続・本編
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黒衣を纏う見知った姿は砕けたガラスの水槽の中で、青白い色の粘液を身体中につけてゆっくりと呼吸を繰り返している。
肩に触れ、顔を覗き込んでみるがどうやら眠っているらしく、特に反応は返ってこなかった。
しばらくその寝顔を見つめていたが目立つ外傷や呼吸が乱れたりする事も無く、異常は無いのだろう。
左手でその頬を優しく撫でると、瞼がぴくりと反応した。
「!」
ぱっと瞼が開いたかと思うと、白濁色の瞳が自らの頬を撫でた手を注視する。その視線はゆっくりと伝うようにして僕の手を、僕の腕を、僕の肩を、僕の首を、そして僕の目を見た。
昔は痛いぐらいに跳ねていた心臓が、今は妙にゆっくりと脈打つ。
昔は君にだけは聞かれたくなかったこの音を、今は君だけに聞いてほしいのかもしれない。
僕は構わず、濡れたその身体を抱きしめた。
ほんの少しだけ、乱暴に。
「君を迎えに来た」
その言葉の少し後。
僕の身体に、君が―――ほんの少しだけ、顔をすり寄せた。
僕は知らなかった。
愛する人を抱きしめる事が、こんなにも幸せなことだと。
その微かな温もりが、両腕を介してじんわりと自分の身体に伝わってくるのが分かった。
同じように、僕の温度も君に届いているのだろうか。
「……、遅くなったね」
僕は身体を少しだけ離して、白い瞳と目を合わせた。
ここに辿り着く前にも、水槽越しや、研究員の観察下にある実験室で、お互いを認識する状況にはなったことはある。
しかし、こうやって…熱や気持ちを感じるように触れ合えたのは初めてだった。
君がいる。
僕の手の届くところに、君がいるんだ。
改めて気が付いたその事実に、心の臓が一際強く脈打つ。
今までの様々な記憶や想いが身体を巡っていくような感覚に襲われ、苦しいような、それでいて心地いい気分だった。
そして、僕は思い出していた。
愛する人をこの手にかけ、一度はその命を奪ったことを。
その時の冷たい記憶はまるで鋭い氷柱(つらら)のように、未だ僕の心臓に深く突き刺さっていた。
決して融ける事の無い、長く、冷たい、大きな氷柱。
―――だから、決めていた。
微かに震える自らの唇を、一回きつく閉じ、そして開いた。
「……こんな時だけど、どうか聞いてほしいんだ。僕が出した答えを」
白い瞳は瞬きもせず、ただ僕を見ていた。きっと、拒絶の意志ではないだろう。
僕はこれから紡ぐ言葉を慎重に考えながら、続けた。
「……僕は、君の身体を置いてあの街を出た。……本当は、あのまま残ることも考えたんだ。君と一緒に灰になるなら、それでもいいと思った」
「でも出来なかった。この命は、君が何度も助けてくれた……大事な物だったから」
「だから決めたんだ。君をこの手で殺した罪も、自分だけが生き延びる罪も、全て背負って生きていくって」
「君はあの時から……いや、その以前から、大切な……僕の一部になっていたんだ」
「―――……これが、僕が新しい君に会うまでに、ずっと考えていたこと。そして今から言うことが、僕が君に、一番伝えたいこと」
軽く、一呼吸。
真っ直ぐに僕を見上げる白い瞳は、気のせいだろうか、ほんのりと潤んでいた。
これから僕の口によって紡がれる言葉は、決して軽いものじゃない。
だからこそ、この瞳は逸らさずに。
僕は震えてしまいそうな身を抑えるように、自らの肩をぐっと握り締めた。
「……もう二度と君を一人にしない」
「何があっても、君の傍にいる」
「たとえ、君が明日僕の前からいなくなって、世界の何処へ行ったとしても、必ず探し出す」
「そしてまた君を抱きしめるまで、絶対にこの足を止めたりしない」
「ずっと君を、君の姿だけを追い続ける」
「ネメシス、僕は君を愛している」
***
***
はた、と。
目が覚めた。
「……、……はッ……!?」
目を閉じる間際の記憶を瞬時に思い出し、その場から飛び起きた。
「(ここは……!?)」
視界に入る情報から、瞬間的に初めてアンブレラで見た景色を思い出す。手術室なのか、実験室なのか、白い檻のようなあの殺風景な部屋―――その中で、ただ一つの違う点。
それは、見覚えのある隣人の存在。
「……カル、ロス……!?」
