天帝のおくすり
*
火傷した左手のひらに保冷剤を2つ、ハンカチでぐるぐるに巻いて、オレたちは床に敷いた布団で一緒に寝た。仰向けになって、赤司の右手とオレの左手を繋いで、眠気がくるまで天井を見上げていた。
「……黛さん」
「………」
「傷は舐めるとよく言いますが、本当は現実的ではないんです。唾液自体は有能ですが雑菌も多いので、粘膜同士の接触は推奨されません。知能を持った生物ならやはり清潔な水と薬を使うべきで、唾液で傷を治そうとするのは、獣だけなんですよ」
じゃあ問題ねぇだろ、と思った。どうせオレは獣だ。逃げるお前を前にして、理性が焼き切れる瞬間を何度も味わってる。
「黛さん」
しばらくすると赤司はまた、オレの名を呼んだ。
「眠ってもいいので、聞いていてくださいね」
その言葉に従い、オレは目を閉じた。
決して貴方を、軽んじたわけではないんです。だけど貴方に迷惑をかけたくないと思ったのは俺のエゴです。迷惑かどうかなんて俺が決めることではないし、それはきっと迷惑ではなく心配であったはずです。本当に、馬鹿なことをした。
でも、心配も、迷惑も、俺には、怖い。
誰かに迷惑を、心配をかけるのが怖い。嫌で嫌で仕方がない。だけどそれは決して相手を傷つけたくないからではない。
愚かで弱い俺の、ただの自己保身なんです。
昔話を、しますね。
10歳の時。
赤司の分家に裏山があって、そこで遊んだことがありました。
手入れはされていますが、舗道はなく、自然そのままに近い山でした。
当時の俺は家に閉じ込められるようにされ、習い事も、教育も、すべて、その量をどんどん増していった時期でした。その頃の俺は唯一楽しいと思えるバスケを―――バスケットボールに触れることが、どうしても、できなくて。
今思えば、欝に近いというか、引きこもっていたし、傍目に見ても、よくない状態だったんでしょうね。
幼少の頃からずっと面倒を見てくれていた世話役のひとりが、その裏山に連れ出してくれたんです。緑と太陽に触れて、少しでも気分転換をしてくださいと言って。
彼は母の幼少の頃からの世話人で、とても優しく大らかな、立派な人でした。子ども心に懐いていたし、俺という子どもを肩書きで扱わない、貴重な存在であると感じていました。
俺は、彼の気遣いが嬉しかったし、父に内緒で外に逃げ出せたことも嬉しかったし、久しぶりに呼吸ができたような気がして、とても、感動していました。
子どもであれば山中で駆け回るべきだったのかもしれませんが、その時の俺はどこか虚脱状態で、木の根に座って、ただひたすら木漏れ日を見上げていました。歩いたり走り回ってもいいのですよと言われても、だいじょうぶ、ここにいる、と言って、呆けたように座り続けていました。
彼はそれで、安心したのでしょう。少しの間俺をひとりにしてあげようと思い、俺の視界に入らないところで待機していたと思うのです。だけど俺は彼がいなくなったことにすら気付かず、ふと思い立ち、ふらふらと、本当にふらふらと、山奥に入り込んでいきました。
彼が目を離したのはほんの数分です。その数分の間に、運悪く俺は杉林の斜面を転げ落ち、数メートル下に落下しました。土まみれでしたがほとんど出血もせず、ただ驚いたことだけを覚えています。ですが木にぶつかった際、脛の骨を折っていました。痛みはありましたが本当に大したことはなく、すぐに駆けつけた大勢の大人の狼狽ぶりも、連れてきてくれた彼の青褪めた顔も、まるで他人事のように感じていました。
彼はずっと謝っていましたが、俺は全然怒ってはいなかったし、むしろ楽しかった、ありがとう、と言いました。こんな風に俺を想い、気遣ってくれる大人は他にいなかったからです。
ですが、彼はその翌日、屋敷から姿を消しました。
出張中であった父の耳に俺の怪我が伝えられると、あの人は激昂し、ただちに彼を解雇したのです。
彼がいなくなったことを知り、俺ははじめて理解しました。
俺の勝手な行動は、誰かを不幸にする。
母の代から長年仕えてきてくれていたのに、あんなに大切な人を、俺は俺のわがままで失ってしまった。
俺が勝手に歩き出さなければ。足を滑らせなければ。ケガをしても、誰にも内緒にすれば。そもそもどうして彼は俺を外へ連れ出してくれたのか。俺が弱かったから。俺がどうしようもなく弱かったからだ。母がいなくなっても、バスケが出来なくなっても、寂しい、苦しい、つらいなんて思わない人間でなくてはならなかったのに。
