明瞭な夢、曖昧な現実

【その2:いう ―異説―】

「……え?」
 研究所の中に入るや、加賀美は外観と内装のギャップに驚きの声をあげた。
 外から見た限りでは、どう見ても寂れた建物だった。だが、そんな外観からは想像もつかない程、中は綺麗に整備されており、先程まで抱いていた「怪しい」と印象からはかけ離れている。
「嘘、だろ。見た目とは大違いだ……」
 呆然とその場に佇み、思わず周囲をきょろきょろと見回してしまう。
 奥の方ではこの研究所の所員らしき人物達が手元の紙に何かを書き込んでいるのが見える。
 外観から、この場にいる研究者は、フィクションの世界で見かけるような怪しげな連中ばかりだろうと思っていただけに、安心したような、拍子抜けしたような、何とも言えない感情が湧き上がる。
 そんな風に呆然としていたせいだろうか。追っていたはずの青い女性の姿が消えてしまっていた。
「ヤバ……見失った」
 怪しいと思い、そして止めなければと感じていたのに。目の前に広がる「予想外に普通の光景」に驚きすぎて目を離してしまった。そんな自分の迂闊さに、加賀美は軽い自己嫌悪に陥りながら、それでも先程の女性の姿を探すように左右に視線を巡らせる。
 だが、この白を主体とした空間では非常に目立つであろう青い服の女性の姿は、やはり存在しない。
 一瞬だけ「帰ってしまおうか」とも考えたのだが、手元に残っているガタックのベルトの存在を認識すると、帰るのもはばかられる。
 彼女がこのベルトを持っていた理由、そして「為すべき事」の内容が気になるのも事実。
――どうするかなぁ……――
 うーんと困ったように唸り、一つだけ溜息を吐いた刹那。
「あの、すみません」
「うわぁっ!」
 声をかけられると共に肩を叩かれ、思わず驚きの悲鳴をあげてしまう。
 何しろ加賀美は、警察官とはいえこの施設の人間から見れば完璧な部外者だ。悪事を働くつもりは一切ないが、ここまで案内してきた青い女性がいない以上、不法侵入だと思われても不思議はない。
 頭の中で謝罪と言い訳と事実を並べ、どう説明しようかと悩みながらも、加賀美は恐る恐るといった風に振り返る。
 そこに立っていたのは、穏やかな笑顔の青年だった。年齢は自分よりも少しばかり上だろうか。小脇にヘルメットを抱え、笑顔なのにどこか困っているような印象を抱かせる。
 恐らく、部外者である自分の存在に気付き、追い出そうとしているのだろう。未だ形に出来ていない言葉を、慌てて声に出そうと口を開く。だがそれよりも先に、青年が声を上げる方が早かった。
「えっと、この建物の警備員さん、ですよね?」
「……へ?」
「俺、人とはぐれちゃったんです。白尽くめで、銀髪の女の人で。ここの職員さんだと思うんですけど……どなたかご存じないですか?」
「あ、いや、えーっと」
 どうやら青年も、ここの関係者ではなかったらしい。しかも自分と同じように、何者かとはぐれてしまったようだ。
 そう認識すると、加賀美はほっと胸を撫で下ろし、青年の誤解を解くべく口を開いた。
「……実は俺、ここの関係者じゃないんですよ」
「え? そうなんですか?」
「はい。俺も、ここに案内されただけで……おまけに、はぐれたんです」
「そうなんですか。……あ、じゃあ、はぐれ仲間ですね、俺達」
 自分が関係者でない事を理解してくれたらしい。別段落胆する様子も見せず、その青年は笑顔とサムズアップと共に、そんな言葉を返してきた。
 豪胆なのか楽観的なのか、あるいはその両方なのかは分からないが、彼のその笑顔に安堵し、加賀美も軽く笑みを返す。ひょっとすると、笑みは伝播するものなのかも知れないと思いながら。
 加賀美を「はぐれ仲間」と認定した為なのか、青年はぐるりと周囲を見回すと感心したような声を漏らした。
「こうやって見ると、本当に綺麗な建物ですよね。広いし、まさに研究所って感じで」
「ああ、それは分かります。けど、外観がなぁ……折角中が綺麗でも勿体ないと思います」
「そうですか? 俺は、外観も綺麗だと思いましたけど。壁が白くて、エントランス部分はガラス張りで」
「ええ? あんな蔦に覆われた壁がですか?」
「え? 蔦なんか生えてましたっけ?」
「……え?」
「あれ?」
 そこまで言葉を交わして、ようやく加賀美は妙だと感じた。
 話が、根本的な部分で食い違っている。まるで別の建物の話をしているのではと思える程に。
 青年が嘘を吐いているようには見えない。彼は本当に、「白くて綺麗な壁の建物であるここ」へ入ったのだと思っている。
 その一方で自分は……
――俺は、どうだった?――
 驚きの連続で失念していたが、自分が女性を追った時、この建物の壁は「白」ではなかったか? 蔦が消えてはいなかったか?
