潜んでいるのは仮面の変人

【仮・装・行・列】

 妙に広い家の中。だが、その家の中でも最大の広さを誇る個室は、まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのように……あるいはその部屋その物がおもちゃ箱であるかのように、おもちゃが床一面に散乱している。
 だが、この部屋の主はそれを気に止めている様子はなく、部屋の中央にあるベッドの上でごろりと寝そべり、傍らには一人の青年が呆れたようにその人物を見下ろして持っている書類をめくっていた。
「……現時点での天ノ川学園高校に関する報告は以上です、クーク様。なお、財団には『概ね問題なし』と報告しておきました」
「ああ、うん。それで良いよー」
「星雲女子学園高等学校、並びに昴星高校の方からも、異常はないとの報告がありました。なお、夕飯当番の義人(よしと)と洗濯当番のアンディを除き、今日は部活や合コンで遅くなるそうです」
「我が部下ながら、皆リア充だねぇ。結構結構。あ、帰ってきた時の為に、お風呂沸かしといてあげてって、義人かアンディに伝えておいて」
 言われた方……素顔の左半分を隠すような白い仮面をつけたクークが、自身の部下である青年に対してにこやかに言葉を返す。着ている服は財団から支給されている白い服なのだが、着崩しているせいで特有のかっちりとした印象は受けない。
 とても報告を受けるような態度には見えないが、クークのそれはいつもの事である為か、青年は呆れた表情を浮かべてはいるものの、諌めるような事はしなかった。
 面白い事しかしたくない、面白くない事には動きを見せない。それがクークと言う存在だと、十年以上付き合っていれば、嫌でもわかる。結果、財団への報告や家の事などは、部下である「彼ら」が行なう事になってしまうのだが……それを苦だとは、自身を含め誰も思っていないらしい。結局の所、何だかんだ言いながらも尊敬している。
 ダメな上司の下(もと)に就くと、下がしっかりすると言うが、まさにその典型だろう。クークは自分達を働かせる事に関しては天才的な才能を持っている。
 しかし怠惰なように見せかけていても、財団の中でも有数の幹部だと言うのだから侮れない。クークの実力は、直属の部下である彼らが誰よりもよく知っている。
「……ところでクーク様。今回はサジッタゾディアーツと交戦なさったと聞きましたが」
「うん、したよ。副作用の確認を兼ねてね」
 クークの言葉に、青年が訝しげに顔を歪める。ゾディアーツスイッチに何らかの副作用があると言うのは初耳だ。勿論、強力な依存性や精神への負担と言う面は聞き及んでいるが……それはどのようなツールであれ同じ事が言える。クークが扱うガイアメモリも同じ事だ。
 ならば、クークの言う副作用とは一体何なのか。
「前回、愛がスイッチの『試用』をしている時に確認したんだけどね。『記憶の部分欠如』……何の為にスイッチに手を出したのかと、自分がボクの部下であると言う事実を忘れて、スイッチに飲まれていたから、気になってサ」
 その言葉に、青年はぎょっと目を見開く。「愛」とは自身の同僚、すなわち十一人いるクークの部下の内の一人である繰糸くりいと 愛の事だ。
 クークの部下は、一人を除き十年以上クークに仕えている。愛もそのうちの一人だ。それなのに、その事実を忘れてしまっていたと言う事は……即ちそれまでの人生を侵食されていた事に他ならない。
「……どうやら、スイッチと別の力を併用した場合、何らかの副作用が生じるらしい。おまけに、『持っていた力』の種類によって症状はまちまち。今回の場合は二つの力が反発しあって、体調不良って形で現れている。その上、あの子が持っている『迷い』もあって動きが鈍い。本気のあの子なら、もっとボクを追いつめられたはずだ」
 「ちょっと期待してたんだけどなー」と呟きを落とすクークに、青年は軽く眉を顰めた。
 それが上司に怪我を負わされた際の責任の所在を考えたからなのか、それとももっと別の理由があるからなのかは定かではないが。
「奴がクーク様を傷つけるような事になれば、色々と問題が生じます。それに、あなたが死ぬような事になれば、僕達は路頭に迷う事になりかねません」
「いつも言ってるけど、下剋上ならばバッチ来いカモン! それならば路頭に迷う事もナシ!」
「いつも申し上げておりますが、お断りします。僕達も面倒事は嫌いですので」
「えー? 酷いなあ。そうやってボクに、『上からの圧力』っていう一番の面倒事を押し付けるんだから」
 拗ねたように自身の部下を見上げながら、クークはベッドの上に乗っていたクッションの一つをぎゅうと抱きかかえる。
