続・本編
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「監視カメラの映像受信の妨害に成功した。もう破壊の必要は無い」
『了解』
緊張か焦燥か、もしくはその両方か。
普段より僅かに低いトーンの如月の声と早足の靴音がスピーカーを介して部屋に響く。
私の言葉を復唱し、カルロス・オリヴェイラにも同じように伝えている声が聞こえた。
『・・・大丈夫なんですか』
少し間を置いた後、如月は小声で私にそう聞いた。
その言葉がカルロス・オリヴェイラを指している事は言うまでも無い。
「いや、まだ治療は開始されていない。以前と同様、安定した状態は続いているが―――」
『そんな!それじゃあ何で彼を行かせたんですか、危険過ぎる!』
如月は私の言葉を遮って少し口調を強めて言った。
それがあちらにいるカルロス・オリヴェイラにも聞こえたのか、音の奥で必死に弁解しているような雰囲気が伝わってくる。
それが済んだ頃合いを見計らい、如月に畳み掛けた。
「彼が危険な状態だという事は否定しない。だが君一人では行動の幅が限られ、その分命も危険に晒される事も理解してもらいたい」
『でも』
「君が死ぬという事は、君の血清で助かるはずの彼の命も失われるという事だ。分かるか?」
『・・・っ』
如月は反論しようとした言葉をぐっと飲み込む。
『・・・、・・・はぁ』
無責任だ、とでも言いたげな含みを持たせた溜息が遠くで聞こえたような気がした。
それに特に反応もせず、私は「健闘を祈る」という一言置いて通信を切った。
スクリーンの一つにB-87実験室に映し、α型の様子を窺う。
迅速な救助活動の為、あらかじめ調整液の抜かれた水槽の中。
ぐったりと座り込み、目を瞑り、呼吸を繰り返し静かに眠るその姿に小さな不安を覚えた。
「・・・頼んだぞ、如月・・・」
ふっと口をついて出た言葉が聞こえたのか、研究員の一人が私を横目で見る。
それが一瞬の事ならば気になどしなかったが、その研究員はやけに長い時間、目を見開いて私を見つめている。
「何だ」
「!!い、いえ!!」
私が目も合わせず聞くと、研究員は慌てて自らの作業に戻る。
「(そうか)」
その様子を見て初めて気が付いた。
認めたくは無い。
だがこれは事実だ。
私は君に期待しているんだよ、如月聖。
***
「ここに戻って来たのは俺の意志だ」
僕を先頭に、廊下を駆け足で抜けながらはっきりと聞こえる声でカルロスはそう答えた。
「・・・U.B.C.S.に再入隊した」
「え?」
その答えに思わず足を止めて振り返るとカルロスも同じように足を止め、静かに話し始めた。
事件が起こった時に真っ先に現地で行動できるのは他でも無い、アンブレラ直属の部隊であるU.B.C.S.―――ラクーンシティ事件当時にカルロスがその身を預けていた、アンブレラバイオハザード対策部隊。
彼等に任される任務の中には、アンブレラ社にとって不都合な“生物”の処理は勿論のこと、実験生物製造の機密情報の破棄という項目があったとカルロスは言う。
「機密情報―――まさか、その為に?」
「ああ、シンプルでいいだろ?任務に紛れて、あいつらの消したい情報を手に入れるってわけだ」
「それは良い考えだと思うけど・・・単独じゃ危険過ぎるよ」
「そうか?」
あっけらかんとそう答えるカルロス。
「だってこの前は監視員―――ニコライみたいなスパイもいたんだ、次の任務にも潜り込んでくる可能性は低くない。下手に動く事は出来ないよ」
「そこは俺が『ここ』で何とかすりゃいい話だろ」