自分が眠っていた手術台の隣にもうひとつ同じような台があり、さらに自分と同じように茶髪の青年が横たわっていた。
「カルロス!……―――ッぐ……ァッ…!!?」
慌てて台から降りようとしたその瞬間、体中に電流のような激痛が走る。
反射的に、正面のマジックミラーを睨みつけた。すると、そこに映された自分の身体を見るや否や、痛みは更に上のレベルへと引き上げられ―――声にならない僕の悲鳴が、自分の耳だけに届いた。
肩や腕、脚、腹部、そして頭部に至るまで、ゴムチューブに繋がれた針が深々と突き刺さっていたのだ。
注射針なのか点滴針なのか分からないが、とにかく、鋭い異物が身体のあちこちに入り込んでいた。
皮膚と肉の中で乱反射するような痛みが、気絶すらも許さない。僕は目を見開き、乱暴にその針達を引っこ抜いていった。
「ッ……!!……ぎッ……!!うッ……あ゛あ゛ぁッ!!」
最後に残った頭部の針を思いっきり引き抜き、うっすらと血のついた針を床にたたきつけたのと同時に、またもや見知った顔が僕の前に姿を現した。
今まで鏡だった正面のウインドウが、瞬間的に透明なガラスへと変貌し―――その奥。白衣の男、レイン・ヘイルが僕を見ていた。
何故か、少しだけ微笑んで。
『三つ、質問をする。まずは最初の質問だ。“聞こえるか?”』
レインの声が、スピーカーを通って僕の耳に届く。
僕はこくりと頷いた。
『よろしい。二つ目、“現状は把握しているか?”』
少し悩んだ後―――……僕は、首を“縦に”振った。
『いいだろう。では最後、“覚えているか?”』
これには迷いは無かった。
僕はレインの目を見て、一度だけ深く頷いた。
***
***
「覚醒前にあの留置針は処理しておく予定だったのだが……覚醒までの時間がシミュレーション値よりもかなり短かったな。今回使用した麻酔は、以前君を襲撃した時に利用した催涙弾とごくわずかに原子構造が似ている。まさかとは思ったが、君の免疫機能は更に進化を遂げているようだな。正直、驚かされた」
「……」
三つの質問を終え、マジックミラーの反対側―――監視室のようなフロアへ案内された僕は、まだ痛む頭の針跡を押さえながらそれを聞いていた。
「さて、如月。君がどこまで把握しているのか、聞かせてもらいたい」
レインは僕に椅子に座るよう促す。僕がそれに従うと、レインも向かいの椅子に座った。
「……これは、いや、今までのことは今回の事件も含め……全て“実験”だったんですよね」
正直この考えは単なる推測の域を出ないが、細部の違いはさしたる問題ではないだろう。
僕は構わず話し始めた。
「僕とカルロス―――いわばラクーンシティの“生存者”の行動パターンを監視するために仕組まれた事件……このシナリオに関しては、あまり凝る必要は無かったんでしょう。目的はそれを信じさせる事じゃなく、単に僕達を動かす理由であればよかった。たとえ途中で気が付いたところで、そこから生き延びないといけない事実は変わらない」
―――爆弾を仕掛けた単独犯が、施設の一部を占拠した───。
「信じ込ませる」ためであったならば、もっと綿密に、入念に、周到な計画をするのがアンブレラだ。
最初の疑惑の引き金となったのは、ラクーンシティで着ていた服がわざわざ用意されていたこと。その後もところどころに存在した違和感は、僕をこの結論に至らせるには十分過ぎた。
「敵の配置は、考えられていた。少なくとも、侵入してきた敵を排除するための配置でないことは明らかです。恐らくは、僕達がなんとか手持ちの武器で対処できる程度の能力を持った怪物だけが配置されていた」
ゾンビという生物兵器の恐ろしさは、おびただしい数が揃ってこそ発揮されるものだと以前レインが言っていた。そもそもゾンビ一体の能力はかなり低く、一対一の状況であれば、ある程度戦闘について知識がある者ならば大した脅威には成り得ない。
それが十体もおらず、ましてやこちらは訓練と経験を積んできた、いわば現役の人間が二人。
確かに特殊な───俊敏な動きの───タイプもいたが、それも対処出来ないというほどの脅威ではなかった。
リッカーは強敵だったが、もしカルロスに異常が起こらなければ、僕の出る間も無い内に片付いていただろう。
「……貴方達にとっては、カルロスが感染することも材料の一つだったんでしょう。それどころか、きっとカルロスや僕が死んだところで、問題は無かった。そこで実験が終わる―――ただそれだけだったんじゃないでしょうか」
