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[ラクーン公園]
門を開ければ丁寧に揃えられた美しい緑、整備された水路をさらさらと流れる水の音。
その美しい風景が、敷地中に見える笑顔と笑い声の記憶を余計に虚しいものに見せた。
「違う時に来たかったな」
ため息を一つついて階段を上り、見晴らしのいい高台から周囲を見渡した。
たくさんの樹木が視界を遮るが、その隙間から左手に大きな池、右手に噴水を見る。
どちらを先に調査するか。
様々な要因を考えている時、ふと入口に貼ってあった簡単な地図を思い出した。
確か噴水の辺りは工事中で、先に続く道などは無かったはずだ。
そうして階段を下ろうとした僕の耳に、異様な音が入ってきた。
ずるり、ずるり、と何かが這いずる様な音が近くから聞こえてくる。
どうもそれは足元から聞こえてくるようで、おもむろに視線を下に落としてみた。
「わっ」
僕が眺めた先には蛇が階段の下で数匹、互いに体を絡ませながら蠢いていた。
長く太った体と体が擦れ合う度、にちゃにちゃという粘着質な音がしてくる。
その音を聞いて嫌悪感を抱く前に、僕の脳裏には恐怖が過った。
この蛇がゾンビ化している可能性は決して低くない。例えゾンビ化では無くても何らかの獰猛な変異を遂げた事に変わりは無いだろう。
蛇達を避け、反対側の階段から降りて回り込むことにした。
幸いあまり蛇達の移動速度は速くなく、走り抜ければ戦わずとも何とかなりそうだ。
深く息を吸い、吐く。
目を池の方へ見据えて駆け出したその瞬間だった。
僕の眼前を掠り、びしゃりと水音をたてて水路から蛇が飛び出してきた。
体を地面に打ち付けしばらくごろごろと転がった後、体をぐっと曲げて僕の方へ頭を向ける。
僕は反射的にハンドガンを構え、狙いを定めた。
「・・・?」
その時、水路の中で「何か」が動いた。
それは差し込む街灯の明かりを反射しながら音も無く近付いてくる「何か」が確かに水の中に潜んでいる。
そしてそれとほぼ同時だったろうか、僕の正面にいた蛇が口を開いた。
その口は自らの体すら丸呑み出来そうな程に大きく、四方向に開いた。四つの頂点にはそれぞれに鋭い牙が付いていて、小さいながらも殺傷能力は十分そうに見える。
小さな怪物は体をくねらせ、僕目掛けて高く跳ねた。
「っつ!」
少し呆けていた所為で避けるのが一瞬遅れ、無防備だった左手に牙が突き刺さる。
痛みはあったがそれほどではなく、寧ろ恐怖を感じたのはこの怪物のもう一つの能力だった。
「う・・・あ・・・!?」
腕に送られる筈の血液が、根こそぎ吸われていく感覚。
蛇より蛭に近いのだろう、躯をみるみる赤く変色させていく様子が吸い取られた血の量を物語る。
「・・・っ放せ!」
ぬめる胴体をわしづかみにして強引に引き剥がし、そのまま思い切り地面に叩き付ける。
撃ち出された弾丸は蛇のしなる柔らかな躯を易々と貫き、のたうちまわる事も許さずに怪物の息の根を止めた。
噛まれた傷を確かめたがたいした傷も無く、出血も直に止まりそうだ。
一安心して、顔を上げる。
「うわ!」
見れば、同じ形の怪物が水の中から次々と姿を現し、いつの間にか池へと続く道を完全に塞ぐ程の量が集まっていた。
そして互いに絡みあっていたそれらが今の僕の声に反応して一斉にこちらに向き直る。
「一体・・・何匹・・・!?」
数にしておよそ10から20、それともそれ以上か。
とにかく悠長に数を数えている場合ではない。
僕は後ろを向いて駆け出した。
その後に続くように背後からずるずると沢山の何かが這いずってくる音がする。
悍ましい音に耳を塞ぎながら、結果的に僕は目的とは反対方向に追いやられた。
***
噴水の回りには様々な木材や機器が置き去りにされていた。
やけに綺麗な足元から見るに、恐らくは噴水の調整も兼ねて歩道の整備でもやっていたのだろう。
水が無ければあの怪物も出てこないのか、他に敵がいる気配も感じなかったので少し休む事にした。
僕は積み上げられた木材に座り、銃の点検をする。
戦いの末についた傷、金属なのに何処か手に馴染む不思議な感覚。
思えばたった3日程の間―――眠っていた時間を除けば丸1日も使っていない。
それなのにまるで長い歳月を過ごしてきたような信頼感がこれには宿っていた。
一つ一つ感謝するように丁寧に、マガジンに弾を込めていく。
これからも頼んだよ。
「あ」
そう頭に浮かべた途端、最後の一つが指を擦り抜けた。受け止めようとした手を外れ、弾は地面に落ちる。
そのままカラカラと軽い音をたてながら噴水の下の寂れた水路に向かっていく姿を少し眺めた。
「おぉい」
無駄とは知りながら声をかける。渋々腰をあげ、転がり続ける弾薬を追いかけた。
水路に落ちて余計に加速のついていく薬莢は、僕を何処かに誘うようにしてどんどんと転がっていく。
「・・・っと」
道の続く限り何処までも行ってしまいそうなそれを、足で踏み付けた。
「捕まえた」
足を離し、弾薬をつまみ、弾倉へ送る。
