明瞭な夢、曖昧な現実
【その38:よせる ―欲望―】
東京タワーの麓に停車したゼロライナーから降りて、一行は訝るように周囲を見回す。
ゼロライナーの中でも思った事だが、自分達以外の人影を見出す事ができない。普段ならば、多少なりとも人がいるはずなのに。
「どういう事だ? 誰もいない」
「本当に、俺達は戻ってきたんですか?」
「うん」
訝るような加賀美と五代の言葉に、玄金はこくりと頷きを返す。
顔に浮かんでいる笑みは変わらないが、聞こえた声はひどく真剣な色を帯びていた。
「正確に言えば、『ここ』は世界の混じり始めた境界線。どちらの世界でもあり、どちらの世界にも属さない、矛盾した場所。だからこそ、ヒトは無意識の内にこの場所に来ないように避ける。この場所の不安定さを、どこかで感じているからね」
言われてみれば……いや、言われる前から、その場にいた全員には、何となく彼の言い分が分かるような気がしていた。
そこに居てはいけないと思わせる不気味さがこの場所にはある。それは多分、人気のなさだけが原因ではないのだろう。上手く言葉には出来ないのだが、強いて言うなら「空気」が違う。普段感じている空気とも、そして先程まで渡っていた異世界特有の空気とも違う。
もっと根本的なおぞましさを持った空気が、この周囲を取り巻いている。
「確かに、あまり長居はしたくないな」
軽く眉を寄せて言った加賀美に同意するように、彼の隣に立つハナが首を縦に振る。
他の面々も反応はそこまで大きくはないが、考えている事は彼らと同じらしく、その表情は普段よりも硬い。
「それで玄金。俺達はここで何をすればいい?」
「やる事は単純だよ。とりあえず変身してもらった後、このポイントで雄介君のアマダムの力を最大限に発揮する。すると朔也君の『FUSION』が最大限の力を発揮できるエネルギーフィールドが形成される。その瞬間に新君がハイパークロックアップして、主となる世界を呼び出せば、世界は……歴史は決定される。……理論上の話だけどね」
橘の問いに、玄金は静かな声で答えを返す。その静かさが、彼の真剣さを物語っているように聞こえた。
「一応、ダメ押しで成功確率を上げる為に、特異点であるハナちゃんを連れてきている。彼女が記憶したことは、確定事項に等しいからね。それに、幸か不幸か士君もいる」
「俺だと?」
思わず訝るような声を上げた士に、玄金は小さく頷きを返す。
ハナは時間の影響を受けない存在、特異点だ。時間の影響を受けない彼女が記憶すれば、それが「定められた時間」とされるであろう事は分かる。
だが、士の存在も役に立つとはどういう事なのだろうか。
彼は、飾りだったとはいえ大ショッカーの大首領なる立場にあり、世界を支配しようと目論んだ事もある。だが、それだけだ。
「世界の破壊者」などと言う不本意な二つ名は持っているが、その他に何かできる事など……
「士君は、様々な世界を渡り歩く能力を持つ。それはつまり、行きたい世界を無意識の内に『自分の側に呼び寄せている』って事」
「つまり、俺はこいつらが呼び出したい世界に『行きたい』と思えばいいのか?」
士も自分にできる事が「大体分かった」のか、軽く眉を顰めながらも玄金の言葉を噛み砕く。本当に、思うだけで世界を呼び出す事など可能なのかと言いたげに。
そもそも、士にはそんな事が出来るという自覚がない。世界と世界を行き来する力を持っているのは事実だが、行先まで自分の意志で指定した覚えはないのだから。
士が経験してきた移動は、往々にして光写真館の背景ロールが変更したことをきっかけに起こっていた。だから、世界の行先を決めていたのは、自分ではなく写真館という建物その物だと思っていたのだが。
「とは言え、アマダムは一度壊れているから、無理はできない。だからフィールド形成の補助として、『地の石』、『天の石』、『海の石』の三つを使う」
「『地の石』って……それ、大丈夫なの?」
「ん? ああ、心配しないで。これは『BLACKの世界』から奪い取った石であって、今まで僕達の目の前に現れた『地の石の欠片』の元になった石とは別物だよ。同じ名前だけどね」
玄金の言葉にぎょっと目を見開くハナに対し、彼は軽く笑みを浮かべつつ答える。
今まで目の前に現れた「紫色の欠片」と異なるらしい点に関しては安堵するが、色合いや名前が同じであるせいか、反射的に石から目を反らしてしまう。それを見ていると、今まで現れた者達のように、自分まで操られてしまうような気がして。
