臨時講師は虎と獅子

【蛇・遣・正・体】

 オフィウクスに逃げられた物の、硝子の攻撃によってその正体が、理科部の部長、設楽明草である事が明らかとなった。
 なったのだがしかし……硝子は何だか釈然としない表情で、設楽とスコーピオンが消えた方向を睨みつけているし、俺も先程までの設楽……いや、オフィウクスの格好に釈然としない物を感じている。
 そしてそんな俺達を、硝子とは違う意味で如月達……特に歌星が、釈然としない表情で睨みつけている。何と言うか、敵意はないが疑問や警戒心はあると言った感じだ。
 そりゃあまぁ、バレットメモリを使ったからなぁ。警戒されて当然だろうが。
――いや、多分こいつらが疑問視してんのはそこじゃないと思うけどな――
 呆れたようなアッシュの言葉を疑問に思うより先に。「変身」を解いた如月が、きょとんとした顔で俺と硝子を交互に見やり……そして言葉を放った。
「二人って……仲が悪いんじゃなかったのか?」
 …………
『あ』
 俺と硝子が同時に声をあげ……そしてしまったと言わんばかりに己の顔に手を当てる。
 そうだった。学園内での俺達は、「仲が悪い二人」を演じていたのに。頼ってもらえた事が嬉しくて、ついいつも通り彼女を「硝子」と呼び、彼女の方も俺をいつも通り「弓さん」と呼んでしまった。ってか、演じている時からは考えつかない程の馴れ馴れしさで肩を叩いたし……
――当然、学生から見りゃ、そこが一番の疑問だろうな――
 さもありなん、と言いたげなアッシュの声が聞こえる。
「……悪い、硝子。やっちまった」
「いえ。私もやらかしていますので……」
 互いにがくりと肩を落としながら、俺達はさっと周囲に視線を巡らせ……
「ここで話すのもアレだな……部室棟の屋上へ行こう。そこなら人も少ないし、話しやすい」
 俺の言葉に完全に賛同した訳ではないのだろうが、その辺は気付かないフリをして……俺と硝子は訝る彼らの視線を背に受けながら、屋上へ向うのだった。

「恋人同士!? 灰猫センセと彩塔ちゃんが!?」
 一通りの説明……と言っても、俺と硝子が恋人関係にある事、最近起こっている怪人騒ぎを探るように「頼まれた」事だけを軽く説明した後。
 誰よりも真っ先に……そしておおっぴらに驚いたのは、如月だった。
 他の面々も多少なりとも驚く部分があったのだろう。目を見開いて俺達二人を凝視している。
「俺がオフィウクスに気に入られているのは、赴任してからの二週間ではっきりしたからな」
「下手に被害を増やすよりは、私が囮になった方が良いかと思いまして。それで学園内では仲の悪いフリをしているんです」
「でもそれって……不安にならなかったんですか? 彩塔先生が怪我するかも知れないって」
「現に、さっき襲われたっしょ? しかも、相手は殺す気満々で」
 城島の言葉に同意するように、「遊び人」の代表格であるJKが軽く眉を顰めて言葉を紡ぐ。
 硝子が襲われた時、大文字とJKも一緒に襲われているだけに、何かしら思うところがあるのかも知れない。
 確かに、心配や不安はあった。と、言うか今もある。
 硝子がファンガイアで、その中でも特に強い力を持つ存在だと言う事は充分に理解している。しっかりしているようで相当無用心だし、更に正々堂々を好む気質のせいか自力で解決しようと奔走する上、不意を衝かれる事にも弱い事も。
 だが、そんな不安を吹っ飛ばす位、俺は彼女を……彩塔硝子を信じている。俺と共に生きると誓ってくれた、彼女の事を。
 それを口に出すと、ただの惚気のろけにしか聞こえないから言うつもりはないが。
――お前、それモノローグのつもりだろうが、オレにはばっちり聞こえてるからな――
