潜んでいるのは仮面の変人

【異・形・交・錯】

 天ノ川学園高校の校長室。そこではこの部屋の主である校長の速水公平と、マントをつけた赤髪の女に見える異形……バルゴゾディアーツが佇んでいた。
 下ろされたブラインド越しに外を見る速水の顔には、奇妙な笑みが浮かんでいる。
『楽しそうだな』
「ええ。面白い人材を見つけたものですから」
『面白い人材?』
 人材、という言い方をしたとのは、まだスイッチを渡してはいないからか。思いながらも、バルゴは無感情な声で問いを返す。
 ……何となく、速水がその人物に関して語りたがっているように聞こえたからだ。
「ええ。己を捨てたいという願望を強く持っている生徒がいます。その生徒なら、あるいは……」
『ラストワンを越えた、新たなる同志となり得る……という訳か』
「ですが……その前に、フォーゼとメテオは始末しておかないといけませんね」
 校長室の扉の前に佇んだままに声を紡ぐバルゴに、速水は首を縦に振りつつ言葉を返す。
 これまでに、彼も様々な失態を犯している。だがその原因の殆どが、自分達の物と異なる「アストロスイッチ」を使う戦士……仮面ライダーフォーゼと、仮面ライダーメテオなる存在のせいだ。彼らさえいなければ、もう少し事は上手く運んでいた。
 とは言え、終わってしまった事をグダグダと言い募っても仕方がない。苛立ちはあるし、焦りも少なからずあるが……それでも、速水は余裕の表情を崩すような真似はしない。
「一人、色々な意味で有能な生徒がいます。その生徒の力の源は『認められたい』という意思です」
『それが、フォーゼ達を倒すと?』
「ええ。『倒せば認められる』と、そのように言い聞かせましたから」
 くすり、と速水の口の端に浮いた笑みは、酷薄な物。そしてそれはつまり、言った言葉の中に多少なりとも偽りが存在している事を示している。
 だが……バルゴはそれを「悪い事」だとは思っていないらしい。ふ、と軽く笑うと、持っていた扇と斧を足し合わせたような杖で床を軽く叩き……
『上手く行くと良いが』
「ええ、上手く行きますよ。……今度こそ」
 低く呟かれた速水の声は、外に漏れる事なく部屋の壁に吸われて消えていくのであった。

 サジッタとフォーゼの戦いが終わった直後のその場で。
 クークの依頼によってこの学園に「潜入」している存在の一人、彩塔硝子は、壁に突き立った矢を引き抜いてまじまじとそれを見つめた。
 実は彼女、この場で恋人である灰猫弓と待ち合わせをしていたのだが、出て行く前にサジッタとフォーゼの戦いが始まってしまい、出るに出られなくなってしまったという経緯がある。
 だが、出て行かなかった事はある意味正解なのかもしれない。少なくとも、あのサジッタの攻撃が厄介なものである事は理解できた。
「如月君の使ったシールドを粉砕、足のペンで実体化させたガードも粉砕ですか」
 見ていた限り、サジッタの矢は然程強力とは言えない。だが、狙いを一点に集中する事で威力の弱さをカバーしていた点は評価できる。矢の装填時間も短い為、反撃の暇は殆どなかった。
 ただ、サジッタの躊躇がないはずの攻撃に、時折「迷い」が見て取れたのも事実として存在する。そしてその「迷い」故に、弦太朗に反撃の機会を与え、撤退を余儀なくされた様子ではあったが……
「もしもサジッタから迷いが消えれば……フォーゼの勝機は限りなく低くなりますね」
『多分ね。でも、どうかにゃ~、迷いが消える事は、まあまずないと思うけど』
 唐突に横から響いた機械加工されたような声に、硝子の頬がひくりと引き攣る。まるで、「聞きたくなかった」と言いたげに。
 しかし無視する訳にもいかないと思ったのか、彼女は心底嫌そうな表情のまま、その声の主へと顔を向ける。その視線の先にいたのは、彼女の予想通りの顔。
 天高の女子制服に身を包んだクークが、軽く右手を上げてこちらを見ていた。
『や』
