続・本編
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3月。
麗らかな春の風が人々の陽気を誘う季節。僕は行きつけのレストランで静かな一時を過ごしている。
白いカーテンから差す淡い日光に晒されながら静かに考え事をして、月ごとに変わるメニューを味わうのは僕のささやかな楽しみの一つだ。
「・・・」
しかし、今現在に至っての気分は憂鬱そのものだった。
あれから、ラクーンシティでの出来事はただの「事故」として処理された。
名目は原子力発電所の暴走。当初は多くの哀しみと涙を集めた「事故」も、半年という長い時間を経て徐々に人々の記憶から薄れていった。
しかし、僕があの場所で出会った人達、体験した出来事。
それらは何物にも代えられない僕自身の記憶として濃厚に残っている。
あれは、確かに起こっていた出来事なんだ。
夢なんかじゃ、ない。
「もう止めとけよ」
余程しかめっ面になっていたのだろうか、僕の正面で短い茶髪の青年は呆れるように苦笑いして一気にグラスの水を飲み干す。
あの死の街から共に脱出を遂げた心強いアンブレラの隊員、カルロスだ。
カルロスとはあの事件の後も連絡を取り合い、たまにはこうして食事をしている。
あれ以来アンブレラから何の通達も無く、今はただ待つ事しか出来ないと零していた。
「あんまり深入りしない方がいいと思うぞ、俺は。あんなバケモンを造り出す奴らなんだぜ?」
「はは、そんなに心配しなくても」
「違ぇよ、お前がやばい事に関わったら一緒に行動してた俺の身も危ねぇってだけだ。心配とかそんなんじゃなくてだな」
「そうだねー。うん。ありがとう、カルロス」
「聖、お前ほんっとムカつくな」
常に神経を尖らせていたあの時とは違う、屈託の無い時間と空間。
軽口を叩き合って、笑って、下らない事を話して、また笑って。
いつの間にかカーテンの外に太陽の姿は無くなっていた。
***
カルロスと別れ自宅に戻り、そのままベッドに俯せに倒れ込んだ。
「(・・・また今日も繰り返すんだな、僕は)」
思い返すのはあの日、僕が感じた全ての感情。
初めて誰かを想って胸が疼いた。
初めて誰かを殺す程憎んだ。
幾度反芻したのかも覚えていない記憶は、思い返す度にその色を強くしていく。
「・・・明日だ」
明日。
明日は、僕と隊の皆の約束の日だった。
脱出、帰還した僕は自宅に着くと真っ先にS.T.A.R.S.本部へ電話をして、状況を説明した。
奇怪な体験をした事。それでも無事に帰還出来た事。そして、それらをまとめる時間が欲しい事。
僕が静かにそれを告げると、電話の向こうから一言だけ「了解」という声が聞こえてきた。
少しして、一通のFAXが僕の元に届く。内容は半年間の休暇許可証。
S.T.A.R.S.の皆が僕に与えてくれた時間だった。
それから僕は一枚一枚、記憶に残っている全ての出来事を真っ白な紙に書き連ねていった。
隠された真実―――僕自身が信じた事実を余す所無く、隅から隅まで。
その作業自体は2カ月程で終了したが、僕自身の気持ちの整理を付ける為に残りの時間は本当の意味での「休暇」に費やした。
仰向きになり、近くの窓から空を覗く。
薄暗い夕闇に淡く月が滲んでいた。
あの子に初めて会ったのもちょうどこれくらいの時間だったかな。
寝返りをうち、枕元にある小さな机から黒いベルトを取る。
今やこんな小さな欠片しか残っていないが、あの記憶だけは他の何より鮮明に残っていた。
僕はおもむろにベルトを左腕につけ、それを淡い月明かりに晒す。
小さな、とは言ったものの、あまり僕にはぴったりとは言えなかった。
「・・・大きいや」
もし今あの街に行けば会えるというのなら、今すぐにでも向かうだろう。
しかしそんなこと出来るはずないと分かっている。
あの街はもう無い。
真っ白な灰になり、風に流されて消えていくのをこの目で見たのだから。
あの子はもう居ない。
外ならぬこの僕が、あの子に最期の引き金を引いたのだから。