弾倉をガシン、と叩きつける様にして勢いよくしっかりと装填した。
足元には、排水溝。
血で染めたように赤く錆びた頼りない梯子が、僕を深い闇の奥に誘っていた。
***
薄暗くじとじととした空気の中に、腰に浸る程度の下水路が続いていた。
少し進んでみると奥は鉄柵で行き止まりになっており、その横には梯子が伸びている。
柵に顔を押し付けるようにしてその奥を覗いてみるも、視界に広がるのは完全な闇だけだった。
辛うじて音の情報から同じ様に下水が流れている事が分かるが、それだけだ。
ふと手に違和感を覚え、鉄柵から手を離した。
今まで手があった場所に目を凝らすと、柵が細かく震え、耳鳴りの様な振動音がしている。
暫くその光景を眺めていると、壁や足元、梯子までもが全て大きく揺れだし、大地を震わせる轟音が狭い空間に響いた。
「(地震?)」
神経を集中し、耳を澄ませると何かが物凄い勢いでこちらに向かって来ているが分かった。
言うなれば―――震源が、移動しているようだ。
ただならぬ空気を感じ、僕が梯子に手を掛けたその時だった。
「・・・くっ!」
凄まじい衝撃と轟音と共に、巨大な物体が水飛沫を上げながら柵の向こう側を通り抜けていく。
僕は思わず目をつぶり、体を縮こませた。
一瞬の轟音、その後に訪れる、不気味な程の静寂。
酷く嫌な予感がして、僕は梯子の上へ急いだ
梯子を昇った先に広がっていたのは、濃厚な死臭といくつもの墓標。
街がこうなる前に既に死者で満たされていたこの場所には生き物の気配は全く感じられず、それどころか今ここに生を全うしている自分自身が異質な物にすら思えてくる。
空気感染は無い、と記者の日記には記されていたもののそれはあくまで素人の憶測に過ぎず、確固たる事実ではないのだ。
一度ワクチンを摂取したといえど免疫がついたわけでなし、こうしている間にも少しずつあの怪物達に近付いていっているのかもしれない。
そうだ、カルロス―――彼は僕よりも先にこの街にいたんじゃないだろうか?
もし、今この時、蓄積されたウィルスによって発症していたとしたら―――
「・・・いやいや」
首を横に振るい、弱い心が生み出したおかしな妄想を頭から追い出す。
僕は深呼吸を何度かして、墓地へと足を踏み入れた。
生き物がいなければ敵もいない、ということだろうか。ゾンビどころか異形の怪物達もいない。
それでも墓地という場所は僕にとっては不気味な場所で、それがこんな真夜中だというなら尚更だ。
緊張した筋肉が、今にもハンドガンの引き金を引きそうだった。
「これなら何か出て来てくれた方がマシだなーなんて―――っぶ!」
緊張を紛らわせるために軽口を叩いていたら、突然妙に柔らかい地面に足を取られ、思い切り前のめりに転倒する。
すんでのところで手をついて顔面を強打するのは免れたが、じめじめとした冷たい土が体中に張り付いた。
「ああ、もう―――」
起き上がろうとする僕の足を、誰かの手が掴んだ。
咄嗟に振りほどこうとしたが、異常なまでの怪力がそれを許そうとしない。
ハンドガンを構えたその瞬間、ぼこり、と地面が隆起した。
僕の足を掴んだまま大地を裂いて現れたのは、腐敗した人間。
肉がこそげ落ちた灰色の肌に浮かぶ白と黒の斑点はもう随分見慣れたものだったが、地下の低温からか通常より比較的綺麗な状態だった。
それを皮切りにして次々と雪崩れる様に現れた生ける屍が、僕の周囲をぐるりと囲う。
「・・・本当に出てこなくたっていいのに・・・」
小さく、ため息をつくように流れ出た言葉は、自ら放った銃声によって掻き消された。
***
扉を開けた瞬間に、鼻腔に埃の臭いが広がる。どうやらあまり使われていないようだ。
まず目に入ってきたのは中身が入ったままの酒瓶、使いっぱなしのマッチ、新しい薪のくべてある暖炉、靴の形についた埃の跡。
手入れもされていない埃被った辺鄙な墓地小屋に点在する「最近まで人がいた形跡」が僕の疑念を掻き立てる。
部屋に一歩踏み出すと、べしゃっという水音が足元から聞こえてきた。見れば、自分の足からポタポタと水が滴っている。
そういえば下水に腰まで浸した上に、転んで土までつけたんだ。
土を払おうと試みるが下水に濡れた脚と土自体の湿り気のせいで叩いても落ちることはなかった。
このままだと機動力の低下は勿論の事、冷気に体力を奪われてしまうだろう。
僕は机の上に置いてあったマッチを擦り、暖炉へと火種を投げ入れた。
薪は一瞬にして燃え上がり、ぱちぱちと赤い火花が爆ぜる。
じわじわとした熱気が服についた水分を飛ばしていくのが分かった。
「こんなもんかなー」
やがて薪は燃え尽き、残ったのは灰とパリパリに乾いた服だった。乾燥した土を払いながら残り火を点検する。
火かき棒を使って小さな火種を掘り起こし、一つずつ消していった。
そして全ての火種を消したかというその時、僕は一つのおかしな点を見つける。
「これは・・・」
薪をどけた奥から、光が漏れていた。積み上げられたレンガの壁の隙間から、わずかに風が吹いてきている。
奥に何か―――?