カルロスはそう言いながら自分の腕をぽんぽんと叩き、白い歯をにっと見せて笑う。
この自信と行動力こそが彼の持ち味であり良い所なのは確かだが・・・いや、しかし。
「君が失敗するとは思わないけど、それでも―――」
「アンブレラに戻る事は俺が望んだ事だ。後悔は、頼まれてもしてやらねぇ」
「カルロス・・・」
しつこく食い下がる僕を両手で制しながら、呆れた顔でカルロスは溜息をついた。
「あー、あー、分かった、分かった。なぁ、いいか?聖、お前の悪い所を教えてやる」
「へ?」
「・・・これが終わったらな。ほら、足止めてる場合じゃねぇぞ」
カルロスは僕を追い越し、曲がり角で足を止める。少しだけ身を乗り出して通路の奥を確認し、異状が無い事を確かめると後方で待機する僕に合図した。
今度はカルロスを先頭に、僕達は慎重に通路を進んでいく。
「―――聖、お前は?」
「え?」
「お前はどうしてここにいるんだよ」
「えっ」
確かに、僕がカルロスにここにいる理由を聞いたなら、カルロスが僕にここにいる理由を聞くのも当然か。
彼に隠し事をする気は無い。だが、言うべきであろう事が多過ぎてどれから話せばいいか見当もつかないのが現状だった。
拗れに拗れた話を上手く表現する事が出来ず、必死に短い言葉にしようとして僕の口から出たその言葉。
「な、成り行き、かな?」
それを聞いたカルロスは驚いた様な、呆れた様な顔で僕を振り返り、再びゆっくりと深い溜息をついた。
「・・・ああ。後で、な」
予備電源によって動作を続けていた自動扉をくぐり、僕達はある部屋に辿り着いた。
大きめのデスクがいくつか点在し、その上には書類と飲みかけのコーヒー。
ずらりと立ち並ぶ無機質なステンレス製の棚には、大量のファイルがアルファベット順に陳列されている。資料室だろうか。
あまり視界は開けておらず、非常灯のランプに足元のみが照らし出されたこの薄暗闇では尚更視界が悪い。
僕達は目を凝らしながら、一歩一歩部屋の中を進んで行った。
「・・・!」
ふと、僕の目が「何か」を捉える。
咄嗟に物陰に隠れ、動かず、意識を集中して耳を澄ませた。
自分の心臓の鼓動。
弾薬が箱の中で擦れ合う金属音。
衣擦れの音。
カルロスの呼吸音。
そのどれとも違う「音」が、この空間には存在した。
「(・・・聖)」
「(ああ)」
脳裏に染み込んでいる低く地面を這うような唸り声が、空気を鈍く震わせている。
それは紛れも無く、言語を扱う知能を破壊され、動物の様に呻く事しか出来なくなった『人間』の声だった。
それも単体ではなく複数―――右に二体、左に一体・・・闇の奥に目を凝らすと薄らとではあるが、少なくとも三体は肉眼で確認出来る。
実際は他にも数体いるのだろうと、重なり合う声が僕にそう感じさせた。
非常灯の青白い光が、そのグロテスクな容姿の不気味さに拍車をかける。
久々に聞く重なり合う鈍重な声は、僕の中で薄れかけていた恐怖を掻きむしり始めた。
ゆったりとした動きで部屋を徘徊するゾンビ達。
確認出来る限りの全ての個体が似たような衣服を纏い、かつ、同程度の体躯をしている。
恐らくは、『実験材料』としてあの姿になったのだろう。
だが、もうその姿に哀れみを抱いてはいられない。僕達は目を見合わせ小さく頷いた後、同時に動いた。
カルロスと左右に分かれ、僕は右の二体に狙いを定める。
ゾンビがこちらの存在に気が付く前にハンドガンを素早く引き抜き、それぞれの頭に何発かの銃弾を撃ち込んだ。
カルロスが左の一体を片付け奥に進むのを見計らい、僕も更に奥へ動く。
