校医代行は薄紅の蜉蝣
【悪・意・仮・面】
梅中が襲われた翌日の朝。俺は校医代行の元へ向っていた。
梅中の搬送先を聞く事もあるが、それ以上に昨日彼が呟いた言葉の真意を聞きたいと思ったからだ。
――人間の医者ごとき――
その言葉は、二つの意味に取れる。
一つは、「人間を専門に見ている医者程度」という意味の場合。それならば確かに、ゾディアーツによって齎されたであろう梅中の症状を、どうにか出来るとは思えない。かと言って、獣医なら何とかできると言う訳でもないだろうが。
こちらの意味なら、問題はない。今まで通りゾディアーツを探し出してスイッチを切るだけだ。
だが、もう一つの意味の場合……つまり、あの男の言葉が、「医者という職業に就いた人間程度」という意味だったとしたらどうなる? それはつまり、あの男が人間ではないと言う事ではないのか? もしもそうなら……危険じゃないのか? 言葉から察するに、あの男は「人間」という種を見下している事になる。梅中をまともに扱うとは思えない。
そう思うのだが……昨日の保健室での彼の態度を見ているせいだろうか。「危険だ」という考えは浮かぶのに危機感は生じない。そもそも、本当に後者のような考え方を持っているのなら、昨日の時点で梅中を見捨てたはずだ。
自分自身の考えに言い訳をするような事を思いながら、保健室の扉を開ける。
そこには、昨日とほとんど同じような仏頂面をした校医代行の姿があった。違うのは、机の上に乗る小さな木彫りの人形が、蜻蛉と蟷螂の二体に増えている事くらいだろうか。彼の手の中には、また作りかけの木彫りの人形と彫刻刀が納まっている。
その手を一瞬だけ止め、彼は俺の方へちらりと視線を向けた。
だが、すぐに視線を彼の手の中の木片に戻すと、俺の方を見向きもせずに言葉だけを放った。
「不安定さは変わらんが、昨日ほど不味そうには見えん。つまり、それなりに体調はマシだという事だ。ならば……何の用でここに来た?」
「あんたに聞きたい事があって来た」
「……俺に?」
俺の言葉は意外だったのだろうか。彼はぴたりと手を止めると俺の方へ向き直り、訝しげな目を向けた。
彼がこちらを見た事を機に、俺はこの部屋に用意されている「生徒用」の椅子に腰掛けると、真っ直ぐに彼の目を見て質問を投げた。
「幾つかある。まずは梅中……昨日の男はどうなった?」
「昨日の? ……ああ、あの粗末な仮面をつけられた奴か」
一瞬、彼は不思議そうに顔を歪める。だが、すぐに梅中の事を思い出したのだろう。ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、彼は初めて聞くような楽しげな声で言葉を続ける。
「アレなら、『二、三日安静にしておけ』と本人に厳命しておいた。あれだけ言って聞かせたからな。それでも登校しようものなら……クククッ」
その言葉の意味を理解するのに、俺は一瞬の間を要した。
それもそのはず、彼は梅中「本人」に向って安静にしろと言ったのだ。それはつまり、梅中が意識を取り戻したという事に他ならない。
だが、他の「仮面を着けられた生徒」が意識を取り戻したという話は聞かない。それは、あの仮面が何らかの方法で装着者の力……「生命力」や「元気」、「気力」と呼べるそれを奪い、自身が絡みつく為のコズミックエナジーに変換しているからだ。
「……梅中は意識を取り戻したのか!?」
「当然だ。元凶と思しき仮面は外したからな」
「そんな……馬鹿な」
「馬鹿とは失敬な男だな、貴様。あの程度の呪 の鎖を外すなど、俺にとっては造作もない」
あっさりと放たれた一言に、俺は今度こそ絶句する。
色々と驚く事が多すぎる。
如月達にも説明した事だが、あの仮面はコズミックエナジーの鎖が互いに密に絡み合う事で顔を固定している。そして仮面を外す為には、その鎖を切らなければならないのだが……コズミックエナジーは俺達の肉眼では見えない形で存在している。
如月……もといフォーゼや、朔田の変身するメテオならば、こちらでコズミックエナジーの痕跡を解析、擬似的に可視化させたデータを送れば、一応は「見える」と言えるが……実際に切るとなるとひどく難しい。
それを、可視化する手段を持たないはずの彼が切った……いや「外した」らしい。
俄かに信じられる事じゃない。
「ありえない! 見えないはずのコズミックエナジーの位置が分ったと言うのか!?」
「視力が良いのは、俺の取り柄であり欠点でもあるからな」
「視力の問題じゃ……」
思わず大きくなる俺の声を煩く思ったのか、彼は左の掌で俺の口を覆うと、空いた右手で自身の眼鏡を少し下にずらし、半ば睨むような目付きで俺の目を覗き込んだ。
口を塞がれ、覗き込まれたせいで顔の距離が近付く。そしてこの時初めて、俺は彼の眼鏡に度が入っていない事に気付いた。
――伊達眼鏡……?――
不思議に思う俺を余所に、彼は低く……だが淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
「俺の目はイカレている。眼鏡をかけなければ、余計な物まで見えてしまって疲労する」
言いながら、彼は見せ付けるように眼鏡のずれた自身の裸眼を俺の目に寄せる。
……気のせいだろうか。彼の黒目が一瞬だけ、七色の……ステンドグラスのような色合いに変わったように見えたのは。
イカレている目? 余計な物まで見える?
