明瞭な夢、曖昧な現実

【その12:したがう ―従僕―】

「『天空の梯子計画』?」
 夕焼けの明かりが差し込む廃墟に、男の訝しげな声が響く。
 織田 秀成。ZECTに反旗を翻した若き闘士。銀色のライダー、ヘラクスの資格者であり、その力を自らの自由のために振るう、ある意味純粋な男。
「ああ。それが成功すれば、人類は再び海を取り戻す事が出来る」
「どうやって海を取り戻すと言うんです?」
 言い放った天道に、キャップを被った男……風間 大介は半ば馬鹿にしたような口調で問うた。彼もまた、ZECTによる束縛を嫌い、ZECTから離反した存在。自らを風と称し、その通り、自由気まま、奔放に振舞う水色の戦士。
 風間が、天道に向かってそんな声をあげたのも、無理はない。既に地上に水など皆無に等しく、海を蘇らせる事など不可能に近い。それを、かつてZECTに身を置いていた彼らは、嫌という程知っているし、その残り少ない水を盾に、ZECTは権力を握っているのだから。
 だが、風間の口調も気にせず、天道は淡々と、彼の知る「天空の梯子計画」の内容を明かしていく。
 何らかの方法で巨大な位相空間を作り、氷の塊である彗星を地球に引き寄せ、大量の水を手に入れると言う、ある種壮大な計画を。
「それは凄い!」
 口笛と共に、感嘆の声を風間は漏らす。スケールの大きさに、純粋に感心しているかのように見える。
「そうなれば……ZECTはますます権力を握る事になるな」
 だが、織田は風間とは違った。その計画の先を読み、その先に待つ未来……完全にZECTの支配下に置かれた世界を想像したのだ。
「その計画、ネオZECTで乗っ取らないか?」
 織田の言葉に触発されたのか、ネオZECT唯一の女性幹部である北斗 修羅が、男勝りの口調で提案する。
 それがどんな思いから来る言葉なのか、彼女の被った帽子が影になっていて、表情からは窺い知れないのだが。
「大それた事を。私達の戦力では、扇風機で嵐に立ち向かうようなもの。それだったら……気まぐれな風で良い」
「そうやって逃げてばっかりの生活にはもううんざりなんだよ! 本気で自由になりたいって思うんだったら、ZECTの上に立つしかない」
 風間のやる気のない言葉に、修羅は声を荒げて返す。本気で怒鳴っているようにも、本心を誤魔化すために怒鳴っているようにも聞こえる声で。
「ZECTの戦力データなら、俺が手に入れてやる。水を制する者は、世界を制すってな」
「……天下統一、かぁ。面白い! お前とならやっても良いぜ」
「じゃあ……決まりだな」
 不敵な笑みと共に返された織田の言葉に、天道は、何の感慨も無さそうな顔でそう返すのであった。

「やあ。見事に誘導成功だねぇ」
 あっと言う間に日は落ちて、闇が世界を覆い隠すかのように降りてきた頃。その闇が人の形をとったかのような黒尽くめの男が、初めて出会った時と同じ、悪魔を連想させる笑顔で天道の前に現れた。ただ、あの時とは異なり、今は上に着ていたはずの白衣もない。本当に黒一色、闇に紛れるにはうってつけの格好だ。
 天道の他に、今は誰もいない。目の前の男は、それを見計らったかのように現れた。
 ZECTの関係者なのかどうかも分からない。「信用できるか」と問われれば、間違いなく否と答える。だが……何故だろう、この男の浮べる奇妙な笑顔が、天道を捕らえて離さなかった。
「お前は……」
「そんな怖い顔しないで。君にもう一つ、イイコトを教えてあげようと思ったのに」
「良い事、だと?」
 まるで内緒話をするかのように、右手の人差し指を口元に持っていきながら男は小首を傾げる。そんな彼には到底似合わない仕草を取りながら言葉を放った。
 囁き声、と言う訳ではない。むしろごく普通の話し声なのに、密やかな雰囲気が天道と男の周囲に生まれる。自分達以外誰もいない事も、この雰囲気を作り出す大きな要因かもしれない。
「身近にあるイイコトと、天空の梯子計画に隠されたイイコト……どっちが良い?」
「……身近にあると言う方を、聞かせてもらおうか」
 いつの間にか、男の持つ空気に呑まれていたのかもしれない。胡散臭い事この上ないのに、天道は僅かに考え、男の言う「イイコト」に耳を傾けてしまっていた。
「……北斗修羅。あの小娘に気をつけなよ?」
「修羅が、どうした?」
「彼女はZECTの間者だ。ネオZECTを壊滅させる為に送り込まれた、可哀想な子ネズミちゃんだよ」
 にこやかな笑顔と共に放たれた一言は、さして天道を驚かせる事はなかった。
 自分を「オレ」と呼ぶ彼女が、何処に所属していようと天道の知った事ではないし、彼女がZECTと通じていようがいまいが、彼本来の目的の邪魔にならないのであればそれで良いとさえ思う。