すると今まで見えなかった数体のゾンビが一斉にこちらを向き、僕への距離を詰めてきた。
腐敗した喉を通る唸り声の主たちは鈍重な足取りでひたすらに僕を追う。そこに恐怖こそ感じるものの、最早脅威は感じなかった。
ゾンビは今までに見たどの生物兵器よりも動きが鈍く、こちらに対抗できる武器があれば単体ではほとんど無力な存在だということは『経験』から分かっている。
僕は全員の位置と距離を確かめ、再びハンドガンを構えた。
しかし。
「ッ!?」
内の一匹―――僕が狙おうとしたゾンビよりやや後方に、その姿は見えた。
「(は、速い!?)」
周りのゾンビを押しのけるようにして机を飛び越し、歯を剥き出しにしながら僕に向かってくるそのゾンビの足取りは歩くというよりは殆ど走っていると言った方が正しかった。
瞬く間に僕とゾンビの距離は更に狭くなっていく。
その時、ふと気になった。
足下の非常灯からこぼれる微かな明かりによって照らし出されたその容貌は、今までの個体と何かが違っていた。
見開かれ充血した瞳、口の端に溜まる泡とそこから吹き出す荒い息。
その面相こそ人間離れしているが、皮膚―――体の表面に、著しい腐敗が見受けられないのだ。
観察を続けながら周囲のゾンビをハンドガンで牽制し、比較的スペースが広い場所へ移動した。
本来なら複数の敵と戦闘をする場合、多方向からの攻撃を防止する為に大きく開けた様な場所は避けるのが好ましい。
机や棚、機材などの物陰を利用して上手く立ち回るべきなのだが、この場所には不慣れな上に視界も悪い。そんな場所で狭い場所を移動するのは逆に危険だった。
「(よし―――)・・・あれっ?」
正面から凄まじい勢いで向かってくるゾンビに向かって再び引き金を引いた僕の指は、やけに軽い衝撃に襲われた。
もう一度。
更に、もう一度。
何度引き金を引いたところで、ハンドガンから銃弾が発射されることは無かった。
「(た、弾切れ・・・!?)」
・・・弾薬の数を数え忘れるとは、S.T.A.R.S.の一員としてあるまじき失態。
僕が悔しさと恥ずかしさで肩を落としている間に、ゾンビの牙はすぐそこまで迫っていた。
自嘲も程々にハンドガンをベルトに納め、姿勢を正し、呼吸を整え、左足を軸に身体を回転させ―――
「!」
腐敗した首を蹴り折ろうとする僕の足の軌道上から、ゾンビが素早く一歩退いた。
今のは―――回避!?
驚きながらも空振った踵を素早く畳み込み、数歩退いてナイフを引き抜こうとしたその時。
「聖!」
カルロスの声に振り向こうとした瞬間、後ろから凄まじい力で掴み掛かられた。
肩に乗せられたのは腐りかけた肉がぶよぶよと付いた青白い手。しかしその力は見た目の脆さにまるで比例していない。
戦闘の基本中の基本である後方確認を怠っていたなんて―――思えばさっきレインに押さえ付けられた事も、不意打ちだったとはいえ以前ならあそこまで完璧に身体の自由を奪われる事は無かっただろう。
拉致されてからの間に与えられてきた快適な生活の弊害が今ここで顕わになるとは、情けない。
「ぐっ・・・!」
掴まれた肩の骨が軋む。
正面のゾンビも体勢を立て直し、再び僕の肉を求めようとしていた。
この窮地から脱するには思考よりも行動―――そう思った次の瞬間には既に身体が動いていた。
まず正面。
硬い靴先に勢いをつけ、がら空きの鳩尾を蹴り上げた。
その衝撃に腹を押さえよろめくゾンビから視線を逸らすことなく、後方の敵の対処へと移行する。
僕の首に噛み付こうとしていた腐臭の立ち込める半溶の頭蓋を両腕でしっかりと固定し、前方に傾けながら左に45度、力任せに捩じり折ると肩の手から力が抜けていくのが確認出来た。