 が、次の瞬間。クークは一瞬だけうっと呻くと、体を折ってゴホゴホと苦しげに咳き込んだ。勢い良く前傾姿勢をとったせいか、顔にかけていた仮面は外れ、カタンと床に転がり落ち、その素顔が曝け出される。
 一方で側に立っていた部下は心配そうに顔を歪めると、反射的にクークの背に手を伸ばして撫ですさった。
 どれだけの時間そうしていたのか。ようやく咳が治まったクークは呼吸を整えると、ゆっくりと紅潮した顔をあげて……
「うう、老い先は短そうぢゃ」
「…………すっとぼけた事を言っていないで、薬を飲んで下さい。今のあなたは、あまり体が丈夫ではないんですから」
「へーい。ああ、後でキミも薬を飲むよーに。風邪引いてるでしょ? ちょっと声擦れてるよ?」
「……何でご自身の事よりも、部下である僕達の体調の方にお詳しいんですか……」
 ふざけた口調で言ったクークに、青年は呆れた表情を返すと、枕元においてあった、緑色の薬液が入った小瓶を渡す。
 とは言え、彼はこの薬液に見覚えがない。いや、そもそもそれを薬液と呼んで良いのかどうか。何しろ見た目には薄いメロンソーダにしか見えない。クークの性格から言って、渡した液体が「実はメロンソーダでした」と言う話である可能性は高い。
「ところでそれ、本当に薬なんですか?」
「まさか。細胞維持酵素だよ」
 心配になって問うた青年に、クークは小瓶の蓋を開けつつさらりと言葉を返す。
 その言葉に、青年は一瞬だけぎょっとしたような顔になる。
 細胞維持酵素と言えば、かつて財団が資金提供していた研究の一つである「死亡確定固体復環術」……俗に「ネクロオーバー」、あるいはもっと簡略化して「NEVER」と呼ばれる者達の存在維持に使われる酵素だ。
 だが、これは研究の名が示す通り「蘇生された死体」に用いられるものであり、クークが使用するメモリは「マスカレイド」。マスカレイドが倒された場合、メモリに内蔵された小型の爆弾が爆発し、その亡骸は塵となって消滅する。つまり「死体」になりようがない。
 そうだと気付くや、青年はすぐに表情を冷静な物に戻し……
「……いつ、あなたがNEVERになったと言うんです。ふざけてないで飲み干して下さい。そもそも、NEVERの細胞維持酵素は経口摂取ではなく注射です」
「あ、その顔は信じてないな。これ、甘そうな色してるくせに、口の中が痺れるくらい苦いんだぞ」
 呆れ顔で言った部下に文句を言いながらも、クークは大人しく小瓶の中の液体を煽る。
 口に含んだ瞬間に物凄い勢いで顔を歪めた事から察するに、言っていた通り相当に苦い薬なのだろう。それでも吐き出さずに嚥下している所を見ると、効果があると言う事は分っているらしい。
 「楽しい事しかしたくない」といつも言っているが、「楽しい事をする為の努力」は楽しくなくてもするらしい。薬を大人しく服用しているのも、そう言った努力の一環なのだろう。そうでなければ即座に今の薬をも吐き捨てる輩だ、クークと言う存在は。
 だからだろうか。己の主が完全に薬液を飲み干したのを見届けるや、青年は深々と一礼をしてその部屋を後にした。報告する事はもうないし、食事が出来上がるまではまだ時間がある。当番の「義人」と言うらしい人物を手伝うつもりなのだろう。
 そんな彼の背を見送ると、クークは真顔になって部屋の片隅に追いやられている鏡に視線をめぐらせた。
 鏡に映る、自身の素顔。それを見て、薬を飲んだ時とは比にならない程忌々しげに顔を歪ませる。
 普段から仮面を被るのは、常日頃言っているように「シャイだから」……などでは勿論ない。いや、実際に「シャイ」な側面も持っているが、それが一番の理由と言う訳ではない。
 最大の理由。それは……自身の顔が、何よりも嫌いだからだった。
 クークの素顔は、世間的に見て美形の部類に入る。それでもこの造形が気に入らないのは……ひとえに、クークの生い立ちのせいであろう。
「……フン。この顔がいくつもあると思うとぞっとする。ボクは、クークだ。……もう、K-0011じゃ……財団の被験体なんかじゃ、ない」
 低く呟くと、クークはふいと鏡から目を反らし……そしてボフンと枕に顔を埋めるのであった。

 昼時、皆がカフェテリアで食事を取っているであろう頃。普段から人気など微塵もないはずの校舎裏。
 そこに二つの人影があった。一つはチア部のコスチュームに身を纏った、すらりと背の高い女性、孤桜京。そしてもう一つは……皿を二枚合わせたような顔と、やたらと長い触角を持つ異形、リブラゾディアーツだ。
 そのリブラの左手にはゾディアーツスイッチ。そしてそれを京の顔の高さで掲げ、右手の杖で京の逃げ道を塞いでいる。
『君は、星の力を手に入れたいとは思わないか?』
 機械加工されたような声の中に偽りの優しさを滲ませて、リブラは京の眼前にスイッチを差し出す。