「……『や』ではないでしょうクーク。そのスカート丈で回転しないで下さい。ハーフパンツを穿いているようですが、中が見えます」
『いやん、エッチ』
「見たくもない物を見せる方が卑猥です」
 きゃ、とふざけた調子で言ったクークに、硝子はこめかみを押さえて呻くような声で言葉を返す。
 普段のクークは一般的なマスカレイド同様、タキシードに身を包んでいるが、今日はスカートを穿いているせいで本当に際どい。
 それでも弓のように「似合わない」と言わない辺りは、彼女の優しさか、それとも単純に諦めただけか。どちらにしろ、それ以上クークの服装にツッコミを入れる事はせず、彼女は疲れきったように何の用かと問うように首を傾げた。
『ねえねえ、サソリちゃんがどこ行ったか、興味ない?』
 楽しげなクークの声に、硝子はピクリと肩を震わせて反応する。
 彼女は知っている。クークの言った「サソリちゃん」と言うのが、この学園で暗躍するスコーピオンゾディアーツであり、そしてその正体が「長期病欠による退職」として扱われた教員、園田紗里奈である事を。
 ある意味この学園にいる間に何とかしたいと思っていた相手なだけに、それが消えた事を訝しく思ってはいたが……
「また唐突ですね。……ですが、興味がないと言ったら嘘になります」
 硝子の正直な答えに、クークの素顔はニマリと笑う。とは言え、今はドーパントとしての顔を見せているので、硝子には自身の表情の変化など気付けるはずもないのだろうが。
『彼女はね、『ダークネビュラ』っていう摩訶不思議空間に飛ばされちゃったんだ。色々失敗続きだったからねー、あっちのボスも呆れちゃったみたい』
「それは、二度と戻っては来られない……という意味でしょうか?」
『多分ね。何しろ、直訳すると『暗黒星雲』だし』
「……そうですか」
 二度と戻れない場所に飛ばされたという事実を、どう受け止めたのか。
 硝子は一瞬だけ残念そうな表情を浮かべたが、すぐに考えを改めたのかふるふると首を軽く横に振った。
 生徒を巻き込み、何かを企んでいる不埒者が一人減った。それは、喜ぶべき事であって、残念に思う事ではない。それにまだ、スイッチをばら撒いている一味は存在しているのだから。
「と、なると……当面は先日お会いした、あのド変態だけに留意すれば良いんですね」
『あっはっは、そうなる……うぇっゲホゲホっ!』
 そうなるね、と返そうとしたのだろうか。しかしクークはそれを全て言い終わるより前に、苦しげに体を折り曲げて口元に手を当て、激しく咳き込み始めた。
 しつこいようだが、マスカレイドの姿なので、口など見当たらないのだが、そこは癖なのだろう。
「……風邪ですか? それとも単純にむせただけですか? 前者なら、しばらくの間霧雨さんには近寄らないで下さい。伝染されては困りますから」
『ゲホゲホゲェッホ……もー、病人に冷たいなぁ。そりゃあ確かにボクは風邪気味だけどさぁ……ゲェッホゲホゲホっ』
「え、本当にあなた大丈夫ですか? 何と言うか、今にも色々と吐き出しそうな声に聞こえるんですが」
 なおも咳き込むクークの声に、何やら危ないものでも感じたのか、硝子は心配そうに眉を顰めると、そのままクークの背に手を当ててさすってやる。
 それでもしばらくの間、クークの咳は止まず……ようやく止まった頃には、クークも咳き込みすぎて疲労困憊と言わんばかりにぜぇぜぇと肩で息をする程であった。恐らく素顔は酸欠によって上がった血流の影響で、真っ赤に染まっている事だろう。
『あーもー、ホント死ぬかと思ったよ。主に咳による呼吸困難で』
「むしろ、その顔でよく呼吸が出来ますね」
『この状態での飲食も可っ!』
「……本当にどこが口なんですか、その顔」
 ビッシと無意味にサムズアップを見せていつもの調子に戻ったクークを、まだ少し心配そうな表情で見やりつつ、硝子は一応軽口を返す。呼吸困難に陥る程の咳をした後なのだ、楽観は出来ない。
