臨時講師は虎と獅子

【邂・逅・困・惑】

「サソリ、ですか?」
「ああ。それが『蛇使い』……『オフィウクス』とか呼ばれてたそいつを援護していた」
 六時限目が終わり、生徒や教師達がホームルームをおこなっている頃、私は弓さんに呼び出されて部室棟の屋上に来ていた。
 ここは基本、生徒の立ち入りは禁止されているので、校内での情報交換には主にこの場を使っている。
 ここなら殆ど人は来ないので、誰かが近付いてくれば足音で分り、対決モードに切り替える余裕が生まれるからだ。
 それはさて置き。弓さんが昼休みに「敵」と対峙したと言う事実を聞きながら、私はすっと目を細めた。
「オフィウクス……それが今回の下手人と考えるべきでしょうか?」
「十中八九、そうと見て間違いないだろうな」
 オフィウクスとは蛇遣座。成程、確かにそれならば蛇がわらわらと襲ってきたのも頷ける。
 蛇を怖いとは思わないが、いきなり頭上から降ってくるとかは勘弁して欲しい。その程度で失神する程か細い神経は生憎と持ち合わせてはいないが、頭に蛇を乗せて歩くなど……ファンガイアの怨敵、レジェンドルガ族であるメデューサじゃあるまいし、勘弁して欲しい。
 まあ、私の事はさて置くとしても。その矛先を向けられた別の人達は、確かにひとたまりもないだろう。生理的な嫌悪感を抱くだろうし、場合によっては噛まれてパニックを起こす。毒蛇だった場合は、悪戯では済まされない事にだって発展する。
「問題は三つ。オフィウクスって奴の正体と、奴の狙いを固定させる事。あとはそいつを手助けするサソリをどうするかだ」
 話を聞いている限り、オフィウクス自体は然程強くないらしい。しかし、それを助けたサソリに関して、弓さんは「嫌な感じがした」と言う。
 彼の矢を全て弾き、手から光線とか出す時点で、厄介な相手だという事は分る。
 今回の一件を片付ける為には、そのサソリの足止めをし、その上でオフィウクスを止める必要がある。
 止め方はよく分らないが、クーク曰く「その辺はドーパントと同じ」との事。つまりドーパントでいうガイアメモリに相当する物を破壊すれば良いのだろう。
 とは言え、弓さんの言う通りオフィウクスの正体が分らない以上、こちらから行動に出る事は難しい。その為にも相手の狙いを「私」に固定しなければならない。という事はつまり……
「……今まで以上に警戒しつつ、弓さんとはおおっぴらに喧嘩しないといけない訳ですね」
「喧嘩と言うか、嫌味の応酬だな。……好きな女を罵るのは、精神衛生上よろしくないんだけどなぁ」
 言いながら、彼は心底困ったように笑う。
 多分、言葉通り「彩塔先生」とのやり取りは、「弓さん」にとっては疲れるのだろう。彼は基本的に、他人を貶めるような言葉を好まない。
 私も、好ましいと感じている人物を貶すのは心苦しい。相手が、愛しい人ならなおの事。
「硝子、一応言っておくが……頼むから、俺の事頼ってくれよ?」
「はい?」
「オフィウクスが現れた時だよ。お前はさ、相手が何者であれ、一人でどうにかしようと無茶するだろ? それが心臓に悪いんだ」
 ぎゅっと自身の心臓を掴み、弓さんは本当に苦しそうな笑みを浮かべてそう言った。
 こういう表情をするときは、本当に心配している時だと知っている。そして……私も同じように思っている事に気付いていない時にする表情である事も。
 同じ台詞を、そっくりそのまま返したい。私だって、弓さんに頼って欲しいし無茶をして欲しくない。
 昼休みの一件だって、オフィウクスを追う前に、私の事を呼んで欲しかったというのが本音。
 だからこそ……私はにこりと、「演じていない笑み」と言葉を返した。
「わかりました。何かあれば、極力弓さんに頼ります」
 …………そう返しても、彼は納得できていない様子ではあったが。

 屋上で弓さんと別れ、棟内をうろうろとしていると、一箇所どうしても気になる場所があった。
 使われていない廃部室。中にあるのは古びたロッカーや、積み上げられたダンボールなどの所謂ガラクタが所狭しと並んでいる。
 にも拘らず、どういう訳かこの部屋はやたらと綺麗だ。蛍光灯はきちんと点くし、埃も然程溜まっていない。恐らく、何者かがここをよく利用しているのだろう。
 ……ひょっとすると、オフィウクス達「アストロなんとか」を使っている者達が隠れ家的に使っているとか? となれば、隠れやすいのは……
 考えながら周囲を見回すと、ふとどこからか人の気配がした。敵意は感じないが、間違いない。この部屋には、私以外に誰かがいる。
 まさか、本当にオフィウクスがいるとか!?