意味がいまひとつ理解できず、黙り込んでしまう。それに気付いたらしい。彼は俺の口から手を離すと、ずらしていた眼鏡をかけ直し、それまで寄せていた顔も引いた。その時にはもう、黒目の色は先程までと同じ漆黒に戻っていたが。
「どう言う、意味だ?」
やっとの事絞り出した声は、俺自身でも驚く程に掠れていた。
鼓動が妙に早いのは、彼の行動に驚いたせいなのか。それとも……垣間見た虹色の瞳に対し、恐怖したからなのか。
「世には、その筋の者からは魔眼と呼ばれる類の目が存在する。代表的な物では、相手の奥底に眠る力を見抜く『ラプラスの瞳』、相手の本質を視覚化してしまう『プロビデンスの目』、対象の終焉の姿が見える『ラーの目』などだが、俺のこれは『ウジャト眼』と呼ばれている」
唐突にオカルトめいた話をされ、はぐらかされているのかと思ったが、そうではないらしい。彼の言う「イカレた目」の説明をしてくれているのだろう。
恐らく野座間辺りなら即座に反応できる単語の数々なのだろうが、俺にはそういったものに関する知識はない。とりあえずこいつの目が、そういうオカルト関係からは「ウジャト」と呼ばれる種類のものだということだけはわかった。
「魔眼やら『ウジャト』やらなどと大層な名がつけられているが、単純に視力と可視光領域が他者よりも広いだけだ。他人の体に付着した『匂い』の分子に始まり、食い物に溶け出したプラスチックの粒子、病の元凶たるウィルス、果ては不可視と言われているエネルギーの類まで、この目は捉える。紫外線、赤外線も、通常の人間が見える範囲からはるかに逸脱した範囲で見えている」
「それは……凄いな」
「ああ。凄まじい悪夢だ。眼鏡という壁で『現実』と俺の『目』を遮らんと、まともな生活も出来ん。おかげで裸眼だと、一般人が見ている物と俺が見ている物が違うから、色々と困る」
成程、それは確かに悪夢だろう。イカレていると表現したのも頷ける。
普段は、彼が見える「ヒトから逸脱した可視光領域」を眼鏡で遮り、「一般的な可視領域」で物を見るようにしているという事らしい。紫外線や赤外線まで見えているのだから、裸眼の彼が見える光景は余程の物だろう。可視光の範囲外まで見えるのならば、コズミックエナジーが見えると言われて納得できる。
しかし……その「逸脱した視力」でコズミックエナジーが見えたのだとしても、その鎖を切るには精密さが必要なはず…………
……いや、それは問題ないか。何しろこの男の作る人形は、掛け値なしに「匠の技」と称せる程の出来栄えだ。精密さの点もクリアしている。
無意識の内に感嘆の溜息を吐き出した俺とは対照的に、彼の方はどこか疲れたような溜息を吐き出した。
恐らく、先程……俺の目を覗き込んだ際の、ほんの僅かな時間だが……眼鏡を外した事で、俺には見えない「何か」を見たのだろう。それが何なのか、俺には予想もつかないが。
「それで? 他に聞きたい事とは何だ?」
その言葉に、俺は思考の海から現実に引き戻される。
「幾つか聞きたい事がある」と言った俺の言葉を、彼は覚えていたのだろう。正直、彼が仮面を外した事や、「逸脱した視力」のインパクトが大きすぎて半ば忘れていた。
そんな自分を誤魔化すように、俺は軽く咳払いをすると、彼の目を見据えて口を開く。
「『人間の医者ごとき』と言った。その言葉の真意を聞きたい」
「真意も何も、そのままだが?」
「聞き方を変える。『人間の患者専門の医者』という意味なのか? それとも『医者が人間』という意味なのか?」
「……ああ、そんな受け取り方もあるのだな」
俺の言葉を聞いて、彼は再びニヤリと笑った。
彼は一体、どちらの意味であの言葉を放ったのか。そしてどちらの意味で「そんな受け取り方」と言ったのか。分らないまま、俺は彼の答えを待つ。
だが、彼は……眼鏡の奥にある目をすぅと細め、楽しげな声で言葉を放った。
「貴様は、俺がどちらの意味で言ったと思う?」
「質問を質問で返されるのは好きじゃない。時間の無駄だ」
焦らすような彼の物言いに、ほんの少しだけムッとしながら、俺は彼に言葉を返す。
それが更に彼にとって楽しいと思わせたらしい。彼はくつくつと喉の奥で笑うと、俺の目を真っ直ぐに見返して言葉を投げた。
「俺も、こう言ったやり取りは好まん。貴様の言う通り『時間の無駄』だからな。それでも、そうなるように返答した。……それはつまり、俺が回答する気がない事くらい、貴様には容易に推測出来るだろう?」
「答えられない理由があるのか?」
「そんな物はない。だが同時に、答える義務もない。知りたければ、貴様自身で俺を調べてみればいい」
彼がそう言いきった瞬間、静かな保健室の中に、キンコンと聞き慣れた鐘の音が響く。
まるで、この話は終わりだと告げているように。
「ふん。タイミングの良い予鈴だな。……本鈴前にさっさと教室へ戻れ」
そう言われてしまうと、俺としても戻らない訳には行かない。
いくら担任である大杉忠太が、俺達仮面ライダー部の活動を認めていると言っても、今の俺の行動は部活とはあまり関係がない。
……少なくとも、今の時点では。
「……わかった。今は戻る。……また来るかもしれないが」
「だろうな」
そのやり取りを最後に、俺は保健室を出る。
……また、彼の名を聞きそびれたという事実を、思い出しながら。
「代行の先生の名前ぇ?」