 だが、咳き込んだ当人はすぐに呼吸を整えると、いつも通り不可思議なリズムのステップを踏んでその場でくるりと回転した。
『まあとにかく。さっき灰猫っちにも言ったけど、この状況、更にぐっちゃぐちゃに引っ掻き回せば良いと思うよ』
「……そうしたいのはあなたでしょうに」
『まあそれでも良いんだけど、ホラ、ボクってばシャイだから。あんまり人前に出たくないんだよねー』
 スカートの裾を摘み、ひらひらとはためかせながらもそう言うと、クークはトトンとステップを踏んで硝子との距離を開けた。
 それが、別れの合図であると気付いたのだろう。硝子はその顔に苦笑めいた表情を浮かべ、夕日に溶ける様にして消えていく相手を見送った。
 ただ、夕日の赤に染まっているその姿が何故か……血に塗れたように見えたのは幻覚だったのだろうか……

 サジッタの攻撃があった翌日。弦太朗は仮面ライダー部の皆と手分けしつつ、サジッタの手がかりを得ようと校内を歩き回っていた。
 とは言え、めぼしい情報は特にはない。サジッタに襲われたらしい生徒の情報もなければ、サジッタの目撃情報すらも今のところは存在しない。
 使っていた武器が矢だった事を考えると、弓道部の人間と言うのも考えられなくはないのだが、相対した際に感じた印象では「弓道」を嗜む人間ではないような気がする。矢の長さから鑑みるに、一般的な弓やアーチェリーではなく、ボウガンのような物だ。
「うーん……やっぱわからねぇなぁ……」
 共に襲われた灰猫弓ならば何か分るのかも知れないが、出来る限り無関係の人間を巻き込みたくはない。彼はとばっちりを受けただけだし、そもそもサジッタと相対した時間も短い。
 サジッタの当面の狙いは自分と、正体不明のメテオ。となれば、やはり自分が囮になっておびき出すしかないのだろうか。しかしそれでは相手にスイッチを使わせる事になってしまう。
 スイッチを使わせない為に探しているのに、スイッチを使うように仕向けるのは本末転倒も良いところだ。
 どうするかと爆発しそうなまでに悩みつつも、校内を見回っている最中。弦太朗の視界の端に、妙に落ち込んでいるように見える女子生徒……孤桜京の姿が入った。
 手には昨日忘れて行ったはずのピンク色のプレーヤーを提げている事から、これから昨日の場所で練習でもする気なのだろう。
 弓の言葉に従って、チア部に属していた美羽に聞いた話では、誰が相手であっても顔を隠し、距離をとってしまうらしい。ダンスの腕は美羽曰く「上の上の上」との事らしいのだが、人前に出る事を拒む為、公式には一切出てきていないそうだ。
 専らダンスを作り、そして小道具などの裏方に徹するのだと言う。
――あんなに上手なのに、勿体ないのよね、あの子――
 溜息混じりにそう言った美羽の言葉は、恐らく彼女の本音だろう。
 そしてその言葉に、弦太朗も同意する。あれだけ綺麗に踊るくせに、人前で披露しないと言うのはひどく勿体ないように思う。
 だからだろうか。瞬時にサジッタの事を頭の片隅に追いやると、弦太朗は満面の笑みを浮かべて、前を歩く京の肩をぽん、と叩いた。
「よ、京!」
「へ? ひ、ひぃぃぃっ!!」
 突然現れた弦太朗の存在に驚きを隠せなかったらしい。引き攣れたような声を上げると、京は大袈裟なまでに弦太朗との距離を取ろうと大きく一歩後ろへと下がる。
 だが、ここで逃げられては友達にはなれないと思ったのか、弦太朗はそれ以上距離が開かないよう、しっかりと彼女の腕を捕えた。捕らえられた方は逃げられないと悟ったらしく、これと言った「無駄な抵抗」はせず、ただただ自分の両手で顔を隠すだけに留めている。
 その事に少しだけ安堵しつつ、弦太朗は人懐っこい笑みを浮かべたまま、言葉を紡いだ。
「お前の事は美羽から聞いた。極度の恥ずかしがりやだって? 勿体ないじゃねえか、あんなにダンスが上手いのに」
「は、ははは、恥ずかしがりやと言うか……顔を見られるのが、嫌なんです」