 曖昧な記憶を必死に辿り、自分が女性に出会う「前」と「後」の外観を比較する。暗かったし、それ程気にも留めていなかったせいか、変わっていたと思えば変わっていたようにも思えるし、気のせいだと思えば気のせいのような気もしてくる。
 どちらとも断言できない事がもどかしく、加賀美はうーんと唸って悩み始める。一方で青年の方も話の食い違いに何かを感じ取ったのか、加賀美同様うーん、と不思議そうにその首を傾げて悩んでいた。
 どれ程そうやって悩んでいただろうか。しかし彼らのそんな苦悩は、唐突に上がった声によって遮られた。
「あれ? 君達二人きり?」
「へ?」
 声に弾かれるようにして顔を上げれば、そこにはここの職員らしい男性が二人。どちらも白衣を纏い、首からはここの職員を示すらしいネームプレートのような物が提げられている。
 声をかけてきたのは、白衣の下に黒いタートルネックを着た男のようで、心底不思議そうな表情を浮かべ、軽く首を傾げている。一方でもう一人は、どこか怪訝そうな表情で加賀美と青年の二人を見つめていた。
「知り合いか、玄金?」
「ううん。僕が一方的に知ってるってだけ。それにしてもおっかしいなぁ。風虎ちゃんはともかく、龍水ちゃんはそんなに忙しくはないはずなのに」
 自分達に声をかけてきた男は、玄金と言うらしい。そして言葉から察するに、この男は自分達の事を知っている。……ここまで連れてきた彼女と同じように。
「ま、どうせ僕が水先案内人の役なんだし、ここから案内をしたって、そう変わらないか」
「おい。BOARDは部外者立ち入り禁止が原則だぞ」
「大丈夫だよ朔也君! 彼らは『理事』が招いた正式なお客様だから。はい、これ来客者用のプレートね」
 どこから取り出したのか、玄金という男は、彼らが首からかけているのと同じような物を二つ取り出すと、それを加賀美と青年にそれぞれ手渡す。
 薄明かりの中でそれに目を落とせば、大きく書かれた「来客用」の文字。
 それで諦めたのか、それでも朔也と呼ばれた青年は、どこか不審そうな表情を浮かべたまま、加賀美達の後ろに回った。逃げられないようにという事なのか、あるいはまたはぐれないようにという配慮なのか。どちらかと言えば前者の方だと思わなくもないが、何故だかそれを不快に思わない自分に、加賀美は驚いた。
 が、玄金がさっさと歩き始めたのを見て、慌てて彼の後ろをついて歩く。
 しばらく歩き、エレベーターで最上階へ。毛足の長い絨毯を踏みしめながら辿り着いたのは、鳥の頭の形をしたドアノッカーがある部屋の前だった。
 位置から考えて、結構な地位の者がいる部屋であろうに、彼の顔には緊張の色も畏敬の念も見えない。対照的に、最後尾を歩いていた青年は緊張と困惑の入り混じった表情を見せている。
炎雀えんじゃく、入るよー?」
 ノックもせず、玄金は声だけを投げて扉を開く。と同時に、飛んできたのは怒声とダーツの羽根だった。
「遅ぇよ武土! お前、何モタモタやってんの? 遅いだけなら亀でもできるっつーの」
「あっはっは。そりゃあ僕、かなりの割合で亀だし。っていうか、亀は意外と素早いんだよ?」
 飛んできた罵声に返しながら、玄金はダーツの羽根を受け止めると、それを向かい側にある的に向かって投げつけた。投げられた羽根は的のほぼ真ん中、インナーブルと呼ばれる位置に突き立つ。
 それを忌々しげに、部屋の中央にいた十二、三歳くらいの少年が睨み付ける。恐らくは彼が、先程の声の主なのだろう。確か「炎雀」と呼ばれていたか。
 赤毛という表現しか思い浮かばない程の鮮やかな赤髪。よくよく見ると、瞳の色も赤に近い茶色。手首にはまっているブレスレットには、何かの鳥らしき彫刻が施されている。