俺の問いに、大杉の顔が歪む。
昼休みも半ば、一人で弁当をぱくついていた彼に校医代行の名を尋ねたのだが……この反応から察するに、彼もどうやら知らないらしい。
無駄に通る声のせいで、他の教員達がこちらを見ているが……どうやら彼らも知らないらしい。ひそひそと「そう言えば……」と話している声が耳に届いた。
「確か養護教諭の方は、学会続きで一月程学園を留守にされると仰っていましたね」
「だけど、その代行の先生、一回も教員室に顔を出してないんだよ」
大杉の側に席を持つ「臨時講師」の二人……彩塔硝子と灰猫弓が、大杉に代わって言葉を返してくれる。
校医は教員室に顔を出さなくてもやっていける仕事なのか? とてもそうとは思えないが。
「そもそも、あの先生は養護の先生が勝手に指名して、いつの間にか一ヶ月間の『校医代行』に認められた人らしくてなぁ。紹介も何も、こっちにはなかったぞ、うん」
むぅと腕を組みながら大杉が軽く眦を下げて説明してくれる。
相手が教員でも、あの校医代行がどこの誰かも分らないだと? それは大丈夫なのか? かなり危険な気がするんだが。
「だけど歌星、そういうのは本人に聞くのが一番手っ取り早いと思うんだけどな?」
「そうしたかったんですが、今は保健室にいなかったので」
灰猫の言葉は正論だ。実際、俺もそうするつもりだった。
だが……先程保健室を訪ねたところ、彼の姿はどこにもなかった。机の上には今朝方彫っていた物と思しき油虫の人形が置いてあるだけ。しかもその人形を文鎮代わりにしているのか、その人形の下には、「外出中」と書かれたメモが一枚置かれていただけだ。
時間が時間だ。恐らくは食事に出たのだろうが……どこへ行くとも、連絡先も書かれていなかった。
「……それ、大丈夫なんですか? 大きな怪我人が出た際に、校医、あるいは養護教諭不在は問題なのでは?」
彩塔の不安そうな言葉には同意したい。緊急時の応急手当などは、間違いなく保健室にいる校医、もしくは保健医の仕事だ。
だが、いないものは仕方がない。俺は軽く彼らに礼を言うと、そのまま教員室を後にした。
仕方ない。ラビットハッチへ行って、例の「呪い仮面」に関するデータをもう少しまとめておくか。
そう思い、ラビットハッチへの「扉」へ向かう。だが、美術室の前を通り過ぎようとした……まさにその瞬間だった。
その部屋の中から、女の悲鳴が聞こえたのは。その悲鳴に、俺は半ば反射的に扉を開けて中を確認する。
そこにいたのは、床に座り込んでがくがくと震えている一人の女子生徒と、ヘラのような形をした刃物を持った、どことなく蜻蛉を連想させるゾディアーツだった。
ゾディアーツのアストロシンボルは、丁度「>」を描くように並んだ三つの星。あの星の並びは……
「彫刻具座、カエルムゾディアーツか!」
反射的に上げた声で、ようやく俺の存在に気付いたらしい。カエルムは慌てた様子でこちらを見やると、驚いたように半歩後ろへ下がった。
カエルムの手に収まっているのは、額部分に「呪」と彫られた一つの仮面。「悪趣味」という表現がしっくり来るような色合いに塗られたそれは、座り込んだ女生徒の顔に嵌められようとする直前で動きを止めている。
「最近の事件は、お前の仕業か」
『だったら、どうする?』
機械加工されたような声が響く。やはり声だけでは相手が何者なのか分らない、か。
思いながらも、如月達が到着するまでの時間を稼ぐべく、俺は更に質問を続ける。先程フードロイドを如月達のところへ向かわせた。恐らく数分以内には到着するだろう。
……だが、その「数分」が問題だ。その間に床に座り込んでいる生徒を逃がし、時間を稼ぐのはひどく難しい。だからと言って、諦めるつもりもないが。
「……何が目的だ?」
『目的か。そうだな……強いて言うなら、世に俺の芸術を理解させる事、かな』
「お前の芸術……?」
訝る俺に、カエルムはくつくつと喉の奥で笑う。
――この笑い方、どこかで聞いた事があるような……いや、少し違うか……?――
「笑い方」に何かしらの引っ掛かりを覚えるが、それが何なのか分らない。
この、少し馬鹿にしたような笑い方は……聞いた事があるような、ないような……だが、はっきりと思い出せない。
もやもやとする胸中を悟られないようにしつつも、俺はゆっくりとカエルムが襲おうとしていた女生徒の側へ足を進める。勿論、カエルムとの距離は多少取ったまま。
『俺の芸術を理解しない愚か者を排除し、そして俺の芸術を世に知らしめる。その為の騒ぎだ』
「……感性は人それぞれだ。押し付けるのは感心できないな」
『何を言う! 俺の芸術は万人に通用する!!』
俺の言葉が癪に障ったらしい。カエルムはそれまでの高圧的な態度を一息に消し去ると、明らかに苛立った様子で脇の壁に持っていた刃物を付き立てた。
がん、という派手な音が響き、校舎の壁がパラパラと落ちる。その音に女生徒は小さく悲鳴を上げて身を竦ませ、カエルムはそれを見てフンと鼻で笑う。
舞い上がった粉塵に咳き込みながら、俺はカエルムの様子をじっと見つめた。
彫刻具座の名の通り、持っている刀は彫刻用の「のみ」か「へら」なのだろう。砕けた壁は、その刀の攻撃を受けて仮面の様な物が「彫り」出されている。
色こそついていないが、つくりは今までの「呪い仮面」と同じものだ。やはりこいつが一連の犯人と見て間違いない。
