灰の虎とガラスの獅子

【Sの落とし穴/知りたくない事実】

「……ところで翔太郎」
「ん? どうした、フィリップ?」
 言い方はアレだが、何故か妙に苛立っている彩塔さんに、無理矢理押し倒された直後。さっきもここにいた青年……フィリップとかって名らしいそいつが、唐突に翔太郎に声をかけた。
 しかし、何でかねぇ。胡散臭そうに俺の方を見ているのは。
 そう思ったその時、彼はその先の言葉を紡いだ。
「本当に、ここにいる彼は、『灰猫弓』なのかい?」
「……どういう意味だ?」
 全くだ。
 翔太郎の問い返しに、俺も心の中で同意する。
 俺は、俺だ。生まれてこの方、「灰猫弓」以外の存在になった事はない。まあ、小説家「刃稲虎丘」って名もあれば「タイガーオルフェノク」でもあるが、基本的には「灰猫弓」である事に変わりはない。
 ないのだが……
「ここにいる男は、『灰猫弓』を名乗る別人……と言いたいのか?」
 そんな訳ないだろうと反論したいが、「過剰不適合者」とかいう体質による、アッシュメモリとの相性の悪さで物凄く体力を消耗しているせいか、声を出すのも実は億劫だったりする。
 ああ、くそ。やっぱり井坂先生あの人厄介だ。人のなけなしの体力をここまで奪いやがって。
――次ニ会ッタラ、ばらばらニ分解シテヤル――
「その通りだよ、照井竜」
 何だか邪悪な考えが頭を過ぎったような気がしたが、それを俺自身が認識するよりも先にフィリップが赤ジャケットのにーちゃん……照井という名らしい男の言葉を肯定した。
 何を根拠にしているのかは知らないが、やたらきっぱりとフィリップが頷くものだから、俺は反論するのも忘れて思わずぽかんと口を開けたまま、何も言えなくなってしまう。
 「灰猫弓」に成りすました別人の「俺」?
 しかもそれを確信しているって事は……フィリップが既に別の「灰猫弓」、つまり俺の「偽者」を知っている場合と、「灰猫弓」という人物の情報だけを知った上で、何か確信を得るに至る根拠がある場合が考えられる。
 この場合はどちらだろうか。
 ぼんやりする頭で考えていると、軽く眉を顰めた翔太郎が、俺を庇うようにして心底不思議そうに声を上げた。
「何言ってんだフィリップ。ここにいるのは正真正銘、俺の幼馴染の灰猫弓さんだ」
「いきなりどうしちゃったの、フィリップ君」
 翔太郎に同意するように、亜樹子さんもこくこくと首を縦に振った。
 その横では、まるで敵を見るかのような視線をフィリップに送る彩塔さんの姿がある。
 あー、そう言やこの人も「怪人」だったんだよな。本人は「異形」って言い方してたが、その辺には何らかのこだわりがあるのだろう。
 俺と同い年くらいに見えて、六十五歳だとか言ってたっけ。見た目俺と変わらないのに。成長が止まってるのか、成長が遅いのか、あるいは単純に若作りが上手いのか。
 何にせよ、どれだけ長命なんだよ、戸籍とかどうなってんだと、今更のように思い…………
 待て。戸籍?