「チッ、あのまま眉間に刺さっていれば面白かったのに。……っと、悪ぃな呼び出したりして。あんたらは突っ立ってないで、そこの来客用ソファにでも座ってくれよ」
「じゃ、遠慮なく~」
「テメエには言ってねえんだよ、このマムシ野郎。俺は、お前以外の三人に言ったんだ」
「ケチ。ま、いいや。僕は炎雀にとっては客じゃないから仕方ないとして、朔也君達は客だからね。座って」
 ひどく砕けた口調で二人から席を勧められ、仕方なしに三人は席に着く。
 どう見ても自分達より年下の少年に、一瞬呆気に取られてしまった。ついでにそれまでの警戒心や緊張、そして毒気も抜かれてしまったのだから、実は結構な策士かもしれない。
 ただ、いきなりダーツの矢を投げつけてきたのはいかがな物かと思うが。
 そんな風に思っていると、やおら少年は窓際に置かれた紫檀の仕事机の上に腰かけ……
「アンタは、五代雄介。『夢を追う男、二千の技を持つ男』だったよな。現在は日本へ一時帰国中の冒険家。……あ、間違ってたら訂正してくれよ?」
「あ……あってる、けど」
「んで、アンタは橘朔也。論文を見せてもらったよ、『ヒューマンアンデッドと融合係数に関する考察』。アレは結構良いトコ突いてて面白かった」
「……あ、ああ……」
「で、アンタが加賀美新。陸からも聞いたけど、ZECT辞めてからは警察官になったってな。お巡りさんって感じでカッコイイぜ。正直、紺色系の制服は憧れる」
「そりゃ、どうも」
 順に指さしながら、少年はそれぞれの名前と顔を確認するように口を開く。親し気と言うよりは居丈高いたけだかな物言いに気圧され、思わず頷きを返してしまった。
 先程の「はぐれ仲間」と言っていた青年が五代、朔也と呼ばれていた研究員の青年の苗字は橘というらしい。彼らも加賀美同様、きょとんとした表情で少年を見つめていた。
「んで、俺は朱杖しゅじょう 炎雀。今はこの研究所、BOARDの理事の一人をしている。昔はZECTへ出資もしたし、グロンギの言語解析も手伝ってた。無駄に金だけは持ってるんだ。……あ、理事だからって敬語とかなくて良いから」
 朱杖と名乗った少年は、からからと笑いつつそう言葉を放つ。だがその内容は、冷静になりかけた自分達を、再び混乱させるに足るものだった。
「え? グロンギの言語解析って……城南大学にいたの?」
「待て! ZECTの出資者!? っていうか、さっきさらっと親父の名前……!」
「君が、理事だと!?」
「ああ、同時に喋んなよぉ、俺は聖徳太子じゃないんだぜ?」
 三人がほぼ同時に放った驚きの声に、朱杖は心底困ったような表情を浮かべ、脇に置かれたカップを弄ぶ。
 その言葉と態度に、今一度毒気を抜かれたのか、三人とも言葉を飲み込み、彼の顔をじっと見つめた。すると彼はそれに応じるかのように頷くと、ひょいと机から降りて言葉を続ける。
「端的に言えば、俺は色々な事業に出資……いや、投資をしている。この研究所やZECT、城南大学。他にも様々な組織や分野、人間の発展に関わる事のほぼ全てにな」
「……それは、許される事なのか?」
「今も昔も、BOARDの規定において、多重投資は禁止されてねぇ。勿論ZECTの規定にも。城南大学は……寄付金って形だし、大きな問題にはならねぇだろ」
 朱杖はにぃっと笑い、半眼でそう問うた橘に言葉を返す。
 それだけの組織に出資してきたのが事実なら、かなりの資産を持っており、そしてそれを自由に使える立場にあるという事。そして瞳の奥に宿る苛烈な光を見るに、ただの少年でない事は明白だ。
「まあ、俺の事なんて正直どーでも良いんだよ。本題はこっから。アンタら達三人に来てもらったのには、きちんとした理由がある」
