潜んでいるのは仮面の変人

【変・人・素・顔】

 始まったフォーゼとサジッタの戦いを眺めながら、クークは素顔のまま、小さくその口を「へ」の字に歪めた。
――うーん、やぁっぱ伴都、動きが鈍いなあ……――
 己の部下の一人……古道伴都だった者、サジッタゾディアーツに目を向けて、クークは冷静に判断する。
 サジッタはフォーゼの攻撃のほとんどをかわし、逆に剣と矢を織り交ぜた攻撃で翻弄していると言って良い。だが、時折フォーゼが繰り出す拳がサジッタの腹部や胸部に入り、その一撃一撃が着実にダメージとなって来ているのが見て取れる。
 微かにではあるが足元が覚束ない様子のサジッタに、クークは小さく息を漏らした。
 本来の古道伴都は、スピードを生かした接近戦型の戦い方を好む。だが、今の彼からはその「速度」が見られない。それは、クークの懸念していた「副作用」によるものなのか、それとも……やはり心のどこかで、伴都がフォーゼに対して攻撃する事を躊躇しているからだろうか。
――あるいは、その両方だったりして――
 そうクークが感じた時、サジッタの顔面にフォーゼのロケットモジュール付きの拳が綺麗に入り、その体が大きく傾いだ。
 スピードの乗った一撃だ。如何にラストワンを越え、「エネルギーの塊」と言う状態であっても、勢い良く頭を揺さぶられれば体もそれを追って傾ぐのは当然と言えよう。
『う、ぐぅ……っ!』
「伴都! 他人の心は自由になんかならねえ! ……だからこそ、面白いんじゃねえか!」
 呻き、がくりと膝をつくサジッタに、フォーゼが諭すように声をかける。
 恐らくは魁雅と京に、「愛を操る矢」を射ようとした事を言っているのだろう。確かにフォーゼの言う事も理解できるし、クークだって同意する。
 だが……同時に。クークはそれが、綺麗事であるのも充分理解している。
 フォーゼは分っていない。何故、「ただ矢を放つだけ」の攻撃しか出来なかったはずのサジッタゾディアーツに、「愛を操る矢」が放てるようになったのか。
 特異な力を持つようになるスイッチャーに共通する、「心の闇」の存在を。
――伴都が抱く心の闇は「依存」。伴都はあの「嘘の告白劇」において、それが「嘘」だとわかっていながらも「置いていかれる」と思った。だから、ラストワンを越えた。それまでの全部が演技でも、ね――
 置いていかれるくらいなら、自分から捨てる。……その為の鉛の矢。
 置いていかれる前に、永遠に自分の側にいてもらう。……その為の金の矢。
 それは、紛れもなく「古道伴都」自身が欲した力であり、コズミックエナジーは彼のその望みに応えただけにすぎない。
 結局の所、その「闇」をどうにかしなければ、根本的な解決にはならないのだ。
 ……フォーゼはその事に気付いていないようだが。
『……わかってるよ、自由にならない事くらい。…………でもね、だからこそ辛くもなるんだよ!』
 低く、しかし吼えるようにサジッタはそう言うと、再び「矢の剣」を構えてフォーゼへと駆ける。だが、それまでのダメージに加え、感情の昂ぶりも相まってか、剣の振りは大きく、簡単にフォーゼに見切られてしまう。
 ひゅんと空を斬る音だけが虚しく響き、直後にサジッタの体へフォーゼのスパイクの付いた蹴りが叩き込まれる。
 蹴りこまれた足が当たる度、棘が伸びてサジッタの体を形成するコズミックエナジーが削り取られ、物理的なダメージと共にサジッタを襲う。
 やがてサジッタは何を思ったのか、一旦後ろへ大きく飛び退ると、「矢の剣」を分解してただの矢へと戻し、それを一斉に放ち始めた。
 これ以上近距離戦を続けて、フォーゼにコズミックエナジーを削られるのは危険と判断したのもある。だがそれ以上に、もう「矢の剣」を維持出来る程のコズミックエナジーが残っていなかったのが、最大の要因。
