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『警告 ミサイル攻撃を確認 危機レベルがDを超えました 所員は速やかに脱出してください』
「・・・急がないと」
その後、僕はカルロスから通信を受けて管制室に来ていた。
しんとした部屋の中にまるで敵の姿は無く、物が散らかっている様子も無い。
目を引くのは大型の無線機とその正面に位置する壁一面のガラス窓ぐらいだった。
透き通るガラス窓に手をつき、そこからの景色を一望する。
雨が降ったからだろうか、所々で暴れていたはずの炎も随分と小さくなっていた。
明るんだ空にたなびく大きな雲がその隙間からちらちらと淡い光を覗かせる。
永遠に続くかと思っていたはずの夜の終わりが、もうそこまで近づいていた。
長い夢から醒めかけているようなぼんやりとした気分を、ポケットに入れていた無線機の甲高い受信音が振り払う。
「こちらカルロス、聞こえたら応答してくれ」
「こちら如月、何か?」
「ヘリが確保できた。整備に少し時間がかかるが、何とか飛べそうだぜ。お前、今どこにいる?」
「管制室」
「それならそんなに遠くねぇ。近くに梯子があるだろ?そこを降りれば一本道のはずだ」
辺りを見回すと、部屋の中央に柵で囲われた蓋の様なものがある。
そこを開いた先には、しっかりとした銀色の長い梯子が伸びていた。
なるほど、非常用の通路か。それならここに敵が居なかったのも頷ける。
「あんまり時間は無ぇぞ、なるべく急いでくれ」
「了解、じゃあまた後で・・・―――っ」
突然、空が闇で覆われた。
そして次の瞬間、ガラスの向こうから僕目掛けて凄まじい量の銃弾が降り注ぐ。
ガラスの破片と銃撃から逃げる様にして咄嗟に姿勢を低くし、大きい無線装置の影に隠れた。
「おい、聖!?どうした!?」
無線の音が割れる程、驚きと焦りの混じった声でカルロスが叫ぶ。
「・・・切るよ」
「あ!?おい!!一体何が―――」
カルロスの言葉を最後まで聞かずに、強制的に無線の電源を切る。
ごめん。
でも、これは僕と彼との問題なんだ。
君を巻き込む訳にはいかない。
「・・・そうだろう、ニコライ」
銃弾の降り止んだ窓の外には銀髪の男。
その口元が、僅かに歪んだ。
窓に見えたのはニコライ―――正確には、戦闘ヘリに搭乗しているニコライだった。
機体はガラス窓があった場所にぴったりと張り付くように滞空している。これも恐らく高度な技術が必要な事だろう。
しばらくして、備え付けの大型の無線機についたランプが点滅する。
「如月聖、やはりお前は危険な存在だった。まさかここまで予定を狂わされるとはな」
受信モードに切り替えた無線機からいつに無く饒舌な冷たい声が流れた。
ヘリのフロントガラス越しに見えたニコライは、残念そうな、それでもどこか嬉しそうな顔で僕を見下ろしている。
僕は無線機のマイクに向かい、出来るだけ静かな口調で話した。
「・・・貴方は一体何の為にこんな事をしたんですか」
「愚問だな」
ニコライはふっと笑ったかと思うとその次の瞬間には無表情になり、続けた。
「それが私に課せられた任務だからだ、それ以上の適切な理由は無い」
思った通りの返答だ。
僕自身、それ以上の答えは全く期待していなかった。
「・・・だが、どうやらお前はこのまま塵にするには惜しい人材らしい」
「な・・・?」
突然の言葉に面食らう。
その意味を問いただす前にニコライの方から語り始めた。
「ウィルスに身体を蝕まれたものの、ワクチン接種後には問題無く回復。そして今もこうして副作用無く活動を続行している。どうやらそれが上層部の目に留まったらしい」
「・・・っそのワクチンは貴方がカルロスに渡した物じゃないか!僕はそれを使って、今ここでこうして生きている―――それの何がおかしいんだ!」
思わず声を荒げていた。自分自身でも困惑しているのが分かる。
「この街の研究所で作成出来る程度のワクチンの効力などたかが知れている。せいぜい発症を遅らせるのが限度だろう、本来なら過剰反応か拒否反応を起こして死に至るはずなのだが」
「そんな・・・」
「何だ、まさか私がお前を助けたとでも思っていたのか?」
「っ・・・!」
あの時、少なからずニコライからワクチンを貰ったという事に疑いはあったが、それでも僕は心のどこかで「助けてもらった」と思っていた。
しかしそれはたった今、目の前で本人の口から否定されてしまった。
「あれは実験の一つに過ぎん。わざわざお前を拾い上げて時計塔へ行ったのも、お前にワクチンを与えたのも全て実験の内だ」
つまり、最初から僕は利用される為に出会い、協力し、そして・・・殺されかけた。
「初期段階では上層部は『NEMESIS』の動向を監視するよう私に命じていた。しかしある時から『如月聖』の監視・実験もするように、との連絡が来てな。その時からお前は我々にとっての実験体になっていた。それだけだ」
呆然としながら自分の身体を眺める。
「異常」の蔓延る街で、自分は「正常」だと思っていた。
まさか自分も、アンブレラに監視されるような「異常」の一部だったとは―――
「『如月聖』に見られた特異な現象の考えられる原因としては『NEMESIS』のウィルスが何らかの要因で変異したか、もしくは不完全だったか・・・それを研究する為にも、是非サンプルになってほしいとのことだ」
「・・・」
その言葉のどこかが、頭に引っ掛かった。
何度も脳の中で反芻し、それがどの部分か探ってみる。
「・・・『NEMESIS』・・・」
『NEMESIS』。墓地の資料でその存在を知った、僕を付け狙う強靭な怪物。
そして、僕はそいつからウィルスを受け取った―――?