「細部に気配りが行き届いていない、荒い作りだ」
ポツリと、思わず感想が漏れる。
昨日今日と、校医代行の作った人形を見ているせいだろうか。カエルムの作り出した仮面が、妙に稚拙な物に思えてしまう。
だが、それがいけなかったのだろう。カエルムは再び体を怒りに震わせると、ギロリと俺の方を睨み……
『どうやら貴様、俺の芸術を、身をもって体感したいようだな!』
怒声が飛び、そして仮面を構えてこちらに突進してくるカエルム。
だが……時間稼ぎは上手くいったらしい。突っ込んでくるカエルムと俺の間に、薄青い色の光球が降り立ったかと思うと、その「中」にいた存在が怪鳥音と共にカエルムの持っていた仮面を蹴り飛ばした。
「ホォワチャァァッ!」
『何!?』
誰かに装着する前は、仮面もごく普通の物らしい。
現われたそいつ……メテオこと朔田の蹴りに、仮面はバキンと鈍い音を立てて砕けた。
「さ……メテオ!」
「賢吾、彼女を連れて逃げろ」
朔田はそう言いながら、顎で教室の出口を示す。俺はそれに首肯を返すと、座り込んでいた女生徒を立たせて廊下へと出る。
丁度その時、タイミングが良いのか悪いのか……俺の目の前に、彩塔が立っており、驚いたような表情を浮かべていた。
恐らく、俺が女生徒を無理矢理引っ張っている事に驚いたのだろう。
「彩塔先生! すみませんが彼女をお願いします」
「は? あの? え?」
半ば押し付けるようにして女生徒の体を彩塔に託すと、彼女は不思議そうに首を傾げる。しかし、俺の声と生徒の怯え方からすぐに事情を察したのだろう。こくりと一つだけ頷くと、彼女の体をひょいと抱え上げてくるりと踵を返し、その場を去る。
相変わらず、見た目によらない怪力だな……
いや、今はそんな事を思っている場合じゃない。彼女達の姿が見えなくなったのを確認すると、俺はすぐに美術室の中の様子を確認する。
「仮面ライダーメテオ。お前の運命は、俺が決める」
『貴様……よくも俺の芸術を!』
挑発めいた朔田の名乗りに、カエルムはぎしりと左拳を握り締める。一方で右手の刀を振り回し、朔田に当てようとしているが……カエルムは戦いにおいて素人なのだろう。その、攻撃とも呼べない「攻撃」は全ていなされ、かわされている。
これならリミットブレイクも容易いだろう。
そう思った瞬間、カエルムは美術室と廊下を隔てる壁を破壊し……
『チッ。芸術を解さぬ愚か者共が。作品を作り直さなくては……!』
そう吐き捨てるように言い残すや、カエルムはくるりと踵を返して廊下を駆ける。
つまり、逃げたのだ。
そう認識するのに一瞬の間を要し、そして認識と同時に俺は……いや、俺と変身を解いた朔田は慌てて相手を追いかける。
「っ! 待て!!」
戦闘においては然程強くないようだが、逃げ足はやたら速いらしい。追いかけているのだが、距離は縮まるどころか逆に広がっている。
そして相手は廊下の角を曲がり……それに遅れる事数秒、俺と朔田もその角を曲がった、その瞬間。
反対方向から、何者かが歩いてきていたらしい。俺の少し前を走っていた朔田は、見事にその相手とぶつかり、数歩後ろに向ってよろめいた。
そんな彼を反射的に支え、そして朔田がぶつかった相手に視線を向ける。
ゾディアーツを追っていたとは言え、走っていたこちらに非があるのは明らかだ。ここは俺達が謝るべきだと思ったからなのだが……
……朔田がぶつかった相手は、あの「校医代行」の男だったらしい。彼の方はこちらの勢いに巻き込まれたせいか、廊下に尻餅をつき、眼鏡も彼から少し離れた位置まで吹き飛んでいた。
「……騒々しい事だな」
半ば睨むような目で俺と朔田を見ながらも、彼はやれやれと言いたげに立ち上がり、吹き飛んだ眼鏡を探すべく、きょろきょろと周囲を見回した。
恐らく今の彼は、件の「逸脱した視力」のせいで色々と……それこそ俺や朔田が見えないような物が見えているのだろう。普段から険のある顔つきが、更に険しい物になっている。
とは言え、こちらも恐らく険しい顔をしている事だろう。何しろ、彼とぶつかった事で完全にカエルムの姿を見失ってしまったのだから。
ようやく彼が自身の眼鏡を拾い上げ、掛け直しているのを見やりながら、俺は半ば詰め寄るようにして彼に向って問いかけた。
「怪人を見なかったか!? こちらに向かって逃げたはずなんだが」
俺達が追っていたカエルムは、間違いなくこちらに向かって逃げていた。ならば、向かい側から来ていたこの男は、カエルムとも遭遇しているはず。
そう思ったのだが……彼は軽く眉を顰めると、フンと軽く鼻を鳴らし……
「怪人? そんな物を見ていたら、こんな所でぼんやり突っ立っていると思うのか? 思うのなら、あまりにも愚昧すぎるぞ、貴様ら」
「……見て、いないのか?」
「確認するまでもないだろう。そもそも、貴様らとぶつかるまで、この校舎では誰ともすれ違っていないし、見てもいない」
思わず問い返した俺に、彼は更に眉を顰めて言葉を放つ。
そんな、馬鹿な。それじゃあ、カエルムはどこに逃げたと言うんだ?
まさか……考えたくはないし、そんなはずはないと信じたいが……彼が、カエルムゾディアーツなのか……?
そう考えると、カエルムの言動に、彼の言動と一致する部分があるような気がする。だが、彼があんな荒い仮面を作るのか? そしてそれを「芸術」と称すか?