 その攻撃を見るや、フォーゼはどこからか「20」と書かれた赤いスイッチを取り出した。
 フォーゼの持つそれは、先も使用したファイヤースイッチ。つまり、もう一度ファイヤーステイツとなり、彼の放つ矢を焼き尽くそうと言う考えらしい。
 しかし……フォーゼがそう出るであろう事は、サジッタも予測済み。
『炎はもう、お断りだよ。ゲンタロ!!』
 怒声と共に放たれた矢は、綺麗にスイッチの切り替え部分に当たると、そのままフォーゼの手の内からそれを弾き飛ばした。
 弾かれたスイッチは放物線を描き、フォーゼから離れた位置へと飛び、逃げ損ねていた京の足元へ着地する。
「ひっ!?」
 軽い音と共に着地したそれに向って、小さな悲鳴をあげつつも拾ってしまうのは単なる反射行動だったのだろうか。
 カタカタと震える指先で拾い上げた物の、京はそれをどうして良いのか分らない様子で、ただ自身の胸の前で握り締めておろおろとフォーゼとサジッタを見比べる。
「京! そいつを投げ返してくれ!」
『ダメだよけーちゃん。そんな事したら……撃っちゃうから』
「こ、これは如月君の物で……で、でも、如月君に返したら、わわわ私、古道君に撃たれて……」
 矢をかわしながらも京に向って手を伸ばすフォーゼと、矢を放ちながら京に向って牽制するサジッタ。そしてその二人に板ばさみにあうような形で、深く俯いてスイッチにのみ注視する京。
 それは、どうすれば良いのか悩んでいるようにも見えるし、恐ろしさのあまり竦み上がっているようにも見える。細かく震えているのは、やはり恐怖からなのか。
 だが、やおら彼女はその顔を上げると視線をサジッタ達から離し……
「じゃ、じゃぁ……そ、そちらの方なら、良いんですよね?」
 言うと同時に、フォーゼともサジッタとも違う方向へとそのスイッチを放り投げた。
「なっ!?」
『どこへ……』
 思わず戦いの手を止め、二人共、彼女が投げたスイッチを目で追う。
 赤い、消火器を連想させるそれは、綺麗な弧を描き……それはやがて、狙い済ましたように黒い手袋の中へすっぽりと収まった。
 その先に伸びる鎧の色は青。仮面の目に当たる部分は紫。
 ……京がスイッチを放り投げた先は、メテオだった。
『メテオ!? 馬鹿な!』
 まさかの存在の登場に、サジッタは驚いた声を上げる。
 ……彼は、知っている。メテオの目的が、「アリエスゾディアーツになりうる存在を探す事」にあるのを。だから、ラストワンを越えた「サジッタゾディアーツ」の前には現れないと思っていたのだ。
 一方でメテオは、京から受け取ったスイッチを左手で軽く握り締め、右手で鼻の頭を擦るような仕草をとると、驚いたまま硬直しているサジッタとの距離を詰め……
「ホワチャァッ!」
『がっ!?』
 怪鳥音と共に、サジッタの顔面を思い切り殴りつけた。
 綺麗に入った拳の勢いに押され、サジッタは思わず倒れこんでゴロゴロとその場を転がる。
『な……何故!?』
「貴様は確かに『当り』だ。……だが……どうにも貴様を許せなくてな」
 体勢を立て直しながら問うサジッタに、メテオは見下すような冷たい視線と、怒りを含んだ声を返す。サジッタを殴りつけた右の拳を、もう一度ギュリ、と鳴らして。
――……ああ、成程。キーワードが揃っちゃったからか――
 そんなメテオの様子を傍で見ていたクークは、それまでの情報を統合して納得する。
 メテオが朔田流星であると知った後、クークは昴星高校にいる自身の部下達に彼の事を調べさせ、そして知った。彼が、スイッチのせいで友人を失った事を。アリエスゾディアーツを探しているのは、その友人を救う為に必要だからだと言う事も。
――だからこそ、「スイッチ」に手を出し、その挙句、自身の「親友」であるはずの袖井魁雅を攻撃した古道伴都が許せないって訳ね。……青いなぁ、メテオ君――
 思わず込み上げる笑いを堪えながら、クークはその戦いをじっと見つめる。