 泣きそうな顔で、必死に顔を背けて言う京の言葉に、昨日の弓の言葉を思い出す。
――お前、もう少し自分の格好が一般的に怖い印象を抱かせるって事を自覚した方が良いぞ――
 自分の格好は、泣きそうになるほど怖いのだろうか。自分ではそうは思わないが、人の感じ方は十人十色だし、ひょっとすると京には物凄まじく怖い男に見えているのだろうか。
 そんな風に思い、弦太朗は空いている方の手で自身の頬を掻くと、困惑しきりと言った表情で彼女に向って問いを投げた。
「……なあ、それってやっぱり、俺の外見が怖いって事なのか?」
「ち、違います。そうじゃありません。あ、あなたの事が怖いとか、そう言う訳じゃないんです。ただ、単純に……私、誰が相手でも、自分の顔を見せたくな……」
 「見せたくない」と言おうとしたのだろう。しかしその言葉は、咳き込んでしまったが為に最後まで放たれる事はなかった。
 俯いてケヒケヒと数回咳き込む彼女に、弦太朗は心配そうに彼女の顔を覗き込み……そして、絶句した。
 無理矢理覗き込んだ顔、その口の端から、うっすらと赤い筋が流れていたのだから。
「京、お前、血ぃ吐いてるじゃねぇか! 病院……」
「だ、大丈夫です。……ただの血痰けったんですから」
「けったん?」
「喉が切れて痰に血が混じったものが、血痰。肺や気管支からの出血で呼吸困難を伴うのが、喀血かっけつ。胃などの消化器系の損傷で血を吐くのが吐血とけつ
 首からかけていたタオルで口元を拭いながらも、京は頭にクエスチョンマークを浮かべた弦太朗に、微かな笑みを向けながら簡単に説明をする。
 口から血を吐く事全てを「吐血」と呼ぶのだと思っていた弦太朗にとって呼び名の違いは新鮮な驚きではあるが……
――いや、血痰でも充分問題なんじゃねえか?――
 そう思う弦太朗に気付いたらしい。京はぐい、と彼を押しやるようにして距離を開けると、俯いてから思い切り早口に言の葉を紡いだ。
「最近、風邪気味みたいで。咳き込みすぎたのか、喉が切れてて。それで、時々こうやって血を吐いちゃうんですけど……別に、重篤な病気とかじゃないです。よくある事ですから」
「でもよ……」
「と……とにかく、私には関わらないで下さい。本当にっ! 私は……誰とも関わりたくないんですっ!」
 半ば涙目になってそう言うと、彼女は力の限り弦太朗を突き放し、自身の自由を得る。それと同時にくるりと踵を返すと、器用に生徒の間を縫うように走って、弦太朗の視界から消えてしまった。
 随分と、自身の姿……と言うよりも顔を見られる事に、激しい強迫観念を抱いているらしい事は、彼女の言動からも充分に分る。
 ただそれが、友子のような「変身願望」から来るものなのか、あるいはもっと別のところから来る事なのかは分らない。一種のコンプレックスなのかもしれないが、それならばかなり根の深い物のようだ。
 それでも、絶対に友達になると心に決めている。誰もが持っている全てを受け入れた上で。
 思い、消えてしまった京の後姿の残滓をぼんやりと見つめていた刹那。後ろから唐突に、何者かが激しくぶつかってきた。
 いきなりの事で構えていなかっただけに、弦太朗の体は前につんのめって床に倒れこみ、ぶつかってきた人物の下敷きになってしまう。無意識の内に受身を取りはしたので、然程大きな怪我をした訳ではないが、唐突な出来事である事には変わりがない。
 一方で相手も悪いと思っているのだろう。即座に弦太朗の上から退くと、勢い良く立ち上がってぺこりと頭を下げた。
「す、すみません、ちょっと注意力が散漫になっていたもので……」
「いや、ボーっとしてた俺も悪かった。……って確かお前、魁雅だっけ?」
「……ああ、如月先輩、こんにちは」
 ぶつかった相手に声をかけられた事が不思議だったのか、ぶつかった人物……袖井魁雅は一瞬だけきょとんとした表情を浮かべたが、再び頭を下げて挨拶を返す。
