天帝ルート
毎朝同じ時間に起き、決まった朝食をとり、いつもと変わらないタイミングで生活を淡々と繰り返せば、イレギュラーな事態に遭遇する確率も減り人生に無駄がない。
ハプニングに満ちた日常なんかお断りだ。
そんな生活と縁はないと知っているからこそ、ラノベなんて俗なものが好きなのだ。実際我が身に降りかかってくるとなれば、あんなもの迷惑以外のなにものでもない。
ラノベはラノベだからこそ面白い。リアルはリアルだからこそつまらない。それでいい。
高校を卒業したら家を出る気だったから、WCが始まる前から学生マンションを探し、終わると同時に即入居。在学中から早々に一人暮らしを始めていた。進学先も下手な冒険をしなければ、人並みの努力で入れる大学はいくらでもある。
3年生になってから生活の大半を支配していたバスケを離れ、約九ヶ月ぶりに戻ってきた平穏な日常。
一人暮らしは自分の性根に合っていた。元々過干渉な親でもなかったが、生活の全てを完全に自分のペースで回せるというのは、面倒もある反面、それ以上に自由で気楽だった。
時間は夜8時を過ぎている。コンビニのバイトから帰ってきたオレは、風呂に入ったあと適当な飯で腹を膨らませ、のんびりとPCの前に座った。
明日は休日だ。休日前の夜となれば、嫌でもテンションが上がる。
新作のラノベ3冊。読みかけの小説2冊。やりかけのゲーム2つ。積み上がった円盤、漫画、ネットで情報収集。何から手を付けよう。もちろん勉強はきっちりやる。その上で、趣味に時間を取るのも多少なら問題ないだろうと前向きな判断を下した。
誰にも邪魔されない自由。そっとしておいてもらえることの貴重さ。それをしみじみと噛み締める。
平穏。かつ平凡。
それが一番だ。この一年で思い知った。
例えば、ラノベを地で行く年下のお坊ちゃん帝王に馴れ馴れしく下の名前で呼ばれ、あまつさえそいつの支配体系の元で過酷な肉体労働(という名のスポーツ)をし続ける体験など、これから先の人生において金・輪・際、起きなくていい。
そっとしておいてくれ。
もう一度言う。平穏。かつ平凡。
それが一番なんだ。
*
あまり鳴ることのないオレのスマホが着信音を鳴らし、椅子をギシリと鳴らして振り返る。布団の上に放り出されたそれを遠目に見て、嫌な予感がした。
残念なことに、オレのこの手の予感は外れたことがない。
―――例えばあの日。あの屋上。あの日オレは屋上に続く階段を昇りながら、味わったことのない胸騒ぎを覚えていた。
なぜオレはあの日、屋上に足を踏み入れてしまったのか。嫌な予感に従ってUターンしていれば。その後に襲いかかる非日常を回避出来ていれば、今ここにいるオレがこんな目に遭うこともなかったのに。
着信相手…赤司征十郎。
忌まわしき、屋上エイリアン。
オレは眉間にシワを寄せる。
出る、という選択肢は存在しない。WCが終わって即着拒にしなかっただけ褒められるべきだ。10秒、15秒と鳴り続けるスマホを握り締めたまま、オレは電波の向こうにいるあのクソガキが諦めて着信を切るのを、苦虫を噛み潰しながらジリジリと待っていた。
20秒。
30秒。
……切れた、と思ったら間髪置かずまたかかってくる。
なんだこれ。普通に怖い。
こうなれば根比べだと音声の穴を指で塞いでみたが焼け石に水。
嫌だ。出たくない。明らかに出たら詰みじゃねーか。てか今さらなんだよ、引退式終わってそっとしとけっつったの忘れたのか。
30秒経っては切れ、切れてはまたかかってくる。壊れたおもちゃのように、何度も、何度も、くり返し、繰り返し……。
しつっっっこいんだよ! もういいだろ! 怖いんだよ!
出ない。オレは出ないぞ。オレこの電話が鳴りやんだら楽しみにしてたラノベ読破するんだ…やめろバカお前何考えてんだフラグ立ててんじゃねぇよいい加減にしろ。
乾いた電子音が延々と響き続けてノイローゼになりそうだ。あの厨二くさいオッドアイが目の前でオレを見下ろしている気がする。千尋、さっさと出ろ。僕を待たせるな。僕に逆らう奴は、千尋、お前でも……、
『黛さん』
「………なんだ」
げっそりと、スマホに向かって唸るような声を出した。この数分間で確実に老けた気がする…。
『突然申し訳ありません』
あの普段はあまり動かない表情筋が目に浮かび、声だけだとますます申し訳なさそうに聞こえねぇよ、と舌打ちした。
「なんか用か」
『突然ですが、今日はこのあと空いてますか』
「悪いがすごく忙しい」
『……アルバイトですか?』
「ああ今から出るとこだった。遅刻しそうなんだじゃあな」
『嘘ですね』
は?
『黛さんのお仕事先に訪問し、今日はすでに退勤されたと伺っています』
「……お前なんで人のバイト先知ってんだよ」
『葉山が教えてくれました』
あの八重歯ヤロウ、許さん。
心底うんざりしたオレは、通話口に大きなため息を吐いた。
「……なんなんだよ」
『正直に答えて下さい。このあと、予定は』
「……ない」
赤司が沈黙した。ここまで好き勝手しておいて、なんとなく殊勝な沈黙だった。なんだ? 躊躇してるのか? …まさか。このワガママ帝王が。
『……黛さん』
「……」
『今からおうちにお邪魔してもいいですか』
この期に及んで選択肢を与えて下さるとは、随分心お優しいじゃねーのお坊ちゃん。
「……来てもなんもねぇぞ」
『大丈夫です。茶菓子は』
ピンポーン、とチャイムが鳴る。
のろのろと身体を起こし、鍵を外して扉を開くと、
「持参しました」
我らが主将、赤司征十郎がそこに立っていた。
相変わらず、ちっこいな。
異常事態に麻痺した脳みそでは、そんなどうでもいいことしか思いつかなかった。
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