そんなハナの心情に気付いているのだろうか。玄金は微かに苦笑をその顔に浮かべると、手の中の石を白衣のポケットにしまいこんだ。
「まあ、石の事はさておき。君達はどうするの? ……いや、『どうしたい』の?」
「俺達がどうしたいか、ですか?」
「君達が何を望み、どんな結果を、どんな歴史を望むのか。何を拾い、何を犠牲にするのか。この世界の歴史を決定付けるのは君達自身の意志に託されている訳で、そこに他人の事情なんて、入り込む余地はないんだ。だから、君達が『どうしたい』のか。それが最後の鍵になる」
何かを選べば、何かは犠牲になる。
それが今回は、「歴史」……世界が辿るはずの「時間」であり、多数の人間の「記憶」、そして「人生」。起点となった時点から、ずっと重ねられた「今日」が消え去り、全く別の「今日」へと変わってしまう事実。
それを理解しているからこそ、彼らは軽々しく選択できずにいた。
これまで見てきた、「異なる世界」という名の可能性を思い出し、その上で考える。
それぞれに利点と欠点があり、混乱と秩序があり、そして笑顔と涙があった。絶対的な正解は存在しないが、同時に完全な不正解もまた、存在しない。
それでも、何かしらの結論は出さなければならない。この状況を放置する事は、彼らにとって「最悪の答え」になる事は理解できるから。
「玄金、俺は……」
「これ以上の行動は慎んでもらいましょう」
「あ……がっ!」
加賀美が眉を顰めながら、それでも意を決したように口を開きかけた刹那。どこからともなく何者かの静かな声が響き、直後誰かの呻き声が聞こえた。
その呻き声の主が玄金である事に気付くのは容易だった。
……何故なら、彼は背後から何者かに剣で刺し貫かれていたのだから。
「玄金!?」
「だい、じょうぶ。僕は……アンデッドだって、言った、ろ。ぐあ……あああぁぁぁっ!!」
加賀美が足を踏み出したのと、玄金の口から苦悶の声が漏れたのは同時。
見れば、彼の胸から生えている赤い刀身が、その体を抉るように緩やかに左右に振れ、彼の白衣を緑白色の血に染めていく。
「喋ると為になりませんよ、バジリスクアンデッド」
玄金の苦悶の声とは対照的に、剣の持ち主の声はどこまでも静か。そして右手に剣を握ったまま、その存在は半歩左にずれる事で、その身を玄金の後ろから現した。
銀色のスーツに、口元には僅かに蓄えられたヒゲ。立ち姿は凛とした気配すら漂っているが、醸しだす雰囲気は邪悪そのもの。
紳士のように見えるが、普通の紳士はいきなり背後から人を刺したりはしない。
「お前は……月影!?」
「お久し振りですね士さん」
玄金の胸に刺さったサタンサーベルをねじ込みながら、彼の後ろから現れたのは……かつて士を唆し、全ての世界を消滅、支配せんと目論んだ存在、月影ノブヒコその人であった。だが、その存在は士が……士達が以前倒したはずだ。
それなのに、その人物は今、五体満足の状態、しかもあの玄金を刺している。
そんな士の驚愕に気付いているのだろう。月影は、いっそ怖気を感じてしまう程穏やかに笑い、言葉を紡いだ。
「驚かれましたか? あの程度で倒される程、私は甘くはないのですよ」
「あっはは……流石、『運命の輪』……やる事が、狡いねぇ」
「黙れ」
刺されながらも馬鹿にしたような口調で言った玄金に、月影は初めて不快感で穏やかな表情を崩し、短く一言を吐き捨てる。
その一言に応えるように、サタンサーベルからは赤黒いプラズマが迸り、玄金の傷口を焼く。
いかにアンデッドとは言え、痛みは感じるのだろう。玄金は大きく目を見開き、声にならない悲鳴を上げた。それでも「玄金武土」の姿のままなのは、見た目ほどダメージを受けていないからなのか、それとも……逆にダメージが大きすぎて、本来の姿に戻るだけの力も残っていないからなのか。
確証はないが、恐らくは後者だろう。いくら常に嘘くさい表情を浮かべている玄金とは言え、今の彼の苦悶の表情は本物にしか見えないし、月影を嘲る声も弱々しい。
「待って下さい。確か、『運命の輪』って……」
「この状況を作り出し、俺からカテゴリーキングのカードを盗んだ人物のはずだ」
「じゃあ、こいつが『世界の統合』の黒幕って事かよ!?」
「統合を開始したのは私ではありませんが、この状況は私にとっても都合がいいのは事実です」
前に立つ月影の正体に思い至ると同時に、反射的に変身ポーズをとり身構える。