どうやって謝ればいいんだろう。どうやって取り戻せばいいんだろう。幼い俺にはわからなかったし、もちろん、彼は帰ってきませんでした。
それ以来、
自分の不調を人に訴えるのが、苦痛になりました。いつも通りにしようとしても、どうしても声が喉にひっかかって、上手く伝えられなくなったんです。
発熱しても、風邪をひいても、多少のケガなら、誰にも言わずに自分で処理しました。バカバカしいし、愚かしいとはわかっているのですが、精神的にもその方がよほどラクで、体調不良を顔に出さず、悟られないようにする術ばかり、どんどん上達していきました。
頭では、わかっているんです。今となっては、俺が風邪をひいても解雇されるような人はいない。俺が火傷をしても、咎められ、責任を負わされる人はもういない。それはすべて自己責任で、すでに俺ひとりで解決できる事象となったからです。
でも、
でも、……
「――――……何度も言おうとしたんです」
赤司の声はずっとあっけらかんとしていて、空虚なガラス玉のようだった。
「手のひらに火傷をしたって、言おうとしたんです。できることなら痛いと言いたかった。泣いて貴方を責めたかった。でも言えなくて。言ってしまって、もし黛さんが怒って口を聞いてくれなくなったらどうしようとか、明日になってもうどこにもいなくなっていたらどうしよう、どうしようって、ありえないのに、どんどん浮かんできて、のどが、焼け付くようで、この痛みに比べたら、火傷なんかまるで痛くないって、本気で思いました。あんな思いをするくらいなら、もっと痛くてもかまわないと思ったし、黛さんは抱きしめてくれたから、やっぱり間違ってなかったんだと思ったんです」
「赤司」
「だけど黛さんにあんな顔させるなんて」
「赤司」
繋がった手を引き、抱き寄せた。
「明日の朝お前が起きるまでここにいるから。もう寝ろ」
「ごめんなさい」
「いなくならない。絶対いるから」
腕の中で、覗き込んだ瞳は濡れてはいなかった。カラカラに渇いて飢えて、何を欲しているのか自分ではもうわからなくなってしまった寂しい赤だ。お前の涙はどうしても見られない。一度だけ垣間見れたのは誠凛に負けた時だ。でもあれは本当に一瞬だった。
オレはいつからか、自分でこいつを泣かせることができたら、その時はじめて何かが大きく変わるのだろうという、根拠のない確信を抱くようになっていた。
どこまでも透明で、空虚で、手の届かない孤独が詰まった瞳。こいつはそうやって痛みをひとりで抱え込んでしまうたびに、涙を流す術も忘れてしまったのだろう。
目尻に口付けると、処理落ちするように、赤司はぱたりとまぶたを落とした。
***
「そんなに気にしないでください、本当に」
玄関口で赤司はオレを見上げて苦笑した。
「……気にするもんは気にする」
「じゃあ折半にしましょう、俺もじゅうぶん悪かったんですから、お互い様です」
「……はぁ」
顔面を片手で覆って、これ以上ないほど肩を落とす。
朝起きて、改めて赤司に負わせた火傷の痕を見たオレは、理不尽な怒りを深夜テンションで撒き散らしていた昨夜の自分をぶっ殺したくなっていた。
昨日はうっすらとしか積もってなかった罪悪感が、今頃になって百トンハンマーでオレをドスドス地面にめりこませてくる。どう考えたって自分のせいのくせに、バカみてぇに赤司を責めて、謝らせて、死にたい。殺してくれ。赤く腫れた手のひら。痛いよな。最悪だなオレ。死のう。
「……そこまで落ち込まれたら、次にケガをしても、オレはまた貴方に何も言えなくなってしまいそうです」
苦笑交じりの悪い冗談にオレが黙って視線を合わせると、赤司は眉を下げて微笑んだ。
火傷をしていない方の綺麗な手のひらが目の前に差し出され、オレはその手を受けとめる。
「だからこれも俺のわがままです。どうかもう、気にしないでください」
握った赤司の親指が、オレの手をするりと愛おしむように撫でた。
「……赤司」
「はい」
「オレはお前の使用人でも何でもない。お前んちに恩があるわけでも弱みを握られてるわけでもない」
「はい」
「だから、例えお前が火傷しようと足を折ろうと、オレには関係ない。もうガキじゃねぇんだ。誰かに何かを強要されるいわれは、オレにもお前にもない」
