臨時講師は虎と獅子

【仮・初・終・焉】

 全ての蛇を撃ち落され、オフィウクスは驚いたように数歩後ろへ下がる。
 弓が不可思議な銃を持ち、そしてそれを扱うと言う事は知っていた。だが、まさかその全てを撃ち落すだけの力量があるとは思っていなかったらしい。
 それに……気のせいだろうか。自分達に向って「お前らの『死ね』は軽い」と言い放った時の彼の瞳の色が灰色に染まり、そしてその顔には昼に見かけた「虎の化物」と重なったように見えたのだ。
 ゆっくりと、蛇の亡骸を踏みつけながら寄って来る「灰猫弓」と言う存在に、オフィウクスはあり得ない程に恐怖を感じていた。
『僕達の言葉が、軽いだと?』
「ああそうだ。口先だけ。本当の『死』をまだ知らない。……だから簡単に言える。死と再生なんて物を、口に出せる」
 低く、押し殺したような弓の声は、やはりオフィウクスを竦ませるには充分な迫力があるらしい。ビクリと体を震わせ、半歩下がる相手。
 しかし、弓はそれ以上前に進むような事はせず、その場で更なる言葉を紡いだ。
「……俺は死の……死ぬ事の恐ろしさを知っているし、再生の苦悩も知ってる。本来、死んだ人間は生き返っちゃならないんだ」
『どうして!? 生き返ったら喜ぶだろう!?』
「いいや、喜ばないね。気味悪がって近寄ろうとせず、果ては化物と呼んで関わりを断とうとする」
『大事な人なら、生き返って欲しいのは当たり前じゃないの!?』
「生き返って欲しいと願うのと、実際に生き返られるのじゃあ、全然違うんだよ。現実ってのは……人間ってのは、お前らが思う以上に残酷に出来てるもんだ」
 相手に向かってその言葉を放った時の弓の顔は、暗い笑みに彩られていた。その瞳の奥に宿るのは、寂しさに見える。実際、オフィウクス……設楽と川奈の二人にはその色が見えた。
 だが、その更に奥……もっと根本的な部分に宿る、憎悪と絶望の色に気付いたのは、彼の事情を知る硝子だけのようではあるが。
 そんな彼の言葉を、オフィウクスは聞きたくないと言わんばかりに耳を塞いで首を横に振り、後ろにいる弦太朗達はその瞳を見る事は叶わない。
 弦太朗達が理解できるのは、弓の様子よりも、その前に立つ異形の本音の方だった。
「さっきから『死と再生』って言ってるけど……本当の願いは違うっぽい」
「私も、その意見に賛成だわ。……あなた達、ただ本当は、大切な人に会いたいだけじゃないの?」
 友子の言葉を継ぐように、美羽がびしりと相手を指差しながら言うと、オフィウクスは視線を弓と硝子から外して彼らに向ける。
 弓は彼らに、「本当の『死』を知らない」と言ったが……彼らだって、身近な人間の「死」を経験している。それを知らぬ弓に、「死」を知らないなどと言われるのは侮辱だ。
 そのはずなのに、彼に気圧されたのは……恐らく、自分達よりも更に深い「死」を知っているのだと直感したからかも知れない。
「確か、設楽センパイは半年前にお祖母さんを、そして川奈センパイは二ヶ月前に弟さんを亡くされてるんですよね」
「……家族を亡くし、そして会いたいという気持ちは、俺も分るつもりだ。だが、それがスイッチの悪用に繋がる理由にはならない」
『煩い!』
 思い出したくない「身内の死」をJKに晒され、そして突かれたくない「弱さ」を賢吾に指摘され。オフィウクスは半ば自棄になったようにそう怒鳴ると、再び蛇を「生み出して」彼らに向けて解き放つ。
 実は硝子と弓は勘違いしているのだが、オフィウクス……というよりセルペンスの能力は、「蛇を呼び出す事」ではない。実際は「蛇を作り出す」のがその能力であった。現れた蛇は、所謂「ダスタード」と分身体に呼ばれる者達に近しい存在である。
 だが、セルペンスはスコーピオンとは異なり、上位のゾディアーツとは言い難い。セルペンスは蛇を作り出す事は出来ても操る事はできないし、逆にオフィウクスは操る事は出来ても作り出す事は出来ない。
 ……だからこそ、二人で一組なのだ。足りない物を補い合い、支えあう為に。