「弓さんを残しては死にません。それに……仮に私の身に何かがあっても、弓さんなら来て下さると信じていますから」
 俺の代わりと言う訳ではないだろうが、JKの言葉には硝子自身がさらりと返す。
 ……返すのだがしかしその台詞は。
Oopsウップス! こんな時に惚気!?」
 学園の「クイーン」、風城の言う通りだ。今のは完全に惚気にしか聞こえない。
 ……いや、今までの経験上、彼女にそんなつもりがないのは知っている。知っているが、本人以外がそう思わないようでは意味がない。
 恋人としての彼女は、自然に……と言うか天然なまでにその好意を俺に示し、時折回避不可能なクリーンヒットをかましてくる。
 あー……久々に来たな、硝子の天然爆弾発言。これで嬉しいとか思っている時点で、俺も大概だと思うが。
 かあと顔が紅潮するのを感じ、掌でにやける口元を隠しながら、俺はちらりと視線を硝子に向ける。本人は風城に「惚気」と言われた事を不思議に思っているのか、きょとんとした表情を浮かべ、「惚気たつもりはないのですが」と小さく呟いていた。
 とは言え、確かに「こんな時に惚気」ている場合ではない。軽く湧いた頭の中を鎮めるべく、軽く頭を振ってから深呼吸を一つ。
 それを、律儀にも待っていてくれていたのか。今度は歌星が、冷めた声で言葉を放った。
「先生の事情はわかった。だが、これ以上ゾディアーツに関わらない方が良い」
 ゾディアーツってのは、あのオフィウクスやスコーピオン達の総称だろう。初めて聞く単語ではあるが、何となくそれは理解できる。
 硝子じゃないが、学生のゴタゴタに俺達大人が首を突っ込むのは筋違いだと思う。本来ならオフィウクスの事も、対抗手段を持つ如月達に任せるのが良いのだろうし、普段なら「ハイそうですか」と言って見捨てる所だ。
 ……が。
「今回はそうも言ってられないだろ。何しろ、図らずも俺が元凶みたいな所がある訳だし」
「それに、私に火の粉が降りかかるのは変わらないでしょう? 歌星君が何を言おうと、私は全力でそれを振り払います」
 ……いや、お前が全力で振り払うと、設楽が死ぬから。もう少し自分の腕力を自覚してくれ。
 にっこりと笑う硝子に心の中で突っ込みつつ、俺は視線を前に立つ面々に走らせる。
 俺達が関わる事に納得していない顔をしているし、事を公にされたくないと言う空気も感じられる。彼らは彼らなりに事情があって、ゾディアーツって連中と戦っているんだろう。遊び気分でやっている事でない事は、さっきの戦いでも充分理解しているつもりだ。
 何しろ、そう言う連中を間近で何度も見ているのだから。
「お前らがやっている事を誰かに言うとか、そう言う事を恐れているなら、無用の心配だ。俺達だって隠したい事は山程あるし、お前らが真剣に連中と向き合ってるってのはわかってる」
「私達が心配してるのは、誰かに知られる事とか、そんなのじゃないんです!」
「さっきやお昼の時みたいな無茶したら……本当に、命に関わるよ」
 城島と野座間が心配そうに俺らを見つめてそう言った。
 ああ、成程。彼らは俺達を「普通の人間」だと思っている。メモリとマグナム、そしてクークに渡された缶型のメカを持っている事を知っていても、生身で戦うのは危険すぎると判断しているのだろう。
 ……いやまあ確かに、何も知らずに端から見てたら心臓に悪いよな、俺と硝子のやってる事って。
 階段から落ちた人間かばって床に後頭部打ち付けるわ、怪人相手に生身で大立ち回りするわ。硝子に会って、そして最初に彼女がドーパントと戦うと言い出した時、俺は何と言った? ……無謀だ、と言ったんだ。