相手はこちらに気付かれぬうちにラウズカードを盗み出す事が出来る存在。おまけにあの玄金が、ろくな抵抗も出来ずに刺された事を考えても、相応の実力を持っている事は理解できた。
「邪魔をしないで下さい。ようやく私に巡ってきたチャンスなんです」
「チャンスですって? あんたの目的は何なのよ!? 世界を融合させて、何をするつもり!?」
「簡単ですよ。……私はただ、もう一度、私達『全員』でこの世界を管理し、皆で平穏に暮らしたい。それだけです。邪魔さえしなければ、士さん達にだって危害を加える気はありません」
「ハガネを刺したその格好じゃ、説得力の欠片もないぞ、月影」
「分かりませんね。何故コレを気に掛けるのです? 人間ですらないコレを」
士の言葉に、心の底から理解できないと言いたげな表情を浮かべ、月影は再度サタンサーベルからプラズマを奔らせる。
アンデッドであるが故なのだろう。普通の人間ならば致命傷とも呼べる傷を負っているにもかかわらず、死はおろか気を失う事も許されていないのか、刺された方は痛みに顔を歪め、そしてその口からは苦悶の声を漏らした。
だが、それでも何かを言わなければ気が済まないのだろうか。彼は自身の悲鳴の合間を縫うようにして声を投げた。
「こいつは、ね。この世界とその住人さえ無事なら……そして自分の『同類』さえ無事なら、他はどうなっても良いって思ってるんだ」
「……黙れと言ったでしょう、『下僕』。私の力なら、お前を消滅させることなど容易いという事を忘れたのですか?」
月影が、負の感情を凝縮したような冷たい声を放つ同時に、今までで一番大きなプラズマが玄金の体を舐め、焼いていく。
だが、その口封じに近しい……いや、口封じそのものの行為こそが、玄金の言葉を肯定しているのだと知らしめるには充分だった。
「お前……!」
「何故、そんなにいきり立つのです? コレはあなた方を巻き込んだ、言ってしまえば迷惑な存在のはずですが?」
今にも飛びかかりそうな加賀美に視線を向け、月影は理解できませんねと呟きながら首を傾げる。
確かに玄金は、自分達を巻き込んだ存在と言って良い。「ブレイドの世界」では人間に対する非情さ、残忍さも垣間見せた。月影の「迷惑な存在」という言葉だって、あながち間違いとも言えない。
だが、彼が自分達を連れまわした理由は、この世界の未来を「人間」に委ねるが為のもの。彼の思惑が存在してなかったと言えば嘘になるだろうが、月影のように「何が何でもこうしたい」という意志は感じられなかった。
少なくとも、玄金は自分達「人間」の意志を尊重してくれている。残酷な選択肢を用意してはいたが、それでも悩み、考える時間と材料をくれた。だからこそ、嫌いにはなりきれないし敵だとも思えない。それは月影とは決定的な差だ。
だが、それを月影に伝えたところで、彼が理解するとは思えない。
「そもそも、このまま放置を続ければ、この世界とやらは崩壊するんだろう?」
「そ、そうだよ! このまま放っておいたら、互いに食い合って消滅するんだろ!?」
「ご心配には及びません。私の力なら、世界の消滅は回避できます。あなた方が苦労する必要などないのですよ」
ふふ、と微かな笑みを浮かべながら、月影は士と加賀美の言葉に静かに答える。
世界の消滅は回避できる。それだけの力がある。それはおそらく本当であろう事は、何となくわかる。だが……何故だろうか。だからと言って、「はいそうですか」と彼に丸投げをするには、抵抗があった。
かつて士自身が、月影に良いように踊らされた事実がある事、そして……未だに彼が、玄金から剣を抜かない事。それらの事があるせいか、彼の申し出が自分達に負担をかけまいとしての「優しさ」からでないのは理解できる。
そもそも彼が現れた時、「これ以上は慎め」と言ったのだ。それはつまり、彼らがどのような結果を選んだとしても、それは月影の望む形にはならないという事ではないのか。
「ですから、ここは退いて頂けませんか? 私に一任して下されば、悪いようには……」
「俺は、嫌です」
諦めさせようと紡がれた月影の言葉は、短くもはっきりとした五代の拒絶で途切れた。
ひくり、と月影の頬が引き攣るのを真正面から見据えながら、それでも五代は言葉を続ける。自分の言葉が、相手の笑顔を消してしまうかもしれなくても。
「あなたが本当にこの世界が好きで、そして守りたいって意志があるのは、何となくわかります。でも、玄金さんに怪我を負わせたり……まして物みたいに扱う人に任せるのは、絶対に嫌です」