 警戒しながらも、私はその気配の出所を辿ろうと意識を集中させる。しかし、感じられる気配は一人じゃない。四……いや五人。まさか、そんなに沢山の人間がこの部屋の中に隠れて……? 同時に襲われた場合、厄介な事になりそうな……
 一瞬、先程弓さんに言われた「俺を頼れ」と言う台詞が脳内で蘇る。だが、ここでこの場を離れて、折角の手がかりを失うのも痛手だ。
 すぅっと目を細め、気配のある場所を探し……やがて私の目は、入り口付近のロッカーで止まった。
 人が一人隠れるには充分な大きさだが、そこに五人もの人間が入るとは思えない。気のせいだと思いたいが、気配はそのロッカーからしている。
 開けてみて、五人が某雑技団よろしく、ぎゅうぎゅうと詰まっていたらどうしよう。それはそれで怖いかもしれない。
 などと馬鹿な事を思いながらも、ごくりと息を飲み、私は恐る恐るロッカーの扉に手を伸ばし……
「彩塔先生」
「は、ひゃいっ!?」
 唐突に背後から声をかけられ、集中していた意識が途切れる。むしろ集中しすぎていたせいで、背後に生まれた気配に気付けなかったのは失態だろう。
 上擦った声を出しながら振り返った先には、大柄な男子生徒が爽やかに見える笑みを浮かべて立っていた。
 大柄とは言ったが、粗野な印象はない。二重瞼に整った顔立ち、制服であるブレザーではなく、赤を貴重とした学園のスタジャンを纏っているのは、彼がこの学園が誇るアメフト部に属しているからだ。
 確か、彼は学園の「キング」と呼ばれていたか。
「こんにちは。えーっと……一文字君、でしたっけ?」
「……大文字です。大文字 隼。『一』じゃありませんよ。ところで、質問があるんですが」
 きゅぴぃん。
 軽い敬礼のようなポーズと同時にウィンクを送るという、やる者がやったら気障キザ以外何者でもない仕草と同時に、変な幻聴が合わさって聞こえる。
 しかしそうか、大文字君だったか。何故私は「一」だと思い込んだのか、ちょっとよく分らない。別に知り合いに一文字と言う人物もいないのに。
 そんな彼の影からもう一人、彼の背後にいるには少々似つかわしくない青年がひょいと顔を出した。
 明るい茶に染め、軽くウェーブをかけた髪、ブレザーの下に着た色鮮やかなジャケット。遊び人、チャラ男などという表現がよく似合いそうな子。
「俺も俺もっ。俺も、質問があるんですけどォ~」
「えーっと、あなたは一年の……」
「俺の事はJKジェイクって呼んで下さ~い」
 しゅっと左手で「J」、右手で「K」を作り、それをクロスさせたポーズで言いながら、こちらはどこか裏のありそうな笑みを浮かべて言う。
 じんなんとかという苗字の子ではなかったかと思わなくもないが、大文字君の件もある。今の私の記憶力はあてにならないので黙っておく。
 しかし愛称で通そうとするとは……最近の子はよく分らない。いや、「真名」を名乗らぬ私が言えた義理ではないのだが。
「……すみません、まだ全校生徒の名を覚えきれていないので」
「赴任して一週間じゃ、仕方ありませんよ」
「俺もまだまだ覚えてない奴多いし」
 愛想笑いを浮かべて言う私に、二人の青年は爽やかに……そしてかなり胡散臭い笑いながら言うと、大文字君がするりと私とロッカーの間に入り込み、そしてJK君は私の手を取ってぐいぐいと廊下へ向けて腕を引く。
 ……どうやらこの二人、私をこの部屋から引き離したいらしい。自然を装っているが、私に言わせればかなり不自然な動きだ。
 まさか、彼らはオフィウクスの仲間?
