迷い込むのはイルカの女王

【本・音・願・望】

 ようやく見つかったイルカさん……デルフィニスのお姉さんは、自爆スイッチみたいなそれを押した瞬間、ヒトの体を捨てて、完全に「デルフィニス」と言う怪人になってしまいました。
 そして、美羽お姉さんの「独り善がりな好意の押し付けは、迷惑だ」って言葉に怒ったらしく、プールの水を全部使ってわたし達を流そうと襲ってきたんです。
『今度こそ、綺麗さっぱり洗い流してあげる!』
 なんとなく……笑っているようにも、怒っているようにも、そして泣いているようにも聞こえる声でそう怒鳴ると、デルフィニスはその水をおもいっきり美羽お姉さんに向けて押し出しました。
 ……当然、美羽お姉さんの側にいるわたしにも、その水はやって来ています。
 でも、美羽お姉さんは怖がりもしてません。それどころか、まっすぐデルフィニスを見て、そして仁王立ちになって言いました。
「そんな事で、私に勝ったつもりなの? そんな……スイッチに頼った、自分の物ではない力で」
『何ですって?』
「もしも本当にそう思っているなら、あなたは一生私には勝てないわ」
『……負け惜しみをっ! そこの子供と一緒に、消えてなくなりなさいよぉ!!』
 プールの水だけじゃなくて、水道から流れてる水も一緒になってデルフィニスの手元に集まると、大きな……わたしが五人くらい縦に並んだ大きさの槍みたいに変形しました。
「まずい!」
 水の、ごごごって唸る音の合間に、赤いジャケットのお兄さんの声が聞こえます。
 確かに、このままだとずぶ濡れです。
「ずぶ濡れは、いやです」
『ずぶ濡れ? いいえ。流されるのよ、お嬢ちゃん! その女と一緒に!!』
 わたしの声が聞こえていたみたいです。デルフィニスがアハハと笑いながらそう言ったかと思うと、水の槍はわたし達の真ん前まで来ていました。
 それを見て、美羽お姉さんはぎゅうっとわたしを抱きしめてくれます。
 ……多分、水がかからないようにってかばってくれているんだと思います。でも、そんな事をしたら美羽お姉さんがずぶ濡れになっちゃいますし、きっとお背中も痛いです。
 ひょっとするとデルフィニスの言う通り流されちゃうかもしれません。
 そんなの、いやです。美羽お姉さんは優しくて、強くて、クイーンとしてのお手本になる人だと思っています。
 だから……
「サガーク、行きなさい!」
 美羽お姉さんの耳元ではありますが、わたしは少しだけ、わたしの中の「力」を引っ張り出して、後ろにいると思うサガークさんに向かって怒鳴ります。
 本当は、魔力が出ていっちゃっている時に、力を引っ張り出しちゃいけないってお姉ちゃんに言われているんですが……こういうの、「きんきゅーじたい」って言うんですよね。わたし、知ってます。そしてそういう時は、力を引っ張り出してもいいんです。お姉ちゃんはしょっちゅうそう言ってます。
 わたしが力を引っ張り出したからでしょうか。今までは普通だった左のてのひらに、赤いバラとクイーンの駒の絵が浮き上がります。
 多分、目の色も、いつもの栗みたいな色じゃなくて、ステンドグラスみたいな虹色に「戻って」いる事でしょう。
 うー……でも、力を引っ張り出すと、いつも喋り方がお姉ちゃんみたいになっちゃうんですよね。それに、あんまり力を引っ張り出しすぎると、お姉ちゃんに気付かれちゃって、ナイショにならなくなっちゃいます。
 下手すると、周り真っ暗にしちゃいますし。
 そんな事を思う傍らでは、美羽お姉さんが驚いたような顔をわたしに向けてますし、命令されたサガークさんは、きゅっと了解したような鳴き声を上げると、真っ直ぐにデルフィニスの手元に向って飛んでいきました。
『何、何なのこれ!?』
「×▼√★☆△○、☆Ω%☆√θ○♭<」