 恐らく彼らが抱いている思いは、まさにそれだろう。何も知らない生身の人間が、怪人に立ち向かうのはあまりにも無謀、命知らず、足手纏い。目の前で怪我をされたら、気分が悪い。
 ……と言った所か。そうなるくらいなら、最初から関わるなと言いたい気持ちもよく分る。
 ぐっと言葉に詰まった俺を見て、畳み掛けるチャンスとでも取ったのか。歌星が冷めた視線をこちらに向けたまま、溜息混じりに駄目押しの言葉を紡いだ。
「そもそも、さっきの戦いでスイッチャーが設楽だと分ったんだ。こっちから打って出れば、これ以上二人に危害が加わる事はないだろう」
 う。まあ確かに、相手の正体がわかれば、襲われる前に潰せばいい。
 まして相手は設楽だ。居場所と言えば理科室か教室か図書館、そして自宅の四箇所くらいの物だろう。そこを見張っていれば、潰すのは簡単だ。スコーピオンと言う邪魔が入る可能性は高いが、奴が常に設楽の側にいるとは限らない。
 と、正直自分でもあまり穏やかとは言い難い思考を巡らせ、どう反論しようか悩んだその時。
 おずおずと手を上げ、声をあげたのは……硝子だった。
「それなんですが、実は私、納得していないんです。オフィウクスが、設楽君である事に」
「けど彩塔ちゃん、さっきも見ただろ? 蛇ヤローがあいつだって」
「そうなんですが……」
 彼女自身、自分で言葉にしながらも困惑しているのか、眦を下げて己の見た物を言葉に乗せ続ける。
「教室で襲われかけた際、その中央には、理科部副部長の川奈瑠美さんがいたんです」
「な!? あの状況でそれを見ていたんですか!?」
「はい。仮に彼女が、爬虫類が大好きだと言う奇特な方であったとしても、あの蛇の海の中を平然と立っていられるとは思えません。ですからてっきり、オフィウクスは川奈さんだと思ったのですが……」
「だが、実際は設楽だっただろう?」
「そうなんです。それがどうにも釈然としなくて……教室での光景は、見間違いだったのでしょうか?」
 自分の考えを言葉に乗せたのは、恐らく他人の意見を聞いて、考えを纏めたいと思ったからだろう。
 今の反応から見るに、一緒にいた大文字は硝子が見たと言う川奈の姿は見ていないようだし、歌星の言う通りスコーピオンが連れて行ったオフィウクスは、間違いなく設楽だった。
 教室で襲われた状況と言うのが、どれ程のものか、正直俺にはわからない。だが、先程見た「大蛇」を構成していた蛇の数を考えれば、教室の中でどうなっていたのかはある程度予想が付く。……仮に俺の予想通りの状況であったとして。そしてその状況に遭遇したのが普通の女性なら、見間違いだと言ってやる所だ。
 だが、立っていたのが硝子なら話は別。彼女の感性は人よりも少し……いや、大分ズレた所にある。彼女が見た人物が、本当に川奈である可能性は低くはない。
「一応、確認してみます? 鞄の中にバガミールこいつ入れてたんで、映ってるかもしれないし?」
 へら、と口元に苦笑を浮かべつつ、JKが歌星に差し出したのは機械で出来たハンバーガーのような物。それを受け取ると、歌星はその中から何かスイッチのような物を取り出し、鞄型のコンピュータと接続した。
 どうやらそのハンバーガーもどき、カメラになっているらしい。映像をあのスイッチに記録していると言う事か。
 ……しかし、何故にハンバーガーの形をしている必要がある……? 持っていて自然……とも思えないしなぁ。
 それに、歌星って病弱なんじゃなかったか? そんな重そうな鞄を毎日持ち歩いているとか、実は結構体力あるとか? あるいは、実は軽い素材で出来ているのか? いやいや、だが床に置いた時の音は結構重そうだったぞ?
