灰の虎とガラスの獅子

【誇りのR/彼と私の「誇り」】

 がくりと膝を付いた私を見て、おそらく異形は「意識を失った」と判断したらしい。今まで私の体を襲ってきた電撃が止み、相手の哄笑が耳に届く。
 しかし残念ながら、私はまだ意識を保っているし、普通の人間より怪我の程度も軽い。多少は体に痺れがあるが、「お仕置き」をするのに問題はないだろう。
 非常に不愉快な思いをしているせいか、瞳だけでなく顔にもステンドグラスのような模様が浮かび上がっているのがわかる。これは、ファンガイアがヒトの姿から本来の姿に戻る時特有の現象だ。
 普段は自分の意志で擬態やその解除が自在にできるのだが、時折感情が暴走すると、勝手に擬態が解けてしまう事がある。老獪なファンガイア氏族であれば、感情の変化ごときで擬態は解けないし、そもそも自分の感情を上手くコントロールできる。それが出来ないのだから、私はまだまだ未熟と言えよう。
 ……しかし、いかに私が未熟で、本来の姿に戻りそうになっているとしても、今、このタイミングでそれを晒すのは問題がある。
 それは勿論、唯一この場で残っている「人間」である赤いジャンパーの青年の存在に見られてしまうこと。
 先程黒いスーツの青年がはなった言葉を信じるならば、この課の課長らしい。若いのに、随分と偉い地位にいるものだ。
 と感心している場合ではない。この青年がここにいる以上、下手に本来の姿を晒して騒動にするのは御免被りたい。異形の電撃で、他の面々のように気を失って欲しい所ではあるが、どうやらこう言った異形を相手に戦うのには慣れているらしく、軽やかな動きで放たれる電撃をかわす。
 先程黒スーツの青年が、この異形の事を「ドーパント」と呼んでいた事を考えると、「雷神様」のような異形は、この街では当たり前なのかもしれない。成程、だから「超常犯罪捜査課」なのか。
 と、妙に納得しながらも私は高ぶる気持ちを押さえ込み、浮かび上がった本性を隠す。本性を晒す為には、やはりあの異形をこの場から引き離し、二人きりと言う状況を作るしかない。その為には……
「この……程度ですか?」
 ゆっくりと立ち上がりながら、私は挑発するように異形に向かって言葉を放つ。
 まさか無事とは思っていなかったらしく、「雷神様」も……そしてそれと戦っていた赤ジャンパーの青年も、ぎょっとしたように私の顔を見やった。
 動きが止まった彼らに対し、私は服に付いた煤と埃を叩きながら、挑発するように更に言葉を続ける。
「昨夜も申し上げましたが、やはりあなた、三流悪役ですね」
『な……なにぃ!?』
「だってそうでしょう? あなたは街の人を守るべき警察官なる職に従事しておきながら、やっている事は真逆。それも、力のない『女性』を、人目につかない『夜』に襲う。『三流悪役』という評価すらも、分が過ぎます」
 敢えて「女性」と「夜」、そして「三流悪役」を強調して、相手の神経を逆撫でするような物言いをしてみる。ようは挑発だ。もっとも、言葉の内容は私の本音なのだが。
 そんな私の「安い挑発」にカチンと来たらしい。異形はわなわなと大袈裟なまでにその体を震わせ、こちらに向かって再び電撃を放つ。
 しかし今度は喰らってやるつもりはない。それをひょいと後ろへ飛んでかわすと、たった一つの出入り口に向かって走り出す。
『逃がすかぁぁぁぁっ!』
「鬼さんこちら、です」
 にこやかな笑みと共にもう一度ダメ押しの挑発をし、私は廊下で最も近い場所にあった窓を開ける。この真下に、ごみの一時集積所がある事は確認済みだ。
『小娘ぇぇぇっ!』
 ドタドタと足音を立て、異形が私を追って部屋から出る。
 その際、青年の背を思い切り踏みつけていたが……あの人、大丈夫だろうか? 蛙が潰れたような声がしていたけれど。
 ……と、他人の心配をしている場合ではない。
