本編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
聖が力無く崩れ落ちる。
「・・・っくしょぉおお!」
俺は下げていた銃を再び構え、化け物に向けて攻撃を開始した。
連射性能に優れたこの銃に狙われれば少なくとも機敏には動けなくなる。
俺はそう信じて引き金を引き続けた。
だが無情にもその超高速が仇となり、弾丸は瞬く間に底をついてしまう。
「くそ」
アサルトライフルの効果か、化け物はその場から動けずにいた。
かすかな勝機―――ライフルの替えのマガジンを持ち合わせていなかった俺はハンドガンに持ち替え、再び銃弾を浴びせる。
しかし8発撃ったところでカチン、と軽い感触が俺の指に響いた。
「・・・ちっ」
当の化け物は身じろぎもせずにそこに立っていた。
俺はリロードをしようとした手を止める。
不気味な色の触手をわずかにくねらせ、ただそこに立ちつくすばかり。
「動けない」じゃなくて、「動かなかった」んだ。
馬鹿にされているのか、それとも気に留まってすらいないのか。
「・・・ごめんな・・・聖」
諦め、そう呟いた時だった。
その瞬間、俺は異変の前兆を聞く。
ガシャン、と何かが落ちる音。
黒銀に輝く巨大な銃身がごろんと地面に転がる。
ヘリを粉々に砕き、潰し、撃ち落とした化け物のロケットランチャーだった。
それを拾う様子も無くただただ立ちつくす怪物。
反撃する絶好のチャンスにも関わらず、俺はその光景を見ることしか出来なかった。
そして俺は更なる異変を目の当たりにする。
化け物が小さく震えていた。
下を向いて萎れた触手がかすかに揺らぐ。
化け物は真っ直ぐ聖を見つめていた。
聖を見つめながら、震えていた。
「・・・何だってんだ」
口の中で、聞こえないように言った。
化け物はそのままうずくまり、聖の頬にそっと触れる。
何か大切な物を壊してしまった子供のように、震えながら、そっと。
聖はぴくりとも動かない。
すると何を思ったか、化け物は突然立ち上がって俺に背を向け、炎に向かって歩きだす。
服を焼き、身を焦がす火炎に巻かれながら、その姿は掻き消えていった。
今、何が起こった?
殺される・・・そう思った。
しかし化け物は俺に背中を向けて、自ら炎に飛び込んだ。
―――聖に触れた後に。
「・・・聖!」
大切な事を思い出し、俺は聖に駆け寄った。
そっと力無い体を抱き起こす。
「おい、目ぇ開けろ、お前がこんなんで死ぬ訳無い、いっつもヘラヘラしてた癖に、今更こんな顔すんじゃねぇ、お前は死なねぇよ、なぁ」
がくがくと体を揺すりながら呼び掛ける。
広がる不安、付き纏う絶望、拭いきれない恐怖につい涙ぐむ。
「起きろよ、馬鹿野郎」
今にも滴り落ちそうな涙を拭おうとした時、聖の目がうっすらと開いた。
虚空を見つめ、瞬きを何度か繰り返す。
「・・・う」
喉が動いた。
俺は聖の手を取り、脈を確かめる。
・・・間違いない、確かにまだ生きている。
自分を信じ、聖を信じ、俺は礼拝堂に行くことにした。
あそこなら敵の襲撃も無いだろうし、休めるスペースがある。
「踏ん張れよ、聖!」
俺は聖を背中に担いだ。
「ん?」
鼻先に何かが落ちてきた。
それは頭を、体を、炎をも濡らし始める。
「雨か」
少しずつ強くなる雨音。
その冷たく寂しげな音色は、死の痛みから解放されずにこの街に縛られた死者の魂を鎮めるようにも聞こえた。
***
「よっ・・・と」
礼拝堂に到着した俺は、聖を寝台に横たわらせた。
目は閉じているが、浅い呼吸は感じ取れる。
頬をピシピシとはたき、軽い調子で呼びかけてみた。
「起きろよ、まさか死んでないよな?如月聖さんよ」
聖は片目だけ開けて俺を見た。
今度はいつもの暖かさの混じった瞳だ。
「そんなに死んじゃいけないかい?」
小さかったが、苦笑いで確かにそう言った。
「当たり前だ、まだまだ死なせねぇ!」
「勘弁してよー」
そう言うと聖は体を起こし、大きく伸びをする。
姿も声も、いつもの聖そのものだ。
だが完全に安心出来た訳ではなかった。
紫色に変色した、完璧に傷の無い肩。
俺はこいつの傷口が、異常な速度で治っていくのを見ていた。
聖の身に何が起こっているか特定は出来なくとも、明らかに尋常でない事は分かる。
「・・・調子はどうだ?」
「痛みも吐き気も無い。・・・でも」
「でも?」
「少し・・・怖いかな」
聖はそう言うと天井を見上げた。
「僕の肩の傷が一瞬で治ったの、見た?」
上を向いたまま、俺にそう問いかけてくる。
嘘はつかない。
「・・・見た。正直な所、今、お前をお前だと言い切れない」
「あはは、うん、君らしい。僕自身だって言い切れないよ」
「笑いごとか?」
「いいや、全然」
聖は笑った。
自嘲の笑み?諦観の笑み?