そう、僕とカルロスはちょっとしたゲームに巻き込まれていただけなのだ。
ゴールを目指し、決められた道を走って、決められた敵を倒して、死んだらそこで終わり。
ただそれだけの行動をさせるために、今回の事件が出来上がったというわけだ。
そして、巻き込まれたのはもう一人。
「実際、犯人確保への態勢としては絶望的でした。カルロスは倒れ、僕の体力も残り僅か。そこで、貴方は本来通るべきだったルートを変更して……僕をあの子の元へ導いた。もう少しだけ、僕を動かすために。あの子―――ネメシスが引き合いに出されたのは、恐らくは僕への抑止力でしょう。架空の犯人も、そして僕も、アンブレラに敵意を持つ者という点では同じですから」
同じ対象に敵意を持つ者同士が出会えば、協力してこの研究所を爆破しようと計画する考えが生まれるかもしれない。その可能性を潰すため、レインは僕にネメシスの存在を焼き付けたのだ。
「そして、僕はネメシスと出会った。……この後にもシナリオは続いていたはずです。でも、貴方はそれをいきなり中断した。理由は、僕が『実験の終了条件を満たした』から―――?」
「……そこまで把握できているなら十分だ。如月、君はよくやった」
レインがそう言って頷く。
……今のは、褒められたのだろうか?
普段のレインの性格からして一概にそうとも思えず、つい眉をひそめてしまった。
そんな僕の様子を微塵も気にせず、レインは続ける。
「そう。α型と接触した時点で、君は終了条件を―――“条件”については明言を避けるが―――クリアした。故に、B-87実験室に待機していた部隊を突入させ、君とα型を保護したというわけだ」
「……保護というには、乱暴でしたけどね」
僕とネメシスはあの後、アンブレラの部隊によって取り押さえられた。
ネメシスを庇うように抱き寄せたが、抵抗虚しく、あっけなく引き剥がされ―――当のあの子は遠隔操作をされたのだろうか、瞳を閉じ、また眠らされていたようだった。
だが、部隊の後を追うようにして数人の研究員達が実験室に入り込み、ネメシスの周囲を取り囲んで何らかの措置をしている様子が見えた。そこには特にネメシス傷付けようとするような様子も無かったため、僕は渋々部隊に連れられ―――どこかへ歩いていく途中で、僕は体力の限界を迎えてその場に倒れた。
その時頬に感じた冷たい床の感触が、まだ残っている気がする。
「ふ……まあ、実験の話はここまでにしておこう。次に、カルロス・オリヴェイラについてだが―――」
カルロスの名前を出され、はっとしてガラスの奥でまだ眠っている彼を見た。
苦しんでいる様子はなく、容体は安定しているのだろうか。
「カルロスは、無事……なんですよね?」
「ああ。君から作られた血清は非常に良い働きをした。血をほとんど入れ替えたようなものだったが、ここまで安定すれば心配することもないだろう」
それを聞いて僕は大きく息を吐き、胸をなでおろした。
「よかった……」
「―――さて、今回の件についてここまで詳しく話したのは、君の働きへの報酬のようなものだが……他に、何か要望があればなるべく応えよう」
レインが僕をまっすぐに見つめ、薄い笑みをたたえる。
僕にはその笑みの意味が分からず、一瞬困惑したが、ある一つの考えを思い出した。
僕が、面と向かってアンブレラに言ってやりたかったことを。
「……それじゃあ最後に一つ……この言葉を、アンブレラという全てに伝えてほしい」
僕は椅子から立ち上がり、座っているレインを見下ろしながら、静かに、こう告げた。
「たとえこれから何があろうと、僕は決して諦めたりしない。―――絶対に、このままでは終わらせない」
レインは張り付けた笑みを消し、何の感情もない顔でこう答えた
「……ああ、伝えよう。約束は守る」
***
***
「それでは私からも最後に、一番君が気になっている事を」
レインはそう一言喋ると、僕を連れてある場所へ歩き出した。
「これをどう捉えるかは、全て君に任せよう。君がどう解釈したところで我々には大した影響は出ないからな」
「は、はあ……?」
この道順は覚えている。
ひんやりとした廊下、それをぼんやりと照らす青い蛍光灯。あの白い部屋から、僕の部屋へと通じる道だ。