君が望んだ最期。
僕が選んだ最後。
「っ・・・」
ベッドのシーツを跡がつく程に握り締めて、溢れそうになるものを必死に押さえ込む。
一際強くそれが来る時は、荒く大きな息をして、他の全ても一緒に無理矢理内側に押し込んだ。
何度かそれを繰り返すと次第に心が落ち着いてくる。
この半年間で得た、僕なりの感情を食い殺す方法だった。
平常心を取り戻して目を閉じると、一気に頭がぼんやりとしていくのを感じた。
***
はっと目を覚ます。
いつの間にか、外は完全な闇に覆われていた。
「・・・寝てた・・・」
気だるい体を起こし、ベッドに座る。
窓を開け、爽やかな夜風を肌で感じた。
頬を撫でるような優しい風が、僕を感傷的にさせる。
その静寂を掻き消したのは突然の来客。
玄関の扉が乱暴に開かれ、堅い靴音がいくつも侵入してくる。
「(何だ・・・?)」
僕は素早く引き出しからハンドガンを取り出し、ベッドの横に身を隠す。
驚く程手に馴染まない銃―――型こそ同じものの、以前所持していたハンドガンとは何かが全く違う。
紛失したものの代わりに銃器店で購入した新しいハンドガンはどうやらまだ僕に靡いてくれていないようだ。
息を潜め、あちらの様子を伺う。
小声でよく聞き取れないが、こそこそと何かを話し合っているようだ。
話の内容までは分からなくてもいい。せめて姿だけでも―――そう思い、ベッドの陰からそろりと頭を出す。
「へ?」
その声が止まると同時にベッドの上、僕の眼前に何かが落ちた。
それは空気が抜けるような音とともに白煙を吹き出し、辺りを瞬時に白い闇で覆い隠す。
「(煙幕!?・・・いや、これは!)」
目がずきずきと痛み、涙が滲み出る。更には喉が針でちくちくと嬲られているような感覚に襲われ、思わず咳き込んだ。
この白い煙の中に、恐らく催涙効果が含まれている。
対テロリスト用の催涙弾だろうか。
玄関に見知らぬ侵入者、部屋を充たしていく白煙、導き出すべきはこの状況を打破する方法。
そしてこんな危機的な状況で僕の頭に浮かんだのは、有りがちな映画のワンシーン。
・・・いや、あまりに無謀だ。
失敗のリスクが大きすぎる。
「(でもこれ以上の事が、他に何か思いつくのか?)」
苦しい呼吸、迫る足音。
迷ってる暇は、無い。
僕は窓枠に足をかけ、そのまま思い切り体を宙に放り出した。
部屋の中で小さな発砲音が響く。一瞬だけ見えたのは、ガスマスクを付けた深緑の隊服。
カルロスが身に着けていた隊服と良く似ているように見えた。
「~~~っ!」
大きな木に受け止められそのままずり落ちていく僕の顔や腕や脚を、小さい枝が遠慮無しに引っ掻いていく。
無数の生傷を作りながらも何とか着地した僕は頭上の窓を見上げた。
部屋の中からもうもうと濃厚な白い煙が立ち上っていて、あのままあの中に居たら今頃体中の筋肉が弛緩し切っていただろう。
未だに催涙ガスの抜け切らない身体を持ち上げ、とにかくここから離れようと振り返ったその時。
「動くな」
ガスマスク越しのこもった声が、僕の喉に銃口を突き付ける。
マスクの通気口から漏れ出す吐息、微動だにしない銃口。
目を覆うレインズの奥は暗く淀んでいて、まるで表情が分からない。
圧倒的なプレッシャーを前に、僕は手を挙げる事すら出来なかった。
このままじゃいけないのは分かっているのに何故か体が動かない。
「―――がっ!」
僕が瞬きした次の瞬間、全身に激しい電流が走った。
目の前に強く白い光が見え、そのまま地面に倒れこむ。ちかちかと点滅する風景の中に複数の人影が映った。
その内の一人が僕に近付き、頭の近くに跪くと銀色のアタッシュケースから何かを取り出した。
直後、首筋にチクリと痛みを感じる。ひんやりとした細長い異物感―――注射針だ。
その先端から冷たい何かが流れ込んでくる。
体中がその液体で溢れ返るような感触がとても気持ち悪く、声が震え全身に鳥肌が立った。
「うぅ、あ、あぁああ・・・ぁ・・・」
注射針が引き抜かれた途端、体全体が物凄い倦怠感に襲われ、頭に靄がかかっていく。