僕はその場に仰向けになって寝転び、頭を上げて目線をレンガにやる。
脆くなっていそうな辺りをこつこつと蹴って確かめとみると壁が僅かに動き、土煙と小さな破片が落ちてきた。
「ここらへんか」
下半身をまだほんのりと暖かい暖炉の中にすっぽりと収め、2本の足を腹の上に畳む。
「そぉー」
頭を地面に下ろし、勢いをつける為に腰を持ち上げ、
「れっ!」
渾身の力を込めてレンガを蹴った。
ばこん、と中央のレンガが崩れ落ち、視線を戻してみると奥に広い空間があるのが見てとれる。
それを何度か繰り返す内、人一人通れそうな穴がぽっかりと開いた。
僕は腹ばいになり、穴の奥へと進む。
「・・・ここは」
穴の先にはもう一つ部屋があった。
机の上に散乱した書類に、口をつけた跡のあるカップ。棚に置かれた弾薬や武器。
「こんな場所にこんなものがあるなんて・・・」
一目で見ても分からないように細工された通路を使わないと辿り着けない部屋に拡がるこの光景は一体何を意味しているのか?
僕はおもむろにばらばらになっている中の、偶然目に止まったひと束の書類を掴み取った。
一番上にあったのは、『監視員への辞令』と書かれた薄い紙。
あらゆるデータの収集・回収はもちろんのこと、証拠施設やそれに携わった医療機関の破壊命令までもが事細かに記されていた。
そしてそれを忠実に遂行した事を認識させる大量の報告書がそこに連なっている。
報告書の中にはゾンビをどう実戦に投入するかなど、とても人間の仕業とは思いたくないおぞましい事がずらずらと並べられていた。
「よく考え付くな・・・こんな事」
次々と出てくる残酷な言葉達にうんざりしながらもページを捲る。
すると、報告書の一番最後のページに記述されていた事柄によく見慣れた単語が書いてあった。
「S.T.A.R.S.・・・」
思わず口に出していた。
注意深く文書を読み返してみるが、それが書かれているのは後にも先にもこのページだけだった。
その部分を読んだ限りでは、どうやら僕は「NEMESIS」というとんでもなく強力で恐るべき怪物に命を狙われているらしい。
しかし、だ。
「NEMESISって・・・どれだろう・・・」
この街に来てかなり多くの怪物と戦闘を繰り広げてきたが、全員僕を狙ってきた。
その為にどれが「NEMESIS」を指すのかが全く特定できない。
僕にとってはどれもが強力で、恐るべき怪物だった。
文章から読み取る限りはもう既に出会っているみたいだが、分からないものは仕方ない。
僕はニコライのサインの入ったその書類を元あった場所に戻した。
他に目ぼしいものは無く、一通り調査を終えた僕は暖炉に向かう。
身を屈めたその時、突然室内にピー、という機械音が響いた。
その後に排紙する音が聞こえた。どうやらFAXが届いたらしい。
僕は再び立ち上がり、送られてきたFAXに目を通す。
その文章は実に簡潔で、紙の大きさの半分にも満たないスペースに収まっていた。
監視員への退却命令と、議会からの小言。
そして『街は夜明けとともに確実に消滅する。』という記述。
「・・・『消毒』、か」
アンブレラは何らかの方法で全てを排除し、一切の物証を消し去ろうとしている。
何の前触れもなく、突然巨大な実験場とされたこの街とそこの住民を巻き添えにして。
そんな事がまかり通ると思ってるのか?
あまりの腹立ただしさに手を固く握り締め、壁を思い切り殴る。
その時だ。
「っわ!?」
同時だったろうか。
物凄い地響きが建物全体を揺るがし、それは段々と強さを増していく。
「地震!?」
辺りのものに必死で捕まりながら揺れが治まるのを待った。
いつしかそれが止まり、辺りが以前の静けさを取り戻す。
その直後、一瞬の浮遊感。
いや、本当に宙に浮いたんだ。
「う」
床が―――踏み締めるはずだった地面がそこには無くて―――
「わあああっ!」
僕は状況を理解する前に、瓦礫と共に深い闇の中に落ちていった。
***
「いったたた・・・」
腰を撫でながらゆっくりと体を起こす。
地面が裂け、木々が倒れ、墓石が割れている。墓地は完全に崩落していた。
朧げな明かりを燈す電灯が無事だったことが唯一の救いだ。
見渡す限りの周囲は切り立った崖に囲まれていて、簡単には抜け出せそうにない。軟らかい土で出来た崖は掴むには頼りなさ過ぎた。
それでも、僕は立ち尽くしている訳にはいかないんだ。
一刻も早く脱出して、カルロスにあの書類の事を話さないといけない。
僕は深呼吸を一つして、調査を始めた。
「おっ」
柵の一部分がちょうど梯子のように倒れてきており、強度としても足をかけても問題なさそうだ。
あっさりと当面の危機から脱出した僕はほっと胸を撫で下ろす。
柵に足を掛けた。
直後、気味の悪い生暖かい風が僕の身体を包む。
全身を這いずる様な気色悪い感覚に、思わず振り向いた。
「・・・!」
僕の背後にいたのは巨大な蛇―――最初はそう見えた。
土から生えてきたようにそこにいた怪物の口は四方向に開かれ、それぞれ頂点には僕の足程もありそうな大きな牙がついている。
口の端からだらし無くよだれを垂らしたそれは、体の奥から先程の生暖かい風を吐き出した。
その容貌を見た僕の脳に、先程の奇妙な生物の事が過ぎる。
口を四方向に開き、大きな牙を持った吸血生物。
「(・・・あれの親玉か!)」
この巨体に血を吸われたら、いや、その前に丸々飲み込まれるだろう。
丸呑みにされた後、体内でじっくりと養分にされていく・・・そんな嫌な想像が頭に張り付く。
僕はそれを懸命に引き剥がしながらハンドガンを握り締めた。
緊張が走る。
冷や汗が全身の毛穴から吹き出し、体温が急激に下がっていく。
先に動いたのは、怪物。
そこら中に唾液を撒き散らし、耳を潰そうかという咆哮を上げ威嚇した後、素早く体を垂直にして地中へと潜っていく。
完全に姿を消し、地をはいずる音は段々と小さくなっていった。
―――逃げた?