記憶は正しかったようで、僕達はあっという間に見慣れたドアの前にいた。
レインがカードキーをスライドさせると青いランプが点灯し、重いドアが、きぃ、と開く。
そしてそのまま、部屋の中へと入った。
何も変わらないはずの、いつも通りのはずの部屋に。
「名目上は、『特異個体の完全な同条件下における永続的監視及び接触の経過観察』だ」
暖かい照明、上品な色遣いの壁紙。
変わっていない。
何一つ、変わっている部分は無い。
ただ、強いて言うなら、あの寝心地のいいソファに―――誰かが座っている。
「これまでの経験をもとに、監視において映像・音声データのみでは不十分という結論に至った。そこで、より具体的な方法でのモニタリングを導入させてもらった」
そこに、いたのは。
「如月、もう理解出来ているとは思うが、あえて分かりやすく言おう」
僕の存在に気が付いたソファの主は、ふとこちらを向く。
「これから24時間365日、君に監視がつく。つまり……」
真っ白な瞳が僕を見て、一回だけ瞬きした。
「君とα型は、今日からここで暮らすんだ」
「なっ、えっ、ちょっ、あのっ!!!」
この感情は驚きか、焦りか。
頭は回転しているのか、止まっているのか。
それすらも分からないほどに僕は混乱し、レインとネメシスを交互に見た。
「困惑するのも分かる。まあ、実験の一部だと思ってくれれば問題ない」
「そ、そんなこと言っても……!」
「如月、君には非機械的な意思疎通を計ってもらいたいんだ。元々、α型には意識や表情の学習はさせていないからな。兵器としては不必要、あるだけ無駄なギミックだ。そこで君に新しいことを学習させてやってほしい」
「あ、え、で、でも、いきなり……!?」
僕のその姿を見て、レインはふっと微笑んだ。
その微笑みに、何だか色んな感情がこもっているような気がして―――。
「とりあえず、理解は出来たな?」
「え、あ、はい、いやその、分かりましたけど、分からないっていうか、えーと―――」
「それで十分だ。あとはおいおいついて来るだろう。詳細が知りたければまたの機会に情報を提供する」
レインはそう畳みかけ、僕の引き留める声を全て無視して足早に去ろうとした。
そして、ドアが閉まろうとしたその時、一瞬、その扉の動きが止まる。
「……α型を、よろしく頼むぞ」
ばたん。
「……えーっと……」
しんと訪れる静寂。
僕は何度か深呼吸して、ソファへと向かう。
「…………えー……っと……」
いる。
どう見ても、いる。
幻なんかじゃなく、現実としてそこにいる。
再び僕の姿に気が付いたソファの主―――ネメシスは、呆然としている僕の前に立ち、何度か顔を覗き込んだ後、僕の目の前で紫色の触手をぱたぱたと振った。
いや、分かるよ?
君の存在に気が付いてないわけじゃ、ないんだよ?
ただ、何もかも、ついていけてないってだけで―――
「と……とりあえず……少し仮眠をとっていいかな。考えがうまくまとまらなくて……」
ほんのりと温もりの残るソファにごろんと横たわり、軽く目を閉じる。そして、視線に気が付きすぐ開く。
隣を向くと、元ソファの主が僕の枕元に座り込み、興味津々な様子でじっと見つめていた。
そうか、恐らくこの子には寝るという行為に馴染みが無くて、それが珍しいのだろう。
「……って!!いやいや!!だめだよ!!こういうのは……その……つまり、一緒に暮らすっていうのは、もっと段階を踏んでからやるべきことであって―――!!」
飛び起きた僕の主張も虚しく、ネメシスはただただまっすぐ僕を見つめる。
「だからー……そのー……えーと……」
その無垢な瞳に強く訴えることも出来ず、締まりのない言葉は次々と空気中でばらけていった。
嫌じゃない。嫌な事なんて、あるわけがない。
むしろものすごく嬉しい事なのだが、気持ちの整理に使える時間があまりにも少ない。
僕は恋人と同棲なんてしたこともないし―――いや、待てよ、この子には確かに僕の気持ちを伝えたけどこの子からの気持ちは聞いていないわけで、恋人ってわけじゃ―――
そんな考えが脳を巡り巡って、オーバーヒート寸前の思考回路がある一つの言葉をつかみ取った。
「きっと、し……幸せに、する……から!」
この台詞は少し違ったんじゃないかと再び困惑している僕を、ネメシスはきょとんとしながら見守っていた。