 とか思いつつ、俺も他の面々同様、歌星の鞄……と言うかコンピュータの画面を覗き込む。逆再生で確認しているのか、先程のオフィウクスと如月の戦闘が先ず映り、そしてしばらくの間廊下いっぱいの大きさで追ってくる「大蛇」。やがてそれが解け、教室の中へぞろぞろと入っていく。
 逆再生とは言え、その光景は何と言うか……壮観と言えば良いのだろうか。教室の床がびっしりと蛇で覆われ、それらがじっとカメラ……と言うか「こちら」を見ているのだ。
「Oops! こんな状況だったの……!?」
「め、眩暈がしそう……」
「うっ。これは……確かにちょっと引くわね」
 心底気味悪そうに言う風城と城島に、流石に野座間もこれはないと思ったのか、小さく呻いて顔を顰める。
 おまけにこの場面で画像を止めて解析している事もあってか、女子三人は一歩引いた形でモニターを見やっている。
 ……まあ、気持ちは分らんでもない。これだけの数がいたら、男女問わず普通は引く。これをナマで見た大文字とJKは、実際かなり引いた事だろう。今もちょっと青褪めた顔で引き気味だ。
 そんな「蛇の海」の中央には黒い影が一つ、棒のように真っ直ぐに立っている。光の加減で黒く映っているのか、歌星は手元のコンソールを素早く操作してそれを拡大、画像処理を施してその「影」を鮮明にしていく。
 白衣を纏った女子生徒。ニヤリと口元を歪め、獲物を狙うような視線をカメラの方へ送っている。
「うーん、確かにこれは川奈瑠美っすねー。こりゃあ確かに疑うわ」
「ですよね。見間違いでなかった事に、安心しました」
 JKの言葉に対し、硝子はほっとしたように言って画面を見つめる。
 歌星が再度コンソールに指を走らせると、一時停止状態の川奈の顔と、「オフィウクス」から設楽に戻った瞬間の画像が同時に映し出された。
 だが……やはりおかしい。思い切り、何かが足りないような……
――蛇がいねぇ――
 ん?
――蛇だよ、蛇。昼に見た時はこいつの体には蛇が絡まってたろ?――
「ああ、そうか……確かに、設楽の『オフィウクス』には、蛇がないな」
「何だって?」
 アッシュに言われ、ようやく俺はその違和感の正体を知った。と言うか、何であんなデカい差に気付かなかったよ、俺。
 無意識の内にアッシュへの返答を声に出していたらしい。歌星が不審そうにこちらを向いた。
「実は、昼にも見てるんだよ。ほら、野座間が階段から落ちた後、俺は犯人を追いかけただろ? その時に」
「ええっ! そう言う事はもっと早くに言ってくれよ、灰猫センセ!!」
「無茶言うな如月。あの時点でお前らがオフィウクスに対抗できるなんて、知ってる訳がないだろ」
「……それもそうか」
「まあとにかく。昼に見たオフィウクスには、蛇が絡みついてたんだ。左手から右足にかけて。だが、映ってるオフィウクスには付いてない」
 それに……気のせいだろうか。画面に映るオフィウクスは、蛇を「操る」事はしていてもその数を「増やす」事はしていないように見える。元の数が数だっただけに、減ったような印象は薄いが……それでも、俺がバレットメモリで蹴散らした後は確実に減っている。
 教室を埋め尽くす程の蛇を呼ぶ事が出来たんだ、減った分を補充する事くらい訳ないはず。なのに、それをしなかった。
――「しなかった」んじゃなくて、「出来なかった」んじゃないか? 昼間は、蛇呼ぶ時に体の蛇撫でてたろ、あいつ――
 ……確かに。じゃあ……
「設楽のオフィウクスは、偽者か?」
「それはない。設楽の持つアストロシンボルは、間違いなく蛇遣座……オフィウクスだ」
「即否定か歌星。……なら、昼に見た『オフィウクス』は何だったんだ? 蛇はどこに消えた?」
「昼に見たオフィウクスこそ、偽者だったと言う可能性はないのか?」
「……昼のスコーピオン曰く、『オフィウクスの邪魔はさせん』だそーだが」
 がしがしと頭を掻き毟りながら、俺は歌星の問いに素直に答える。だからこそ、俺は昼に見た奴を「オフィウクス」だと思ったし、硝子にもそう伝えた。それに、設楽が変わった姿は、蛇がないだけで、昼に見たオフィウクスとほぼ同じ。
 蛇を操れる「蛇遣座」。それは分る。だが、「操る」の範囲はどこまでだ?