 そんな考えが脳裏を掠めるが、それも何か違和感を覚える。もしも本当にオフィウクスの仲間だと言うのなら、そんなまどろっこしい事はせず、さっさと蛇を使って私を襲えば良いだけの事。
 目の前の二人が本気で質問をしたがっているとは思えないが、少なくとも私に対する敵意はない。ただ純粋に、この場に私がいる事に対して「困っている」だけだ。
 ひょっとすると、女性に見られては恥ずかしい物とかかもしれない。人の気配も、ひょっとすると隠れてこっそりエアバンドの練習とか、隠れてこっそりジャグリングとか、隠れてこっそりグラビア写真を見ていたとか、そういう青年達の集まりと言う可能性もある。
「……わかりました、今行きますから引っ張らないで下さい」
 そう言った瞬間、彼らの顔に安堵の色が広がるのが見えた。
 と、言う事は、やはりあのロッカーの中には見られては困る物が? 同じ男性である弓さん相手なら見せたのだろうか?
 などと思いつつも、私はJK君に引き摺られ、更には大文字君に押されるままに教室の前まで到着し……
 刹那、ざわりと全身総毛立つような感覚に囚われ、教室の扉を開けようとするJK君と、後ろで肩を押す大文字君の腕を半ば反射的に掴んで半歩下がると、教室から引き剥がすように彼らの体を勢いよく引いた。
「なっ!?」
「わっ!」
 思わず本気で引いてしまったので、彼らの体がぐらりと傾ぐ。彼らも引っ張られるとは思っていなかったらしい。驚いたような悲鳴をあげ、よろめきながら非難と困惑の混じった視線をこちらに送る。
 だが次の瞬間。彼らが開けるはずだった教室の戸が勝手に開き、そこから数多あまた……と言う表現では生温い事この上ない数の蛇が、こちらに向かってずるりと這い出したのだ。
 それを見るや、JK君の頬はひくりと引き攣り、大文字君の柳眉が歪む。かく言う私も、予想していたとは言え流石にこの数はドン引く。
 教室の床は一面蛇、蛇、蛇。白いはずの床本来の色は見えず、毒々しいまでの斑模様に変わっており、それがうぞうぞと蠢いている。もしもこの場に「普通の女子生徒」がいたら悲鳴をあげ、失神していた事だろう。男女問わず確実にトラウマになる光景だし、これが原因で登校拒否になったとしても、私は責めない。
「うええぁぁぁぁぁ!?」
「な、何だこの蛇は!?」
 弓さんのげんが正しければ、おそらくこれはオフィウクスの仕業。ならば狙いは恐らく「臨時講師・彩塔硝子」。その私が離れれば、二人が被害に逢う事はない……と、思いたかったのだが、どうも世の中そう上手くは回っていないらしい。教室の床を埋め尽くす程の数の蛇を、オフィウクスは操りきれていないのか、それとも彼らをも敵と判断しているのか、一部の蛇は大文字君とJK君を捕食者の目で見つめている。
 ここで私だけが逃げても、確実に二人は噛まれるだろう。それはまずい。
 二人と共に後退りながら教室の中に視線を向ける。床一面を蛇で埋めつくされている教室の中、こちらに向けてニヤリと奇妙な笑みを浮かべて立っている、白衣を着た女子生徒の姿を見止めた。
 あれは、理科部の副部長、川奈瑠美? では、彼女がオフィウクス!?
