無理はいけない
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朝から彼女は不機嫌だった。
一緒に食堂に行くために教員長屋の前で待っていても、朱美は来なかったので、諦めて食堂に行ってみれば彼女はとうに来ていた。
「朱美、一体どうしたんだ?」
朝食を受け取る時にそっと尋ねても答えてくれない。
伏し目がちで無口な時は不機嫌な証拠だった。
昼も午後も夕食時も彼女は目を合わせてくれなかった。
その日の夜。
いつもの演習小屋へ行っても朱美は来ないから、彼女の部屋へと向かう。
屋根裏から音もなく彼女の傍へ降り立てば、彼女の体は五寸ほど跳ねた。
抗議の声をあげようとしたところで、私は唇で朱美の口を塞いでやる。
押しつけるような色気のない口付けだ。
「何するんですか!!」
唇を離せば、彼女は睨みながら小声で叫ぶ。
「それはこっちの台詞だ。なぜ怒っている」
心当たりは無い。
彼女はじっと私の目を見つめ黙っていた。
「言ってくれ。君の声が聞けなくて…寂しい」
抱き寄せても彼女は腕を回してくれないから、私の心は更に軋む。
「………ちゃん」
やがて暗闇の中に落ちた彼女の呟き。
「なに?」
「ちーちゃん………って誰ですか」
彼女の顔を見れば、切なげに眉を寄せていた。
「近所の子どもにそんな子はいないですし、くノ一教室にもいませんし………」
「まさか………妬いてくれているのかい?」
潤んだ瞳を見つめれば、彼女は顔を背けた。
「自由に解釈してください」
可愛げの無い返答が愛おしい。
私が笑えば、彼女は鋭く睨んできた。
「もう!出てってください!今日はこれでお休みなさい!半助さんが出て行かないなら、私が出てきます!」
「ごめんごめん!」
立ち上がる彼女の腕を慌てて引き、抱き寄せた。
「離して!」
「君が可愛いくて、つい。………不安にさせてごめん」
言いながら強く抱きしめた。
しかし「ちーちゃん」の理由を説明するには勇気がいる。
「私の弱点は知っているだろう」
彼女は腕の中で頷いた。
「忍たま達に示しが付かないから、なんとか克服しようと、食堂のおばちゃんに相談したんだが…なかなか上手くいかなくて」
「相談?」
「あれ等をあだ名で呼んだらどうかと言われてね」
彼女の返事が無い。
だが、彼女の体は小刻みに揺れている。
「………笑ってるな?」
引き剥がせば、彼女は笑ってはいるものの、瞳から涙がぽろぽろと流れていて、頬が濡れている。
私は慌てて彼女の頬を包む。
「笑ってますけど………安心して涙が………すみません」
「何で謝るんだ君は」
もっと怒っていい。
もっと罵っていい。
不安にさせたことを理由にもっと強請っていい。
彼女はいつだってそうだ。
「たぶん、私も無理ですね。あだ名付けたって、好きになんかなれません」
「アレにあだ名を付けるとしたら……ゴ」
「言わないでください」
真顔で彼女は私の口を手で塞いできた。
「あの夜、珍しく半助さんがウトウトしてて……そうしたら」
「……」
情事を終えたあの晩のこと。
溜まった雑務と、昼間の練り物克服のための精神的な疲労によって、不覚にも意識を手放してしまった。
彼女を抱いた後、束の間ではあるが共に横になる時間は、何よりも心安らぐ時間だった。
だから少しの間、眠ってしまった。
よりにもよってそんな時に、竹輪の名前を呼んでしまったわけである。
はっと目を覚ました時、彼女は信じられないものを見るような表情をしていた。
きっと寝落ちした私に対してショックを受けていたのだと思っていたが、どうやら違ったようだ。
さて、そろそろ彼女の手をどけたいところだ。
苦しくてかなわん。
彼女の手首を掴む。
ふと思い出す。
彼女の世界で過ごしたときに見た映画のワンシーン。海を越えた大陸の文化を。
手の甲に口付けをしてみせれば、彼女は真っ赤になったまま固まる。
「誤解は解けましたか?我が姫君」
彼女を見てみれば真っ赤になりながらも、その瞳は呆れの色が混じっていた。
「………半助さん、恥ずかしくないんですか」
「そう言われると恥ずかしくなってくる」
「顔紅い」
ふっと笑いながら私の頬を突く彼女に仕返しをしたくて、不意打ちの口付けをする。
奪うような激しい口付けだ。
彼女は切ない声を漏らしながら、私の袖を掴んでくるのだから堪らない。
唇が繋がれたまま床に押し倒し、いつもの様に情事を行う。
いつもの様に、か。
心に浮かんだ言葉に思わず彼女の唇から離れ、ふっと笑みが溢れた。
彼女は不思議そうに私を見つめたので、
「いや。そんなことを思うなんて贅沢だなと」
「そんなこととは?」
「君を抱けることが当たり前になったということだ」
彼女の頬が緩むも、すぐにニヤリとした笑みを浮かべた。
「悩み事と言えば補習と練り物くらいですか?」
「そうだ」
「そうだ。明後日の朝食に竹輪が出ますよ」
顔を顰める私に彼女は楽しそうに笑っているのだから腹立たしい。
「そうだ。半助さんが『あーん』してくれたら食べてあげますよ」
あの日、彼女にしてあげた時は顔を真っ赤にしていたくせに。
そんなに言うなら本当にやってやるからな?
「本当だな?」
彼女の顎を摘まみ視線を合わせれば、戸惑いに揺れる彼女の瞳。
しまった。と、そんな顔をしている。
「してほしくて言ったんだろう?」
「まさか本当にやるおつもりで?忍たま達の前で?」
「君が望むのなら」
満面の笑みで頷けば、彼女の血の気が引いていく音さえ聞こえてくるほど。
「あの、私がやりますよ。半助さんに!あーんって!」
必死になって言う彼女が可笑しくて仕方がない。
「たとえそんな事をしてくれても私は食べないぞ」
「克服しましょうよ?!」
「なら君もあの虫を克服するかい?」
生物委員が管理している虫獣遁の生物を飼育小屋に近づかないことは知っている。
涙目で首を振る彼女に、どうしても嗜虐心が湧いてしまう。
「君が克服するなら私も頑張ろうと思う」
「……ずるい」
「ね。無理はいけないよ」
手を絡め、耳元で囁く。
そうすると君は逆らえないのがお約束。