 設楽のオフィウクスは、蛇の動きのみを操っている印象がある。だが、昼に出会った「オフィウクス」は動きと数を操っていた。もしもこの差が「消えた蛇」に関係しているのだとすれば、どうして「蛇」は消えた?
 オフィウクスって、マスカレイドドーパントみたいに何人もいるものなのか?
「蛇の真ん中にいた川奈さんに、オフィウクスだった設楽君、オフィウクスから消えた蛇…………蛇遣座?」
 分らず、うんうんと唸る俺の横で、硝子も何かを考えているらしい。小さくブツブツと色々と呟き……
 だが、唐突に何かに思い至ったのか。彼女ははっとしたように顔を上げると、俺をはじめ、周囲の面々の顔を覗き込んで鋭い声を放った。
「どうやら、私は……いえ、私達は大きな勘違いをしていたようです」
「どう言う事だ、彩塔ちゃん?」
「『オフィウクス』は本来、二人一組なのではないでしょうか。消えた『蛇』もそれで説明が付きます」
 二人一組? 消えた蛇?
 ……つまり、硝子が言いたいのは……
「『蛇使い』である人間部分と、『蛇』は別の人間、別のゾディアーツって事か?」
「はい。その可能性は高いかと」
 真剣な表情で硝子が頷くのだが、俺にはまだよくわからない。
 大文字や風城、JK、野座間、そして如月も同じらしい。不思議そうに首を傾げ、硝子の顔を見つめている。
 そして、今挙げなかった二人……城島と歌星には、硝子の言葉の意味を理解出来たのだろう。城島はぽんと手を打ち、歌星もはっとしたように息を呑んだ。
「あ、そっか! 『オフィウクス』と『セルペンス』!」
「そうか……それなら確かに、先生達の持つ違和感に説明が付く」
「ちょ、ちょっと待て、賢吾。俺にもわかるように説明してくれって!」
 このままでは置いてけぼりを喰らいそうな俺達を代表して、如月が流れを断ち切るように言葉を放つ。
 世の中、星座に強い人間ばかりじゃないんだぞ。俺が知っているのはせいぜい星占いに出てくる星座程度で、それだって名前くらいだ。形? んなもん知るか。
「……『蛇遣座』は、かつては全天一の大きさを誇る星座でした。しかしその大きさ故に、天文学者であるクラウディオス・プトレマイオスによってその身を分けられたんです」
「『トレミーの四十八星座』で言う蛇遣座オフィウクス蛇座セルペンスの二つにな。だが、蛇座は蛇遣座によって頭と尾に分断されている形をとっている事から、今でもこの二つをあわせて『蛇遣座』と呼ぶ事が多い」
 モニターに「蛇遣座」と「蛇座」の図を出しながら、歌星は硝子の補足をするように説明を続けた。
 星だけで描かれる図に星座絵を重ねられると、「二つを合わせる」と言った理由も理解出来る。確かに「蛇遣座」と呼ばれるおっさんの体が、「蛇座」の蛇をぶっつりと分断している。
 ……ってか、何故分けたプトレマイオス。分ける必要あるか、これ?