 その考えに到り、私はキッと相手を睨む。しかし彼女は私のその目を「虚勢」と取ったらしい。口の端を更に吊り上げると、真っ直ぐに私を指し示して何事か呟いた。唇の動きから察するに、「やっちゃえ」だろうか。
 そうだと悟った瞬間、蛇達は一斉にこちらを向き、統率の取れた動きでこちらに向かって這い出してきたのだ。
「こちらです。付いてきて下さい」
 本能的に危険を察知し、くるりと踵を返して私はそう言うと、まだ少し呆然と蛇を見つめる青年二人の腕を引いて引き摺る。
 付いて来い、とは口先だけだ。「天高のキング」たる大文字君には悪いが、膝が笑っている彼らが自力で逃げ切れるとは思えない。年頃の青年二人は多少重いが、こちらが引いた方が絶対に早い。足を動かしてはくれているが、腕を離して引き摺るのをやめれば、恐らく彼らは追いつかれ、蛇の餌食となるだろう。
 ちらりと後ろを見れば、教室から這い出した蛇が群れとなってこちらを追いかけて来ている。一種の群体とでも言うべきか、一匹一匹は小さいのに、今はアナコンダもビックリの巨大蛇に見えるから恐ろしい。
 爬虫類は嫌いではないが、流石にこれは夢に出そうだ。私ですらこう思うのだから、引き摺られている二人の青年に関しては推して知るべし。顔を真っ青にしながらも、ようやく自力で私と並走してくれる。
 とにかく、この蛇を外に出さねば学校中がパニックになる。かと言って、普通に昇降口から出ては、やはり一般生徒の目に触れてパニックになる事必至。
「大文字君、JK君。非常階段で逃げます。……お付き合い下さいますか?」
「ほ、他に逃げ場なんかないっしょ!?」
「……わかりました」
 こくりと頷きながら、彼らは既に自力で走りながら、それぞれに言葉を返してくれる。
 とは言え、この状況。一人でどうこう出来るとは、流石に私も思っていない。ポケットの中からクークに渡された、ジュースの缶に似た「それ」を一つ取り出すと、プルタブに当たる部分を起こす。
 それが起動の合図になったのか、後は何もしなくてもその缶は鷹の形に変形し……
「弓さんを連れてきて下さい。お願いします」
 短く言うと、その鷹は小さく「タカ」と鳴くと、近くの窓から外に飛び出しどこかへと飛んでいく。多分、どこかにいる弓さんを呼びに行ってくれたのだろう。
 一方でこちらは近くの非常扉を開け、JK君、大文字君、そして私の順で階段を降りる。廊下が狭くて動き難いのか、蛇達は大分後方にいる為、今のところ追いつかれる気配はないが……油断は出来ない。
 大文字君はこの並びに不満そうだったが、文句を言っている暇がない事は重々承知の上なのだろう。黙って下まで降りてくれた。
「こ、ここまで逃げれば……もう大丈夫っしょ?」
「ああ、そうだと良いが……」
 ぜぇぜぇと息を切らせて言うJK君に、大文字君も額の汗を軽く拭いながら答えを返す。
 だが、世の中そんなに甘い訳がない。開けっ放しにしておいた非常扉の向こうで、微かに……だが、確実に、ずりずりと何かが這うような音がしているのだから。
「……二人共、そこにいると落ちてきますよ」
「落ちて来るって……」
「まさか……」
 ずるり。ずる……ずるおぉっ。
 悪寒を覚えるには充分な音が、彼らにも聞こえたのだろう。微かに引き攣った顔で二人は非常扉の方を見上げ……そして、私の言う「落ちてくる」の意味を理解したらしい。
 大文字君はぎょっと目を見開き、JK君に到ってはひっと小さく息を呑んで慌ててその場から離れるように再び走る。
 それもそのはず、蛇の塊は追ってきた勢いそのまま、非常扉からその「顔」を出し、地上に向って躊躇なくダイブして来ているのだから。
 ……トラウマになる光景、第二弾。
 今朝方降って来た蛇の数など可愛いとさえ思える程の「蛇の雨」。それが、つい先程まで私達がいた場所に、どさどさと音を立てて降っているのだ。
 しかも地面に落ちた蛇達はすぐさま体勢を立て直すと、再度こちらに視線を向けてゆっくりと這って来る。恐らく、「獲物」である私達をいたぶる為に。
「これはまた……随分と壮絶な光景ですね」
「そ、そんな呑気な事言ってる場合じゃないっしょ、先生!」
「ああ、早くここから……」
『逃がさない』