「………はい」
「オレはオレの意思でお前の影で在るし、お前はお前の責任でケガも負うし傷付きもする。お前が望むならオレはお前の近くでそれを見てるし、助けがいる時は助けてやるよ」
だから。
頼むから、あんな風には、もう、
「―――― 黛さん、もし俺が」
赤司がオレの手を強く握り、縋るような眼差しを向けた。
「俺が、この部屋に来なくなっても、待っていてくれますか」
繋がった体温が手のひらだけということが、今までで一番もどかしく感じた。抱きしめたいし、もう本当に、こいつをずっと捕まえておきたいという非現実的な思いに焦がれている。
「約束なんてしなくても、会いに来ていいですか」
赤司が怯えるように言葉を震わせる。赤司の手首を握り、オレはその目を睨み返した。
「約束なんかいらねぇだろうが」
オレとお前が、そんなもので縛られるような関係だった覚えは一度もない。
「ずっと言ってる、お前はオレに我が儘言って偉そうに王様してればいい。猫みてぇに好き勝手振舞って、寝る時はのど鳴らして甘えとけばいいんだよ」
そのためにお前はこの部屋に来てたんだろ。お前がお前であるために必要な時間だったから。
「なんでその程度のことがわからねぇんだよ。お前はお前がしたいようにすればいい」
そしてそれは、オレにとっても必要な時間だった。お前の行き場のない痛みを、誰にも告げられなかった我儘を受け入れて、抱きしめる役目を他のやつに渡さない。お前をこの部屋に入れ続けたのは、オレのクソみてぇな独占欲からでしかなかった。
火傷を負わせた手のひらに、布の上からキスをする。
そうして、やっと抱き合った。このまま捕まえておけたらどんなに安心できるだろう。こんなことをすれば離れがたくなるだけだと、お互いわかっていたのかもしれない。別れ際に赤司を抱きしめるのは、これがはじめてだった。
多分オレたちは今、頭の中で、同じ数をかぞえている。
卒業まで、あと ――――
腕の中でオレの胸に頬ずりした赤司が、「黛さん、好きです」と、熱に浮かされたように囁いた。
火傷した左手のひらに保冷剤を2つ、ハンカチでぐるぐるに巻いて、オレたちは床に敷いた布団で一緒に寝た。仰向けになって、赤司の右手とオレの左手を繋いで、眠気がくるまで天井を見上げていた。
「……黛さん」
「………」
「傷は舐めるとよく言いますが、本当は現実的ではないんです。唾液自体は有能ですが雑菌も多いので、粘膜同士の接触は推奨されません。知能を持った生物ならやはり清潔な水と薬を使うべきで、唾液で傷を治そうとするのは、獣だけなんですよ」
じゃあ問題ねぇだろ、と思った。どうせオレは獣だ。逃げるお前を前にして、理性が焼き切れる瞬間を何度も味わってる。
「黛さん」
しばらくすると赤司はまた、オレの名を呼んだ。
「眠ってもいいので、聞いていてくださいね」
その言葉に従い、オレは目を閉じた。
決して貴方を、軽んじたわけではないんです。だけど貴方に迷惑をかけたくないと思ったのは俺のエゴです。迷惑かどうかなんて俺が決めることではないし、それはきっと迷惑ではなく心配であったはずです。本当に、馬鹿なことをした。
でも、心配も、迷惑も、俺には、怖い。
誰かに迷惑を、心配をかけるのが怖い。嫌で嫌で仕方がない。だけどそれは決して相手を傷つけたくないからではない。
愚かで弱い俺の、ただの自己保身なんです。
昔話を、しますね。
10歳の時。
赤司の分家に裏山があって、そこで遊んだことがありました。
手入れはされていますが、舗道はなく、自然そのままに近い山でした。
当時の俺は家に閉じ込められるようにされ、習い事も、教育も、すべて、その量をどんどん増していった時期でした。その頃の俺は唯一楽しいと思えるバスケを―――バスケットボールに触れることが、どうしても、できなくて。
今思えば、欝に近いというか、引きこもっていたし、傍目に見ても、よくない状態だったんでしょうね。
幼少の頃からずっと面倒を見てくれていた世話役のひとりが、その裏山に連れ出してくれたんです。緑と太陽に触れて、少しでも気分転換をしてくださいと言って。
彼は母の幼少の頃からの世話人で、とても優しく大らかな、立派な人でした。子ども心に懐いていたし、俺という子どもを肩書きで扱わない、貴重な存在であると感じていました。