 いきなり現れたサガークさんに驚いたのでしょう。デルフィニスは手元に纏わりつくサガークさんを追い払おうと必死になって手を振り回します。
 ですが、そこはわたし達「ファンガイア」と呼ばれる、ヒトとは異なる種が生み出した人工モンスター。ひらりひらりとその手をかわして相手の集中力を失わせ、プチプチと水を操っている「光の糸」を引きちぎっています。
 サガークさんにその糸が見えているとは思えません。多分、魔力に似た気配を察してそれを切っているのでしょう。
 でも、ある程度引きちぎれば、当然操れなくなった水はその場で「ばっしゃーん」ってことになります。そうなった時、流されないにしても、やっぱりずぶ濡れにはなりますから……
「やっぱり、お守りは大事です」
 わたしが小さい頃にテトテトとモノおじちゃんが作ってくれたイルカのお守りに、引っ張り出した力をちょっとだけ込めます。
 お姉ちゃんから聞いた話だと、このお守りはわたしを護ってくれる物で、力を込めると、ちょっとだけ「護る範囲」が大きくなるそうです。
 つまり、今も「護る範囲」が広がった訳で……
 次の瞬間、デルフィニスが支えきれなくなった水が暴走しました。わたし達を流すほどの勢いはないものの、大きな波のように頭の上で水が自分の重さを支えきれなくなって……
 ばっちゃあん、と。ちょっとだけ遠い場所でそんな音が聞こえました。ですが、わたしと美羽お姉さんは、お守りのお陰で濡れていません。
 目に見えない壁がわたし達を囲んでいて、ぱちゃぱちゃと水を弾いています。
「何だ? 何が起こっている?」
「……あの子……魔女、なの……?」
 賢吾お兄さんの、ビックリしたみたいな声と、黒いリボンのお姉さんの、ちょっとだけ嬉しそうな声が聞こえたので、わたしはお守りに込めていた力を抜いて、ふう、と息を吐きました。
 美羽お姉さんも、何が起こったの? みたいなお顔でわたしや周りを見ています。
『何を……何をしたの!?』
「ずぶ濡れはいやですって、言いました。だから、濡れないように魔力で壁を作ったんです」
 えっへん。美羽お姉さんもまもったって言ったら、きっとお姉ちゃんは褒めて…………くれないかも、しれません
 お兄ちゃんもお姉ちゃんも、「人前で力を使っちゃ駄目」って、何度もいってました。
 ……あうあうあうあうっ! お兄ちゃん達にバレたら、絶対に怒られます!
「……あうぅ……でもでもっ、今見たこと、ナイショにしてくださいね?」
『そうね……アンタが、そこの女と一緒に消えてくれたらね!』
 そう言うと、もう一回水を操ろうとしているみたいです。デルフィニスは、手にまた光を集中させ始めて……
 でも、その直後。弦太朗お兄さんの声が、広いプールに響き渡りました。
「させるか!」
『Three』
『Two』
『One』
「変身!」
 いつの間にか腰に四つのスイッチを入れたベルトを巻いていて、そして、変身って叫んだのと同時に、お兄さんの周りを白い……「人の手で造られた光」がキラキラ囲みました。
 デルフィニスの持っているお星様の力に似ています。でも、弦太朗お兄さんをとりまいているのは、けっして黒くてこわいモヤモヤではなくて。真反対の白い力に見えます。
 お兄さんの着ている服その物が黒なので、「白い力」がすごく目立ちます。
「宇宙キター!!」
 ぐうっと背伸びするみたいに言うと、お兄さんはそのままグーをデルフィニスに突き出して……
「仮面ライダーフォーゼ。タイマン張らせてもらうぜ!」
 そう言ったかと思うと、お兄さんは真っ直ぐにデルフィニスに突撃して、相手をプールから引き離します。
 たぶん、お水のないところに連れて行って、お水の攻撃を避けようとしてるんだと思います。