いや、そんなはずはない。
小さくはなったが、完全に聞こえないわけじゃなかった。
地中を蠢く脈動が、確かに伝わってくる。
そしてまた、少しずつ大きくなる音と振動。
それが向かう先―――
僕の、真下だ。
僕が横に跳んだのと同時に、怪物が口を開きながら今まで僕が立っていた場所から物凄い速度で飛び出した。
そしてまた頭を引っ込め、地中へ隠れる。
出来るだけ一定の場所に留まらないように音を聞きながらひたすら動き回るが、怪物は次々と異常ともいえる正確さで僕がいた場所にぽっかりと穴を空けていく。
このまま長引かせれば、こっちは動きが取れなくなる。既に至る所に穴があり、移動出来る範囲は限られてきていた。
逆に相手にとっては好都合、動き疲れた僕が転びでもすれば気付いた時は既に奴の腹の中だ。
打開策を必死に考えていると、目の前に怪物が待ち構えていた。
僕が音で位置を確かめている事に気付いて、息を殺し待ち伏せていたのだろうか。
寸でのところで牙をかわし、そのまま銃を構え闇雲に撃ち込む。
しかし分厚い皮膚に遮られ決定的なダメージを与えられないまま、怪物は再び地に潜っていった。
「どうしよ、う、うわっ!?」
息をつく暇すら与えられず、再び眼前に怪物が出現する。
同じ穴から2度続けて現れはしないと思っていたが、甘かったか。
食いつかれそうになった頭を低くし、そのまま前転して4本の牙をかわす。
体勢を戻した時、既に怪物の姿は無かった。
どうやら、あの怪物は単純な見掛けよりかなり知能が高い。
知力と体力を持ち合わせた強大な敵―――どう対処する?
僕は辺りを視線だけで見回す。
傾いた電灯、限られた地形、泥で濁った水溜まり。
それらを全て寄り合わせ、頭の中でイメージを練り上げていく。
浮かび上がってきたのは幾多の失敗の可能性と、僅かに輝く一筋の勝機。
「・・・よし」
渇く唇を一舐め、僕は覚悟を決めた。
「知恵比べといこうか」
ハンドガンを握る手に汗が滲んだ。
チャンスは一度、怪物の猛攻をギリギリで回避したその直後に、僕が狙う瞬間がある。
やがてその時が来た。
再び僕を食べ損ねた怪物は、今までと同じように地中へと潜る。
全てはここからが本番だ。
ぐらぐらと不安定だった電灯に、ハンドガンの小さな弾丸はキュン、と火花を散らして命中した。
ゆっくりと倒れた電灯から流れる行場の無くなった電気が、水溜まりに青く広がる。
怪物は今尚土中を彷徨いながら、僕に向かって少しずつ、だが確実に近づいてきていた。
揺れは段々と大きくなる。
そして揺れが一瞬止まったかと思った瞬間、地面が大きく盛り上がった。
「―――!!」
僕は倒れた電灯と電流の走る水たまりを跳び越える様に大きく跳んだ。
その脚を掠り、怪物は姿を再び地上に姿を現す。
泥で滑りそうになったが何とか堪え、僕は怪物の方へ向き直った。
それとほぼ同時に怪物は空振りした牙を再びこちらに向けてくるが、警戒しているのか中々動こうとしない。
もし怪物がまた垂直に穴に潜ってしまえば、僕には逃げ場がない。
穴に落ちて奴に食われるかしか道が残されていないのだ。
玉のような汗が額を伝う。
待つ事がこんなに苦痛だと感じたのは初めてだった。
「・・・っ来ぉい!!」
僕はいつの間にか叫んでいた 。
それに応えてか怪物は一際大きく叫び、突進してくる。
唾液を撒き散らし、体を打ち付け、雄叫びを上げながら。
その次の瞬間、巨体に青い激痛が駆け巡った。
肉を焼き、皮を裂き、臓腑を焦がす凄まじい電流が怪物の体で跳ね回る。
絶え間無い電撃の音と怪物の叫び声が辺りに響いた。
長居は無用、まだびくびくと動いている怪物を尻目に僕は柵に向かう。
陥没した墓地を一望すると、思っていた以上に所々に大きな穴が開いていた。
どう見ても人が歩くような場所ではない事がここに来てやっと理解できる。
「良く生きてたなぁ、僕」
自分の幸運に感謝しながら、怪物を一瞥する。
痛みにのた打ち回りながらもまだ生きているようだった。
「しぶといな」
怪物の真上に狙いを定め、発砲する。
銃弾が脆い土で出来た断崖を少し抉ると、そこにあった十字の墓標がバランスを失い、怪物の肉体を突き刺した。その後訪れた完全な静寂が、戦いの終わりを告げる。
「そうだ、早く行かなきゃ」
カルロスに伝えるべき事を思い出し、急いで公園の道を戻る。
その時、誰かからの視線を感じたような気がしたが、敏感になり過ぎているのだと思い足を止める事は無かった。
「・・・気のせい、だよね」
その何だか感じた事のある感覚が、あの凍てつく様な眼光だと気付くのはその少し後だった。
門を開ければ丁寧に揃えられた美しい緑、整備された水路をさらさらと流れる水の音。
その美しい風景が、敷地中に見える笑顔と笑い声の記憶を余計に虚しいものに見せた。
「違う時に来たかったな」
