天帝のおくすり

赤司の好物は豆腐だ。特に湯豆腐には目がない。
好きなのかと問えばそうでもないよと澄ました顔で流してみせるが、実のところ京都一帯で贔屓の店を幾つも抱えており、足繁く通っては店の主人と抜かりなく懇意にしているくらいには、間違いなく大好きだ。
京の老舗豆腐屋なんて、栄えている地域の看板店から民家が営む小さな個人経営店、果ては経営という形態を取らずご近所の間でだけ知られているような知る人ぞ知る名店まで、数え上げればガチでキリがない。
くそ忙しい中わざわざ各店舗へ足を運び、自らの舌と目で吟味検討してまでお気に入りの豆腐を見つけ出すその意欲。理屈としてもわからないうえ物理的にも理解不能だ。というか単純にどんだけ豆腐好きなんだよ。必死すぎて引くわ。かくいうオレもくさやという愚鈍には理解できない選ばれし食物が好物だが、私生活を犠牲にしてまで伝説のくさやを探しに行こうとは思わない。
以前どうでもいい口喧嘩をした時にちょうど鍋で湯豆腐を食べていたこともあって、
「てめぇその腐った豆に顔突っ込んで窒息しろ!!」
……と怒鳴ってしまった際(大人げなかったと反省している)、オレの方が音速で床に叩きつけられてフローリングで窒息させられたのはいい思い出でもなんでもない。ちなみに息ができず暴れるオレを抑えつけながら「豆腐は豆乳をにがりで固めた加工食であり豆を腐らせたものではない認識を正して悔い改めろ」とノンブレスで言われたがキレるポイントそこかよと遠のく意識の向こうで思った。
もし、世界を救う代わりに豆腐を失えと言われたら、こいつは間違いなく豆腐を助けて世界の方をねじ曲げる。こいつが将来日本の財政界を担う立場になった時、この国の全豆腐は赤司征十郎の管轄下に置かれるであろうとオレは確信している…、

「黛さん?」
覗き込んできた綺麗な赤色の瞳に、くだらない思考が途切れた。
「玉ねぎ、もういいですよ」
手元のフライパンを見ると炒めている玉ねぎがすっかり濃い飴色になっていて、赤司はオレに不思議そうな視線を向けながら、パン粉代わりの食パンを細かく千切っている。
「ぼーっとしてないで冷まして。肉をこねてください」
「……まじで豆腐混ぜんのかよ」
「まだ言ってるんですか?文句があるならお一人でカップラーメンでもどうぞ」
素っ気なく言い捨てる赤司の横で、オレは舌打ちしながら冷蔵庫から牛乳を取り出した。
「お前は湯豆腐食べるためにオレんち来てるのか」
黛さんと・・・・湯どうふを食べるために来てるんですよ」
「湯豆腐なかったら来てないんだろ」
「それはそうですけど」
「否定しろよ」
正直なやつだな。
「湯豆腐のための道具扱いって出がらしよりひどいだろ。普通に傷つくわ」
「何をそんな卑屈に…好物を一緒に食べたいと思って何が悪いんですか」
「仮にオレんちに鍋がなかったとしたらどうする。お前他の宿探すだろ」
「いえ、その場合俺自らこの部屋に鍋を持ち込みます」
「その豆腐ありきの考え方が気に食わねぇんだよ」
「あぁもう」
赤司は【20%OFF】とシールの貼られた合いびき肉をトレイから出し、刺々しいため息と共にボウルに突っ込んだ。
「なんなんですか、いつまでもぐちぐちと煩わしい…大体今回の折衷案に関しては、どう考えたって俺の方が譲歩しているじゃないですか。わがままも大概にしないと怒りますよ」
「勝手に豆腐買ってきて人んちで豆腐食べようと思ってたのはお前だろ。オレは完全にハンバーグの気分で肉買って帰ってきたんだよ」
 しかもちゃんとお前の分も考えて多めのグラム数で買ってきたんだぞ。
「俺だってとても美味しいお豆腐を頂いたから黛さんにもお裾分けしたいと思っていたんです。人の厚意を無碍にして自分の意見ばかり通そうとするのはどうかと思います」
「正論のふりしてるけどお前は客で家主はオレだからな」
「接待という言葉をご存じないですか」
「それは家主側が自主的に使う言葉で客が要求するもんじゃねーよ」
「……………」
 珍しく反論できなかった赤司は、ムッとしたままレンチンした豆腐を水切りしたあと、ヤケクソみたいにボウルにごろりと転がした。
 