 そこに思い至った瞬間、ある可能性に気付く。
 確かに「その事」に気付いたなら、フィリップの言葉は納得出来る。この短時間でどうやって知ったのかは知らないが……俺が彼の立場なら、確かに「灰猫弓なのか」の問いに至る。
 納得した俺に気付いているのかは知らないが、フィリップは軽く眉を顰めて不思議そうな表情を作ると、俺の思っていた通りの言葉を放った。
「『灰猫弓』に関して少し検索をしてみた。そしてその結果……『灰猫弓』という男は、五年前に既に死亡している」
 ……ああ、やっぱりそれか。
 思いつつ、心の中で軽く納得する。
 「検索した」とか言っているから、おそらく彼は俺……いや、「灰猫弓という名の人間」に関する資料を見ていたんだろう。そして、俺の死亡届だか何だかを発見、「今、ここにいる俺」が「灰猫弓という人間ではない」と結論付けたに違いない。
 それは、ある意味正しい。確かに俺は、五年前に人間としての生を終えている。だから、ここにいる「俺」は、「灰猫弓という人間」ではない。「灰猫弓という人間だったオルフェノク」だ。
「既に死亡した人間がここにいる。そんな事はありえない。何故なら、死者が蘇る事はないのだから」
「……それは……そうだけどよ……」
 追い討ちをかけるかのようなフィリップの言葉に、翔太郎は悔しげに言葉を吐き出しながら、信じられないと言いたそうな表情で俺の顔を見つめる。
 観察するようなその目の真意は、俺が「灰猫弓」であると確信したいからなのか、それとも逆に「灰猫弓とは異なる存在」である証拠を見つけたいからなのか。
「なあ、弓さん。本当なのか? あんたが……俺の知ってる『灰猫弓』じゃないって」
「……それに対して、俺がどう答えれば、お前は満足するんだ、翔?」
 苦しそうな表情で言った翔太郎に、俺は気だるさの残る体を起こして言葉を返した。
 多少の息苦しさは残ってはいるものの、歩ける程度には回復した。
 オルフェノクになった折、基礎体力は落ちたが、回復力は断然上がった。こんな時だけ、普段は毛嫌いしている、オルフェノクとしての力に感謝をするんだから、案外と俺も現金なものだ。
「弓さん……」
「『何言ってんだよ、そんな訳ないだろう』って否定か? それとも、『そいつの言う通りだ』って肯定? どちらを返したとしても、お前は腑に落ちないんじゃないのか?」
「……ああ」
「それなら、俺から言えるのはただ一つ。俺の……『灰猫弓』の死亡届は、確かに五年前、その親族によって提出され、そして受理されているという事実。……後は自分で考えて決めろ」
 必要最低限の事しか言わず、俺はゆっくりと立ち上がる。
 まだ少し頭がくらくらするが、家に帰るくらいなら問題ないはずだ。
 ……途中でまた、井坂に襲われなければという条件がつくが。
「今度こそ、帰らせてもらうぜ。……文句はないよな、彩塔さん」
「……不本意ですが、この状況下では仕方ありません」
 流石に「偽者疑惑」が出ている中で寝かせておこうとは思わなかったらしい。彩塔さんは渋面で頷くと、それでも深く翔太郎達に向かって一礼し……そのまま俺の首根っこを引っ掴んで、この探偵事務所を出た。
 ……ところで彩塔さんよ。俺は猫か?

――「刃稲虎丘サイン&握手会」――
 そう書かれた看板の下、俺は愛想笑いを浮かべて座っていた。さっきまで俺の横に立っていた担当の斉藤は、「喉が渇きましたね~、かんらかんら」と笑って、自分用の飲み物を買いに行っている。
 ……昨日は何とか無事に家に帰り着き、玄関で彩塔さんと別れた直後、そのまま泥のように眠ってしまったらしい。お陰で随分とすっきりしたし、体力もいつも通り。流石に朝起きて、玄関先で涎垂らして寝こけていた自分にびっくりした。
 眠る事で余計な事を考えずに済んだのも、良かったと思う。
 正直な話、翔太郎にまで疑われるのはキツイものがある。だが……決めるのはあいつだ。
 幸いにも、オルフェノクである事までは知られていない。せいぜい俺を「灰猫弓を騙る偽者」として扱う程度だろう。
 それも結構堪えるが……化物を見るような視線を向ける事はないだろう。そりゃあ出来れば今まで通りの付き合いをしてくれればありがたいが。
 ……いや、今はそんな事を考えている場合ではなくて、だな。
「何でここにいるんですか、彩塔さん」
「私、ここのアルバイト店員ですから。『見かけによらず力持ち』の部分を、店長に買われまして、本日は来客整理をしています」