混乱する俺を余所に、彼は再び軽く鼻で笑い……
「そもそも、この学園には何かしらの『怪人』が生息しているのか? ……ならば、一度解剖したい所だな」
くつくつと。
カエルムがやっていたのと同じように、喉の奥で笑う彼。
だからだろうか。朔田の表情が少し険しい物へと変化している。恐らくは、彼も疑っているのだろう。……目の前に立っている「校医代行」が、カエルムなのではないかと。
だが、疑われている当の本人はと言うと……然程俺達の視線を気にしている様子もなく、少しだけ眼鏡をずらして「何か」を見つめていた。彼の目は……彼の言葉を信じるならば、恐らく俺達には見えない「痕跡」とやらが映っているのかも知れない。何しろ、「匂い」の分子まで見えるらしいのだから。
そして唐突に、彼はその視線を俺達の上、つまり天井に這わせたかと思うと、苦々しい表情を浮かべ……
「……つまらん事をする」
それだけ言うと、彼はもうここに用はないのかすたすたと彼の仕事場……保健室へ向って歩き出した。
「……賢吾、奴は……」
「可能性はある。だが……確定していない以上、まだ何とも言えない」
――だが、如月達には言っておいた方が良いだろうな――
そんな事を思いながら、俺は「彼」と入れ替わるようにやって来た如月達に視線を送るのだった。
梅中が襲われた翌日の朝。俺は校医代行の元へ向っていた。
梅中の搬送先を聞く事もあるが、それ以上に昨日彼が呟いた言葉の真意を聞きたいと思ったからだ。
――人間の医者ごとき――
その言葉は、二つの意味に取れる。
一つは、「人間を専門に見ている医者程度」という意味の場合。それならば確かに、ゾディアーツによって齎されたであろう梅中の症状を、どうにか出来るとは思えない。かと言って、獣医なら何とかできると言う訳でもないだろうが。
こちらの意味なら、問題はない。今まで通りゾディアーツを探し出してスイッチを切るだけだ。
だが、もう一つの意味の場合……つまり、あの男の言葉が、「医者という職業に就いた人間程度」という意味だったとしたらどうなる? それはつまり、あの男が人間ではないと言う事ではないのか? もしもそうなら……危険じゃないのか? 言葉から察するに、あの男は「人間」という種を見下している事になる。梅中をまともに扱うとは思えない。
そう思うのだが……昨日の保健室での彼の態度を見ているせいだろうか。「危険だ」という考えは浮かぶのに危機感は生じない。そもそも、本当に後者のような考え方を持っているのなら、昨日の時点で梅中を見捨てたはずだ。
自分自身の考えに言い訳をするような事を思いながら、保健室の扉を開ける。
そこには、昨日とほとんど同じような仏頂面をした校医代行の姿があった。違うのは、机の上に乗る小さな木彫りの人形が、蜻蛉と蟷螂の二体に増えている事くらいだろうか。彼の手の中には、また作りかけの木彫りの人形と彫刻刀が納まっている。
その手を一瞬だけ止め、彼は俺の方へちらりと視線を向けた。
だが、すぐに視線を彼の手の中の木片に戻すと、俺の方を見向きもせずに言葉だけを放った。
「不安定さは変わらんが、昨日ほど不味そうには見えん。つまり、それなりに体調はマシだという事だ。ならば……何の用でここに来た?」
「あんたに聞きたい事があって来た」
「……俺に?」
俺の言葉は意外だったのだろうか。彼はぴたりと手を止めると俺の方へ向き直り、訝しげな目を向けた。
彼がこちらを見た事を機に、俺はこの部屋に用意されている「生徒用」の椅子に腰掛けると、真っ直ぐに彼の目を見て質問を投げた。
「幾つかある。まずは梅中……昨日の男はどうなった?」
「昨日の? ……ああ、あの粗末な仮面をつけられた奴か」
一瞬、彼は不思議そうに顔を歪める。だが、すぐに梅中の事を思い出したのだろう。ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、彼は初めて聞くような楽しげな声で言葉を続ける。
「アレなら、『二、三日安静にしておけ』と本人に厳命しておいた。あれだけ言って聞かせたからな。それでも登校しようものなら……クククッ」
その言葉の意味を理解するのに、俺は一瞬の間を要した。
それもそのはず、彼は梅中「本人」に向って安静にしろと言ったのだ。それはつまり、梅中が意識を取り戻したという事に他ならない。
だが、他の「仮面を着けられた生徒」が意識を取り戻したという話は聞かない。それは、あの仮面が何らかの方法で装着者の力……「生命力」や「元気」、「気力」と呼べるそれを奪い、自身が絡みつく為のコズミックエナジーに変換しているからだ。
「……梅中は意識を取り戻したのか!?」
「当然だ。元凶と思しき仮面は外したからな」
「そんな……馬鹿な」
「馬鹿とは失敬な男だな、貴様。あの程度の
あっさりと放たれた一言に、俺は今度こそ絶句する。
色々と驚く事が多すぎる。
如月達にも説明した事だが、あの仮面はコズミックエナジーの鎖が互いに密に絡み合う事で顔を固定している。そして仮面を外す為には、その鎖を切らなければならないのだが……コズミックエナジーは俺達の肉眼では見えない形で存在している。
如月……もといフォーゼや、朔田の変身するメテオならば、こちらでコズミックエナジーの痕跡を解析、擬似的に可視化させたデータを送れば、一応は「見える」と言えるが……実際に切るとなるとひどく難しい。
それを、可視化する手段を持たないはずの彼が切った……いや「外した」らしい。
俄かに信じられる事じゃない。
「ありえない! 見えないはずのコズミックエナジーの位置が分ったと言うのか!?」
「視力が良いのは、俺の取り柄であり欠点でもあるからな」
「視力の問題じゃ……」
思わず大きくなる俺の声を煩く思ったのか、彼は左の掌で俺の口を覆うと、空いた右手で自身の眼鏡を少し下にずらし、半ば睨むような目付きで俺の目を覗き込んだ。
口を塞がれ、覗き込まれたせいで顔の距離が近付く。そしてこの時初めて、俺は彼の眼鏡に度が入っていない事に気付いた。
――伊達眼鏡……?――
不思議に思う俺を余所に、彼は低く……だが淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
「俺の目はイカレている。眼鏡をかけなければ、余計な物まで見えてしまって疲労する」
言いながら、彼は見せ付けるように眼鏡のずれた自身の裸眼を俺の目に寄せる。
……気のせいだろうか。彼の黒目が一瞬だけ、七色の……ステンドグラスのような色合いに変わったように見えたのは。
イカレている目? 余計な物まで見える?