 開けた窓に腰掛け、相手が部屋を出てこちらを睨みつけているのを確認した瞬間。私は片手をひらひらと振り、重心を後ろに倒して、一言。
「チャオ」
 自分に出来る最高度合いで「頭にくる愛らしさ」を演出し、そのまま地上に向かって体を落とす。
 言ったと思うが、ここは三階。普通に考えて十五メートル程の高さ。打ち所が悪ければ死に至る。とは分っているのだが、そこは己の丈夫さと下の状況……集積されたゴミ袋達が山積みになっているのも確認済みだ。
 クッション代わりと呼ぶにはいささか心許ないが、ないよりはマシだろう。願う事があるとするなら、どうか下にある物が生ゴミや金属片などではありませんようにと言う事くらいか。
 そして、願いはどうやら通じていたらしい。ガサっという音と共に、私は白い半透明な袋……シュレッダーにかけられた後の紙の山に突っ込む。
 クッションなどなくとも、あの程度の高さならば本来は問題ないのだが、一応今の私はヒトとして扱われている。そのヒトの中でひっそりと暮らしていくためには、どうしても「この高さから落下して助かった理由」が必要になる。なので、今回はもっともらしい状況を演出してみた。
 ……まあ、これも正直、普通の人間がやる事とは思えないが……いざとなったら「火事場の馬鹿力」という便利な言葉を使わせてもらうとしよう、うん。
 などと、のんびりしている場合ではない。こういった状況の場合、自分がそうであるように、大抵の異形もあんな高さを物ともせずに着地する。今はヒトのふりをしている以上、追いつかれるべきは「ここ」ではいけない。
 すぐさま身を起こし、私は出来る限り人気のない方向へと全力疾走……しているかのように見せかけて走る。私が本気で走ったら、確実に相手を引き離してしまうからだ。それではいけない、追いついてもらわねば話にならない。
 やがて、倉庫の立ち並ぶ廃工場に辿り付き……私はそこで足を止めた。
 いい具合に人の気配がない。それに、ここなら多少暴れても問題ないだろう。
 そう考えた瞬間、背後の足音も止まった。どうやら無事、こちらに付いてきてくれていたらしい。
『よ……ようやく観念したようだな、小娘!!』
「息が上がってますけれど……大丈夫ですか?」
『やかましい! あの距離を走って汗一つかいていないお前がおかしいんだ!』
 ぜいぜいと息を荒げて怒鳴る異形。
 ……おかしいって言われても……いや、そりゃあ私はファンガイアだから、普通のヒトよりも体力があるのは認めるが。
『とにかく! 貴様はお仕置きでは済まさない。殺してやる!』
「『お仕置きでは済まさない』、ですって?」
 相手の言葉に、私は小さく反応する。
 瞬間、私の顔に再びステンドグラスの模様らしきものが、首筋から頬にかけて浮かび上がる。瞳の色も、普段の黒からファンガイアの細胞本来の色である虹色に変化する。
 もう隠す必要はない。目の前に立つ存在に対して、私は「お仕置き」をする気なのだから。
 私の気迫に気圧されたのか、はたまたこの「虹色の細胞」に驚いたのか。相手はう、と小さく呻くと、一歩だけ下がった。
『な……何だ、お前……』
「何だと問われましても」
 右手の手袋を外し、にっこりと微笑む。それと同時に、私は自身の「本来の姿」に戻った。
 白を基調とした体色、所々ステンドグラスのように色鮮やかな紋様が入っている。全体的にはライオンに似た外見をもっている物の、肩の部分はドードーの頭部を連想させる。ヒトからは、「ライオンファンガイア」と呼ばれる姿だ。一応私も、自身を獅子だと思っているので、そう呼ばれることに不快感はない。
 ちなみに、その気になれば自分の身長と同じくらいの大きさの棍棒を武器として召喚する事ができるのだが、今回はそんな物に頼らずとも良いだろう。これでも、体力と腕力には自信があるのだ。
『貴様……ドーパントなのか!? いや、それにしてはメモリを使った気配はなかったが……』