「あー確かに。昨日も俺の首を引っ掴んで連れ帰ってたしなぁ。でも、それで整列要員ってのもどうなんだろうと思うんだが?」
 そう。俺の目の前には、開始前から並ぶ熱烈なファンを押し留める彩塔さんの姿がある。
 濃い緑色のエプロンは、この本屋のコスチュームなのだろうか。袖をたくし上げ、かなりの勢いで押しかけようとするファンの皆々様方を、たった一人で止めている姿は、何っつーか……勇者に見えた。
 実際の所は、勇者どころかその対極に位置する存在……「モンスター」らしいのだが、その辺の詳しい説明を、俺はまだ受けていない。
 詳しく聞きたい気持ちはあるにはあるのだが、彼女が話したがらない以上、無理に聞くのは俺の矜持に反する。
 そもそも、今までに詳細な説明を聞く時間なんかなかったって理由もあるんだが。
「で、その店長さんはちゃっかり列に並んでる訳だ」
「そのようです。しかし、卑怯な真似はせず、正々堂々、一ファンとして並んでいるようですから、文句は出ないと思いますよ。今日の為に一生懸命働いて、正規の休暇を勝ち取られておいでですし。職権濫用ではないのでご安心下さい」
 苦笑気味に言った俺に対し、彼女はいつも通りの口調で言葉を返してくれる。いつもよりやや淡々としているのは、彼女は今、仕事中だからだろう。
 そんな普段と変わらない態度に、俺は心の底から安堵する。
 彼女は事情を知っている。その上で、俺に普通に接してくれている。
 それは、彼女もまた「普通」とは異なるからなのか、それとも彼女の性格……こういう言葉が彼女に適用されるのかは分からないが、「人間性」って奴なのか。その辺りは分からないが、それはとても嬉しくて、同時にひどくくすぐったい気分にさせた。
 ……だが一方で、俺は彼女に対して「今まで通り」の接し方が出来ているだろうかと不安になる。
 彼女は俺に、何の偏見も持たずに接してくれているのに、俺は……
「それでは、定刻になりましたので、只今より刃稲虎丘サイン会を開催いたします」
 暗くなりかけた俺を無視するかのように、いつの間にか戻って来ていたらしい、斉藤の馬鹿みたいに明るい声が響き渡る。
 ……今は公人としてここにいるんだ。俺の個人的な感情は後回しにしよう。そうでなければ、並んでくれている人達に対して失礼だ。
 思い直し、俺は並んでくれた人達に対して感謝の意を込めつつ、サインと握手を交わす。
 楽しみにしています、ファンです、これからも頑張って下さい、主人公が格好良いです等。一人一人が、個々人の感想を短く副えながら、俺に言ってくれる。
 嬉しいと思う反面で、妙な寂しさもこみ上げた。この人達は、俺を人間だと思っているから、好意を示してくれているのだ。もしも俺が、人間でないと知ったら?
 ……って、何でまたこんな暗い考えをしてるんだ、俺!?
 軽く頭を振り、そんなネガティブな考えを頭から追い出して、俺はとにかく目の前にいる人達に集中する。
 少なくとも今は、この人達の思いに応えるのが俺の義務だと、そう自分に言い聞かせて。

「かんらかんらかんら! いやぁ先生、大盛況でしたね!! 思わぬ収穫もありましたし!」
「流石に……今日はもう無理です。右腕は腱鞘炎一歩手前、左手は握手のし過ぎで腫れまくりですよ」
「これで僕が、仕事しろって言ったら、どうします?」
「鬼か、アンタは」
「かんらかんらかんら! 流石に今日は言いませんよぅ。……今日は」
「明日は言う気満々なんだな!? そうなんだな!? むしろ日付変更した瞬間から言う気だな!?」
「当たり前じゃないですか。筋肉痛なんてのは、甘えですよ、先生! きちんとその筋肉酷使すれば治りますって!」
「どこの勘違い体育会系ですか。治る訳がねえ」
 書店の控え室にて、意味ありげに笑う斉藤に向けて、俺は恨めしげな視線を送ってやる。
 俺の現状はさっきの言葉の通りだ。右腕は限界寸前で何もしなくても小刻みに震えているし、左手もパンパンに腫れている。握手のしすぎで手が腫れるってのは、本当だったんだな。俺はてっきり都市伝説だとばかり。少なくとも今日一日、俺の手は使い物になりそうにない。明日までに回復するかと問われれば、正直自信がない。
 溜息を吐き、だらりと机に突っ伏してから、もう一度さっきと同じ、恨めしさ全開にした視線を向ける。だが、そんな俺の視線を受けて。斉藤は何故かすぅ、と目を細め……そしてじゅるりと垂れた涎を啜った。
 ……どうした、こいつ? 普段からおかしな言動が多いが、今日はいつにも増しておかしいぞ?