全てが苦しく、全てが鬱陶しく、全てがどうでもよくなった。
声を出すことにも疲れ、僕は目を閉じる。
記憶があるのはそこまでだった。
***
どのくらい経っていたのだろう。目が覚めると、僕は真っ白な部屋の中にいた。
更に真っ白な照明がちかちかと目に刺し、堪らず目を逸らして体を起こす。
白いフィルターを掻き消すように目をしばたたかせ、辺りを見渡した。
僕はベッド、いや、どちらかと言えば手術用の寝台に寝かされていたようだった。
音を立てないように寝台を降り、部屋の中を隅々まで見て回る。
しかしこれと言って特殊な物は無かった。寧ろ、あまりに何も無さ過ぎるくらいだ。
一応扉のようなものもあるが、無論それが開く訳も無い。
何がある訳でもない、ただ閉じ込めるだけの空間。
この部屋全体が白い檻の様な、そんな感じがした。
・・・これじゃまるで・・・
「後は・・・」
一瞥したのは壁一面に張られた巨大な鏡。
そこに映った自分の姿はまるで病人のようだった。
白くて薄っぺらい手術着を身に纏い、更によく見ると腕にいくつか注射の痕が見て取れる。
おもむろに鏡に指を押し付けてみると、鏡の中の自分の指とぴったりとくっつく。本物の鏡なら5mm程の隙間が空くはずだ。
「マジックミラー、か」
・・・まるで、実験動物じゃないか。
「気が付いたか」
はっとして振り向く。
いつの間にいたのだろうか、そこには先程の軍人と同じ恰好をした男が立っていた。
手にはハンドガンを携えている。
「自分の名前は分かるか?」
「・・・」
「黙っていても今更どうにもならないという事くらい、分かっているのだろう。もう一度聞こう、名前は?」
「・・・如月聖」
「よろしい、所属は」
「・・・ラクーン警察」
「私達は君の情報に関してなら君自身よりも詳しい。君には警察より、もっと相応しい呼び方があるじゃないか」
「・・・S.T.A.R.S.」
「そう、その通りだ」
男はハンドガンをホルダーに差し込み、ガスマスクを脱いで小さく微笑んだ。
「ようこそアンブレラへ、如月聖。これから君にはここで働いてもらう」
「え」
「さぁ、こちらへ」
予想だにしない急な展開に僕は目を白黒させる。
男はさっさと扉をくぐり、僕は慌ててそれに続いた。
朧げな青い蛍光灯が点灯する、ひやりとした廊下が延々と伸びている。
「何故僕はここに・・・アンブレラに」
「君が必要だからだ。言ったろう、働いてもらうと」
「答えになっていない!それに働くったって僕にはちゃんと仕事が―――」
そこまで言ったところで、男は歩みを止めた。
「ふむ、君の仕事といえば・・・町で起こった小さな事件の犯人を捕まえることか、それともあちこちで我社の事を嗅ぎ回ることか?」
「・・・っ」
言葉に詰まった。
確かに僕はS.T.A.R.S.でも一番の新米。
他の隊員に比べたら随分と無力で、たいした人脈も、権力も無かった。
僕が口を閉じるのを見て、男は続ける。
「外部から嘘とも分からない情報を調べるか、敵の懐に入って己の目で真実を見極めるかは、君に任せよう」
そう言うと男は再び冷たい廊下を歩き始めた。
もしここでこのまま反抗しても、一体僕に何が出来るだろうか。
ただ、名も無い死体が増えるだけなんじゃないだろうか。
この状況―――危機と取るか好機と取るか。
僕は後者だ。
***
「さあ着いたぞ、今から此処が君の仕事場だ」
そう言って男が開けた扉の先。
基調を白と茶色として揃えられた上品な出で立ちの家具に、染み一つ無い美しい淡い柄の壁紙。
座り心地の良さそうなソファはゆったりとした造りになっており、僕の部屋のベッドより良く眠れそうだった。
暖かみのある橙色の照明は部屋の隅々まで明るく照らしているのに眩しさは全く感じない。
まるで上等なホテルの一室のような気品のある空間がそこに広がっていた。
一つだけ引っ掛かるのは、窓という窓が一つも無いという事だけ。
想像していたものと正反対の光景に、ただただ唖然とする。
