本編
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「作戦の確認をする」
長身の男はそう言って僕達に淡々と指示を並べていく。
彼の名はニコライ・ジノビエフ。
カルロスと同じくバイオハザード対策部隊の一員。階級は軍曹。
「・・・以上だ」
「あいよ、了解」
「了解です」
作戦の内容はこうだ。
合流地点だという時計塔に行くまでの道のりに、大規模な火災が発生している。
そこをこの路面電車で突破するというものだ。
確かにそれなら敵にも出会わず、高速で移動できる。
しかしこの電車、部品がいくつか足りていない。そこで僕達で手分けしてそれを集めてこよう、というわけだ。
「では各自、調達にかかれ」
ニコライはそう告げると、僕達にふっと背を向け一人でさっさと行ってしまった。
その大きな背中を見送りながら、カルロスは言う。
「・・・何度見ても怖ぇな、あの人は」
「頼りになりそうな人じゃないか」
そう言った当の僕自身も、本当は全く同じことを感じていた。
別に恐ろしい事を言っている訳でも、恐ろしい形相をしている訳でもない。
だが何故か、とても怖いと感じてしまう。僕の中の動物的な勘が「あの男は危ない」と言っていた。
***
話は数分前に遡る。
突然カルロスの無線に連絡が入った。
「こちらカルロス―――はい―――、了解」
「?」
「聖、この街からいよいよ脱出できるみたいだぜ」
「え?」
「行くぞ」
「ま、待ってよー」
カルロスに連れられるままにゾンビ達を潜り抜け、僕達は路面電車にたどり着いた。
「ここに誰が?」
「俺の仲間だ」
扉を開けた先には見知らぬ二人の軍人。
一人は巨躯の銀髪。冷徹な瞳が印象的だった。座席にもたれていた体を起こし、睨みつける様に僕のほうを見た。
もう一人は隊服を血に染めていて、荒い呼吸をして座席に寝そべっている。
「一人残ってたぜ」
カルロスが僕の肩を叩く。慌てて挨拶をした。
「は、初めまして!・・・えっと・・・」
「・・・ニコライ・ジノビエフだ」
「あ、ニコライさん」
銀髪の軍人は鋭い眼差しで僕を見遣った。
「・・・ただの餓鬼が、どうやってここまで生き延びた」
「僕は如月聖、S.T.A.R.S.の隊員です。一般市民ではありません」
「S.T.A.R.S.というと・・・市警の特殊部隊だな」
「ええ」
そう言うと何か考え込むような顔をして、奥の方へ歩いていってしまった。
「に、ニコライさーん?」
「んー、まぁ、気難しいところがあるんだよ。気にするな」
「うん・・・」
僕は気を取り直して、もう一人の方に向かう。
「ミハイル・・・」
カルロスが呟く。
「うう・・・ああ・・・駄目だ、撃て、逃げたら、くそ、これ以上は・・・」
荒い呼吸をする口から、断片的な言葉が流れ出る。その言葉の端々で、どんなに部下を大事に思っているかが伺えた。
「待て、行くな、もう・・・私の事は・・・逃げてくれ・・・お前達だけでも・・・」
脂汗が額を流れている。苦悶の表情だ。
左上半身は血に塗れ、しかめられた目は虚空を見つめていた。
「大丈夫、ミハイルさん。ここには敵はいません、落ち着いて」
僕はミハイルの耳元でそう囁いた。
ミハイルの表情がわずかだが和らぎ、呼吸が少し穏やかになる。
僕は立ちあがってカルロスを引っ張り、車両の隅に移動した。
「一体何が?」
「・・・自分の部下に、食われかけたんだ」
「な・・・!?」
「人一倍部下思いだったんだ、そんなすぐにゃあ割り切れるはずもねぇよ・・・でもな、ニコライは・・・っいや・・・その・・・」
「?」
短い沈黙。
カルロスは何かを怖がっているような目で辺りを見渡した。
そしてカルロスが恐る恐る口を開いた瞬間。
「お前達」
「うっわ!!!」