 と思わなくもないが、それで既に国際基準と化しているのだから、今更文句を言っても仕方がない。
 しかしそれで考えるとすると、だ。スコーピオンの言っていた「オフィウクス」とは、人間部分である「蛇遣座」の設楽と、蛇である「蛇座」の「誰か」。そしてこの場合、「誰か」なんて曖昧な表現は不要なはずだ。何故なら、硝子を襲った「蛇」を呼んだのは……
「川奈瑠美。おそらく奴が、『セルペンス』のスイッチャーだ」
 歌星が鋭く言った瞬間。俺の耳に、こちらに向かって来る足音が二つ届いた。
 直後に感じたのは、纏わりつくような悪意。感覚としては、硝子と出会ってすぐくらいに対峙した天候を操るドーパントの醸し出す気配に似ている。……まあ、あの時の相手に比べれば、今感じられる悪意など随分と可愛いと言えるだろうが。
 とはいえ、危機感を煽るには十分な気配だ。即座に俺は扉の方へ一歩近付き、後ろにいる生徒達が前に出ないよう、右腕を横に出して制止を促す。
 恐らく、硝子も同じ気配を察知したのだろう。すっと目を細めて臨戦態勢を整えると、俺と左右対称になるような形で左腕を横に突き出して俺の右に立った。
「先生? どうかしたんですか?」
「来るぞ」
「来ます」
 大文字の訝る声に、俺と硝子の短い答えが重なる。
 ただ、それだけで理解できるとは思っていない。こう言う感覚は勘に近い物だ。こいつらがどれだけ戦いに慣れているのかは知らないが、正直こんな悪意や敵意に反応出来るとは思えないし、反応出来る程慣れて欲しくもない。
 ……そんな物に慣れるのは、俺や硝子みたいな特異な存在だけで充分だ。
 ある程度、後ろにいる連中にもこちらの緊張が伝わったらしい。彼らもまた、扉の向こうへ警戒するような気配を示し、動かずじっとしてくれている。
 さて、鬼が出るか蛇が出るか。
――九割方「蛇」だろうけどな――
 残りの一割でスコーピオンって名の「鬼」も一緒ってか?
 アッシュの声に心の中で返したのと、屋上の扉が開いたのはほぼ同時。見えた姿は、やはりと言うべきか何と言うか……設楽明草と川奈瑠美の二人だ。
 左右対称の格好で如月達の前に立っている俺と硝子の姿に驚いているのか、彼らはそれを見るなり一瞬だけぎょっとしたような表情を浮かべ……しかしすぐに敵意と殺意の混じった視線を、俺以外の面々……特に硝子に向けた。
 その視線に硝子も軽く苦笑を浮かべ……
「こんな所まで追いかけてくるなんて。慕われていますね、『灰猫先生』」
「ははっ。嫉妬ですか、『彩塔先生』? 俺には先生の方が想われているように見えますが」
「好意的とは取れませんが」
 「仲の悪い二人」の口調で言葉をかけつつも、俺も硝子も……そして後ろの面々も、彼らへじっと視線を向け、様子を窺う。
 いつもはごく普通の生徒だ。熱心に化学を学ぼうとするし、理科部に属しているだけあって生物関係にも興味を持っているらしく、生物学の本にも造詣が深い。特に「命」に関して、並々ならぬ関心を示している。
 ただ、自分が慕う相手以外には攻撃的な一面を持っている事も知っている。少なくとも、俺と敵対している「彩塔先生」の事は確実に冷めた目で見ていたし、彼女の周囲にいた生徒にも同じような視線を送っていた。
 ……が。今はその時とは比にならない程の冷たい視線をこちらに向けている。例えて言うなら、威嚇する蛇か。気のせいだろうが、シュウシュウと蛇の威嚇する「声」も聞こえる気がする。
「……灰猫先生、何故そんなトラシュ達と一緒にいるんですか?」
「……灰猫先生、何故そんな嫌味な教師と一緒にいるんですか?」
「補講の時間でしょう?」
「設楽君の言う通りです。時間が勿体ない」