END
肩に触れ、顔を覗き込んでみるがどうやら眠っているらしく、特に反応は返ってこなかった。
しばらくその寝顔を見つめていたが目立つ外傷や呼吸が乱れたりする事も無く、異常は無いのだろう。
左手でその頬を優しく撫でると、瞼がぴくりと反応した。
「!」
ぱっと瞼が開いたかと思うと、白濁色の瞳が自らの頬を撫でた手を注視する。その視線はゆっくりと伝うようにして僕の手を、僕の腕を、僕の肩を、僕の首を、そして僕の目を見た。
昔は痛いぐらいに跳ねていた心臓が、今は妙にゆっくりと脈打つ。
昔は君にだけは聞かれたくなかったこの音を、今は君だけに聞いてほしいのかもしれない。
僕は構わず、濡れたその身体を抱きしめた。
ほんの少しだけ、乱暴に。
「君を迎えに来た」
その言葉の少し後。
僕の身体に、君が―――ほんの少しだけ、顔をすり寄せた。
僕は知らなかった。
愛する人を抱きしめる事が、こんなにも幸せなことだと。
その微かな温もりが、両腕を介してじんわりと自分の身体に伝わってくるのが分かった。
同じように、僕の温度も君に届いているのだろうか。
「……、遅くなったね」
僕は身体を少しだけ離して、白い瞳と目を合わせた。
ここに辿り着く前にも、水槽越しや、研究員の観察下にある実験室で、お互いを認識する状況にはなったことはある。
しかし、こうやって…熱や気持ちを感じるように触れ合えたのは初めてだった。
君がいる。
僕の手の届くところに、君がいるんだ。
改めて気が付いたその事実に、心の臓が一際強く脈打つ。
今までの様々な記憶や想いが身体を巡っていくような感覚に襲われ、苦しいような、それでいて心地いい気分だった。
そして、僕は思い出していた。
愛する人をこの手にかけ、一度はその命を奪ったことを。
その時の冷たい記憶はまるで鋭い氷柱(つらら)のように、未だ僕の心臓に深く突き刺さっていた。
決して融ける事の無い、長く、冷たい、大きな氷柱。
―――だから、決めていた。
微かに震える自らの唇を、一回きつく閉じ、そして開いた。
「……こんな時だけど、どうか聞いてほしいんだ。僕が出した答えを」
白い瞳は瞬きもせず、ただ僕を見ていた。きっと、拒絶の意志ではないだろう。
僕はこれから紡ぐ言葉を慎重に考えながら、続けた。
「……僕は、君の身体を置いてあの街を出た。……本当は、あのまま残ることも考えたんだ。君と一緒に灰になるなら、それでもいいと思った」
「でも出来なかった。この命は、君が何度も助けてくれた……大事な物だったから」
「だから決めたんだ。君をこの手で殺した罪も、自分だけが生き延びる罪も、全て背負って生きていくって」
「君はあの時から……いや、その以前から、大切な……僕の一部になっていたんだ」
「―――……これが、僕が新しい君に会うまでに、ずっと考えていたこと。そして今から言うことが、僕が君に、一番伝えたいこと」
軽く、一呼吸。
真っ直ぐに僕を見上げる白い瞳は、気のせいだろうか、ほんのりと潤んでいた。
これから僕の口によって紡がれる言葉は、決して軽いものじゃない。
だからこそ、この瞳は逸らさずに。
僕は震えてしまいそうな身を抑えるように、自らの肩をぐっと握り締めた。
「……もう二度と君を一人にしない」
「何があっても、君の傍にいる」
「たとえ、君が明日僕の前からいなくなって、世界の何処へ行ったとしても、必ず探し出す」
「そしてまた君を抱きしめるまで、絶対にこの足を止めたりしない」
「ずっと君を、君の姿だけを追い続ける」
「ネメシス、僕は君を愛している」
***
***
はた、と。
目が覚めた。
「……、……はッ……!?」
目を閉じる間際の記憶を瞬時に思い出し、その場から飛び起きた。
「(ここは……!?)」
視界に入る情報から、瞬間的に初めてアンブレラで見た景色を思い出す。手術室なのか、実験室なのか、白い檻のようなあの殺風景な部屋―――その中で、ただ一つの違う点。
それは、見覚えのある隣人の存在。
「……カル、ロス……!?」
自分が眠っていた手術台の隣にもうひとつ同じような台があり、さらに自分と同じように茶髪の青年が横たわっていた。
「カルロス!……―――ッぐ……ァッ…!!?」
慌てて台から降りようとしたその瞬間、体中に電流のような激痛が走る。