 動きの鈍り始めたサジッタを見る限り、そろそろ伴都の精神が膨大な……だが、削られつつあるコズミックエナジーの大きさに耐え切れなくなって来ているのだろう。
 むしろ、今まで保っていた方が不思議なくらいなのだ。何しろ伴都は、スイッチとは異なる力を持ち歩き、それを常用している。種類の異なる力を身の内に受け入れれば、互いに反発しあい、使用者の体に膨大な負荷をもたらす。
 ……かつて、「アッシュメモリ」を打ち込まれた「オルフェノク」……灰猫弓がそうであったように。
「よし、今日はご褒美に、伴都の好物を作ってやろう。この後も大変な事、押し付ける訳だし」
 小さく……自分以外にはまず聞こえないであろう声でクークが呟く。
 そしてそんな呟きを知らぬフォーゼとメテオは、サジッタとの決着に向け、相手へ攻撃を繰り出しつつ、怒鳴るように会話を交わしていた。
「フォーゼ。このスイッチは借りるぞ」
「ええっ!? じゃあ俺はどうすりゃ良いんだよ?」
 京が先程投げたファイヤースイッチを軽く見せつつ言ったメテオに、フォーゼが抗議の声を上げる。だが、そんな彼の声など軽く流して、メテオは自身のベルトにファイヤースイッチを差し込む。
 瞬間、彼の体に赤い炎がふわりと取り巻き、彼の攻撃に炎と言う属性が付加された。
 メテオが使う場合は、姿が変わるフォーゼとは異なり攻撃に「属性付加」がなされるだけらしい。
 それはともかくとして、問題はフォーゼがどうするかだ。ファイヤーで矢を焼き払い、そのまま攻撃……のつもりでいた以上、他の方法は簡単に思いつかない。
 だが……そんな困惑も、すぐに消えた。いつの間にかやって来たらしい、賢吾の指示によって。
「如月! マグネットステイツだ! それならサジッタの動きを止められる!」
「お、そうか! サンキュ、賢吾!」
 マグネットステイツ。強力な磁力を発し、磁気の影響を受ける物であれば操作する事が可能な、「砲撃型形態」。
 磁気云々と言う点を抜きにしても、その姿での砲撃は多大なダメージを与える事は可能だ。
 それをフォーゼが理解したのかは定かではない。だが、彼は賢吾の言葉を信じている。
 即座にマグネットスイッチの制御端末であるNSマグフォンと呼ばれる携帯電話型のツールを取り出すと、彼はその両端をぐっと握り締め……
「割って、挿す!」
 その言葉と同時に、中央部分から分離したNSマグフォンをベルトの右端と左端にそれぞれ差し込む。
 赤い「N」と青い「S」。磁石その物と同じ色を与えられたそれらが差し込まれた刹那、電子音が響いた。
『N Magnet』
『S Magnet』
『N,S Magnet On』
 その音と共に、フォーゼの姿が変わる。白かったスーツは銀色に、仮面の色はそれまで残っていた白が一掃されて全面黒に。体には手の甲から肩、そして足にかけて右に赤、左に青いラインが一本入っており、両肩にはキャノン砲が乗っている。
 フォーゼがその姿に変わったのを見るや、メテオは再度メテオギャラクシーにあるマーズのレバーを引き、左手の人指し指を押し当てた。
『Mars Ready?  OK! Mars』
 更に彼はファイヤースイッチをオンにしたまま、ベルトの中央部、天球儀型のドライブユニットを回した。
『Fire. Limit Break』
「ホォォォォォワチャァァッ!」
 ファイヤーとマーズ。超高熱の属性を持つ二つの力を同時に纏ったメテオの拳は、もはや「火星」よりも「太陽」に近いだろうか。
 煌々と燃え上がる恒星のような拳を握り締め、メテオは気合と共にサジッタの胸部にそれを叩き付けた。
 そして拳がサジッタに触れた瞬間、サジッタの体にも炎が伝播しその体を嘗め上げ、ジリジリとその身を灰へと化していく。
 その熱に、サジッタが悲鳴を上げるよりも先に。フォーゼのリミットブレイクの準備も完了したらしい。