「・・・あ」
唐突に頭の中で全ての情報の整理がついた。
その途端、肩を貫かれた時の激痛とその時の精神的な痛みが生々しく脳裏に浮かんでくる。
いつの間にか右肩を掴み、きつく握っていた。
「・・・そうか」
僕にウィルスを感染させ得る唯一の存在。
僕に傷を付けた唯一の存在。
「あの子が・・・僕を狙う追跡者」
そこに到った時の感情は、不思議と落ち着いていた。
何も感じていないのか、それとも感じているものが何か分からないだけなのか。
「如月」
はっとして顔を上げる。
「決断しろ。このまま撃ち殺されるか、我々に服従し実験体となるか。答えは・・・決まったな?」
僕の前に突き付けられた二つの選択肢。
自ら死を選ぶか、それともアンブレラにこの身を投げ出すか。
―――ああ、決まってるさ。
僕はその場に跪いた。
取り出したのは命乞いの言葉ではなく、黒銀に光る頑強な銃。
銃というよりは砲に等しいその巨大な砲身はそれに似つかわしい巨大な弾を飲み込んだ。
構えの姿勢になると重い銃身が肩に食い込み、じくじくと痛む。
これはあの子が背負ってきた重み。
これはあの子の感じてきた痛み。
「選択肢なら、もう一つあります」
大きな引き金に指を掛けた。
姿勢を固定し、ニコライの頭に照準を合わせる。
「僕は生き延びる。実験体なんかじゃなく、僕は僕として」
「ふふ・・・ああ、中々懸命な判断だな。面白い」
ニコライは軽い冗談でも言われたように、僕の行動を笑う。
そしてふっと表情を変え、冷たく無表情ないつものニコライに戻った。
「つまり・・・私を殺す。そういう事だな」
以前の僕なら無理だった。
手が震えて狙いも定められず、無様に体を撃ち抜かれるのが関の山だったろう。
でも今は、目を逸らさずに真っ直ぐに貴方の頭を撃ち抜く覚悟が、僕にはある。
・・・これは正しい事じゃない。間違ってすらいる。
ましてや僕は警察の―――S.T.A.R.S.の人間。人の命を尊び、それを無下にする者を罰するべき人間。
でも。
「・・・ええ」
それでも、僕は貴方を許さない。
「如月・・・貴様―――」
あの子を奪った、貴方だけは許せない。
「・・・償えとは言わない」
これがどんなに間違っていたとしても、この気持ちだけは間違いじゃないから。
「―――清算しろ!ニコライ!」
君に伝えたかったこの想いだけは、間違っていないから。
重く固い引き金を引いた。
白み始めた空に、光弾が滑空する。
ヘリは機体を旋回させその場を離れようとしたが、もう手遅れだった。
着弾と同時にプロペラは粉々に破壊され、機体を空に支えるものが無くなった。
浮力とバランスを失った機体はぐらりと傾き、小さな火の粉が引火に引火を重ね、その範囲を一瞬で広げる。
燃え盛る炎の音はニコライの叫び声を掻き消す様に轟き、大きな炎の塊となった機体は僕の視界から消えていった。
「・・・さよなら」
別れの言葉と残弾の無くなったロケットランチャーをその場に残し、僕は梯子を降りた。
***
広がっていたのは、通路いっぱいに転がる死体。
出来るだけ痛ましい表情を見ないようにその頭を一つ一つ跨いで進んでいると、さっきの出来事が思い返されてくる。
火炎に包まれ断末魔を上げるニコライの顔―――苦痛、絶望、憎悪、様々な感情が見て取れた。
どれもが初めて見る表情で、そんな事で初めて彼が人間らしいと思えてしまった。
そうだ、僕は人を殺したんだ。
例え一瞬でも、共に協力した仲間を。
ふと、足元から唸り声が聞こえてくる。
覗き込むと、醜く呻く足を無くしたゾンビが僕の足首を掴み、大きな口を開けてふくらはぎに食いつこうとしている様子が見えた。
「(・・・それでも)」
自分の爪先をゾンビの顎の下に滑り込ませ、
「(後悔はしてない!)」
そのまま渾身の力で蹴り上げた。
腐敗した頭を支えていた首はいとも簡単にへし折れ、千切れ、吹き飛んだ。
白と黒の斑点の浮かぶゾンビの頭は、ぐしゃりという嫌な音をたてて壁に衝突し、辺りに肉片を飛び散らせ赤黒い血痕を残す。
回りをよく見てみると、俯せになりながらも頭や目を動かしている者がいることに気が付いた。
捕まらないように早足で、しかし慎重に進んでいく。
