出がらしですが
(なんて言うんだっけ。こういうの)
最近、オレはずっと考えている。
急須の蓋を軽く押さえ、赤司はテーブルに並べたオレと自分の湯飲みに、少量ずつのお茶を交互に注いでいく。
とぽぽ、とぽぽ、と繰り返される籠もった水音が心地いい。うすらと伏せられる赤司のまつ毛。きちんと伸びた背筋、繊細な指先。行儀悪く頬杖ついて、オレはその様子を無感動な眼差しで眺めている。
最後にふわり、と急須を高く持ち上げ最後の一滴まで注ぎ切ると、赤司は急須を傍らに置き、こちらに湯飲みを差し出した。
「どうぞ」
「どうも」
ず、と啜る。美味い。いつも通り変わらない。
(……なんて言うんだっけな。こういう感じ)
「この茶葉は黛家の定番なんですね」
「そう。母親が子どもの頃から取り寄せてるやつ。オレも昔から家ではこれしか飲んでない」
香ばしく匂い立つそれは透き通るような薄い茶色をしていて、一般的にほうじ茶、京番茶と呼ばれるものだ。ひとり暮らしのオレの部屋には、月二回ほどのペースで母親から茶葉の入った紙袋が送られてくる。
「俺も好きですよ、これ。やっぱり京都のお茶は美味しいですね。とても落ち着きます」
「そんな高いもんじゃ全然ないらしいけどな」
「毎日飲むものなら、特別深い味わいがあるよりも、癖のないものの方が適していますしね」
赤司はテーブルの上で両手を湯飲みに添えているが、まだ口をつける様子はなく香りを楽しんでいる。
「麦茶なんかもそうですし」
「あー、オレなんでか麦茶って苦手なんだよな」
オレがそう言うと、赤司は目を丸くした。
「この味に慣れすぎてんだと思うけど、正直あれをガバガバ飲めるやつの気が知れねぇ」
「………」
「まぁ出先でひとくちふたくち飲むぐらいは別に平気だけど……、って何笑ってんだよ」
口を押さえて顔を背け肩を震わせている赤司に、心底怪訝な目を向けた。今の話のどこに笑いを噛み殺す要素があったというのか。
「……っふ……いえ、すみません」
コホンと咳をしてすぐに平常心を取り戻している。オレも特に追及することなく、引き続きずるずるとお茶を啜る。
テーブルに置かれた手つかずの赤司の湯飲みからは、まだほのかな湯気が立ち昇っていて、オレはそれを横目にちらりと見た。
「……別に、もうちょっとぬるくてもいいぞ」
最初に注ぐお湯の温度のことだ。赤司はいつもポットからではなく、いちいちやかんを火にかけてお湯を沸かしており、ポットのお湯は急須を温める用にしか使わない。
別に沸かしたての熱々でなくてもいい、その方がお前が飲める温度になるまでの時間を短縮できるだろ、と。
今さら隠しようもなく、赤司は熱いのが苦手なのだ。しかし赤司は笑って首を振った。
「ありがとうございます。でも、やはり番茶は熱いお湯でないと」
「別に大して変わんねぇよ」
「いいえ、全然違います。それに貴方も熱いお茶が好きでしょう?」
確かに好きだ。言った覚えはないが当たり前のように見抜かれている。
「……前から不思議だったんだけど」
「はい」
わざわざ言うのもなんだかな、と思って今まで言わなかったが、この流れでなんとなく口にした。
「なんでお前が淹れると美味いの?」
ぱちぱち、と赤い猫目が瞬きする。
「……淹れ方は、普通ですけど」
「おんなじ茶葉と水道水使ってるはずなのに、なんか知らねぇけどうちの母親より絶対美味い」
「お母さまに怒られますよ」
赤司は笑った。
「気分の問題じゃないですか。いつもこういった、疲れて一休みという時に淹れているんだし」
それは確かに一理あるかもしれない。
ところで、オレが息抜きに飲みたくなるものはお茶の時もあればコーヒーの時もあって気分によるのだが、最近では赤司は、オレが飲みたいと思っている方を何も言わずとも勝手に淹れてくるようになった。