 フォーゼの前にU字磁石に似た形のNSマグネットキャノンと呼ばれるそれが展開、超電磁砲の要領で生み出された電磁エネルギーの弾が、発射の瞬間を今か今かと待っているように見えた。
 そして……
「ライダー超電磁ボンバー!!」
 フォーゼの宣言の後。発射された電磁エネルギーは真っ直ぐにサジッタに向い、そのまま彼を放った強力な磁界の中へ収束……と言うよりも圧縮していく。
 やがてその圧縮に耐え切れなくなったサジッタの体は、燃え上がりながらもビキリと大きな音を一つ立て……
『僕はただ……置いていかれたくないだけ、なのに……うああぁぁぁぁぁぁっ!』
 断末魔の悲鳴にも似た伴都の声が響き、サジッタゾディアーツは消失。唯一残った彼のスイッチをフォーゼが拾い上げ、それを切る。切られたスイッチはしゅぅと小さな音を立てると、黒い靄となって空気に溶けた。
 太陽は少しだけ顔を出している。これなら恐らく、魁雅の体に撃ち込まれた矢の影響はないだろう。
 変身を解き、ほっとすると同時に、どこかやるせなさを感じる弦太朗。
 いつの間にかメテオはその姿を消しており、残っているのは仮面ライダー部の面々と、巻き込まれて困惑しきりの京だけだ。
「……今の、何なんですか? 昼の怪人と古道君のさっきの姿は、何か関係があるんですか? 彼は、どこに行ってしまったんですか?」
 何も知らない者から見れば、おそらくフォーゼやメテオがサジッタを……古道伴都を「殺した」ように見えたのかもしれない。
 そうではないと説明しようと、弦太朗が口を開きかけた、その瞬間。
『彼は消されてしまったのだよ。そこにいる男の手によって』
「ひっ!?」
 一体いつから立っていたのか。声がした方……仮面ライダー部の面々と向かい合うような場所に、リブラが地面から生えるように立っていた。
「あ、あなた……お昼の時の……? それに、あの、け……消されたって……?」
「嘘よ京! 私達は、彼を元の肉体に戻しただけ。そいつの言葉に耳を傾けてはダメよ!!」
 半歩だけリブラの方へ寄ろうとした彼女を、美羽が鋭い声で止める。
 その声に京はビクリと体を震わせ、結局元いた位置で俯いてしまう。その顔が今にも泣き出しそうに見えるのは、彼女の理解を超える出来事が連続で起こっているせいだろうか。
 そんな事を思いながら、弦太朗は京とリブラを交互に見つめる。
「お前、また京にスイッチを渡すつもりか!」
『そうだ。彼女には、これが必要なはずなのでね』
 そう言って、リブラはマントの下からスイッチを持った手をぬぅっと差し出す。昼にも差し出した、「彼女の為のスイッチ」を。
 だがそれが先程、伴都が倒れた跡に残されていた物と類似している事に気付いたのだろう。彼女ははっとしたように目を見開くと嫌々と首を横に振って拒絶の意思を示す。
「い、要りません。私、そんなの、本当に……」
『いいや、必要なはずだ。……先程見せてもらったよ。君が、血を吐いていたところを』
 ゆっくりと京に近付きながらリブラは笑いを含んだ声で言の葉を紡いだ。
 一方で弦太朗は今までその事実を知らなかったのだろう。はっとしたように周囲を見回し……そして壁際に蟠っている黒ずんだ血溜まりを見つけ、驚いたように目を剥いた。
「血……って、まさか、あれの事か!?」
「あの色……内臓系の損傷による吐血だ。だが、あれが本当に彼女一人の吐血量だとしたら……命に関わる重篤な症状だぞ!」
 保健室の主、体の弱い賢吾だからこそ分る事なのか、彼も顔を顰め、声に不安げな色を滲ませて叫ぶ。
 ひょっとすると、昨日弦太朗が見かけた際に「血痰だ」と言っていたのも、本当はそんな可愛らしい物ではなかったのではないだろうか。
 そんな予感に駆られて京を見れば、彼女は俯いたまま……しかしどこか弱々しい笑みを浮かべて、ポツリと言葉を漏らした。