「理由ですか?」
「そ。……なあ、朔也」
「……何だ」
 唐突に名指しされ、橘が軽く顔を顰めるのが見てとれる。年下の子供に、名前で、しかも呼び捨てにされた事に腹を立てているのかもしれない。
 一方で相手は子供特有の、何か悪戯を企んでいるようにしか見えない笑顔でこちらを捕らえている。それが底知れない。何を言われるか、分らない恐ろしさがある。
「アンタは、『シブヤ隕石』を知ってるか?」
「……いいや。何だ、それは?」
 訝しげに返した橘の答えに、加賀美はぎょっと目を開く。しかし一瞬後には、「こんな辺鄙なところで実験をしていたから、シブヤ隕石の事は知らなかったんだろう」と自分を無理矢理納得させた。
 一方で朱杖は、こちらの反応を面白がっているのか、愉しげに笑みを深くすると、今度は五代に向かってっビシッと指をつきつけ……
「じゃ、雄介は?」
「名前だけは知ってるけど……そんなに騒ぎになるような事じゃ、なかったと…………」
「ちょっと……二人共、何言ってるんですか? 渋谷地区一帯が隕石のせいで壊滅したじゃないですか!?」
 五代の返答に、今度こそ加賀美はありえないと言いたげな表情を浮かべ、二人に向かって言葉を投げる。
 シブヤ隕石とは、西暦一九九九年、渋谷区に落下し、その周辺を壊滅させた隕石であり、壊滅した渋谷地区はその後、エリアXと呼ばれ封鎖された。今もなお復興は進んでおらず、閉鎖されたままになっている。……少なくとも、加賀美はそれを知っている。
 忘れたくても忘れられない出来事だ。何故なら、その隕石から現れたワームのせいで、実の弟を失ったのだから。
 それなのに、そんな加賀美の言葉を訝るように五代と橘は互いの顔を見合わせる。心の底から、心当たりがないと言いたげに。
「そんな……だって、実際に……いくらなんでも、流石にそれを知らないなんてことは……」
「そう。本当なら、新の言う通りの事が起こるはずだったんだけどさ。奇妙な事になっちまってなぁ」
「……何?」
 意味が分からないと言わんばかりの声で、今度は橘が不審そうに眉根を寄せる。
 「奇妙な事」の正体、そして「なるはず」の出来事。それが気になっているのか、朱杖を睨みつけるように見つめていた。
 その視線に促されたのだろう。彼は非常に困ったような表情を浮かべると、うーんと唸ってから言葉を紡ぐ。
「人間の記憶の中に、二種類の歴史が出来てんだよ。一方は新が持つような、『シブヤ隕石により、エリアXが出来た』歴史、もう一方は、『シブヤ隕石はあった物の、大気圏内で燃え尽き、大事に至らなかった』歴史」
「そんな馬鹿な!? どんな権力があったって、あんな大きな事件が『なかった事』になんてなる訳ないだろ! 実際、渋谷は閉鎖されてるんだし!」
「渋谷が、閉鎖だと?」
「馬鹿とか言うなよ、傷つくなぁ」
 興奮気味に放った加賀美の言葉に対し、橘は軽く眉を顰め、朱杖は胸に手を当てて傷ついたような素振りを見せて言葉を返す。
 だが、そのふざけた仕草の中にどこか鬼気迫る物が隠れている事を、五代は感じ取ったらしい。笑顔はなく、今は真剣な表情でその話を聞いている。
 同じように橘も異様な気配を感じたのだろう。不思議そうな表情を朱杖に向け……声をかけようと口を開きかけた瞬間。言葉を放ったのは、他でもない朱杖だった。
「んじゃ武土、後の説明とか諸々は頼んだ」
「はいはい。それじゃあ皆さんを、この玄金武土がご案内~。ほら、立って立って。詳しい話はちゃあんとしてあげるから。あ、勿論睡眠時間も確保しておくよ~」
