聞きながら読書する」
この世界に帰ってきてからの自分の変化に驚いている。
私は欲張りになった。
否。欲望に素直になった、と言うべきだろうか。
秒単位で、少しでも長く半助さんに触れていたい。
離れていても半助さんを少しでも感じていたい。
だから彼の衣を洗うことが出来てものすごく嬉しいのだ。
こんな思いを知って半助さんは呆れないだろうか。いや、引かれるんじゃないだろうか。
「でも止められないしなぁ」
いつかはこの気持ちも収まるときが来るだろう……と思って既にかなりの時を経過しているから驚きである。
私の足は勝手に校舎へと向かう。
本は既に懐に入れてあるのだ。
「であるからして、忍者にとって侵入しやすい経路、時、場を選ぶことは非常に重要である」
校舎の裏庭にたどり着けば、半助さんの声が聞こえてきた。
補習をしている組なんて、一年は組しかいないから、半助さんの声がいつもよりよく聞こえてきた。
月の光がある時は避けて、宴会で油断しきっているときや、寝静まった時間を狙う。
侵入経路も、排水溝や城の裏門や、敢えて険しい堀から入ったりするのもいいだろう。
忍び口をとる、を習っているのだろうか。
「このように、安全で忍び込みやすい場所を選ぶことを忍び口をとる、という………ってこらぁ!」
あ、やっぱりそうだ。
そしてしんべヱくんが居眠りをしているのか、きり丸が内職をしているのがバレたのか、半助さんの怒声が飛ぶ。
半助さんはこの時間、あの三人組のことしか考えてない。直線距離でいえば10m以内の距離で、こんなにも私が思っているのに。半助さんを独り占めしている三人組が羨ましかった。
「何考えてんだか」
歪んだ嫉妬だ。
手頃な岩に腰掛けて書を開く。
いつしか久作くんに薦められた忍びの歴史を再び借りている。
私の世界でも忍者の解説書を読んだけれど、この世界のこの時代に忍びに関する書物を読むのは何だか不思議だった。
耳からは半助さんの声を聞きながらも、目で文字を追う。
時折聞こえる怒声にくすりとしながらページをめくる一時は、何だか贅沢だった。
「では今日はこれまで!」
その声に私は急いで書を閉じて、教員長屋へとひた走る。
ここにいることが半助さんに知られたら恥ずかしい。
慌てて駆け出すも休校日だから忍装束ではなく小袖だから走りづらい。
「………わっ」
私の前に黒装束が降り立ち、進路を塞がれたから思わず叫んでしまった。
「朱美」
驚いている私が可笑しいのか、半助さんは静かに笑う。
「何故驚くんだ」
「まさか目の前に現れるとは思いませんで」
「急いでいるようだが、どこに行くんだ?」
むしろ半助さんが私の目の前に現れた理由を聞きたかったが、とりあえず質問に答えることにした。
「えーと……部屋に」
「それなら一緒に行こう」
声まで聞けたうえに、一緒に歩ける。
それだけでニヤついてしまう。
「は、はい」
断る理由などない。
私達は自然と肩を並べて長屋まで歩く。
「補習はどうでしたか?」
「朱美も聞いていたんじゃないのか?」
バレていたようだ。
「外出するなり、部屋でのんびりするなりすれば良かったのに」
困ったように笑う半助さんに私の心の中に陰が落ちる。
喜んで衣類を洗い、声が聞きたくてこっそり盗み聞きする私は、客観的に見れば結構気持ち悪いのではないか。
薄々気がついてはいたものの見ないふりをしていたが、いよいよその気持ちの輪郭がハッキリとしてしまう。
半助さんは大きな溜息をついたから、私は身を固くしてしまう。
半助さんにべったりな私に嫌気が差したのではないかと思ったのだ。
「時間がとれなくてごめん。洗濯までしてもらって」
「………え!?」
予想外の言葉に驚いて素っ頓狂な声を上げながら足を止めてしまった。
半助さんも止まって不思議そうに私を見た。
「なぜ驚くんだ」
「だって」
私は気持ちを洗いざらい吐くことにした。
半助さんと一秒でも長く居たいこと。
気配を感じたいことを。
「だから半助さんの服を洗えることも、授業をしている声も聞けるのも、こうして一緒に歩けることも嬉しいんです」
もう、離れることはないのだから。
半助さんは私が語れば語るほど紅くなっていく。
「………ありがとう」
手を口元で覆いながら確かにそう囁いた。
「引かないんですか?」
「むしろ申し訳ないと思っているよ」
「え………」
「何で君が引くんだ!?」
全く。
心外そうに呟く半助さんは歩き始めた。
私も隣を歩くけど、心なしか早足な気がした。
「さっき、私が君の前に現れたか分かるかい?」
半助さんは目を合わせないで尋ねてきた。
「忍者の特性でしょうか?」
ジロリと横目で睨む半助さんだったが、咳払いをする。
「君がいると知って嬉しくなって駆けだしてしまうんだ。まるで子どものようにね」
再び私は歩みを止める。
けれども半助さんは歩き続けている。
「ほら、行こう」
半助さんは振り返り手を差し伸べた。
はにかんだような笑みを浮かべる半助さんは、いつもより幼く見えて、胸の奥で甘い音が鳴る。
「はい!」
小走りで隣に並ぶ。
あまりにも大きな想いに向き合うことが精一杯だったあの頃の自分に言いたい。
恥ずかしくて目をそらしているなんて勿体ない。
勇気を出して彼を見つめてみてほしい。
きっと貴女と同じように顔を紅くさせているから。
目が合えば、彼は困ったように、けれども、とても幸せそうに微笑みかけてくれるから。
今頃、半助さんの衣は風に揺られているだろう。
汚れが落ちて、陽の光に透ける眩しい白さを思い出す。
洗っても、すぐに汚れてしまうのだろう。
だからまた洗わせてもらおう。
それと同じように、募る寂しさもこうやって何度も埋め合っていくのだろう。
「私達、もしかして結構恥ずかしい会話をしてます?」
「もしかしなくてもだな」
まあ、いいか。
半助さんもそう思ったのだろう。静かに笑った後、私の手を握ってきた。
だから私も強く握り返したのだった。