 そんな彼の考えを見抜いているのか、相手は底の見えない笑みを湛えながら、天道の耳元にそっと口を寄せて、囁く。
「この情報をどうするかは君次第。秀成君に報告して『天空の梯子計画』の乗っ取りを成功させるも良し、黙っていてライダー達を潰し合わせるのに利用するも良し……だよ」
 それだけ言うと、彼はぱっと天道から離れ、踵を返す。更に濃くなった闇へと、帰るかのように。
 だが、そんな彼に……天道は訝しげな表情のまま、彼に問いかける。
 ここで見失っては、もう二度とこの悪魔のような笑顔の……それ故に、悪魔ではないと確信できる男に、出会えないような気がしたからか。
「お前、何者だ?」
「んー? 僕はただの化物だよ。ヒトを利用し、世界を本来の所有者に返さんとする、化物。『カエリタカッタだけなのに』って言い訳して、ヒトをかき回す最低な種類のね」
「化物? それに……『帰りたかった』、だと?」
 不審その物の顔で、男の言葉を繰り返した天道に、一瞬だけ彼は振り返る。
 その顔には、天道の知る奇妙な笑みはなく、今にも泣き出しそうな、そんな表情が浮んでいた。
 だが直ぐに、彼は口の端を奇妙に歪めると……音も立てず、闇の中へと溶け込んでいった。
「どうした?」
 闇に消えた男を見送っていた天道を、何か考え込んでいると思ったのか、いつの間にか背後に立っていた織田が、不敵な笑みと共に現れる。
 彼の口調からすると、先程の男の姿は見えていなかったらしい。何故かその事に、天道はほっと胸を撫で下ろした。
 あの男の存在を、知られてはいけない。何故だか分からないが、そんな風に思えていた。
――ZECTはねぇ。黄金のライダーを飼ってるんだよ――
――ネオZECTだって、噂くらいは知ってるはずだ。聞いてみると良い――
 昼間聞いた男の声が、天道の頭にこだまする。邪悪に歪んだ笑みとは対照的に、どこか神聖な印象をももたらす男の声が。
 ひょっとすると、自分はあの男にいいように踊らされているのかもしれない。そう思うが、それならそれで良い。今は、踊らされてやる。そう思い、天道は振り向きもせずに織田に向かって問うた。
「お前、知ってるか? ZECTが黄金のライダーを飼っているという話」
「ああ。奴と戦おうとした相手は、戦う前に既に負けているらしいな」
「既に……負けている?」
 言葉の意味が分からず、思わず聞き返す天道。織田はその横に立ち、自分でもよく分からないのか、僅かに眉を顰めながら言葉を続けた。
「そうとしか言いようがない。気が付けば相手の屍と、薔薇の花弁だけが残っていると言う」
「ほう……」
――現在だけでなく、過去も未来も支配できる存在――
 再び男の言葉が、天道の脳裏に蘇る。
――過去も未来も支配できる存在、か――
 その言葉の意味を理解できたのか……天道は、軽く……笑った。

「玄金さん、何処に行っていたんですか?」
「ごめーん、ちょっと野暮用」
 五代の問いに、何処からか帰ってきた玄金が、悪びれた様子もなく……むしろ語尾にハートマークでも付きそうな勢いで、にこやかに答える。
 周囲は既に夜であり、仮面ライダーではない……それどころか、恐らく戦う術のないであろう彼が、一人で出歩くにはやや危険な時間だ。
 この世界に知り合いがいるはずもないのに、一体どんな野暮用があると言うのか。
 聞いてもきっと答えないのだろうなと、ハナは諦め半分呆れ半分で彼の顔を軽く睨みつける。
「そんな顔しないでよ。お詫びに、ここに連れて来てあげたんだから」
 そう言いながら、玄金は人差し指を天に向かって突き出す。その仕草が、加賀美にはどこか天道を連想させて……不思議な気分になった。天道とは全く似ていないのに。
 思いつつも、彼の指し示した空を見上げ……全員の口から、感嘆の声が漏れる。
「凄い……満天の星ですね」
「綺麗……」
「ハナちゃんにも喜んで頂けたなら、何より」
 にこりと笑い、玄金は恭しい態度でハナに一礼すると、今度は視線を上の展望エリアに向けた。
 いち早く気付いた士が、その視線を追い……そして、見つける。展望エリアにいる、一組の男女……この世界の加賀美新と、日下部ひよりを。
「……覗きはお前の趣味なのか、ハガネ?」
「士君、僕は玄金。趣味じゃなくて……もはやライフワーク?」
「最低だな」
「うっわ、朔也君、その冷たい視線は本当に痛いから止めてって。……今回は、彼らを見ている事で物語が進むんだから、仕方ないだろ?」
 溜息混じりに放たれた橘の言葉に、傷付いたかのような表情を浮べながらも、玄金は視線を新から外そうとしない。