ため息を一つついて階段を上り、見晴らしのいい高台から周囲を見渡した。
たくさんの樹木が視界を遮るが、その隙間から左手に大きな池、右手に噴水を見る。
どちらを先に調査するか。
様々な要因を考えている時、ふと入口に貼ってあった簡単な地図を思い出した。
確か噴水の辺りは工事中で、先に続く道などは無かったはずだ。
そうして階段を下ろうとした僕の耳に、異様な音が入ってきた。
ずるり、ずるり、と何かが這いずる様な音が近くから聞こえてくる。
どうもそれは足元から聞こえてくるようで、おもむろに視線を下に落としてみた。
「わっ」
僕が眺めた先には蛇が階段の下で数匹、互いに体を絡ませながら蠢いていた。
長く太った体と体が擦れ合う度、にちゃにちゃという粘着質な音がしてくる。
その音を聞いて嫌悪感を抱く前に、僕の脳裏には恐怖が過った。
この蛇がゾンビ化している可能性は決して低くない。例えゾンビ化では無くても何らかの獰猛な変異を遂げた事に変わりは無いだろう。
蛇達を避け、反対側の階段から降りて回り込むことにした。
幸いあまり蛇達の移動速度は速くなく、走り抜ければ戦わずとも何とかなりそうだ。
深く息を吸い、吐く。
目を池の方へ見据えて駆け出したその瞬間だった。
僕の眼前を掠り、びしゃりと水音をたてて水路から蛇が飛び出してきた。
体を地面に打ち付けしばらくごろごろと転がった後、体をぐっと曲げて僕の方へ頭を向ける。
僕は反射的にハンドガンを構え、狙いを定めた。
「・・・?」
その時、水路の中で「何か」が動いた。
それは差し込む街灯の明かりを反射しながら音も無く近付いてくる「何か」が確かに水の中に潜んでいる。
そしてそれとほぼ同時だったろうか、僕の正面にいた蛇が口を開いた。
その口は自らの体すら丸呑み出来そうな程に大きく、四方向に開いた。四つの頂点にはそれぞれに鋭い牙が付いていて、小さいながらも殺傷能力は十分そうに見える。
小さな怪物は体をくねらせ、僕目掛けて高く跳ねた。
「っつ!」
少し呆けていた所為で避けるのが一瞬遅れ、無防備だった左手に牙が突き刺さる。
痛みはあったがそれほどではなく、寧ろ恐怖を感じたのはこの怪物のもう一つの能力だった。
「う・・・あ・・・!?」
腕に送られる筈の血液が、根こそぎ吸われていく感覚。
蛇より蛭に近いのだろう、躯をみるみる赤く変色させていく様子が吸い取られた血の量を物語る。
「・・・っ放せ!」
ぬめる胴体をわしづかみにして強引に引き剥がし、そのまま思い切り地面に叩き付ける。
撃ち出された弾丸は蛇のしなる柔らかな躯を易々と貫き、のたうちまわる事も許さずに怪物の息の根を止めた。
噛まれた傷を確かめたがたいした傷も無く、出血も直に止まりそうだ。
一安心して、顔を上げる。
「うわ!」
見れば、同じ形の怪物が水の中から次々と姿を現し、いつの間にか池へと続く道を完全に塞ぐ程の量が集まっていた。
そして互いに絡みあっていたそれらが今の僕の声に反応して一斉にこちらに向き直る。
「一体・・・何匹・・・!?」
数にしておよそ10から20、それともそれ以上か。
とにかく悠長に数を数えている場合ではない。
僕は後ろを向いて駆け出した。
その後に続くように背後からずるずると沢山の何かが這いずってくる音がする。
悍ましい音に耳を塞ぎながら、結果的に僕は目的とは反対方向に追いやられた。
***
噴水の回りには様々な木材や機器が置き去りにされていた。
やけに綺麗な足元から見るに、恐らくは噴水の調整も兼ねて歩道の整備でもやっていたのだろう。
水が無ければあの怪物も出てこないのか、他に敵がいる気配も感じなかったので少し休む事にした。
僕は積み上げられた木材に座り、銃の点検をする。
戦いの末についた傷、金属なのに何処か手に馴染む不思議な感覚。
思えばたった3日程の間―――眠っていた時間を除けば丸1日も使っていない。
それなのにまるで長い歳月を過ごしてきたような信頼感がこれには宿っていた。
一つ一つ感謝するように丁寧に、マガジンに弾を込めていく。
これからも頼んだよ。
「あ」
そう頭に浮かべた途端、最後の一つが指を擦り抜けた。受け止めようとした手を外れ、弾は地面に落ちる。
そのままカラカラと軽い音をたてながら噴水の下の寂れた水路に向かっていく姿を少し眺めた。
「おぉい」
無駄とは知りながら声をかける。渋々腰をあげ、転がり続ける弾薬を追いかけた。
水路に落ちて余計に加速のついていく薬莢は、僕を何処かに誘うようにしてどんどんと転がっていく。
「・・・っと」
道の続く限り何処までも行ってしまいそうなそれを、足で踏み付けた。
「捕まえた」
足を離し、弾薬をつまみ、弾倉へ送る。
弾倉をガシン、と叩きつける様にして勢いよくしっかりと装填した。
足元には、排水溝。
血で染めたように赤く錆びた頼りない梯子が、僕を深い闇の奥に誘っていた。