「なんだ、カルロス」
「い、いや!なんでも」
「・・・まぁいい、二人ともついてこい」
訝しげな顔をしたニコライに連れられ、僕達は電車の操縦室に移動した。
何を言われるのか冷や冷やしていると、ニコライがこちらに向き直り、僕をその冷たい瞳で見据える。
「如月聖・・・こいつは危険な存在だ」
少し、眉をしかめて言った。
『危険な存在』、僕には確かにそう聞こえた。
「ひぇ?」
突然の発言に、素っ頓狂な声が出る。
こちらを見る、いや、睨むニコライの鋭い眼光が、首を絞め、心臓を握り潰すような感覚を生み出す。
どうやら彼なりの冗談というわけでもなさそうだ。
「・・・ぇ」
息が詰まり、声を出すことが出来ない。
カルロスがそれを見かねて間に入った。
「結構いい腕してるぜこいつ。部隊は今こんな状態、協力し合うのが当然ってもんじゃねぇのか」
それを聞き入れたのか、それとも面倒になったのか、ニコライは僕から視線を外す。
解放された瞬間、嫌な汗がどっと全身を流れた。
「・・・ふん」
一体ニコライは何をもって僕を危険だと言ったのか。
謎を残したまま、僕達は電車を動かす為の用具を集めに奔走する事になった。
***
僕は一人製薬会社へと乗り込んだ。
目的はオイル添加剤。通常のマシンオイルと併せて使用し、大型機械に最適なオイルへと変える薬品だ。
入口付近に先程の虫の怪物が2体ほどいたが慣れたものだった。
足の先にある爪は驚異であるが、足自体は通常の虫と同じように脆い。
掴みかかってきた4本の足を逆方向にへし折り、怯んだところに散弾を喰らわせ切り抜けた。
「結構どこにでもいるんだな」
しかし自分でも驚く程の慣れ様が、自らをも人間から遠ざけているような気がしてしまいあまりいい気分ではなかった。
少し暗い気持ちになったが、そんな事は言っていられない。
僕は製薬会社の扉を開けた。
「・・・?」
先客がいるようだった。
聞いたことの無い叫び声、それと数発の銃声。
生存者だろうか。僕は音のした方へ走った。
「っ大丈夫です・・・か・・・?」
青白い肌を黒や紫の斑に染めた男が倒れていた。額と心臓とから大量の血を流して、全身が小刻みに痙攣している。
明らかにたった今死んだものだった。
いや、殺されたという方が正しいか。
「・・・貴方が?」
「ゾンビ化が始まっていた。そうなる前に殺した方が弾薬は少なくて済む」
そう淡々とした口調で答えたのはニコライだった。
僕とは一切目線を合わさず、弾薬を補充しながら答える。
冷たく、何の感情も無いような声の主は痙攣の止まった死体の側にしゃがみ、端末機を取り出した。
「しかし今の悲鳴・・・意識はあったんじゃないんですか」
「あったとして、何か問題があるのか?」
ゾンビが蔓延るこの町で、出来る限り弾薬は使いたくない。それは当然だ。
だが、意識のある「人間」を殺すという行為は人道的にどうなのだろうか。
一人で考え込んでいた僕は、もう一つの事実に気付いた。
「・・・その隊服、もしかして」
「邪魔だ、早く行け」
吐き捨てるように言った。
ニコライは僕を一瞬鋭く睨み、直ぐに目を端末機に戻して自分と同じ隊服を着た死体を調べる。
いや、彼にとっては死体ではなく唯の肉塊なのかもしれない。
それが例え、生前に仲間だったとしても。
人間をこんなに恐ろしいと感じたのは初めてだった。
冷静、冷徹、冷酷。
どの言葉も彼の為に出来たのではないかと疑いたくなる。
カルロスが言いかけた言葉を思い出した。
『ニコライは・・・』
今ならその言葉の続きが分かる。
その言葉の先の真実に身の震えが止められないまま、僕は薬品保管庫へ入った。
目的の物をを手にした僕は製薬所を出る。綺麗に頭を撃ち抜かれた死体を残し、ニコライの姿は消えていた。