まじでエイリアンなのかなこいつ、と空恐ろしく思わないでもない。しかしどうぞと差し出されるそれはいつだって文句なしに美味しくて、結局オレの中で、まぁいいか赤司だし、で流されてしまう。
赤司は必ずオレが口をつけたあとの表情を見届けてから、ほんの少しだけ口元をゆるませる。
なんというか、そういった過程も含めて、「一息ついている」という感覚がするのだ。赤司がいる空間。赤司が淹れる飲み物。目の前に赤司がいて、静かに過ぎていくだけの時間。ひっくるめて、「あぁ茶が美味いなぁ」としみじみ思う。よくわからないが、安心感に近い何かを感じる。満たされるというか、なんというか…。
(……あーなんだ、なんて言えばいいんだこの感じ)
「……母が」
ゆっくりと湯飲みに口をつけた赤司は、瞳を伏せ、懐かしむような微笑みを浮かべた。
「茶道の心得があったので。幼いころですが、俺も何度か特別に茶会に呼んで頂いたり、手習い程度に作法を教えてもらっていました」
だろうな。しっくり行きすぎだし、むしろそうじゃないと言われた時の違和感が半端ではない。
「手前味噌になりますが…母は、若くして相当の腕前にあったと聞いています。俺から見ても母の所作は一際洗練されていたし、お茶に関する知識も素晴らしかった。そんな母の姿に幼いながらも羨望を抱き、また茶の道の奥深さに魅力を感じた俺は、母の教えを乞えなくなったあとも、自らすすんでお茶を学びました」
「どうせお前も師範だか教授? だかなんだろ」
にっこり、と赤司は笑みを返す。
「非常に歴史の長い世界です。俺なんてまだまだ若輩者もいいところですよ」
「ご謙遜を」
「知識や経験はもちろんですが、母は、何よりセンスのある人だったのでしょう。そんな人から基礎を学べたので、黛さんのお口に合うものを淹れることも、多少なりできるのかもしれませんね」
いやお口に合うどころじゃねぇけど、と、あくまで謙遜ぶる赤司に心の中で突っ込んでおく。
「なんにせよ、お抹茶ではないので腕前なんて関係ありませんよ。黛さんが淹れてくれたお茶なら、俺だってとても美味しく感じると思います」
「それはたまには自分で淹れろっつってんの?」
「期待してますね」
そう言うと赤司は急須を持って立ち上がり、台所に向かった。ふと気付くとオレの湯飲みは空だ。ついでに何かちょっと甘いものが食べたいと思っていたところだが。
なんか持ってきて、と声をかけるより先に、やかんに火をかけている赤司が聞いてきた。
「どら焼きでいいですか?冷蔵庫に入ってた、コンビニの」
「……おぅ」
「どうして冷やしてるんです?」
「……それ生クリーム挟まってんの」
「あぁ、なるほど」
台所でガサゴソと何かをしている音がする。やがて赤司は、皿と急須をお盆に乗せて戻ってきた。
テーブルを挟んで向かい合い、小さな鍋敷きに急須を置き、お皿を置く。
「半分こです」
皿にはキレイに切られたどら焼きが乗っていて、ハイハイと流した。はじめて食べる粒あん&ホイップ生どら焼きなるものへの好奇心を隠しきれていないのが、間抜けなお坊ちゃんだと思う。
茶葉を蒸らす数分間、オレは何をするでもなく、ただ赤司をぼんやりと見つめていた。
赤司は急須を手に取り、ゆるく回して、オレと自分の湯飲みに、お茶を注ぎ淹れてゆく。
小さな急須。色違いの湯飲み。おもちゃみたいな朱塗り風のお盆。鍋敷き。茶葉の乾燥を防ぐために小分けにして入れておく赤い茶缶。
全部、赤司がこの部屋に通うようになってから二人で揃えた。ほとんど百均だ。一緒に買ったものもあるし、それぞれで買ってきたものもある。
この部屋には少しずつ、赤司のものが増えている。赤司が選んだもの、赤司が使うものが。
(まじで、まじで…なんていうんだっけ…こういう気持ち…)
焦りにも似た感覚に、オレはひとりで頭を抱えた。