違う。
こいつは本当に、普段通りに笑っている。
何でだ?
「そう、そういえば気付いた事があるんだ」
聖はぱっと俺に向き直り、俺にウィルスについて話し始めた。
「・・・んん、筋は通ってんな」
「推測に過ぎないけど、結構いい線いってると思うよ」
聖はまた笑った。
・・・こいつは何で笑っていられる?
んな事言ったら自分が死ぬって言ってるようなもんだろ?
「わっかんねぇな」
「何が?」
「いんや、なんでも」
とぼけた顔をした聖に背を向け、ため息をついたその時だった。
無線に突然の通信。慌てて受信モードに切り替え、スピーカーを耳に押し当てる。
「こちらカルロ―――」
「病院にワクチンが置いてある、それを感染場所に注射しろ」
聞き慣れた―――氷のように冷たい声。
特定するのにそう時間はかからなかった。
「・・・ニコライ!?」
「急いだ方がいい」
そう短く告げて、ニコライからの通信は途絶える。
突然の事に戸惑いは隠せない。
だが。
俺は聖の方へ向き直り、片手を出すと聖もそれを真似して片手を出した。
それを小さく叩き合うと、聖が俺に問いかける。
「どうしたの?」
「聖、やっぱりお前は死なないみてぇだぞ!」
***
[ラクーン総合病院]
不気味なほどに真っ白な病院を前に、俺は少し怖れを感じていた。
多くのホラー映画でも恐怖と死の舞台となる、病院。
この冷たい扉の奥に何が潜んでいるのかと思うと身の毛がよだつ。
「苦手なんだよなぁ、そういうの」
恥ずかしい話かもしれないが、俺は銃の効くゾンビとは違う未知なる恐怖の類にはめっぽう弱かった。
だが聖に命の危険が迫っていて、なおかつそれを阻止できるのは俺だけだとしたら迷っている事は出来ない。
俺は手持ちの武器を点検する。
あの後、聖からハンドガンの弾を15×5回分とマグナムを渡された。
病院でショットガンやらアサルトライフルやらをぶっ放すと薬品に当たって危ないんだと。
ハンドガンの弾の装填を終え、マグナムを手に取ってみる。
マグナムは使った事が無かった。反動が大きい上にかなり高価な為、軍には向かないからだ。
口径の大きさから威力は分かるが、見た目はかなり小さい。ハンドガンと同じか、少し大きいくらいだ。
聖は「頼りになる」と言っていたが、あの大火力のアサルトライフルを相棒としてきた俺の目にはなんとなく頼りない装備に見えてくる。
弾の点検をしていると、グリップに何か書かれている事に気付いた。
「・・・サムライエッジ、か。御大層な名前だなお前」
その頼りになるサムライとやらをベルトに差し込み、冷たいガラスのドアを静かに開ける。
むせ返る様な死臭と、足元の緑色の非常灯が俺の恐怖を掻き立てた。
竦みそうな足を必死に動かし、辺りを捜索する。
―――ふと何かの気配を感じ、身を屈めた。
白衣を着た人影が、離れて2人。
どちらもうずくまってくちゃくちゃと音を立てている。何をしているかは容易に想像できた。
「(うげぇ)」
どうやらこちらの存在には気づいていない。
まずは一人。
慎重に、正確に、ハンドガンで頭を狙う。
弾は見事命中し、死体を咀嚼する音は消えた。
二人目は発砲音を聞いて肉を食べるのを止めたようで、ゆっくりと立ち上がろうとしている。
こちらを振り向こうかというタイミングで俺のハンドガンから放たれた弾丸がその耳を貫通し、脳を破壊した。
「この階には無さそうだな」
一通り調べてそうこぼす。
小さな病院ならともかく、普通なら待合室や受付の近くに薬品―――もといワクチンなんて置いてあるはずがない。
階段はシャッターに固く閉ざされていて、通れる様子は無かった。
俺はエレベーターを探す事にし、木製の扉を開けて受付の中へ足を踏み入れた。
その受付の奥にもう一つ扉があり、どうやらここは医師達の休憩所となっているようだった。
「おっ」
目的の物はすぐに見つかった。
部屋の一番奥に連絡用のエレベーターがある。
階数表示のランプも点灯しているようで、ちゃんと動いてくれそうだ。
俺は足元を覆いつくす散乱した書類やカルテを足で軽く除けながら壁際の机に沿って進んでいく。
これなら四方八方から襲われる事は無いだろうし、もし両方向から襲われたとしてもいざとなれば机を飛び越えればいい話だ。
・・・上から来なかったら、の話だけどな。
しかしそんな心配は杞憂に終わり、あっさりとエレベーターの前に到達した。
白いエレベーターのドアやボタンに生々しい手形の血痕が残っている。
どうやら血は固まっているので指に嫌な感触を感じる事は無いだろう。
そして、俺がボタンを押したその時だった。
何かが物凄い音を立てながらガラスをぶち破り、休憩所に転がり込んで来る。