 呼ばれるのを待っていたのか、先程からずっと立たされていた玄金が、どこから取り出したのか「クウガご一行様」と書かれた旗を持ってひらひらと振って半歩前に出た。
 中途半端に殺されてしまった自分の勢いを、何処にやれば良いのか困っていた事もあり、加賀美は玄金の方をじぃっと見つめる。しかしそんな加賀美の視線には気付いていないのか、彼はどこか困ったような顔で朱杖を見やり……
「けどさ~、フェ……炎雀。別に君が案内すれば良いんじゃないの? 皆で決めた事とは言え、何で僕?」
「ほら、俺って見た目通りのガキじゃん? 宿題やること溜まってんだよ色々と。ジジイは労働の義務を果たせ」
「あっはっはー何を今更子供ぶっちゃって~。ホント、ふざけた事言いやがるよねー、君って」
 その言葉の刺々しさに、橘が驚いたような表情を浮かべる。加賀美は彼らの関係を知らないが、玄金もここの職員なのだから、曲がりなりにも「理事」という上位者に対する態度ではないだろうと思ったのかもしれない。
「それに、ネガデンライナーの一件、アレ、君が放置していたせいだって気がする」
「否定はしねぇ」
「分かってるんなら僕使うのはやめてよ~。侑斗君に殴られたって顔、してるでしょ」
「そこまで俺のせいにされても。そこはお前の日頃の行いの問題じゃね?」
 軽口の応酬にしては、随分と殺伐とした空気を感じながら、しかしそれでも何かを言わずにはいられなかったのか、玄金は低く言葉を放つ。
「……チッ。一万年前に戻って封印してやる、この手羽」
「その時はテメェも道連れだ、このマムシ」
 舌打ちしながら吐き出された白衣の言葉に、少年はにこやかな笑顔のまま言葉を返す。
 もっとも、一万年前云々の会話は加賀美以外の二人には聞こえていなかったようだが。
「ま、良いや。役目はきちんとこなすから、そっちの準備は頼んだよ」
「任せとけ。目一杯派手な花火上げさせてやる。……現地で待ってな」
「ろくでもない予感しかしないけど、了解。それじゃあ皆、行こうか」
 いつも通りのにこやかな笑顔に戻り、玄金はポカンとしている三人を外へと手招くと、そのまま皆と一緒にその部屋から出て行ってしまった。
 それを見送り……朱杖が呟く。祈るような、切羽詰った声で。
「三人のクウガ。この危機はアンタらでしか救えない。この世界をどうするかは、アンタらが決めてくれ」

 玄金に誘われるまま建物の外に出たところで、加賀美達は驚きで目を見開いた。
 そこに、さも当然のようにどこか猛牛を思わせるような汽車に似た「何か」が止まっていたからだ。
 黒が基本色なのだが、所々アクセントに緑が入っているので、何となく「緑の列車」というイメージが強い。「何か」と表現したのは、周囲には線路も何もないのにさも当たり前のようにそこに存在している為だ。まさか飾りという訳でもないだろう。そもそも、この建物に入った時は、こんなものは存在していなかった。
「何でこんな所に列車なんか……?」
「……ちょっと待て玄金、この列車は!」
 不思議そうな声をあげた五代に対し、橘の方は何かを思い出したような顔でその列車を見上げている。
 では、彼はこれを見た事があるのだろうか。やはりこのBOARDが所有する飾りか何かなのか。しかしそれにしては橘の反応はおかしい。飾りとして日々目にしている物ではなく、かつて……それも年単位の過去に、見た事がある程度の反応だ。
「これは僕の列車。名前はゼロライナー。これに関する詳しい話はまた追々するとして……ほら、行くよ?」
 言いながら、玄金は三人の背を押して、半ば強引にその列車に乗せる。完全に彼らの意思をまるっと無視した形で。