「この部屋にある物なら何でも自由に使ってくれて構わない。また、何か必要な物があれば内線で局員に伝えれば持ってこさせよう」
「・・・」
「ああ、着替えはクローゼットの中に入っているはずだ。ゆっくりくつろぐと良い」
そんな僕を余所に男は僕の肩を軽く叩き、さっさとドアの外へ出ていった。
廊下に重い音を響かせて閉まる扉。
「・・・あ!?」
気付いた時には既に遅かった。
ドアに駆け寄りノブを回そうとするも微動だにせず、力任せに押し引きしてもまるで動く気配が無い。
それから数秒後、部屋に備え付けられていた電話が鳴り響いた。
恐る恐る受話器を取り、耳を澄ませる。
「ドアはオートロックだ。内側からは鍵が無い限り開かない」
あの男だった。
声の後ろから靴音が聞こえてくる。歩きながら、ということは携帯電話だろうか。
「・・・仕事というのは?」
「ほう、もうやる気になったのか。感心だな」
「聞いておくだけです」
「ふふ、まあいい。さて、君の仕事だが」
「・・・」
僕はごくりと唾を飲み込み、これから聞こえてくるであろうとんでもない『仕事』の内容に耳を傾けた。
「日に一度、検温、採血、それと脈拍の検査をさせてもらう」
「・・・それから?」
「それだけだ」
僕の覚悟虚しく、男はそうきっぱりと言い切った。
「それだけって―――」
「だから、それだけだ。ただ此処で君は『死なずに』いてくれればそれでいいんだ。それ以上は何もしなくていい、いや、寧ろ何もしないでほしい」
僕の言葉を遮り、またも一声で言い切る。
「それでは、健闘を祈る」
一方的に切られた受話器を握り締めたまま、僕は呆然と立ち尽くした。
この部屋を見て誰が死を連想するだろうか。
良質過ぎる条件に、逆に不安を掻き立てられる。
この『仕事』は一体何を僕にさせようとしているのか。
頭が痛くなる程混乱した。
しかし、こんな状況でも一つだけ確かな事はある。
そう、たった今、額を押さえながらふらふらと向かった先にあったソファ―――
「・・・やっぱり、良く眠れそう」
麗らかな春の風が人々の陽気を誘う季節。僕は行きつけのレストランで静かな一時を過ごしている。
白いカーテンから差す淡い日光に晒されながら静かに考え事をして、月ごとに変わるメニューを味わうのは僕のささやかな楽しみの一つだ。
「・・・」
しかし、今現在に至っての気分は憂鬱そのものだった。
あれから、ラクーンシティでの出来事はただの「事故」として処理された。
名目は原子力発電所の暴走。当初は多くの哀しみと涙を集めた「事故」も、半年という長い時間を経て徐々に人々の記憶から薄れていった。
しかし、僕があの場所で出会った人達、体験した出来事。
それらは何物にも代えられない僕自身の記憶として濃厚に残っている。
あれは、確かに起こっていた出来事なんだ。
夢なんかじゃ、ない。
「もう止めとけよ」
余程しかめっ面になっていたのだろうか、僕の正面で短い茶髪の青年は呆れるように苦笑いして一気にグラスの水を飲み干す。
あの死の街から共に脱出を遂げた心強いアンブレラの隊員、カルロスだ。
カルロスとはあの事件の後も連絡を取り合い、たまにはこうして食事をしている。
あれ以来アンブレラから何の通達も無く、今はただ待つ事しか出来ないと零していた。
「あんまり深入りしない方がいいと思うぞ、俺は。あんなバケモンを造り出す奴らなんだぜ?」
「はは、そんなに心配しなくても」
「違ぇよ、お前がやばい事に関わったら一緒に行動してた俺の身も危ねぇってだけだ。心配とかそんなんじゃなくてだな」
「そうだねー。うん。ありがとう、カルロス」
「聖、お前ほんっとムカつくな」
常に神経を尖らせていたあの時とは違う、屈託の無い時間と空間。
軽口を叩き合って、笑って、下らない事を話して、また笑って。
いつの間にかカーテンの外に太陽の姿は無くなっていた。
***
カルロスと別れ自宅に戻り、そのままベッドに俯せに倒れ込んだ。
「(・・・また今日も繰り返すんだな、僕は)」
思い返すのはあの日、僕が感じた全ての感情。