 そんな弦太朗お兄さんを、みんなで追いかけていきました。わたしも……たぶん、無意識の内にだとおもいますが……美羽お姉さんにひっぱられて、お兄さん達を追いかけます。
 でも……
――お姉さんの体、ほっといて良いんでしょうか――
 なんにもない……空っぽの体を見ながら、わたしはそんなふうに思っていました。

『私は! 天高のクイーンになるの!! そして……クイーンになって、皆にちやほやされたいと思うのは当然だわ』
「……あう?」
 弦太朗お兄さんとデルフィニスに追いつくと同時に、デルフィニスの怒鳴り声が聞こえました。
 でも……そう言った瞬間、もっと言うと「皆にちやほやされたい」って言った時。デルフィニスに巻きついているモヤモヤが、さらにきつく巻きついたように見えました。
 まるで……そう思いこませているみたいに。
 そんなモヤモヤの中でも、頑張って存在を主張している「白い糸」が一本だけ見えます。
 でも、その糸も、もうすぐモヤモヤに閉じ込められてしまいそうに見えて……
 またてのひらに溜めた光から、デルフィニスが水を弦太朗お兄さんに向ってばら撒いて。
 でも、それを弦太郎お兄さんは、いつの間にか右手につけたオレンジ色のロケットで上に飛んで避けて。
 そんでもって、わたしは気付いたらデルフィニスと弦太朗お兄さんのあいだに立っていました。
「おい、霧雨!」
「何をしてる!? 下がれ!」
『なぁに? アンタから流されにきたの?』
 後ろからは弦太朗お兄さんの焦った声、横からは賢吾お兄さんの怒った声、そして前からはデルフィニスの暗い声が聞こえます。
 でも、そのどの声も。
 わたしを止めるほど、強くはないみたいです。
「……本当に、皆にちやほやされる為に、お姉さんはクイーンになりたいんですか?」
『いきなり何? 当たり前でしょう? クイーンであれば……皆、好意を抱いてくれる。私を好きになってくれる。愛してくれる』
 嬉しそうに聞こえる声とは全く逆に、モヤモヤはまた、デルフィニスの体をぎゅううっと締め付けて、その自由を奪っているみたいに見えます。
 そして締め付けられるたびに、「白い糸」が苦しそうにビチビチと跳ねます。
 ……ああ。やっぱり。
 お姉さんが本当に欲しいのは、「みんなからの好意」じゃなくって。でも、その事が分らなくなるくらい、今はモヤモヤに縛り付けられていて。
 そしてそのモヤモヤを更に強くする方法が、「クイーンになること」だと思っていて。
 ……だったら、モヤモヤを「壊す」方法は……
 てくてくと、わたしはデルフィニスに近寄って、そしてポケットの中に入れていたはずの「物」に手を触れます。
 ……大丈夫、ちゃんとあります。後は、使い方を間違えなければ良いんです。
 細長い「それ」をこっそりポケットから取り出してから、わたしはデルフィニスの足元まで近付くと、にっこり笑って言いました。
「クイーンになりたいなら、力を貸してあげます。……ちょっとだけ、ですが」
――Queen――
 持っていた「それ」……昔、お姉ちゃんがクーちゃんから貰ったって言う「ガイアメモリ」である「クイーンメモリ」を作動させて、「えいや」って感じでデルフィニスの足に突き立てました。
 本当は、ガイアメモリってコネクタって呼ばれる模様がないと大変な事になるらしいんですが、デルフィニスは、言ってしまえば精神エネルギーとかライフエナジーのかたまりみたいなものですし、コネクタがなくてもだいじょうぶ……だと思います。
 ……たぶん。
 あとでたいへんな事になってたら、ごめんなさいってあやまります。
 そう思っていると、クイーンメモリはデルフィニスの中に沈んで、その力を発揮し始めました。
 でも……デルフィニスの体にある黒いモヤモヤとメモリの力って言うのは、たぶん「仲が悪い」んだと思います。だって、挿したとたんに、バチバチバチィって雷みたいにメモリの力がデルフィニスの体を覆って、モヤモヤを引き裂こうとしているんですから。