「確かに……その、歌星君が仰るように、わ、私、内臓にちょっと……問題を抱えています。その、生まれた時に、お医者様からは……二十年生きられるか分らない、って、言われていますし」
 彼女のその言葉に、ライダー部の面々が……そしてリブラも内心では……驚いて彼女の顔を見やる。
 ますます俯いてしまったが為に顔色は窺えないが、少なくとも「血色が良い」ようには見えない。
「だから、関わって欲しくないんです……」
 続けた声が震えているのは、泣きそうなのを堪えているからなのだろうか。
 ズキリと痛む胸を押さえながら、弦太朗が彼女に向ってそっと手を伸ばしたのと、リブラが得意げな声と共に彼女の鼻先にスイッチを差し出したのは同時だった。
 いつの間にこれ程までの接近を許していたのだろうと目を見開く弦太朗とは対照的に、リブラは優しさを伴った声で誘惑を始める。
『だが、人間を捨てれば、君は生き長らえる事が出来る』
「……人間を、捨てる?」
『そう。先程のサジッタのように』
「そうすれば、私は……生きていられる……」
「やめろ京! そんなの嘘に決まってる!」
『嘘かどうか、君が判断すると良い』
 弦太朗の制止に、リブラは平坦な声で彼女に囁く。
 勿論、リブラの言葉は弦太朗の言うようにでまかせだ。渡して歩いているスイッチにそんな効果があると言う話は、彼の主である我望からも聞いた事はない。
 だが……ひょっとすれば。今はもういないスコーピオンがコズミックエナジーで「毒」を作り出す事が出来たように、「生きていたい」という願いが……生への執着が強ければ、見た事もないようなゾディアーツになる可能性も高い。
 それこそ、いつかのオフィウクスゾディアーツが望んだ、「死者を生き返らせる」事すらも可能な存在が。
「私……私……」
 カタカタと小刻みに震え、それでもゆっくりと彼女はスイッチに手を伸ばす。
 横で止める弦太朗の声など、聞こえていないかのように。
「顔を、隠せる……こ、これを使えば……生きて、いられる……?」
 彼女は苦しげに顔を顰め、リブラの手から小さなスイッチを受け取った。
 その刹那。
『Last One』
 彼女の掌の上で、スイッチの外観が変化し、より醜悪な見目の物へと変わる。
 その事に、リブラは軽い感動を覚え、ライダー部の面々は逆に驚きで目を見開く。
「いきなりラストワンだと!?」
『さあ、スイッチを押したまえ。そして人間を捨てると良い』
「私……要らない……こんなの、要らないのに……」
『要らないのはスイッチではなく、人間の体の方だ。……さあ』
 俯き、首を横に振り、更には「要らない」と言いながらも、彼女はスイッチから手を離さない。
 ……いや、ひょっとすると離せないのかもしれない。リブラの、彼女の心に付けこむような話術と、それを否定するだけの材料のなさのせいで。
「わ、私……私、は……」
「よせ、京!」
 震える声で、ぎゅうとスイッチを握り締めた彼女に危険な物を感じたらしい。弦太朗が慌てて京に向って手を伸ばし、そのスイッチを取り上げようと、一歩前に出た……刹那。
「あ、美羽お姉さんたちです」
 それは、リブラが現れたのと同じ方向から聞こえた。
 美羽を見つけた事が心底嬉しいと言わんばかりの、無邪気かつ能天気な声。
 思いもかけなかったその声に、全員がそちらの方へ視線を向ける。そこにいたのは、赤いランドセルを背負った小学生。先程隼が教員室に送り届けた「知り合い」……吾妻霧雨。
「霧雨ちゃん!?」
「何でこんなよりにもよって最悪のタイミングで!?」
 ユウキとJKの声に含まれる嘆きや焦りに気付いていないのか。更にはリブラの姿が目に入っていないのか。
 彼女はにこにこと嬉しそうな笑みを浮かべながら、美羽の近くまで歩み寄った。
「『じゅぎょーさんかん』のお手紙は、大文字先輩さんのお陰で、無事お兄ちゃん達に渡せ……あう?」