「だあああっ!?」
驚きのあまり大声を出してしまい、思わずそちらを振り返る。
物体は部屋の隅に着地し、荒い息遣いでこっちの様子を窺っていた。
影の大きさを見るとかなり巨大な事が分かる。
絶対に人じゃ無い・・・な。
とすると、新手の怪物か。
俺は悟られない様にゆっくりとハンドガンを構えた。
ちらりと後ろを振り返るが、エレベーターはまだ来る様子は無い。
俺が視線を戻すのと同時だった。
ゆらりとした緩慢な動きで、巨大な影が点滅する蛍光灯の下に姿を現す。
「・・・何だありゃあ」
白い明りに照らされたその姿は、まさに異形。
丸まった背中と、不自然な肉が付いた肩と、その先にぶら下がる腕に光る大きな爪。
緑色をした肌に浮かぶ気色悪い色の血管がドクドクと脈打っているのが遠目でも分かる。
そして、瞬間的に理解した。
「・・・勝てっこねぇだろ!!」
ひたすらにエレベーターのボタンを連打する。そんな事をしても意味が無い事は分かっているが、それでも押した方が早く来てくれそうな気がするものだ。
怪物が少し助走をつけ、軽く地を蹴った。
その軽い音からは計り知れない程の物凄い跳躍力で一気に近付かれ、壁際の机の上に着地する。
俺と一直線上に位置し、距離は既に1メートルも無い。
「早く早く早く!」
俺の願いが遅れて通じたのだろうか、ポーンという軽快な音色が聞こえ、ゆっくりとエレベーターのドアが開く。
怪物は2度目の跳躍に備え、丸めた背中を更に丸めて腰を落とした。
俺は急いでエレベーターに体をねじ込み、扉を閉めるボタンを押す。
「あっぶね-」
ひゅう、と一息つく。
しかし扉が閉まろうとした瞬間、俺の肩に物凄い力がかかった。
「ぐ!?」
4、5人のゾンビが、唸りながら俺の体に群がってきていたのだ。
「なっ・・・んなんだよ!?」
肩を掴むゾンビの顔面を、ハンドガンのグリップで殴る。
俺は姿勢を低くし、エレベーターの扉の隙間に指を入れた。
エレベーターは誰かが挟まって事故を起こす事の無いように、扉の間に異物が挟まった時は自動的に開くように設計されている。
俺の指を異物と感知したエレベーターの扉が開き、俺は這いずる様にエレベーターの外に体をひねり出した。
体勢を立て直そうと立ち上がるが、驚きと焦りで足が絡まり、そのまま転倒する。
「って!」
その上を、怪物が跳ぶ。
今まで自分の首があった場所を、ぎらぎらと光る爪が大気を裂くように大きく薙いだ。
さっきまで俺に掴みかかっていたゾンビ達は首を裂かれ腕を取られ、次々にばたばたとその場に倒れていく。
刃物で斬られたような綺麗な断面をした首が俺の腹の上に落ちてきた。
「うおっ」
白く剥かれた目がこちらを眺めている。
俺は気味が悪いその首の髪をひっ掴んで怪物に投げ付けた。
「ぎぇえ」と嫌な声を出しながらバランスを崩したのを見計らい、今度こそエレベーターに逃げ込む。
急いで扉を閉め、階数を選択する。
ゆっくりと上に上るエレベーターの静かな駆動音が俺を落ち着けてくれた。
ドアが開く。
あまり見下ろしたくはない滑る足元から漂う血の臭いから解放され、俺は大きく深呼吸した。
この階には何の気配も無く、ただ薄暗い廊下が延びている。
俺はおもむろに無線のスイッチを入れた。
「よお、生きてるか」
「なんとかね」
答えたのは聖だった。
出発するときに置いてきた無線に気付いてくれたらしい。
「調子は?」
「んー、なんとも」
苦笑しながら肩を竦める様子が目に浮かぶ。
「そうか、じゃあ―――」
最後の言葉を言おうとした時、聖がそれを遮った。
「あ」
「何だ?」
「そういえば・・・」
いつになく真剣な声に俺の脈拍が上がる。
「凄くお腹が減った」
真剣な声のまま、そう言った。
「踏ん張れ」
「えー・・・」
ふてくされた声を聞き終わる前に一方的に無線を切った。
何だ、元気そうじゃねえか。
ちょっとムカついたが、その反面安心した。
俺は気を取り直して資料室に入る。
1階の受付などとは違い、整然とした様子だった。
廊下に引き続き不気味なほどに静かな部屋だ。
―――その静寂を打ち砕く銃声が2発。
ハンドガンをぎゅっと握りしめ、音がした方へ駆け寄った。
「・・・見たか」
俺と同じ型のハンドガンを持ったニコライが、無表情な抑揚の無い声で言った。
ニコライの脇に見えるのはどうやら死体のようだ。暗くて顔までは判別できない。
その詮索する様子が気に入らなかったのか、ニコライがハンドガンを向けてくる。
「っと、おいおい待ってくれ」
「待ってやる義理は無い」
引き金に人差し指をかけるニコライ。
「本気かよ」
「私が冗談を言った事があるか?」