もたれ掛かってきた身体を後ろに突き飛ばすのと同時に、僕は改めて背中のククリナイフを引き抜く。
切断に特化したナイフ―――ククリナイフは、ナイフというよりは殆ど鉈に近い能力を持っている。
刃先の方が肉厚に作られており、上手くスピードに乗せれば人間の首の筋肉ですら簡単に両断してしまう程の強靭な武器だ。
正面から大口を開けて飛びかかってくるゾンビを紙一重で躱し、背中を取った。
憎らしげな表情でこちらを振り向いた瞬間、重厚な刃をその腐敗した喉笛に叩き付ける。
ばつん、と筋肉を分断した感触が手に広がった。
大きく裂かれた首から鮮血が噴き出す。
ゾンビはそのまま崩れるように倒れ、血だまりの中で激しく痙攣しながらやがて動かなくなった。
「大丈夫かよ?」
一つ大きく溜息をついたところに、カルロスが駆け付けてくれた。
「ごめん・・・ありがとう、ちょっと危なかった」
「『ちょっと』ってもんだったかよ~・・・ったく」
呆れたような、安心したような表情で笑うカルロス。彼の方は怪我の心配をする必要も無いようだ。
・・・これじゃ一体どちらが守られているのか分からない。
カルロスの身体が、今とても危険な状況に置かれている事を忘れてはいけないのに。
初っ端からこんな調子で―――
「僕って、頼りないかな」
僕は小さく溜息をついて、呟いた。
カルロスはそんな僕の肩をぽんと叩く。
「ああ、『ちょっと』、な」
***
「さっきのゾンビは、多分―――少し、人間に近かった」
レインによると、ゾンビは理性をもたず、本能の赴くままに動く『生ける屍』。
人間の根底に存在する『食欲』という単純かつ最も重要な欲望が、彼等に死を忘れさせているそうだ。
僕がこの仮説を思い付いたのは、先程の戦闘での二つの要素。
まず一つ、皮膚の具合は以前に墓地のゾンビを見た時のものとは違い、血が通った色をしていた事。
つまり、まだ細胞が壊死し切っていなかったということだ。いや、あれ以上壊死しないように調整されていたのかもしれない。
それ故に腐敗臭も少なく、また筋肉も生前同様、走れる程度の強度が残っていたのだろう。
二つ目に、ゾンビが僕の回し蹴りを回避し、蹴り上げられた腹を押さえた事。
あの攻撃を回避出来たのは、肉体的反射がまだ身体に備わっていたからではないだろうか。
そして腹を押さえたのは『人間』特有の防御反応。
そう、あの身体にはまだ『痛み』が残っていたのだ。
『人間』に近いからこそ回避行動する反射神経を持ち、『人間』に近いからこそ急所への攻撃が致命傷になる。
「だけど普通のゾンビ共よりも頭数は少ないんだろ?」
「うん、恐らくね」
神経や感覚があるという事はウィルスの管理や調整も通常の場合と比べてかなり厳しく行われていると考えるのは間違っていないだろう。
つまり、その分保持出来る個体数も少ないという事だ。
「まぁ、多いよりは有り難ぇって事か」
「・・・」
この時、僕は『何か』を感じていた。
今回の事件の狙いである生物兵器に関するデータ―――それと同等、いやそれ以上に厳重に管理されているであろう生物兵器自身。
それを自在に解放する事が出来るのに、何故データ本体を狙わないのか。
しばらくアンブレラの施設で生活していたといっても、僕自身、この内部に詳しいという訳ではない。単なる素人考えだと言われても言い返す事は出来ないが・・・
しかし、突然過ぎた事件の発生。
そして、出来過ぎた友との再会。
何より、周到過ぎた敵の出現。
その全てが、僕に真実を囁いている様な気がした。