***
薄暗くじとじととした空気の中に、腰に浸る程度の下水路が続いていた。
少し進んでみると奥は鉄柵で行き止まりになっており、その横には梯子が伸びている。
柵に顔を押し付けるようにしてその奥を覗いてみるも、視界に広がるのは完全な闇だけだった。
辛うじて音の情報から同じ様に下水が流れている事が分かるが、それだけだ。
ふと手に違和感を覚え、鉄柵から手を離した。
今まで手があった場所に目を凝らすと、柵が細かく震え、耳鳴りの様な振動音がしている。
暫くその光景を眺めていると、壁や足元、梯子までもが全て大きく揺れだし、大地を震わせる轟音が狭い空間に響いた。
「(地震?)」
神経を集中し、耳を澄ませると何かが物凄い勢いでこちらに向かって来ているが分かった。
言うなれば―――震源が、移動しているようだ。
ただならぬ空気を感じ、僕が梯子に手を掛けたその時だった。
「・・・くっ!」
凄まじい衝撃と轟音と共に、巨大な物体が水飛沫を上げながら柵の向こう側を通り抜けていく。
僕は思わず目をつぶり、体を縮こませた。
一瞬の轟音、その後に訪れる、不気味な程の静寂。
酷く嫌な予感がして、僕は梯子の上へ急いだ
梯子を昇った先に広がっていたのは、濃厚な死臭といくつもの墓標。
街がこうなる前に既に死者で満たされていたこの場所には生き物の気配は全く感じられず、それどころか今ここに生を全うしている自分自身が異質な物にすら思えてくる。
空気感染は無い、と記者の日記には記されていたもののそれはあくまで素人の憶測に過ぎず、確固たる事実ではないのだ。
一度ワクチンを摂取したといえど免疫がついたわけでなし、こうしている間にも少しずつあの怪物達に近付いていっているのかもしれない。
そうだ、カルロス―――彼は僕よりも先にこの街にいたんじゃないだろうか?
もし、今この時、蓄積されたウィルスによって発症していたとしたら―――
「・・・いやいや」
首を横に振るい、弱い心が生み出したおかしな妄想を頭から追い出す。
僕は深呼吸を何度かして、墓地へと足を踏み入れた。
生き物がいなければ敵もいない、ということだろうか。ゾンビどころか異形の怪物達もいない。
それでも墓地という場所は僕にとっては不気味な場所で、それがこんな真夜中だというなら尚更だ。
緊張した筋肉が、今にもハンドガンの引き金を引きそうだった。
「これなら何か出て来てくれた方がマシだなーなんて―――っぶ!」
緊張を紛らわせるために軽口を叩いていたら、突然妙に柔らかい地面に足を取られ、思い切り前のめりに転倒する。
すんでのところで手をついて顔面を強打するのは免れたが、じめじめとした冷たい土が体中に張り付いた。
「ああ、もう―――」
起き上がろうとする僕の足を、誰かの手が掴んだ。
咄嗟に振りほどこうとしたが、異常なまでの怪力がそれを許そうとしない。
ハンドガンを構えたその瞬間、ぼこり、と地面が隆起した。
僕の足を掴んだまま大地を裂いて現れたのは、腐敗した人間。
肉がこそげ落ちた灰色の肌に浮かぶ白と黒の斑点はもう随分見慣れたものだったが、地下の低温からか通常より比較的綺麗な状態だった。
それを皮切りにして次々と雪崩れる様に現れた生ける屍が、僕の周囲をぐるりと囲う。
「・・・本当に出てこなくたっていいのに・・・」
小さく、ため息をつくように流れ出た言葉は、自ら放った銃声によって掻き消された。
***
扉を開けた瞬間に、鼻腔に埃の臭いが広がる。どうやらあまり使われていないようだ。
まず目に入ってきたのは中身が入ったままの酒瓶、使いっぱなしのマッチ、新しい薪のくべてある暖炉、靴の形についた埃の跡。
手入れもされていない埃被った辺鄙な墓地小屋に点在する「最近まで人がいた形跡」が僕の疑念を掻き立てる。
部屋に一歩踏み出すと、べしゃっという水音が足元から聞こえてきた。見れば、自分の足からポタポタと水が滴っている。
そういえば下水に腰まで浸した上に、転んで土までつけたんだ。
土を払おうと試みるが下水に濡れた脚と土自体の湿り気のせいで叩いても落ちることはなかった。
このままだと機動力の低下は勿論の事、冷気に体力を奪われてしまうだろう。
僕は机の上に置いてあったマッチを擦り、暖炉へと火種を投げ入れた。
薪は一瞬にして燃え上がり、ぱちぱちと赤い火花が爆ぜる。
じわじわとした熱気が服についた水分を飛ばしていくのが分かった。
「こんなもんかなー」
やがて薪は燃え尽き、残ったのは灰とパリパリに乾いた服だった。乾燥した土を払いながら残り火を点検する。
火かき棒を使って小さな火種を掘り起こし、一つずつ消していった。
そして全ての火種を消したかというその時、僕は一つのおかしな点を見つける。
「これは・・・」
薪をどけた奥から、光が漏れていた。積み上げられたレンガの壁の隙間から、わずかに風が吹いてきている。
奥に何か―――?