反射的に、正面のマジックミラーを睨みつけた。すると、そこに映された自分の身体を見るや否や、痛みは更に上のレベルへと引き上げられ―――声にならない僕の悲鳴が、自分の耳だけに届いた。
肩や腕、脚、腹部、そして頭部に至るまで、ゴムチューブに繋がれた針が深々と突き刺さっていたのだ。
注射針なのか点滴針なのか分からないが、とにかく、鋭い異物が身体のあちこちに入り込んでいた。
皮膚と肉の中で乱反射するような痛みが、気絶すらも許さない。僕は目を見開き、乱暴にその針達を引っこ抜いていった。
「ッ……!!……ぎッ……!!うッ……あ゛あ゛ぁッ!!」
最後に残った頭部の針を思いっきり引き抜き、うっすらと血のついた針を床にたたきつけたのと同時に、またもや見知った顔が僕の前に姿を現した。
今まで鏡だった正面のウインドウが、瞬間的に透明なガラスへと変貌し―――その奥。白衣の男、レイン・ヘイルが僕を見ていた。
何故か、少しだけ微笑んで。
『三つ、質問をする。まずは最初の質問だ。“聞こえるか?”』
レインの声が、スピーカーを通って僕の耳に届く。
僕はこくりと頷いた。
『よろしい。二つ目、“現状は把握しているか?”』
少し悩んだ後―――……僕は、首を“縦に”振った。
『いいだろう。では最後、“覚えているか?”』
これには迷いは無かった。
僕はレインの目を見て、一度だけ深く頷いた。
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「覚醒前にあの留置針は処理しておく予定だったのだが……覚醒までの時間がシミュレーション値よりもかなり短かったな。今回使用した麻酔は、以前君を襲撃した時に利用した催涙弾とごくわずかに原子構造が似ている。まさかとは思ったが、君の免疫機能は更に進化を遂げているようだな。正直、驚かされた」
「……」
三つの質問を終え、マジックミラーの反対側―――監視室のようなフロアへ案内された僕は、まだ痛む頭の針跡を押さえながらそれを聞いていた。
「さて、如月。君がどこまで把握しているのか、聞かせてもらいたい」
レインは僕に椅子に座るよう促す。僕がそれに従うと、レインも向かいの椅子に座った。
「……これは、いや、今までのことは今回の事件も含め……全て“実験”だったんですよね」
正直この考えは単なる推測の域を出ないが、細部の違いはさしたる問題ではないだろう。
僕は構わず話し始めた。
「僕とカルロス―――いわばラクーンシティの“生存者”の行動パターンを監視するために仕組まれた事件……このシナリオに関しては、あまり凝る必要は無かったんでしょう。目的はそれを信じさせる事じゃなく、単に僕達を動かす理由であればよかった。たとえ途中で気が付いたところで、そこから生き延びないといけない事実は変わらない」
―――爆弾を仕掛けた単独犯が、施設の一部を占拠した───。
「信じ込ませる」ためであったならば、もっと綿密に、入念に、周到な計画をするのがアンブレラだ。
最初の疑惑の引き金となったのは、ラクーンシティで着ていた服がわざわざ用意されていたこと。その後もところどころに存在した違和感は、僕をこの結論に至らせるには十分過ぎた。
「敵の配置は、考えられていた。少なくとも、侵入してきた敵を排除するための配置でないことは明らかです。恐らくは、僕達がなんとか手持ちの武器で対処できる程度の能力を持った怪物だけが配置されていた」
ゾンビという生物兵器の恐ろしさは、おびただしい数が揃ってこそ発揮されるものだと以前レインが言っていた。そもそもゾンビ一体の能力はかなり低く、一対一の状況であれば、ある程度戦闘について知識がある者ならば大した脅威には成り得ない。
それが十体もおらず、ましてやこちらは訓練と経験を積んできた、いわば現役の人間が二人。
確かに特殊な───俊敏な動きの───タイプもいたが、それも対処出来ないというほどの脅威ではなかった。
リッカーは強敵だったが、もしカルロスに異常が起こらなければ、僕の出る間も無い内に片付いていただろう。
「……貴方達にとっては、カルロスが感染することも材料の一つだったんでしょう。それどころか、きっとカルロスや僕が死んだところで、問題は無かった。そこで実験が終わる―――ただそれだけだったんじゃないでしょうか」