はっきりと言い切った五代に同意するように、橘と加賀美、そしてハナも頷きを返し、士はふ、と楽しげに笑う。
その態度が気に入らなかったのだろう。月影は顔から表情を消すと、大きく一つ溜息を吐き出し……そして、呟いた。
……ならば、コレから処分しましょう、と。
月影の言う「コレ」が玄金の事であると理解したのと、サタンサーベルを握る手に力が籠ったのは同時。
止めなければ、と思い五代達は動くが、距離が開きすぎていた。
一歩目を踏み出した瞬間、赤い刀身を持つ剣は緑白色の液体を纏って白衣を着た男の体から引き抜かれ、二歩目を踏み出した時には男の頭部めがけてそれが振り下ろされ…………そして、三歩目を踏み出した刹那。
「甘いんだよ『運命の輪』ァっ!」
切っ先が玄金の頭に触れる寸前、どこかで聞いた事がある声が響いたかと思うと、赤い剣とその持ち主が瞬時に炎に包まれた。
「がっ!?」
炎に舐められた月影は、低い呻き声を上げ、その炎から逃れるように数歩、後ろへと下がる。だが炎自体は月影から発せられているのだ。彼が下がったところでそれが消えるはずもない。
突然の事に驚き、思わず足を止める五代達。そしてその眼前に、赤い髪の少年が空から降ってきたのが見えた。
その少年が、自分達を集めた張本人であると気付くのに数秒を要し、そして気付いた時には半ば反射的にその名を呼んでいた。
「朱杖君!?」
「何で君がここに!?」
「だって俺がアンタらに依頼した張本人だぜ? なら……皆まで言わすな。それから、起きろこのマムシ野郎!」
月影から解放されたせいか、胸元から血を流し地面にうずくまる玄金に、少年……朱杖炎雀はパシンとその頭を叩く。
それに反応するように、玄金は軽く口元を拭い、緩慢な動きで顔を上げた。その顔にはいつもと変わらぬ奇妙な笑みが浮いており、先程まで苦しんでいたのと同じ人物には見えない。
あの苦悶の表情は、もしかしたら演技だったのではないかと疑うほどに、玄金の表情は「いつも通り」だった。
「っ、あー……炎雀、助けに入るのが、遅い。流石に今回はいろんなものを覚悟したよ~」
「悪い! 今回ばかりは素直に謝る! でもな、無理して笑うな、見ててウゼェ」
「僕の顔の作りにイチャモン付けないでよ。…………で? 遅れたからには、首尾は整ってるんだろうね?」
「確定はしてない。来るか来ないか、伸るか反るかは不明だ。ただ、交渉だけはしてきた」
ポンポンとやり取りされる会話。しかし、その間にも彼ら二人は油断なく火だるまになっている月影に目を向けている。
「ひょっとして……君も、アンデッドなのか?」
「ひょっとしなくてもアンデッドだよ。だから多額の投資やら炎の召喚なんつー芸当が出来るんだろーが」
驚いて目を瞬かせつつ問うた加賀美に、問われた方は短く返す。
どこか苛立っているようにも聞こえる声だが、聞かれたから不機嫌という訳ではないらしい。不機嫌と言うよりも、焦っているような……
「けど、細かい話は後にしてもらいたいね。…………奴 さんに俺の炎なんざ効いちゃいねーんだから」
「え?」
低く吐き出すように言われた言葉に反応して見てみれば。
彼らの視線の先にあったはずの火柱は消え、それに包まれていた男は傷どころか焦げや煤すら付いていない状態で立っているのが見えた。
「……化物かよ」
「奇妙な部分がある奴だとは思っていたが、まさかそこまでおかしかったとはな」
呻くように呟く加賀美と士の声を聞き止めたのか、月影はふっと軽く笑う。
確かに朱杖の言う通りだ。あれだけの炎が、全く効いていない。先程まではやりすぎだと思っていたのに、今はとてもではないがそう思えない。
……底知れぬ恐ろしさを感じ、ハナの体がぶるりと震えた。
かつて今まで、これほどまでに得体のしれない敵がいただろうか。アンデッドとも、イマジンとも、ワームやグロンギとも違う。見た目は人間と同じなのに、根本的な部分で異なっている。
「何、なのよ……あいつ……」
意図せず声が掠れ、自分が恐怖している事に気付く。今まで感じた物とは、桁違い。恐ろしすぎて感覚が麻痺し、感じているそれが「恐ろしい」と思えなくなっているほど。
「……そう言えば、自己紹介がまだでしたね」
ハナの声に返すように、月影はゆっくりと優雅な一礼を返し……そして、己の「本来の名」を口にした。
「私は『運命の輪』。この世界を作った、『カミサマ』と呼ばれる者の一人です」