僕はその場に仰向けになって寝転び、頭を上げて目線をレンガにやる。
脆くなっていそうな辺りをこつこつと蹴って確かめとみると壁が僅かに動き、土煙と小さな破片が落ちてきた。
「ここらへんか」
下半身をまだほんのりと暖かい暖炉の中にすっぽりと収め、2本の足を腹の上に畳む。
「そぉー」
頭を地面に下ろし、勢いをつける為に腰を持ち上げ、
「れっ!」
渾身の力を込めてレンガを蹴った。
ばこん、と中央のレンガが崩れ落ち、視線を戻してみると奥に広い空間があるのが見てとれる。
それを何度か繰り返す内、人一人通れそうな穴がぽっかりと開いた。
僕は腹ばいになり、穴の奥へと進む。
「・・・ここは」
穴の先にはもう一つ部屋があった。
机の上に散乱した書類に、口をつけた跡のあるカップ。棚に置かれた弾薬や武器。
「こんな場所にこんなものがあるなんて・・・」
一目で見ても分からないように細工された通路を使わないと辿り着けない部屋に拡がるこの光景は一体何を意味しているのか?
僕はおもむろにばらばらになっている中の、偶然目に止まったひと束の書類を掴み取った。
一番上にあったのは、『監視員への辞令』と書かれた薄い紙。
あらゆるデータの収集・回収はもちろんのこと、証拠施設やそれに携わった医療機関の破壊命令までもが事細かに記されていた。
そしてそれを忠実に遂行した事を認識させる大量の報告書がそこに連なっている。
報告書の中にはゾンビをどう実戦に投入するかなど、とても人間の仕業とは思いたくないおぞましい事がずらずらと並べられていた。
「よく考え付くな・・・こんな事」
次々と出てくる残酷な言葉達にうんざりしながらもページを捲る。
すると、報告書の一番最後のページに記述されていた事柄によく見慣れた単語が書いてあった。
「S.T.A.R.S.・・・」
思わず口に出していた。
注意深く文書を読み返してみるが、それが書かれているのは後にも先にもこのページだけだった。
その部分を読んだ限りでは、どうやら僕は「NEMESIS」というとんでもなく強力で恐るべき怪物に命を狙われているらしい。
しかし、だ。
「NEMESISって・・・どれだろう・・・」
この街に来てかなり多くの怪物と戦闘を繰り広げてきたが、全員僕を狙ってきた。
その為にどれが「NEMESIS」を指すのかが全く特定できない。
僕にとってはどれもが強力で、恐るべき怪物だった。
文章から読み取る限りはもう既に出会っているみたいだが、分からないものは仕方ない。
僕はニコライのサインの入ったその書類を元あった場所に戻した。
他に目ぼしいものは無く、一通り調査を終えた僕は暖炉に向かう。
身を屈めたその時、突然室内にピー、という機械音が響いた。
その後に排紙する音が聞こえた。どうやらFAXが届いたらしい。
僕は再び立ち上がり、送られてきたFAXに目を通す。
その文章は実に簡潔で、紙の大きさの半分にも満たないスペースに収まっていた。
監視員への退却命令と、議会からの小言。
そして『街は夜明けとともに確実に消滅する。』という記述。
「・・・『消毒』、か」
アンブレラは何らかの方法で全てを排除し、一切の物証を消し去ろうとしている。
何の前触れもなく、突然巨大な実験場とされたこの街とそこの住民を巻き添えにして。
そんな事がまかり通ると思ってるのか?
あまりの腹立ただしさに手を固く握り締め、壁を思い切り殴る。
その時だ。
「っわ!?」
同時だったろうか。
物凄い地響きが建物全体を揺るがし、それは段々と強さを増していく。
「地震!?」
辺りのものに必死で捕まりながら揺れが治まるのを待った。
いつしかそれが止まり、辺りが以前の静けさを取り戻す。
その直後、一瞬の浮遊感。
いや、本当に宙に浮いたんだ。
「う」
床が―――踏み締めるはずだった地面がそこには無くて―――
「わあああっ!」
僕は状況を理解する前に、瓦礫と共に深い闇の中に落ちていった。
***
「いったたた・・・」
腰を撫でながらゆっくりと体を起こす。
地面が裂け、木々が倒れ、墓石が割れている。墓地は完全に崩落していた。
朧げな明かりを燈す電灯が無事だったことが唯一の救いだ。
見渡す限りの周囲は切り立った崖に囲まれていて、簡単には抜け出せそうにない。軟らかい土で出来た崖は掴むには頼りなさ過ぎた。
それでも、僕は立ち尽くしている訳にはいかないんだ。
一刻も早く脱出して、カルロスにあの書類の事を話さないといけない。
僕は深呼吸を一つして、調査を始めた。
「おっ」
柵の一部分がちょうど梯子のように倒れてきており、強度としても足をかけても問題なさそうだ。
あっさりと当面の危機から脱出した僕はほっと胸を撫で下ろす。
柵に足を掛けた。
直後、気味の悪い生暖かい風が僕の身体を包む。
全身を這いずる様な気色悪い感覚に、思わず振り向いた。
「・・・!」
僕の背後にいたのは巨大な蛇―――最初はそう見えた。
土から生えてきたようにそこにいた怪物の口は四方向に開かれ、それぞれ頂点には僕の足程もありそうな大きな牙がついている。
口の端からだらし無くよだれを垂らしたそれは、体の奥から先程の生暖かい風を吐き出した。
その容貌を見た僕の脳に、先程の奇妙な生物の事が過ぎる。
口を四方向に開き、大きな牙を持った吸血生物。
「(・・・あれの親玉か!)」
この巨体に血を吸われたら、いや、その前に丸々飲み込まれるだろう。
丸呑みにされた後、体内でじっくりと養分にされていく・・・そんな嫌な想像が頭に張り付く。
僕はそれを懸命に引き剥がしながらハンドガンを握り締めた。
緊張が走る。
冷や汗が全身の毛穴から吹き出し、体温が急激に下がっていく。
先に動いたのは、怪物。
そこら中に唾液を撒き散らし、耳を潰そうかという咆哮を上げ威嚇した後、素早く体を垂直にして地中へと潜っていく。
完全に姿を消し、地をはいずる音は段々と小さくなっていった。
―――逃げた?