 一方で彼女は、泣きそうな表情を浮かべてそのスイッチから視線を外し、両手に持つポンポンで己の顔を隠した。顔と一緒に視線も隠しているのは、スイッチを嫌悪しているからなのか、それとも惹かれそうだからなのか。どちらにしろ、金の房が邪魔をして、その表情を窺う事は出来ない。
 だが、リブラは彼女の行動を後者と受け取ったらしい。強引に彼女の顔の前にある房を掻き分け、その鼻先に突きつけるようにスイッチを差し出す。
『さあ。受け取りたまえ』
「い、要りません……」
『君にはスイッチが必要なはずだ。これを使えば、人前に顔を晒す事はないのだからね』
 蚊の鳴くような拒否に、しかしリブラはなおもぐいと彼女の視界にスイッチが入るように差し出しながらそう言葉を放つ。
 そしてその言葉に、京はピクリと小さく反応し……
「顔を、隠せる……?」
 顔を晒さない、顔を隠せる。
 その事に何らかの興味を抱いたのか、京は小さな反応を示し、それまで反らしていた視線を僅かにだがスイッチへ向けた。
 それを見て、リブラは内心でほくそ笑む。
 今の彼女は揺れている。怪しげなスイッチに手を出すか否かで。
――もう一押し、と言ったところか――
 あと少しだけ唆せば、彼女の心はスイッチに傾く。それを確信し、もう一度彼女の目の前にスイッチを差し出した。
『そう。君は、今の自分を捨てたいのだろう? このスイッチなら、今の君を……人間を捨てる事が出来る』
「今の私を……人間を、捨てる……?」
 ぼんやりと呟くようにリブラの言葉を繰り返し、京は夢を見るような目でスイッチを見つめる。それまで反らしがちだった目が、今では完全にスイッチに固定されており、それでもまだ悩んでいるのか、手に持った房がカサカサと彼女の震えを教えている。
 だが、リブラの経験上こう言った反応を示す生徒は、大抵スイッチに手を出す。功を焦って無理に押し付けるような真似をしなければ、確実にこちらの思惑通りに動く。
 事実、彼女の手が僅かずつではあるが、スイッチに向って伸び始めているのが見て取れる。
 完全に彼女の心はスイッチに傾いた。そうリブラが確信した次の瞬間。
「よせ、京!」
「やめなさい!」
 どこかで監視でもしていたのだろうか。響いてきた声に振り返れば、そこには忌々しいフォーゼの姿と、パワーダイザーに登場している隼、そして彼の仲間である仮面ライダー部の面々が立っていた。
 京もそれに気付いたのだろう、はっとしたように伸ばしかけた手を引っ込め、持っているポンポンで再び顔と視線を即座に隠す。
 その様子に、リブラは舌打ちをしたい気分に駆られる。折角彼女がスイッチに手を伸ばすところまで言ったと言うのに、彼らの登場で振り出しに戻ってしまったのだから。
『……君達は黙っていたまえ。今は、私が彼女と話している』
 苛立ちながらもリブラはフォーゼにそう言うと、自身の持つ杖、「ディケ」を振るって自身の分身体とも言える兵士、ダスタードを出現させる。
 黒い忍者のような姿をした無数のそれらは、リブラの意思の下、一斉にフォーゼ達に向って襲い掛かる。
 ダスタードの存在が壁となり、京をリブラから引き離す事が難しくなる。パワーダイザーが、その強力で一息に蹴散らしてくれるのだが、蹴散らしても蹴散らしてもリブラの影からダスタードが生まれ、その数が減る事はない。
「くそっ! またこいつらか!」
「弦太朗さん、急いで! あいつ、あの人をもう一回巻き込もうとしてる!」
 フォーゼから少し離れた位置にいる友子が、リブラを指しながら鋭く声を上げる。
 その声に反応してダスタード越しに視線を送れば、確かに壁際に追いやられた京に、リブラが再度スイッチを差し出しているのが見えた。
 だが、すぐにまたフォーゼの視界をダスタードが阻み、フォーゼの動きを封じようと取り囲んでくる。
「くっそぉ……邪魔すんな!」
 群れるダスタードに向ってフォーゼが怒鳴るが、それはダスタード……否、リブラも同じ事。京を「星の運命」に導く邪魔をするなと、フォーゼに向って声を大にして言いたいところ。
 己の分身体が、忌々しい連中を足止めしている間に、何としてもスイッチを彼女に渡してしまおうと画策しているのか、リブラは再度彼女の鼻先にスイッチを差し出して囁いた。
『さあ、このスイッチを使いなさい。星の導きのままに』
「……あ……」
『さあ』
 スイッチとリブラの顔と、そして少し離れた場所で戦うフォーゼとパワーダイザーを順に見やると、彼女は泣きそうに顔を歪めた後、それら全てから視線を外すように俯き、ポンポンを持った手で顔を覆う。
 房がカサカサと鳴っているのは、彼女が小さく首を横に振っている為だろうか。
「私……私、は……」