と。
東京タワーの麓に停車したゼロライナーから降りて、一行は訝るように周囲を見回す。
ゼロライナーの中でも思った事だが、自分達以外の人影を見出す事ができない。普段ならば、多少なりとも人がいるはずなのに。
「どういう事だ? 誰もいない」
「本当に、俺達は戻ってきたんですか?」
「うん」
訝るような加賀美と五代の言葉に、玄金はこくりと頷きを返す。
顔に浮かんでいる笑みは変わらないが、聞こえた声はひどく真剣な色を帯びていた。
「正確に言えば、『ここ』は世界の混じり始めた境界線。どちらの世界でもあり、どちらの世界にも属さない、矛盾した場所。だからこそ、ヒトは無意識の内にこの場所に来ないように避ける。この場所の不安定さを、どこかで感じているからね」
言われてみれば……いや、言われる前から、その場にいた全員には、何となく彼の言い分が分かるような気がしていた。
そこに居てはいけないと思わせる不気味さがこの場所にはある。それは多分、人気のなさだけが原因ではないのだろう。上手く言葉には出来ないのだが、強いて言うなら「空気」が違う。普段感じている空気とも、そして先程まで渡っていた異世界特有の空気とも違う。
もっと根本的なおぞましさを持った空気が、この周囲を取り巻いている。
「確かに、あまり長居はしたくないな」
軽く眉を寄せて言った加賀美に同意するように、彼の隣に立つハナが首を縦に振る。
他の面々も反応はそこまで大きくはないが、考えている事は彼らと同じらしく、その表情は普段よりも硬い。
「それで玄金。俺達はここで何をすればいい?」
「やる事は単純だよ。とりあえず変身してもらった後、このポイントで雄介君のアマダムの力を最大限に発揮する。すると朔也君の『FUSION』が最大限の力を発揮できるエネルギーフィールドが形成される。その瞬間に新君がハイパークロックアップして、主となる世界を呼び出せば、世界は……歴史は決定される。……理論上の話だけどね」
橘の問いに、玄金は静かな声で答えを返す。その静かさが、彼の真剣さを物語っているように聞こえた。
「一応、ダメ押しで成功確率を上げる為に、特異点であるハナちゃんを連れてきている。彼女が記憶したことは、確定事項に等しいからね。それに、幸か不幸か士君もいる」
「俺だと?」
思わず訝るような声を上げた士に、玄金は小さく頷きを返す。
ハナは時間の影響を受けない存在、特異点だ。時間の影響を受けない彼女が記憶すれば、それが「定められた時間」とされるであろう事は分かる。
だが、士の存在も役に立つとはどういう事なのだろうか。
彼は、飾りだったとはいえ大ショッカーの大首領なる立場にあり、世界を支配しようと目論んだ事もある。だが、それだけだ。
「世界の破壊者」などと言う不本意な二つ名は持っているが、その他に何かできる事など……
「士君は、様々な世界を渡り歩く能力を持つ。それはつまり、行きたい世界を無意識の内に『自分の側に呼び寄せている』って事」
「つまり、俺はこいつらが呼び出したい世界に『行きたい』と思えばいいのか?」
士も自分にできる事が「大体分かった」のか、軽く眉を顰めながらも玄金の言葉を噛み砕く。本当に、思うだけで世界を呼び出す事など可能なのかと言いたげに。
そもそも、士にはそんな事が出来るという自覚がない。世界と世界を行き来する力を持っているのは事実だが、行先まで自分の意志で指定した覚えはないのだから。
士が経験してきた移動は、往々にして光写真館の背景ロールが変更したことをきっかけに起こっていた。だから、世界の行先を決めていたのは、自分ではなく写真館という建物その物だと思っていたのだが。
「とは言え、アマダムは一度壊れているから、無理はできない。だからフィールド形成の補助として、『地の石』、『天の石』、『海の石』の三つを使う」
「『地の石』って……それ、大丈夫なの?」
「ん? ああ、心配しないで。これは『BLACKの世界』から奪い取った石であって、今まで僕達の目の前に現れた『地の石の欠片』の元になった石とは別物だよ。同じ名前だけどね」
玄金の言葉にぎょっと目を見開くハナに対し、彼は軽く笑みを浮かべつつ答える。
今まで目の前に現れた「紫色の欠片」と異なるらしい点に関しては安堵するが、色合いや名前が同じであるせいか、反射的に石から目を反らしてしまう。それを見ていると、今まで現れた者達のように、自分まで操られてしまうような気がして。