 昨日会ったばかりの顔見知り程度の間柄だと言うのに、名を呼び捨てにされても不快に思わない人種なのか、魁雅はかつての歌星賢吾のように「名前で呼ぶな」と突き放すような真似はしない。その点においては、友達になりやすい人物らしい。
「おう。って言うか、俺の事は弦太朗で良いって。お前ともダチになるつもりなんだから」
「いえ、例え友人であっても、流石に家族以外の年長者を呼び捨てにする訳には。……ところで、伴都のバカを見ませんでしたか?」
「伴都? いや、今日は見てねぇな」
「そう、ですか……」
「…………どうかしたのか?」
 魁雅の声に潜む暗い影に気付いたのか、弦太朗も無意識の内に声を潜めて彼に問う。心から案じているらしい弦太朗に何を感じたのか、魁雅は廊下の端に寄ると、彼同様声を潜めて言葉を吐き出した。
「鞄はあるんですが、今日の授業に一切出てなくて。……最近のあいつ、おかしいから僕も少し心配で」
「おかしい?」
「まあ、前からおかしいんですけど。最近は何て言うか……イカレてる、と言うか。上手く言葉に出来ないんですが、妙に無理をしてるように見えるんです」
 知り合って間もない弦太朗では気付けない伴都の僅かな変化を、幼馴染と言う立場故に気付いたらしい。
 眉を顰めて言った魁雅の表情には、微かにだが心配と哀しみが混じっているような色が浮かんでいる。
 口では「馬鹿」と罵っていながらも、その声には親愛の情がある。十年以上の付き合いがあると言う話でもあるし、おそらくは「友達」や「親友」、そして「幼馴染」と言うよりは「兄弟」と言う感覚なのかもしれない。
 そんな事を思うものの、どう言葉にしたら良いか分らず、弦太朗が困ったような表情を浮かべたその時。
 まるでタイミングを計ったかのように、角からひょっこりと話の中心人物……古道伴都がその顔を覗かせたのだ。
「あぁれぇ、アート? それにゲンタロじゃーん」
「伴都、お前……授業にも出ないで何をしてたんだ? と言うか、僕の名前は『魁雅』だ」
「うーん、ちょっと風邪気味なのか、体がダルダルでさぁ。来たは良いんだけど、結局保健室で一日中寝てた」
 えへへ、と笑う伴都だが、確かにその顔はやけに赤い。声もどことなく擦れており、地球の重力に体がついていかないのか、ぐったりと壁にしなだれかかっている。
「顔色悪いな。大丈夫か?」
「う~ん……ゲンタロが分身して見えるにゃぁ」
「分身って……おい伴都。お前、熱は?」
「はちどななぶ~」
「……さっさと帰れこのバカ」
 「八度七分」の宣言がひらがなに変換されて聞こえる伴都の声に、魁雅が心底呆れた声を出す。
 弦太朗も言葉にはしないが、その高熱で校内をうろついているのはいかがな物かと思う。……自分がその熱を出しても、学校に来そうだと言う事は横に置いておくとして。
 何にせよ、あまりにもフラフラで、見ているこちらがハラハラする。よく学校まで来れた物だと感心するくらい、今の伴都は明らかに「病人」と言うオーラを出している。
「とにかく、風邪が治るまでは出てくるなっ!」
「それは無理ナリ。僕にはどーしてもやらなきゃいけない事があるにゃ」
「……お前、どこまでイカレてるんだ? 高熱で沸いた頭で、『やらなきゃいけない事』なんか出来る訳ないだろう。帰れ。そして頭を冷やせっ……ぐっゲホゲホッ」
 唾液が気管にでも入ったのか、ゴホゴホと咳き込み、涙目になりながらも魁雅はビシリと指をさし、熱でとろんとした表情の伴都に向って怒鳴りつける。
 だが怒鳴られた方は、これも熱のせいなのか少し潤んだ瞳で魁雅を見上げ……
「うう、冷たい」
「いつもこんな感じだ。冷たく思うのはお前が高熱に侵されているからだ。……僕には大事な用がある。熱で沸いた馬鹿の相手をしてる時間はない」
 頭痛を堪えるような表情を浮かべてからそう言うと、魁雅は抱えていた鞄をぐい、と伴都に押し付けた。
 それが魁雅の物ではなく、伴都の鞄だと気付くのに数秒を要したが、そうだと気付けば、やはり魁雅は伴都の良き親友なのだと理解する事が出来る。
