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校医代行は薄紅の蜉蝣

【真・名・示・唆】

 カエルムの一件からしばらくして、ポーンが今日で代理終了という話を聞いた俺は、保健室に来ていた。
「今日でこの学校に来るのも最後だと聞いた」
「その通りだ。これでようやく本職に戻れる」
 彼が作った彫刻達は、いつの間にか彩色が施されており、あたかも最初からこの部屋にあったかのようなレイアウトで飾られている。
 一方でポーン自身は机の引き出しから自身の彫刻刀を鞄にしまい、もう立ち去る準備はできているようだった。
「カエルムの被害にあった面々も、既に日常生活に戻っている。カエルム本人は……」
「聞いた話では、どこぞへ引っ越したそうだな」
「事件は関係なく、元から引っ越しの予定があったらしい」
 今回の引き金になった理由は、「最後に美術部代表でコンクールに作品を提出したかったから」というものだったらしい。その辺りの話は、如月が本人からいつの間にか聞き出していた。
 如月と何を話したのかは知らないが、転校していく日には美術部の連中とのわだかまりもなく、すっきりした笑顔を見せて彼は去っていった。
「そうか。まあ、奴はいい経験をしたのではないか? 醜い感情は芸術作品に深みを出すのには必須だ。今後奴が一皮むけるのを期待しよう」
「……あなたも、そういった感情があるのか?」
「長く生きていれば、色々経験もする。嫉妬、情欲、慟哭、怨嗟……それら負の感情なら、一通りは持っていると自負しているぞ」
 口の端を歪め、くつくつと悪人めいた笑いを見せるその姿も、もう見慣れたものだ。
 ……そしてその表情が、見た目とは全く違う意味を持ったものだと分かる程度には、この男の事も理解できた。
 それでも、俺はこの男について、あまりにも基本的な事を知らない。
 それを知る機会は、もう今日が最後になる。
 そう思い、俺は柄にもなく少しだけ緊張しながら、聞こうと思っていたことを声に出した。
「俺はあなたの名前を知らない」
「一月程度の付き合いしかないのに、名を求める事は無意味であり、貴様にとって時間の無駄だ。まして、貴お様は……いや、貴様らはいずれ、俺を置いて、そして老いて死ぬ。俺が人間の医者……人間を診る医者になりたくない理由はそこだ」
 何を考えているのかは、表情からは読み取れない。
 だが、彼の言葉や「本来の姿」などから察するに、彼は俺達「人間」よりも遥かに長命な種族なのだろう。
 心を通わせても、どうしても自分達よりも先に「知り合い」が死んでいくのが必然となるなら、「知り合い」を作らないように壁を作るのも当然なのかもしれない。
 まだ二十年も生きていない俺ですら、別れの辛さ、苦しさを知っているつもりだ。きっとポーンはその何倍もの苦しみを経験してきたのだろう。
 それでも、俺は彼の名を知りたいと思う。如月のように広く深い関係を構築できる度量はないし相手も選ぶが、それでもそれなりに「友情」に篤いつもりではある。
 親しいJKのように本名にコンプレックスを抱いているのならともかく、彼の場合は「自分の存在を記憶されたくないから」だ。教えてもらえるのならば教えてほしいと思うのは、ある意味当たり前の感情だろう。
「……だが、この一月の間、退屈はしなかったぞ歌星賢吾。それに免じて、真名を告げてやる」
 こちらの願いにも似た思いが通じたのだろうか。彼は笑みを崩さぬままそういうと、内緒だと言わんばかりに口元に人差し指を当てて言葉を続けた。
「『儚さを装った強かな七色』。……覚えておいて損はない」
 その言葉に、俺は肩透かしを食らったような気がした。
 名前を教えてもらえると思ったのに、教えられたものは何かのタイトルのような言葉だ。
 反射的に眉根を寄せ、俺は彼に抗議の声を上げた。
「俺は名を聞いたんだ。真面目に答えてくれないか?」
「真面目に答えてやったつもりだ。言ったろう? それが俺の『真名』だ」
 心外と言いたげな表情で彼はそう告げると、足元に置いていた鞄を持ち上げた。
「さて、俺の業務はここまでだ。今後も貴様には色々とあるだろうが……まあ、苦労はするだろうが乗り越えられるだろう。貴様の周囲には、いい塩梅に貴様安定させるエネルギーの持ち主が取り囲んでいるようだしな」
 それで終いだということなのか、彼は軽く俺の肩を叩いた後、保健室を後にしたのだった。
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