死体の道を抜けた先に立ちはだかったのは、大きな扉。
近づくと扉は小さな駆動音をたてて開き、僕をその奥に導いた。
熱の籠った澱んだ空気に充たされた空間には、あまり見慣れない機械が所狭しと並んでいた。
それらは稼働している様子もなく、部屋は不気味な程に静まり返っている。
調査している程の時間は無かったので流し見るようにしながら奥に進み、立ち止まったのは通路の突き当たり。
「っ何だ・・・これ?」
大きく抉れた壁を背に、大の字に横たわる人型の怪物。
その体格は人間の基準を遥かに上回り、ゴムのような弾力を備えた漆黒の皮膚が覆う長い腕と長い足は力無くだらりと垂れている。
意外にも清閑な顔立ちの下には剥き出しになった心臓があるが、茶色く変色している様子を見ると随分前に動くのを止めたようだった。
そして一際目を引いたのは、鋭く輝く銀色の爪―――いや、刃状になった指というべきか。
その大きさはちょうど僕の頭から首までの長さと同じくらいだった。
「っつ!」
軽く人差し指を当ててみるとそれだけで指の腹が裂け、ピリッとした刺激に沿うようにして赤い血が指を伝った。反射的に傷を口に含み、自らの唾液で消毒する。
口の中にほんのりと鉄の味が広がった。
と、その時。
頭上から何かが這いずってくるような音が聞こえてくる。
「今度は一体―――、・・・あ、あれ?」
小さく溜息をついて、構える予定だったハンドガンは僕の手には無かった。
体中を探ってみても見つける事が出来ず、どうやら完璧に無くしてしまったらしい。
僕は急いで小さな相棒の記憶を手繰り寄せた。
ニコライに向けたのが最後、いや、違う。
その後薄暗い部屋に閉じ込められて、それで、その後か。
確か、最後にあの銃口が捉えたのは・・・。
ふと、僕は手の甲の上に一滴の雫がポツリと垂れてきた。
一瞬ぎょっとして振り払おうとしたその時、僕の頭に先程の自問の答えが浮かび上がる。
紫色の粘着質な液体―――僕はこの液体に見覚えがあった。
「そんな」
上を見上げ、その光景に目を見張る。
「まさか」
いないはずの君が、確かにそこにいた。
しかし先程までとは様子が違った。
雪崩るようにして僕の前に落ちてきたのは、焼け爛れた皮膚、頭と片腕の無い、足がおかしな方向に曲がった奇妙な姿―――恐らく低品質の処理液に不完全に「処理」をされたのだろう。
それでも僕には確かにあの子だと分かった。
這いつくばった状態で、苦しそうに呼吸する異形の追跡者。
僕が触れようとするとそれを辛うじて残った触手で牽制してくる。
無理にでも食い下がろうともしたが、結局は何も出来ないで慌てるだけであろう自分を想像してそれも出来なくなった。
「(助けたいとか、守りたいとか言ったのはどの口だ)」
唇を噛み締め、悔しさに身を震わせたその時だった。
突然、ぶちっ、と嫌な音が聞こえたかと思うと、追跡者の体から皮膚を突き破って何本もの白い棒が姿を現した。
追跡者の体から漏れ出した紫色の体液が僕の体に飛び散る。
一瞬呆気に取られてしまったが、血に濡れ、やや湾曲したそれは位置から見るに追跡者の肋骨に違いなかった。
それを皮切りに異形の追跡者は凄まじい咆哮をあげて身体をみるみる変化させていき、変形に変形を重ね、異常なスピードで元の姿からは掛け離れた容貌になっていく。
その様子はまるで体中の組織がそれぞれに意思を持って体の外側へ行こうとしているようにも見え、体の欠けた部分を無理矢理修復しようとしているようにも見えた。
一体、この子の体内で何が起こっているのか―――まるで分からないまま、僕はただその光景を眺める事しか出来ないでいた。
そして一際甲高い絶叫を最後に、変化は収まった。
迫り出した肋骨の根本は幾つもの腫瘍で固められ、身体の端々には触手の束が突き出ていた。
呼吸の度に大きく動く肺は剥き出しになり、身体のあちこちに膿の溜まった穴が空いている。
戦いに傷付き、純度の低い酸に溶かされた傷を細胞が無理矢理回復させようとしたせいだろうか、その過剰な回復能力が余計にその傷を悪化させてしまったようだ。
変化は収まっても吹き出す紫色の血は止まる事を知らず、追跡者の身体に残った僅かな体力を根こそぎ奪っていく。
