かぐや姫

      *


最近ふと考えることがある。
今から10年後、30年後、50年後。おっさんやじぃさんになって自分の人生を振り返った時、オレは間違いなくこの高校3年生という激動の1年間を、感慨深く思い出すのだろうと。
そして深く深く、後悔するのだろうと…。
赤司征十郎、無冠の五将と関わったことで、オレの人生は目的地不明の一方通行片道車線を現在進行形で爆走中だ。

「やっぱりアナタだったのね黛さん…まさかと思ったけど…信じたくなかったけど…ああぁ征ちゃん…いくら無垢とは言えよりにもよってこんな影が薄いだけの男に引っかかるなんてぇぇ…!」
「だからいい加減にしろよ。何度も言うがオレはなんも引っ掛けてない。オレが全部悪いってことにしてぇんならマジでころす」
「ぶっ殺したいのはこっちよ! なんなのアナタ征ちゃんとひとつ屋根の下で寝泊まりしてあまつさえ妙な痕までつけるとかいかがわしい以外のなにものでもないじゃないのよ! 一体何がどうしたらそんなことになるのよどんなテ使ってあの子をたぶらかしたのよぉ!!」
「ざけんなオレだって被害者なんだよ。一番好き勝手やってんのは赤司だ、オレは悪くない」
そうだ絶対そうだオレは状況に流されただけだ。くそ、これだから誰にも言わないってのが暗黙の了解だったのに。特にこいつにだけは知られたくなかったんだよ。案の定めんどくせぇ。
「何がオレは悪くないよ。私たちの征ちゃんを傷モノにしておいて」
「し・て・ね・ぇ・よ」
「アナタこの期に及んでそんな言い逃れが通じるとでも思ってるの? うっかり☆とか間違って☆であれだけ自己主張の激しいキスマークが残るなら世の中の浮気左証なんかゴミ同然よ」
「あれは不慮の事故だ。誰が好き好んで野郎にあんな真似するか」
吐き捨てるが、実渕は鬼の首を取ったようにオレを見下ろす。
「でも家に泊まらせたのは事実なんでしょう?」
「……泊まればそれだけで既成事実にでもなるってのか。ほんとに寝るとこ貸してやってるだけだしそれ以上でもそれ以下でもねぇよ」
「……はじめに、征ちゃんがお父様とケンカしてたまたま偶然なんらかの気まぐれで黛さんのおうちに行ったのはわかったわ。アナタ黙ってれば無害だしアタシのように細やかな気配りの利く相手より無口なキノコの方がそばにいて落ち着く時だってあるんでしょう」
誰がキノコだ。
「でも、そのあとも同じことが続くのが解せないわ」
オレだって未だに解せてねぇよ。
「あらいざらい吐きなさい。ぶっちゃけアナタたち、今どれくらいの頻度で会ってるの」
「………週2…くらい」
「しゅうにいいぃぃ!?」
「3の時もある」
アアアァァァ!!と目の前で猛り狂う実渕を見てたら、なんかもうどうでもよくなってきた。
「あのなぁ…お前そんだけ赤司赤司言っててわからねぇのかよ。あいつ今反抗期なんだって。家に帰りたくないからちょうどいい仮宿見つけたってだけだ。影薄いしキノコだし最適なんだろ。なんでもかんでも妙な方向に結びつけんじゃねぇよ」
「どのクチが言うのよ! ただのキノコがキスマークなんて残すわけないでしょーが!!」
「だからそれもただの悪ふざけだっつーの。察しろ」
「察するかぁ!!」
そろそろ血管が切れるのではないかと冷静に眺めてしまうほどに、実渕はしばらく地団駄を踏んだり頭を抱えたりしておもしろおかしく身悶えていたが、やがて力尽きたようにテーブルにぱたりと突っ伏し、オレが今のうちに逃げてもいいかなとか考えはじめた頃に、音もなくのっそりと起き上がった。