 理解した時には、既に彼は自身の鞄を取りに戻るため、廊下の奥へと立ち去っていく所ではあったが。
「……やっぱ、良い奴じゃねえか、魁雅の奴」
「僕の自慢の幼馴染にゃー」
 へにゃりと笑いながら、伴都は既に見えなくなった魁雅の背を見送って弦太朗に言葉を返す。
 だが、次の瞬間。伴都はずるりとその場に座り込んだかと思うと、がっくりと項垂れ……
「……魁雅に認められたくて頑張って学校に来ても、魁雅は怒ってばっかりだ」
 熱に浮かされながら言った伴都の表情は、心配と哀しみが混じっているような色が見て取れた。そしてその表情は……先程伴都を探していた時の魁雅と同じ物。
 互いに互いを案じている。そしてそれ故にすれ違う。
 先日、自分と賢吾がその状態に陥ったが、今の彼らも同じなのだろうか。自分達ほどあからさまな喧嘩をしている訳でも、「絶交」をしている訳でもないと言うのに、何故だか今の彼らの様子が、あの時の自分達に重なって見えた。
 そして、熱に浮かされているからこその本音なのだろう。彼は魁雅の事を、「アート」ではなく名で呼んでいた。
「伴都……」
「うぅぅ寒い、気持ち悪い……僕、もう一回保健室行ってくるにゃぁ。ゲホッゲホゲホッ」
 弦太朗が声をかけようと手を伸ばした瞬間。伴都はそれを拒むようなタイミングで、そしてわざとらしくぶるりと震えると、再びふらりと、壁伝いに立ち上がった。
「いや、魁雅じゃねえけど、本当にもう帰った方が良いんじゃないか? 放課後なんだし」
「帰るにしても、薬貰ってから帰る~」
 力ない声でひらりと手を振ってからそう言うと、彼は壁に寄りかかった姿勢のまま、フラフラと廊下の奥へとその姿を消してしまった。
――本当に大丈夫か、あれ――
 心配に思うが、保健室ならば目と鼻の先だ。大丈夫だろう……多分。
「ゲンちゃん!」
「如月君」
 聞き慣れた声をかけられ、弦太朗ははっとしたようにその声に反応する。伴都と魁雅の関係も気にかかるが、今はサジッタ探しを優先すべき。その事を、かけられた声は思い出させてくれた。
 軽く頭を振り、思考をあの二人からサジッタへと切り替えると、弦太朗はいつもの笑みを浮かべて声の主達の方に顔を向けた。
「おうユウキ、流星。どうだ、そっちは?」
「ごめん、何の情報もなかったよ」
「そうか……こっちもダメだ」
 現れた二人……城島ユウキと朔田流星に言葉を返し、弦太朗ははぁ、と溜息を吐く。
 昨日の戦いを分析して分った事だが、相手の攻撃は正確な一点集中型であり、矢その物もコズミックエナジーを物質化させたものらしい。
 その為、シールドやペンで防御しても、コズミックエナジーの量が純粋に多い方……この場合、サジッタの矢に軍配が上がるのだと言う。
 勿論、攻撃は最大の防御なる言葉がある通り、弦太朗側も攻撃の手を緩めはしなかったが……こちらが攻撃を仕掛けるよりも先に、相手が攻撃を仕掛けてくる方が早く、結果的に後手に回ってしまうのだ。
 ステルスやスモークと言った「撹乱系」のスイッチを多用して相手をするのが得策だ、と言うような事を賢吾は言っていたが……
「どの道、見つからねえ事にはどうしようもないしなぁ……」
 はあ、と再び弦太朗が溜息混じりに呟いた刹那。廊下がざわりとざわめいたかと思うと、廊下の奥から弦太朗達に向って、まるで「十戒」の中で最も有名なシーンのように、人の波が割れ、一本の道が出来上がった。
 そしてその先にいたのは、ムカデに似たデザインのゾディアーツ……探していたサジッタ、その者だった。
『君達が探しているのは……僕の事かな?』
 問うと同時に、サジッタの腕に付いていた矢が数本、ひゅんと風を切って放たれる。
 それを慌てて避けつつ、弦太朗はユウキと流星を連れて外へ向って走り出した。それは、あのまま廊下で戦闘と言う事になれば、間違いなく他の生徒に害が及ぶと判断したからだ。