「・・・だよなぁ・・・なぁ、あんたは何者なんだ?」
俺は見えない様に下の方で同じように引き金に人差し指を当てる。
「私は監視員だ、詳しくは知らなくていい・・・今に無駄になる」
その言葉を聞いた後、俺はニコライの額に銃口を向けた。
―――二人が同時に引き金を絞ろうとした時、ピンッという小さい金属音が俺達の耳に届く。
軍にいた時に何度も聞いた、あの嫌な音だ。
「まずい!!」
俺達は急いで出口へ向かう。
そしてその次の瞬間。
爆音と爆炎が轟き、辺りを熱が覆う。
「手榴弾なんて持ってたってことは、隊の奴だよな」
「詳しくは知るな。そう言ったのを忘れたか」
隊服についた埃を手ではたきながら無感情な声でニコライが返す。
そして胸ポケットから何かを取り出し、俺に投げた。
「急ぐんだな」
小さな試験管のような入れ物に入った綺麗な青紫色の薬品と、小さな注射器。
「ワクチンか!」
「ありがたく思え」
「・・・殺されそうになったのに素直にありがとうとは言えねぇな」
「殺そうとはしていない。耳の一つでも撃ち飛ばそうとしただけだ」
ハンドガンのマガジンを確認しながら随分恐ろしい事を言ってのける。
ニコライはマガジンを装着すると、俺に視線を向けてきた。
「如月聖はどうした」
「ああ、平気だよ。腹が減った~とか言ってたし」
その言葉を聞いて、ニコライが珍しく顔をしかめた。
「・・・何?」
俺は珍しい出来事に少し戸惑う。
「だ、だから腹が減った・・・って」
再びそれを聞いて、ニコライは黙りこくってしまった。
そして何か考えたような顔をした後、出口のドアを開けながら言う。
「急激な空腹感はゾンビ化の極めて一般的な前兆だ、次は喉が潰れる」
そのまま俺を置いて、ニコライはどこかへ消えた。
俺はぽかんとしていたがすぐに事態の緊急性を飲み込み、聖の無線を呼んだ。
「聖!生きてるか!」
「カルロス、君は付き合った女の子にしつこいって言われたりしない?」
げんなりした、しかし元気な声で聖はそう言った。
「てめえ・・・心配してやってんのに」
思わず額に手を当て、首を振る。
緊張感の無さに呆れてしまった。
「あはは、大丈夫だよ」
笑っていた聖が突然咳き込んだ。
かなり酷い咳だ。喉の組織が剥がれそうな音が聞こえる。
「おい!?」
「・・・うん、大丈夫大丈夫」
苦しそうに聖が呟いた。
「俺が行くまで生きてろよ!」
またしても無線を一方的に切る。
透き通った青紫色の液体を手に、俺は聖の元に急いだ。
***
エレベーターに乗り、思い出す。
そういえば、あいつはまだいるだろうか。
俺の脳裏に浮かんだ大きな爪を持った恐ろしい怪物。
あれに捕らえられれば生きては戻れないだろう。
ポーンという音が、エレベーターを開ける。
先程の戦闘の様子がそのまま残っていた。
しかし一つだけ違う点がある。
大きな血の足跡が、破られたガラスの先へと続いていた。
「どうやらただじゃ帰してくれないみたいだな」
俺は早鐘のように打つ動悸を必死に抑え、ロビーに足を踏み入れた。
入口のガラスの扉から差し込む青い月の光が、その前に仁王立ちする怪物を淡く照らす。
獰猛な爪が月明かりの中に輝き、いびつな牙が並ぶ真っ赤な口からだらし無くよだれを垂らしていた。
「ほお、怪物の割には中々いいシーン作るじゃねぇか」
そう言った時だ。
気のせいだろうか、ほんの一瞬、
―――怪物が、笑った。
勝者の笑みでも無く、嘲るような笑いでもなく、まるで好敵手と戦いを楽しむような、そんな笑みだ。
「・・・お前、案外いい奴かもな」
俺もそれに応えて笑い返した。
ベルトについていたマグナムを抜き取り、構える。
「決着だ!」
その声のすぐ後、怪物が跳ぶ。
狙いは―――腹だった。
俺は先程と同じように首を狙われると思って身を屈めてしまっていた。
寸でのところで前転し、強烈な一薙ぎをかわす。
「づっ!」
爪がかすり、足首から血が薄く滲み出てきた。
「・・・へ、存外頭はあるんだな」
ニッと笑う。
怪物もそれに応えて、ニヤリとした笑みを浮かべた。
再び、大きな跳躍。
俺は逃げるのを止め、マグナムを構えた。
引き金に人差し指をあてがう。
「頼りにしてるぜ」
ぎりぎりまで引き付け、あと1秒もあれば首を獲られるというその一瞬。
一閃。
サムライエッジが、白金色の刃を抜き放つ。
弾丸は怪物の頭を吹き飛ばし、その命を一瞬で奪い取った。
あまりにも呆気ない幕切れにしばし放心してしまう。
自分の手元と怪物の死体を交互に見て、やっと現状を確認した。
「・・・すげぇな、サムライ」
マグナムを手の中でくるっと一回転させ、ベルトに差し込む。