『う、ああぁぁぁぁぁっ!?』
 モヤモヤを引き裂かれるのは、やっぱり痛いみたいです。デルフィニスは悲鳴をあげながら、頭を抱えるようにして体を仰け反らせます。
 後ろの方では、何が起こったのかわかっていない弦太朗お兄さんが困ったみたいに手を伸ばしていますし、横は横で賢吾お兄さん達がぎょっと目を開いています。
「お姉さんは、クイーンになりたかったんですよね? それは『女王の記憶』を記録したメモリです」
 叫んでいるデルフィニス……いいえ、お姉さんに聞こえているかはわかりませんが、わたしはいつもと変わらない声の大きさでそう言いました。
 弦太朗お兄さん達はもちろん、お姉さんに聞こえているかは分りません。
 でも、聞こえていなくても、たぶん今のお姉さんはわかっていると思います。デルフィニスを引き裂こうとしている力が、「女王の記憶」と言う物であることは。
 でも、あんまりやりすぎると、モヤモヤを引き裂いた後でお姉さんがドーパントになってしまうかもしれません。なので、わたしはさっきお姉さんに挿した辺りに手をかざして、クイーンメモリを引き寄せます。
 クーちゃんやお姉ちゃんが言うには、クイーンメモリはわたしとか風都にいるクイーンお姉さんの「お願い」をよくきいてくれるんだそうです。
 やがて、お姉さんの体からはするりとメモリが抜け落ちました。それと同時に、お姉さんはぺたんとそこに座り込んで、叫び疲れたようにぜーぜー息を吸ったり吐いたりしています。
『あ、ああ、あ……い、今の、何なの!?』
 やっと息が整ったのか、お姉さんは、それでもまだ体に力が入らないみたいでその場に座り込んだまま、わたしに向ってきいてきました。
「『女王クイーンの責務は護る事。キングの傍らにいる時は王を護り、王が不在の時は己の国と民を護る。それは全てのクイーンが負うべき任である。賛辞と贅沢はその対価に過ぎない』。わたしには言葉が難しすぎてわかりませんが、クイーンのお仕事はちやほやされる事ではなく、みんなを護るってことみたいです」
「女王の……クイーンの責務……」
 まだ座ったままのお姉さんの顔を真っ直ぐ見ながら、わたしはビショップさんがいつも言っている言葉をそのままお姉さんに送ります。
 横では、それを聞いていた美羽お姉さんも、何か考え込むように目を伏せて呟いていました。
 お姉さん達が何を考えてるのかなんて、わたしはわかりません。ただ、わたしがやらなきゃいけないことはわかります。
「お姉さんに、みんなを護る事が出来ますか? 好きな人も嫌いな人も、みんなまとめて護る事が」
『そ、れは……』
「出来ないなら、クイーンになりたいなんて言っちゃダメです。クイーンの冠は、その重みに耐えられる人でなければかぶれません」
 わたしがやらなきゃいけないこと。それは、お姉さんの心を、本質を、守ること。
 あんなモヤモヤにしばられて、本当の自分がわからなくなって。それで最後にはモヤモヤに振り回されて、終わる。誰かが誰かの人生を操るなんて、しちゃいけないんです。
 相手がどんな人であっても守ることが、ファンガイアって呼ばれている、ヒトよりも長生きする種族で「クイーン」って呼ばれているわたしの、「やらなきゃいけないこと」なんです。
 お友達になれるかもしれない人を守るのは、クイーンのお仕事のはずです。
「霧雨、あなた……」
「そもそも……お姉さん、本当に皆からちやほやされたいんですか? 本当にクイーンになりたいんですか? なんか、ちがうく見えます」
『何を……言って……』
「お姉さんは……本当は、『みんな』じゃなくって、決まった『誰か』に好きになってもらいたいんじゃないですか?」