 自分が狙われているのに、他の人間が傷付くのは耐えられない。そんな彼の優しさ故の行動なのだが、それが今回は裏目に出たらしい。
 人気のない方へサジッタを誘導していたつもりだったのに、逆に弦太朗達は校舎の壁が取り囲む、「逃げ場のない場所」に追いつめられる形となっていた。
「くそっ、こんな場所に……っ!」
『巻き込まないように、か。優しいよ、フォーゼ。でも……その優しさ、今回は命取りになったようだ』
「ユウキと流星は関係ねえ! やるなら俺だけにしろ!!」
『ダメだ。……それは、聞けない』
 首を横に振りつつ言ったサジッタに、弦太朗は両腕を広げて二人を護るようにしながら、ギリリと奥歯を噛み締める。
 自分はまだ良い。変身してしまえば何とか戦う術がある。だが、後ろにいる二人の安全を確保した上で戦闘、となるとこの状況では難しい。
 勿論、それは流星がもう一人の仮面ライダーである「メテオ」だという事実を知らないからこその考えなのだが……どちらにしろ、流星もこれだけの人間がいる中で変身する事は出来ない。何せタチバナから「正体がばれぬように」と釘を刺されている。
――最悪の状況だな――
 舌打ちをしたい気分に駆られながらも、流星は弦太朗の後ろでサジッタの様子を観察する。
 コアとも呼べる最輝星と呼ばれる部分がまだ輝いていない。恐らくスイッチも、まだラストワンに到っていないのだろう。
 うう、と隣で唸るユウキと、前できつくサジッタを睨みつける弦太朗、そしてこちらに向ってゆっくりと手を差し向けるサジッタを順に見やりながら、流星も何とか現状を打破する方法を考える。
 だが、そう上手く……それこそ奇跡のような閃きで方策など見つかるはずもなく。
『大丈夫。三人とも、苦しまずに一瞬で楽にしてあげるから』
 いっそ優しさすら感じられる声で言いながら、サジッタは三人の命を確実に奪う部位……弦太朗の心臓、そしてユウキと流星の脳天に狙いを定め、その手を差し向ける。
 万策つきたのか、三人は反射的にぎゅっと目を瞑り……だが、次の瞬間。彼らの頭上から、聞き慣れない声が響いてきた。
『いやいや、それは流石にダメダメだよんっ』
 ゾディアーツに似た、機械加工されたような声に驚き、声がした上を見上げた刹那、彼らの前に、黒い影がトン、と一つ舞い降りた。
 後姿なのでよく分らないが、着ているのはタキシードだろうか。黒い手袋をつけており、見えている後頭部は……少なくとも、人間のそれではない。
 髪はなく、真っ黒い地肌に肋骨をイメージさせる白い線が入っている。
「だ、誰!?」
『ボク? ボクはクーク。ただの変人サ』
 思わず上げたユウキの声に、その怪人……クークは少しだけ振り返って言葉を返す。そしてひらりとその手を振ると、一息にサジッタとの間合いを詰めた。
 突然の登場と唐突な突進に虚を突かれたせいか、サジッタの動きが一瞬だけ鈍る。そしてその隙を逃さず、クークは軽く上に飛び上がると、サジッタの左肩に自身の右踵を勢い良く落とした。
『うっ……強い』
『にゃははん。財団Xの幹部クラス舐めンな。止めたければ殺すつもりで来ると良いよ。さあカモンっ!』
 苦しげに呻くサジッタとは対照的に、クークの楽しげな声が響く。そして直後、クークの流れるような回し蹴りがサジッタの脇腹に炸裂。サジッタは大きくバランスを崩してその場に膝から崩れ落ちる。
 時折お返しとばかりに腕の矢を放ってはいるが、クークはそれを踊るような仕草でかわし、弦太朗達に当たりそうな物は掴み取っては興味なさそうにポイポイと捨て去っている。
 そしてその合間合間に、やはり踊っているようにしか見えない動きでサジッタの顔を殴りつけ、よろめく相手の胸板にトドメのキックが炸裂した。
 ドガッという鈍い音。同時に後方へ派手に吹き飛ぶサジッタの体。
 吹き飛んだお陰と言うと語弊があるかも知れないが、少なくとも武器を持たぬクークの間合いから逃れられたサジッタは、肩で息をしながらクークに問う。
『何故、僕の邪魔をする?』