 瞬きをせず、ただじっと俺を見ながら、設楽と川奈は軽く首を傾げて問う。
 だが、その声に答えを求めている気配はない。俺をどこかへ連れて行きたい、俺を他人に引き合わせたくない……そんな感情が透けて見えた。
「今日の補講はなしだ。昨日言わなかったかな?」
「……それは、彼らと話す時間を取る為の措置だと思うかい、川奈君」
「そうだと思うわ、設楽君。私達よりも彼らを優先させるつもりなのよ」
「それは酷いな」
「ええ酷いわ」
 俺の言葉に、彼らはようやく視線を外すと、今度は互いを見つめ合うようにして言葉を紡ぐ。
 俯きがちになっているせいで分り難いが、その目には剣呑な光が宿っているのが見える。その事に気付いたのか、硝子の瞳にも一瞬だけではあるが、剣呑な光が宿る。設楽と川奈の場合は「物の例え」で済むが、硝子の場合本当に瞳の色が変わる。ファンガイアの特徴とも言える、虹色に。
 だが、設楽達はその一瞬の変化には気付けなかったのだろう。驚く程よく似た笑みを浮かべると、彼らはじっとこちらを見つめ……
「僕達は灰猫先生を信じていたのに」
「灰猫先生は、私達を導いてくれると思ったのに」
「……それは君達の勘違いだ。俺はそんなに良い奴じゃない」
 他人を導ける程、悟りきっていない。俺は自分の事で手一杯だし、その俺の邪魔をするなら容赦なく叩き潰す。他人より少しだけ奇異な人生を送り、他人より少しだけ闇を見る機会が多いと言うだけ。
 闇に引きずり込むような事は出来ても、光に導くような真似は、絶対に出来ない。そう言う意味では、やはり俺は教師には向いていない。
 俺の言葉に何を思ったのだろう。その顔からすぅっと表情を消し、不気味な程同じ顔つきで俺達を一瞥すると、これまた不気味な程同時に軽く頷いた。
「そうか」
「残念だわ」
 言葉と同時に、彼らがブレザーのポケットから取り出したのは、何かのスイッチ。色は銀、白いドーム型の天頂には、赤いボタンが一つ。それに親指をかけ、いつでも押せるような体勢を取っている。
 恐らくアレが、クークが言っていた「アストロスイッチ」。それもガイアメモリ同様、財団Xによる何らかの細工済みなのか、かつて風都に蔓延していたメモリと同じ質の「悪意」を感じる。
「蛇は脱皮を繰り返す」
「蛇は死と再生を意味する」
「何でだろうね川奈君。先生からは同じ気配がしたんだよ」
「何ででしょうね設楽君。先生からは死と再生の臭いを感じたのに」
――こいつら、本能的にお前の持つオルフェノクとしての力を嗅ぎ分けたって事か?――
「死と再生の気配、か。……だから、俺に惹かれたってか?」
「そう。先生なら、分ってくれると思っていた」
「先生なら、その素晴らしさを理解してくれると思っていた」
「大切なヒトを失うのは辛い」
「それを知るヒトの目だったから」
 陶酔しきった声で言う二人を、後ろの面々は薄ら寒そうな視線で迎え撃ち、隣に立つ硝子は頭痛を堪えるように眉を顰め、そして俺自身は……無意識の内に、嫌悪の篭った視線で見やった。
 「死と再生」は「使徒再生」。オルフェノクは一度死んで再生した存在であり、また「殺した相手をオルフェノクとして再生させる」事も可能な存在。特にこの俺……タイガーオルフェノクには、亡骸さえ残っていれば、オルフェノクを完全に蘇らせる力も宿っていると聞く。
 その力を感じ取ったからなのかは不明だが、少なからず俺からも「死」の気配を感じ取ったという事だろう。だから、彼らは無意識の内に惹かれた。
『それなのに、裏切るなんて』
 二人の中では、俺が硝子や如月達とつるんでいる事が「裏切り」に当たるのだろう。