「どうぞ」
「どうも」
「出がらしですが」
「………」
出がらしでも番茶は充分に美味かった。
なんだかなぁ、と思う。こんなことでいいんだろうか、オレ。
何か非常にまずい流れになってる気がするんだけどなー。
目の前の赤司をただただ眺める。飽きねぇなぁ。なんだっけな、この感じ。なんだっけ。
オレはあきらめて目を瞑り、頬杖ついて、はー、と息をついた。
「……オレ、お前に毎日お茶淹れて欲しいわ」
「――――ッ」
なぜか赤司の瞳孔がカッと見開かれた気がしたが、気にせずボソボソと続ける。
「お前の茶なら一生飲みてぇかも……」
そしてまたずるずると茶を啜る。
しかし、しばらく経ってもなんの反応もないので、どうしたんだと顔を上げた。
瞳孔を真っ黒にした赤司が目の前で固まっていた。なにごとだよとこっちも眉を顰めて見つめ返す。
やがて。
「――――ッく」
赤司から、吹き出すような笑いが漏れた。
「……っは、ふ…っふふ」
「……なんなんだよお前は」
「ふふふふ…っ、…だめだすみません黛さん」
そう言うと赤司はテーブルに突っ伏し、肩を震わせて笑い始める。
「いやいやいや、お前今日なんかツボ変じゃねぇ?」
惰性で呟いたので一語一句までは覚えていないが、爆笑されるようなことは言ってない。
赤司の淹れたお茶なら一生飲める。そう言っただけだ。それの何がおかしい。だって美味しいのだ、仕方ないだろう。
「…ふ、っふふ……いえ…」
赤司は珍しく涙目になるほど笑い、自制心を総動員してようやく顔を上げた。ふぅ、と大きく息をして、まだ口元を引き攣らせたまま、なんとか落ち着いた様子で黛を見る。
「…えぇと…言っていいものか迷いますが」
「ここまで来て言わねぇとかないから」
バカにされてるみたいで気分が悪い。不機嫌な表情でじっとり睨むと、赤司はふふ、とまた小さく笑い、あきらめて肩から力を抜いた。
「……黛さん、さっきの台詞」
「なんだよ」
「うちの父が母に言ったプロポーズとまったく同じです」
「ぶっふほぁ」
オレは勢いよくお茶を吹いた。
わたしのために毎日お茶を淹れて欲しい
お前のお茶ならわたしは一生飲みたいと思う
「母からこっそり聞いた話では、大体こんな感じだったと…」
「ちっっっ………げーーーーーーーよ!!」
「なにがですか」
「誰がそういう意味で言ったんだよちげーよ!!」
「は? わかってますよ」
真っ赤な顔でげほげほと噎せまくるオレに、赤司は何を言ってるんだこいつはという目を向けてくる。
「ただ単純に、面白いなと思ったんです。実は、父も麦茶が嫌いなんですよ。どうも口に合わないと言って、俺にも飲ませてくれませんでした」
オレにティッシュを渡しながら、赤司は楽しそうに続ける。
「父は母の手料理や、とりわけお茶に惚れこんだそうで。結婚してからも母の淹れたお茶でなくては口にせず、やむをえず使用人の淹れたお茶しか用意できない時は、それはそれは機嫌が悪かったと聞いています」
それだって充分腕に自信のある者が淹れたのだろうに文句言うなよ頭の固ぇクソオヤジめ。絶賛混乱中のオレは、会ったこともない赤司の父に、口を拭いながら内心で八つ当たりに近い悪態をつく。
「どれも母や、長年仕えている使用人から聞いた話です。これは赤司家のトップシークレットですよ、黛さん」
「……んなクッソ恐ろしいもん勝手に聞かすな」
思わぬ衝撃波からなんとか立ち直ったが、テーブルに置かれた湯飲みを改めて苦虫を噛み潰したような目で見つめてしまう。なんだか決して触れてはいけない呪いのアイテムのように思えてくる。めちゃくちゃ今さらすぎるのだが。
自棄になって半分こにされたどら焼きにかぶりつくと、赤司も倣ってぱくりとそれを口にした。
「別に俺は、かまいませんよ」
「……なにが」