・・・カルロスは、今は協力すべき時だと言って僕をこの作戦に入れてくれた。その時ニコライは不満そうな顔だったが、受け入れてくれた。
一時の感情に流されてはいけない。
彼は任務を遂行しようとしているだけだ。
異常なほど、確実に、迅速に、そして冷酷に。
何とか震えを抑え込み、電車に戻ろうとした。
すると、眼前にあった路地の扉が独りでに開く。
「?」
開いた先に、黒衣に身を包んだ巨体が佇んでいた。
「君は!」
あの子だった。
忘れるはずもない、あの寂しそうな瞳が変わらずこちらを見ていた。
僕は急いで駆け寄り、両手で大きな手をそっと握りしめる。
「心配したんだ・・・」
前と変わらない温度と感触。
僕の胸に再び心地よい苦しみが訪れる。
「怪我は―――」
目を合わせようとした時だった。
ふいに手が振り払われ、唇の無い口から低い唸り声と生温かい息が漏れる。
突然の拒絶に僕はどうしていいか分からず、ただ硬直するしかできなかった。
胸に何かが詰まっているような感覚に襲われ、声を出すことすら難しい。
「・・・っごめん」
やっと絞り出した言葉がこれだった。
この言葉を何度言っただろう。
何度言えば気が済むんだろう。
調子に乗って僕はこの子に何をしたんだ。
それなりに好かれていると勝手に思い込んでいた。
本当に、勝手に。
泣き出したくなる程の胸の苦しさに、呼吸がままならない。
「・・・ごめん」
そのまま、ろくに顔も見ずに僕はその場から逃げ出してしまった。
まただ。
また逃げた。
さっきから逃げてばかりで。
情けない―――。
いつの間にか走っていた。
息があがる。
苦しかった。
立ち止まり、膝に手をつきぜぇぜぇと肩で息をする。
体力は結構ある方だったのに、今はこの場に崩れたくなるほど体が重い。
ああ、ごめんね。
いつも、いつも怒るような事をして。
額に手を当て、大きなため息をつく。
そして僕自身に問いかけた。
―――もう間違った答えは選ばないんじゃなかったのか?
長身の男はそう言って僕達に淡々と指示を並べていく。
彼の名はニコライ・ジノビエフ。
カルロスと同じくバイオハザード対策部隊の一員。階級は軍曹。
「・・・以上だ」
「あいよ、了解」
「了解です」
作戦の内容はこうだ。
合流地点だという時計塔に行くまでの道のりに、大規模な火災が発生している。
そこをこの路面電車で突破するというものだ。
確かにそれなら敵にも出会わず、高速で移動できる。
しかしこの電車、部品がいくつか足りていない。そこで僕達で手分けしてそれを集めてこよう、というわけだ。
「では各自、調達にかかれ」
ニコライはそう告げると、僕達にふっと背を向け一人でさっさと行ってしまった。
その大きな背中を見送りながら、カルロスは言う。
「・・・何度見ても怖ぇな、あの人は」
「頼りになりそうな人じゃないか」
そう言った当の僕自身も、本当は全く同じことを感じていた。
別に恐ろしい事を言っている訳でも、恐ろしい形相をしている訳でもない。
だが何故か、とても怖いと感じてしまう。僕の中の動物的な勘が「あの男は危ない」と言っていた。
***
話は数分前に遡る。
突然カルロスの無線に連絡が入った。
「こちらカルロス―――はい―――、了解」
「?」
「聖、この街からいよいよ脱出できるみたいだぜ」
「え?」
「行くぞ」
「ま、待ってよー」
カルロスに連れられるままにゾンビ達を潜り抜け、僕達は路面電車にたどり着いた。
「ここに誰が?」
「俺の仲間だ」
扉を開けた先には見知らぬ二人の軍人。
一人は巨躯の銀髪。冷徹な瞳が印象的だった。座席にもたれていた体を起こし、睨みつける様に僕のほうを見た。
もう一人は隊服を血に染めていて、荒い呼吸をして座席に寝そべっている。
「一人残ってたぜ」
カルロスが僕の肩を叩く。慌てて挨拶をした。