俺は怪物の死体を残して、病院を後にした。
「・・・っくしょぉおお!」
俺は下げていた銃を再び構え、化け物に向けて攻撃を開始した。
連射性能に優れたこの銃に狙われれば少なくとも機敏には動けなくなる。
俺はそう信じて引き金を引き続けた。
だが無情にもその超高速が仇となり、弾丸は瞬く間に底をついてしまう。
「くそ」
アサルトライフルの効果か、化け物はその場から動けずにいた。
かすかな勝機―――ライフルの替えのマガジンを持ち合わせていなかった俺はハンドガンに持ち替え、再び銃弾を浴びせる。
しかし8発撃ったところでカチン、と軽い感触が俺の指に響いた。
「・・・ちっ」
当の化け物は身じろぎもせずにそこに立っていた。
俺はリロードをしようとした手を止める。
不気味な色の触手をわずかにくねらせ、ただそこに立ちつくすばかり。
「動けない」じゃなくて、「動かなかった」んだ。
馬鹿にされているのか、それとも気に留まってすらいないのか。
「・・・ごめんな・・・聖」
諦め、そう呟いた時だった。
その瞬間、俺は異変の前兆を聞く。
ガシャン、と何かが落ちる音。
黒銀に輝く巨大な銃身がごろんと地面に転がる。
ヘリを粉々に砕き、潰し、撃ち落とした化け物のロケットランチャーだった。
それを拾う様子も無くただただ立ちつくす怪物。
反撃する絶好のチャンスにも関わらず、俺はその光景を見ることしか出来なかった。
そして俺は更なる異変を目の当たりにする。
化け物が小さく震えていた。
下を向いて萎れた触手がかすかに揺らぐ。
化け物は真っ直ぐ聖を見つめていた。
聖を見つめながら、震えていた。
「・・・何だってんだ」
口の中で、聞こえないように言った。
化け物はそのままうずくまり、聖の頬にそっと触れる。
何か大切な物を壊してしまった子供のように、震えながら、そっと。
聖はぴくりとも動かない。
すると何を思ったか、化け物は突然立ち上がって俺に背を向け、炎に向かって歩きだす。
服を焼き、身を焦がす火炎に巻かれながら、その姿は掻き消えていった。
今、何が起こった?
殺される・・・そう思った。
しかし化け物は俺に背中を向けて、自ら炎に飛び込んだ。
―――聖に触れた後に。
「・・・聖!」
大切な事を思い出し、俺は聖に駆け寄った。
そっと力無い体を抱き起こす。
「おい、目ぇ開けろ、お前がこんなんで死ぬ訳無い、いっつもヘラヘラしてた癖に、今更こんな顔すんじゃねぇ、お前は死なねぇよ、なぁ」
がくがくと体を揺すりながら呼び掛ける。
広がる不安、付き纏う絶望、拭いきれない恐怖につい涙ぐむ。
「起きろよ、馬鹿野郎」
今にも滴り落ちそうな涙を拭おうとした時、聖の目がうっすらと開いた。
虚空を見つめ、瞬きを何度か繰り返す。
「・・・う」
喉が動いた。
俺は聖の手を取り、脈を確かめる。
・・・間違いない、確かにまだ生きている。
自分を信じ、聖を信じ、俺は礼拝堂に行くことにした。
あそこなら敵の襲撃も無いだろうし、休めるスペースがある。
「踏ん張れよ、聖!」
俺は聖を背中に担いだ。
「ん?」
鼻先に何かが落ちてきた。
それは頭を、体を、炎をも濡らし始める。
「雨か」
少しずつ強くなる雨音。
その冷たく寂しげな音色は、死の痛みから解放されずにこの街に縛られた死者の魂を鎮めるようにも聞こえた。
***
「よっ・・・と」
礼拝堂に到着した俺は、聖を寝台に横たわらせた。
目は閉じているが、浅い呼吸は感じ取れる。
頬をピシピシとはたき、軽い調子で呼びかけてみた。
「起きろよ、まさか死んでないよな?如月聖さんよ」
聖は片目だけ開けて俺を見た。
今度はいつもの暖かさの混じった瞳だ。
「そんなに死んじゃいけないかい?」
小さかったが、苦笑いで確かにそう言った。
「当たり前だ、まだまだ死なせねぇ!」
「勘弁してよー」
そう言うと聖は体を起こし、大きく伸びをする。
姿も声も、いつもの聖そのものだ。
だが完全に安心出来た訳ではなかった。
紫色に変色した、完璧に傷の無い肩。
俺はこいつの傷口が、異常な速度で治っていくのを見ていた。
聖の身に何が起こっているか特定は出来なくとも、明らかに尋常でない事は分かる。
「・・・調子はどうだ?」
「痛みも吐き気も無い。・・・でも」
「でも?」
「少し・・・怖いかな」
聖はそう言うと天井を見上げた。
「僕の肩の傷が一瞬で治ったの、見た?」
上を向いたまま、俺にそう問いかけてくる。
嘘はつかない。
「・・・見た。正直な所、今、お前をお前だと言い切れない」
「あはは、うん、君らしい。僕自身だって言い切れないよ」
「笑いごとか?」
「いいや、全然」
聖は笑った。
自嘲の笑み?諦観の笑み?