そう、僕とカルロスはちょっとしたゲームに巻き込まれていただけなのだ。
ゴールを目指し、決められた道を走って、決められた敵を倒して、死んだらそこで終わり。
ただそれだけの行動をさせるために、今回の事件が出来上がったというわけだ。
そして、巻き込まれたのはもう一人。
「実際、犯人確保への態勢としては絶望的でした。カルロスは倒れ、僕の体力も残り僅か。そこで、貴方は本来通るべきだったルートを変更して……僕をあの子の元へ導いた。もう少しだけ、僕を動かすために。あの子―――ネメシスが引き合いに出されたのは、恐らくは僕への抑止力でしょう。架空の犯人も、そして僕も、アンブレラに敵意を持つ者という点では同じですから」
同じ対象に敵意を持つ者同士が出会えば、協力してこの研究所を爆破しようと計画する考えが生まれるかもしれない。その可能性を潰すため、レインは僕にネメシスの存在を焼き付けたのだ。
「そして、僕はネメシスと出会った。……この後にもシナリオは続いていたはずです。でも、貴方はそれをいきなり中断した。理由は、僕が『実験の終了条件を満たした』から―――?」
「……そこまで把握できているなら十分だ。如月、君はよくやった」
レインがそう言って頷く。
……今のは、褒められたのだろうか?
普段のレインの性格からして一概にそうとも思えず、つい眉をひそめてしまった。
そんな僕の様子を微塵も気にせず、レインは続ける。
「そう。α型と接触した時点で、君は終了条件を―――“条件”については明言を避けるが―――クリアした。故に、B-87実験室に待機していた部隊を突入させ、君とα型を保護したというわけだ」
「……保護というには、乱暴でしたけどね」
僕とネメシスはあの後、アンブレラの部隊によって取り押さえられた。
ネメシスを庇うように抱き寄せたが、抵抗虚しく、あっけなく引き剥がされ―――当のあの子は遠隔操作をされたのだろうか、瞳を閉じ、また眠らされていたようだった。
だが、部隊の後を追うようにして数人の研究員達が実験室に入り込み、ネメシスの周囲を取り囲んで何らかの措置をしている様子が見えた。そこには特にネメシス傷付けようとするような様子も無かったため、僕は渋々部隊に連れられ―――どこかへ歩いていく途中で、僕は体力の限界を迎えてその場に倒れた。
その時頬に感じた冷たい床の感触が、まだ残っている気がする。
「ふ……まあ、実験の話はここまでにしておこう。次に、カルロス・オリヴェイラについてだが―――」
カルロスの名前を出され、はっとしてガラスの奥でまだ眠っている彼を見た。
苦しんでいる様子はなく、容体は安定しているのだろうか。
「カルロスは、無事……なんですよね?」
「ああ。君から作られた血清は非常に良い働きをした。血をほとんど入れ替えたようなものだったが、ここまで安定すれば心配することもないだろう」
それを聞いて僕は大きく息を吐き、胸をなでおろした。
「よかった……」
「―――さて、今回の件についてここまで詳しく話したのは、君の働きへの報酬のようなものだが……他に、何か要望があればなるべく応えよう」
レインが僕をまっすぐに見つめ、薄い笑みをたたえる。
僕にはその笑みの意味が分からず、一瞬困惑したが、ある一つの考えを思い出した。
僕が、面と向かってアンブレラに言ってやりたかったことを。
「……それじゃあ最後に一つ……この言葉を、アンブレラという全てに伝えてほしい」
僕は椅子から立ち上がり、座っているレインを見下ろしながら、静かに、こう告げた。
「たとえこれから何があろうと、僕は決して諦めたりしない。―――絶対に、このままでは終わらせない」
レインは張り付けた笑みを消し、何の感情もない顔でこう答えた
「……ああ、伝えよう。約束は守る」
***
***
「それでは私からも最後に、一番君が気になっている事を」
レインはそう一言喋ると、僕を連れてある場所へ歩き出した。
「これをどう捉えるかは、全て君に任せよう。君がどう解釈したところで我々には大した影響は出ないからな」
「は、はあ……?」
この道順は覚えている。
ひんやりとした廊下、それをぼんやりと照らす青い蛍光灯。あの白い部屋から、僕の部屋へと通じる道だ。
記憶は正しかったようで、僕達はあっという間に見慣れたドアの前にいた。