意味がいまひとつ理解できず、黙り込んでしまう。それに気付いたらしい。彼は俺の口から手を離すと、ずらしていた眼鏡をかけ直し、それまで寄せていた顔も引いた。その時にはもう、黒目の色は先程までと同じ漆黒に戻っていたが。
「どう言う、意味だ?」
やっとの事絞り出した声は、俺自身でも驚く程に掠れていた。
鼓動が妙に早いのは、彼の行動に驚いたせいなのか。それとも……垣間見た虹色の瞳に対し、恐怖したからなのか。
「世には、その筋の者からは魔眼と呼ばれる類の目が存在する。代表的な物では、相手の奥底に眠る力を見抜く『ラプラスの瞳』、相手の本質を視覚化してしまう『プロビデンスの目』、対象の終焉の姿が見える『ラーの目』などだが、俺のこれは『ウジャト眼』と呼ばれている」
唐突にオカルトめいた話をされ、はぐらかされているのかと思ったが、そうではないらしい。彼の言う「イカレた目」の説明をしてくれているのだろう。
恐らく野座間辺りなら即座に反応できる単語の数々なのだろうが、俺にはそういったものに関する知識はない。とりあえずこいつの目が、そういうオカルト関係からは「ウジャト」と呼ばれる種類のものだということだけはわかった。
「魔眼やら『ウジャト』やらなどと大層な名がつけられているが、単純に視力と可視光領域が他者よりも広いだけだ。他人の体に付着した『匂い』の分子に始まり、食い物に溶け出したプラスチックの粒子、病の元凶たるウィルス、果ては不可視と言われているエネルギーの類まで、この目は捉える。紫外線、赤外線も、通常の人間が見える範囲からはるかに逸脱した範囲で見えている」
「それは……凄いな」
「ああ。凄まじい悪夢だ。眼鏡という壁で『現実』と俺の『目』を遮らんと、まともな生活も出来ん。おかげで裸眼だと、一般人が見ている物と俺が見ている物が違うから、色々と困る」
成程、それは確かに悪夢だろう。イカレていると表現したのも頷ける。
普段は、彼が見える「ヒトから逸脱した可視光領域」を眼鏡で遮り、「一般的な可視領域」で物を見るようにしているという事らしい。紫外線や赤外線まで見えているのだから、裸眼の彼が見える光景は余程の物だろう。可視光の範囲外まで見えるのならば、コズミックエナジーが見えると言われて納得できる。
しかし……その「逸脱した視力」でコズミックエナジーが見えたのだとしても、その鎖を切るには精密さが必要なはず…………
……いや、それは問題ないか。何しろこの男の作る人形は、掛け値なしに「匠の技」と称せる程の出来栄えだ。精密さの点もクリアしている。
無意識の内に感嘆の溜息を吐き出した俺とは対照的に、彼の方はどこか疲れたような溜息を吐き出した。
恐らく、先程……俺の目を覗き込んだ際の、ほんの僅かな時間だが……眼鏡を外した事で、俺には見えない「何か」を見たのだろう。それが何なのか、俺には予想もつかないが。
「それで? 他に聞きたい事とは何だ?」
その言葉に、俺は思考の海から現実に引き戻される。
「幾つか聞きたい事がある」と言った俺の言葉を、彼は覚えていたのだろう。正直、彼が仮面を外した事や、「逸脱した視力」のインパクトが大きすぎて半ば忘れていた。
そんな自分を誤魔化すように、俺は軽く咳払いをすると、彼の目を見据えて口を開く。
「『人間の医者ごとき』と言った。その言葉の真意を聞きたい」
「真意も何も、そのままだが?」
「聞き方を変える。『人間の患者専門の医者』という意味なのか? それとも『医者が人間』という意味なのか?」
「……ああ、そんな受け取り方もあるのだな」
俺の言葉を聞いて、彼は再びニヤリと笑った。
彼は一体、どちらの意味であの言葉を放ったのか。そしてどちらの意味で「そんな受け取り方」と言ったのか。分らないまま、俺は彼の答えを待つ。
だが、彼は……眼鏡の奥にある目をすぅと細め、楽しげな声で言葉を放った。
「貴様は、俺がどちらの意味で言ったと思う?」
「質問を質問で返されるのは好きじゃない。時間の無駄だ」
焦らすような彼の物言いに、ほんの少しだけムッとしながら、俺は彼に言葉を返す。
それが更に彼にとって楽しいと思わせたらしい。彼はくつくつと喉の奥で笑うと、俺の目を真っ直ぐに見返して言葉を投げた。
「俺も、こう言ったやり取りは好まん。貴様の言う通り『時間の無駄』だからな。それでも、そうなるように返答した。……それはつまり、俺が回答する気がない事くらい、貴様には容易に推測出来るだろう?」
「答えられない理由があるのか?」
「そんな物はない。だが同時に、答える義務もない。知りたければ、貴様自身で俺を調べてみればいい」
彼がそう言いきった瞬間、静かな保健室の中に、キンコンと聞き慣れた鐘の音が響く。
まるで、この話は終わりだと告げているように。
「ふん。タイミングの良い予鈴だな。……本鈴前にさっさと教室へ戻れ」
そう言われてしまうと、俺としても戻らない訳には行かない。
いくら担任である大杉忠太が、俺達仮面ライダー部の活動を認めていると言っても、今の俺の行動は部活とはあまり関係がない。
……少なくとも、今の時点では。
「……わかった。今は戻る。……また来るかもしれないが」
「だろうな」
そのやり取りを最後に、俺は保健室を出る。
……また、彼の名を聞きそびれたという事実を、思い出しながら。
「代行の先生の名前ぇ?」
俺の問いに、大杉の顔が歪む。
昼休みも半ば、一人で弁当をぱくついていた彼に校医代行の名を尋ねたのだが……この反応から察するに、彼もどうやら知らないらしい。
無駄に通る声のせいで、他の教員達がこちらを見ているが……どうやら彼らも知らないらしい。ひそひそと「そう言えば……」と話している声が耳に届いた。
「確か養護教諭の方は、学会続きで一月程学園を留守にされると仰っていましたね」