 ご丁寧にも報告に来たらしい彼女だが、そこまで言ってようやくリブラと、スイッチを抱えて震える京の姿に気付いたらしい。
 一瞬緊張したようにその顔を強張らせた後、何故か彼女はきょとんと目を見開いて軽く首を傾げた。
「リブラです。それに……」
「霧雨さん、先に行かないで下さい」
「また迷子になっても、もう俺は知らん……って、天秤野郎!?」
『君達は……』
 霧雨が何かを言おうとするよりも先に、彼女の「保護者」である灰猫弓と彩塔硝子もその姿を見せた。
 おまけに弓の方は真っ先にリブラの存在に気付いたらしい。緊張を含んだ声を上げると、ギロリとリブラを睨みつけ、硝子も即座に拳を握って戦闘態勢に入る。
 そしてリブラもまた、先日の轍を思い出したらしい。チィと一つ舌打ちを鳴らすと、彼が最も厄介だと思う存在に向けて、触角から電撃を放った。
 そう、「本質を見る目」を持つ、霧雨に向って。
 その事に真っ先に気付いたのは、「リブラのすぐ側にいた人物」。
「っ! 危ない!!」
 その行動は、半ば反射的なものだったのだろう。「そいつ」は即座にリブラの脇腹を蹴って電撃の軌道を反らすと、今度は先程リブラを蹴った足を軸足にしてその場でターンするように回し蹴りを見舞った。
 唐突な……そして思いもよらない方面からの攻撃に、リブラはよろめきながらも自身を蹴った相手に目を向ける。相手の方は、少し動いた事で体に負担をかけたのか、ケホケホと数回咳き込みながらも、口の端からうっすらと血を流していた。
 そしてそんな「彼女」を、弦太朗は……そして弓と硝子も、驚いたように見つめていた。
「……京、お前……」
 それ以上の言葉が出ないらしい。何を言えば良いのか困っているように口をパクパクとさせている弦太朗に、彼女……孤桜京は、口元の血をぐいと拭い……
「…………ふふっ。ふふふ。あはは……あはははははははっ!」
 唐突に。そして堪えきれなくなったように。彼女は腹を抱えて笑い出した。
 大爆笑と言っても過言ではない。目元には笑いすぎて生理的な涙が浮き、息継ぎも儘ならないのか、顔は微かに紅潮している。
 その行動の意味を、リブラは理解できなかったのだろう。怒りと疑念の混ざった声で、彼女に向って問いを投げた。
『何が、おかしい?』
「あっはっはっはっはっは。あーあ。もー、だから言ってるじゃないですか。……『要らない』って」
 普段からは考えられない程高らかに笑いながら、京がそう言った瞬間。
 彼女は手の中にあるスイッチをそのままバキリと握り砕き、その残骸を地に落とし、更にぐりぐりとそれを忌々しげに踏み躙った。
 その顔に、今まで弦太朗が見た事のないような……薄ら寒い笑みを浮かべて。
――目が、笑ってねぇ――
 顔全体は笑っている。声も、どこか楽しげだ。だが……目だけは冷たい光を湛え、その光がそのまま彼女を冷たく見せている。
 その顔は、今までの彼女からひどくかけ離れている。恥ずかしがりで、関わって欲しくないと嘆き、そしてひたすら人目を避けるように顔を隠してきた彼女の姿が、偽りだったとは思えない。だが、今目の前で冷たく笑う彼女も、偽りのようには見えない。
 彼女の持つ二面性と言う物だろうか。不思議に思いながら……そして心の片隅で近付く事を恐れながら、弦太朗はただじっと彼女の顔を見つめていた。
「確かに私は他人に顔を晒すのを嫌っています。私、恥ずかしがり……って言うか、『シャイ』なんで」
「……ちょっと待て。シャイってお前まさか」
「何故でしょう。非常に嫌な予感しかしません」
 強調されたシャイと言う単語に、何か心当たりがあるのか。弓と硝子がそれぞれに思いきり顔を顰め、それでもどこか信じられないと言いたげな表情で京を見つめる。
 一方で、見られている京はそんな二人を楽しそうに見つめ……そしてどこからか、黒に近い色をしたUSBメモリに似た物体を取り出して、リブラの方へ見せ付ける。