俺は、彼の気遣いが嬉しかったし、父に内緒で外に逃げ出せたことも嬉しかったし、久しぶりに呼吸ができたような気がして、とても、感動していました。
子どもであれば山中で駆け回るべきだったのかもしれませんが、その時の俺はどこか虚脱状態で、木の根に座って、ただひたすら木漏れ日を見上げていました。歩いたり走り回ってもいいのですよと言われても、だいじょうぶ、ここにいる、と言って、呆けたように座り続けていました。
彼はそれで、安心したのでしょう。少しの間俺をひとりにしてあげようと思い、俺の視界に入らないところで待機していたと思うのです。だけど俺は彼がいなくなったことにすら気付かず、ふと思い立ち、ふらふらと、本当にふらふらと、山奥に入り込んでいきました。
彼が目を離したのはほんの数分です。その数分の間に、運悪く俺は杉林の斜面を転げ落ち、数メートル下に落下しました。土まみれでしたがほとんど出血もせず、ただ驚いたことだけを覚えています。ですが木にぶつかった際、脛の骨を折っていました。痛みはありましたが本当に大したことはなく、すぐに駆けつけた大勢の大人の狼狽ぶりも、連れてきてくれた彼の青褪めた顔も、まるで他人事のように感じていました。
彼はずっと謝っていましたが、俺は全然怒ってはいなかったし、むしろ楽しかった、ありがとう、と言いました。こんな風に俺を想い、気遣ってくれる大人は他にいなかったからです。
ですが、彼はその翌日、屋敷から姿を消しました。
出張中であった父の耳に俺の怪我が伝えられると、あの人は激昂し、ただちに彼を解雇したのです。
彼がいなくなったことを知り、俺ははじめて理解しました。
俺の勝手な行動は、誰かを不幸にする。
母の代から長年仕えてきてくれていたのに、あんなに大切な人を、俺は俺のわがままで失ってしまった。
俺が勝手に歩き出さなければ。足を滑らせなければ。ケガをしても、誰にも内緒にすれば。そもそもどうして彼は俺を外へ連れ出してくれたのか。俺が弱かったから。俺がどうしようもなく弱かったからだ。母がいなくなっても、バスケが出来なくなっても、寂しい、苦しい、つらいなんて思わない人間でなくてはならなかったのに。
どうやって謝ればいいんだろう。どうやって取り戻せばいいんだろう。幼い俺にはわからなかったし、もちろん、彼は帰ってきませんでした。
それ以来、
自分の不調を人に訴えるのが、苦痛になりました。いつも通りにしようとしても、どうしても声が喉にひっかかって、上手く伝えられなくなったんです。
発熱しても、風邪をひいても、多少のケガなら、誰にも言わずに自分で処理しました。バカバカしいし、愚かしいとはわかっているのですが、精神的にもその方がよほどラクで、体調不良を顔に出さず、悟られないようにする術ばかり、どんどん上達していきました。
頭では、わかっているんです。今となっては、俺が風邪をひいても解雇されるような人はいない。俺が火傷をしても、咎められ、責任を負わされる人はもういない。それはすべて自己責任で、すでに俺ひとりで解決できる事象となったからです。
でも、
でも、……
「――――……何度も言おうとしたんです」
赤司の声はずっとあっけらかんとしていて、空虚なガラス玉のようだった。
「手のひらに火傷をしたって、言おうとしたんです。できることなら痛いと言いたかった。泣いて貴方を責めたかった。でも言えなくて。言ってしまって、もし黛さんが怒って口を聞いてくれなくなったらどうしようとか、明日になってもうどこにもいなくなっていたらどうしよう、どうしようって、ありえないのに、どんどん浮かんできて、のどが、焼け付くようで、この痛みに比べたら、火傷なんかまるで痛くないって、本気で思いました。あんな思いをするくらいなら、もっと痛くてもかまわないと思ったし、黛さんは抱きしめてくれたから、やっぱり間違ってなかったんだと思ったんです」
「赤司」
「だけど黛さんにあんな顔させるなんて」
「赤司」
繋がった手を引き、抱き寄せた。
「明日の朝お前が起きるまでここにいるから。もう寝ろ」
「ごめんなさい」
「いなくならない。絶対いるから」
腕の中で、覗き込んだ瞳は濡れてはいなかった。カラカラに渇いて飢えて、何を欲しているのか自分ではもうわからなくなってしまった寂しい赤だ。お前の涙はどうしても見られない。一度だけ垣間見れたのは誠凛に負けた時だ。でもあれは本当に一瞬だった。