 逃げるべきだと、大文字君が言うよりも先に。蛇の後ろに佇む存在が、言葉を遮りこちらを見つめた。
 現れたのは妙に蒼白い顔の男性……に似た異形。異形と称したのは、全身にある球状の飾り以外が蒼白く染まっており、瞳はどこか爬虫類を連想させる形をしているからだ。勿論、瞬きもしなければ唇も動かない。体には将棋の駒に似た形に飾りが配置されており、足にも一つずつ同じような飾りが施されている。
 恐らく、この異形が「オフィウクス」と呼ばれる存在なのだろうが……何だろう、弓さんに聞いていた話と少し違う気がする。
『貴様達の存在は目障りだ。……ここで消えろ』
 覚える違和感の正体が掴めぬまま、オフィウクスの号令の下、無数の蛇達は再び固まって一匹の巨大な蛇と化す。そしてその巨大な口を開くと、私を……と言うか私達を飲み下すべくその身をくねらせ、一息に距離を詰めにかかる。
 だが、こちらとしても消えてやるつもりはない。握り締めた拳に、力と殺気を思いきり込めた、その瞬間。
「させるかぁぁぁぁぁっ!」
 視界の端に、この学校の制服とは異なる黒の短ランが映った。しかも、その服の持ち主はこちらに向って全力疾走。私の両脇で緊張の面持ちだった二人の青年も、その人物の登場に安堵したのか、張り詰めていた何かが緩んだのを感じる。
 ……駆けて来る彼は、二年の如月弦太朗君と言っただろうか。腰には不思議な形のベルトを提げ、それを順に弄り……
『Three』
『Two』
『One』
「変身!」
 カウントダウンの後の宣言。そしてその直後、不可思議な音と共に、彼の姿が変わった。
 白地に黒の模様。限りなく赤に近いオレンジの複眼。デザインはスペースシャトルだろうか。尖った頭部は、普段如月君のトレードマークであるリーゼントをどこか髣髴とさせる。
 おまけに「変身」の勢いで生まれた突風に煽られる形で「大蛇」はほどけ、オフィウクスの足元でただの蛇の群れへと戻る。
「弦太朗!」
「弦太朗サン!!」
 大文字君もJK君も驚かない所を見ると、どうやら彼がこの姿に変身する事を知っていたのだろう。安堵の混じった声で彼の名を呼び、呼ばれた方は両手両足を大きく伸ばし……
「宇宙、キターっ!」
 と言葉を放つ。
 ……えーっとつまり?
 如月君は、風都でいう「黒緑ダブル」や「加速アクセル」と同じような存在であると考えれば良いのだろうか?
 拳を解き、呆然と見つめる私などお構いなしと言いたげに、私達とオフィウクスの間に入った彼は、すっと拳をオフィウクスに向って突き出す。
「仮面ライダーフォーゼ。タイマン張らせてもらうぜ」
 一対一タイマンとは、今時の子にしてはまた古風な。いや、その姿勢は好感が持てるが。
 いつの間に側に寄ったのだろうか。半ば呆然とその様子を見つめる私の前に、四人の男女が姿を現し、ぐいぐいと校舎の影に押し込んでいく。
「先生、こっち!」
「体に蛇遣座のアストロシンボル。……オフィウクスか」
「城島さんに、歌星君? それに、風城さんに、野座間さんも?」
 訝るこちらの声は聞いていないのか、彼らは慣れた様子で何やらその場で鞄……に見せかけた解析ツールらしいそれを広げ、じっと相手を観察している。
 いつの間にかJK君も、その輪に加わり、何やら茶色っぽい物を構えて如月君とオフィウクスの戦いを記録していた。大文字君の姿が見えないが、逃げた……という雰囲気でもない。どちらかと言えばJK君の方が真っ先に逃げるタイプに見える。
「彩塔先生、今のうちに逃げて下さい」
 戦いを眺める私にそう言ったのは、学園の「クイーン」、三年の風城 美羽さん。所謂女子生徒の中のトップだ。元はチアリーディング部に所属していたらしいのだが、最近はそちらには顔を出さず、彼らとつるんでいるという話は聞いている。
 聞いてはいるが……まさか、こんな事に積極的に参加するようなお転婆さんとは思わなかった。「クイーン」の称号を持つ者は、得てしてこんな風にお転婆さんなのだろうか。我々ファンガイアの「クイーン」である「もう一人の同居人」でもある少女の事を思い浮かべながら、少々失礼な事を思ってしまう。
 しかし逃げろ、と言われても……私は年長者だし、何よりも「先生」だ。彼らを守る義務がある。
「心配、ありがとうございます風城さん。ですが、逃げません。生徒を守るのが教師の義務しごとですから」