「黛さんのために毎日お茶を淹れることくらい」
どこか面映ゆく、嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
いやいやいや。気のせいに決まってんだろと己に言い聞かしながらひたすらもぐもぐ咀嚼する、どら焼きの味がよくわからなくなってくる。
ふとオレの顔を見た赤司は、くすりと笑い、頬に手を伸ばしてきた。
「貴方が美味しいと言ってくれるなら、一生だって全然かまいません」
オレの頬についていたらしいどら焼きのかけらを摘まんで、自分のお皿の端に置いて。
赤司は湯飲みを両手で持ち、ちょうど良い温度になったお茶を、静かに飲んだ。
あぁ。
なんて言うんだっけ、こういうの。こういう気持ち。
わかった。判明した。なるほど。なるほどじゃねぇよ、くそ。
(嫁に欲しい)
そ れ だ。
いやだからそれだじゃねぇよ。なんでだよ。そういうのは二次元嫁の専売特許だろうが。なんでこいつに。なんで赤司に。茶のひとつやふたつでオレはどんだけ絆されて…
「さっきの話は、父の最大の弱味として、いざという時まで温存しておくつもりです」
「………」
にっこりと笑う赤司に最強の嫁の面影を見た気がして、オレはヒクリと頬を引き攣らせた。
弱味。なるほどな。なんでだろう、今オレは赤司のオヤジにものすごく共感している。そしてものすごく同情している。間違いなくこれは弱味だ。オレは得体の知れない弱味を、がっつりとこいつに握られてしまったらしい…。
オレはテーブルに突っ伏して、はあぁ~~~~…と長い長いため息を吐き出した。
「……赤司家の嫁こえぇ……」
情けない呟きは、赤司の耳には届かなかったようだ。小首を傾げる赤司を見上げ、改めて思ってしまう。
(…もうお前、嫁に来い)
お前の淹れた茶を一生飲めるんだったら、お前を嫁に貰うことくらい、
我慢してやるよ。
最近、オレはずっと考えている。
急須の蓋を軽く押さえ、赤司はテーブルに並べたオレと自分の湯飲みに、少量ずつのお茶を交互に注いでいく。
とぽぽ、とぽぽ、と繰り返される籠もった水音が心地いい。うすらと伏せられる赤司のまつ毛。きちんと伸びた背筋、繊細な指先。行儀悪く頬杖ついて、オレはその様子を無感動な眼差しで眺めている。
最後にふわり、と急須を高く持ち上げ最後の一滴まで注ぎ切ると、赤司は急須を傍らに置き、こちらに湯飲みを差し出した。
「どうぞ」
「どうも」
ず、と啜る。美味い。いつも通り変わらない。
(……なんて言うんだっけな。こういう感じ)
「この茶葉は黛家の定番なんですね」
「そう。母親が子どもの頃から取り寄せてるやつ。オレも昔から家ではこれしか飲んでない」
香ばしく匂い立つそれは透き通るような薄い茶色をしていて、一般的にほうじ茶、京番茶と呼ばれるものだ。ひとり暮らしのオレの部屋には、月二回ほどのペースで母親から茶葉の入った紙袋が送られてくる。
「俺も好きですよ、これ。やっぱり京都のお茶は美味しいですね。とても落ち着きます」
「そんな高いもんじゃ全然ないらしいけどな」
「毎日飲むものなら、特別深い味わいがあるよりも、癖のないものの方が適していますしね」
赤司はテーブルの上で両手を湯飲みに添えているが、まだ口をつける様子はなく香りを楽しんでいる。
「麦茶なんかもそうですし」
「あー、オレなんでか麦茶って苦手なんだよな」
オレがそう言うと、赤司は目を丸くした。
「この味に慣れすぎてんだと思うけど、正直あれをガバガバ飲めるやつの気が知れねぇ」
「………」
「まぁ出先でひとくちふたくち飲むぐらいは別に平気だけど……、って何笑ってんだよ」
口を押さえて顔を背け肩を震わせている赤司に、心底怪訝な目を向けた。今の話のどこに笑いを噛み殺す要素があったというのか。
「……っふ……いえ、すみません」