「行こう」
それでも、決して立ち止まらずに。
君が、僕を待っているなら。
『了解』
緊張か焦燥か、もしくはその両方か。
普段より僅かに低いトーンの如月の声と早足の靴音がスピーカーを介して部屋に響く。
私の言葉を復唱し、カルロス・オリヴェイラにも同じように伝えている声が聞こえた。
『・・・大丈夫なんですか』
少し間を置いた後、如月は小声で私にそう聞いた。
その言葉がカルロス・オリヴェイラを指している事は言うまでも無い。
「いや、まだ治療は開始されていない。以前と同様、安定した状態は続いているが―――」
『そんな!それじゃあ何で彼を行かせたんですか、危険過ぎる!』
如月は私の言葉を遮って少し口調を強めて言った。
それがあちらにいるカルロス・オリヴェイラにも聞こえたのか、音の奥で必死に弁解しているような雰囲気が伝わってくる。
それが済んだ頃合いを見計らい、如月に畳み掛けた。
「彼が危険な状態だという事は否定しない。だが君一人では行動の幅が限られ、その分命も危険に晒される事も理解してもらいたい」
『でも』
「君が死ぬという事は、君の血清で助かるはずの彼の命も失われるという事だ。分かるか?」
『・・・っ』
如月は反論しようとした言葉をぐっと飲み込む。
『・・・、・・・はぁ』
無責任だ、とでも言いたげな含みを持たせた溜息が遠くで聞こえたような気がした。
それに特に反応もせず、私は「健闘を祈る」という一言置いて通信を切った。
スクリーンの一つにB-87実験室に映し、α型の様子を窺う。
迅速な救助活動の為、あらかじめ調整液の抜かれた水槽の中。
ぐったりと座り込み、目を瞑り、呼吸を繰り返し静かに眠るその姿に小さな不安を覚えた。
「・・・頼んだぞ、如月・・・」
ふっと口をついて出た言葉が聞こえたのか、研究員の一人が私を横目で見る。
それが一瞬の事ならば気になどしなかったが、その研究員はやけに長い時間、目を見開いて私を見つめている。
「何だ」
「!!い、いえ!!」
私が目も合わせず聞くと、研究員は慌てて自らの作業に戻る。
「(そうか)」
その様子を見て初めて気が付いた。
認めたくは無い。
だがこれは事実だ。
私は君に期待しているんだよ、如月聖。
***
「ここに戻って来たのは俺の意志だ」
僕を先頭に、廊下を駆け足で抜けながらはっきりと聞こえる声でカルロスはそう答えた。
「・・・U.B.C.S.に再入隊した」
「え?」
その答えに思わず足を止めて振り返るとカルロスも同じように足を止め、静かに話し始めた。
事件が起こった時に真っ先に現地で行動できるのは他でも無い、アンブレラ直属の部隊であるU.B.C.S.―――ラクーンシティ事件当時にカルロスがその身を預けていた、アンブレラバイオハザード対策部隊。
彼等に任される任務の中には、アンブレラ社にとって不都合な“生物”の処理は勿論のこと、実験生物製造の機密情報の破棄という項目があったとカルロスは言う。
「機密情報―――まさか、その為に?」
「ああ、シンプルでいいだろ?任務に紛れて、あいつらの消したい情報を手に入れるってわけだ」
「それは良い考えだと思うけど・・・単独じゃ危険過ぎるよ」
「そうか?」
あっけらかんとそう答えるカルロス。
「だってこの前は監視員―――ニコライみたいなスパイもいたんだ、次の任務にも潜り込んでくる可能性は低くない。下手に動く事は出来ないよ」
「そこは俺が『ここ』で何とかすりゃいい話だろ」
カルロスはそう言いながら自分の腕をぽんぽんと叩き、白い歯をにっと見せて笑う。