 そうやって作り出された蛇は、まるで丸呑みにしようとしているかのごとく大きく口を開け、毒液を撒き散らしながら素早く弦太朗達の下へと這い寄った。
 多量に作り出した反動で疲労を感じている為、解き放った数は先程よりも少ないが、今回の蛇は猛毒を持つタイプだ。
 蛇を撃ち落した弓は自身の目の前にいる。仮に銃撃しようとしても、流れ弾で弦太朗達が傷付く恐れがある。だからきっと、「優しいヒト」である彼は撃たないはず。そんな打算も、オフィウクスにはあった。
 だが、その蛇の存在を予測していたのだろうか。弓と硝子が、それぞれ自身のポケットから、缶のような物を取り出して、そのプルタブを引き起こしたのは、オフィウクスが蛇を解き放ったのとほぼ同時だった。
「タコ」
「クジャク」
 変形した缶は、可愛らしい音声と共に蛸と孔雀の形に変化すると、二体は素早く弦太朗達の前へひらりと飛んで回り込み、蛸はその足を回転させて蛇を弾き飛ばし、そこを孔雀が自身の羽根で切り刻むと言う連携を見せた。
 そしておよそ数秒後には、毒蛇はその身を刻まれ、先の蛇の亡骸の山に埋もれてしまう。
「無事だな、お前ら」
「皆さんの身の安全は、私達が確保します。だから、続けて下さい」
 弦太朗達を振り返って言った弓と硝子を信じたらしい。彼らは小さく頷きを返すと、もう一度真っ直ぐにオフィウクスを見つめ、そして言の葉を紡いだ。
「どんな人間であれ、生まれ持った命は一つだけだ」
「そして人生も一度きり。だから私は、後悔しないように精一杯『自分の為に』生きてる」
「何にせよ、一個しかない大事なモンだ。やり直しがきいちゃ、ありがたみがねえだろ?」
『黙れ!』
『知った風な口を利くなっ!』
 隼、ユウキ、そして弦太朗の言葉に、とうとうオフィウクスの中の「何か」が決壊したらしい。
 駄々を捏ねる子供のように叫ぶと、真っ直ぐに弦太朗に向って駆け出した。そして弦太朗の方も、不敵な笑みを浮かべると、それを真っ直ぐに見つめ返し……腰のベルトのトランススイッチを右から順に上げる。
『Three』
『Two』
『One』
「変身!」
 カウントダウンに合わせ、右側部に付いているレバーを引く。刹那、弦太朗の頭上に円形の「何か」が展開。そこからぶわりと白い煙のような物が放たれ……次の瞬間には、弦太朗の姿はコズミックエナジーを纏った戦士の姿であるフォーゼへと変じていた。
 仮面はスペースシャトルをイメージしたような形。纏っている白いスーツは、船外作業着を連想させる。
「宇宙キターっ!!」
 その身に溢れるコズミックエナジーを表現したいのか、フォーゼはぐっと体を縮めたかと思うと、すぐさま両腕両足を広げて言い放つ。
 そして、これまた癖なのだろう。向かって来るオフィウクスに向って拳を突き出すと、高らかに宣言する。
「仮面ライダーフォーゼ。タイマン張らせてもらうぜ!」
「いや、オフィウクスは二人一組だからな、如月」
「一対二の形式なので、タイマンとは呼べませんよ、如月君」
「あ、そっか」
 冷静な弓と硝子のツッコミに、どこかばつが悪そうに答えながらも、フォーゼはベルトのスイッチを一つ弄り、右足を前にして身を低く構える。
『Launcher』
『Launcher On』
 ベルトからその音が聞こえたと同時に、フォーゼの右足に現れたロケットランチャーが、オフィウクスに向って放たれる。
 それを危険と察したのだろう。セルペンスが三度蛇を作り出すと、それを盾代わりにしてランチャーを防いだ。
 濛々と上がる白煙。だが流石に蛇の壁は厚かったのか、オフィウクスには傷一つ付いていない。
「くそっ。また蛇か!」
「如月! 九番を使え!」
「お、おう!」
 悔しげに呻く弦太朗に、賢吾が短く指示を出す。
 九番。左足用のスイッチで、名称は「ホッピング」。そのスイッチを作動させると、左足の先からバネのような物が伸び、弦太朗はぼよんぼよんとその身を跳ねさせる。
「け、賢吾! これで、どうすりゃ良いんだよ!?」
「蛇は目の位置の関係上、上と背後にまで視界が届かない。そして、振動で相手の位置を把握する生き物だ」