「馬鹿な! 相手はゾディアーツだぞ。そんな事を言ってる場合か!?」
 こちらの言葉に、歌星君が苛立ったような声を返す。
 まあ、気持ちは分らなくもない。私が彼らの立場なら同じ事を言うだろうし、今までの人生でも何度か同じような会話をした事がある。……主に弓さんに怒られる形で。
 しかしこれも生まれつきの性分なのだ。生徒同士の一対一の勝負に手を出すつもりはないが、聞いた話ではまだ「サソリ」の存在が残っている。
 と思っている間に、蠢いていたはずの蛇はその数を減らし、如月君……彼曰く「フォーゼ」なる存在は左足のガトリングガンでオフィウクスを追い詰めていた。そしてベルトの一番右端のスイッチを何やら操作すると、虚空から現れたオレンジ色のロケットが彼の右腕に装着され、その推進力で思い切りオフィウクスに突っ込んでいく。
 そのまま極まれば、ドーパントで言う「メモリブレイク」になるであろう一撃。しかし、現実はそう甘くないらしい。オフィウクスとフォーゼの間に、一つの影が舞い降りたのだ。
「スコーピオン!」
「げっ!」
 歌星君の緊迫した声と、如月君の嫌そうな声が重なる。
 スコーピオン、蠍座。降り立った影こそ、弓さんの言っていた「サソリ」らしい。そいつは止まれない程の勢いで突っ込んできたフォーゼの体を捕えると、そのまま彼の軌道をオフィウクスから反らし、近くの木に激突させる。
 更にスコーピオンは体勢を立て直そうとするフォーゼに向って追い討ちをかけるかのように駆け寄ってその足を振り上げた。
 だが、今度はスコーピオンとフォーゼの間に、黄色い……大型のパワードスーツらしき物が立ち塞がり、その蹴りを止めると強引に相手の足を振り払う。
「サンキュー、隼!」
 そのパワードスーツに、フォーゼが言う。それに対してパワードスーツの方は、きゅぴぃんと言う効果音が聞こえそうな、敬礼に似た仕草で返す。
 あの仕草やフォーゼが「隼」と呼んでいた事から、操縦者は大文字君のようだ。動きにもその片鱗が見える。成程、道理で姿が見えなくなっていた訳だ。
 察するに大文字君はフォーゼの戦闘の助力をしていると言う事か。そして歌星君が作戦参謀、JK君と野座間さんは情報収集と言ったところか。風城さんと城島さんの役割はよく分らないが……応援?
 とにかく、これでオフィウクスに対して有利になったはず……と思った瞬間。私はその認識が甘かった事を痛感した。何故ならオフィウクスの連れていた蛇が再び寄り集まり、先程よりやや小振りな「大蛇」と化し、大文字君が操るパワードスーツを拘束したのだから。
「しまった! くっ、操縦が利かない」
『ふふふ。油断したな、学園のキング』
『邪魔をしないで貰おう』
 せせら笑うようなオフィウクスの声と、淡々と述べられるスコーピオンの声が響く。
 ギシリ、と蛇に締められて軋む大文字君のパワードスーツ。そしてスコーピオンに踵を向けられたフォーゼ……否、如月君。
「如月!」
「ゲンちゃん! 大文字先輩!」
「隼!」
 こちら側にいる彼らの悲鳴じみた声に顔をあげ、私は反射的に駆け出していた。生徒を守るのが教師の義務。そう言ったのは自分だし、そもそも見ているだけというのは私の性に合わない。
 問題はどちらを助けるかだったが……その点も今は心配していない。「私が手を出さなかった方」は、きっと「彼」が何とかしてくれる。
 そう信じ、私はスコーピオンとフォーゼの間に入ると、振り下ろされた踵を受け止めた。
「さ、彩塔ちゃん!?」
『私の攻撃を、素手で止めただと!?』
「これでも私、チェックメイトフォーのルークでして。甘く見て頂いては困ります」
 驚いたような声を上げるフォーゼとスコーピオンに、私は不敵な笑みを浮かべて言葉を返す。と言っても、おそらく彼らには何の事か分らないだろうし、分る必要もない。
 驚きで動きの止まったスコーピオンに対し、私は受け止めた足を脇へ払うと、ぐっと拳を握って相手の鳩尾にそれを叩き込んだ。
 ゴッと鈍い音が響き、スコーピオンの体が派手に吹き飛ぶ。ただ、飛んだ距離に比べて手応えが薄い事から、相手も自分から後ろに飛んで勢いを殺したようではあるが。
 一方で大文字君の方はと言えば。未だ「大蛇」に締められて、ミシミシと嫌な音を立て始めている。