この自信と行動力こそが彼の持ち味であり良い所なのは確かだが・・・いや、しかし。
「君が失敗するとは思わないけど、それでも―――」
「アンブレラに戻る事は俺が望んだ事だ。後悔は、頼まれてもしてやらねぇ」
「カルロス・・・」
しつこく食い下がる僕を両手で制しながら、呆れた顔でカルロスは溜息をついた。
「あー、あー、分かった、分かった。なぁ、いいか?聖、お前の悪い所を教えてやる」
「へ?」
「・・・これが終わったらな。ほら、足止めてる場合じゃねぇぞ」
カルロスは僕を追い越し、曲がり角で足を止める。少しだけ身を乗り出して通路の奥を確認し、異状が無い事を確かめると後方で待機する僕に合図した。
今度はカルロスを先頭に、僕達は慎重に通路を進んでいく。
「―――聖、お前は?」
「え?」
「お前はどうしてここにいるんだよ」
「えっ」
確かに、僕がカルロスにここにいる理由を聞いたなら、カルロスが僕にここにいる理由を聞くのも当然か。
彼に隠し事をする気は無い。だが、言うべきであろう事が多過ぎてどれから話せばいいか見当もつかないのが現状だった。
拗れに拗れた話を上手く表現する事が出来ず、必死に短い言葉にしようとして僕の口から出たその言葉。
「な、成り行き、かな?」
それを聞いたカルロスは驚いた様な、呆れた様な顔で僕を振り返り、再びゆっくりと深い溜息をついた。
「・・・ああ。後で、な」
予備電源によって動作を続けていた自動扉をくぐり、僕達はある部屋に辿り着いた。
大きめのデスクがいくつか点在し、その上には書類と飲みかけのコーヒー。
ずらりと立ち並ぶ無機質なステンレス製の棚には、大量のファイルがアルファベット順に陳列されている。資料室だろうか。
あまり視界は開けておらず、非常灯のランプに足元のみが照らし出されたこの薄暗闇では尚更視界が悪い。
僕達は目を凝らしながら、一歩一歩部屋の中を進んで行った。
「・・・!」
ふと、僕の目が「何か」を捉える。
咄嗟に物陰に隠れ、動かず、意識を集中して耳を澄ませた。
自分の心臓の鼓動。
弾薬が箱の中で擦れ合う金属音。
衣擦れの音。
カルロスの呼吸音。
そのどれとも違う「音」が、この空間には存在した。
「(・・・聖)」
「(ああ)」
脳裏に染み込んでいる低く地面を這うような唸り声が、空気を鈍く震わせている。
それは紛れも無く、言語を扱う知能を破壊され、動物の様に呻く事しか出来なくなった『人間』の声だった。
それも単体ではなく複数―――右に二体、左に一体・・・闇の奥に目を凝らすと薄らとではあるが、少なくとも三体は肉眼で確認出来る。
実際は他にも数体いるのだろうと、重なり合う声が僕にそう感じさせた。
非常灯の青白い光が、そのグロテスクな容姿の不気味さに拍車をかける。
久々に聞く重なり合う鈍重な声は、僕の中で薄れかけていた恐怖を掻きむしり始めた。
ゆったりとした動きで部屋を徘徊するゾンビ達。
確認出来る限りの全ての個体が似たような衣服を纏い、かつ、同程度の体躯をしている。
恐らくは、『実験材料』としてあの姿になったのだろう。
だが、もうその姿に哀れみを抱いてはいられない。僕達は目を見合わせ小さく頷いた後、同時に動いた。
カルロスと左右に分かれ、僕は右の二体に狙いを定める。
ゾンビがこちらの存在に気が付く前にハンドガンを素早く引き抜き、それぞれの頭に何発かの銃弾を撃ち込んだ。
カルロスが左の一体を片付け奥に進むのを見計らい、僕も更に奥へ動く。
すると今まで見えなかった数体のゾンビが一斉にこちらを向き、僕への距離を詰めてきた。