コホンと咳をしてすぐに平常心を取り戻している。オレも特に追及することなく、引き続きずるずるとお茶を啜る。
テーブルに置かれた手つかずの赤司の湯飲みからは、まだほのかな湯気が立ち昇っていて、オレはそれを横目にちらりと見た。
「……別に、もうちょっとぬるくてもいいぞ」
最初に注ぐお湯の温度のことだ。赤司はいつもポットからではなく、いちいちやかんを火にかけてお湯を沸かしており、ポットのお湯は急須を温める用にしか使わない。
別に沸かしたての熱々でなくてもいい、その方がお前が飲める温度になるまでの時間を短縮できるだろ、と。
今さら隠しようもなく、赤司は熱いのが苦手なのだ。しかし赤司は笑って首を振った。
「ありがとうございます。でも、やはり番茶は熱いお湯でないと」
「別に大して変わんねぇよ」
「いいえ、全然違います。それに貴方も熱いお茶が好きでしょう?」
確かに好きだ。言った覚えはないが当たり前のように見抜かれている。
「……前から不思議だったんだけど」
「はい」
わざわざ言うのもなんだかな、と思って今まで言わなかったが、この流れでなんとなく口にした。
「なんでお前が淹れると美味いの?」
ぱちぱち、と赤い猫目が瞬きする。
「……淹れ方は、普通ですけど」
「おんなじ茶葉と水道水使ってるはずなのに、なんか知らねぇけどうちの母親より絶対美味い」
「お母さまに怒られますよ」
赤司は笑った。
「気分の問題じゃないですか。いつもこういった、疲れて一休みという時に淹れているんだし」
それは確かに一理あるかもしれない。
ところで、オレが息抜きに飲みたくなるものはお茶の時もあればコーヒーの時もあって気分によるのだが、最近では赤司は、オレが飲みたいと思っている方を何も言わずとも勝手に淹れてくるようになった。
まじでエイリアンなのかなこいつ、と空恐ろしく思わないでもない。しかしどうぞと差し出されるそれはいつだって文句なしに美味しくて、結局オレの中で、まぁいいか赤司だし、で流されてしまう。
赤司は必ずオレが口をつけたあとの表情を見届けてから、ほんの少しだけ口元をゆるませる。
なんというか、そういった過程も含めて、「一息ついている」という感覚がするのだ。赤司がいる空間。赤司が淹れる飲み物。目の前に赤司がいて、静かに過ぎていくだけの時間。ひっくるめて、「あぁ茶が美味いなぁ」としみじみ思う。よくわからないが、安心感に近い何かを感じる。満たされるというか、なんというか…。
(……あーなんだ、なんて言えばいいんだこの感じ)
「……母が」
ゆっくりと湯飲みに口をつけた赤司は、瞳を伏せ、懐かしむような微笑みを浮かべた。
「茶道の心得があったので。幼いころですが、俺も何度か特別に茶会に呼んで頂いたり、手習い程度に作法を教えてもらっていました」
だろうな。しっくり行きすぎだし、むしろそうじゃないと言われた時の違和感が半端ではない。
「手前味噌になりますが…母は、若くして相当の腕前にあったと聞いています。俺から見ても母の所作は一際洗練されていたし、お茶に関する知識も素晴らしかった。そんな母の姿に幼いながらも羨望を抱き、また茶の道の奥深さに魅力を感じた俺は、母の教えを乞えなくなったあとも、自らすすんでお茶を学びました」
「どうせお前も師範だか教授? だかなんだろ」
にっこり、と赤司は笑みを返す。
「非常に歴史の長い世界です。俺なんてまだまだ若輩者もいいところですよ」
「ご謙遜を」
「知識や経験はもちろんですが、母は、何よりセンスのある人だったのでしょう。そんな人から基礎を学べたので、黛さんのお口に合うものを淹れることも、多少なりできるのかもしれませんね」
いやお口に合うどころじゃねぇけど、と、あくまで謙遜ぶる赤司に心の中で突っ込んでおく。