初めて誰かを想って胸が疼いた。
初めて誰かを殺す程憎んだ。
幾度反芻したのかも覚えていない記憶は、思い返す度にその色を強くしていく。
「・・・明日だ」
明日。
明日は、僕と隊の皆の約束の日だった。
脱出、帰還した僕は自宅に着くと真っ先にS.T.A.R.S.本部へ電話をして、状況を説明した。
奇怪な体験をした事。それでも無事に帰還出来た事。そして、それらをまとめる時間が欲しい事。
僕が静かにそれを告げると、電話の向こうから一言だけ「了解」という声が聞こえてきた。
少しして、一通のFAXが僕の元に届く。内容は半年間の休暇許可証。
S.T.A.R.S.の皆が僕に与えてくれた時間だった。
それから僕は一枚一枚、記憶に残っている全ての出来事を真っ白な紙に書き連ねていった。
隠された真実―――僕自身が信じた事実を余す所無く、隅から隅まで。
その作業自体は2カ月程で終了したが、僕自身の気持ちの整理を付ける為に残りの時間は本当の意味での「休暇」に費やした。
仰向きになり、近くの窓から空を覗く。
薄暗い夕闇に淡く月が滲んでいた。
あの子に初めて会ったのもちょうどこれくらいの時間だったかな。
寝返りをうち、枕元にある小さな机から黒いベルトを取る。
今やこんな小さな欠片しか残っていないが、あの記憶だけは他の何より鮮明に残っていた。
僕はおもむろにベルトを左腕につけ、それを淡い月明かりに晒す。
小さな、とは言ったものの、あまり僕にはぴったりとは言えなかった。
「・・・大きいや」
もし今あの街に行けば会えるというのなら、今すぐにでも向かうだろう。
しかしそんなこと出来るはずないと分かっている。
あの街はもう無い。
真っ白な灰になり、風に流されて消えていくのをこの目で見たのだから。
あの子はもう居ない。
外ならぬこの僕が、あの子に最期の引き金を引いたのだから。
君が望んだ最期。
僕が選んだ最後。
「っ・・・」
ベッドのシーツを跡がつく程に握り締めて、溢れそうになるものを必死に押さえ込む。
一際強くそれが来る時は、荒く大きな息をして、他の全ても一緒に無理矢理内側に押し込んだ。
何度かそれを繰り返すと次第に心が落ち着いてくる。
この半年間で得た、僕なりの感情を食い殺す方法だった。
平常心を取り戻して目を閉じると、一気に頭がぼんやりとしていくのを感じた。
***
はっと目を覚ます。
いつの間にか、外は完全な闇に覆われていた。
「・・・寝てた・・・」
気だるい体を起こし、ベッドに座る。
窓を開け、爽やかな夜風を肌で感じた。
頬を撫でるような優しい風が、僕を感傷的にさせる。
その静寂を掻き消したのは突然の来客。
玄関の扉が乱暴に開かれ、堅い靴音がいくつも侵入してくる。
「(何だ・・・?)」
僕は素早く引き出しからハンドガンを取り出し、ベッドの横に身を隠す。
驚く程手に馴染まない銃―――型こそ同じものの、以前所持していたハンドガンとは何かが全く違う。
紛失したものの代わりに銃器店で購入した新しいハンドガンはどうやらまだ僕に靡いてくれていないようだ。
息を潜め、あちらの様子を伺う。
小声でよく聞き取れないが、こそこそと何かを話し合っているようだ。
話の内容までは分からなくてもいい。せめて姿だけでも―――そう思い、ベッドの陰からそろりと頭を出す。
「へ?」
その声が止まると同時にベッドの上、僕の眼前に何かが落ちた。
それは空気が抜けるような音とともに白煙を吹き出し、辺りを瞬時に白い闇で覆い隠す。
「(煙幕!?・・・いや、これは!)」
目がずきずきと痛み、涙が滲み出る。更には喉が針でちくちくと嬲られているような感覚に襲われ、思わず咳き込んだ。
この白い煙の中に、恐らく催涙効果が含まれている。
対テロリスト用の催涙弾だろうか。
玄関に見知らぬ侵入者、部屋を充たしていく白煙、導き出すべきはこの状況を打破する方法。
そしてこんな危機的な状況で僕の頭に浮かんだのは、有りがちな映画のワンシーン。
・・・いや、あまりに無謀だ。
失敗のリスクが大きすぎる。