「私が異形で、驚きましたか? でも……お仕置きは、ここからですよ」
 言うと同時に、走る。実のところ速度としては然程早くはないのだが、驚愕で隙だらけの者を相手にするには充分なスピードだろう。その速さに乗せて、私は固めた左拳を相手の鳩尾部分に叩き込む。
『ぐぼあっ!?』
 ドスリという鈍い音との一瞬後、異形の悲鳴が響く。
 先も言ったが、私は技よりも力に特化している。恐らく、純粋な腕力だけを見るならば一族でも一、二を争うだろうと自負している。その分、スピードと技には劣るのだが、腕力があるだけでも御の字だ。それ以上を望むのは贅沢だ。
「オチちゃダメですよ、まだ終わっていないんですから」
『なっ!?』
 「な」に濁音が付いていそうな声を上げる相手に向かい、今度は相手のこめかみ……先程USBメモリを挿した方とは逆側を殴りつけた。
 頭蓋の硬い感触を手に感じながらも、私は気にせずそのまま拳を振りぬく。皹くらいは入ったかもしれないが、そこはご愛嬌だ。それくらいしないと「お仕置き」にはならないだろうし。
『ぎ……ぎざまぁぁぁ……』
 地面に叩きつけられ、その勢いでアスファルトにひびを入れながら、それでも相手は憎々しそうに私に対して怨嗟の声を上げる。声が先程以上に濁って聞こえるのは、歯の数本でも折れたか、あるいは鼻血でも流しているのか。
「自分は他人を襲っておいて、自分が襲われるのは嫌なんですか? 我儘ですよ」
『黙れ! 私は、正しい事をじているのだ! 逆らう貴様が悪い! 何故ぞれが分からない!?』
 濁った声で怒鳴ると同時に、相手の体からバチンバチンと、かなりの電気が発せられる。どうやら相手の力の源は、「怒り」、「憎悪」、「嘆き」などの負の感情らしい。「雷神の太鼓」から、円を描くように電流が迸っているのが見て取れた。
 ヒトというのは、どうしてこうも自身の価値観を押し付けようとするのだろうか。誰もが同じ価値観で動いていたら、きっと物凄くつまらない世界になるだろうというのが分からないのか。
 そりゃあ勿論、自分の意見を否定されるのは悲しい物があるし、場合によっては腹も立つ。だが、それでも無理に通した主張はただの自己満足に過ぎない。どこかで歪な関係を生むのだと、何故分からないのだろうか。
 不思議には思うが、相手は私の疑問など知るはずもない。苛立ったように頭部を掻き毟ったかと思うと、怒りに燃えた瞳を私に向けて、吼えた。
『許ざん、許ざんぞぉぉぉっ!!』
 その言葉が、私の鼓膜を叩いた刹那。彼が後ろで循環させていた電流は、私目掛けて一気に放出される。恐らく、それは全身全霊の攻撃だろう。
 理解すると同時に私は高く跳んでその攻撃をかわす。「上」は追撃されると、回避のしようがない場所なので普段は脇に避けるのがセオリーなのだが、今回ばかりはそこしかなかった。
 何故なら、電撃はあまりにも幅広く放たれており、「横に逃げる」と言う選択肢を完全に潰していたからだ。
『おおおおおお……るぅおをををををっ!』
 獣のような咆哮を上げ、相手は爛々と輝く瞳で前を見つめている。
 彼の体からは電撃が溢れるように迸り、バチンバチンと音を立てながら空気中に拡散している。
 だが……妙だ。
 確かに彼の電撃攻撃は、先程喰らった物に比べると遥かに威力が増している。だが……狙いが、まるで定まっていない。
 己の力を制御しきれていない。ただひたすら、身の内に溜まる電流を外へ放出しているだけのように見えた。
 「パワーと引き換えに正確性を失った」のではない。いや、それもあるのだろうが、そもそも相手自身が、私の姿を認識していない。
 見失ってしまっているのだ。標的であるはずの私の姿も、そして……自分自身の存在も。その証拠に、迸る電撃は時折彼自身をも灼いてしまっている。