違う。
こいつは本当に、普段通りに笑っている。
何でだ?
「そう、そういえば気付いた事があるんだ」
聖はぱっと俺に向き直り、俺にウィルスについて話し始めた。
「・・・んん、筋は通ってんな」
「推測に過ぎないけど、結構いい線いってると思うよ」
聖はまた笑った。
・・・こいつは何で笑っていられる?
んな事言ったら自分が死ぬって言ってるようなもんだろ?
「わっかんねぇな」
「何が?」
「いんや、なんでも」
とぼけた顔をした聖に背を向け、ため息をついたその時だった。
無線に突然の通信。慌てて受信モードに切り替え、スピーカーを耳に押し当てる。
「こちらカルロ―――」
「病院にワクチンが置いてある、それを感染場所に注射しろ」
聞き慣れた―――氷のように冷たい声。
特定するのにそう時間はかからなかった。
「・・・ニコライ!?」
「急いだ方がいい」
そう短く告げて、ニコライからの通信は途絶える。
突然の事に戸惑いは隠せない。
だが。
俺は聖の方へ向き直り、片手を出すと聖もそれを真似して片手を出した。
それを小さく叩き合うと、聖が俺に問いかける。
「どうしたの?」
「聖、やっぱりお前は死なないみてぇだぞ!」
***
[ラクーン総合病院]
不気味なほどに真っ白な病院を前に、俺は少し怖れを感じていた。
多くのホラー映画でも恐怖と死の舞台となる、病院。
この冷たい扉の奥に何が潜んでいるのかと思うと身の毛がよだつ。
「苦手なんだよなぁ、そういうの」
恥ずかしい話かもしれないが、俺は銃の効くゾンビとは違う未知なる恐怖の類にはめっぽう弱かった。
だが聖に命の危険が迫っていて、なおかつそれを阻止できるのは俺だけだとしたら迷っている事は出来ない。
俺は手持ちの武器を点検する。
あの後、聖からハンドガンの弾を15×5回分とマグナムを渡された。
病院でショットガンやらアサルトライフルやらをぶっ放すと薬品に当たって危ないんだと。
ハンドガンの弾の装填を終え、マグナムを手に取ってみる。
マグナムは使った事が無かった。反動が大きい上にかなり高価な為、軍には向かないからだ。
口径の大きさから威力は分かるが、見た目はかなり小さい。ハンドガンと同じか、少し大きいくらいだ。
聖は「頼りになる」と言っていたが、あの大火力のアサルトライフルを相棒としてきた俺の目にはなんとなく頼りない装備に見えてくる。
弾の点検をしていると、グリップに何か書かれている事に気付いた。
「・・・サムライエッジ、か。御大層な名前だなお前」
その頼りになるサムライとやらをベルトに差し込み、冷たいガラスのドアを静かに開ける。
むせ返る様な死臭と、足元の緑色の非常灯が俺の恐怖を掻き立てた。
竦みそうな足を必死に動かし、辺りを捜索する。
―――ふと何かの気配を感じ、身を屈めた。
白衣を着た人影が、離れて2人。
どちらもうずくまってくちゃくちゃと音を立てている。何をしているかは容易に想像できた。
「(うげぇ)」
どうやらこちらの存在には気づいていない。
まずは一人。
慎重に、正確に、ハンドガンで頭を狙う。
弾は見事命中し、死体を咀嚼する音は消えた。
二人目は発砲音を聞いて肉を食べるのを止めたようで、ゆっくりと立ち上がろうとしている。
こちらを振り向こうかというタイミングで俺のハンドガンから放たれた弾丸がその耳を貫通し、脳を破壊した。
「この階には無さそうだな」
一通り調べてそうこぼす。
小さな病院ならともかく、普通なら待合室や受付の近くに薬品―――もといワクチンなんて置いてあるはずがない。
階段はシャッターに固く閉ざされていて、通れる様子は無かった。
俺はエレベーターを探す事にし、木製の扉を開けて受付の中へ足を踏み入れた。
その受付の奥にもう一つ扉があり、どうやらここは医師達の休憩所となっているようだった。
「おっ」
目的の物はすぐに見つかった。
部屋の一番奥に連絡用のエレベーターがある。
階数表示のランプも点灯しているようで、ちゃんと動いてくれそうだ。
俺は足元を覆いつくす散乱した書類やカルテを足で軽く除けながら壁際の机に沿って進んでいく。
これなら四方八方から襲われる事は無いだろうし、もし両方向から襲われたとしてもいざとなれば机を飛び越えればいい話だ。
・・・上から来なかったら、の話だけどな。
しかしそんな心配は杞憂に終わり、あっさりとエレベーターの前に到達した。
白いエレベーターのドアやボタンに生々しい手形の血痕が残っている。
どうやら血は固まっているので指に嫌な感触を感じる事は無いだろう。
そして、俺がボタンを押したその時だった。
何かが物凄い音を立てながらガラスをぶち破り、休憩所に転がり込んで来る。