腐敗した喉を通る唸り声の主たちは鈍重な足取りでひたすらに僕を追う。そこに恐怖こそ感じるものの、最早脅威は感じなかった。
ゾンビは今までに見たどの生物兵器よりも動きが鈍く、こちらに対抗できる武器があれば単体ではほとんど無力な存在だということは『経験』から分かっている。
僕は全員の位置と距離を確かめ、再びハンドガンを構えた。
しかし。
「ッ!?」
内の一匹―――僕が狙おうとしたゾンビよりやや後方に、その姿は見えた。
「(は、速い!?)」
周りのゾンビを押しのけるようにして机を飛び越し、歯を剥き出しにしながら僕に向かってくるそのゾンビの足取りは歩くというよりは殆ど走っていると言った方が正しかった。
瞬く間に僕とゾンビの距離は更に狭くなっていく。
その時、ふと気になった。
足下の非常灯からこぼれる微かな明かりによって照らし出されたその容貌は、今までの個体と何かが違っていた。
見開かれ充血した瞳、口の端に溜まる泡とそこから吹き出す荒い息。
その面相こそ人間離れしているが、皮膚―――体の表面に、著しい腐敗が見受けられないのだ。
観察を続けながら周囲のゾンビをハンドガンで牽制し、比較的スペースが広い場所へ移動した。
本来なら複数の敵と戦闘をする場合、多方向からの攻撃を防止する為に大きく開けた様な場所は避けるのが好ましい。
机や棚、機材などの物陰を利用して上手く立ち回るべきなのだが、この場所には不慣れな上に視界も悪い。そんな場所で狭い場所を移動するのは逆に危険だった。
「(よし―――)・・・あれっ?」
正面から凄まじい勢いで向かってくるゾンビに向かって再び引き金を引いた僕の指は、やけに軽い衝撃に襲われた。
もう一度。
更に、もう一度。
何度引き金を引いたところで、ハンドガンから銃弾が発射されることは無かった。
「(た、弾切れ・・・!?)」
・・・弾薬の数を数え忘れるとは、S.T.A.R.S.の一員としてあるまじき失態。
僕が悔しさと恥ずかしさで肩を落としている間に、ゾンビの牙はすぐそこまで迫っていた。
自嘲も程々にハンドガンをベルトに納め、姿勢を正し、呼吸を整え、左足を軸に身体を回転させ―――
「!」
腐敗した首を蹴り折ろうとする僕の足の軌道上から、ゾンビが素早く一歩退いた。
今のは―――回避!?
驚きながらも空振った踵を素早く畳み込み、数歩退いてナイフを引き抜こうとしたその時。
「聖!」
カルロスの声に振り向こうとした瞬間、後ろから凄まじい力で掴み掛かられた。
肩に乗せられたのは腐りかけた肉がぶよぶよと付いた青白い手。しかしその力は見た目の脆さにまるで比例していない。
戦闘の基本中の基本である後方確認を怠っていたなんて―――思えばさっきレインに押さえ付けられた事も、不意打ちだったとはいえ以前ならあそこまで完璧に身体の自由を奪われる事は無かっただろう。
拉致されてからの間に与えられてきた快適な生活の弊害が今ここで顕わになるとは、情けない。
「ぐっ・・・!」
掴まれた肩の骨が軋む。
正面のゾンビも体勢を立て直し、再び僕の肉を求めようとしていた。
この窮地から脱するには思考よりも行動―――そう思った次の瞬間には既に身体が動いていた。
まず正面。
硬い靴先に勢いをつけ、がら空きの鳩尾を蹴り上げた。
その衝撃に腹を押さえよろめくゾンビから視線を逸らすことなく、後方の敵の対処へと移行する。
僕の首に噛み付こうとしていた腐臭の立ち込める半溶の頭蓋を両腕でしっかりと固定し、前方に傾けながら左に45度、力任せに捩じり折ると肩の手から力が抜けていくのが確認出来た。