 その説明で、何をすべきか理解したのか。弦太朗は大きく一つ頷きを返すと、相手を翻弄するように左右に飛び跳ね、更に別のスイッチをベルトに装着した。
 スイッチの番号は五番。右腕用のスイッチで、名称は……
『Magic hand』
『Magic hand On』
 マジックハンドの名の示す通り、弦太朗の右腕から長い……十メートル前後のロボットアームが伸び、それがこっそりとセルペンスの体を掴みあげる。
『しまった!』
「よしっ!」
 驚くオフィウクスの声とは対照的に、ユウキのしてやったりと言いたげな声が返る。
 一方でオフィウクスから離されたセルペンスは、ジタバタとマジックハンドの内で暴れ回って、そこから逃れようとひたすらにもがく。
『くっ、離しなさい!』
「ああ、今すぐ離してやるよ。……俺は、な!」
『な……きゃあっ!』
 セルペンスの体を、出来る限りオフィウクスから離した状態で弦太朗はマジックハンドのスイッチを切る。
 それまでセルペンスの体を支えていた腕は当然消え、ホッピングの影響でそれなりに高い位置にあった体は屋上の床に投げ出される……と思いきや。宙を舞うセルペンスの細長い体を、黄色いパワードワーカー……パワーダイザーに乗った隼が捕えると、拘束するようにその身を押さえつけた。
 最初から弦太朗も床に叩きつけるつもりはない。ただ、低い所で解放すれば、すぐにオフィウクスの元に戻ってしまうかも知れなかったし、もっと最悪の場合はこの場から逃げてしまったかも知れない。
 それを防ぐ為に、身動きの取れない高所で手放し、そしてパワーダイザーに乗り込んだ隼の瞬発力に託したのだ。
「さて、ここからホントのタイマンだぜ!」
 ホッピングスイッチを切ってから、オフィウクスに拳を向け直し……弦太朗はそう言い放つと、真っ直ぐにオフィウクスへ向って行くのだった。

 一方、屋上からは死角に当たる校舎の裏手。
 弓と硝子は、そこでスコーピオンゾディアーツと対峙していた。
「まあ、何と言うか……やっぱりなと言う感じです」
『何故、ここにいると分った?』
「私、鼻が利くんです。……あなたの香水の匂いが、こちらからしたので」
「如月達の邪魔しに入る気だったんだろうが、それなら俺らに気付かれないようにすべきだったな」
 弓の手には彼専用のガイアメモリ使用型マグナムの「アッシャーマグナム」が、そして硝子の手には彼女本来の武器である彼女より少し大きいくらいの棍が握られている。
 それらを構えた彼らの目は険しく、明らかにスコーピオンを敵と認識しているのが見て取れた。
 だが、浮かんでいる表情はひどく対照的。弓は感情の読めない冷たい表情を浮かべているが、硝子の方はいっそ清々しいまでに綺麗な笑顔だ。
 そんな彼らに、スコーピオンは何を思ったのか。やれやれと首を横に振ると、静かな口調で言葉を紡いだ。
『邪魔をするなと言ったはずだ』
「性分なんです。…………あなたのような方の邪魔をするのは」
「そもそも、タイマン勝負に水差すのは、良くないだろ?」
『ならば、排除するのみ!』
 二人に退く気がないと、改めて理解したらしい。言うと同時に、スコーピオンは素早い動きで弓の前に立つと、その胸めがけて足を繰り出す。
 だが、その動きを読んでいたのだろうか。弓は大きく後ろへと飛び退り、一方で彼と立ち位置を入れ替えるかのように飛び込んだ硝子は、スコーピオンの蹴りを持っていた棍で止めると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「こちらは如月君と違い、一対一には拘っていません。何しろ、私はずるい大人なので」
 その言葉と同時に、彼女はスコーピオンの軸足を払う。当然スコーピオンはその体勢を崩し、ぐらりと体を傾がせるが……それも一瞬の事。すぐに硝子に止められた足で棍を蹴り飛ばすと、その反動を利用して彼女との距離を取り、その身を伏せる。
 上半身を地に這わせ、片足を高々と上げるその仕草は、スコーピオンの名の示す通り、蠍を髣髴とさせる。恐らくそのポーズは癖のような物なのだろう。即座に這わせていた上半身を跳ね上げると、二人に向って駆け出した。
