明瞭な夢、曖昧な現実

【その1:あう ―相対―】

 闇夜に、バイクを走らせていた男がいる。
 ヘルメットから僅かに覗く髪は黒。何処となく垂れ目気味だが、端正な顔立ちのためか、あまり気にはならない。むしろその目も相まって、彼の顔に浮くのは人の良さそうな穏やかな笑みだ。
 恐らくは三十代前半だろうが、そうは思えない若々しさがある。
 彼の名は、五代ごだい 雄介ゆうすけ。かつては「未確認生命体四号」、もしくは「クウガ」と呼ばれる戦士として、人々の笑顔を守る為、人に害を為す「未確認生命体」……学者の間ではグロンギと呼ばれた「それら」と戦ってきた冒険家である。
 今は変身に必要な霊石を破壊された為、クウガへと変わる事は出来ないが、五代はそれで良かったと思っている。
 クウガであった過去に後悔の念を感じてはいない。しかし、やはり拳で物事を解決する事はどうしても快く思えない。人々の笑顔を守る方法は、拳だけではないのだから。
 自身がクウガであった時の事を懐かしく思いながら、彼はバイクを走らせる。しばらくこの近辺から離れていた事もあり、懐かしい面々へ顔でも見せに行こうと思っていた。
 既に夜も更けているので、かつての居候先である喫茶店ポレポレに寄るのは明日にするとしても、城南大学の考古学研究室ならば、友人の沢渡さわたり 桜子さくらこがまだいるはずだ。また彼女のいる部屋へ、ビルクライミングでもして驚かせてみるのも良いかもしれない。
 ……慣れてしまったのか、驚くより呆れる事の方が多いのだが。
 そんな事を考えながら、くすりと微かに笑った瞬間。ヘッドライトの照らす先、そこに唐突に一人の女性が姿を見せた。
――ぶつかる!――
 速度もそれなりに出ているバイクに力の限りブレーキをかけ、それでも当たると判断したのか五代はハンドルを切って女のすぐ脇をすり抜ける。
 反応が早かったおかげか、彼女との接触は免れたものの、一歩間違えれば大惨事だ。
 女が無事である事にほっと胸を撫で下ろしつつヘルメットを取ると、彼はどこから現れたのか分からないその女性をまじまじと見やる。
 ヘッドライトに照らされたその姿は妙に白い。白に近い銀髪、白いパンツスーツ、見える肌色もぬけるような白。美人の部類に入ると思うが、やや吊り目気味なせいで少しきつい印象を受けるし、その上先程の接触未遂だ。思わず警戒してしまうのも、無理はないだろう。
「あの……危ないですよ? こんな道の真ん中に立っちゃ」
 控えめに、同時に困惑気味に言った五代の言葉に対し、女が返したのは冷ややかな視線と沈黙のみ。そのせいか、現れた際の唐突さも相まって、ひょっとすると目の前の存在は、所謂「幽霊」の類なのかとも思えた。だが、気配は生きている者のそれだ。
――この人、一体?――
 軽く首を捻り、そう五代が疑問に思った瞬間。
「五代雄介だな。話がある、付き合え」
「……はい?」
「ああ、その前に……これは返しておこう」
 五代の困惑を無視し、いつの間に側にやって来ていたのか、女は口元を横一文字に結んだ険しい表情で、彼の腹部に手を当てていた。
「えっ!? あの……?」
 驚きと困惑の声を上げる暇もあらばこそ。女の触れた瞬間、そこから妙な熱が五代の肌を焼いた。
 だが、痛みはない。熱の塊のような物を押し当てられ、それがするりと自身の皮膚の下……そして自身の「内側」へ侵入してくるような感触が五代を襲う。その感覚に驚きはあるが、嫌悪はない。その事にも驚き、五代は思わず声を上げた。
「な、何を……!?」
「破壊された石の修復は終わった。だから、返した」
「石って、何の事です?」
「『霊石』、『賢者の石』、『アマダム』などと呼ばれる物だ」
 女が放った単語の一つは、五代にこの日何度目かの衝撃を与えた。
 アマダム。確か自分がクウガに変身するエネルギーを与える、霊石の名前。だがそれは、「最後の戦い」で破壊された。それは別に構わないし、あの戦いの中だ。仕方のない事でもある。何よりあの石は、自分に戦う力を与える反面、人の神経を蝕み、ただの殺戮兵器へと変えていく「副作用」を併せ持つ諸刃の剣だった。
 そもそもあの石は超古代の遺物であり、現代の科学では解析が難しい上に、再現や修復など凡そ不可能な代物であったはず。
 それを今、彼女は修復し、更に自身に返したと言う。
 嫌悪感や違和感がなかったのは、かつて自身の内にあった物だからだと納得できる。しかし彼女がどうやってその「壊れた石」を修復したのか、そして何故今また自分に返したのか。そこが分らない。