「なんにせよ、お抹茶ではないので腕前なんて関係ありませんよ。黛さんが淹れてくれたお茶なら、俺だってとても美味しく感じると思います」
「それはたまには自分で淹れろっつってんの?」
「期待してますね」
そう言うと赤司は急須を持って立ち上がり、台所に向かった。ふと気付くとオレの湯飲みは空だ。ついでに何かちょっと甘いものが食べたいと思っていたところだが。
なんか持ってきて、と声をかけるより先に、やかんに火をかけている赤司が聞いてきた。
「どら焼きでいいですか?冷蔵庫に入ってた、コンビニの」
「……おぅ」
「どうして冷やしてるんです?」
「……それ生クリーム挟まってんの」
「あぁ、なるほど」
台所でガサゴソと何かをしている音がする。やがて赤司は、皿と急須をお盆に乗せて戻ってきた。
テーブルを挟んで向かい合い、小さな鍋敷きに急須を置き、お皿を置く。
「半分こです」
皿にはキレイに切られたどら焼きが乗っていて、ハイハイと流した。はじめて食べる粒あん&ホイップ生どら焼きなるものへの好奇心を隠しきれていないのが、間抜けなお坊ちゃんだと思う。
茶葉を蒸らす数分間、オレは何をするでもなく、ただ赤司をぼんやりと見つめていた。
赤司は急須を手に取り、ゆるく回して、オレと自分の湯飲みに、お茶を注ぎ淹れてゆく。
小さな急須。色違いの湯飲み。おもちゃみたいな朱塗り風のお盆。鍋敷き。茶葉の乾燥を防ぐために小分けにして入れておく赤い茶缶。
全部、赤司がこの部屋に通うようになってから二人で揃えた。ほとんど百均だ。一緒に買ったものもあるし、それぞれで買ってきたものもある。
この部屋には少しずつ、赤司のものが増えている。赤司が選んだもの、赤司が使うものが。
(まじで、まじで…なんていうんだっけ…こういう気持ち…)
焦りにも似た感覚に、オレはひとりで頭を抱えた。
「どうぞ」
「どうも」
「出がらしですが」
「………」
出がらしでも番茶は充分に美味かった。
なんだかなぁ、と思う。こんなことでいいんだろうか、オレ。
何か非常にまずい流れになってる気がするんだけどなー。
目の前の赤司をただただ眺める。飽きねぇなぁ。なんだっけな、この感じ。なんだっけ。
オレはあきらめて目を瞑り、頬杖ついて、はー、と息をついた。
「……オレ、お前に毎日お茶淹れて欲しいわ」
「――――ッ」
なぜか赤司の瞳孔がカッと見開かれた気がしたが、気にせずボソボソと続ける。
「お前の茶なら一生飲みてぇかも……」
そしてまたずるずると茶を啜る。
しかし、しばらく経ってもなんの反応もないので、どうしたんだと顔を上げた。
瞳孔を真っ黒にした赤司が目の前で固まっていた。なにごとだよとこっちも眉を顰めて見つめ返す。
やがて。
「――――ッく」
赤司から、吹き出すような笑いが漏れた。
「……っは、ふ…っふふ」
「……なんなんだよお前は」
「ふふふふ…っ、…だめだすみません黛さん」
そう言うと赤司はテーブルに突っ伏し、肩を震わせて笑い始める。
「いやいやいや、お前今日なんかツボ変じゃねぇ?」
惰性で呟いたので一語一句までは覚えていないが、爆笑されるようなことは言ってない。
赤司の淹れたお茶なら一生飲める。そう言っただけだ。それの何がおかしい。だって美味しいのだ、仕方ないだろう。
「…ふ、っふふ……いえ…」
赤司は珍しく涙目になるほど笑い、自制心を総動員してようやく顔を上げた。ふぅ、と大きく息をして、まだ口元を引き攣らせたまま、なんとか落ち着いた様子で黛を見る。
「…えぇと…言っていいものか迷いますが」
「ここまで来て言わねぇとかないから」
バカにされてるみたいで気分が悪い。不機嫌な表情でじっとり睨むと、赤司はふふ、とまた小さく笑い、あきらめて肩から力を抜いた。
「……黛さん、さっきの台詞」
「なんだよ」
「うちの父が母に言ったプロポーズとまったく同じです」