「…………いやあ、それにしてもヘタレてる時の先生って、美味しそうな匂いをさせますよねぇ」
「……はぁ!? いきなり何ですか!?」
「かんらかんらかんらっ! そんな頓狂な声を上げないで下さいよ。しょうがないじゃないですか、僕の好物はダメ男のライフエナジーなんですから」
 特徴的な笑い声を上げつつ、奴は何だかよくわからん単語を放つ。
 俺が「ダメ男」と言われた事は理解できる。電話越しでもこの男によく言われる事だ、それは良い。いや、良くはないが、言われ慣れているので流す事が出来る。
 問題はその後の「ライフエナジー」という単語。
 何の事だかさっぱりわからない俺をよそに、相手は未だに口元に垂れ続ける涎を拭っている。
 いや……いやいやいや、何なんだこの人、今までこんな様子見せた事なかったぞ!? そりゃあ、出会ってから数年経っているが老けた様子もないし、この人がまともに食事をしているシーンなど見た事もないが!
「……ちょっとだけ、死なない程度になら……頂いちゃって構いませんかね? 正直、僕お腹空いてますし。最近ちゃんと食べてもいないので。もうね、こんな御馳走を前にして我慢とか無理ですよ」
 斉藤がそう、不穏さを十二分に感じさせる一言を呟いた瞬間。ニヤリと笑う彼の下顎と瞳に、虹色の模様が浮かび上がった。
 あれは、彩塔さんと同じ!? じゃあ、こいつも彩塔さんと「同類」!?
 察し、反射的に身構えた瞬間。斉藤の後ろに何者かの影が現れたかと思うと、次の瞬間ごっすと鈍い音を立て、そのまま彼は床と熱いキスを交わしていた。
「…………構う訳がないでしょう、帝虎」
 何があった、と思うよりも先に、呆れたような彩塔さんの声が響き、斉藤は彼女の足の下で頭を抑えながら呻いている。悶絶している、と言っても良いだろう。
 これは、えーっと……踏み潰されてるのか、斉藤が。彩塔さんに。いや、スナップ効かせてるから、踏み躙られてるっつった方が正しいか?
「ぬおおおおおおっ! いきなり本気の踵落し!? しかもそこからの足蹴!? え、酷くない!?」
「当然です。私の目の前で何をしようとしているのですか、あなたは。いっそこのまま踏み潰しましょうか。かなり本気で。その方が世の為人の為ですよね?」
「やめてやめて、マジやめて硝子ちゃん! あ、何か背骨がミシミシ言ってる! ギブギブギブ!! そして先生も呆然と見てないで助けて下さい~!!」
 パンパンと床を叩きながら、担当は涙目でこちらを見上げながらそう訴えるが……何でだろうか、いっそ死んでしまえ貴様、と思わなくもない。っつかまだ頬に虹色の模様が浮かんでいる時点で、信用ならないんだが。
 とは言え、俺を小説家として成功させてくれた恩もあるし……
 軽く一つ溜息を吐き、苦笑を浮かべながらも、俺は彼女に向かって首を横に振る。生かしておいてくれ、という意味を込めて。
 それを見た瞬間、彼女の形の整った眉が、きゅぅっと寄り……心底残念そうな表情で、足元の担当を見下ろした。
「……良いんですか? この害虫は生かしておいても何の役にも立ちませんよ?」
「ちょっ、硝子ちゃん、その言い方は如何なものかな!? これでも刃稲先生の担当だよ!?」
「そう、そんな人でも担当なんで……出来ればその、生かす方向でお願いできないかな?」
「…………この害虫を殺せる、絶好の機会だったのですが。とりあえず帝虎。あなた、さっさと擬態し直して下さい。顔に模様が浮いたままです」
 害虫って、そんな彩塔さん。
 と心の中で突っ込みながらも、解放された斉藤を軽く睨みつける。
 今さっきの出来事だ。何やらこの男の言葉が物騒だったのははっきりと覚えている。おまけに何だ? 担当と彩塔さんが知り合い……よりも妙に親密そうな雰囲気なのも気になる。さっき彩塔さん、名前で斉藤の事を呼んでたし、斉藤も彼女の事を名前で呼んでいるし。