「そんなシャイなボクが、とっくに顔を隠す方法を手に入れてるって……思わなかったのかにゃぁ?」
――Masquerade――
 そのメモリを鳴らすや、彼女はニタリと笑って、その先端を自身の左胸に浮かんだコネクタに突き立てた。
 瞬間、その姿は、チア部のコスチュームそのままに、顔だけが黒い「仮面」へと変化した。弓と硝子、そして弦太朗にとって見慣れた顔。
 ……マスカレイドドーパントの姿へと。
「嘘……だろ?」
 そう呟いたのは誰だったのか。
 その声を聞いた京……マスカレイドは、その場でスタタンと奇妙なステップを踏んで見せた後、唯一驚いた様子を見せない霧雨に向って、ひらひらと手を振った。
『やっほーむーちゃん。とっさの判断で動いちゃったんだけど……怪我はないかにゃ?』
「やっほークーちゃん。怪我はないよー」
『それは良かった。むーちゃんはボクの大事なお友達だもんねー』
「ねー」
 くき、と愛らしさを演出するように首を傾げたクークに倣うように、声をかけられた霧雨もにこにこと笑いながら同じように首を傾げた。
 そんな二人の仕草で、ようやく硬直から抜け出せたらしい。弓と硝子ははっとしたような表情を浮かべると、まだ少し震えの残る声で、彼女に向って問いを投げた。
「孤桜さん……いやクーク。お前…………女、だったのか? しかも、学生?」
「……ちょっと、信じ難い事実を見ている気がします」
「う? クーちゃん、最初から女の子だよ?」
『正確には、『SRY遺伝子欠失XY型女性』だよ。って言うかボク、一度も『男だ』なんて言ってないよ?』
 マスカレイドドーパントは、タキシードを着ている事が多い事や、目の前のマスカレイドの一人称が「ボク」であった事などから、「男性である」と言う先入観を抱いていたらしい。身長だって、女性にしてはやや高めだった事も、「男性だ」と思いこむ要因の一つ。
 唯一「本質を見る目」を持っている霧雨だけは、クークが「女性」であると気付いていたようではあるが……
 だが、言われてみれば気付くべきだったのだ。……一昨日遭遇した際に、「彼女」が女子の制服を着ていた時点で。
 あの時は、「女装趣味か」程度にしか思わなかったが……そんなはずがない。いくら潜入の為とは言え、そう簡単に「女子の制服」が手に入るはずがない。……クークの素顔が、「女」でもない限り。
『ちなみに、ボクの性別って、性分化疾患の一つでねー。男性固有のY染色体の中にある、SRY遺伝子が欠けるとね、胎児の時に精巣が出来ず、未成熟な卵巣が出来る。結果、ホルモンバランスとかの関係で外観は女性その物。……ただ、男性特有の遺伝子も持ってるから、背は普通の子より高めになるって言う特典付き』
「う? うう?」
 聞かれてもいないのに説明を続けたクークの言葉の意味を、霧雨は理解しきれなかったのだろう。困ったように首を傾げ、クークの顔を見やった。
 そしてそれは賢吾、弓、硝子、リブラを除く面々も同じらしい。混乱したように頭を抱え、悩んでいる。
 女性なのに、男性特有の遺伝子を持つと言う意味が分らない。どう見ても孤桜京は、「女性」であったはずなのに。
『ごめんごめん。難しかったかにゃ。ざっくり言うと、『男の娘』って奴?』
「確実に違うし更に分り難くなるからやめろ」
「変な情報を霧雨さんに吹き込まないで下さい。あと、その顔でその格好は、一種犯罪です」
『えー? オンナノコなんだから、この格好でもおかしくないのにー』
「顔がアウトだ」
『ちぇー。ホント、キミ達って採点厳しいなぁ』
 即座に弓と硝子に突っ込まれ、ひょいと肩をすくめてクークはそう言うと、今度はリブラと仮面ライダー部の面々の方へと向き直り、スカートを抓んで広げるような仕草で一礼を返した。