レインがカードキーをスライドさせると青いランプが点灯し、重いドアが、きぃ、と開く。
そしてそのまま、部屋の中へと入った。
何も変わらないはずの、いつも通りのはずの部屋に。
「名目上は、『特異個体の完全な同条件下における永続的監視及び接触の経過観察』だ」
暖かい照明、上品な色遣いの壁紙。
変わっていない。
何一つ、変わっている部分は無い。
ただ、強いて言うなら、あの寝心地のいいソファに―――誰かが座っている。
「これまでの経験をもとに、監視において映像・音声データのみでは不十分という結論に至った。そこで、より具体的な方法でのモニタリングを導入させてもらった」
そこに、いたのは。
「如月、もう理解出来ているとは思うが、あえて分かりやすく言おう」
僕の存在に気が付いたソファの主は、ふとこちらを向く。
「これから24時間365日、君に監視がつく。つまり……」
真っ白な瞳が僕を見て、一回だけ瞬きした。
「君とα型は、今日からここで暮らすんだ」
「なっ、えっ、ちょっ、あのっ!!!」
この感情は驚きか、焦りか。
頭は回転しているのか、止まっているのか。
それすらも分からないほどに僕は混乱し、レインとネメシスを交互に見た。
「困惑するのも分かる。まあ、実験の一部だと思ってくれれば問題ない」
「そ、そんなこと言っても……!」
「如月、君には非機械的な意思疎通を計ってもらいたいんだ。元々、α型には意識や表情の学習はさせていないからな。兵器としては不必要、あるだけ無駄なギミックだ。そこで君に新しいことを学習させてやってほしい」
「あ、え、で、でも、いきなり……!?」
僕のその姿を見て、レインはふっと微笑んだ。
その微笑みに、何だか色んな感情がこもっているような気がして―――。
「とりあえず、理解は出来たな?」
「え、あ、はい、いやその、分かりましたけど、分からないっていうか、えーと―――」
「それで十分だ。あとはおいおいついて来るだろう。詳細が知りたければまたの機会に情報を提供する」
レインはそう畳みかけ、僕の引き留める声を全て無視して足早に去ろうとした。
そして、ドアが閉まろうとしたその時、一瞬、その扉の動きが止まる。
「……α型を、よろしく頼むぞ」
ばたん。
「……えーっと……」
しんと訪れる静寂。
僕は何度か深呼吸して、ソファへと向かう。
「…………えー……っと……」
いる。
どう見ても、いる。
幻なんかじゃなく、現実としてそこにいる。
再び僕の姿に気が付いたソファの主―――ネメシスは、呆然としている僕の前に立ち、何度か顔を覗き込んだ後、僕の目の前で紫色の触手をぱたぱたと振った。
いや、分かるよ?
君の存在に気が付いてないわけじゃ、ないんだよ?
ただ、何もかも、ついていけてないってだけで―――
「と……とりあえず……少し仮眠をとっていいかな。考えがうまくまとまらなくて……」
ほんのりと温もりの残るソファにごろんと横たわり、軽く目を閉じる。そして、視線に気が付きすぐ開く。
隣を向くと、元ソファの主が僕の枕元に座り込み、興味津々な様子でじっと見つめていた。
そうか、恐らくこの子には寝るという行為に馴染みが無くて、それが珍しいのだろう。
「……って!!いやいや!!だめだよ!!こういうのは……その……つまり、一緒に暮らすっていうのは、もっと段階を踏んでからやるべきことであって―――!!」
飛び起きた僕の主張も虚しく、ネメシスはただただまっすぐ僕を見つめる。
「だからー……そのー……えーと……」
その無垢な瞳に強く訴えることも出来ず、締まりのない言葉は次々と空気中でばらけていった。
嫌じゃない。嫌な事なんて、あるわけがない。
むしろものすごく嬉しい事なのだが、気持ちの整理に使える時間があまりにも少ない。
僕は恋人と同棲なんてしたこともないし―――いや、待てよ、この子には確かに僕の気持ちを伝えたけどこの子からの気持ちは聞いていないわけで、恋人ってわけじゃ―――
そんな考えが脳を巡り巡って、オーバーヒート寸前の思考回路がある一つの言葉をつかみ取った。
「きっと、し……幸せに、する……から!」
この台詞は少し違ったんじゃないかと再び困惑している僕を、ネメシスはきょとんとしながら見守っていた。
END
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