僕は何も口にせず―――いや、口に出来ず、血に湿ったその身を撫でる。
異形の追跡者は低く唸る事でそれに応えてくれた。
もしこの子を連れて脱出するとしたら、この大きな身体をヘリに乗せられるだろうか?
恐らく・・・いや、確実に無理だろう。
でも何かで引っ張り上げる事が出来れば?
出来たとしても、この弱った体で強風に晒されたら無事ではいられない。
「・・・くっそ」
何も考えつかない自分に嫌気が差す。
いや、駄目だ、ここで諦める訳にはいかないんだ。
まだ何か方法が―――
『システムをチェックします バッテリーをチェックします バッテリー接続確認』
突然、事務的な機械音声が流れる。
そのアナウンスが終わった途端、地面が細かく震動し始めた。
最初はごく僅かだったものが、段々と天井から砂が落ちてくるほどに大きなものへと成っていく。
僕は何とか倒れないようにバランスを取りながら、周囲の様子を確認した。
「!」
部屋の隅に、巨大な機械が青い電流を纏いながら駆動音を上げ始めているのが見えた。
『レールキャノン起動 自動プログラムにより荷電を開始します』
再びアナウンスが流れ、その声を聞いて巨大な機械は更に大きく唸り始める。
そしてそれと同時に、僕の頭の片隅の記憶が呼び戻された。
強大な磁力―――電磁砲(レールキャノン)で対象を消し炭へと変える凶悪な軍用兵器。
「・・・『パラケルススの魔剣』・・・」
その名には似つかわしくない無骨な様相、しかしその威力は試作品と云えど迸る電流の強力さで分かる。
研ぎ澄まされた青い切っ先は、真っ直ぐ僕達の方を向いていた。
何故今になって起動してしまったのか―――今はそれを考えている余裕も無い。
とにかく追跡者に電磁砲の弾道から逸れるよう促す。
「ここにいたらいい的だ、離れよう」
しかし追跡者は僕の言葉を聞かず、動かないどころか自らレールキャノンに体を差し出すようにずるりずるりと体を這わせて近づいていく。
「何で・・・!?―――・・・っ!」
しかし、問い掛ける時間も無い。
追跡者の真意を問い質す前に僕は走りだした。
逃げないというのなら、元を断てばいい。
急いでレールキャノンの操作パネルと思しきものに駆け寄り、その画面を覗きこむ。
すると意外にもあっさりと「緊急停止」の文字を見つける事が出来た。
そういえばこの兵器はまだ試作段階だったんだ。万一の事態に備えて緊急の対策はしてあった、という訳か。
「よし、これで・・・―――ぐっ!?」
瞬間。
パネルに触れようとした手を突如捻り上げられ、頭を勢い良くパネルに叩きつけられる。
余程上手く固定しているのか、どんなに力を入れても体のどの部分も微動だにしない。
顔をずり動かし相手の顔を確認しようとすると、耳元から聞き覚えのある冷たい声が流れてきた。
「あれを処理するのは、私の任務だ」
巨躯の銀髪は嘲笑うようにそう呟いた。
「・・・急がないと」
その後、僕はカルロスから通信を受けて管制室に来ていた。
しんとした部屋の中にまるで敵の姿は無く、物が散らかっている様子も無い。
目を引くのは大型の無線機とその正面に位置する壁一面のガラス窓ぐらいだった。
透き通るガラス窓に手をつき、そこからの景色を一望する。
雨が降ったからだろうか、所々で暴れていたはずの炎も随分と小さくなっていた。
明るんだ空にたなびく大きな雲がその隙間からちらちらと淡い光を覗かせる。
永遠に続くかと思っていたはずの夜の終わりが、もうそこまで近づいていた。
長い夢から醒めかけているようなぼんやりとした気分を、ポケットに入れていた無線機の甲高い受信音が振り払う。
「こちらカルロス、聞こえたら応答してくれ」
「こちら如月、何か?」
「ヘリが確保できた。整備に少し時間がかかるが、何とか飛べそうだぜ。お前、今どこにいる?」
「管制室」
「それならそんなに遠くねぇ。近くに梯子があるだろ?そこを降りれば一本道のはずだ」
辺りを見回すと、部屋の中央に柵で囲われた蓋の様なものがある。
そこを開いた先には、しっかりとした銀色の長い梯子が伸びていた。
なるほど、非常用の通路か。それならここに敵が居なかったのも頷ける。