「だけど、その代行の先生、一回も教員室に顔を出してないんだよ」
大杉の側に席を持つ「臨時講師」の二人……彩塔硝子と灰猫弓が、大杉に代わって言葉を返してくれる。
校医は教員室に顔を出さなくてもやっていける仕事なのか? とてもそうとは思えないが。
「そもそも、あの先生は養護の先生が勝手に指名して、いつの間にか一ヶ月間の『校医代行』に認められた人らしくてなぁ。紹介も何も、こっちにはなかったぞ、うん」
むぅと腕を組みながら大杉が軽く眦を下げて説明してくれる。
相手が教員でも、あの校医代行がどこの誰かも分らないだと? それは大丈夫なのか? かなり危険な気がするんだが。
「だけど歌星、そういうのは本人に聞くのが一番手っ取り早いと思うんだけどな?」
「そうしたかったんですが、今は保健室にいなかったので」
灰猫の言葉は正論だ。実際、俺もそうするつもりだった。
だが……先程保健室を訪ねたところ、彼の姿はどこにもなかった。机の上には今朝方彫っていた物と思しき油虫の人形が置いてあるだけ。しかもその人形を文鎮代わりにしているのか、その人形の下には、「外出中」と書かれたメモが一枚置かれていただけだ。
時間が時間だ。恐らくは食事に出たのだろうが……どこへ行くとも、連絡先も書かれていなかった。
「……それ、大丈夫なんですか? 大きな怪我人が出た際に、校医、あるいは養護教諭不在は問題なのでは?」
彩塔の不安そうな言葉には同意したい。緊急時の応急手当などは、間違いなく保健室にいる校医、もしくは保健医の仕事だ。
だが、いないものは仕方がない。俺は軽く彼らに礼を言うと、そのまま教員室を後にした。
仕方ない。ラビットハッチへ行って、例の「呪い仮面」に関するデータをもう少しまとめておくか。
そう思い、ラビットハッチへの「扉」へ向かう。だが、美術室の前を通り過ぎようとした……まさにその瞬間だった。
その部屋の中から、女の悲鳴が聞こえたのは。その悲鳴に、俺は半ば反射的に扉を開けて中を確認する。
そこにいたのは、床に座り込んでがくがくと震えている一人の女子生徒と、ヘラのような形をした刃物を持った、どことなく蜻蛉を連想させるゾディアーツだった。
ゾディアーツのアストロシンボルは、丁度「>」を描くように並んだ三つの星。あの星の並びは……
「彫刻具座、カエルムゾディアーツか!」
反射的に上げた声で、ようやく俺の存在に気付いたらしい。カエルムは慌てた様子でこちらを見やると、驚いたように半歩後ろへ下がった。
カエルムの手に収まっているのは、額部分に「呪」と彫られた一つの仮面。「悪趣味」という表現がしっくり来るような色合いに塗られたそれは、座り込んだ女生徒の顔に嵌められようとする直前で動きを止めている。
「最近の事件は、お前の仕業か」
『だったら、どうする?』
機械加工されたような声が響く。やはり声だけでは相手が何者なのか分らない、か。
思いながらも、如月達が到着するまでの時間を稼ぐべく、俺は更に質問を続ける。先程フードロイドを如月達のところへ向かわせた。恐らく数分以内には到着するだろう。
……だが、その「数分」が問題だ。その間に床に座り込んでいる生徒を逃がし、時間を稼ぐのはひどく難しい。だからと言って、諦めるつもりもないが。
「……何が目的だ?」
『目的か。そうだな……強いて言うなら、世に俺の芸術を理解させる事、かな』
「お前の芸術……?」
訝る俺に、カエルムはくつくつと喉の奥で笑う。
――この笑い方、どこかで聞いた事があるような……いや、少し違うか……?――
「笑い方」に何かしらの引っ掛かりを覚えるが、それが何なのか分らない。
この、少し馬鹿にしたような笑い方は……聞いた事があるような、ないような……だが、はっきりと思い出せない。
もやもやとする胸中を悟られないようにしつつも、俺はゆっくりとカエルムが襲おうとしていた女生徒の側へ足を進める。勿論、カエルムとの距離は多少取ったまま。
『俺の芸術を理解しない愚か者を排除し、そして俺の芸術を世に知らしめる。その為の騒ぎだ』
「……感性は人それぞれだ。押し付けるのは感心できないな」
『何を言う! 俺の芸術は万人に通用する!!』
俺の言葉が癪に障ったらしい。カエルムはそれまでの高圧的な態度を一息に消し去ると、明らかに苛立った様子で脇の壁に持っていた刃物を付き立てた。
がん、という派手な音が響き、校舎の壁がパラパラと落ちる。その音に女生徒は小さく悲鳴を上げて身を竦ませ、カエルムはそれを見てフンと鼻で笑う。
舞い上がった粉塵に咳き込みながら、俺はカエルムの様子をじっと見つめた。
彫刻具座の名の通り、持っている刀は彫刻用の「のみ」か「へら」なのだろう。砕けた壁は、その刀の攻撃を受けて仮面の様な物が「彫り」出されている。
色こそついていないが、つくりは今までの「呪い仮面」と同じものだ。やはりこいつが一連の犯人と見て間違いない。
「細部に気配りが行き届いていない、荒い作りだ」
ポツリと、思わず感想が漏れる。
昨日今日と、校医代行の作った人形を見ているせいだろうか。カエルムの作り出した仮面が、妙に稚拙な物に思えてしまう。
だが、それがいけなかったのだろう。カエルムは再び体を怒りに震わせると、ギロリと俺の方を睨み……
『どうやら貴様、俺の芸術を、身をもって体感したいようだな!』
怒声が飛び、そして仮面を構えてこちらに突進してくるカエルム。
だが……時間稼ぎは上手くいったらしい。突っ込んでくるカエルムと俺の間に、薄青い色の光球が降り立ったかと思うと、その「中」にいた存在が怪鳥音と共にカエルムの持っていた仮面を蹴り飛ばした。
「ホォワチャァァッ!」
『何!?』
誰かに装着する前は、仮面もごく普通の物らしい。