 だが、それは許さないと言いたげに弓がアッシャーマグナムの引鉄を引く。屋上でアップグレードしたままのメモリは、その一回で十五発の弾丸を斉射。弓の思考を読み取っているかのように、それらはスコーピオンの四肢めがけて飛んでいった。
 しかしスコーピオンもそれは予測済みなのだろう。即座に羽織っていたマントを盾……と言うよりは身代わりにしてそれらを回避すると、勢いを殺さずそのまま駆け寄る。
「ちっ。流石に一筋縄じゃいかない……か」
 苦笑を浮かべつつも、弓は再度アッシャーマグナムの引鉄を引いて銃弾を放つ。
 だが、マントを捨てた事で身軽になったためか、スコーピオンは先程とは比較にならぬ素早さでそれを回避すると、今度こそ弓の肩口に蹴りを入れ、彼の体を大きく飛ばした。
 飛ばされた弓の体は、ゴッと言う鈍い音を立てて近くの壁にぶつかり、打ちどころが悪かったのか、その意識はふつりと闇に落ち、彼の体はずるりとその場に崩れ落ちた。
 その隙を逃す気はないらしい。スコーピオンは弓へ追い討ちをかけようと足を振り上げ……だが、直後に視界の端に映った存在に気付くと、即座に狙いを弓からその存在の方へ変え、足を振りぬいた。
 足は相手……硝子の足に止められ、宙でXを書くように交わっている。その足を引き、スコーピオンは逆の足を蹴り出した物の、やはり先程と同じように止められてしまう。
『ほう。やはり只者ではないな』
「只者、と言うよりは只人ではないのですが」
 蹴りを繰り出しては足で止め、止められては足を繰り出す、蹴り合い……と呼ぶにはあまりにも苛烈なそれを幾度か繰り返し……やはり硝子を相手取るのに近距離戦は不利と判じたのか、スコーピオンは一端距離を取るべく、大きく後ろへ飛び退る。
 だがその瞬間、それまで冷笑を浮かべていた硝子の顔が、ニヤリと、邪悪な笑みへと歪んだ。
「そう言えば、こちらも先程申し上げたはずですね。『チェックメイトフォーのルークである』と」
 その言葉と当時に、彼女の顎から頬にかけて、虹色の模様が浮かび上がる。それをスコーピオンが認識した瞬間、自身の首筋にちくりと何かが刺さるような感触。そしてその更に一瞬後には、自身の力……否、「命」とか「生命力」とか、そう言った物が奪われていくような感覚に陥り、がくりとその場に膝を付いた。
 地に膝をついた事で刺さっていた何かが抜けたのか、「命」を奪われる感覚は消えたものの、全身を疲労感が襲っていて立ち上がる事が出来ない。
 貧血の時の感覚に似ている気もするが、それよりももっと根本的で深刻な症状であるのは、本能的に直感できる。そしてそれを引き起こしたのが、目の前に立つ女である事も。
 コズミックエナジーを手にしている自分が、このような事態に陥っている事が信じられず、スコーピオンは、己の側に寄って来る彼女を見上げながら、声をあげた。
『な、何だ、今のは!? 私に何を!?』
「少々、あなたのライフエナジー……命の色を頂きました」
『何?』
「……異形はあなた方あなた方だけではないのです」
 にこりと笑い、硝子がそう口にした瞬間。その姿が一瞬だけ歪み……次の瞬間には、白い獅子のような格好をした、見た事のない異形へと変化していた。
 体にゾディアーツ特有のアストロシンボルはない。代わりに……と言うべきなのかは不明だが、肩には笛を吹く天使の彫像のような物が付いており、どことなくステンドグラスに似た紋様が全身を覆っている。
 その姿こそ、硝子の本来の姿。ヒトからはライオンファンガイアと呼ばれる者なのだが、スコーピオンがそれを知るはずもない。
 スコーピオンの知る「獅子」は、同じホロスコープスである「レオ」くらいだが、それとは絶対に……根本的な部分で異なっている。
 等と思っている間に、近付いてきたのか。勢い良く振り下ろされた獅子……硝子の拳をギリギリの距離でかわすと、スコーピオンは己の分身体であるダスタードを生み出して相手を自身から遠ざける。