「あんまり時間は無ぇぞ、なるべく急いでくれ」
「了解、じゃあまた後で・・・―――っ」
突然、空が闇で覆われた。
そして次の瞬間、ガラスの向こうから僕目掛けて凄まじい量の銃弾が降り注ぐ。
ガラスの破片と銃撃から逃げる様にして咄嗟に姿勢を低くし、大きい無線装置の影に隠れた。
「おい、聖!?どうした!?」
無線の音が割れる程、驚きと焦りの混じった声でカルロスが叫ぶ。
「・・・切るよ」
「あ!?おい!!一体何が―――」
カルロスの言葉を最後まで聞かずに、強制的に無線の電源を切る。
ごめん。
でも、これは僕と彼との問題なんだ。
君を巻き込む訳にはいかない。
「・・・そうだろう、ニコライ」
銃弾の降り止んだ窓の外には銀髪の男。
その口元が、僅かに歪んだ。
窓に見えたのはニコライ―――正確には、戦闘ヘリに搭乗しているニコライだった。
機体はガラス窓があった場所にぴったりと張り付くように滞空している。これも恐らく高度な技術が必要な事だろう。
しばらくして、備え付けの大型の無線機についたランプが点滅する。
「如月聖、やはりお前は危険な存在だった。まさかここまで予定を狂わされるとはな」
受信モードに切り替えた無線機からいつに無く饒舌な冷たい声が流れた。
ヘリのフロントガラス越しに見えたニコライは、残念そうな、それでもどこか嬉しそうな顔で僕を見下ろしている。
僕は無線機のマイクに向かい、出来るだけ静かな口調で話した。
「・・・貴方は一体何の為にこんな事をしたんですか」
「愚問だな」
ニコライはふっと笑ったかと思うとその次の瞬間には無表情になり、続けた。
「それが私に課せられた任務だからだ、それ以上の適切な理由は無い」
思った通りの返答だ。
僕自身、それ以上の答えは全く期待していなかった。
「・・・だが、どうやらお前はこのまま塵にするには惜しい人材らしい」
「な・・・?」
突然の言葉に面食らう。
その意味を問いただす前にニコライの方から語り始めた。
「ウィルスに身体を蝕まれたものの、ワクチン接種後には問題無く回復。そして今もこうして副作用無く活動を続行している。どうやらそれが上層部の目に留まったらしい」
「・・・っそのワクチンは貴方がカルロスに渡した物じゃないか!僕はそれを使って、今ここでこうして生きている―――それの何がおかしいんだ!」
思わず声を荒げていた。自分自身でも困惑しているのが分かる。
「この街の研究所で作成出来る程度のワクチンの効力などたかが知れている。せいぜい発症を遅らせるのが限度だろう、本来なら過剰反応か拒否反応を起こして死に至るはずなのだが」
「そんな・・・」
「何だ、まさか私がお前を助けたとでも思っていたのか?」
「っ・・・!」
あの時、少なからずニコライからワクチンを貰ったという事に疑いはあったが、それでも僕は心のどこかで「助けてもらった」と思っていた。
しかしそれはたった今、目の前で本人の口から否定されてしまった。
「あれは実験の一つに過ぎん。わざわざお前を拾い上げて時計塔へ行ったのも、お前にワクチンを与えたのも全て実験の内だ」
つまり、最初から僕は利用される為に出会い、協力し、そして・・・殺されかけた。
「初期段階では上層部は『NEMESIS』の動向を監視するよう私に命じていた。しかしある時から『如月聖』の監視・実験もするように、との連絡が来てな。その時からお前は我々にとっての実験体になっていた。それだけだ」
呆然としながら自分の身体を眺める。
「異常」の蔓延る街で、自分は「正常」だと思っていた。
まさか自分も、アンブレラに監視されるような「異常」の一部だったとは―――
「『如月聖』に見られた特異な現象の考えられる原因としては『NEMESIS』のウィルスが何らかの要因で変異したか、もしくは不完全だったか・・・それを研究する為にも、是非サンプルになってほしいとのことだ」
「・・・」
その言葉のどこかが、頭に引っ掛かった。
何度も脳の中で反芻し、それがどの部分か探ってみる。
「・・・『NEMESIS』・・・」
『NEMESIS』。墓地の資料でその存在を知った、僕を付け狙う強靭な怪物。
そして、僕はそいつからウィルスを受け取った―――?