「孤桜!! スイッチに手を出せば、自力では戻って来れなくなるぞ!」
『自分を捨てたいのだろう? さあ』
 未だ迷う素振りを見せる京に、賢吾とリブラが同時に声をかける。
 勧める声と止める声の両方に苛まれているせいか、京はますます顔をポンポンに埋め、はっきりと首を横に振った。
 否定の意味である事は、誰の目にも明らかだ。だが、「何を否定しているのか」までは、京以外には分らない。ただ、フォーゼとパワーダイザーがダスタードを蹴散らす音に混じって、カサカサと金色の房が擦れる音がするだけ。
「京! あなた、本当に自分を捨てたいの!? あなたはそれで良いの!?」
『顔を晒したくないのだろう?』
 美羽の声にもリブラの声にも焦りが含まれているのを聞き取り……そして唐突に、彼女の手がだらりと下へ垂れ下がった。
 その事を誰もが訝しく思ったらしい。その場にいた全員の視線が彼女に注がれ……その隙を突くようにしてリブラの体を勢い良く突き飛ばすと、ライダー部からもリブラからも距離を取って叫んだ。
「お願いですから……本当に誰も、私に関わらないで! 私は、誰とも関わりたくないんです!」
 言い切ると同時に、彼女は再びポンポンで顔を隠しながらくるりと踵を返してその場から走り去る。
 その声が震えていたように聞こえたのは、フォーゼの……否、弦太朗の気のせいだろうか。
 スイッチに手を出さなかった事にほっとするライダー部の面々とは対照的に、リブラは、今度はあからさまにチィと一つ舌打ちを鳴らしてディケを振るう。今度はダスタードを生む為ではなく、フォーゼに攻撃する為に。
『毎度の如く、私達の邪魔をしてくれる』
「当たり前だ! お前らこそ、何で怪物になるスイッチなんかばら撒いてやがる!」
『……全ては、星の導きのままに』
 ガツンとフォーゼをパワーダイザーへ向けて吹き飛ばすと、そのままリブラはその姿を消す。フォーゼ達の相手をするよりも先に、京の後を追った方が良いと判断したのだろう。
 リブラが去ると同時に、壁になっていたダスタードの群れも空気に溶けるようにして消えてしまった。
「くそっ」
 完全に見失ってしまった事を悟り、変身を解いてフォーゼから弦太朗へとその姿を戻すと、悔しげにそう吐き捨てるのであった。

 放課後。京とサジッタの捜索は一旦フードロイド達に任せ、皆がラビットハッチへ集まった。
 先に来ていた賢吾が既に手元のコンソールを操作して、モニターに昼の様子と、昨日のサジッタの映像を映し出していた。
「サジッタの存在だけでも厄介だと言うのに、リブラは孤桜京をゾディアーツに引き込もうとしているのは、ますます厄介だな」
 呟くように言う賢吾の言葉に、美羽達も無言で頷きを返す。
 今回は偶々見つける事が出来たから止められたが、同じ事がそう何度も繰り返せるとは思えない。
 スイッチャーを増やさないと言う観点から考えれば、リブラよりも先に京を見つけるべきなのだろうが……サジッタの件もある。
「けどよぉ賢吾。京は拒否しただろ? もう大丈夫なんじゃねえか?」
「あの子の場合は、拒否したと言うより逃げたと言うべきでしょうけどね」
「それにあの人……泣いてましたし」
 苦笑気味に言った美羽に同意するように頷きながら、流星も眦を下げて言葉を紡ぐ。
――まあ、サジッタの一件が解決するまでは、あの女にスイッチが渡るのも困るんだが――
 と、心の中では呟いていたが。
 だがその一方で、隼と友子は美羽達の言葉に何か違和感を覚えたらしい。軽く首を傾げて、弦太朗達を見つめて言葉を返した。
「本当に泣いていたか? 俺にはそうは見えなかったんだが」
「私も」
「え? それ、どう言う事っすか?」
 「泣いている派」だったらしいJKが、二人の言葉に訝しげに問う。
 友子の方は短く「勘」とだけ答えた為にJKは軽く肩透かしを食らったような顔をするが、一方で隼はうん、と小さく頷いて……
「アメフト部にいると、チア部と関わる事が多いからよく分るんだが……俺には、逃げ去る時の彼女が笑っているように見えたんだ。普段も、そうだな……弦太朗風に言うなら『本音を見せていない』と言うか」
 隼自身、はっきりとした形でこうだと言える訳ではないらしい。確信もないし、弦太朗ほど人を見る目に自信がある訳でもない。
 だが少なくとも、隼から見た「孤桜京」と言う人物は、周囲が評価しているような大人しい存在には見えないのだ。
「自分でも、奇妙だとは思うんだがな」
 きょとんとした表情でこちらを見やる面々に、隼も困ったように笑みを浮かべる。
 曲がりなりにも大文字家を継ぐ身だ。父親からは、偏ってはいるがそれなりに「人を見る目」は養われている。勿論、自分の益になるか害になるか程度の見分けであったが。