 これ以上彼女の相手をするのは不利であろうし、何より自身は「星のさだめ」を与えた者を見守る義務を持つ。彩塔硝子というイレギュラーを相手にしているよりも、オフィウクスを守り、星のさだめを見届ける事が優先。
 そう思い、この場を撤退しようと、重い体を引き摺って移動し始めた刹那。
「俺がいる事を忘れてもらっちゃ困るな」
 声と同時に銃声が響き、スコーピオンの足元が爆ぜる。それに驚いて声の方を見れば、そこには先程壁に叩きつけたはずの弓が、何事もなかったかのように銃口をスコーピオンに向けて立っている。
 服には壁に叩きつけられた際に付いたのであろう、コンクリートの粉が付着しているが、顔は然程ダメージを受けたようには見えない。力の限り蹴り飛ばし、あまつさえ意識を失わせる程壁に叩きつけたはず。それなのに復活が早すぎる。
「っぅ……あー、絶対瘤が出来てるな、コレ」
「大丈夫ですか、弓さん? 他にお怪我は?」
「ない、と思う」
 ステンドクラスの模様一つ一つに、「彩塔硝子」の顔を映し、ダスタードを殴りつけながらも心配そうに問う彼女に、弓は然程驚いた様子も見せず銃口と視線をスコーピオンに向けたまま言葉を返す。
 その事実に、スコーピオンは混乱する。
 スコーピオンの知る灰猫弓と彩塔硝子の仲はどこまでも険悪であったはず。斯様に互いを心配するような事を言い合うとは思えない。そもそも平然とした表情で怪人……ゾディアーツに立ち向かう事からしておかしいとは思っていたが、何故こんなにも冷静でいられるのか。
『お前達は、一体……』
「世の中には、お前の知らないような怪人が多数存在している。……お前は昼にも、硝子とは異なる虎を見ただろ?」
 ニ、と弓が口の端に、悪役めいた笑みを浮かべる。その様に、いつもスコーピオンが見る「爽やかな好青年」の色はない。どちらかと言えば、悪役のような印象すら受けた。恐らくは、そちらの顔が本性なのだろう。いつもの爽やかさよりも、今の悪人のような顔の方がしっくり来ている気がする。
――待て。何故こいつが、「虎」と出逢った事を知っている?――
 あの時、あの場にいたのはスコーピオンと「オフィウクス」である設楽と川奈、そして灰色の「虎」だけだった。他の人間の気配は無かった事を考えると、知っているのは自分以外に挙げた三人だけ。ならば……
 はたと気付き、重い体を少しずつ引き摺りながら。スコーピオンは銃口を向けている男の顔をまじまじと見つめ……そして、上擦った声で問いを紡いだ。
『まさか、お前が昼の……』
 虎なのかとスコーピオンが問うよりも先に、弓の目が楽しげにすっと細められる。そして次の瞬間、その顔には昼に見た虎の表情が重なったかと思うと、それが全身に伝播し……彼の姿が俗にタイガーオルフェノクと呼ばれる物へと変わる。
 視線と銃口はそのまま。しかし姿と……その足元から伸びる影は変化した。
 「虎」と化したが故に見えなくなってしまった「ヒト」としての姿が影の方へ移動して映っている。色も、影特有の黒ではなく、濃い緑。
「硝子、そこの雑魚、始末しようか?」
「いいえ。もうすぐ終わりますので」
「まあ、そう遠慮するなよ」
 弓の姿をした影の問いに、ステンドグラスに映りこんだ硝子が答える。
 その答えにはっとして見やれば、生み出したはずのダスタードは既に残り二体にまで減っており、しかもその内の一方は、硝子の棍に貫かれ、「いつもとは違う形」……ガラスのように砕け散っていく所だった。
 そしてもう一方のダスタードは、弓が伸ばした指……否「触手」によって胸を貫かれ、びくりとその体を震わせる。そして、その一瞬後にはザラザラと灰となって崩れ落ちたのである。
 その事に、スコーピオンはこの日何度目かの驚愕を覚えた。
 こちらが弱っているとはいえ、ダスタードをいとも簡単に退ける力。しかも、己の与り知らぬ、全く異質な力。
『星の力ではない、別の力……!』
 未知との遭遇。それがスコーピオンに、驚きと恐怖、そしてほんの僅かな歓喜を与え、その身をぞくりと震わせるに到る。