「・・・あ」
唐突に頭の中で全ての情報の整理がついた。
その途端、肩を貫かれた時の激痛とその時の精神的な痛みが生々しく脳裏に浮かんでくる。
いつの間にか右肩を掴み、きつく握っていた。
「・・・そうか」
僕にウィルスを感染させ得る唯一の存在。
僕に傷を付けた唯一の存在。
「あの子が・・・僕を狙う追跡者」
そこに到った時の感情は、不思議と落ち着いていた。
何も感じていないのか、それとも感じているものが何か分からないだけなのか。
「如月」
はっとして顔を上げる。
「決断しろ。このまま撃ち殺されるか、我々に服従し実験体となるか。答えは・・・決まったな?」
僕の前に突き付けられた二つの選択肢。
自ら死を選ぶか、それともアンブレラにこの身を投げ出すか。
―――ああ、決まってるさ。
僕はその場に跪いた。
取り出したのは命乞いの言葉ではなく、黒銀に光る頑強な銃。
銃というよりは砲に等しいその巨大な砲身はそれに似つかわしい巨大な弾を飲み込んだ。
構えの姿勢になると重い銃身が肩に食い込み、じくじくと痛む。
これはあの子が背負ってきた重み。
これはあの子の感じてきた痛み。
「選択肢なら、もう一つあります」
大きな引き金に指を掛けた。
姿勢を固定し、ニコライの頭に照準を合わせる。
「僕は生き延びる。実験体なんかじゃなく、僕は僕として」
「ふふ・・・ああ、中々懸命な判断だな。面白い」
ニコライは軽い冗談でも言われたように、僕の行動を笑う。
そしてふっと表情を変え、冷たく無表情ないつものニコライに戻った。
「つまり・・・私を殺す。そういう事だな」
以前の僕なら無理だった。
手が震えて狙いも定められず、無様に体を撃ち抜かれるのが関の山だったろう。
でも今は、目を逸らさずに真っ直ぐに貴方の頭を撃ち抜く覚悟が、僕にはある。
・・・これは正しい事じゃない。間違ってすらいる。
ましてや僕は警察の―――S.T.A.R.S.の人間。人の命を尊び、それを無下にする者を罰するべき人間。
でも。
「・・・ええ」
それでも、僕は貴方を許さない。
「如月・・・貴様―――」
あの子を奪った、貴方だけは許せない。
「・・・償えとは言わない」
これがどんなに間違っていたとしても、この気持ちだけは間違いじゃないから。
「―――清算しろ!ニコライ!」
君に伝えたかったこの想いだけは、間違っていないから。
重く固い引き金を引いた。
白み始めた空に、光弾が滑空する。
ヘリは機体を旋回させその場を離れようとしたが、もう手遅れだった。
着弾と同時にプロペラは粉々に破壊され、機体を空に支えるものが無くなった。
浮力とバランスを失った機体はぐらりと傾き、小さな火の粉が引火に引火を重ね、その範囲を一瞬で広げる。
燃え盛る炎の音はニコライの叫び声を掻き消す様に轟き、大きな炎の塊となった機体は僕の視界から消えていった。
「・・・さよなら」
別れの言葉と残弾の無くなったロケットランチャーをその場に残し、僕は梯子を降りた。
***
広がっていたのは、通路いっぱいに転がる死体。
出来るだけ痛ましい表情を見ないようにその頭を一つ一つ跨いで進んでいると、さっきの出来事が思い返されてくる。
火炎に包まれ断末魔を上げるニコライの顔―――苦痛、絶望、憎悪、様々な感情が見て取れた。
どれもが初めて見る表情で、そんな事で初めて彼が人間らしいと思えてしまった。
そうだ、僕は人を殺したんだ。
例え一瞬でも、共に協力した仲間を。
ふと、足元から唸り声が聞こえてくる。
覗き込むと、醜く呻く足を無くしたゾンビが僕の足首を掴み、大きな口を開けてふくらはぎに食いつこうとしている様子が見えた。
「(・・・それでも)」
自分の爪先をゾンビの顎の下に滑り込ませ、
「(後悔はしてない!)」