「だあああっ!?」
驚きのあまり大声を出してしまい、思わずそちらを振り返る。
物体は部屋の隅に着地し、荒い息遣いでこっちの様子を窺っていた。
影の大きさを見るとかなり巨大な事が分かる。
絶対に人じゃ無い・・・な。
とすると、新手の怪物か。
俺は悟られない様にゆっくりとハンドガンを構えた。
ちらりと後ろを振り返るが、エレベーターはまだ来る様子は無い。
俺が視線を戻すのと同時だった。
ゆらりとした緩慢な動きで、巨大な影が点滅する蛍光灯の下に姿を現す。
「・・・何だありゃあ」
白い明りに照らされたその姿は、まさに異形。
丸まった背中と、不自然な肉が付いた肩と、その先にぶら下がる腕に光る大きな爪。
緑色をした肌に浮かぶ気色悪い色の血管がドクドクと脈打っているのが遠目でも分かる。
そして、瞬間的に理解した。
「・・・勝てっこねぇだろ!!」
ひたすらにエレベーターのボタンを連打する。そんな事をしても意味が無い事は分かっているが、それでも押した方が早く来てくれそうな気がするものだ。
怪物が少し助走をつけ、軽く地を蹴った。
その軽い音からは計り知れない程の物凄い跳躍力で一気に近付かれ、壁際の机の上に着地する。
俺と一直線上に位置し、距離は既に1メートルも無い。
「早く早く早く!」
俺の願いが遅れて通じたのだろうか、ポーンという軽快な音色が聞こえ、ゆっくりとエレベーターのドアが開く。
怪物は2度目の跳躍に備え、丸めた背中を更に丸めて腰を落とした。
俺は急いでエレベーターに体をねじ込み、扉を閉めるボタンを押す。
「あっぶね-」
ひゅう、と一息つく。
しかし扉が閉まろうとした瞬間、俺の肩に物凄い力がかかった。
「ぐ!?」
4、5人のゾンビが、唸りながら俺の体に群がってきていたのだ。
「なっ・・・んなんだよ!?」
肩を掴むゾンビの顔面を、ハンドガンのグリップで殴る。
俺は姿勢を低くし、エレベーターの扉の隙間に指を入れた。
エレベーターは誰かが挟まって事故を起こす事の無いように、扉の間に異物が挟まった時は自動的に開くように設計されている。
俺の指を異物と感知したエレベーターの扉が開き、俺は這いずる様にエレベーターの外に体をひねり出した。
体勢を立て直そうと立ち上がるが、驚きと焦りで足が絡まり、そのまま転倒する。
「って!」
その上を、怪物が跳ぶ。
今まで自分の首があった場所を、ぎらぎらと光る爪が大気を裂くように大きく薙いだ。
さっきまで俺に掴みかかっていたゾンビ達は首を裂かれ腕を取られ、次々にばたばたとその場に倒れていく。
刃物で斬られたような綺麗な断面をした首が俺の腹の上に落ちてきた。
「うおっ」
白く剥かれた目がこちらを眺めている。
俺は気味が悪いその首の髪をひっ掴んで怪物に投げ付けた。
「ぎぇえ」と嫌な声を出しながらバランスを崩したのを見計らい、今度こそエレベーターに逃げ込む。
急いで扉を閉め、階数を選択する。
ゆっくりと上に上るエレベーターの静かな駆動音が俺を落ち着けてくれた。
ドアが開く。
あまり見下ろしたくはない滑る足元から漂う血の臭いから解放され、俺は大きく深呼吸した。
この階には何の気配も無く、ただ薄暗い廊下が延びている。
俺はおもむろに無線のスイッチを入れた。
「よお、生きてるか」
「なんとかね」
答えたのは聖だった。
出発するときに置いてきた無線に気付いてくれたらしい。
「調子は?」
「んー、なんとも」
苦笑しながら肩を竦める様子が目に浮かぶ。
「そうか、じゃあ―――」
最後の言葉を言おうとした時、聖がそれを遮った。
「あ」
「何だ?」
「そういえば・・・」
いつになく真剣な声に俺の脈拍が上がる。
「凄くお腹が減った」
真剣な声のまま、そう言った。
「踏ん張れ」
「えー・・・」
ふてくされた声を聞き終わる前に一方的に無線を切った。
何だ、元気そうじゃねえか。
ちょっとムカついたが、その反面安心した。
俺は気を取り直して資料室に入る。
1階の受付などとは違い、整然とした様子だった。
廊下に引き続き不気味なほどに静かな部屋だ。
―――その静寂を打ち砕く銃声が2発。
ハンドガンをぎゅっと握りしめ、音がした方へ駆け寄った。
「・・・見たか」
俺と同じ型のハンドガンを持ったニコライが、無表情な抑揚の無い声で言った。
ニコライの脇に見えるのはどうやら死体のようだ。暗くて顔までは判別できない。
その詮索する様子が気に入らなかったのか、ニコライがハンドガンを向けてくる。
「っと、おいおい待ってくれ」
「待ってやる義理は無い」
引き金に人差し指をかけるニコライ。
「本気かよ」
「私が冗談を言った事があるか?」