 危険だと判じながらも、惹かれずにはいられない。生徒達が、アストロスイッチに惹かれるのと同じように、スコーピオンもまた、スイッチ以外の未知なる危険に、微かではあるが惹かれていた。
「そうですね。私達自身の力は、星とは全く関係ないと思います」
「だがな、星の力ってのは、スイッチだけじゃないんだよ」
 しゅるりと弓は触手を戻すと、改めてアッシャーマグナムの銃口をスコーピオンの肩口で止め、挿していたメモリを抜き取った。
 その瞬間、それまで弓の形をしていた緑色の影が変わった。悪戯っぽい笑みを浮かべた、灰色の「少年」の姿へと。
「Ash」
――Bullet――
『Maximum Drive』
 弓の声とメモリから聞こえるガイアウィスパーが重なり、彼の持つ銃口に灰色の光が集う。
 同時に彼の影は、普通の……黒い色をした虎へと変わり……
灰燼宣弾かいじんせんだん
 感情の読めぬ弓の声が二重になって響き、直後引鉄がかちりと引かれる。
 銃口からは弓の中に住み着いた「灰の記憶アッシュ」と、メモリの中に記録されている「弾丸の記憶バレット」、両方の力が解き放たれ、周囲に存在する物を、まるで焼き尽くされた後のような灰燼へと帰した。巻き添えを食った校舎の一部が抉れているが、それも恐らくは一、二週間もすれば修復されるだろう。
 だが……どうやら肝心のスコーピオンは、直前で何とか逃げたらしい。それまでスコーピオンがいたはずの場所には、彼の存在が空けたと思しき大きな縦穴があり、それの底からは横穴が何処かへ続いている。恐らくは咄嗟に破壊光線を地面に向かって穿ち、その身を隠してそのまま逃亡したのだろう。
「……逃げた、か。案外相手もすばしっこい」
 姿をいつもの物に戻し、疲れたように呟く弓。そしてその彼の脇には、やはりいつもの姿に戻った硝子が立ち、苦笑を浮かべていた。
 こちらもやはり、その顔にほんの少しだけ疲労の色を浮かべて。
「まあ、これで良かったのではないかと。スコーピオンの相手は、如月君達がするべきなのだと思います」
「……あいつらが、仮面ライダーを名乗っているからか?」
「それもありますが、何より私達と如月君達では、目的が異なります。倒せば良いと思っている私達とは違い、如月君達は助けたいと思っている」
 ちらりと屋上に視線を向けると、ちょうどオフィウクス達を倒す所らしい。
「ロケットドリルキィィィック!」
 という、何とも言えない声が聞こえた後、大きな音が響いた。
 ドーパントで言う、メモリブレイクをしたのだろう。その後はわいわいと歓喜の声が響いている。
「……綺麗事だな。世の中はそうそう上手く回らない」
「ですが、そう思っているからこそ、彼らはまだ誰も死なせていません」
「ま、出来る事ならあの連中に、『人殺し』の十字架は背負って欲しくはないけどさ」
「はい。それに……私、スコーピオンの事、本能的に受け付けないんです。いっそ殺しても良いんじゃないかなと思う程度には」
「……物騒すぎるだろ、それも……」
 はあ、と溜息を吐き出しつつ。
 二人は何事もなかったかのように、その場を後にし、教員室へと歩みを進める。
 その最中、何かを思い出したように硝子がふと足を止め、そんな彼女を弓が不思議そうに見やると、彼女はポツリと言葉を漏らした。
「……さて、さしあたってのクークの依頼は、これにて解決なのですが」
「まあ、そうだな」
「臨時講師としてのお仕事の期間は、まだかなり残っているんです」
「そりゃあ、まあ」
「……仲の悪いフリ、続行しますか?」
「いきなり仲良くなっても、問題だしなぁ」
「ですよねぇ……」
『はあ』
 ……一難去って、解決したと思った物の、彼らの受難はまだ続くらしい。憂鬱そうな溜息を吐き出しながらも、彼らはすっと「灰猫先生」と「彩塔先生」の表情に切り替えると、にこやかに嫌味の応酬を繰り返しながら夕暮れに染まる校内を歩くのであった。
 ……これが、彼らにとって「日常」であると言いたげに。
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