「……まぁ、そうよね」
テーブルの上のガラス容器を見つめながら、実渕が神妙なため息を吐く。
なんたらティーの茶葉はすっかり出がらしになっていて、濃くなりすぎた茶色の液体が容器の底に沈んでいる。
「アナタもそこまで徹底的に嘘つき通せるほど器用な人でもないでしょうし。そうだって言うならそういうことにしておくわ」
ようやく落ち着いたらしい実渕は、憑き物が落ちたかのように吹っ切れた表情で、腕を組み背もたれにもたれた。
「おうちに泊まらせて、お風呂入らせて、ご飯を作って、ベッドを貸す。本当にそれだけ?」
「そうだよ」
「同衾はしてないのね」
「―――ッぶ」
またコーヒーを吹くところだった。
「事実確認だけはきちんとさせてもらうわよ」
「……プライバシーの侵害って言わねぇか、それ」
「してないのよね?」
「してねぇよ」
「……そう」
呟いて、物言いたげに、目を伏せる。普段ペラペラ無駄にしゃべるが、こいつは誰よりも腹に一物抱えてるタイプだ。黙然とされる方が怖い。
「意外ね。アナタはパーソナルスペースが広大なタイプだと思ってたわ。押しかけられたくらいであっさり自分の生活リズムに他人を踏み込ませるのね」
「……赤司じゃなきゃやんねぇよ。あいつ異常に順応性高いから、それなりにやりやすいってだけで」
眉をひそめて言い返すと、実渕が「順応性ね」と意味ありげに呟き、またため息を吐いた。
「悔しいわ、素直に。征ちゃんが突然料理を教えてほしいなんて言うから何事かと思ったけど、頼ってくれて嬉しかったのに。まさかアナタの為だなんてね」
……は? 料理?
「あっという間に基礎から応用まで身につけちゃったから、確かに順応性というか、共同生活における重宝さに関しては、それはもうお釣りどころか金塊が返ってくるレベルの人だけど」
「……おい。料理って」
「ついこの前だって夜に電話がかかってきて、『いつもと違うポトフの味付けがあったら教えてほしい』って言うのよ。熱心ねって笑ったら、『料理は数学的なところもあるし勘と知識も必要だし、探求しがいがあって飽きないよ』ってゴキゲンだったわ。一体どこの甲斐性なしがあのありがたいポトフを食べたのかは知らないけど?」
おいなんかめっちゃ嫌味言われてるけど嘘だろ。食材に触っただけで絶品料理が出来上がる奴だと思ってた。あいつがわざわざ練習してたとか初耳すぎて色々衝撃がすごい。
「お世話になるからには料理くらいできないと、とでも思ったのかしら。んもう律儀な子ね。どうせ征ちゃんの手料理のありがたみなんて微塵もわからない朴念仁なんだから気にしないでいいのに」
「オイ言っとくけどな、オレだってけっこう気ぃ遣ってんだからな。あいつなんだかんだワガママ多いし、未だにあの天帝ヅラで上から目線になったりするだろ。かと思えば打たれ弱いし寒がりだし一人で寝れねぇし千尋ちひろうるせぇしで、色々めんどくせぇんだよ」
好き放題言われるのも面白くなく、日頃の不満をここぞとばかりに言い連ねると、途端になぜか実渕は口を噤み、見開いた目でオレをじっと見た。
「……アナタ、今でも征ちゃんに下の名前で呼ばれてるの?」
「は? 別にいつもじゃねぇけど、時々…あいつなんかちょいちょいスイッチ切り替わるだろ。それのことだよ」
しかも最近は現役の時よりもさらにうるさい。年下に名前を呼び捨てされるのはもう慣れたが、呼び捨てだろうが敬語だろうが生意気さと横暴さはどっちもどっちだ。どのスイッチだろうが、まぁ赤司だし。可愛くないものは可愛くない。
ウェイトレスがグラスに水を注ぎに来る。実渕がごちそうさまと避けたガラス容器を下げ、その場を離れて行ったあとも、実渕は判然としない、どこか探るような表情でオレを見ていた。
「……ねぇ。黛さんは、そんな風に面倒くさいって言いながら、どうして征ちゃんと接触し続けてるの? パーソナルスペースのこともだけど、アナタ偽善とか博愛精神なんかで動くタイプじゃないでしょう」
「……さぁな。流されやすい自覚はあるぜ。逆にあいつは押しが強いわけだし」
自分で言うのもアレだが。
「あとあいつ、はじめはもうちょっとしおらしかったんだよ。だからちょっと油断したっつーか。絆されたっつーか」
「チョロい男ねぇ」
「誰に対してもってわけじゃねーって言ってんだろ。ほらアレだ…なかなか懐かなくてツンツンしてた猫がちょっとずつ慣れてきて、ある日突然ゴロゴロ擦り寄ってきてくれた感じだ」
「あああぁぁそれは卑怯よ…ッわかる…わかるわ…!」
「あいつそういうのあざといよな」
「教えてあげるわ黛さん。世間ではそれをね、メロメロにされたって言うのよ」
「されてねぇよやめろ」
「くだらない意地張るのやめなさいよ。見苦しい」
「そこまでチョロくねぇ」
「は~これだから男ってイヤなのよねぇ…」
「お前もついてんだろ…イ、ッ!!」
机の下で思い切り踏まれた足を抱えて呻いていると、「大体ねぇ」と大げさに鼻を鳴らし、腕を組んで見下ろしてくる。煽りのオカマはそれだけで怖い。
「征ちゃんだって、誰でもよかったってわけじゃないでしょ。他人を踏み込ませないことに関しちゃあの子だって相当のものよ。仮に転がり込んだ先があなた以外の人間だったとして、あの子がそう簡単にゴロゴロのどを鳴らすと思う?」
「知らねぇよ」
「それこそ相手が恋人ならいざ知らず、アナタ曰く『お互い流されやすくて順応性が高いから』っていうだけの、あくまで薄っぺらい関係性で? お互い暇でもないくせに、家に何度も遊びに来て、ご飯は手作り、お風呂も入って、ベッドも貸して泊まっていく。それも週に何回も。おまけに悪ふざけと称して妙な痕まで付けさせる? あの赤司征十郎が?」
挑発めいた物言いがカンに障り、オレは実渕を睨み返した。
「……しつけぇな。なんだっていいだろ。オレらが好きでやってんだから外野に文句つけられる謂れはねぇよ」
「文句なんかないわ。ただ、2人ともどこまで『自覚』があるのかと思って」
チリ、と苛立ちに似た焦燥が脳裏を掠め、思わず舌打ちする。やめろ。お前まで余計なことを言うな。
「アナタたち気付いてないの? 普通じゃないわよ、それ」
真剣な目つきで告げられた実渕の指摘には、非難や皮肉は含まれていなかった。呆れも含まれてはいたが、何よりも強い憂慮が伝わってきた。
今日何度目かのため息をつきながら、実渕は首を振る。
「……誤解しないで。アタシはただ、征ちゃんに傷ついてほしくないだけ。黛さんがようやく懐いた猫を手放したくないだけなのも、痕だけつけて満足してる変態なのも、ひっくるめてどうしようもないヘタレだってことなんか、心の底からどうでもいいの」
「……マジでお前いい加減にしろよ」
「でも、これだけは自覚しておいて。征ちゃんは、アナタに甘えてるわ。アタシたち他のチームメイトなんか足元にも及ばないくらいにね。アナタに認める気はなくても、事実として覚えておいて」
オレは黙って、その切実とも言える忠告を受け止めた。
否定する気も、肯定する気もなかった。
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