現われたそいつ……メテオこと朔田の蹴りに、仮面はバキンと鈍い音を立てて砕けた。
「さ……メテオ!」
「賢吾、彼女を連れて逃げろ」
朔田はそう言いながら、顎で教室の出口を示す。俺はそれに首肯を返すと、座り込んでいた女生徒を立たせて廊下へと出る。
丁度その時、タイミングが良いのか悪いのか……俺の目の前に、彩塔が立っており、驚いたような表情を浮かべていた。
恐らく、俺が女生徒を無理矢理引っ張っている事に驚いたのだろう。
「彩塔先生! すみませんが彼女をお願いします」
「は? あの? え?」
半ば押し付けるようにして女生徒の体を彩塔に託すと、彼女は不思議そうに首を傾げる。しかし、俺の声と生徒の怯え方からすぐに事情を察したのだろう。こくりと一つだけ頷くと、彼女の体をひょいと抱え上げてくるりと踵を返し、その場を去る。
相変わらず、見た目によらない怪力だな……
いや、今はそんな事を思っている場合じゃない。彼女達の姿が見えなくなったのを確認すると、俺はすぐに美術室の中の様子を確認する。
「仮面ライダーメテオ。お前の運命は、俺が決める」
『貴様……よくも俺の芸術を!』
挑発めいた朔田の名乗りに、カエルムはぎしりと左拳を握り締める。一方で右手の刀を振り回し、朔田に当てようとしているが……カエルムは戦いにおいて素人なのだろう。その、攻撃とも呼べない「攻撃」は全ていなされ、かわされている。
これならリミットブレイクも容易いだろう。
そう思った瞬間、カエルムは美術室と廊下を隔てる壁を破壊し……
『チッ。芸術を解さぬ愚か者共が。作品を作り直さなくては……!』
そう吐き捨てるように言い残すや、カエルムはくるりと踵を返して廊下を駆ける。
つまり、逃げたのだ。
そう認識するのに一瞬の間を要し、そして認識と同時に俺は……いや、俺と変身を解いた朔田は慌てて相手を追いかける。
「っ! 待て!!」
戦闘においては然程強くないようだが、逃げ足はやたら速いらしい。追いかけているのだが、距離は縮まるどころか逆に広がっている。
そして相手は廊下の角を曲がり……それに遅れる事数秒、俺と朔田もその角を曲がった、その瞬間。
反対方向から、何者かが歩いてきていたらしい。俺の少し前を走っていた朔田は、見事にその相手とぶつかり、数歩後ろに向ってよろめいた。
そんな彼を反射的に支え、そして朔田がぶつかった相手に視線を向ける。
ゾディアーツを追っていたとは言え、走っていたこちらに非があるのは明らかだ。ここは俺達が謝るべきだと思ったからなのだが……
……朔田がぶつかった相手は、あの「校医代行」の男だったらしい。彼の方はこちらの勢いに巻き込まれたせいか、廊下に尻餅をつき、眼鏡も彼から少し離れた位置まで吹き飛んでいた。
「……騒々しい事だな」
半ば睨むような目で俺と朔田を見ながらも、彼はやれやれと言いたげに立ち上がり、吹き飛んだ眼鏡を探すべく、きょろきょろと周囲を見回した。
恐らく今の彼は、件の「逸脱した視力」のせいで色々と……それこそ俺や朔田が見えないような物が見えているのだろう。普段から険のある顔つきが、更に険しい物になっている。
とは言え、こちらも恐らく険しい顔をしている事だろう。何しろ、彼とぶつかった事で完全にカエルムの姿を見失ってしまったのだから。
ようやく彼が自身の眼鏡を拾い上げ、掛け直しているのを見やりながら、俺は半ば詰め寄るようにして彼に向って問いかけた。
「怪人を見なかったか!? こちらに向かって逃げたはずなんだが」
俺達が追っていたカエルムは、間違いなくこちらに向かって逃げていた。ならば、向かい側から来ていたこの男は、カエルムとも遭遇しているはず。
そう思ったのだが……彼は軽く眉を顰めると、フンと軽く鼻を鳴らし……
「怪人? そんな物を見ていたら、こんな所でぼんやり突っ立っていると思うのか? 思うのなら、あまりにも愚昧すぎるぞ、貴様ら」
「……見て、いないのか?」
「確認するまでもないだろう。そもそも、貴様らとぶつかるまで、この校舎では誰ともすれ違っていないし、見てもいない」
思わず問い返した俺に、彼は更に眉を顰めて言葉を放つ。
そんな、馬鹿な。それじゃあ、カエルムはどこに逃げたと言うんだ?
まさか……考えたくはないし、そんなはずはないと信じたいが……彼が、カエルムゾディアーツなのか……?
そう考えると、カエルムの言動に、彼の言動と一致する部分があるような気がする。だが、彼があんな荒い仮面を作るのか? そしてそれを「芸術」と称すか?
混乱する俺を余所に、彼は再び軽く鼻で笑い……
「そもそも、この学園には何かしらの『怪人』が生息しているのか? ……ならば、一度解剖したい所だな」
くつくつと。
カエルムがやっていたのと同じように、喉の奥で笑う彼。
だからだろうか。朔田の表情が少し険しい物へと変化している。恐らくは、彼も疑っているのだろう。……目の前に立っている「校医代行」が、カエルムなのではないかと。
だが、疑われている当の本人はと言うと……然程俺達の視線を気にしている様子もなく、少しだけ眼鏡をずらして「何か」を見つめていた。彼の目は……彼の言葉を信じるならば、恐らく俺達には見えない「痕跡」とやらが映っているのかも知れない。何しろ、「匂い」の分子まで見えるらしいのだから。
そして唐突に、彼はその視線を俺達の上、つまり天井に這わせたかと思うと、苦々しい表情を浮かべ……
「……つまらん事をする」
それだけ言うと、彼はもうここに用はないのかすたすたと彼の仕事場……保健室へ向って歩き出した。
「……賢吾、奴は……」
「可能性はある。だが……確定していない以上、まだ何とも言えない」
――だが、如月達には言っておいた方が良いだろうな――
そんな事を思いながら、俺は「彼」と入れ替わるようにやって来た如月達に視線を送るのだった。