「・・・だよなぁ・・・なぁ、あんたは何者なんだ?」
俺は見えない様に下の方で同じように引き金に人差し指を当てる。
「私は監視員だ、詳しくは知らなくていい・・・今に無駄になる」
その言葉を聞いた後、俺はニコライの額に銃口を向けた。
―――二人が同時に引き金を絞ろうとした時、ピンッという小さい金属音が俺達の耳に届く。
軍にいた時に何度も聞いた、あの嫌な音だ。
「まずい!!」
俺達は急いで出口へ向かう。
そしてその次の瞬間。
爆音と爆炎が轟き、辺りを熱が覆う。
「手榴弾なんて持ってたってことは、隊の奴だよな」
「詳しくは知るな。そう言ったのを忘れたか」
隊服についた埃を手ではたきながら無感情な声でニコライが返す。
そして胸ポケットから何かを取り出し、俺に投げた。
「急ぐんだな」
小さな試験管のような入れ物に入った綺麗な青紫色の薬品と、小さな注射器。
「ワクチンか!」
「ありがたく思え」
「・・・殺されそうになったのに素直にありがとうとは言えねぇな」
「殺そうとはしていない。耳の一つでも撃ち飛ばそうとしただけだ」
ハンドガンのマガジンを確認しながら随分恐ろしい事を言ってのける。
ニコライはマガジンを装着すると、俺に視線を向けてきた。
「如月聖はどうした」
「ああ、平気だよ。腹が減った~とか言ってたし」
その言葉を聞いて、ニコライが珍しく顔をしかめた。
「・・・何?」
俺は珍しい出来事に少し戸惑う。
「だ、だから腹が減った・・・って」
再びそれを聞いて、ニコライは黙りこくってしまった。
そして何か考えたような顔をした後、出口のドアを開けながら言う。
「急激な空腹感はゾンビ化の極めて一般的な前兆だ、次は喉が潰れる」
そのまま俺を置いて、ニコライはどこかへ消えた。
俺はぽかんとしていたがすぐに事態の緊急性を飲み込み、聖の無線を呼んだ。
「聖!生きてるか!」
「カルロス、君は付き合った女の子にしつこいって言われたりしない?」
げんなりした、しかし元気な声で聖はそう言った。
「てめえ・・・心配してやってんのに」
思わず額に手を当て、首を振る。
緊張感の無さに呆れてしまった。
「あはは、大丈夫だよ」
笑っていた聖が突然咳き込んだ。
かなり酷い咳だ。喉の組織が剥がれそうな音が聞こえる。
「おい!?」
「・・・うん、大丈夫大丈夫」
苦しそうに聖が呟いた。
「俺が行くまで生きてろよ!」
またしても無線を一方的に切る。
透き通った青紫色の液体を手に、俺は聖の元に急いだ。
***
エレベーターに乗り、思い出す。
そういえば、あいつはまだいるだろうか。
俺の脳裏に浮かんだ大きな爪を持った恐ろしい怪物。
あれに捕らえられれば生きては戻れないだろう。
ポーンという音が、エレベーターを開ける。
先程の戦闘の様子がそのまま残っていた。
しかし一つだけ違う点がある。
大きな血の足跡が、破られたガラスの先へと続いていた。
「どうやらただじゃ帰してくれないみたいだな」
俺は早鐘のように打つ動悸を必死に抑え、ロビーに足を踏み入れた。
入口のガラスの扉から差し込む青い月の光が、その前に仁王立ちする怪物を淡く照らす。
獰猛な爪が月明かりの中に輝き、いびつな牙が並ぶ真っ赤な口からだらし無くよだれを垂らしていた。
「ほお、怪物の割には中々いいシーン作るじゃねぇか」
そう言った時だ。
気のせいだろうか、ほんの一瞬、
―――怪物が、笑った。
勝者の笑みでも無く、嘲るような笑いでもなく、まるで好敵手と戦いを楽しむような、そんな笑みだ。
「・・・お前、案外いい奴かもな」
俺もそれに応えて笑い返した。
ベルトについていたマグナムを抜き取り、構える。
「決着だ!」
その声のすぐ後、怪物が跳ぶ。
狙いは―――腹だった。
俺は先程と同じように首を狙われると思って身を屈めてしまっていた。
寸でのところで前転し、強烈な一薙ぎをかわす。
「づっ!」
爪がかすり、足首から血が薄く滲み出てきた。
「・・・へ、存外頭はあるんだな」
ニッと笑う。
怪物もそれに応えて、ニヤリとした笑みを浮かべた。
再び、大きな跳躍。
俺は逃げるのを止め、マグナムを構えた。
引き金に人差し指をあてがう。
「頼りにしてるぜ」
ぎりぎりまで引き付け、あと1秒もあれば首を獲られるというその一瞬。
一閃。
サムライエッジが、白金色の刃を抜き放つ。
弾丸は怪物の頭を吹き飛ばし、その命を一瞬で奪い取った。
あまりにも呆気ない幕切れにしばし放心してしまう。
自分の手元と怪物の死体を交互に見て、やっと現状を確認した。
「・・・すげぇな、サムライ」
マグナムを手の中でくるっと一回転させ、ベルトに差し込む。
俺は怪物の死体を残して、病院を後にした。