そんなハナの心情に気付いているのだろうか。玄金は微かに苦笑をその顔に浮かべると、手の中の石を白衣のポケットにしまいこんだ。
「まあ、石の事はさておき。君達はどうするの? ……いや、『どうしたい』の?」
「俺達がどうしたいか、ですか?」
「君達が何を望み、どんな結果を、どんな歴史を望むのか。何を拾い、何を犠牲にするのか。この世界の歴史を決定付けるのは君達自身の意志に託されている訳で、そこに他人の事情なんて、入り込む余地はないんだ。だから、君達が『どうしたい』のか。それが最後の鍵になる」
何かを選べば、何かは犠牲になる。
それが今回は、「歴史」……世界が辿るはずの「時間」であり、多数の人間の「記憶」、そして「人生」。起点となった時点から、ずっと重ねられた「今日」が消え去り、全く別の「今日」へと変わってしまう事実。
それを理解しているからこそ、彼らは軽々しく選択できずにいた。
これまで見てきた、「異なる世界」という名の可能性を思い出し、その上で考える。
それぞれに利点と欠点があり、混乱と秩序があり、そして笑顔と涙があった。絶対的な正解は存在しないが、同時に完全な不正解もまた、存在しない。
それでも、何かしらの結論は出さなければならない。この状況を放置する事は、彼らにとって「最悪の答え」になる事は理解できるから。
「玄金、俺は……」
「これ以上の行動は慎んでもらいましょう」
「あ……がっ!」
加賀美が眉を顰めながら、それでも意を決したように口を開きかけた刹那。どこからともなく何者かの静かな声が響き、直後誰かの呻き声が聞こえた。
その呻き声の主が玄金である事に気付くのは容易だった。
……何故なら、彼は背後から何者かに剣で刺し貫かれていたのだから。
「玄金!?」
「だい、じょうぶ。僕は……アンデッドだって、言った、ろ。ぐあ……あああぁぁぁっ!!」
加賀美が足を踏み出したのと、玄金の口から苦悶の声が漏れたのは同時。
見れば、彼の胸から生えている赤い刀身が、その体を抉るように緩やかに左右に振れ、彼の白衣を緑白色の血に染めていく。
「喋ると為になりませんよ、バジリスクアンデッド」
玄金の苦悶の声とは対照的に、剣の持ち主の声はどこまでも静か。そして右手に剣を握ったまま、その存在は半歩左にずれる事で、その身を玄金の後ろから現した。
銀色のスーツに、口元には僅かに蓄えられたヒゲ。立ち姿は凛とした気配すら漂っているが、醸しだす雰囲気は邪悪そのもの。
紳士のように見えるが、普通の紳士はいきなり背後から人を刺したりはしない。
「お前は……月影!?」
「お久し振りですね士さん」
玄金の胸に刺さったサタンサーベルをねじ込みながら、彼の後ろから現れたのは……かつて士を唆し、全ての世界を消滅、支配せんと目論んだ存在、月影ノブヒコその人であった。だが、その存在は士が……士達が以前倒したはずだ。
それなのに、その人物は今、五体満足の状態、しかもあの玄金を刺している。
そんな士の驚愕に気付いているのだろう。月影は、いっそ怖気を感じてしまう程穏やかに笑い、言葉を紡いだ。
「驚かれましたか? あの程度で倒される程、私は甘くはないのですよ」
「あっはは……流石、『運命の輪』……やる事が、狡いねぇ」
「黙れ」
刺されながらも馬鹿にしたような口調で言った玄金に、月影は初めて不快感で穏やかな表情を崩し、短く一言を吐き捨てる。
その一言に応えるように、サタンサーベルからは赤黒いプラズマが迸り、玄金の傷口を焼く。
いかにアンデッドとは言え、痛みは感じるのだろう。玄金は大きく目を見開き、声にならない悲鳴を上げた。それでも「玄金武土」の姿のままなのは、見た目ほどダメージを受けていないからなのか、それとも……逆にダメージが大きすぎて、本来の姿に戻るだけの力も残っていないからなのか。
確証はないが、恐らくは後者だろう。いくら常に嘘くさい表情を浮かべている玄金とは言え、今の彼の苦悶の表情は本物にしか見えないし、月影を嘲る声も弱々しい。
「待って下さい。確か、『運命の輪』って……」
「この状況を作り出し、俺からカテゴリーキングのカードを盗んだ人物のはずだ」
「じゃあ、こいつが『世界の統合』の黒幕って事かよ!?」
「統合を開始したのは私ではありませんが、この状況は私にとっても都合がいいのは事実です」
前に立つ月影の正体に思い至ると同時に、反射的に変身ポーズをとり身構える。