『ちぃっ。ならば、キングだけでも……』
「それも、させられないな」
――Bullet――
 大文字君を絞め殺す指示を出す為か、ぎゅうとオフィウクスが己の拳に力を込めた瞬間、非常階段から声が響くと同時に、私にとっては聞き慣れた電子音が鳴り、更にその一瞬後には「大蛇」に向って六発の銃弾が着弾、蛇達は再度その姿を解き、散り散りになって大文字君を解放した。
『何!?』
 私を除く全員が、その予想外の攻撃に驚いたのだろう。助けられた大文字君でさえも、その視線を非常階段に向ける。
 そこにいたのは、白衣を纏い、左手に銀と赤に塗られた缶、右手に赤い銃のような物を持つ男性。銃には鈍色のガイアメモリが挿されており、銃口は真っ直ぐオフィウクスに向っている。
「灰猫センセ!?」
「何故ここに!?」
「声から察するに、そこのデカブツは大文字だな。で、そっちの白いのは如月か? 間一髪だったな」
 その人……弓さんは、ニヤリと笑ってそう言うと、ひょいと非常階段の踊り場から飛び降り、軽い足音を立てて地に降り立つ。
 どうやら先程のタカ型のメカは、きちんと彼を呼んでくれたらしい。
 ……クークが用意した物だったので、あまり期待していなかったのだが、なかなか使える代物だったようだ。
 皆が呆然とする中、彼はすたすたと私の側に歩み寄ると、ぽんと私の肩を叩き……
「頼ってくれて嬉しいぜ、硝子。……遅くなった」
「私が一番頼りにしているのは、あなたですよ、弓さん。それに、来て頂けると信じていましたので」
 言われた言葉に笑みと声を返しつつ、私達はじっとスコーピオンとオフィウクスに視線を送る。
 刹那、弓さんはオフィウクスに対して違和感……と言うか差異に気付いたらしい。顔を歪め、不思議そうに首を傾げた。
 だが彼が何かを言うよりも先に、スコーピオンが動く方が早かった。
 トンと軽い足音が響くと同時に、相手の尾がこちらめがけて襲い掛かる。見目がサソリという事は、おそらくその尾から毒でも出るのだろう。ならば喰らってやる訳には行かない。
 瞬時に判断し、私は半歩だけ横に体をずらすと、その尾を捉えて相手の動きを止める。瞬間、ふわりと嗅ぎ慣れた香りが届き……その香りに、私は思い切り顔を顰め、相手に聞こえる程度の声で言い放った。
「その匂い……成程、あなたがスコーピオンでしたか。…………道理で受け付けない訳です」
『何……!?』
 こちらの言葉の意味を汲みきれなかったのか、それとも汲んだ上での驚きなのか。スコーピオンは驚きの眼差しをこちらに向ける。
 しかし生憎とこの状況で何もしない程、私はお人好しではない。今度は鳩尾に右膝を蹴り入れ、そのまま足を伸ばして顎を蹴り上げる。
「そもそも、学生の喧嘩ゴタゴタに大人が手を出すのはルール違反でしょう?」
『ぐう……』
 呻くスコーピオンに、追い討ちをかけるようにして上がりきった足を振り下ろし……しかしそれは「彼女」をかばうように間に割って入ったオフィウクスに阻まれ、狙った相手には届かない。
 スコーピオンに当てるつもりだっただけに、こちらも手加減はしていない。思い切りオフィウクスの肩に入った蹴りは、その体を勢い良く大地へ叩きつけ、相手の「変身」を解いた。
 最初に教室で見た光景を考えれば、そこに転がっているのは川奈瑠美のはず。……なのだが。白衣を纏い、その下に青いブレザー。そこまでは彼女と同じ。しかし穿いているのはスカートではなくズボンだし、体付きだってどう見ても男子生徒そのもの。
 そして呻きながらも睨みつけて来るその顔は、普段「灰猫先生」について回っている「もう一人」の人物。
「設楽……明草!?」
 こちらが驚いた拍子に抜け出したスコーピオンが、設楽の体を素早く抱えると、ばさりとマントを翻して走り去る。恐らく、これ以上ここにいても不利と判じたのだろう。
 フォーゼも追おうとしたが、既にスコーピオンの姿も、設楽の姿も消えている。逃げ足だけは速い。
「……どうなってんだ、一体……」
 そう呟いたのは果たして誰だったのか。私達はただ、悔しげに顔を顰めるだけであった。
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