「(でもこれ以上の事が、他に何か思いつくのか?)」
苦しい呼吸、迫る足音。
迷ってる暇は、無い。
僕は窓枠に足をかけ、そのまま思い切り体を宙に放り出した。
部屋の中で小さな発砲音が響く。一瞬だけ見えたのは、ガスマスクを付けた深緑の隊服。
カルロスが身に着けていた隊服と良く似ているように見えた。
「~~~っ!」
大きな木に受け止められそのままずり落ちていく僕の顔や腕や脚を、小さい枝が遠慮無しに引っ掻いていく。
無数の生傷を作りながらも何とか着地した僕は頭上の窓を見上げた。
部屋の中からもうもうと濃厚な白い煙が立ち上っていて、あのままあの中に居たら今頃体中の筋肉が弛緩し切っていただろう。
未だに催涙ガスの抜け切らない身体を持ち上げ、とにかくここから離れようと振り返ったその時。
「動くな」
ガスマスク越しのこもった声が、僕の喉に銃口を突き付ける。
マスクの通気口から漏れ出す吐息、微動だにしない銃口。
目を覆うレインズの奥は暗く淀んでいて、まるで表情が分からない。
圧倒的なプレッシャーを前に、僕は手を挙げる事すら出来なかった。
このままじゃいけないのは分かっているのに何故か体が動かない。
「―――がっ!」
僕が瞬きした次の瞬間、全身に激しい電流が走った。
目の前に強く白い光が見え、そのまま地面に倒れこむ。ちかちかと点滅する風景の中に複数の人影が映った。
その内の一人が僕に近付き、頭の近くに跪くと銀色のアタッシュケースから何かを取り出した。
直後、首筋にチクリと痛みを感じる。ひんやりとした細長い異物感―――注射針だ。
その先端から冷たい何かが流れ込んでくる。
体中がその液体で溢れ返るような感触がとても気持ち悪く、声が震え全身に鳥肌が立った。
「うぅ、あ、あぁああ・・・ぁ・・・」
注射針が引き抜かれた途端、体全体が物凄い倦怠感に襲われ、頭に靄がかかっていく。
全てが苦しく、全てが鬱陶しく、全てがどうでもよくなった。
声を出すことにも疲れ、僕は目を閉じる。
記憶があるのはそこまでだった。
***
どのくらい経っていたのだろう。目が覚めると、僕は真っ白な部屋の中にいた。
更に真っ白な照明がちかちかと目に刺し、堪らず目を逸らして体を起こす。
白いフィルターを掻き消すように目をしばたたかせ、辺りを見渡した。
僕はベッド、いや、どちらかと言えば手術用の寝台に寝かされていたようだった。
音を立てないように寝台を降り、部屋の中を隅々まで見て回る。
しかしこれと言って特殊な物は無かった。寧ろ、あまりに何も無さ過ぎるくらいだ。
一応扉のようなものもあるが、無論それが開く訳も無い。
何がある訳でもない、ただ閉じ込めるだけの空間。
この部屋全体が白い檻の様な、そんな感じがした。
・・・これじゃまるで・・・
「後は・・・」
一瞥したのは壁一面に張られた巨大な鏡。
そこに映った自分の姿はまるで病人のようだった。
白くて薄っぺらい手術着を身に纏い、更によく見ると腕にいくつか注射の痕が見て取れる。
おもむろに鏡に指を押し付けてみると、鏡の中の自分の指とぴったりとくっつく。本物の鏡なら5mm程の隙間が空くはずだ。
「マジックミラー、か」
・・・まるで、実験動物じゃないか。
「気が付いたか」
はっとして振り向く。
いつの間にいたのだろうか、そこには先程の軍人と同じ恰好をした男が立っていた。
手にはハンドガンを携えている。
「自分の名前は分かるか?」
「・・・」
「黙っていても今更どうにもならないという事くらい、分かっているのだろう。もう一度聞こう、名前は?」
「・・・如月聖」
「よろしい、所属は」
「・・・ラクーン警察」
「私達は君の情報に関してなら君自身よりも詳しい。君には警察より、もっと相応しい呼び方があるじゃないか」
「・・・S.T.A.R.S.」
「そう、その通りだ」
男はハンドガンをホルダーに差し込み、ガスマスクを脱いで小さく微笑んだ。
「ようこそアンブレラへ、如月聖。これから君にはここで働いてもらう」
「え」