 さっき頭部を殴った衝撃なのだろうか? だったらもう一度、今度は逆方向から良い具合に殴れば済みそうな気がしなくもない。……勿論、余計に悪化する可能性もあるが。
「とにかく、今は自我を見失っている状態……という訳ですね」
 己を見失い、それ故に制御を離れてしまった力。力に翻弄され、彼はただひたすらに周囲を破壊している。
 力の扱い方を誤った者の、典型的な例だ。このまま放っておけば自滅するだろうが……それでは「お仕置き」にならない。彼には、己の罪を償う義務がある。
 それに、見捨てるのは私の誇りに反する。「ファンガイアの矜持」と言っても過言ではないだろう。
 同族の中には「ヒトなどどうなろうと知った事じゃない」と言う輩もいるが、生憎と私はそこまで達観できていないのだ。
「仕方ありません。一か八かの賭けになりますが……」
 とん、と地面に降り立ち、流れ弾のように飛んでくる電撃をかわしながら、私は普段隠している、ライフエナジーを吸う為の牙……「吸命牙」と呼ばれるそれを展開、相手に向かって飛ばし、その首筋に突き立てる。
「まあ、とにかく……いただきます」
 呟くと同時に、相手のライフエナジーを奪いに掛かる。生かさず殺さずの加減は、結構難しいのだが。まして相手が自己を見失っている状態ならばなおのこと。
 相手が死なないよう加減しながら、徐々にライフエナジーを奪う。それに伴い、相手の電撃も弱まり、声も獣の咆哮から弱々しい悲鳴へと変わっていく。
 やがて相手のこめかみから先程見たUSBメモリもどきが抜け落ち、彼の姿が「異形」から「ヒト」に戻った。
 どうやら、彼を「異形」たらしめていた物は、あのメモリらしい。
 そう納得すると同時に、私は突き立てていた吸命牙を外し、自身も人間の姿……「彩塔硝子」へと戻す。異形でなくなったのであれば、私も本性で戦う必要はないだろう。それは公平さに欠ける行為だ。
 崩れ落ちるようにその場に膝をつく警官に向かって歩を進め、とりあえず抜け落ちた黄色っぽいそのメモリを拾い上げる。真ん中には雷を模したデザインで、「C」と書かれている。恐らくは、「Current」の頭文字だ。こんな物で人間が異形に変わると言うのは、何とも不思議な気がする。身内に見せたら面白がりそうな代物だ。
 興味深く思って眺めた刹那、そのメモリはパキンと軽い音を立て、真二つに割れてしまった。
 …………壊れた。どうしよう、壊すつもりはなかったのに。そんなに力は入れてなかったはずなのに、何でこんないきなり壊れてしまったの!?
「ああ……ブレイクされたのか……」
「す、すみません!! 壊すつもりは毛頭なかったのですが……!」
 ぼんやりとした表情で呟く警官に、私はおろおろとしながら言葉を返す。
 もしもこれが彼の心臓のような物だとしたら、私はとんでもないことをしでかした訳だ。
 だが、彼の方はそんな私の慌てぶりがおかしいのか、吹っ切れたように優しい笑顔をこちらに向けた。
「いや……壊してくれて良かったんだ。俺はそのメモリに振り回された」
「え?」
「俺はいつの間にか、その力に飲まれていた。自分の誇りを、傷つけた」
 ポツリポツリと落とされる呟きに、私は黙って耳を傾ける。
 恐らく、これは彼の懺悔だ。聞く必要があるだろう。
「最初は……夜間巡回で、夜遊びする子供達を注意して回っていたんだ」
 「お巡りさん」という職業上、彼は子供……十八歳未満の未成年を対象に、夜間巡回の際は注意していたらしい。
 世間的に「子供」と呼ばれる彼らにとっては、夜の街は冒険心をくすぐる遊び場のつもりだったのかもしれない。しかし、「夜」はその暗き闇故に、単純に冒険では済まされない、危険をも孕んでいる。だからこそ彼は、彼なりの正義感を持って注意して回っていたのだろう。
 だが子供という生き物は、得てして大人の言う事を聞こうとしないものである。分ったふり、反省したふりをすると言うだけならまだしも、中には口汚く注意した人間を罵る者までいる。