相手はこちらに気付かれぬうちにラウズカードを盗み出す事が出来る存在。おまけにあの玄金が、ろくな抵抗も出来ずに刺された事を考えても、相応の実力を持っている事は理解できた。
「邪魔をしないで下さい。ようやく私に巡ってきたチャンスなんです」
「チャンスですって? あんたの目的は何なのよ!? 世界を融合させて、何をするつもり!?」
「簡単ですよ。……私はただ、もう一度、私達『全員』でこの世界を管理し、皆で平穏に暮らしたい。それだけです。邪魔さえしなければ、士さん達にだって危害を加える気はありません」
「ハガネを刺したその格好じゃ、説得力の欠片もないぞ、月影」
「分かりませんね。何故コレを気に掛けるのです? 人間ですらないコレを」
士の言葉に、心の底から理解できないと言いたげな表情を浮かべ、月影は再度サタンサーベルからプラズマを奔らせる。
アンデッドであるが故なのだろう。普通の人間ならば致命傷とも呼べる傷を負っているにもかかわらず、死はおろか気を失う事も許されていないのか、刺された方は痛みに顔を歪め、そしてその口からは苦悶の声を漏らした。
だが、それでも何かを言わなければ気が済まないのだろうか。彼は自身の悲鳴の合間を縫うようにして声を投げた。
「こいつは、ね。この世界とその住人さえ無事なら……そして自分の『同類』さえ無事なら、他はどうなっても良いって思ってるんだ」
「……黙れと言ったでしょう、『下僕』。私の力なら、お前を消滅させることなど容易いという事を忘れたのですか?」
月影が、負の感情を凝縮したような冷たい声を放つ同時に、今までで一番大きなプラズマが玄金の体を舐め、焼いていく。
だが、その口封じに近しい……いや、口封じそのものの行為こそが、玄金の言葉を肯定しているのだと知らしめるには充分だった。
「お前……!」
「何故、そんなにいきり立つのです? コレはあなた方を巻き込んだ、言ってしまえば迷惑な存在のはずですが?」
今にも飛びかかりそうな加賀美に視線を向け、月影は理解できませんねと呟きながら首を傾げる。
確かに玄金は、自分達を巻き込んだ存在と言って良い。「ブレイドの世界」では人間に対する非情さ、残忍さも垣間見せた。月影の「迷惑な存在」という言葉だって、あながち間違いとも言えない。
だが、彼が自分達を連れまわした理由は、この世界の未来を「人間」に委ねるが為のもの。彼の思惑が存在してなかったと言えば嘘になるだろうが、月影のように「何が何でもこうしたい」という意志は感じられなかった。
少なくとも、玄金は自分達「人間」の意志を尊重してくれている。残酷な選択肢を用意してはいたが、それでも悩み、考える時間と材料をくれた。だからこそ、嫌いにはなりきれないし敵だとも思えない。それは月影とは決定的な差だ。
だが、それを月影に伝えたところで、彼が理解するとは思えない。
「そもそも、このまま放置を続ければ、この世界とやらは崩壊するんだろう?」
「そ、そうだよ! このまま放っておいたら、互いに食い合って消滅するんだろ!?」
「ご心配には及びません。私の力なら、世界の消滅は回避できます。あなた方が苦労する必要などないのですよ」
ふふ、と微かな笑みを浮かべながら、月影は士と加賀美の言葉に静かに答える。
世界の消滅は回避できる。それだけの力がある。それはおそらく本当であろう事は、何となくわかる。だが……何故だろうか。だからと言って、「はいそうですか」と彼に丸投げをするには、抵抗があった。
かつて士自身が、月影に良いように踊らされた事実がある事、そして……未だに彼が、玄金から剣を抜かない事。それらの事があるせいか、彼の申し出が自分達に負担をかけまいとしての「優しさ」からでないのは理解できる。
そもそも彼が現れた時、「これ以上は慎め」と言ったのだ。それはつまり、彼らがどのような結果を選んだとしても、それは月影の望む形にはならないという事ではないのか。
「ですから、ここは退いて頂けませんか? 私に一任して下されば、悪いようには……」
「俺は、嫌です」
諦めさせようと紡がれた月影の言葉は、短くもはっきりとした五代の拒絶で途切れた。
ひくり、と月影の頬が引き攣るのを真正面から見据えながら、それでも五代は言葉を続ける。自分の言葉が、相手の笑顔を消してしまうかもしれなくても。
「あなたが本当にこの世界が好きで、そして守りたいって意志があるのは、何となくわかります。でも、玄金さんに怪我を負わせたり……まして物みたいに扱う人に任せるのは、絶対に嫌です」