そのまま渾身の力で蹴り上げた。
腐敗した頭を支えていた首はいとも簡単にへし折れ、千切れ、吹き飛んだ。
白と黒の斑点の浮かぶゾンビの頭は、ぐしゃりという嫌な音をたてて壁に衝突し、辺りに肉片を飛び散らせ赤黒い血痕を残す。
回りをよく見てみると、俯せになりながらも頭や目を動かしている者がいることに気が付いた。
捕まらないように早足で、しかし慎重に進んでいく。
死体の道を抜けた先に立ちはだかったのは、大きな扉。
近づくと扉は小さな駆動音をたてて開き、僕をその奥に導いた。
熱の籠った澱んだ空気に充たされた空間には、あまり見慣れない機械が所狭しと並んでいた。
それらは稼働している様子もなく、部屋は不気味な程に静まり返っている。
調査している程の時間は無かったので流し見るようにしながら奥に進み、立ち止まったのは通路の突き当たり。
「っ何だ・・・これ?」
大きく抉れた壁を背に、大の字に横たわる人型の怪物。
その体格は人間の基準を遥かに上回り、ゴムのような弾力を備えた漆黒の皮膚が覆う長い腕と長い足は力無くだらりと垂れている。
意外にも清閑な顔立ちの下には剥き出しになった心臓があるが、茶色く変色している様子を見ると随分前に動くのを止めたようだった。
そして一際目を引いたのは、鋭く輝く銀色の爪―――いや、刃状になった指というべきか。
その大きさはちょうど僕の頭から首までの長さと同じくらいだった。
「っつ!」
軽く人差し指を当ててみるとそれだけで指の腹が裂け、ピリッとした刺激に沿うようにして赤い血が指を伝った。反射的に傷を口に含み、自らの唾液で消毒する。
口の中にほんのりと鉄の味が広がった。
と、その時。
頭上から何かが這いずってくるような音が聞こえてくる。
「今度は一体―――、・・・あ、あれ?」
小さく溜息をついて、構える予定だったハンドガンは僕の手には無かった。
体中を探ってみても見つける事が出来ず、どうやら完璧に無くしてしまったらしい。
僕は急いで小さな相棒の記憶を手繰り寄せた。
ニコライに向けたのが最後、いや、違う。
その後薄暗い部屋に閉じ込められて、それで、その後か。
確か、最後にあの銃口が捉えたのは・・・。
ふと、僕は手の甲の上に一滴の雫がポツリと垂れてきた。
一瞬ぎょっとして振り払おうとしたその時、僕の頭に先程の自問の答えが浮かび上がる。
紫色の粘着質な液体―――僕はこの液体に見覚えがあった。
「そんな」
上を見上げ、その光景に目を見張る。
「まさか」
いないはずの君が、確かにそこにいた。
しかし先程までとは様子が違った。
雪崩るようにして僕の前に落ちてきたのは、焼け爛れた皮膚、頭と片腕の無い、足がおかしな方向に曲がった奇妙な姿―――恐らく低品質の処理液に不完全に「処理」をされたのだろう。
それでも僕には確かにあの子だと分かった。
這いつくばった状態で、苦しそうに呼吸する異形の追跡者。
僕が触れようとするとそれを辛うじて残った触手で牽制してくる。
無理にでも食い下がろうともしたが、結局は何も出来ないで慌てるだけであろう自分を想像してそれも出来なくなった。
「(助けたいとか、守りたいとか言ったのはどの口だ)」
唇を噛み締め、悔しさに身を震わせたその時だった。
突然、ぶちっ、と嫌な音が聞こえたかと思うと、追跡者の体から皮膚を突き破って何本もの白い棒が姿を現した。
追跡者の体から漏れ出した紫色の体液が僕の体に飛び散る。
一瞬呆気に取られてしまったが、血に濡れ、やや湾曲したそれは位置から見るに追跡者の肋骨に違いなかった。
それを皮切りに異形の追跡者は凄まじい咆哮をあげて身体をみるみる変化させていき、変形に変形を重ね、異常なスピードで元の姿からは掛け離れた容貌になっていく。