 そしてある日、彼はいつものように巡回し……そして注意した相手の中にいた少女に、散々罵られた後、スタンガンを食らわされたのだそうだ。
 その時の彼の絶望は、凄まじかった。
 危ない目にあった事がないから、あんな無茶が出来るのだ。
 ……ならば、夜遊びを後悔するような危険な目にあわせれば良い。
 いささか短絡的過ぎる気もするが、そんな風に考え、かつて入手した「カレントメモリ」を用いて「電流の力」を扱う異形……ドーパントとやらになり、ちょっとした「お仕置き」をその子達にしたらしい。目には目を、電流には電流を、という事だったのだろう。
 ……そこで止めておけば良かったのに、彼はその一回の「お仕置き」で味を占めた。それ以降、「夜中」に出歩く「女性」を狙って、「お仕置き」を繰り返してきたのだそうだ。人々から「通り魔」と呼ばれ、恐れられていながらも、それが「正義」だと信じて。
 壊れたメモリには、何か抗い難い魅力があったらしい。止めたい、終わらせたいと心の片隅で思いながらも、彼はメモリを使いたいという誘惑に負け、結局は使い続けた。
「お嬢さんの言う通りだ……街の人を守るべき警察官という職に就いていたのに、やっている事は真逆。俺はただの卑怯者だ」
 彼はそう言って俯き、悔しげな嗚咽を漏らす。
 流した涙は、アスファルトに黒い染みを作り、すぅっと溶けていく。
 まるで、彼の体に残った邪気を体外に流し出すかのように。
「……俺は、俺の持っていた誇りを自分で汚したんだ。この街を見守り、人々の笑顔を守るのが……俺の誇りだったのに」
「……ならばその誇り、もう一度取り戻せば良いではないですか」
「え……?」
「己の過ちに気付いたのです。己の誇りも思い出した。ならば、取り戻し、もう一度胸を張る事も出来るはずです」
――失った誇りは取り戻せば良い。傷付いた誇りは癒せば良い。誇りを忘れさえしなければ、それで構わぬ――
 私の父の言葉だ。家訓の一つと言っても良い。
 己の誇りを失い、そして傷つけたとしても……その過ちに気付いたのなら、取り戻せない道理はない、というのが私の父の言だ。
 恐ろしく強い人だった。心も、体も。
 本当にあの人は、「獅子だから」という理由だけで私の事を千尋の谷に突き落としたし。あ、思い出したら腹立ってきた。今はどこで何をしているのか、連絡もないので分からないが、あの人はそう簡単には死にはしていないだろう。
「誇りを……取り戻す……」
 小さく、呟くようにそう言うと……彼は何かを吹っ切ったのだろう。目元に溜まる涙を拭い、折っていた膝を伸ばした。
 その顔には、既に闇の色はない。先程の機械と共に「闇」も破壊されたのだろうか。いや、そもそもあの闇は、本当にこの人が抱いていたものだったのか。
 もしもそうなのだとしたら、あの機械は非常に危険だと言えるだろう。
「すまなかった、お嬢さん。俺は……自首して、罪を償う。その上で、もう一度……誇りを取り戻し、今度こそ恥じない生き方をする」
「ええ。それが良いと思います」
 私がそう返したのと、ほぼ同時だっただろうか。どうやってこの場所を探知したのかは知らないが、赤ジャンパーの青年が、バイクと共にこの場に到着した。
 それを見るや、「お巡りさん」は私の手から壊れたメモリを受け取ると、ゆっくりとその青年に近付き……頭を下げ、己の罪を告白。そのまま連行されていった。
 もっとも、赤ジャンパーの青年は心底不審そうな表情で何が起こったのかを聞こうとしていたが……彼はただ、「自分の力が暴走、負荷に耐え切れなくなったメモリが壊れただけ」と、私の「本性」には言及しなかった。
 恐らくそれこそが、本来の彼が持つ優しさであり、誇りなのだろう。
「後日、詳しい話を聞かせてもらう。それまでは、自宅待機をしていてもらえると助かる」