 返されたという事は、つまりもう一度、自分に「クウガとして戦え」という事なのだろう。
 だが先にも述べたように、五代は拳で物事を解決する事を良しとしない。出来る事なら、戦わず穏便な方法で済ませたい。
 そんな五代の思いを知ってか知らずか、女は小さく溜息を吐き……
「話を聞く程度の時間はあるだろう? ついて来い。使う、使わないを決めるのはそれからで良い」
 そう言って女はくるりと踵を返すと、すぐ横の建物へ歩を進めた。
「え? ちょっと、待って下さい!」
 何が何だか分らない。だが、彼女の言う「話」を聞けば、自分にもう一度クウガになる為の力を与えられた理由が分るかもしれない。
 思い、五代は彼女の後を追ってその建物……「人類基盤史研究所」と書かれた場所へ足を踏み入れたのであった。

「さっくぅや君」
「……何だ、玄金くろがね
 人類基盤史研究所、通称「BOARD」の一室にて。たちばな 朔也さくやは、語尾にハートマークでも付いていそうな声を投げた研究員に向かって、何とも形容し難い顔で言葉を返した。
 かつて橘は、「ギャレン」という戦士として、アンデッドと呼ばれる不死生物を封印してきた。だがその過程で彼は、恋人と正義を失い、そして最後には信頼する仲間までも失った。
 そのせいだろうか、彼は年齢以上の落ち着きを持つと同時に、その瞳には修羅場をくぐってきた者特有の色が浮かんでいる。同時に救い難い悲しみも秘めているようにも見え、女性研究員の間では、「渋い男性シブメン」として人気が高い。
 ……もっとも、本人は女性職員から注がれている憧れの視線に気付いていないのだが。
 そして今。橘の経験上、この黒ずくめの男……玄金 武土たけとという名の同僚が絡んでくるとろくな事がないと知っているためか、深い溜息を一つ吐く。
 かつての騒動の根源とも呼ぶべき存在、天王路てんのうじ 博史ひろしがBOARDの理事長だった時からこの男とは付き合いがあるが、研究者であるにも関わらず遅刻早退は当たり前、無断欠勤や長期に渡って連絡が取れない事など、ざらである。
 それでいて研究の際には的確な指示を出してくるのだから、天才とはこんな男の事を指すのだろうな……と感心する反面、この男の数々の奇行に振り回されているのも事実だ。よくこれだけの問題行動を起こしながら、クビにならない物だと感動すら覚えた事もある。
 そんな男が、今回は何の用なのか。軽く痛む頭を押さえつつ、橘は相手の言葉を促した。
「いやぁ、なかなか面白い顔で振り返ってくれたね」
「……言いたい事はそれだけか?」
 研究続きで既に七十二時間ほど睡眠をとっていないせいか、自分でも苛立っているのを自覚しつつ、しかしそれでも心のどこかで「こいつならいいか」と思っているが為に、きつい物言いで返す橘。
 目の前の男も自分同様、ここ数日眠っていないはずだ。それなのにどうしてこうも明るく、そしてふざけたテンションを保っていられるのかと、徹夜続きで重くなりはじめた頭で思う。
「それだけなら、俺は行くぞ。……流石にそろそろ眠らないと体がもたない」
「まさか。後でちゃんと寝かせてあげるから、とりあえず話くらい聞いてよ~。本題は、こっち」
 くるりと踵を返し、仮眠室へ向かおうとした橘の肩を強引に引き寄せると、玄金は人生が楽しくて仕方ないと言わんばかりの笑顔を浮かべ、後ろ手に隠していた「ある物」を橘の眼前に差し出した。
 緑色の地に、金色でトランプのダイヤのマークが入った、ベルトのバックル。
 ……ギャレンバックルと呼ばれる、自身がかつて使用していた変身ツールと、その強化ツールであるラウズアブゾーバー。しかもその上には十三枚の赤い背のカード……ダイヤスートのアンデッドを封印したラウズカードが乗せられている。
 それを押し付けられ、更には反射的に受け取ってしまってから、橘は先程まで自覚していた睡眠欲を忘れてしまう。それ程までにこの物体がある事は意外だったし、脅威でもあったのだ。
「これは……何故これをお前が!?」
「えー、だってそれ、朔也君に必要な物って気がする。今回、いきなりクライマックスだし」
「そうじゃない、二度とアンデッドが解放されないよう、烏丸所長が封印したはずだろう!?」
 そう。アンデッドとの戦いが終わった後、変身に必要なツールもカードも、全ては所長である烏丸の判断で破棄、あるいは封印された。それなのに、目の前の男はその「封印したはず」の物を自身に突き付けている。