オレはいつからか、自分でこいつを泣かせることができたら、その時はじめて何かが大きく変わるのだろうという、根拠のない確信を抱くようになっていた。
どこまでも透明で、空虚で、手の届かない孤独が詰まった瞳。こいつはそうやって痛みをひとりで抱え込んでしまうたびに、涙を流す術も忘れてしまったのだろう。
目尻に口付けると、処理落ちするように、赤司はぱたりとまぶたを落とした。
***
「そんなに気にしないでください、本当に」
玄関口で赤司はオレを見上げて苦笑した。
「……気にするもんは気にする」
「じゃあ折半にしましょう、俺もじゅうぶん悪かったんですから、お互い様です」
「……はぁ」
顔面を片手で覆って、これ以上ないほど肩を落とす。
朝起きて、改めて赤司に負わせた火傷の痕を見たオレは、理不尽な怒りを深夜テンションで撒き散らしていた昨夜の自分をぶっ殺したくなっていた。
昨日はうっすらとしか積もってなかった罪悪感が、今頃になって百トンハンマーでオレをドスドス地面にめりこませてくる。どう考えたって自分のせいのくせに、バカみてぇに赤司を責めて、謝らせて、死にたい。殺してくれ。赤く腫れた手のひら。痛いよな。最悪だなオレ。死のう。
「……そこまで落ち込まれたら、次にケガをしても、オレはまた貴方に何も言えなくなってしまいそうです」
苦笑交じりの悪い冗談にオレが黙って視線を合わせると、赤司は眉を下げて微笑んだ。
火傷をしていない方の綺麗な手のひらが目の前に差し出され、オレはその手を受けとめる。
「だからこれも俺のわがままです。どうかもう、気にしないでください」
握った赤司の親指が、オレの手をするりと愛おしむように撫でた。
「……赤司」
「はい」
「オレはお前の使用人でも何でもない。お前んちに恩があるわけでも弱みを握られてるわけでもない」
「はい」
「だから、例えお前が火傷しようと足を折ろうと、オレには関係ない。もうガキじゃねぇんだ。誰かに何かを強要されるいわれは、オレにもお前にもない」
「………はい」
「オレはオレの意思でお前の影で在るし、お前はお前の責任でケガも負うし傷付きもする。お前が望むならオレはお前の近くでそれを見てるし、助けがいる時は助けてやるよ」
だから。
頼むから、あんな風には、もう、
「―――― 黛さん、もし俺が」
赤司がオレの手を強く握り、縋るような眼差しを向けた。
「俺が、この部屋に来なくなっても、待っていてくれますか」
繋がった体温が手のひらだけということが、今までで一番もどかしく感じた。抱きしめたいし、もう本当に、こいつをずっと捕まえておきたいという非現実的な思いに焦がれている。
「約束なんてしなくても、会いに来ていいですか」
赤司が怯えるように言葉を震わせる。赤司の手首を握り、オレはその目を睨み返した。
「約束なんかいらねぇだろうが」
オレとお前が、そんなもので縛られるような関係だった覚えは一度もない。
「ずっと言ってる、お前はオレに我が儘言って偉そうに王様してればいい。猫みてぇに好き勝手振舞って、寝る時はのど鳴らして甘えとけばいいんだよ」
そのためにお前はこの部屋に来てたんだろ。お前がお前であるために必要な時間だったから。
「なんでその程度のことがわからねぇんだよ。お前はお前がしたいようにすればいい」
そしてそれは、オレにとっても必要な時間だった。お前の行き場のない痛みを、誰にも告げられなかった我儘を受け入れて、抱きしめる役目を他のやつに渡さない。お前をこの部屋に入れ続けたのは、オレのクソみてぇな独占欲からでしかなかった。
火傷を負わせた手のひらに、布の上からキスをする。
そうして、やっと抱き合った。このまま捕まえておけたらどんなに安心できるだろう。こんなことをすれば離れがたくなるだけだと、お互いわかっていたのかもしれない。別れ際に赤司を抱きしめるのは、これがはじめてだった。
多分オレたちは今、頭の中で、同じ数をかぞえている。
卒業まで、あと ――――
腕の中でオレの胸に頬ずりした赤司が、「黛さん、好きです」と、熱に浮かされたように囁いた。
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