「ぶっふほぁ」
オレは勢いよくお茶を吹いた。
わたしのために毎日お茶を淹れて欲しい
お前のお茶ならわたしは一生飲みたいと思う
「母からこっそり聞いた話では、大体こんな感じだったと…」
「ちっっっ………げーーーーーーーよ!!」
「なにがですか」
「誰がそういう意味で言ったんだよちげーよ!!」
「は? わかってますよ」
真っ赤な顔でげほげほと噎せまくるオレに、赤司は何を言ってるんだこいつはという目を向けてくる。
「ただ単純に、面白いなと思ったんです。実は、父も麦茶が嫌いなんですよ。どうも口に合わないと言って、俺にも飲ませてくれませんでした」
オレにティッシュを渡しながら、赤司は楽しそうに続ける。
「父は母の手料理や、とりわけお茶に惚れこんだそうで。結婚してからも母の淹れたお茶でなくては口にせず、やむをえず使用人の淹れたお茶しか用意できない時は、それはそれは機嫌が悪かったと聞いています」
それだって充分腕に自信のある者が淹れたのだろうに文句言うなよ頭の固ぇクソオヤジめ。絶賛混乱中のオレは、会ったこともない赤司の父に、口を拭いながら内心で八つ当たりに近い悪態をつく。
「どれも母や、長年仕えている使用人から聞いた話です。これは赤司家のトップシークレットですよ、黛さん」
「……んなクッソ恐ろしいもん勝手に聞かすな」
思わぬ衝撃波からなんとか立ち直ったが、テーブルに置かれた湯飲みを改めて苦虫を噛み潰したような目で見つめてしまう。なんだか決して触れてはいけない呪いのアイテムのように思えてくる。めちゃくちゃ今さらすぎるのだが。
自棄になって半分こにされたどら焼きにかぶりつくと、赤司も倣ってぱくりとそれを口にした。
「別に俺は、かまいませんよ」
「……なにが」
「黛さんのために毎日お茶を淹れることくらい」
どこか面映ゆく、嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
いやいやいや。気のせいに決まってんだろと己に言い聞かしながらひたすらもぐもぐ咀嚼する、どら焼きの味がよくわからなくなってくる。
ふとオレの顔を見た赤司は、くすりと笑い、頬に手を伸ばしてきた。
「貴方が美味しいと言ってくれるなら、一生だって全然かまいません」
オレの頬についていたらしいどら焼きのかけらを摘まんで、自分のお皿の端に置いて。
赤司は湯飲みを両手で持ち、ちょうど良い温度になったお茶を、静かに飲んだ。
あぁ。
なんて言うんだっけ、こういうの。こういう気持ち。
わかった。判明した。なるほど。なるほどじゃねぇよ、くそ。
(嫁に欲しい)
そ れ だ。
いやだからそれだじゃねぇよ。なんでだよ。そういうのは二次元嫁の専売特許だろうが。なんでこいつに。なんで赤司に。茶のひとつやふたつでオレはどんだけ絆されて…
「さっきの話は、父の最大の弱味として、いざという時まで温存しておくつもりです」
「………」
にっこりと笑う赤司に最強の嫁の面影を見た気がして、オレはヒクリと頬を引き攣らせた。
弱味。なるほどな。なんでだろう、今オレは赤司のオヤジにものすごく共感している。そしてものすごく同情している。間違いなくこれは弱味だ。オレは得体の知れない弱味を、がっつりとこいつに握られてしまったらしい…。
オレはテーブルに突っ伏して、はあぁ~~~~…と長い長いため息を吐き出した。
「……赤司家の嫁こえぇ……」
情けない呟きは、赤司の耳には届かなかったようだ。小首を傾げる赤司を見上げ、改めて思ってしまう。
(…もうお前、嫁に来い)
お前の淹れた茶を一生飲めるんだったら、お前を嫁に貰うことくらい、
我慢してやるよ。
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