今夜の夕飯は、豆腐ハンバーグだ。
ガッツリ肉を欲していた家主のオレがなぜそんなふわふわしたメニューを許可したかというと、口論の末に赤司の口から飛び出した「わかりました。今から寮に帰ってこの豆腐は実渕と食べます」という身も凍る恐喝に、(心が)折れざるを得なかったからである。ひとえにあの鬼夜叉の介入が面倒だっただけで、決してこいつの上目遣いに負けたわけではない。
「オレの肉にそんな柔らかいもん混ぜやがって、オレだってめちゃくちゃ譲歩してんだろ」
「これを焼けば肉は肉でしょう。あくまで食べ心地はハンバーグですが、豆腐本来の食感は跡形もなくなります。せっかく最高の絹ごし豆腐を頂いたのに、もったいない…」
「文句あんならお前こそラーメンでも喰っとけ」
「黛さんフライパン」
ギスギスとしながら軽く洗ったフライパンを再び火にかけ、油を流して熱するのを待つ。
タネを丸める赤司に「オレのでっかくしろよ」と要求すると、はぁ、とあからさまにため息をつかれた。文句言うな。ここはオレの部屋だしオレはオレの喰いたいものを喰うんだ。
「……なんだそれ」
赤司がもちもちとタネを妙な形に整えているので、不審な顔して覗き込んだ。
「ハート型です」
真剣に言うな。
「この前実渕が教えてくれて」
気持ち悪いことすんなよアイツ。どうでもいいが真剣な顔でもちもちモチモチしている赤司がちょっと可愛いな。
「視覚的な楽しさを取り入れるのも、料理には大切なことだと」
「お前、あいつに何をどこまで話してんの」
「黛さんのことは何も話していませんよ」
なるほど。だがしかし実渕はお前がこの部屋に来ていることを知っているわけで、これは明らかに嫌がらせだな。
「……で、お前はそのハート型をオレに喰わす気か」
「いけませんか」
「いけなくはないが、一般的に見て問題だと思う」
「問題とは」
素で首をかしげる様子に、こんなやつに変なこと吹き込むんじゃねぇよと本気で実渕を殴りたくなった(絶対返り討ちに遭うが)。
「男同士でハート型のなにがしを喰うのは頂けないだろ」
「考えすぎじゃないですか? これでハートを半分こして、『あーん』でもすれば完璧だと」
「させねぇよ?」
ハート型イコールリア充、みたいな認識はこいつの中にないらしい。ツッコミ疲れたオレは、赤司の手から存在感のある大きさのハート…心臓型ハンバーグを手のひらで掬うようにして奪い、フライパンに敷いた。
 すると。
「……ッゎ!」
油が跳ね腕に当たる。熱さに驚き反射的に腕を振り上げると、運の悪いことにその手がちょうどフライパンの柄に引っかかり、反動でフライパンまでもが吹っ飛んで空中に弧を描いた。
「っ!」
赤司の方向に飛んだので焦って目をやったが、赤司は咄嗟にそれを受け流したらしい。一瞬置いて、ガランガランとステンレスが床に転がる音がした。
「わり…っ大丈夫か」
「それより黛さんを」
腕をぐいと引かれ、蛇口から勢いよく出された冷水に冷やされる。腕の外側、肘下10センチくらいのところだが、油は思いのほか跳ねたらしく、赤い痕が大きめについている。
しばらく冷やしたのち、赤司は水道のレバーを上げ、オレの腕をタオルで拭きながら冷凍庫に目をやった。
「保冷剤はありますか?」
「いや大げさ。舐めときゃ治る」
「火傷は甘くみると痛い目に遭いますよ。軽度といえど、きちんと冷やさないと脂汗が出るほど痛むこともあります」
「脅すなよ。それよりお前さっきフライパン当たってねぇか」
顔にでもかすってやしなかったかと頬に手をやったが、目立った箇所は見当たらなかった。
手が冷たい、と赤司は笑う。逃げるように顔を逸らし、オレの腕に右手で触れた。
首をかたむけ、そこに口唇を押し当てる赤司にびくりとした。チロ、と舌先でひと舐めされて、微かに痛みを感じ目を細める。
「……なんだよ」
「応急処置です」
「お前は、なに、……もう猫キャラでいくつもりなの」
「猫…? ではありませんが、俺はヒト科です」
はいはい。こいつの天然だかなんだかに付き合ってたら身が持たない。
背後の床に目をやると、裏返しになったフライパンと、ハート型など跡形もなくなったハンバーグのたねがべっちょりと落ちていて、改めて大きな息を吐き出した。カッコ悪いしもったいないしで、普通にへこむ。
1/5ページ