『うん? 彼らを殺されるのは、今後の展開として面白くない。それだけだよ。ボクは面白くない事は嫌いなんだ』
 きっぱりと言い放たれた言葉に唖然としながらも、サジッタは距離を生かして再度矢を放ち始める。
 しかしクークはそれを読んでいたのか、トン、と大きく後ろに飛ぶと、先程自身が捨てたサジッタの矢を数本拾い上げ……
『はい、お返し』
 そう宣言したかと思うと、拾った矢を投げて飛んでくる矢に真正面からぶつけ、互いに消滅するように仕向ける。実際、クークの狙う通り、投げた矢は飛んできた中でも「かわしきれない矢」とぶつかって、ジワリと空気に溶けて消滅している。
 予想外の存在による反撃に慌てた様子を見せるサジッタとは対照的に、クークは冷静に矢をかわし、払い、そして時に対消滅させながら、開いた距離を詰め……そしてほんの一瞬の間隙を突いてサジッタの懐に潜り込んだかと思うと、拾ったらしい矢の先をサジッタの喉元に突きつけた。
『……うくっ……!!』
『どうする? これでもまだやっちゃう? ボクとしては、今日は退いて欲しい所なんだけどなぁ』
 悔しげに呻くサジッタとは対照的に、楽しげな声でクークは声をかける。マスカレイドの格好なので表情は分らないが、素顔ではしてやったりと言わんばかりの表情を浮かべているに違いない。
 その事がサジッタには悔しいのか、ギリリと奥歯を噛締めるような音が弦太朗達の耳にも届く。とは言え、置かれた状況は確実にサジッタには不利なもの。サジッタはチィと一つ舌打ちをすると、自身の足元に向けて矢を連射。土煙に乗じてその姿を消してしまった。
 後に残るのは黒い仮面の怪人ただ一人。しかも彼の存在は、弦太朗の心に深い傷を残した「財団X」という組織の幹部だと言う。見覚えがあるのは、恐らく「あの時」に出逢った無数の敵の中に、同じ格好をした輩がいたせいだろう。
 無意識の内に弦太朗は腰のベルトに手をかけ、そして相手を睨みつけていた。サジッタから救ってくれたとは言え、それは結果に過ぎないのだから。
 一方で振り返ったクークは、警戒心を顕わにしている彼らの様子に軽く首を傾げ……しかし直後、その理由に思い至ったらしい。ああ、と呟いて手を叩くと、ひょいと肩を竦め、敵意はないと言いたげに両手を挙げた。
『成程、カンナギ事件のせいで警戒されてるって訳か。あいつ、頭良いのに結構バカだよね~。もう少し上手くやれば……SOLが自我を獲得してるって分った時点でやめておけば、長生きできたのに』
「SOLじゃねえ! 撫子だ!! そもそも、財団Xが今度は何の目的でここにいる!?」
 きゃらきゃらと笑うクークに、弦太朗が怒声を上げる。件の騒動で失った「彼女」を物のように扱われた事に腹を立てたらしい。
 だが、クークはそんな弦太朗に向ってクスリと笑うと、トン、と大きく後ろに飛んで彼らとの距離を取り……そして、楽しげな声のまま言葉を返した。
『今回動いているのは財団の意思じゃなくてボク個人の意思。ちょっと財団相手に喧嘩売って暇潰しでもしようかなぁって思ってさ。『モノの人格』を無視してると、痛い目見るよって警告って言うか?』
「……何だって?」
『属してるボクが言うのもアレだけど、財団Xってところは、無駄に大きな組織でさ~。君が戦ったレム・カンナギのように宇宙の支配なんて大それた野心を持つ奴もいれば、ボクみたいに財団にちょっとダメージ与えてみようかなーなんて思う酔狂な奴もいるのサ』
「財団にダメージ……? じゃあ……お前、良い奴なのか?」
『良い奴? うわっやめてよそんな言い方。蕁麻疹出ちゃう。ボクは楽しければそれで良い、ただの変人なんだから』
 それだけ告げると、クークは三人に向かって一礼を返し……再度トトン、と不思議な足音を立てながら、その姿を彼らの前から消したのであった。
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