「……ええっと。どういう事か、説明してもらえませんか? その……色々と」
「はい。この世には『ヒトの命を糧に生きる異形』がいるのは、先日お話しした通りです」
 俺の問いに答えたのは、彩塔さんの方。
 一昨日の夜の事だ、覚えている。随分とぶっ飛んだ話だ、と言ったのも。
「既にお察しかとも思いますが、我々の一族もまた、『それ』に該当します。『吸血鬼』が我々に最も近い、とも申し上げましたが、恐らくあれは我々の種がモデルとなっていると思われます」
「へえ……そっか。吸血鬼。……言われれば納得はするけど、それっぽく見えないのは何でなんだろうな」
 そもそも、俺の中にある吸血鬼像と言えば、口から牙が生え、黒いマントにオールバック、美女の血を吸い「ワハハ」と高らかに笑い、ニンニクと十字架、日光に銀の弾丸がアウトっつー存在。
 しかし彩塔さんは、普通に日の下に出歩いてるし、ニンニクだってペペロンチーノのお裾分けを貰った事があるから苦手ではない。十字架と銀の弾丸は分からないが、恐らくそれも問題ないと思う。「牙」に関しては上手く隠しているのかもしれないのでノーコメント。
 彼女が「ヒトの命を喰らう者」だって話は、何となく昨日の姿を見て予測はしていたが、正直それ自体もピンとこない。彼女が人間を襲っている姿を見た事がないのと、普段の彼女があまりにも人間臭い食生活を営んでいるせいだろうか。
「あれ、え、ちょっ!! 硝子ちゃん、それ言っちゃって良いの!? そして何で先生は納得してるんですか!?」
「私は昨日、灰猫さんに正体を晒しましたからね。説明しないのは精神衛生上好ましくありません」
 しれっと彼女はそう言うが……実際の所、自分の正体を明かすとか、それはとんでもない事なんじゃないのか? っつーか、普通は担当みたいな反応を示すだろう。俺だって、オルフェノクの説明をした時は、やはり多少は言葉を濁そうとしていた訳だし。
 その後に展開された彼女の話によれば、彼女や担当の属する一族は「ファンガイア」と呼ばれているらしい。本当は別の呼び名があるのだが、人間の名付けたこの呼び名を、彼女は案外と気に入っているとの事。
 そして、ここからが俺にとっては衝撃だったのだが、彼女達は生まれながらの「怪人」……いや、「異形」なのだそうだ。
 二十歳前後までは普通の人間と変わらない速度で成長するが、それを超えると著しく成長が止まる。それ故、先日彼女が言っていたように、余程の事がない限りは百年や二百年は生きていられるのだとか。道理で、彼女の見た目が俺とほとんど変わらない訳だ。
 本来なら「人間の命」……もとい、「ライフエナジー」と呼んでいる「生きる為のエネルギー」を奪い、生きながらえるのが彼女達らしいのだが、現在はファンガイアの頂点である「キング」とやらが、人間を襲うのを禁じたのだそうだ。人間との共存の為にとか何とか。
 更にそのファンガイアには、その「キング」をはじめとする頂点四人組が存在するらしい。その中の一人が、「ルーク」なる称号の持ち主で、何とそれが彩塔さん自身だと言うのだから驚いた。
 そうか、彼女はそんな実力者だったのか。…………色々と言動がぶっ飛んでいる訳だ。自分の力に自信があるからこその言動だったんだろう。うん、納得した。
 普段の見た目が、その実力を隠しているせいで、無謀にしか見えないのだが。
「……と、非常にざっくりとした説明をさせて頂きましたが」
「……正直、驚いてる。彩塔さんが『そう』だってのは、昨日見たからわかるとして。…………まさか斉藤、アンタまで『そう』だったとは」
「これでも硝子ちゃんよりも年上でしてね。今年でジャスト九十九歳。人間で言う白寿って奴です。かんらかんらっ」
 曲がりなりにも彩塔さんは「お偉いさん」なのに、何でこんなに斉藤は彼女に対してフランクなんだろうか。そもそも、さっきから気になっている事だが、二人は知り合いなのか?