もたれ掛かってきた身体を後ろに突き飛ばすのと同時に、僕は改めて背中のククリナイフを引き抜く。
切断に特化したナイフ―――ククリナイフは、ナイフというよりは殆ど鉈に近い能力を持っている。
刃先の方が肉厚に作られており、上手くスピードに乗せれば人間の首の筋肉ですら簡単に両断してしまう程の強靭な武器だ。
正面から大口を開けて飛びかかってくるゾンビを紙一重で躱し、背中を取った。
憎らしげな表情でこちらを振り向いた瞬間、重厚な刃をその腐敗した喉笛に叩き付ける。
ばつん、と筋肉を分断した感触が手に広がった。
大きく裂かれた首から鮮血が噴き出す。
ゾンビはそのまま崩れるように倒れ、血だまりの中で激しく痙攣しながらやがて動かなくなった。
「大丈夫かよ?」
一つ大きく溜息をついたところに、カルロスが駆け付けてくれた。
「ごめん・・・ありがとう、ちょっと危なかった」
「『ちょっと』ってもんだったかよ~・・・ったく」
呆れたような、安心したような表情で笑うカルロス。彼の方は怪我の心配をする必要も無いようだ。
・・・これじゃ一体どちらが守られているのか分からない。
カルロスの身体が、今とても危険な状況に置かれている事を忘れてはいけないのに。
初っ端からこんな調子で―――
「僕って、頼りないかな」
僕は小さく溜息をついて、呟いた。
カルロスはそんな僕の肩をぽんと叩く。
「ああ、『ちょっと』、な」
***
「さっきのゾンビは、多分―――少し、人間に近かった」
レインによると、ゾンビは理性をもたず、本能の赴くままに動く『生ける屍』。
人間の根底に存在する『食欲』という単純かつ最も重要な欲望が、彼等に死を忘れさせているそうだ。
僕がこの仮説を思い付いたのは、先程の戦闘での二つの要素。
まず一つ、皮膚の具合は以前に墓地のゾンビを見た時のものとは違い、血が通った色をしていた事。
つまり、まだ細胞が壊死し切っていなかったということだ。いや、あれ以上壊死しないように調整されていたのかもしれない。
それ故に腐敗臭も少なく、また筋肉も生前同様、走れる程度の強度が残っていたのだろう。
二つ目に、ゾンビが僕の回し蹴りを回避し、蹴り上げられた腹を押さえた事。
あの攻撃を回避出来たのは、肉体的反射がまだ身体に備わっていたからではないだろうか。
そして腹を押さえたのは『人間』特有の防御反応。
そう、あの身体にはまだ『痛み』が残っていたのだ。
『人間』に近いからこそ回避行動する反射神経を持ち、『人間』に近いからこそ急所への攻撃が致命傷になる。
「だけど普通のゾンビ共よりも頭数は少ないんだろ?」
「うん、恐らくね」
神経や感覚があるという事はウィルスの管理や調整も通常の場合と比べてかなり厳しく行われていると考えるのは間違っていないだろう。
つまり、その分保持出来る個体数も少ないという事だ。
「まぁ、多いよりは有り難ぇって事か」
「・・・」
この時、僕は『何か』を感じていた。
今回の事件の狙いである生物兵器に関するデータ―――それと同等、いやそれ以上に厳重に管理されているであろう生物兵器自身。
それを自在に解放する事が出来るのに、何故データ本体を狙わないのか。
しばらくアンブレラの施設で生活していたといっても、僕自身、この内部に詳しいという訳ではない。単なる素人考えだと言われても言い返す事は出来ないが・・・
しかし、突然過ぎた事件の発生。
そして、出来過ぎた友との再会。
何より、周到過ぎた敵の出現。
その全てが、僕に真実を囁いている様な気がした。
「行こう」
それでも、決して立ち止まらずに。
君が、僕を待っているなら。