「……奇妙と言えば、あのタキシード怪人!」
 少し重くなりかけた空気を払拭するかのように、ユウキががたんと立ち上がって声をあげた。
 それで弦太朗と流星も昨日の事を思い出したらしく、その顔をすっと顰めた。
「昨日の、あの黒い面の怪人ですね」
「マスカレイドドーパント……クークとか言いやがったか」
「そいつなら、こちらでも確認している」
 二人の言葉を聞きながら、賢吾の手がコンソールの上を滑る。直後、サジッタと交戦するクークの姿が映し出された。
 改めて見ても、動きに無駄がない。あの時も思った事だが、踊っているように滑らかでありながら、一撃一撃が重いのがわかる。
 以前戦ったマスカレイドは、「仮面舞踏会マスカレイド」とは名ばかりの戦闘集団であり、統率や動きの面から見ても、一兵卒と言った印象があった。そう言った点では戦いやすい相手だったし、普通に「喧嘩」の延長線上の動きで事足りた。
 だが……クークの動きは、彼らのそれとは一線を画している。その名の通り「踊って」いた。もしも敵に回るような事になったなら……正直、フォーゼ単体で勝つのは難しいだろう。無論、メテオ単体でも。
――俺の邪魔をして来なければ、どうでも良い相手だが――
 画面の中で踊るクークを見つめながら、流星は心の内でのみ呟きを落とす。
 そんな流星の心の内に気付いた様子もなく、賢吾は軽く眉を顰めて事実のみを口に出した。
「目的は不明だが、こいつの言動から俺達……いや、フォーゼが倒される事を良しとしていない。おまけに財団の意向とも無関係に動いている」
「名前の通り、『変人クーク』って訳っすね」
 はぁ、と溜息混じりにJKが言った、まさにその時。
 ラビットハッチの扉が、開いた。
「なっ!?」
 仮面ライダー部はこの場にいる人間で全員。この場所を知る人物は、これ以上天高にはいないはず。
 もしや、偶然にもこの場に行き着いてしまった「何者か」がいるのだろうか。
 思い、全員が警戒した様子で扉に視線を向けた、次の瞬間。
「こんにちはです!」
 そう言ってひょっこりと顔を出したのは……赤いランドセルを背負った、小さな女の子だった。
 彼女がぴょこんと頭を下げると、首から提げた小さなイルカのペンダントがゆらりと揺れ、ランドセルの中の荷物が、揺さぶられたせいかガタンと音を立てる。
――子供、だと!?――
 ぎょっと目を見開く流星とは対照的に、他の面々はその少女の事を知っているらしい。ほっとしたような……それでいて不思議そうな表情で、彼女に視線を向けた。
「霧雨……何でお前ここに!? って言うか学校はどうした!?」
 弦太朗に問われ、少女……吾妻霧雨と言う名の少女は、びしっと右手を真上に上げ、挙手するようなポーズを取り……
「はい! 学校は『がっきゅーへーさ』になっちゃったのでお休みです。ここに来たのは、『じゅぎょーさんかん』のお手紙を、お兄ちゃん達にもっていこうとして、また迷ったからです!」
 きっぱりと。いっそ清々しいまでの迷子宣言に、弦太朗達の体から力が抜ける。
 彼女とは先日、デルフィニスゾディアーツと戦った際に出逢ったのだが……その時も迷子だったのは記憶に新しい。デルフィニスとの交戦に巻き込まれ緊急措置としてこのラビットハッチに連れて来たは良いが、「宇宙酔い」を起こして倒れたのも、だ。
 その事を瞬時に思い出したのだろう。賢吾がその顔を思い切り顰め、てくてくと近付いてくる彼女に向って溜息混じりの言葉をかけた。
「迷った程度で軽々しくラビットハッチに寄るな。……また宇宙酔いを起こすぞ」
「だいじょーぶです。今日は満月ですから、ここに来ても問題ないです!」
「何故満月がそこで出てくる? 大体、そう言う書類は家で渡すものだろう?」
「……おお、なるほど」
「それくらいは気付いてくれ。……時間の無駄だ」
 賢吾に指摘され、ぽんと手を打って頷く霧雨に、一方の賢吾は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、呻くように言う。
 とは言え、流石に放り出すような事はしないらしい。それは恐らく、先日の一件で彼女のお転婆ぶりと……そして不可思議な力を目の当たりにしているからだろう。
「あの……この子は?」
 唯一彼女の事を知らない流星が、おずおずと手を上げながら問う。そしてその声ではじめて、霧雨も彼の存在に気付いたらしい。ぺこりと頭を下げると、にっこりと笑って言葉を紡いだ。
「はじめまして。吾妻霧雨っていいます。風都第一小学校の、一年二組にかよっています」
「えーっと……灰猫先生と彩塔先生の娘さん……みたいな?」
「弓兄ちゃんや硝子ちゃんは、『こうけんにん』とか『ほごしゃ』って言うらしいです」