 自身の性別など、本当はどうでも良いのだろう。クークにとっては、ただ「他人より少し違う、面白い存在」と言うだけだから。
『改めて自己紹介させてもらうね。ボクは『クーク』。財団Xから派遣された監査官。正体隠してこの学校にいた訳だから、リブラがボクの事を知らなかったのも無理ないけどネ』
 クックと喉の奥で笑いながら、クークは楽しげな声で「自己紹介」をする。だがその口調は、弦太朗達が……少なくとも美羽が知る「孤桜京」の物とは大きくかけ離れていた。
 あまりにも大きなその差に、美羽は信じられないと言いたげに口元を押さえながら、クークに向って声をかけた。
「京、あなた……だって、この学校の生徒で……」
『あーうん。ゴメンネ、風城サン。『孤桜京』はボクの、普段使い用の偽名なんだよ。ほら、クーク……『KOOK』をバラバラにすると、『KO』で『こ』、『O』は『おう』、そんでもって『K』で『けい』』
 宙に指で「KOOK」と書きながら、クークは自身の仮の名である「孤桜京」と対応させていく。
 それを聞けば、確かに「孤桜京」は「クーク」になる。だが……何も知らなければ、「京」はただの天高の生徒だ。誰が、あの恥ずかしがりで人前に出る事を極端に怖がる彼女が、こんな奇妙なマスカレイドドーパントだと気付くだろう。
 ……気付かなかったからこそ、リブラも彼女にスイッチを渡そうと画策したと言うのに。
『て言うかさぁ、リブラ君。そもそも最初から人間じゃないのに、どーやって人間を捨てるって言うのさ?』
「人間じゃ……ない?」
『そ。ボクは財団が造った人工生命体だから。こんなよくわかんない性別なのも、遺伝子操作による弊害って奴さ。ちなみに、そのシリーズの中でもボクは失敗作中の失敗作だよん』
 未だ信じられないといった表情で、呆然と呟いた弦太朗に、クークは言葉の重さとは正反対の、やたらと明るい声で返した。
 失敗作中の失敗作。そう言いながらも、クークはそれを誇りに思っているかのように胸を張る。それは、自身が「財団の失敗作」であるが為に、今の立場にいると言う事を自覚しているからなのか。
『まあ、それはともかく。……ねえリブラ。実はボク、キミの事……結構嫌いなんだよね』
 タン、と。それまで鳴らしていた足を止めたかと思うと、クークは低い、感情が抜け落ちたかのような声で、リブラに向って言い放った。
 その低い声に、ライダー部の面々の背にぞくりと冷たい物が走る。向けられたリブラもまた、同じように冷たい……いや、薄ら寒い感覚を覚え、無意識の内に半歩後ろに下がってしまう。
 クークは武器を持っていない。それどころか、顔を向けただけだと言うのに。どう言う訳かリブラの脳裏には、我望に睨まれた時と同じ感覚が蘇ったのだ。
『……ボクを巻き込もうとした事は、まあ許してあげる。シャイなボクに強引に迫ってきた事も、百歩譲って許したとしても、だ』
 じゃり、と。クークが一歩前に足を踏み出す。踊る訳でもなく、単純に、前に。
 それが反って、彼女の怒りを表しているのだと言う事を、図らずも付き合いの長い弓と硝子は理解していた。
 ……常日頃から踊っているようなステップを踏んでいるクークがその足を止めると言う事は、即ち本気で戦うつもりであると言う事を。そんなクークを、彼らはかつて一度だけ見た事がある。
 そして、その結果どのような結末が待っていたかも。その引鉄が何だったのかまでは流石に知らないが。
「あー…………死んだな、あの天秤」
「ですね」
 どこか遠い目で呟いた弓と硝子の声は、果たして誰に向けられた物だったのか。
 ただ、彼らの声は重ねるようにして放たれたクークの声に消されてしまった。
『ボクの大事な人達に手を出した事は、絶対に許さない。地に這い蹲って惨めったらしく許しを乞わせてやる』
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