 その封印の場所自体、烏丸しか知りえぬ場所に施されたはずなのに。
 焦りにも似た橘の怒声が漏れるが、放たれた方は全くといって良い程気に留めていないらしい。玄金の笑顔は崩れる事なく、ひたすらにニコニコと彼の顔を覗き込んでいる。
「ああ、何で僕が持ってるのかって事? その一、封印の時、実は烏丸所長の後をつけていた。その二、ラウズカード自体に発信器を仕込んでいた。その三、実は僕がアンデッドで、ダイヤスートの場所なら簡単に分かるから。さて、どれが正解でしょーか?」
 ニマニマと笑い、右手の指を三本立てて言った玄金に、橘は思わず眩暈を覚える。
 少なくとも三つ目の選択肢ではないだろうが、残った二つの選択肢のどちらであっても問題だ。何の為に烏丸が、橘にすら黙ってカードを封印したと思っているのか。
「お前なら、在り処さえ分かれば封印を解くことくらい訳なかったな。理由を問うた俺が愚かだった」
「ありゃ、答えてくれないの? 僕に対する興味がない?」
「……今までの関わりで、俺がお前に対して興味を抱いていると思っているのか?」
「うーん、寝不足だからかな? いつもより当たりが厳しいって気がする。僕、そういう顔してるよね?」
 ひょいと肩を竦め、しかし顔は相変わらずのニマニマとした笑みを浮かべたままだ。「どんな時でも笑みを崩さない」のはいつもの事だが、今日はやけにそれが気味悪い。
 そのせいだろうか。橘は無意識の内に彼を睨み付けるような視線を送り、堅い声を放った。
「そうじゃない。悪用を防ぐために封印されたカードを、何故わざわざ持ち出したりした?」
「ああ、なんだそっちの話? それなら答えは一つだ」
 言いながら、玄金は人差し指を立てて「1」を作ると、勿体ぶるような間を作る。その間のせいか、橘の中に「妙な予感」が生まれる。アンデッドが解放され、ギャレンとして戦わざるを得なくなった時に感じた、漠然とした不安と困惑、そしてその中で微かに感じる、希望のような物が。
 橘のそんな予感の片鱗でも感じ取ったのだろうか。玄金はニィと口の端を歪めると、先程立てたばかりの人差し指を、ギャレンバックルに差し向け、言葉を続けた。
「『これから必要になるから』だよ。アレ、クウガ。それが集まるんだから」
「『クウガ』? 何だ、それは?」
「んっふっふー。それはすぐに分かるよ、君もその一人。『銃撃のクウガ』なんだから。僕、そういう顔、してるでしょ?」
 底の見えない笑顔と瞳の色に、橘の背を今度は冷たい物が駆け抜けた。いつも、人生が楽しくて仕方がないような笑顔を浮かべてはいるが、その笑顔はこれ程寒い物だっただろうか。
「あ、そうそう、それ渡したら、理事ヤツの所に案内しろって言われてるんだった。あーあ、面倒臭いなぁ」
 ひらり、と白衣を翻し、戸惑う橘の手を引いて……橘の新たな物語は始まるのだった。

 かつん、と響く自分の足音に、思わず彼……加賀美かがみ あらたは驚いたような表情を浮かべ、反射的に振り向いた。
 年は二十代半ば、「お人好し」を絵に描いたような顔つきをしている。おまけに巡査……俗に「おまわりさん」と呼ばれる者の制服を身に纏っているせいか、何も知らぬ者が見れば無条件に信用したくなるような印象を抱かせる好青年だ。事実、相当なお人好しでもある為、近隣住人から下される彼の評判は良好である。
 しかしそんな近隣住人も、そして仕事の同僚達も、「かつての彼」の事は知らない。
 「ZECT」なる組織に属し、「ガタック」という名の戦士として人に擬態し増殖する異形、ワームと死闘を繰り広げてきたという「過去」を。しかしその戦いも終わりZECTは解散、かつて共に戦った仲間や「友達」は、それぞれの道を歩み、彼は今の職に就いた。
 そして現在、最近この辺りで起こっている失踪事件の警戒の為、巡回中である。
 近所でまことしやかに流れる噂では、自分の横にそびえ立つ「人類基盤史研究所」なる怪しげな研究所が、夜な夜な人を攫っては非合法な人体実験を行っていると言われている。ちなみに、この組織を独自に調査した捜査員が正体不明の失踪を遂げているという噂も、警察内部には存在している。それが本当なら見逃す事はできないし、嘘なら嘘で失踪事件における可能性の一つが消える。
 更に、加賀美は失踪事件の被害者に関連性がないのも気にかかっていた。