 JKの簡単な説明に、霧雨もうんうんと頷きながら言葉を足す。
 だが、反ってその説明で流星の頭は混乱する。彼の中にある「灰猫弓」と「彩塔硝子」の二人は、「とにかく互いを嫌悪している臨時講師二人」であり、笑顔で罵り合っている光景しか見た事がない。
 その二人の「娘」と言われても、ピンと来ない。まして「娘」本人が「後見人」だとか「保護者」だとか言い出す始末。苗字が三人で違うので、恐らく霧雨の言葉通りあの二人が「後見人」と言う立ち位置にいるのだろうが……
「え? あの二人って、仲がとても悪いんじゃ……?」
「それ、表向きの話。本当は……誰も引き裂けないくらいラブラブなの」
 流星の問いに答えながら、友子は持っていたタブレットの画面に大きくハートを映し出した。そのハートの色が黒いのは、やはり彼女が「ゴス」であるが為のこだわりなのか。
「弓兄ちゃんと硝子ちゃんが本気でケンカしたら、多分この学校、壊れちゃいます。二人共、口より先に手とか光線が出ますから。お兄ちゃん達みたいな人の事を、『もんすたーぺあれんつ』っていうんですよね?」
 にっこりと怖い事を言われ、やはり流星以外の面々の背に冷たい物が走る。
 彼らが、弦太朗達の知る意味における「モンスターペアレンツ」か否かはさて置くとしても、霧雨を溺愛しているらしい事は確かだ。
 そして先日のデルフィニスの一件の際、垣間見た彩塔硝子の怪力と、彼らが赴任して間もない頃に起こったオフィウクスゾディアーツに纏わる一件で見た、灰猫弓の銃撃の精密さ。
 それを前面に押し出した喧嘩をするのかどうかは定かではないが、少なくとも納得するに足るだけの材料は揃っている。
 ……勿論、彼らは知らない。灰猫弓も彩塔硝子も、ある意味において本当に「怪物の両親モンスターペアレンツ」である事を。
 そして唯一彼らの攻撃力の高さを知らぬ流星は、子供特有の誇張だと受け取ったらしい。普段通り嘘の笑顔を浮かべて「そうなんだ」と返し、そのまま己の名を告げた。
 礼儀正しい印象の少女は、こちらの挨拶にぺこりとお辞儀を返し……しかし顔を上げると、何故か不思議そうな表情を浮かべて彼の顔をしげしげと眺めた。
「……どうかした? 僕の顔に、何かついてるかな?」
「流星お兄さん、なんか不機嫌さんですか?」
「……え?」
 本音が表情に出ていただろうかと、思わずどきりとしてしまう。だが、培ってきた「人当たりの良い人」の擬態が、そう簡単に表に出るはずがない。ないと、信じたい。
 しかし子供特有の、良く言えば真っ直ぐな、悪く言えば無遠慮な視線に晒されていると、擬態が解けてしまっているのかも、という不安に駆られる。
 心なしか霧雨の目の色が、虹色に光って見える気がするのも、大きな要因なのかもしれない。
「……何の、事かな?」
 演じた口調で何とか返せば、彼女は不安げな表情で流星を見上げ、その手をぎゅっと握った。
「お兄さん……なんか、苦しそうに見えます。ナイショのことなら、聞きません。でも、無理はしちゃ、めっです」
 子供特有の、少し高い体温を手に感じながら、流星は軽く苦笑する。
 ただ、それが見透かされた事に対する事への物なのか、それとも案外と彼女の言葉を不快に思っていない自分への物なのか……流星自身も分らなかったが。
「とにかく、霧雨を教員室に送らないといけないわね」
「ああ、じゃあ俺が行こう。……良いかな?」
「はい。よろしくお願いします」
 溜息混じりの美羽の言葉に、隼が立候補して霧雨に問い、問われた方はこくりと頷いて流星の手からその小さな手を離した。
 それが何となく寂しく思えたのは……流星の気のせいだったのだろうか。
 ラビットハッチから彼女の姿が消えてもなお、彼はしばらくの間、霧雨と触れ合っていた手をじっと見つめていたのであった。

 これと言った打開策も見つからず、結局人海戦術の要領で校内の巡回をしている最中、何者かが弦太朗の肩を叩いた。
「にゃっほーゲンタロ。怖ぁい顔して、どしたの?」
「っと……伴都か。お前、風邪はもう良いのか?」
「気合と根性と苦い薬で治したにゃ。アートが飲め飲め煩いから、仕方なく」
 その人物……古道伴都は、飲んだ薬の苦さを思い出したのか眉を顰め、心の底から嫌そうな表情を浮かべる。嫌がる伴都に、話しに上がった魁雅が薬を勧める様子がありありと思い描かれ、弦太朗の顔にも微苦笑が浮かぶ。
 恐らく、何だかんだと貶しながらも、心配そうな表情で伴都に薬を勧めていた事だろう。本当に「友情は病気の特効薬」を地で行っている。
「良い友達じゃねえか」
「あ……うん。そだね」
 目を反らし、一瞬だけ言葉に詰まった伴都に何か奇妙な印象を受けたのか、弦太朗は真顔になって彼の顔をじっと見つめる。