はっきりと言い切った五代に同意するように、橘と加賀美、そしてハナも頷きを返し、士はふ、と楽しげに笑う。
その態度が気に入らなかったのだろう。月影は顔から表情を消すと、大きく一つ溜息を吐き出し……そして、呟いた。
……ならば、コレから処分しましょう、と。
月影の言う「コレ」が玄金の事であると理解したのと、サタンサーベルを握る手に力が籠ったのは同時。
止めなければ、と思い五代達は動くが、距離が開きすぎていた。
一歩目を踏み出した瞬間、赤い刀身を持つ剣は緑白色の液体を纏って白衣を着た男の体から引き抜かれ、二歩目を踏み出した時には男の頭部めがけてそれが振り下ろされ…………そして、三歩目を踏み出した刹那。
「甘いんだよ『運命の輪』ァっ!」
切っ先が玄金の頭に触れる寸前、どこかで聞いた事がある声が響いたかと思うと、赤い剣とその持ち主が瞬時に炎に包まれた。
「がっ!?」
炎に舐められた月影は、低い呻き声を上げ、その炎から逃れるように数歩、後ろへと下がる。だが炎自体は月影から発せられているのだ。彼が下がったところでそれが消えるはずもない。
突然の事に驚き、思わず足を止める五代達。そしてその眼前に、赤い髪の少年が空から降ってきたのが見えた。
その少年が、自分達を集めた張本人であると気付くのに数秒を要し、そして気付いた時には半ば反射的にその名を呼んでいた。
「朱杖君!?」
「何で君がここに!?」
「だって俺がアンタらに依頼した張本人だぜ? なら……皆まで言わすな。それから、起きろこのマムシ野郎!」
月影から解放されたせいか、胸元から血を流し地面にうずくまる玄金に、少年……朱杖炎雀はパシンとその頭を叩く。
それに反応するように、玄金は軽く口元を拭い、緩慢な動きで顔を上げた。その顔にはいつもと変わらぬ奇妙な笑みが浮いており、先程まで苦しんでいたのと同じ人物には見えない。
あの苦悶の表情は、もしかしたら演技だったのではないかと疑うほどに、玄金の表情は「いつも通り」だった。
「っ、あー……炎雀、助けに入るのが、遅い。流石に今回はいろんなものを覚悟したよ~」
「悪い! 今回ばかりは素直に謝る! でもな、無理して笑うな、見ててウゼェ」
「僕の顔の作りにイチャモン付けないでよ。…………で? 遅れたからには、首尾は整ってるんだろうね?」
「確定はしてない。来るか来ないか、伸るか反るかは不明だ。ただ、交渉だけはしてきた」
ポンポンとやり取りされる会話。しかし、その間にも彼ら二人は油断なく火だるまになっている月影に目を向けている。
「ひょっとして……君も、アンデッドなのか?」
「ひょっとしなくてもアンデッドだよ。だから多額の投資やら炎の召喚なんつー芸当が出来るんだろーが」
驚いて目を瞬かせつつ問うた加賀美に、問われた方は短く返す。
どこか苛立っているようにも聞こえる声だが、聞かれたから不機嫌という訳ではないらしい。不機嫌と言うよりも、焦っているような……
「けど、細かい話は後にしてもらいたいね。…………
「え?」
低く吐き出すように言われた言葉に反応して見てみれば。
彼らの視線の先にあったはずの火柱は消え、それに包まれていた男は傷どころか焦げや煤すら付いていない状態で立っているのが見えた。
「……化物かよ」
「奇妙な部分がある奴だとは思っていたが、まさかそこまでおかしかったとはな」
呻くように呟く加賀美と士の声を聞き止めたのか、月影はふっと軽く笑う。
確かに朱杖の言う通りだ。あれだけの炎が、全く効いていない。先程まではやりすぎだと思っていたのに、今はとてもではないがそう思えない。
……底知れぬ恐ろしさを感じ、ハナの体がぶるりと震えた。
かつて今まで、これほどまでに得体のしれない敵がいただろうか。アンデッドとも、イマジンとも、ワームやグロンギとも違う。見た目は人間と同じなのに、根本的な部分で異なっている。
「何、なのよ……あいつ……」
意図せず声が掠れ、自分が恐怖している事に気付く。今まで感じた物とは、桁違い。恐ろしすぎて感覚が麻痺し、感じているそれが「恐ろしい」と思えなくなっているほど。
「……そう言えば、自己紹介がまだでしたね」
ハナの声に返すように、月影はゆっくりと優雅な一礼を返し……そして、己の「本来の名」を口にした。
「私は『運命の輪』。この世界を作った、『カミサマ』と呼ばれる者の一人です」
と。
38/38ページ