 そりゃあ、話を聞いている限りでは、彩塔さんはファンガイアの中でも若い方のようではあるし、ちゃん付けの似合う女性だとも思うが……
「だけど、驚きましたよ。まさか僕らの硝子ちゃんが、この街にいるだけじゃあなくて、刃稲先生のお隣に住んでいたなんて。……これからはちょくちょく会いに行くからね、硝子ちゃん」
 …………ちょっと待てコラ。今、色々と聞き捨てならない単語がちらほらと聞こえたぞ。
 「僕らの」?
 「会いに行く」?
――フザケロ テメェ、殺スゾ――
「来ないで下さい、鬱陶しいだけです。物磁モノジ斗李トリにも伝えて下さい帝虎。『来たら即叩きのめす』と」
 物騒な考えが過ぎると同時に、彩塔さんの心底鬱陶しそうな声が聞こえ、俺ははっと我に返った。
 何だ、今の。何であんな……くそ、頭がガンガンする。昨日からだ。泡のように、今みたいな物騒な考えが浮んでは消えていく。
 引鉄が何なのか、よくわからないが……少なくとも、いつもよりも苛立ちやすくなっているって事だけは確かだ。
「ええ? 純粋に、硝子ちゃんを愛でたいだけなんですけれどね~かんらかんらっ」
「……言葉だけ聞いてると変態ですよ、斉藤さん」
 痛む頭を軽く押さえつつ、何とか俺は言葉を絞り出す。
 彩塔さんの反応から見て、恋人同士という訳ではなさそうではあるが、斉藤自身の言葉はそれに通じる物があるように聞こえなくもない。少なくとも、名前で呼び合う程度には親密である事は確定している。
 しかしそんな俺に対し、斉藤自身はくわっと目を見開き……
「何を仰いますか先生! 年の離れた妹を愛でるのは、兄として至極当然の事です!!」
「あなた達の場合、それが行き過ぎて変態行動になっている事実に、何故気付かないんですか」
「親愛の情を全身で表現しているだけだよ、硝子ちゃん。かんらかんらかんらっ!」
 ……は?
 力一杯胸を張って返された言葉に、俺の思考はわずかな間、停止した。何と言えばいいのだろう、奴の言葉を、俺の脳が受け取り拒否でもしたかのような、そんな言葉が聞こえた気がする。
 ……えーっと、すまん。今……何と?
 恋人同士ではなさそうだったが、片恋中だとか、あるいは元恋人こじらせてストーカー化したとか言われたのなら、ある程度心の準備も出来ていた。
 だがしかし、斉藤が放ったのはそのどれでもない。俺の聞き違いでなければ、「妹を愛でるのは」とか言ったか?
 ……え? 「妹」?
 誰が、誰の?
「キョトン顔ですね先生! 私の『斉藤』は、世の中でひっそり生きていく為の当て字です。元は『彩塔』なんですよ。気付きませんでしたか? かんらかんらっ!」
「え? え?」
 あまりの驚きに、俺は確認するように彩塔さんの顔を見やる。
 出来れば嘘であって欲しい、そんな願いを込めての事だったのだが……彼女の方も、心底残念そうな表情で首を横に振り……そして重い溜息と共に、言葉を吐き出した。
「……不出来かつ不肖、更には不気味な兄で申し訳ありません。間違いなく、この下衆な害虫は私の末兄なんです」
「自他共に認めるシスコン兄貴ですよ~。かんらかんらかんら!」
「それを公言出来る時点で、変態ですよね。あなたと顔立ちがあまり似ていないのが、唯一の救いです、帝虎」
 ああ、きっと彼女もこの男に苦労させられたんだろうなぁ。
 彼女の横で、かんらかんらと笑う担当を疲れた表情で眺めつつ、俺は本気で転職を考えたのであった。
 ……何で俺の周りには、普通の人間がいないのだろうと、かなり深刻に悩みながら。
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