 彼にいつもの明るさがないのは、まだ風邪が完全に治りきっていないから……と言う訳ではなさそうだ。目の奥に、暗い闇のような物がちらついているのが見える気がして、弦太朗は思わずその顔を顰める。
 だが、伴都は弦太朗の様子に気付いていないのか、周囲に視線をめぐらせ……そして、何者かの姿を見つけたらしい。ぐい、と弦太朗の腕を引いて物陰に隠れた。
「お、おい!?」
「しー。ゲンタロ、静かに。あそこにけーちゃんがいるにゃ」
「けーちゃん?」
「三年の孤桜京ちゃん。天高最強のガードの固さを誇るラブリーさんなので、実は前々から気になっていたナリ。たしか病気で一年留年していて、去年の冬頃に復帰したって話までは調べ済み。一緒にいるのは…………アート?」
 京の名を聞いて、弦太朗は無意識の内に体を強張らせ、その様子を伴都と共にそっと伺う。
 今朝方リブラに迫られていた場面に遭遇しただけに、妙な連想をしてしまう。即ち……袖井魁雅こそがリブラであり、再度彼女にスイッチを使うように迫っているのではないのかと。
 だが……どうやらその連想は杞憂だったらしい。京の前に立つ魁雅は、照れたように顔を赤らめながら、彼女を見つめていたのだ。
 その様子を見れば大方の予想はつく。袖井魁雅が孤桜京に、告白をしようとしているらしいと言う事は。
「……ずっと貴女を見てきました。だから、貴女が他人との接触を好んでいない事も分っています。その上で、言わせて下さい。僕は、貴女の事が好きです。貴女の力になりたい。……貴女を、護りたいと思っています」
「でも……私、その……」
「あ、今すぐ返事が欲しいとか、そんな事は思ってません。一ヶ月でも二ヶ月でも、僕は待ってます。……それが、どんな答えでも」
 困惑したような表情を浮かべる京を真っ直ぐに見つめ、魁雅は真剣な表情でそう言うと、彼女に向って微かに微笑んだ。
 そんな彼を見て、京の顔も魁雅に負けないくらい赤く染まり……やがて恥ずかしげに顔を隠すと、そのまま弦太朗達がいる方とは逆方向に向って走り去ってしまった。それを見送ると、魁雅は少しだけ寂しそうな表情を浮かべ、今度は弦太朗達のいる方へ向って歩いてくる。
 悪い事をしていた訳ではないのに、この場にいるのは何となくまずいような気がしたのか、弦太朗は少し慌てたような素振りを見せる。だが、一緒にいた伴都はと言うと……茫然自失と言ったような表情で、その場に立ち尽くし、ブツブツと呟いていた。
「そんな、そんな……だって、そんな話、全然聞いてない。僕、アートがけーちゃんを好きだなんて、全然……」
 その声が、近付いてきた魁雅にも聞こえていたらしい。即座に弦太朗達の姿を見つけると、驚きと恥ずかしさの入り混じったような、何とも言えない表情を浮かべた。
「伴都? それに、如月先輩。……まさか、今の聞いていたんですか!?」
「……悪い。立ち聞きする気はなかったんだが……」
「お、幼馴染なのに。ずっと一緒にいたのに。なのに、相談も何もなかった。僕には、相談する価値もないって事? 魁雅にとって僕はその程度の存在って事?」
 手を合わせて謝る弦太朗とは対照的に、未だブツブツと呟き続ける伴都を訝しく思ったのか、魁雅は軽く眉を顰めてその顔を覗き込む。
 覗きこんだ魁雅の顔も視界には入っていないのだろうか。虚ろな目でどこか遠くを見ていたかと思うと、唐突に伴都は頭を抱え……
「認めないっ! 魁雅が僕に何の相談もなく離れていくなんて、絶対に認めない!!」
 そう叫んだかと思えば、次の瞬間には一歩だけ魁雅から距離をとり……そしてブレザーの内ポケットから、赤いボタンが頂点に付いているスイッチを取り出した。
 それは、弦太朗にとって見慣れたくないのに見慣れた物。ゾディアーツに変身する為のスイッチだ。
『Last One』
 更にそのスイッチは、伴都の狂気にでも反応したのか、彼の手の内でざわめき、その形を変える。
 その禍々しさに、魁雅も何か危険な物を感じ取ったらしい。軽く首を傾げ、訝しげな表情のまま彼に向って声をかけた。
「伴都? お前、どうしたんだ? それに、それは……」
「ねえ、何で教えてくれなかったの? けーちゃんが好きって」
 魁雅の声を遮るように、伴都はどこか縋りつくような目で彼を見て問いかける。そして問われた魁雅は、苦しそうな表情を浮かべると……その表情をそのまま音にしたような声で、彼に答えを返した。
「……言えなかった。お前にだけは」
「僕、だけには……?」
「でも、それはちゃんとした理由が……」
「聞きたくない聞きたくない聞きたくないっ! 僕は魁雅を一番に思ってたのに。魁雅もそうなんだと思ってたのに!」
 普段の明るい彼からは想像もつかない程ヒステリックにそう叫ぶと、伴都はスイッチにかけた指に力を込めた。