 相変わらず瞬きをしない目でギロリと俺を睨み付け、同時にそう言葉を吐き出した瞬間。
『Last One』
 地を這うような低い音声が響く。直後、彼らが持っていたスイッチの形状が変化した。
 それまではプラネタリウムを連想させる色と形をしていたそれは、まるで充血した眼球のような色に染まり、天頂にあったスイッチもやや斜め……地球の自転軸と同じくらいの角度に移動。更に装置その物には棘が生え、見た目にグロい。
 それはまるで、スイッチに宿る「悪意」が強くなったかのような変化。同時にそれに呼応するように、二人の身からも悪意が強まるような気がした。
 本能的に、そのスイッチを押させてはいけないと認識し、それを奪うべく足を踏み出す。硝子も同じ事を感じたらしい。俺と同時に前へその足を踏み出して手を伸ばす。
 だが。俺達の手が、相手に触れる寸前。スイッチはかちりと小さな音を鳴らして押下され、設楽と川奈の体を取り巻くように、ぶわりと闇が広がった。
 その一瞬で浮かび上がる、蛇遣座と蛇座の星の並び。二つに分断されていたはずのそれは、ゆっくりと重なって、プトレマイオスに分断される「前」の「蛇遣座」へ変化。取り巻いていた闇が引き、そこには昼に見たのと同じ「蛇を巻きつけた男オフィウクス」が立っている。
 更に、それから排出されたかのような形で、薄い繭に包まれた設楽と川奈が、ゆっくりと倒れんだ。
「おっと!」
「危ない」
 俺が設楽を、そして硝子が川奈の体を支え、何とか床に思い切り衝突、と言う状況は防いだ物の、オフィウクスはそれをフンと鼻で笑い飛ばし……
『そんな体、もう必要ないのに』
『私達は、人間に戻る必要なくなったのに』
 人と蛇、両方からそんな言葉が聞こえ、俺はギロリと相手を睨みつける。が、相手は俺をただの人間と認識しているからだろうか。別段恐れた風でもなく肩で笑う。
 人でなくなる事の恐怖を、まるで理解していない。それどころか、今の力を楽しんでいる。その証拠に、オフィウクスの蛇……セルペンスは、ギラリと目を赤く光らせてこの場に蛇を呼び出し、オフィウクスはそれに向かって、俺達を取り囲むよう指示を出す。
 どこから湧いてくるのかは知らないが、わらわらと群がる蛇に嫌悪を示す如月達。それを見て、オフィウクスとセルペンスはくつくつと喉の奥で笑い、冷たい声を放った。
『神話におけるオフィウクスは、死者をも蘇らせた。……実験させてもらうわ。あなた達の亡骸で』
『だから……蛇に噛まれて死んでくれ』
 それと同時に、蛇が一斉に俺達に向って飛び掛る。大きく口を開け、こちらを丸呑みにしようと。逃げ場はない。俺と硝子だけなら何とか突破できるだろうが、俺達の後ろには如月達がいるし、何より設楽と川奈の体もある。彼らが無傷でかわす事は、恐らく不可能。ならば……
――迎え撃つしかないよなぁ?――
――Bullet. Upgrade――
 アッシュの声には答えず、俺は持っている「弾丸の記憶」にガイアメモリ強化アダプターを取り付ける。いつものバレットは、引鉄を一回引く事で六発の弾丸型のエネルギー弾を撃ち出す事が可能だが、強化されたバレットは、一回で十五発の射撃を可能にする。
 強化したバレットを専用のマグナムへと装填し、俺は数回引鉄を引く。引く度にいつもよりも大きな反動を腕に感じながらも、黙々と引鉄を引き続け……数秒後には蛇の亡骸が、山となって転がっていた。
 そして……自分でも殺気立っていると感じられる程剣呑な声で、彼らに向って言葉を放つ。
「…………お前らの『死ね』は軽いんだよ」
 と。
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