 年齢、性別、職種、関連は一切ない。おまけに「消えたまま」の者もいれば、「戻ってくる」者もいる。戻ってきた者達の中でも、消えたままの者に出会ったと言う者もいれば、全く出会わなかったと言う者もいる。
 戻ってきた者達の話の中で、唯一共通している事。それは「気が付いたら人類基盤史研究所の外観が変わっていた」という事だった。
 具体的にどう変わっていたのかと問えば、「綺麗になっていた」、「怪しい感じではなくなっていた」との答えが返ってきた。
 その事を思い出し、加賀美はちらりと自身の横に立つ建物に目を向ける。
 くすんで灰色になった壁を蔦がびっしりと覆い隠し、ほとんど人が出入りしていないのか「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板は、紫外線の影響で文字が掠れ、おまけに半ばで割れてしまっている。
「……こんな、いかにもって感じの建物が、怪しくない訳ないよなぁ……」
 うすら寒そうな表情でそう呟きながら、再び足を進めた瞬間。
 かつん、コツ。かつん、コツ。
 足音が一つ増えた事に気付く。自分の背後をつけてくる、そんな足音が。音からするとヒールの類。ならばついて来ているのは女だろうか。
「……誰だ!?」
 警戒の声を投げると共に振り返り、手元の懐中電灯で足音の主を照らす。
 そこに立っていたのは、青を基調とした服装の中年女性だった。夜の闇と懐中電灯による光の加減のせいか、髪の色まで青っぽく見える。よく見れば、瞳の色も青い。抜けるような空の色を連想させる。
 見つかった事に悪びれた様子も、そして懐中電灯の明かりに眩しさを感じた様子も見せず、相手はにこりと妖艶な笑みを浮かべると、優雅な動作で加賀美に向かって一礼を返した。
 だが、この場所には不似合いすぎる。研究所の職員にしては雰囲気が研究者のそれとは異なるし、散歩をしていただけにしては灯りも持たずに無用心すぎる。とにかく、全てがこの場所に似合わない。
「あんた、ここで何をしているんだ?」
 警戒を解かず、半ば睨みつけるように問う加賀美に、相手は笑みを崩さぬままに口を開いた。
「あなたに会いに来たの。戦いの神、ガタック」
「……どうして、それを」
 加賀美がガタックであった事はZECTの面々しか知らない事だし、そのガタックに「戦いの神」という二つ名がある事を知る者はもっと少ない。
 普通に出会っていたら、赤面してしどろもどろになりそうな美女だが、彼女の放った言葉は大きな問題をはらんでいる。その上、暗闇の中から唐突に現れたというこの状況だ。怪しいとしか思えない。
 ひょっとすると、彼女が最近の失踪事件の重要参考人かもしれない。仮にそうでなかったとしても、彼女の存在は、あまりにも怪しい……異質すぎる。
 半ば本能的にそう思った瞬間、彼女は笑みを崩さぬまま、加賀美に向かって銀色のベルトを差し出した。それを反射的に受け取ってしまってからそのベルトの正体に気付き、加賀美は大きく目を見開いた。
「……これ!?」
 忘れるはずもない。 彼女が差し出したベルトは、間違いなくZECTで作られたガタックのベルトなのだから。
 だが、ワームとの戦いが終わった後、このベルトは厳重に封印、保管されているはず。それなのに、何故彼女が持っているのか。彼女はZECTの関係者なのだろうか。それも、封印を解く事が出来る程の。
 だが、だとしたらこんな所にいるのだろう。ガタックの力が必要ならば、ZECTが自分に招集をかければ済むだけの話ではないのか。
 理由も分からず、無意識の内に訝しげな表情をとった、その刹那。彼女はするりと加賀美の横を通り抜け、研究所の敷地内へと足を踏み入れる。
「おい!」
「……ついていらっしゃい。あなたには為すべき事がある。『今世いまよのクウガ』」
「為すべき、事? それに『クウガ』?」
 彼女の言葉も、そして行動の意味も分らない。だが、どうしてなのか、ついて行った方が良いのではないかと、彼の勘が告げている。
 ……ついて行って、彼女を止めるべきだと。そうしなければ、手遅れになると。
――手遅れ? 何が?――
 自分の思った事なのに、それが何を示すのか分からない。何がどう手遅れになると言うのか。そして、何故こうも彼女を追わなければと思うのか。
 そんな、強迫観念にも似た感覚に戸惑いつつも、加賀美は己の勘を信じ、彼女の背を追うように、その白い壁の建物の中へと入って行ったのである。
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