 やがて列車の扉は閉じ、牛の鳴き声に似た汽笛を鳴らしてゆっくりと滑り出す。そして……列車は宙を舞った。正確には、宙にレールを敷き、その上を走ったのだが。
 宙を走る事にも驚きを隠せないが、それ以上に勝手に進路上に線路を敷設、通過した後は線路が勝手に消えていく現象にも驚く。
「な、何だよこれ!?」
 加賀美の悲鳴に似た声をも無視し、更に列車は上昇して……突如、宙に開いた「穴」のようなものに飛び込んだ。その一瞬後には、列車は見た事もない場所を走り出す。虹色の空、延々と続く砂漠、途中に存在する山々。
「ここは一体!?」
 流石に驚きを隠せないのか、橘も詰め寄るように玄金に問いかける。
 一方の玄金は、先程から全く変化しない笑顔で、深々と三人に対して一礼すると……
「ようこそ、時間ときの中へ。本日は、我々の無理なお誘いにご足労頂き、誠にありがとうございます。四人を代表し、この私、玄金武土が篤く御礼を申し上げます。なお、これよりの旅路はゼロライナーのオーナーである私めが案内を務めさせて頂きます」
 さも当然のようにそんな挨拶を述べると、玄金は一旦その車両を後にし……その手に炊飯ジャーを抱えて戻ってきた。
 彼の頭の上には、盆に乗った四人分の茶碗がある事から考えると、食べろと言いたいのか。
「とまあ、堅苦しい挨拶はこれくらいにして。丁度デネブ君が作ってた炊き込みご飯があるからそれ食べてゆっくりしてね。どーせ次の目的地まではもう少しあるんだし」
 言いながら、慣れた手つきで茶碗を並べ、綺麗に炊き込みご飯を盛り付ける。
 自分の分と思しき茶碗……と言うか丼には、山のように……それこそてんこ盛りに盛っている。
「デネブ君? 玄金、この列車には俺達以外に誰か乗っているのか?」
「いや、今はいないよ。乗客をちょっと降ろしちゃったから。オーナーの特権って奴かな。今乗ってるのは、ここにいる僕達四人だけ」
 苦笑する加賀美に、玄金は緑茶を注ぎつつ、さも当たり前のような口調で答える。
「じゃあ、この列車、今は誰が運転してるんですか!?」
「おーひょもーふぉひひふぃはへへふぁゆははふぇーひ」
「…………口の中の物飲み込んでから話せ、玄金」
「うわぁ。朔也君が侑斗君と同じ事言う……だから、オートモードに切り替えてあるから平気」
 口いっぱいに放り込んだ炊き込みご飯を丸呑みし、苦しんだ様子もなく五代の問いに返す。
 ツッコミを入れた橘は、限りなく疲れたような表情で彼を見つめるが、こういった態度には慣れているのか、溜息を一つ吐き出すだけで、後は何も言わない。
「慣れてるんだな、あの人の対応に。俺ならもう少し突っ込むけど」
「今日はマシな方だ。大体いつもは『大丈夫、僕不死身だから!』と意味の分からない事を言って危険に首を突っ込む」
 はあ、と疲れたように言葉を吐き出した橘に軽く同情する。こちらには理解不能な言動をし、危険に首を突っ込む存在を、加賀美も知っているからだろう。そしてそう言った存在に対し、ツッコミを入れても限がない事も知っている。
 思いながら、半ば反射的に「デネブ君」とやらが作ったという炊き込みご飯を頬張る。完全に匂いに釣られた形だったが、匂いから感じた期待に違わず、それは実に美味だった。
「ああ、そうそう。もう一人いるんだ、この列車に乗ってもらわなきゃいけない人。確かスーちゃん……じゃなくて風虎ちゃんが、ターミナルに彼女を置いてってくれてるから、迎えに行かなきゃ」
 既に丼の中を空にした玄金は思い出したようにそう言うと……ゼロライナーは、彼の意志を酌んだかのように方向を変え、どこかへと駆け抜けていくのであった。
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