「は、初めまして!・・・えっと・・・」
「・・・ニコライ・ジノビエフだ」
「あ、ニコライさん」
銀髪の軍人は鋭い眼差しで僕を見遣った。
「・・・ただの餓鬼が、どうやってここまで生き延びた」
「僕は如月聖、S.T.A.R.S.の隊員です。一般市民ではありません」
「S.T.A.R.S.というと・・・市警の特殊部隊だな」
「ええ」
そう言うと何か考え込むような顔をして、奥の方へ歩いていってしまった。
「に、ニコライさーん?」
「んー、まぁ、気難しいところがあるんだよ。気にするな」
「うん・・・」
僕は気を取り直して、もう一人の方に向かう。
「ミハイル・・・」
カルロスが呟く。
「うう・・・ああ・・・駄目だ、撃て、逃げたら、くそ、これ以上は・・・」
荒い呼吸をする口から、断片的な言葉が流れ出る。その言葉の端々で、どんなに部下を大事に思っているかが伺えた。
「待て、行くな、もう・・・私の事は・・・逃げてくれ・・・お前達だけでも・・・」
脂汗が額を流れている。苦悶の表情だ。
左上半身は血に塗れ、しかめられた目は虚空を見つめていた。
「大丈夫、ミハイルさん。ここには敵はいません、落ち着いて」
僕はミハイルの耳元でそう囁いた。
ミハイルの表情がわずかだが和らぎ、呼吸が少し穏やかになる。
僕は立ちあがってカルロスを引っ張り、車両の隅に移動した。
「一体何が?」
「・・・自分の部下に、食われかけたんだ」
「な・・・!?」
「人一倍部下思いだったんだ、そんなすぐにゃあ割り切れるはずもねぇよ・・・でもな、ニコライは・・・っいや・・・その・・・」
「?」
短い沈黙。
カルロスは何かを怖がっているような目で辺りを見渡した。
そしてカルロスが恐る恐る口を開いた瞬間。
「お前達」
「うっわ!!!」
「なんだ、カルロス」
「い、いや!なんでも」
「・・・まぁいい、二人ともついてこい」
訝しげな顔をしたニコライに連れられ、僕達は電車の操縦室に移動した。
何を言われるのか冷や冷やしていると、ニコライがこちらに向き直り、僕をその冷たい瞳で見据える。
「如月聖・・・こいつは危険な存在だ」
少し、眉をしかめて言った。
『危険な存在』、僕には確かにそう聞こえた。
「ひぇ?」
突然の発言に、素っ頓狂な声が出る。
こちらを見る、いや、睨むニコライの鋭い眼光が、首を絞め、心臓を握り潰すような感覚を生み出す。
どうやら彼なりの冗談というわけでもなさそうだ。
「・・・ぇ」
息が詰まり、声を出すことが出来ない。
カルロスがそれを見かねて間に入った。
「結構いい腕してるぜこいつ。部隊は今こんな状態、協力し合うのが当然ってもんじゃねぇのか」
それを聞き入れたのか、それとも面倒になったのか、ニコライは僕から視線を外す。
解放された瞬間、嫌な汗がどっと全身を流れた。
「・・・ふん」
一体ニコライは何をもって僕を危険だと言ったのか。
謎を残したまま、僕達は電車を動かす為の用具を集めに奔走する事になった。
***
僕は一人製薬会社へと乗り込んだ。
目的はオイル添加剤。通常のマシンオイルと併せて使用し、大型機械に最適なオイルへと変える薬品だ。
入口付近に先程の虫の怪物が2体ほどいたが慣れたものだった。
足の先にある爪は驚異であるが、足自体は通常の虫と同じように脆い。
掴みかかってきた4本の足を逆方向にへし折り、怯んだところに散弾を喰らわせ切り抜けた。
「結構どこにでもいるんだな」
しかし自分でも驚く程の慣れ様が、自らをも人間から遠ざけているような気がしてしまいあまりいい気分ではなかった。
少し暗い気持ちになったが、そんな事は言っていられない。
僕は製薬会社の扉を開けた。
「・・・?」
先客がいるようだった。
聞いたことの無い叫び声、それと数発の銃声。