 それを見止めるや、弦太朗は慌てたように……そして何よりも、心配の色を滲ませて声を荒げる。
「やめろ伴都! 人間に戻れなくなっちまうぞ!」
 だが、弦太朗のその言葉に。伴都は力なく笑うと、小さな呟きを落とした。
「ねえゲンタロ。……人間に戻れなくなったら、魁雅は僕の事、一番に考えてくれるかな?」
 その言葉を発したと同時に。伴都はその指の力を下に向け……そして、そのスイッチを押し込んだ。
 ラストワンによって引き出された膨大なコズミックエナジーが単体で形を持つ。
 作られた形は、矢座のサジッタゾディアーツ。そしてその足元には、不要になった古道伴都と言う殻が転がり、地面に投げ出される。
 これもまた、弦太朗にとっては見慣れたくないのに見慣れてしまった光景の一つである。
 だが、その脇に佇んでいる魁雅にははじめて見る光景なのだろう。ぎょっと目を見開いてサジッタと伴都の体を交互に見比べると、慌てたように伴都の体に駆け寄って抱き起こした。
「伴都? おい、地面で何寝てるんだ馬鹿。風邪をぶり返すぞ」
『……そっちに僕はいない。それはただの抜け殻だよ。……魁雅なら、僕がこっちだって分ってくれるって思ったのに』
「抜け殻って……待て、それじゃあお前……」
 くぐもっていても、上から降ってきた声が伴都の物だと気付いたらしい。魁雅は伴都の体を抱えたままにサジッタの方を見上げて声を震わせる。
 その表情に恐怖はない。ただ、怒ったような色がありありと浮かんでいるだけだ。
「……この……大馬鹿が」
 吐き捨てるように言った魁雅の声は、サジッタには聞こえなかったのか。彼はしゃがみ込んで視線を合わせると、軽く首を傾げて問いを投げる。
『こうなったのは、魁雅のせいだよ。だから魁雅、僕とずっと一緒にいてくれる?』
「お前……馬鹿か!? 僕がいつ、お前から離れた!? 腐れ縁は切れていないだろ?」
『ヤダヤダヤダヤダっ! 僕が一番じゃなきゃ嫌だ!! 僕が一番だって、認めてくれなきゃ嫌だ!!』
「お前……どんな我儘だ、それ」
『やっぱり……マスターの言う通り、フォーゼとメテオを殺したら、一番だって認めてくれるのかにゃ?』
 怒りを通り越して呆れすら覚えたような声で呟く魁雅とは対照的に、駄々をこねる子供のような口調でサジッタはそう言うと、ゆっくりと弦太朗の方へ視線を向ける。
 その仕草で弦太朗も気付いたらしい。彼が、自分に向って攻撃を仕掛けようとしている事に。
「伴都……」
『フォーゼは……ゲンタロは友達だから、殺したくなかったんだけど、でも、しょうがないよね』
 そう言うとサジッタはその手に付いた矢を弦太朗に向って一斉に放ったのであった。

「サジッタが抱いているのは親友に認められたいと言う『依存』。それを刺激すれば、彼は大きな成長を見せる」
 古道伴都が、サジッタゾディアーツへ変じ、幾度目かの弦太朗……いや、フォーゼとの交戦を開始した頃。
 そこから少し離れた場所で、速水公平はニヤリと口の端を歪めながらその様子を眺め、誰かに説明するような口調で呟きを落とした。
 とは言え、その傍らには誰もいない。説明するのは彼の癖のような物なのだろう。
 本来は自分が彼の「親友」に成りすまし、サジッタの持つ依存心を刺激しようと思っていたのだが、思いもかけずその手間が省けた。それも、自分が演出するよりもより良い……ある種、最高とも言える形で。
「恐らく彼はラストワンを越え、我々により近い存在へと昇華される。まだ見ぬ十二使徒の一人に進化する可能性も高い。……少し、予想外でしたが」
 正直に言えば、「コズミックエナジーを凝縮して打ち出す」と言う能力は買っていたが、十二使徒の可能性までは期待していなかった。ただ、フォーゼとメテオを倒せれば御の字、と言う程度だった事は認めよう。
 だが、今の彼は違う。依存していた親友が他者に盗られてしまうかもしれない可能性に嘆き、「親友の一番」になる為なら他者を排除する事が出来る。
 その盲目的とも言える依存心の強さは、サジッタに力を与える。増幅した感情と力は、やがては十二使徒への覚醒につながるだろう。そうなれば、自身のこれまでの失態の数々を帳消しにする事もできる。
 それに……仮に彼が失敗しても、最初から期待はしていなかったのだ。落胆はしない。むしろ今の状況が起こった事が幸運の積み重ねに過ぎない。本命は、別にいる。
「さて、それではフォーゼ達がサジッタにかまけている間、私は彼女の元へ向うとしましょうか」
 すぅと目を細めて笑うと、速水はくるりと踵を返し、呟く。
「全ては、星の導きのままに」
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