 お姉さんの目を覗き込んでそう言うと、ちょっとだけ「デルフィニス」を縛り付けていたモヤモヤが緩くなったように見えます。
 メモリを挿したせいで、モヤモヤ自体だいぶひび割れていたって言うのもありますが、お姉さん自身がしばられている事を不思議に思っているみたいにも見えます。
『私が、本当に好かれたい相手……』
「ねえ、愛。私がどうして、今のあなたの事を相手にしていなかったのか、教えて上げるわ」
 じゃり、と私のすぐ横まで美羽お姉さんは近寄ると、腰に手を当ててお姉さんを見下ろしました。
 でも、なんか偉そうな言葉とは全く逆で、美羽お姉さんの目はすごくやさしく見えます。
「見ていれば分るのよ。あなたは恨んでいるはずの私を……『風城美羽』を見ていなかった。だから私も相手にしなかった」
『わ、たし……私、は……』
「はっきりしなさい。あなたが見ていたのは……あなたが誰よりも認めて欲しいと思っているのは、誰?」
 ついさっきまでの……それこそ、クイーンメモリを挿す前のお姉さんなら、たぶん、美羽お姉さんの言葉なんか聞かないで、攻撃してきたと思います。
 でも、今のお姉さんはそうじゃないです。モヤモヤが壊れかけて、「自分」を取り戻しかけているからなんでしょうか。座ったまま、じぃっと、水かきみたいなものがついている自分の手を見下ろして、そしてぽつん、と呟きました。
『私が、認めて欲しかったのは……愛して欲しかったのは……邑久、だわ』
 お姉さんがそう言った瞬間、それまでお姉さんを包んでいたモヤモヤが、バラバラと剥がれ落ちていくのが見えました。
 って言っても、お姉さんは今「デルフィニス」ですから、モヤモヤが落ちても見えている格好はデルフィニスなんですが、それでも今までずっと出す事ができなかった「本質」が、デルフィニスからあふれ出しました。
 「白い糸」……家族への親愛とか情愛とか、そう言った結びつきを表している糸ははっきりと誰かの方へと伸びていき、その糸のもとになる光が、うっすらとデルフィニスを包んでいるのが見えました。
『私は……邑久の『自慢の姉』のままでいたかっただけ。だからクイーンになりたかった。なのに……どこで間違えたの? どうして忘れていたの?』
「そこがスイッチの恐ろしい点でもある。誰かの心の弱みに付け込み、本質を見失わせる」
「けど、お前は気付いたじゃねぇか。自分の本質を」
「そうね。その上で……本当の自分を思い出した上で、まだ私と争うと言うのなら、今度は受けて立つわ」
 そう言うと、美羽お姉さんはお姉さんを立たせようと、すっと手を差し出しました。
 そしてお姉さんの方も、ちょっとだけはずかしそうにしながら、おずおずと手を伸ばして……
 だけど、その瞬間。ぞわぞわっと、何だか嫌な感じがして。その「嫌な感じ」の方を向くと、そこにはさっきまでお姉さんを縛っていたモヤモヤを、さらに黒く、暗くしたようなものが、お姉さんに向って伸びてきていました。
 ……モヤモヤ、なんて可愛いものじゃないです。もっとドロッとしていて、周りの空気まで重くしてしまうようなそれが、何かに操られているみたいに真っ直ぐにお姉さんに向って進んでいます。
「⊿~△!!」
 サガークさんも、その気配に気付いたんでしょうか。キュッと一声あげると、そのままお姉さんに向って突進しますが……でも、一瞬だけそのドロッとしたモノのほうがはやくって。「それ」はあっと言う間に、お姉さんをぎちぎちに縛りつけてしまいました。
 さっきまで見えた白い光も、さっきまであった白い糸も全部くるんでしまって。それまでは「デルフィニス」に見えたお姉さんが、今は真っ黒な繭に見えます。
『え……あ、ああぁぁぁぁぁっ!!』
「愛!?」
「まさか、コズミックエナジーが暴走した!?」