いや、そんなはずはない。
小さくはなったが、完全に聞こえないわけじゃなかった。
地中を蠢く脈動が、確かに伝わってくる。
そしてまた、少しずつ大きくなる音と振動。
それが向かう先―――
僕の、真下だ。
僕が横に跳んだのと同時に、怪物が口を開きながら今まで僕が立っていた場所から物凄い速度で飛び出した。
そしてまた頭を引っ込め、地中へ隠れる。
出来るだけ一定の場所に留まらないように音を聞きながらひたすら動き回るが、怪物は次々と異常ともいえる正確さで僕がいた場所にぽっかりと穴を空けていく。
このまま長引かせれば、こっちは動きが取れなくなる。既に至る所に穴があり、移動出来る範囲は限られてきていた。
逆に相手にとっては好都合、動き疲れた僕が転びでもすれば気付いた時は既に奴の腹の中だ。
打開策を必死に考えていると、目の前に怪物が待ち構えていた。
僕が音で位置を確かめている事に気付いて、息を殺し待ち伏せていたのだろうか。
寸でのところで牙をかわし、そのまま銃を構え闇雲に撃ち込む。
しかし分厚い皮膚に遮られ決定的なダメージを与えられないまま、怪物は再び地に潜っていった。
「どうしよ、う、うわっ!?」
息をつく暇すら与えられず、再び眼前に怪物が出現する。
同じ穴から2度続けて現れはしないと思っていたが、甘かったか。
食いつかれそうになった頭を低くし、そのまま前転して4本の牙をかわす。
体勢を戻した時、既に怪物の姿は無かった。
どうやら、あの怪物は単純な見掛けよりかなり知能が高い。
知力と体力を持ち合わせた強大な敵―――どう対処する?
僕は辺りを視線だけで見回す。
傾いた電灯、限られた地形、泥で濁った水溜まり。
それらを全て寄り合わせ、頭の中でイメージを練り上げていく。
浮かび上がってきたのは幾多の失敗の可能性と、僅かに輝く一筋の勝機。
「・・・よし」
渇く唇を一舐め、僕は覚悟を決めた。
「知恵比べといこうか」
ハンドガンを握る手に汗が滲んだ。
チャンスは一度、怪物の猛攻をギリギリで回避したその直後に、僕が狙う瞬間がある。
やがてその時が来た。
再び僕を食べ損ねた怪物は、今までと同じように地中へと潜る。
全てはここからが本番だ。
ぐらぐらと不安定だった電灯に、ハンドガンの小さな弾丸はキュン、と火花を散らして命中した。
ゆっくりと倒れた電灯から流れる行場の無くなった電気が、水溜まりに青く広がる。
怪物は今尚土中を彷徨いながら、僕に向かって少しずつ、だが確実に近づいてきていた。
揺れは段々と大きくなる。
そして揺れが一瞬止まったかと思った瞬間、地面が大きく盛り上がった。
「―――!!」
僕は倒れた電灯と電流の走る水たまりを跳び越える様に大きく跳んだ。
その脚を掠り、怪物は姿を再び地上に姿を現す。
泥で滑りそうになったが何とか堪え、僕は怪物の方へ向き直った。
それとほぼ同時に怪物は空振りした牙を再びこちらに向けてくるが、警戒しているのか中々動こうとしない。
もし怪物がまた垂直に穴に潜ってしまえば、僕には逃げ場がない。
穴に落ちて奴に食われるかしか道が残されていないのだ。
玉のような汗が額を伝う。
待つ事がこんなに苦痛だと感じたのは初めてだった。
「・・・っ来ぉい!!」
僕はいつの間にか叫んでいた 。
それに応えてか怪物は一際大きく叫び、突進してくる。
唾液を撒き散らし、体を打ち付け、雄叫びを上げながら。
その次の瞬間、巨体に青い激痛が駆け巡った。
肉を焼き、皮を裂き、臓腑を焦がす凄まじい電流が怪物の体で跳ね回る。
絶え間無い電撃の音と怪物の叫び声が辺りに響いた。
長居は無用、まだびくびくと動いている怪物を尻目に僕は柵に向かう。
陥没した墓地を一望すると、思っていた以上に所々に大きな穴が開いていた。
どう見ても人が歩くような場所ではない事がここに来てやっと理解できる。
「良く生きてたなぁ、僕」
自分の幸運に感謝しながら、怪物を一瞥する。
痛みにのた打ち回りながらもまだ生きているようだった。
「しぶといな」
怪物の真上に狙いを定め、発砲する。
銃弾が脆い土で出来た断崖を少し抉ると、そこにあった十字の墓標がバランスを失い、怪物の肉体を突き刺した。その後訪れた完全な静寂が、戦いの終わりを告げる。
「そうだ、早く行かなきゃ」
カルロスに伝えるべき事を思い出し、急いで公園の道を戻る。
その時、誰かからの視線を感じたような気がしたが、敏感になり過ぎているのだと思い足を止める事は無かった。
「・・・気のせい、だよね」
その何だか感じた事のある感覚が、あの凍てつく様な眼光だと気付くのはその少し後だった。