生存者だろうか。僕は音のした方へ走った。
「っ大丈夫です・・・か・・・?」
青白い肌を黒や紫の斑に染めた男が倒れていた。額と心臓とから大量の血を流して、全身が小刻みに痙攣している。
明らかにたった今死んだものだった。
いや、殺されたという方が正しいか。
「・・・貴方が?」
「ゾンビ化が始まっていた。そうなる前に殺した方が弾薬は少なくて済む」
そう淡々とした口調で答えたのはニコライだった。
僕とは一切目線を合わさず、弾薬を補充しながら答える。
冷たく、何の感情も無いような声の主は痙攣の止まった死体の側にしゃがみ、端末機を取り出した。
「しかし今の悲鳴・・・意識はあったんじゃないんですか」
「あったとして、何か問題があるのか?」
ゾンビが蔓延るこの町で、出来る限り弾薬は使いたくない。それは当然だ。
だが、意識のある「人間」を殺すという行為は人道的にどうなのだろうか。
一人で考え込んでいた僕は、もう一つの事実に気付いた。
「・・・その隊服、もしかして」
「邪魔だ、早く行け」
吐き捨てるように言った。
ニコライは僕を一瞬鋭く睨み、直ぐに目を端末機に戻して自分と同じ隊服を着た死体を調べる。
いや、彼にとっては死体ではなく唯の肉塊なのかもしれない。
それが例え、生前に仲間だったとしても。
人間をこんなに恐ろしいと感じたのは初めてだった。
冷静、冷徹、冷酷。
どの言葉も彼の為に出来たのではないかと疑いたくなる。
カルロスが言いかけた言葉を思い出した。
『ニコライは・・・』
今ならその言葉の続きが分かる。
その言葉の先の真実に身の震えが止められないまま、僕は薬品保管庫へ入った。
目的の物をを手にした僕は製薬所を出る。綺麗に頭を撃ち抜かれた死体を残し、ニコライの姿は消えていた。
・・・カルロスは、今は協力すべき時だと言って僕をこの作戦に入れてくれた。その時ニコライは不満そうな顔だったが、受け入れてくれた。
一時の感情に流されてはいけない。
彼は任務を遂行しようとしているだけだ。
異常なほど、確実に、迅速に、そして冷酷に。
何とか震えを抑え込み、電車に戻ろうとした。
すると、眼前にあった路地の扉が独りでに開く。
「?」
開いた先に、黒衣に身を包んだ巨体が佇んでいた。
「君は!」
あの子だった。
忘れるはずもない、あの寂しそうな瞳が変わらずこちらを見ていた。
僕は急いで駆け寄り、両手で大きな手をそっと握りしめる。
「心配したんだ・・・」
前と変わらない温度と感触。
僕の胸に再び心地よい苦しみが訪れる。
「怪我は―――」
目を合わせようとした時だった。
ふいに手が振り払われ、唇の無い口から低い唸り声と生温かい息が漏れる。
突然の拒絶に僕はどうしていいか分からず、ただ硬直するしかできなかった。
胸に何かが詰まっているような感覚に襲われ、声を出すことすら難しい。
「・・・っごめん」
やっと絞り出した言葉がこれだった。
この言葉を何度言っただろう。
何度言えば気が済むんだろう。
調子に乗って僕はこの子に何をしたんだ。
それなりに好かれていると勝手に思い込んでいた。
本当に、勝手に。
泣き出したくなる程の胸の苦しさに、呼吸がままならない。
「・・・ごめん」
そのまま、ろくに顔も見ずに僕はその場から逃げ出してしまった。
まただ。
また逃げた。
さっきから逃げてばかりで。
情けない―――。
いつの間にか走っていた。
息があがる。
苦しかった。
立ち止まり、膝に手をつきぜぇぜぇと肩で息をする。
体力は結構ある方だったのに、今はこの場に崩れたくなるほど体が重い。
ああ、ごめんね。
いつも、いつも怒るような事をして。
額に手を当て、大きなため息をつく。
そして僕自身に問いかけた。
―――もう間違った答えは選ばないんじゃなかったのか?