 悲鳴みたいな声を上げるお姉さんを、危ないと思ったのでしょうか。美羽お姉さんはビックリしたみたいに手を引っ込めると、もう一度わたしの手を引っ張って、弦太朗お兄さんのところまで下がります。
 そして横の方では、賢吾お兄さんがそんな事を言っています。
 お兄さん達には見えていないんでしょうか。お姉さんを……「デルフィニス」を操る、この黒いドロドロが。そしてそれが、まるで操り糸みたいに、どこかにむかって伸びているのが。
『ああぁぁぁぁっ! グゥアアアっ!!』
「愛!? しっかりしなさい! スイッチに呑まれては駄目よ!」
「……無理です。暴れてるのはお姉さんの意思じゃないです。アレは……誰か、別の人が操ってます」
 黒い糸がぴくぴくと動くたびに、お姉さんは苦しそうに呻いては、こっちに向っててのひらをむけて水を撒き散らします。
『うああぁぁぁ、グオォォアァァッ!!』
 まるで、泣いてるみたいに聞こえる声で、デルフィニスのお姉さんは、無茶苦茶に腕を振り回して水を撒いて、そして時々思い出したようにこっちに向ってパンチやキックを繰り出してきます。
 黒い糸はお姉さんの意思を無視して操り、そして本質を完全に閉じ込めて人形にしてしまっています。こんなのが長く続いたら、本当にあのお姉さんは「消えて」しまいます。
『イカムレマギラザカヴ!!』
 口から漏れる声も、悲鳴でも何でもない、意味のない言葉になっていて。このままじゃ、本当にお姉さんが消えちゃいます。
 でも、わたしにはどうすれば良いのかわかりません。あの黒いドロドロを何とかしなきゃいけないのはわかるのに、それを「どうにかする」方法がわからないんです。
 あうあうと混乱するわたしとは逆に、美羽お姉さんは……いいえ、お姉さん「達」はなんだか冷静で。
 弦太朗お兄さんは、美羽お姉さんの前に出ると、わたしから見て左から二番目と一番右にあるスイッチを入れました。
 すると、お兄さんを囲っていた星が反応して、その右足にミサイルっぽい物が入った箱と、左手に小さなパラボラアンテナみたいなのがくっつきました。
 そして次の瞬間には、左足のミサイルがばばーっと発射されて、デルフィニスの体に命中します。
 でも、その攻撃はドロドロにはきかないのか、全然苦しそうじゃなく見えます。いえ、苦しいのかもしれませんけど、ドロドロじゃなくて全部デルフィニス……お姉さん自身に行ってしまっているのかもしれません。
 それは弦太朗お兄さんも考えている事みたいで、ちょっとだけ悔しそうに顔を顰めています。
「如月、相手は水を使う。エレキステイツで攻撃しろ!」
「おう!」
 賢吾お兄さんの言葉に頷くと、弦太朗お兄さんはわたしから見て一番左のスイッチを、黄色いのに変えて、そのスイッチを入れました。
 すると、今度は「人工の星」からバチバチと雷みたいなものが奔って……お兄さんの体を、雷が守るように覆いました。
 しかもお兄さんの手には、今までなかった警棒みたいなものが握られています。
 そしてお兄さんはスイッチをその警棒の柄に差し込むと、何だか警報のような音が響いて……
「ライダー百億ボルトシュート!!」
 そう言った次の瞬間。お兄さんの周りを囲んでいた雷が、一気に警棒に向って奔ったと思うと、それが剣みたいな形になって……そして、お兄さんが警棒を振ると、その雷の刃はそのまんまの形でデルフィニスに向って飛んで……
 纏わりついたドロドロも一緒に、その雷の刃はデルフィニスを斬り裂いて……ドォン、っていう大きな音を鳴らして、デルフィニスは爆発してしまったのです。
 そして……残っているのは、お姉さんが押していたスイッチだけでした。
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