「さぁ、こちらへ」
予想だにしない急な展開に僕は目を白黒させる。
男はさっさと扉をくぐり、僕は慌ててそれに続いた。
朧げな青い蛍光灯が点灯する、ひやりとした廊下が延々と伸びている。
「何故僕はここに・・・アンブレラに」
「君が必要だからだ。言ったろう、働いてもらうと」
「答えになっていない!それに働くったって僕にはちゃんと仕事が―――」
そこまで言ったところで、男は歩みを止めた。
「ふむ、君の仕事といえば・・・町で起こった小さな事件の犯人を捕まえることか、それともあちこちで我社の事を嗅ぎ回ることか?」
「・・・っ」
言葉に詰まった。
確かに僕はS.T.A.R.S.でも一番の新米。
他の隊員に比べたら随分と無力で、たいした人脈も、権力も無かった。
僕が口を閉じるのを見て、男は続ける。
「外部から嘘とも分からない情報を調べるか、敵の懐に入って己の目で真実を見極めるかは、君に任せよう」
そう言うと男は再び冷たい廊下を歩き始めた。
もしここでこのまま反抗しても、一体僕に何が出来るだろうか。
ただ、名も無い死体が増えるだけなんじゃないだろうか。
この状況―――危機と取るか好機と取るか。
僕は後者だ。
***
「さあ着いたぞ、今から此処が君の仕事場だ」
そう言って男が開けた扉の先。
基調を白と茶色として揃えられた上品な出で立ちの家具に、染み一つ無い美しい淡い柄の壁紙。
座り心地の良さそうなソファはゆったりとした造りになっており、僕の部屋のベッドより良く眠れそうだった。
暖かみのある橙色の照明は部屋の隅々まで明るく照らしているのに眩しさは全く感じない。
まるで上等なホテルの一室のような気品のある空間がそこに広がっていた。
一つだけ引っ掛かるのは、窓という窓が一つも無いという事だけ。
想像していたものと正反対の光景に、ただただ唖然とする。
「この部屋にある物なら何でも自由に使ってくれて構わない。また、何か必要な物があれば内線で局員に伝えれば持ってこさせよう」
「・・・」
「ああ、着替えはクローゼットの中に入っているはずだ。ゆっくりくつろぐと良い」
そんな僕を余所に男は僕の肩を軽く叩き、さっさとドアの外へ出ていった。
廊下に重い音を響かせて閉まる扉。
「・・・あ!?」
気付いた時には既に遅かった。
ドアに駆け寄りノブを回そうとするも微動だにせず、力任せに押し引きしてもまるで動く気配が無い。
それから数秒後、部屋に備え付けられていた電話が鳴り響いた。
恐る恐る受話器を取り、耳を澄ませる。
「ドアはオートロックだ。内側からは鍵が無い限り開かない」
あの男だった。
声の後ろから靴音が聞こえてくる。歩きながら、ということは携帯電話だろうか。
「・・・仕事というのは?」
「ほう、もうやる気になったのか。感心だな」
「聞いておくだけです」
「ふふ、まあいい。さて、君の仕事だが」
「・・・」
僕はごくりと唾を飲み込み、これから聞こえてくるであろうとんでもない『仕事』の内容に耳を傾けた。
「日に一度、検温、採血、それと脈拍の検査をさせてもらう」
「・・・それから?」
「それだけだ」
僕の覚悟虚しく、男はそうきっぱりと言い切った。
「それだけって―――」
「だから、それだけだ。ただ此処で君は『死なずに』いてくれればそれでいいんだ。それ以上は何もしなくていい、いや、寧ろ何もしないでほしい」
僕の言葉を遮り、またも一声で言い切る。
「それでは、健闘を祈る」
一方的に切られた受話器を握り締めたまま、僕は呆然と立ち尽くした。
この部屋を見て誰が死を連想するだろうか。
良質過ぎる条件に、逆に不安を掻き立てられる。
この『仕事』は一体何を僕にさせようとしているのか。
頭が痛くなる程混乱した。
しかし、こんな状況でも一つだけ確かな事はある。
そう、たった今、額を押さえながらふらふらと向かった先にあったソファ―――
「・・・やっぱり、良く眠れそう」
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