その様子はまるで体中の組織がそれぞれに意思を持って体の外側へ行こうとしているようにも見え、体の欠けた部分を無理矢理修復しようとしているようにも見えた。
一体、この子の体内で何が起こっているのか―――まるで分からないまま、僕はただその光景を眺める事しか出来ないでいた。
そして一際甲高い絶叫を最後に、変化は収まった。
迫り出した肋骨の根本は幾つもの腫瘍で固められ、身体の端々には触手の束が突き出ていた。
呼吸の度に大きく動く肺は剥き出しになり、身体のあちこちに膿の溜まった穴が空いている。
戦いに傷付き、純度の低い酸に溶かされた傷を細胞が無理矢理回復させようとしたせいだろうか、その過剰な回復能力が余計にその傷を悪化させてしまったようだ。
変化は収まっても吹き出す紫色の血は止まる事を知らず、追跡者の身体に残った僅かな体力を根こそぎ奪っていく。
僕は何も口にせず―――いや、口に出来ず、血に湿ったその身を撫でる。
異形の追跡者は低く唸る事でそれに応えてくれた。
もしこの子を連れて脱出するとしたら、この大きな身体をヘリに乗せられるだろうか?
恐らく・・・いや、確実に無理だろう。
でも何かで引っ張り上げる事が出来れば?
出来たとしても、この弱った体で強風に晒されたら無事ではいられない。
「・・・くっそ」
何も考えつかない自分に嫌気が差す。
いや、駄目だ、ここで諦める訳にはいかないんだ。
まだ何か方法が―――
『システムをチェックします バッテリーをチェックします バッテリー接続確認』
突然、事務的な機械音声が流れる。
そのアナウンスが終わった途端、地面が細かく震動し始めた。
最初はごく僅かだったものが、段々と天井から砂が落ちてくるほどに大きなものへと成っていく。
僕は何とか倒れないようにバランスを取りながら、周囲の様子を確認した。
「!」
部屋の隅に、巨大な機械が青い電流を纏いながら駆動音を上げ始めているのが見えた。
『レールキャノン起動 自動プログラムにより荷電を開始します』
再びアナウンスが流れ、その声を聞いて巨大な機械は更に大きく唸り始める。
そしてそれと同時に、僕の頭の片隅の記憶が呼び戻された。
強大な磁力―――電磁砲(レールキャノン)で対象を消し炭へと変える凶悪な軍用兵器。
「・・・『パラケルススの魔剣』・・・」
その名には似つかわしくない無骨な様相、しかしその威力は試作品と云えど迸る電流の強力さで分かる。
研ぎ澄まされた青い切っ先は、真っ直ぐ僕達の方を向いていた。
何故今になって起動してしまったのか―――今はそれを考えている余裕も無い。
とにかく追跡者に電磁砲の弾道から逸れるよう促す。
「ここにいたらいい的だ、離れよう」
しかし追跡者は僕の言葉を聞かず、動かないどころか自らレールキャノンに体を差し出すようにずるりずるりと体を這わせて近づいていく。
「何で・・・!?―――・・・っ!」
しかし、問い掛ける時間も無い。
追跡者の真意を問い質す前に僕は走りだした。
逃げないというのなら、元を断てばいい。
急いでレールキャノンの操作パネルと思しきものに駆け寄り、その画面を覗きこむ。
すると意外にもあっさりと「緊急停止」の文字を見つける事が出来た。
そういえばこの兵器はまだ試作段階だったんだ。万一の事態に備えて緊急の対策はしてあった、という訳か。
「よし、これで・・・―――ぐっ!?」
瞬間。
パネルに触れようとした手を突如捻り上げられ、頭を勢い良くパネルに叩きつけられる。
余程上手く固定しているのか、どんなに力を入れても体のどの部分も微動だにしない。
顔をずり動かし相手の顔を確認しようとすると、耳元から聞き覚えのある冷たい声が流れてきた。
「あれを処理するのは、私の任務だ」
巨躯の銀髪は嘲笑うようにそう呟いた。