 上の二人からは、自分達の姿は見えていないらしく、二人の話し声が、彼らの頭上から降り注ぐ。
「綺麗な場所だな」
「ここは……母さんとの、たった一つの思い出の場所なんだ」
「そっか。……いつか海が蘇ったら、きっと昔みたいに、平和な暮らしが戻ってくる。その時は……」
 ひよりの言葉に、新は一瞬言葉を切り、彼女の横にゆっくりと寄り添う。
 真剣な表情で、彼女を守るように。
 それを見ていた下の面々は、声を潜めながらもそれぞれの反応を見せる。
「今よ! 今こそプロポーズのチャンス!」
「行け、加賀美さん! ここで決めないでいつ決めるんですか!」
「だから、俺の事みたいだからやめて下さいってば!」
「こんな場所だ、目一杯楽しませてもらうぞ加賀美」
「門矢ぁぁぁぁっ! お前、他人事だと思って!!」
 ニヤニヤと意地の悪い笑顔を向ける士に、心底困り果てたような顔で加賀美も言葉を返す。
 その顔が紅潮しているように見えるのは、やはり恥ずかしいからなんだろうなと、他人事である橘は思いながら、事の成り行きを見守る。
 ……どうやら、見ない振りをすると言う選択肢は、今の彼らにはないらしい。
「ひよりが側にいて欲しい。俺の側に」
 そっと、彼女の手に自分の手を重ね、新はとうとう、決定的な一言を放った。
 だが……そんな新から逃れるように。ひよりはゆっくりとその手の位置をずらす。今にも泣きそうな、辛そうな……そんな表情を浮べて。
「あ」
「ふられたな」
「ふられちゃいましたね」
「……俺じゃないとは分かっていても、こんなに切ない気持ちになるのは何でだ?」
「…………」
 上の、新と同じ表情をする加賀美を見つめ、橘は無言で彼の肩を叩く。他の面々も、生暖かい視線を加賀美に送り、まるで本当に彼自身……加賀美が振られたかのような錯覚に陥ってしまう。
 唯一、玄金だけは、どこか悲しそうな顔で上……新ではなくひよりの方を眺めていたが、彼がそんな顔をする理由が、加賀美には分からない。
「……そ、そうか。何か冷えてきたな。ひよりも寒いだろ。上着持って来てやるよ」
 上ずった声で。新はショックを隠しきれないまま、それでも彼女に気を遣いながら、優しい言葉をかけ、その場を立ち去る。ひょっとしたら、泣いていたのかも知れない。そう思うと、加賀美の胸に苦しいような悲しいような……何とも言えない感情がこみ上げてきた。
 刹那。今にも泣き出しそうなひよりの声が、彼らの頭上に降りかかる。
「母さん……これで、良いんだよね。僕、本当は新の気持ち、嬉しいんだよ。でも……」
「え?」
 ひよりの言葉に、思わずハナの疑問の声が上がる。嬉しいなら、何故受け入れなかったのか。何故、こんなにも彼女が傷付いたような顔をしているのか。
 そう思った瞬間、ひよりの周囲を、緑色の影が取り囲むのが、僅かにだが見えた。
「あれって!」
「ワームか」
「いや……あれは!」
「ワームって言うよりネイティブだね。あーあ、ひよりちゃん、完全に囲まれちゃって」
 ハナ、士、新の、どこか焦燥の混じった声に対し、玄金は軽く笑いながら現状を説明するように言葉を紡ぐ。
 確かに、ひよりの周囲を取り巻いているのは、ワームのサナギ態ではなく、ネイティブと呼ばれていた者達に酷似している。
 ネイティブはワームの亜種なのだが、その額にカブトムシの角のような物があるのが、脱皮していないネイティブの特徴だ。
 しかし、この世界にネイティブは存在しないはずではなかったのか。思いつつ、加賀美は未だのほほんとした雰囲気を放つ玄金を軽く睨みつけた。
「新……新ぁっ!」
 助けを求める、ひよりの悲鳴が降りかかる。
「行かなきゃ……ひよりが呼んでるのが、『俺』じゃないとしても……このまま放っておく訳には!」
「残念。どうやらそうはさせてもらえないようだ」
 今にも駆け出しそうな新を抑え、玄金はのほほんとした口調を崩さぬまま……しかし、視線の先の相手を射抜いてしまいそうな目で、周囲を見回す。
 その先では、上にいるのと同じ、ワーム……と言うかネイティブの集団が、既にぐるりと彼らの周囲を囲んでいた。
「囲まれてる!?」
「いつの間に!?」
「くそ……どけよ! ひよりが……ひよりがぁっ!」
「その心配はないよ」
 吼える加賀美を宥めるかのように、そう言って玄金が上を指差すと、ほぼ同時。加賀美にとっては聞き慣れた電子音と、見慣れた銀色の欠片が飛んでいくのが見えた。
「……天道か!」
 半ばほっとしたような声をあげ、ようやく加賀美は自分を囲むネイティブ達に向かって睨みつける。
「邪魔を……するな!」
 その声が合図になったかのように、上でも……そして下でも、戦闘が開始された。
12/30ページ
スキ