 「お巡りさん」に手錠をかけ、後ろからやってきたパトカーに彼を乗せると、赤ジャンパーの青年がどこか不機嫌そうな表情で告げた。
 今日はとりあえず犯人である「お巡りさん」の事情聴取、そして後日「被害者」である私への聴取という事だろう。
 素直に頷いておきたいところだが、いかんせん午後からは本屋のバイトがある。完全な自宅待機となると、無断欠勤となって大変失礼な事になるのだが。
 その旨を告げれば、今まで「うっすら」程度だった不機嫌さが、「それなり」程度にまで増したのが見えた。何というか、「何を考えているんだ貴様は」と言いたげな顔だ。
 ……まあ、当然と言えば当然か。普通の女性ならば「襲われた恐怖」で怯えるか、あるいは逆に激怒するかの二択。しかし、私の場合はそうではない。至って冷静に、しかもこの後の仕事の心配までしている。普通の感覚ではありえないだろう。
 ……人間社会の中でひっそりと暮らしたいと願っている割に、その辺の「一般的な反応」が出来ないのが私悪い所だ。怪しまれないように、今からでも怯えた方が良いのだろうか。
 うーん……
 そんな風に悩んでいると、パトカーに乗っていた二人……先程「お巡りさん」によって感電させられていた青年と、私の用具カートに叩き込まれていた男性が、微かな苦笑を浮かべて声をかけてきた。
「それじゃあ風都ブックスには俺の方から連絡しておくから。今日はホラ、色々あって疲れたでしょ? だから、休みなって」
「今は実感が湧いていないかもしれないが、怖い思いをしたんだ。無理はしない方が良い」
 怖い思いなど微塵もしていないのだが、これ以上心配をかけるのも申し訳ない。
 それに、あまりごねていると逆に怪しまれてしまいそうだ。
 ここはお言葉に甘え、さっさと帰ってのんびりさせてもらうとしよう。
「分かりました。では、お手数ですが店長さんに、急に休んでしまい申し訳ないとお伝え願えますか?」
「あはは……本当にしっかりしてるなぁ」
 ぺこりと頭を下げてそう言うと、刑事さん達はこぞって困惑したような笑みを浮かべる。感電させられていた方の青年に至っては、空笑いをしながらそんなことまで呟く始末。
 少しだけ赤いジャケットの青年は訝しんでいるようではあるけれど、今はとにかく「お巡りさん」を連行する事を優先したいのだろう。乗って来ていたバイクに跨ると、それに倣うように刑事さん達もシートベルトを締め直した。
「本来なら、被害者であるお前を、誰かに送らせるべきなんだが……今は別件で人手がない」
 赤いジャケットの青年に言われ、私はああ、と頷く。
 確かに、本来なら誰かが「被害者」を送るべきだ。パトカーの運転と監視で、最低でも二人はそこに乗っていなければいけないし、万が一の場合に備えて、別の乗り物にもう一人か二人が控えている必要がある。
 しかし、ここにいる刑事さんは三人。護送の面を考えると、私を送る要員は割けないだろう。
「大丈夫です。一人で帰宅できますので、お気遣いなく」
「そうか。…………悪いな」
 小さく、しかし確かに、赤ジャケットの青年はばつが悪そうにそう言うと、赤色灯を回して走り出したパトカーを追うようにしてバイクを発進させた。
 …………これにて一件落着か。やれやれ、どうやらこの街は随分と奇妙な所のようだ。
 去っていく彼らの背を見送り、ふぅと溜息をついたその瞬間。
 ドガッという音と共に、私の眼前を灰色の影が吹き飛んできた。何事かと思ってそちらに視線を向ければ、そこには灰猫さんのもう一つの姿であるタイガーオルフェノクの姿。そしてその前に立っていたのは、真っ白な「騎士」を連想させる異形。
 その「白騎士」を見つめ、灰猫さんは何事か吐き捨てるように毒吐く。
 …………どうやら、今日はまだ一件落着とは行かないらしい。
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